10 キキ、さんぽを運ぶ
ルルルルー ルルルルー
電話のベルが鳴りだしました。
ぞうきんがけをしていた手を止めて、キキは受話器をとりあげました。
「もし、もし、魔女さんですかな」
のどの奥がごろごろしているような男の人の声がきこえてきました。
「はい、そうです」
「ちょいと運んでいただきたいものがあるんですがね。わたし、今病院にいるもんで……こっちまで来ていただけないかな」
「はい、うかがいます。でも、ちょっと時間かかってもいいですか」
キキはあのりんご事件以来ずっと、ほうきに乗って運ぶことをやめていたのです。
「ああ、いいですよ。時間はたっぷりあるから。わたしは、西山のふもとのハナノ病院の二十三号室にいるんです。できれば一時から三時までの昼寝の時間に来てくれるとありがたいんだが……」
「はい、そうします」
キキは受話器をおきました。
電話が鳴ったときからあげていた顔を、ジジはまた足の間に入れて、まるくなりました。
「ジジ、あなたったら、このごろ、外から帰ってくると、しっぽの追いかけっこもしないし、爪のがりがりもしないし、寝てばかりいるのね」
「寝てるなんて、そんな人ぎきのわるいこといわないでよ、ぼくは夢みているんです」
「へー、どんな夢?」
「はてしない夢とでもいいましょうか……」
ジジはすまして、しっぽでぱたりと床をたたきました。
キキは肩をすくめました。
はてしない夢? かっこつけちゃって……。
「ぬいぐるみのように、動かないで」
キキは肩にのっているジジに声をかけると、病院の中にはいっていきました。
二十三号室のドアはあいていました。のぞくと、白い髪をもじゃもじゃにさせたおじいさんが毛布に顔を半分うずめて寝ていました。キキがそっと近づくと、待っていたようにおじいさんは目をあけて、笑いかけながら、
「おぼえてるかな」
といいました。
おじいさんのうすい灰色の目を見たとき、キキは夏のあいだつづけていたマラソンの練習のとき、公園でしばしば出会ったことを思い出しました。あるとき、おじいさんは「魔女って年とったらどうなるのかね」ってきいたことがありました。それ以来、この質問はずっとキキのどこかにひっかかっていたのです。
「ええ、おぼえてます。公園でね」
キキも笑いかけました。
「夏の終わりに風邪をひいてね、そのまんま寝こんじゃって」
おじいさんはそれがおかしいとでもいうように、ふふふって笑いました。笑ってはいてもその声は細く、消えてしまいそうです。夏の日に会ったおじいさんとはずいぶん変わっていました。とても小さくなってしまったように見えました。おじいさんは枕もとに立てかけてある
「これを運んでほしいんだよ」
その杖にもキキは見おぼえがありました。この耳の長い犬の顔のついた杖に体の重みをぜんぶのせるようにして、おじいさんはいつも、ゆっくりゆっくりさんぽしていたのです。
「わたしのうちの玄関にかさ立てがあるから、これをそこにおいてきてほしいんだ」
「でも……この杖がないとおじいさん、こまるでしょ」
「いや、もうすぐわたしは杖なしで歩けるようになるから。杖ももう長い間、ここにいたから、外に出たくって、うずうずしとるじゃろう。それでね、魔女さん、かってなおねがいだが、いつものようにほうきで飛ぶんじゃなく、この杖といっしょに家まで歩いてほしいんだよ。家にはだれもいないし、
「はい」
キキは、ほっとしながらうなずきました。ふしぎな注文だけど、ほうきで飛ばなくていいなんてちょうどよかったとキキは思いました。
「できればこの地図のとおりに歩いてもらいたいんだが。わたしがよく歩いたさんぽ道なんでね。ここにいて、わたしもいっしょに歩いている気分になりたいんだよ。この道すじにはおもしろいことがたくさんあるから、出合うことはみんな楽しんでもらいたいな。気がむいたら、どこかにより道したってかまわないよ。さんぽってそういう自由なもんさ。とちゅうで夜になったら、家に帰って、またあしたつづけたっていい」
キキはおじいさんからわたされた地図を見ました。坂道があります。階段があります。大きな公園があります。そして公園のすみのベンチには「ここにすわる」って書いてありました。
「おじいさん、この公園って、夏にお会いしたとこかしら?」
キキはおじいさんの顔をのぞきこみました。
