11 キキ、赤い靴を運ぶ
朝から雨が降りつづいています。
「ジブジブジブって、まったく、いくじなしの女の子みたい」
キキは目の前にさがっている、いつまでたってもかわかない洗濯物をにらんでいいました。そばでジジがしきりに手で顔をなでています。
「でもぼくは雪が降るよりいいな」
「上に行ってあついお茶でも飲もうかな」
キキが立ちあがりかけると、ルルルルーと電話が鳴りはじめました。
受話器をとると、
「あの、えーと、そちら魔女のおとどけ屋さん?」
と、細くて高い声がきこえてきました。
「はい、そうです」
「あの、えーと、えーと、ちょっとおとどけ、おねがいできますかしら」
「はい」
キキは部屋のすみにおいてあるほうきを、ちらっと自信のない目で見ました。
「こちら、えーと、よめな通り九十九番地ですけど……ほんとうにいらしてくださるでしょ」
「はい、ええ」
「あのー、あのー、雨でも来てくださるんでしょ」
「は、はい。よめな通りですよね」
「じゃ、待ってますよ」
キキは窓から空を見あげました。
「雨、雨、ふー」
キキはため息をつくと、戸棚から黒い色のかさをとり出しました。
「かさぐらい、赤とかみかん色とか……景気つけちゃいけないのかしら……」
ジジがキキを見ています。目があって、キキは一瞬口をつぐみました。
「このとこ、うちにばっかりいるんだから、外の空気をすこしはすわなきゃ。キキ、行くのいやなの?」
「いやじゃないけど、ほうきが……」
ほうきはりんごを運んだときこわして、そばにあった枯れ枝で、まにあわせにつくったまんまでした。はやくつくりなおさなくちゃって思いつつ、きょうまで、のばしのばしにしていたのです。
「じゃ、歩いていくの?」
「うん……」
「まったく、イジイジして、いくじなしの女の子って自分のことじゃないの? よめな通りって遠いよ。それでもこの雨の中歩くつもり?」
「ううん、なんとか飛んでく。さ、行こ」
キキはほうきをかかえると、戸口にむかいました。
ほうきはどことなくたよりなく、ときどき、よろろとへんなゆれかたをします。
よめな通りはコリコの町のぎりぎりはずれにありました。家と家との間がだんだん遠くなって、最後にぽつんとあるのが九十九番地でした。
玄関のベルを押すと、ひきずるような足音がして、ドアがあきました。小さなおばあさんが、顔をいっしょうけんめい上にあげてキキを見ました。
「よく、来てくれたわね。あら、あら、こんなにぬれてしまって。さあ、さ、どうぞ」
いわれるままにはいると、家の中は、なまあったかい湯気がもうもうとたちこめています。
「外は雨で、うちの中は霧か……」
ジジはつぶやいて、小さくくしゃみをしました。
窓という窓は湯気でくもって、どこかよその世界にすっぽりとはいりこんでしまったような感じです。
「ああ、そう、そう。あたし、今、お豆さんを煮ているところなの。あなた、おすき? 甘いお豆さんよ」
おばあさんはおなべのふたがかたかた鳴っているコンロに近づいて、火を細くすると、湯気のたった白い豆をお皿にとりました。
「おひとつ、いかが?」
キキは豆を一つつまんで口に入れました。
「わー、おいしい」
おばあさんはうれしそうに目をかがやかせると、そばのボール紙の箱をあけて、赤いリボンのついた靴をとり出しました。
「あのー、あのーね、これをあそこへとどけていただきたいのよ」
おばあさんは体をねじって、湯気でまっ白になっているガラス窓のむこうを指さしました。
「あそこって、すぐそこ?」
キキはききました。
「そ、そうよ、ちょっと、このくもっている窓ふいてみて、見えるから」
おばあさんはうなずきました。キキはいわれるままに窓に近づき、手のひらでガラスをこすると、ガラスはさっとすきとおり、おばあさんの家の垣根と、そのむこうにつづく林が見えました。すずめが一羽、おどろいたように飛びたちました。
「大きな家が見えるでしょ。あそこはすかんぽ通りっていうのよ。玄関にのぼる階段に、ちっちゃな女の子がすわっているでしょ。名前はコダマちゃんっていうの。その子にこの靴、とどけてやってほしいのよ」
キキはなんと返事をしていいかわかりませんでした。どう見ても、女の子どころか、家も見えません。葉をつけた木と、はだかの木がまざった、こんもりとした林、そしてそこに消えていく一本の道だけです。でも、目の前のおばあさんはにこにこ笑いながら、あたりまえのように話をしています。
「あの林のむこうですか」
キキはおずおずとききました。
「ううん、ほら、見えるでしょ、うさぎの彫刻のついた階段にすわっている女の子」
キキはだまって首をふりました。
「あら、わかんないの。うさぎの彫刻よ。それ、ミコちゃんって呼んでたの」