「そうだよ。あそこはいい公園だ」
「『ベンチにすわる』って書いてあるけど、どうして?」
「いや、まあ、いつもわたしがすわっていたとこだから……」
おじいさんは毛布から見える目を細くして笑いました。
地図はその公園からまた細い道がくねくねつづいて、川辺に出ると、小さな窓のある船がとまっています。
「この船、かわいいのね」
キキが指さしました。
「そこにはわたしの友だちが住んどる」
おじいさんは目をくりんと動かしていいました。
「住んでるの?」
「そうだよ。女友だちさ」
「女友だち?」
「そうだよ。ふふふふ。仲よしさんだ」
おじいさんはかすれた声で、でも楽しそうに笑いました。
「あたし、おたずねしてもいいかしら」
「いいとも。よろこぶよ。ふふふ。でもわたしが病気だっていうのはないしょだよ。用事ができて旅行に出ているとでもいっておくれ。そこまで行けば、わたしの家はもうすぐだ。橋を渡ってすこし行ったところだから……。『帽子屋』って看板が出てる。あ、そうだ、魔女さん、何かお礼をしなきゃいけないね」
「それはべつに……ご心配なく」
「いや、あんたへのお礼は『もちつもたれつ』か、『おすそわけ』だってきいておるよ。と、いっても……『もちつもたれつ』はわたしにはもうできんし……わたしは帽子屋だが、売るほうじゃなくて、つくるほうの帽子屋でね、かさ立ての上に、最後につくった赤い帽子がかかってる。なぜか、かわいい女の子の帽子をつくりたくなっちゃって。ちょうどよかった。それをお礼にさしあげたい。いいかな」
「ええ、ありがとう、すてきだわ」
キキはうなずいて、おじいさんの顔をみつめました。
「それから……ぶじ、すべて終わったら、君と杖とのさんぽの話をききたいな」
「ええ、もちろんです。ちゃんと、ちゃんとご報告に来ます」
キキは緊張して立っていました。ふいにこわいような悲しいようなおもいがこみあげてきました。キキはあわてて胸をおさえ、息をつきました。
「おや、魔女さん、そんな悲しい顔はしないで、楽しく行ってきておくれ、いいかい、楽しくだよ。わたしも楽しくなれる」
おじいさんは細い手を、さよならのときのようにちょっとふりました。
キキは西山のふもとの病院から、町へむかって坂をくだっていきました。右手で杖をついて、そのわきをジジが小走りでついてきます。
「杖を運んでくれって、おじいさんはいったけど、ほんとうはあたし、さんぽってもんを運ぶのかもしれないって思うの。ジジにはご苦労さんだけど……」
ジジは歩きながら、キキを見あげました。
「そ、そう、その杖、おじいさんのにおいがするよ。つまりこれはおじいさんが歩いていると同じことだよね」
ジジはいつになくまじめな顔でいいました。
もう時間は三時になろうとしていました。午後の日ざしは、目の下にひろがる町の色をやわらかく見せていました。坂はとちゅうから急な階段になり、そしてまたくねくねとまがった坂道に変わっていました。家がたてこんでくると、夕方の買い物をする人とすれちがうようになりました。ときどきキキの手もとの杖を見て、「あら」というような表情をする人がいます。
おじいさんのこと知ってる人かしら。
キキはそう思って、にっこりと笑いかえしました。
公園にはいると、「ここにすわる」と書かれているベンチをさがしてすわりました。どうして、「ここにすわる」とわざわざ書いたのかと思いながら、キキはゆっくりあたりを見まわしました。ふつうの公園の風景です。なわとびしながら通りすぎる女の子。追いかけっこする男の子。腕をくんで歩く男の人と女の人。ならんでいるベンチにも人が思い思いのかっこうで休んでいます。リスが近づいてきて、芝生に寝そべっているジジを見てあわてて逃げていきました。
するとベンチから七、八メートルのところに、むかいあうように立っている大きな木が目にはいりました。今まで何度もこの公園の中を走ったのに、こんなりっぱな木があるのに、キキは気がつきませんでした。太い幹とそれにつづく根は、キキのほうをむいてどんとあぐらをかいているように見えました。おとなの背たけほどのところがすこしねじれていて、そこにうずをまいたような大きなこぶがついていました。
「あの木、りっぱな木ねえ。今まで何度も来たはずなのに、気がつかなかったわ。見て、あそこ、口みたい。あの木も歌うたうのかしら」
キキは、木の歌声を運んだときのことを思い出してジジにいいました。でもジジはリスの逃げていったほうをしきりに気にして、きこえないようでした。
この大きな木は公園のところどころにある、いちょうの木や、けやきの木とまったくちがって見えました。濃い緑の葉をのこしているからだけではなさそうです。ごつごつした枝をこちらにのばしながら、ふしぎな空気をおくっているように感じられるのです。キキはその木から目がはなせなくなりました。
「あっ」
小さなさけび声がして、横から、七、八歳くらいの男の子が走ってきました。
「そ、その
目が心配そうに動いています。
「そ、その杖、おじいちゃんのだよ。おじいちゃん、その杖ないとさびしがるよ」
心配そうな目はしだいにあやしむように変わっていきました。
「そのおじいちゃんならね、今、旅行に行ってるのよ。ね、君、ここでおじいちゃんとお話ししたの?」
「うん、ときどきならんですわって」
「じゃ、そのときみたいに、わたしとすわらない?」
キキが体をずらしてベンチをあけると、男の子はすとんと腰をおとしてすわりました。
「ねえ、あの木、見た? くすの木っていうんだよ」
「ええ、おじいさんみたいな木ね」
「そうでしょ。にてるよね、帽子屋のおじいちゃんったらね、あの木を見ながらね、『ほーれ、ほーれ、くすさんが見えてきた、くすさんが見えてきた』って歌うんだよ。それからぼくにも、『ほーれ、ほーれ、くすさんが見えてくるよ、見えてくるよ』っていうんだよ」
「それで?」
「ぼくが、木ならちゃんと見えるよ、っていうとね、『いや、いや、くすさんのほうだよ』っていうの、それからまた『ほーれ、ほーれ、くすさんが見えてきた、くすさんが見えてきた』って歌うの。その声きいてると、うっとりしちゃうんだ」
「それで、君、そのくすさん、見たの?」
「うん、一度だけ見たよ。くすさんってね、扉なんだよ。透明の扉なんだよ、ふーっと浮いて見えるんだから。おねえちゃんも、じっとじっと見たら見えるかもしれない」
「じっと、じっと?」
「そう、おじいちゃん、いってたよ。『じっと、じっと、ゆっくり、ゆっくり、ごらん』って」
キキはベッドの上のおじいさんを思い出しました。おじいさんの声がきこえるようでした。気のせいか、その声が男の子の声と重なってひびいてるみたいです。
「でも、やっぱり、おじいちゃんといっしょじゃないと、だめだろうなあ」
「君、それからどうしたの?」
「おじいちゃんたらね、その扉をあけてはいっていったんだよ」
「えっ」
「びっくりしたでしょ。ぼくもいっしょにだよ」
男の子は得意そうにあごをしゃくりました。
「ぼく、このベンチにすわっているような気もしたけど、木の中の道、歩いているような気もしたの。ふしぎだったなあ。道はまがりくねっていてね、先のほうは見えないの。おじいちゃんたら、『ほーれ、ほーれ』っていいながら、まがり角を一つ一つのぞいていくんだよ」
「それで?」
キキはのり出しました。
「それだけ。ぼくが、もっと先に行きたいっていったら、これははてしない道だから、帰れなくなるといけない……っていうの。気がついたらね、またこのベンチにすわっていたの。おねえちゃん、びっくりしたでしょ。でも、これ、うそじゃないよ」
「………」
キキはだまってうなずいて、くすの木に目をうつしました。木の葉の間から夕日が光のすじになってはじけています。
「おじいちゃん、ここはさんぽの道すじだっていってた。毎日よるんだって。ねえ、おねえちゃんにもくすさん見える?」
「ううん」
「やっぱり、おじいちゃんがいないからかなあ」
男の子はつまらなそうに、まわりを見まわして、急に立ちあがりました。
「あっ、夜になっちゃう。ぼく、帰らなくっちゃ」
「また、会える?」
キキはききました。
「うん、おねえちゃん、こんどはおじいちゃんといっしょにおいでよ。三人だと、もっと楽しいよ。じゃ、またね」
男の子は白いセーターの背中をゆらして、走っていきました。
公園の中はずんと暗くなっていました。夕日が遠い建物の下にかくれると、くすの木はますます大きく見えました。キキはおじいさんの姿を思い出しながら、杖を両手でにぎってあごをのせました。すると、くすの木はぐんぐん大きくなり、キキの目の中いっぱいにひろがりました。まるで身分をあかした仲間のように、キキにむかって枝をのばしてきます。じっとにぎっていた杖があたたかくなってきました。キキはふと気がついて、まわりをさがしました。ずっとそばにいたと思ったジジがいないのです。