おばあさんはふしぎそうにききました。キキは申しわけなさそうに、もう一度首をふりました。
「おかしいことねえ」
おばあさんは体のむきを変え、こんどはさっきの窓とは反対側の窓を、ブラウスの
「ほら、見えるじゃないの、ちゃんと」
「あら、こっちだったんですか」
キキはそばからのぞきました。たしかに家が見えました。でも、それは遠くにぽつんとたっている家です。窓にはカーテンがさがっているようです。階段なんてありません。女の子だってすわっていません。雨が降っているだけです。
キキはなんだかこわいような気持ちになって、体をこわばらせました。
「ね、見えるでしょ」
おばあさんはさも安心したというように、大きく息をつくと、そばのソファにすわりました。
「あのコダマちゃん、悲しそうな顔をしてたでしょ。だって、とってもわるいことしちゃったんですもの、とっても後悔しているのよ。四日前、おねえさんのコズエちゃんの八つのおたんじょう日だったのよ。それでコズエちゃんは、おとうさんからお祝いに赤い靴をもらったの、かかとがちょっぴり高いのよ。ほら、この靴と同じもの。おとなの靴みたいで、とてもすてきでしょ」
おばあさんは手にもった赤い靴を何度もなでました。
「コダマちゃんはうらやましくってねえ。『おねえちゃん、ちょっと、ちょっとだけでいいから、あたしにもはかせて』って何度もたのんだのよ。でも『だめ、あたしんだもん』って、コズエちゃんはうしろにかくして、見せてもくれないの。けんかになりそうになってね、そしたらおとうさんが、『ほらほら仲よくおし、これから海岸通りのレストランでお祝いの食事をしよう。はやくしたくをして、おまえたちは階段とこで待ってなさい』。するとコズエちゃんは、ぴょんぴょんはねながらいうじゃないの。『あたし、あたし、新しい靴はいていくんだ、いーくんだ、いいでしょ、いいでしょ。コダマちゃんにはあたしの古い靴かしてあげるね』って。コズエちゃんとコダマちゃんは一つちがいなもんだから、足の大きさはだいたい同じなの。ふたりは大いそぎでよそいきの洋服を着て、靴をはいて外に出たの。コズエちゃんは新しい靴がうれしくって、玄関の階段をのぼったりおりたり。
かかと かかか
かかと とかか
かかと ととと
とまれ かかと
ととと とまった
こんな歌をうたいながらね。コズエちゃんのちょっと高いかかとがいい音してさ。まねしてコダマちゃんもやってみるんだけど、古い靴でしょ、へんな音しか出なくて、
かかと ででで
かかと ががが
こんな音にきこえるのよね。
『おねえちゃん、ちょっとだけその靴はかせて』
コダマちゃんはもう一度たのんだのよ。でもコズエちゃんは『だめーっ。あたしの靴だもーん』って、いじわるいうの。
『さ、行こうか』
まもなく、おとうさんとおかあさんがうちから出てきて、みんなそろって電車に乗ったの。これから食べるごちそうの話をしながらうきうき。コズエちゃんはおとなの人みたいに足を組んですわって、つんと靴をみせびらかして、コダマちゃんの目の前でルンルンってふってね。いっしょに赤いリボンもゆれて。コダマちゃんはそれをちらりちらりと見ていたかと思うと、ちょうど大川の橋の上に電車が来たとき、その靴のかたっぽをコズエちゃんの足からひっぱって、そのまま電車の窓からぽーん……投げちゃったの。靴はさーっと赤い線みたいになって、下の大川に落ちていったの。コズエちゃんはものすごい声で泣きだした。コダマちゃんもものすごい声で泣きだすし。おかあさんのおこった声、おとうさんのおこった声。ふたりの泣く声。電車の中は大さわぎ。
その日のおたんじょう日のごちそうはもうさんざんだったわ。コズエちゃんは『あたしのくつー、あたしのくつー』って、しゃくりあげるばかり。コダマちゃんは靴を窓から投げたとたん、とっても自分がわるい子だって気がついたのね、だからやっぱりしゃくりあげるばかり。つぎの日、コダマちゃんは靴をさがしに、ひとりで橋まで歩いていって下をのぞいてみたの。でも見つからなくて。そのつぎの日も行って、でも、やっぱり見つからなくってね」
おばあさんは、さっき湯気をふいた窓のほうをむくと、何かをさがしてでもいるように、うろうろとのぞきこみました。ショールをまいた肩が急にしぼんで、おばあさんが小さな女の子の姿に見えました。キキはどきっとして息をつめました。
「おばあさん」
キキは思わず声をかけました。
「あの子ったら、いつまであそこにすわっているつもりかしら、かわいそうに……」
とおばあさんはひとりごとをつぶやくと、急にキキのほうをふりむきました。
「そうなのよ、あたし、今朝、買い物に行ったらね、大通りのお店でコズエちゃんのと同じ赤い靴を見つけたのよ。これよ」
おばあさんはさっきの靴をさし出しました。
「ね、魔女さん、はやくコダマちゃんにもってってあげてよ。コズエちゃんに返すようにいってあげて。あの子、ずーっとずーっと胸がつぶれるほど後悔しているんですもの。あの子の心から、悲しいできごとを消してやってちょうだいな」
「はい」
キキはうなずいて受けとりました。
おばあさんは追いかけるようにいいました。
「住所はすかんぽ通りよ。時計台の東側、七番地。たのみましたよ」
「はい」
キキはドアをあけて、外に出ました。キキは十歩ばかり歩いて立ち止まりました。
「どうすんの、とってもへんだよ」
ジジがキキを見あげていいました。
「しーっ、きこえるでしょ」
「だってさあ、あの、おばあさん、かんちがいしてるんじゃないの。遠いとこと近いとこがいっしょになってるみたい」
「でも、行ってみましょうよ、時計台まで」
「すかんぽ通りって、いったいどこにあるんだろ。きいたこともないよ」
ジジは足もとの水たまりをいやがって、キキにとびついてきました。
雨はもう気にならないほど、こやみになっていました。キキは赤い靴を両方のポケットに一つずつ入れて、飛びあがりました。そして時計台まで来ると、ゆっくり一回まわって、その東側におりていきました。このへんは旧市街と呼ばれ、古い町並がのこっています。細い道が多く、建物はどこかすこしずつかたむいて見えました。キキは道の標識を見ながら歩きました。でもすかんぽ通りなんていう変わった名前はどこにもありません。すれちがう人にもきいてみました。みんな、「さあー」と首をかしげるばかりです。もしかしたら、すかんぽ通りは、おばあさんの夢の中の通りなのかもしれません。さがしても、見つけることのできない通りなのかもしれません。キキはそばの壁によりかかりました。どうしたらいいのかわかりませんでした。なにげなく、目の前の自動車修理工場を見て、びっくりしました。そこの入り口につづく二段ばかりの階段の柱に、うさぎの彫刻がついていたのです。
「たしか……あのおばあさん、うさぎの階段とかいってた」
キキは走って工場の中にはいっていきました。男の人がひとり、小さな事務所で書きものをしていました。
「あの、ここは前から工場だったんですか」
キキはききました。
「ああ、そうだと思うよ」
「でも、あの階段……うさぎの……古そうに見えるけど」
「ああ、あれは、前の建物のを利用したらしいよ」
「そう、やっぱり。じゃ、ここはすかんぽ通りっていうんでしょ」
「そうだよ。よく知ってるねえ。十二、三年前にむこうの通りとつなげてまっすぐにしてから、一本道通りって名前に変わっちゃったけど。おじょうちゃん、どこかさがしてるの?」
男の人はいいました。
「ええ……いいえ……どうもありがとう」
キキはお礼をいって歩きはじめました。ポケットの中の靴がゴツゴツ体にあたります。
「ねえ、どうしたの、へんだねえ。へんだよ。頭ごちゃごちゃしちゃうよ。ここがそうなの、おばあさんがいったとこなの?」
ジジがキキのあとを追いかけながらいいました。
「そうらしいの……でも遠いむかしのね」
キキはちょっとのあいだ、空を見ました。
「やっぱり、おばあさんに返しに行こう」
キキはジジに手をさしのべ、飛びあがりました。そして、ふと思いました。
「もしかしたら返すんじゃなくて、とどけに行くのかもしれない」
キキはドアをノックしました。ひきずるような足音がして、ドアがあき、おばあさんが笑顔を浮かべて立っていました。
「あの、この靴……」
キキがいいかけると、おばあさんはとびあがるように体をはずませました。
「あっ、その靴、どこにあったの? あたし、さがしてたのよ。ずーっと、ずーっとさがしてたのよ。見つけてくれたのね、ありがとう」
おばあさんは子どもみたいに靴をぎゅっと抱きしめました。
キキはなんといっていいかわかりませんでした。だまってドアをしめようとしました。でもふと、その手を止めてききました。
「おばあさん、お名前、なんておっしゃるんですか?」
「あたし、あたしはコダマっていうんですよ」
おばあさんは顔をぐいとあげて、しっかりした声で答えました。
キキはじっとおばあさんを見、しずかにおじぎをしてドアをしめました。
「ねえ、いったい、これ、どういうこと。あのおばあさん、コダマさんだって……」
家にむかって空を飛びながら、ジジがいいました。
「あのおばあちゃんはね、心の中で、むかしと今を行ったり来たりしてるみたい。だから、あたしたちもいっしょに行ったり来たりして、たぶん、コダマさんの中の、ちいちゃなコダマさんに靴をおとどけしたのよ」
「ふーん」
ジジは息をはくと、考えるように目を上にむけました。