「ジジ、ジジ」
キキはさけびました。
すると、黒い影がたちこめるくすの木の根元のところから、ジジがころげるようにとび出してきました。
「ジジ、あんた、まさか、くすさんのむこうにいったんじゃないでしょうね」
キキはジジを抱きかかえました。ジジの毛は針ねずみのようにさかだち、その下の体はどくどくと大きく波うっていました。キキはぼうぜんとしてくすの木をみつめていました。
キキはつぎの日、さんぽのつづきを公園からはじめることにしました。くすの木のことが気になってしかたがなかったのです。きのうと同じようにべンチにすわり、杖にあごをのせてくすの木をみつめました。
「ほーれ、ほーれ、くすさんが見えてきた、くすさんが見えてきた」
おじいさんの声をまねしていってみました。
くすの木は明るい朝日の中でも、何かをかくしている大きな森のように立っていました。でもあの木のどこかにあるというくすさん、ふしぎなさんぽ道に通じてるという扉は、どんなに目をこらしても、キキの前に姿をあらわしてはくれませんでした。
とつぜん、動物の息のにおいが顔にぶつかってきました。同時にジジがさっとわきにとびのきました。見ると大きな犬がキキのスカートのすそをくわえてひっぱろうとしています。するどい口笛がひびき、「すいません」ということばといっしょに、うしろから男の子がとび出してきました。
「やあ、君……」
男の子は犬をおさえながら、キキを見て、おどろいた声をあげました。
「あら」
キキも同時にいいました。
海辺のレストランでキキがアイスクリームを食べていたとき、かりもののドレスをだいなしにしてしまった犬の飼い主の男の子でした。
「タチ、だめだろ。すいません、タチがいつも」
「だいじょうぶ、なんでもないわ」
キキは立ちあがりました。
「君、ここで何してたの?」
男の子はキキの手ににぎられている
「さんぽよ。ちょっとひとやすみしてたとこ。おかしなさんぽでしょ。杖でこつこつ地面をたたいてね。おつれは猫だし……」
キキは笑いました。
「ぼくもさんぽのとちゅうなんだよ。おつれは犬ね。よかったらいっしょにすこし歩かない?」
キキはちらっとジジを見ました。
「君の猫、ぼくの犬といっしょじゃいやがるかな」
「いえ、そんなこと……」
キキはおじいさんのことも思いました。これはたのまれた仕事なのです。でも、おじいさんはさんぽのとちゅうで出合うことみんな楽しんでおいで、より道もかまわないよ、といってくれたのです。
「歩きましょうか」
キキはいいました。
「じゃ」
男の子はさっと足を進めました。犬もしっぽをぱたぱたふってあとにつづきます。
「調子のいい犬」
ジジが低くうなり声をあげました。
「猫と犬がいっしょにさんぽなんて、きいたこともないよ」
「あたし、キキっていうの」
キキはちょっと足をとめていいました。
「ぼくは、イク。犬はタチ、よろしくね」
「あたしの猫はジジ。イクくん、あなたのおさんぽって、どんなところ歩くの?」
「まあ……ほうぼう、あちこち、それから、そのむこう……かな」
「えーっ、むこうって西山のほうまで行くの?」
「いや、なんていったらいいかなあ……名前のないところなんだ、むこうのむこう」
イクくんは目をあげて遠くを見ました。
「むこうのむこうって……もしかしたら、くすさんのこと?」
「えっ、それ、だれのこと?」
イクくんはふりむきました。
「人じゃないの。さっきの公園に大きなくすの木あったでしょ。くすさんって、あの木のどこからしいの。この杖の持ち主ね、帽子屋さんなんだけど、その人にたのまれて、あたし、きのうからさんぽしてるの……」
「たのまれて? さんぽ?」
「そう、ちょっとへんでしょ。その人、毎日かかさずさんぽしていたらしいのよ。でも今ちょっと事情があってできないもんだから、あたしにかわりに歩いてほしいって。そして、あとで話をきかせてほしいっていうの。そのおじいさんは、くすの木のまわりの、なんかふしぎなところを、ときどきさんぽしていたらしいのよ。そこを、くすさんっていうらしいの」
「ふーん、きっと、そこ、その人のとくべつな場所なんだね。心に決めてる自分の場所……ぼく、そんな気がする。君にはそういうとくべつなとこってないの?」
「うーん、あたしに? この町に来て、一年とちょっとしかたってないし……」
「じゃ、前にいたところでは?」
「生まれたところ? ……そうねえ」
キキはふっとコキリさんのいる町を目に浮かべました。
「もしかしたら……あそこ……。でも小さいときのことだから。あのね、うちの裏の草山のね、りんごの木の根元で草がぼうぼうはえていたところ。いつも『おさんぽ、ぽいぽい、いこうかな。それとも、なわとび、ぽいぽい、とぼうかな』って歌いながら歩いてたの。かならずそう歌うのよ。おかしいでしょ。みょうに気に入ってたの。ほら、小さいとき、ここはあたしのとこだから、はいっちゃだめーなんていったりするでしょ。そんな気持ちだった」
「ふふふ、ぽいぽいか……かわいいな」
イクくんの目がおかしそうにまばたきました。
「子どもっぽいでしょ」
キキははずかしそうにいいました。
「いや、それで、それで終わり?」
「ううん、その草ぼうぼうしたとこをね、はいはいするみたいに入っていくとね、いいにおいの毛布でぐるぐるまきしてもらったような気がしたわ。うわむきに寝ころがって、いつも目をぎゅっとつぶってみるの。目の中で、水の玉が
「その場所、まだある?」
「あると思うわ。こんどうちに帰ったら行ってみよーっと。なつかしいな、なんだか小さいときみたいにゾクゾクしてきた」
キキはイクくんに笑いかけました。
「まだおぼえてる。トントトトンって地面をたたくとね、『キキが来ましたよ』ってことだったの。友だちに話したら、『えー、うそーっ』って笑われたわ」
「こういうことって、人にはわかりにくいんだよね」
「イクくんのとくべつな場所って、どこ?」
「君、行ってみたい?」
「ええ、とても」
「そんないいとこじゃないかも。子どもっぽいかも。はずかしいな」
「そこ遠いの? あたし、この地図にのってる、川のそばの船のうちまで行きたいんだけど……」
「どれどれ」
イクくんはキキがひろげた地図をのぞきこみました。
「この人、おじいさんの女友だちなんだって。だからぬかすわけにはいかないの。船がうちなんてめずらしいし」
「まだはやいから、だいじょうぶだよ」
イクくんはまた先に立って歩きはじめました。
とつぜん、横のほうから「おい、おい」という声がきこえてきました。
そこはせまい道で、小さな店がくっつきあってならんでいました。
「おい、おい、よっていかないのかい」
また声がとんできました。見ると靴屋さんです。つるんとはげた頭のてっぺんをこっちにむけて、おじいさんが靴の底をぬっているのでした。靴屋さんは針をぐっとさし、ぬいたところで顔をあげ、びっくりしたように目をまるくしました。
「おや、人ちがいだったね、失礼」
それからキキがもっている
「ほれ、やっぱりその杖にまちがいない。帽子屋のじいさんのじゃないか。コツ、コツって音、毎日毎日きいてたんだから、まちがえるはずないんだよ。それにしても、じいさんはどうしたね」
「今、ちょっと旅行にお出かけなんです。それで、かわりに杖とさんぽするの、たのまれちゃって。いっしょに歩かないと気になるみたいで」
「そうだろ、そうだろ、毎日だったもの。こうしてわしも待っているんだから。でも、やっこさん、旅にねえ。けっこうだね、杖がいらねえんじゃ、車かい。ごうせいなもんだな」
靴屋のおじいさんは、黒や茶色の靴墨がついている前かけを、ぱんぱんとはたくと立ちあがりました。
「それじゃ、わしもいつものとおり、さんぽのおつきあいするかな」
「えー、おつきあい?」
キキは思わず大きな声を出してしまいました。ちょっぴりがっくりです。このおじいさんといっしょに、このあとさんぽをつづけるなんて……。
靴屋のおじいさんはいきなりキキとイクくんの間にはいりこむと、ふたりの手をとって、腰をふりながら歩きはじめました。
「さんぽはね タラッタラッタラッタ
一歩 二歩のさんぽ
さんぽはね タラッタラッタラッタ
一歩 二歩のさんぽ」
それから二人の顔をかわりばんこに見て、
「はい、おそまつさん、わしらのさんぽはたったのこれだけ」
といって、「ウハハハ」と大きな声で笑いました。
「帽子屋のじいさんと、毎日かならずこいつをやるんだ。大雨でもふらなきゃ、三百六十五日かかさずにやってた。このとこやってこないんで、どうしたかと思っとったとこよ。わしもひさしぶりでさっぱりしたよ。じゃ、仕事をつづけるからね、さいなら、な」
靴屋のおじいさんはくるりとうしろをむいて、仕事の椅子にすわりました。
キキはぽかんとしてしまいました。
さんぽもいろいろ……扉のむこうへ行ったり、一歩、二歩のさんぽだったり。
このちょっぴりさんぽだったら、おじいさんとも病院でできそう。さんぽの報告に行くとき、いっしょにやってみよう、と、キキは思いました。
「おもしろかったね。じゃ、行こうか」
イクくんはぴゅーっと口笛をふいて、犬のタチをうながしました。タチは長い毛をふさふさゆらしながら、先頭に立って歩きだしました。
ぱーっと風が吹いてきました。
商店街が小さな切り通しで終わると、道はぐるりとまがって、その先に海につき出るような形で公園がありました。公園は海にむかってゆるやかな下り斜面になっています。ほぼまん中あたりに、ブランコや、シーソーとならんで、緑色のジャングルジムが、まるでこの町一番の高い建物のように、そびえていました。
「へー、こんなところに、こんな公園があったの。知らなかったわ」
キキは走りよって、入り口に書いてある文字を読みました。
「『はてなし公園』だって、わっ、こんなに小さいのに……」
「でも、はいると大きいよ」
イクくんは中に走っていきました。
「ねえ、君、ジャングルジムにのぼらない?」
イクくんはタチを抱きあげました。イクくんの両手いっぱいになるほどの大きさです。わずかに使える指さきを鉄の棒にひっかけてのぼっていきました。
キキもジジを肩にのせてつづき、海のほうを見てすわっているイクくんのとなりに腰をおろしました。
波の音がかすかにきこえてきます。波は浜によせて、笑うとのぞく白い歯のような泡になって消えていきます。ずーっと遠くに目をむけると、水平線が銀の糸のように光って横切っています。ジジが「ふああーん」とあくびをしました。
風が髪の毛をうしろにちらします。キキは体がふーっとひらいていくような気がしました。
「はてなし公園っていう意味、わかるでしょ」
イクくんがいいました。
「あっ、もしかしてここ? イクくんのとくべつな場所って……」
「わかった? ぼく、この海みるとね、体のどこもかしこも背のびしたようでいい気分なんだ。こうしてると、心がむこうのむこうまで行くような気がして、だから、ここ、ぼくの大すきなさんぽ道なんだ」
イクくんの目が光りました。
「ほんと、あたし、海の中にいるみたい、空の中にいるみたい。あー、あたし、おじいさんにたのまれたおかげで、ほんとうにいいとこに来られたわ」
キキは水平線を見ました。ほんとうにあの線のむこうのむこうまでさんぽしているように、いろいろな風景が心に浮かんできます。
「ほんとうのこというとね、あたし、魔女なのよ。新米だけど……」
キキはイクくんの顔を見ないでいいました。
イクくんはおどろいてキキを見返しました。
「君かあ……町にいるってきいてたけど……」
「今はちょっと休んでるけど、ほうきに乗って宅急便してるの」
「ふーん、そうだってねえ、仕事、楽しい?」
キキはあっと目をあげました。今までキキの仕事を楽しい? ってきかれたことなんてありませんでした。キキのまわりには、空を飛ぶ仕事は楽しいに決まっている、と思っている人ばかりでした。とんぼさんなんか、会えばその話ばかりです。キキはいつもとちょっと調子がくるいました。
「楽しいわよ。もちろん」
キキは自慢してみたくなりました。
「ほうぼう飛ぶのよ。たとえば……めがねの形した沼のある町とか……そこにあたし、カバ、運んだのよ。そ、そう、星くず群島、知ってる? あそこにはへんてこりんな動物がいるのよ。合唱するの。きいたとき感動しちゃった」
「すごいんだなあ……。そこいくと、ぼくはジャングルジムのてっぺんから、見えないもの見て……、でも、それが楽しいんだ」
イクくんがいいました。
「名前のとおり、はてしない場所だわ。あたしにもわかる。すわっているんだけど心はとんでいくもん。飛べるから見えるものもあるけど、すわってても見えるもの、いっぱいあるみたい。これも魔法ってあたし思えちゃう。このごろ、なんとなく、飛ぶ魔法にたよりすぎてるんじゃないかって思ってたの……」
キキは自分のいったことに、はにかんで目をふせました。
イクくんが両手をひろげました。キキもまねして両手をひらきました。
「ふー」
ふたりいっしょに大きな深呼吸をしました。それから顔を見合わせて、思いきり笑いました。タチが首をのばして、「うおおーん」とほえました。その声はたちまち空の中に消えていきました。
「ジジも何かいったら」
キキがいいました。肩の上にのっていたジジは、思いきり大きなあくびをして横をむきました。
「猫、ねむいんじゃない?」
イクくんがいいました。
「ときどき、すますと、こんなふうにするの、ね、ジジはね」
キキはジジをゆすって笑いました。
「そうだ。君、まだ、さんぽのつづきあるんでしょ」
イクくんはそういうと、タチを抱きよせ、おりはじめました。
「また、ここに来たいわ」
キキもジジを抱いてあとにつづきました。
用事があるというイクくんとわかれて、キキはおじいさんの友だちの船の家にむかいました。地図のとおりに川ぞいの道を歩いていくと、船の家はすぐわかりました。小さな箱形の船で、まるで折り紙でつくられたようにふわふわと浮いていました。ドアが一つに窓が片側に二つずつ、どちらも桃色のペンキでふちどられています。岸と船とのあいだにかけてある板を渡ろうと、
白いシャツに水色の細いズボンに小さな青い帽子をまえさがりにかぶっていました。
キキはおどろいて止まりました。おじいさんの女友だちなら、年とったおばあさんとばかり思っていたからです。
「あれ、おじいちゃんじゃないの?」
女の子の帽子の下の細い目がちろっと動きました。
「かわりなの。おじいさん、ちょっと旅行に出かけたので、さんぽのとちゅうによってほしいってたのまれて……。あたしじゃいや? おじいさんとは仲よしなんでしょ」
「仲よし? よしてよ。毎日くるから、話をしただけよ。あんたも話したいんなら、はいれば」
女の子はすいとうしろをむいて、奥に姿を消しました。キキはむっとしました。でもおじいさんはわたしの女友だちって、楽しそうにいっていたのです。このまま帰ってしまったら、おじいさんはさびしがるかもしれません。
「ジジ、あたし、はいるわ」
「じゃ、はいれば」
ジジは女の子のことばをまねしていいました。
なかは細長い部屋、へさきのほうに丸い
「そう、帽子屋のおじいさん、旅に行ったの? まったく、みんなどこかに行くのすきねえ」
「あなたはきらいなの? でも、旅っておもしろいって思うけど」
キキがおどろいたようにきくと、女の子はふりかえりました。
「そうかなあ、どこへ行ったっておんなじじゃない。うちのチチ、ハハもいっしょに行こう、いっしょに行こうって、うるさくさそうのよね。ふたりともへんちきりんな海の絵かく絵かきなんだけどさ。海は時々刻々表情を変えるとかなんとか……見ろ、見ろって……大げさなの。海は海じゃないの、べつにさ……」
女の子はくいっと口をとがらせました。
キキはあっけにとられて女の子のことばをきいていました。
「みんな、おせっかいなのよね。あの帽子屋のじいさんも、たのみもしないのにやってきて、にこにこしちゃってさ。ひとりぼっちで家の中にいないで、さんぽにでも行こうよなんて、ごちゃごちゃいうの。動くのなんかつかれるっていったら、じゃ、ちっちゃいさんぽしようかって、そんで調子っぱずれの声でさ、『さんぽはね、タラッタラッタラッタ、一歩二歩のさんぽ』とか歌っちゃってさ、『さんぽはいい、はてしない』とかなんとかわけのわからないこといってさ。どうして一歩二歩三歩がはてしないのよ」
キキはそっと女の子の顔を見ました。
「あーあ、あきちゃった」
女の子はいいました。
「ほんとにつまらないの? つまらない、つまらないっていってると、それこそ、ほんとにつまらなくなっちゃうわよ」
キキの声はすこし大きくなりました。
「じゃ、にぎやかに動きまわれっていうの。そんなのダサイわ。あたし、つまらないでいるの、趣味なのよ。ほっといて。あんたもおせっかいねえ、たのまれたからって……ご苦労さんね」
「ごめいわくだったかしら」
キキはその鼻の先をにらみつけました。
女の子はふんと笑いかえしました。
「あたしね、魔女なの、宅急便やってるの。おじいさんにこの杖を運んでほしいってたのまれたのよ、だから……」
「ふん、そう、魔女なの。そういえばハハがいつかいってた。この町にいるって。とっても働きものだって。あんたと同じくらいの年なのにって。ハハはすぐくらべるんだから。でもさ、あたし、思うんだけど、魔法って、おせっかいだと思うわ」
女の子はわざと体をななめにむけ、あごをしゃくりました。キキはかーっとしてしまいました。
「おせっかいでわるかったわねえ、おじいさん、病気なのよ、それでかわりにさんぽしてくれって……」
「うそ、旅行に行ったっていったじゃない」
女の子のほっぺたがぴくっと動きました。
「おじいさんに、そういうようにいわれたの。おじいさん、半分ぐらいにやせちゃって、おきられないの。でも、あんたのこと、女友だちなんだっていってた。やさしく笑ってね。こんなにいやがられて、おじいさん、かわいそう」
女の子は帽子のつばをぐいっとひっぱると、あわててむこうをむいてしまいました。
「おじいさん、今、どこにいるの?」
女の子は下をむいたままききました。
「西山のほう、ハナノ病院」
キキが答えると、女の子は、すいっと戸口にむかいました。
「行くの?」
女の子はふりむいて、「うん」とうなずきました。帽子の下の目がうるんで、まん中によっていました。
「ここからは遠いけど、道、知ってる? それに、もう面会時間はすぎてるし……」
「はいれないの?」
「うん、たぶん。あしたの朝だったら、あたし行くけど、いっしょに行く?」
「うん、行く」
「じゃ、時計台の下で、十時に」
「わかった」
女の子はうなずくと、キキを見て、「おくれないでよ、それと……あたしの名前、ウミっていうの」といいました。
キキは船の家から出ると、すこし歩いてふりかえりました。小さな窓から電気の光がもれていました。キキはほっとして、おじいさんのくれた地図を出して、ながめました。
のこりの道はあとわずかです。地図のとおり、川ぞいの道を歩き、白い橋を渡り、かっちりとした字で書かれた「帽子屋」という看板のかかったガラス戸をあけました。
だれもいない家の空気がつめたくキキにあたりました。暗い土間の中で、かさ立てをさがし、おじいさんの杖を入れました。それから、その上にかかっている赤い帽子をとりました。それはさっきウミさんがかぶっていた帽子とそっくり同じ形をしていました。
「おじいさんったら……」
キキはつぶやいて、ぐっとことばをつまらせました。キキは帽子をかぶりました。
「よくにあうよ」
ジジが見あげていいました。
つぎの朝、時計台の下で待ちあわせたキキとウミは走って病院にむかいました。でも、おじいさんのベッドには見知らぬおじさんが寝ていました。
キキを見て、看護婦さんが廊下のむこうから走ってきました。
「魔女さん、魔女さんでしょ? 帽子屋さんからのおことづけがあるのよ。おとといの夕方、あなたが帰ってからすぐ、帽子屋さん、急に旅行に出かけることになってね、あなたが来たら、よろしくってつたえてくれって、いつかまた会いましょうって。じゃ、いいわね、おつたえしましたよ。あたし、帽子屋さんとお約束したの、きっとおつたえしますって」
看護婦さんはそれだけいうと、ぼうぜんとしているふたりをのこして、逃げるように走っていってしまいました。
キキとウミはだまって歩きだしました。おそろいの赤と青の帽子がうなだれて、坂道をくだっていきました。道が二つにわかれるところに来ました。
「あたし、もう、ひとりで帰れるから」
ウミがいいました。そして、「じゃ」というと一方の道を歩きだしました。キキは追いかけようとして立ち止まり、声をかけました。
「ねえ、ウミさん、こんどいっしょにさんぽしない? さそいに行ってもいい?」
すると、むこうをむいて歩きながら、ウミは大きくこっくりとうなずきました。
気がつくと、キキはまた公園のくすの木の前にすわっていました。くすの木は前と同じようにどうどうと立っていました。あの日とはちがって、くすの木の葉っぱは真昼の光を受けてつやつやと光っています。キキは根元のあたりに目をこらしました。おじいさんはきっと、くすさんのむこうを歩いているにちがいないと思いました。
それにしても、おじいさんはキキに何をたのんだのでしょう。ただ
キキはふーっと息をついて、空を見あげました。