9 キキ、りんごを運ぶ
「ジジ、ちょっとさんぽに行くけど、いっしょに行かない?」
キキは夕日がななめに射している戸口に立っていいました。でも、いつも後からついてくる、ジジの小さな足音がきこえません。キキはふりむいて部屋の奥をうかがいました。
「また、いないのね」
キキはむっと口をまげました。
「いいわよ。もうさそってなんてあげないから」
このところ、ジジはなにかというと、だまってひとりで遊びに行ってしまうのです。それも以前は通らなかった猫専用の道、塀の上とか、植えこみの下を得意そうに走っていってしまうのです。
「ジジったら、ふつうの猫みたいな顔して……」
キキはさびしい気持ちをおしやって、
「さ、ひとっ飛び、どこかへつれてって」
とほうきに声をかけて乗りこみました。ところがほうきもずんと房をさげて、道をひっかくようにしか動きません。そうじするのが自分のほんとうの役目です、とでもいっているような態度です。
「あんたもただのほうきになるつもり?」
キキは柄の先をにらみつけ、ぐいと上にむけました。ずずーずー、ほうきは元気のない音をたてて、やっと地上三十センチほどの高さまで浮きあがり、のろのろ高いところをめざす態勢をとりはじめました。でも、キキがちょっと気をゆるすと、穂さきからずるりと下に落ちていきそうになります。それでも、なんとか時計台の上までたどりつきました。やれやれです。キキは汗のにじんだ額を手の甲でふくと、時計台の上にすわりました。
かすかに頭をのぞかせていた夕日が、コリコ湾の西の水平線に今、ちょうどしずんだところでした。とたんにまわりの空がうすいむらさき色に変わり、ところどころついていた家のあかりがぽー、ぽーっと浮きあがってきました。ところがどうしたわけか、そのあかりが水にとけるようににじんできたのです。キキはあわてて目頭をぬぐいながら、
「ジジもへんだし、ほうきもへんだけど、あたしもへんみたい」
とつぶやきました。
十歳をすぎたころ、魔女になって生きようと心に決めてから、どんなにつかれていても、キキはほうきで空を飛ぶことだけは、いやだと思ったことはありませんでした。風と風のすきまをぬうように飛ぶのは、いつも気持ちのいいものでした。それに、ちょうど今いる塔の上ぐらいの高さ、これから着陸しようかなと思う高さから見る景色がとくべつにすきでした。いつも見なれている町でも、なにかふしぎをかくしているように思え、贈り物をあけるときのようなわくわくした気持ちになるのです。
でも、近ごろ、この町が、動きをとめたつくりものの町のようにしか見えないときがあるのです。どうしてだろう。キキはなさけない気持ちで思いました。でも、動かないのはもしかしたらキキの心のほうかもしれないのです。キキはもう一度にじんだ涙を指でこすりました。
(さびしいな)
キキは声には出さずにつぶやきました。この町に来てはじめてあじわうさびしさでした。ひとり暮らしだからさびしい、そんなさびしさとはまったくちがうさびしさでした。コキリさんには、魔女は笑顔がたいせつ、笑顔は相手の心につたわるからと、いつもいわれていました。キキはそのとおり、笑顔を心がけ、おとどけ屋さんをやってきたのです。
物といっしょに、いろいろな人のよろこびややさしさをとどけることに、キキもよろこびを感じていました。町の人もそんなキキをみとめてくれたと思っていました。でもキキがどんなにいい心で物を運んでも、それが悪いことに変わってしまったりするかもしれないのです。知らず知らずのうちに、いやなおとどけ屋さんになっていたかもしれません。魔女だけにあたえられているのだといって、このまま、飛ぶ力を使っていてもいいのでしょうか。
キキは涙でにじんだ目で、あらためてコリコの町を見ました。いつも見なれている風景です。あの橋の上を何度とんだことでしょう。あのせまい道も、あの木立の上も……。
でも今はなんだか遠くにいってしまった町のように見えるのです。
自分のいる場所がなくなってしまうのではないか……という不安がキキのさびしさをいっそう強くしていました。もう魔女も、飛ぶこともやめてしまおうか。キキはうなだれて、ほうきの柄にほっぺたをくっつけました。
「そう、そう、そうだった、そうだった」
とつぜんうしろで声がしました。キキはびくっとし、あやうく落ちそうになって、片手をつきました。
「そうだ、この町にはかわいい魔女さんがいたんだった」
顔をあげると、この時計台を守っている時計屋のおじさんです。いそいで涙をふいたキキに笑いかけながら、となりにすわりました。
「去年の大みそかはお世話になったね」
時計屋さんは小さく頭をさげました。
「魔女さんには正月をとどけてもらったんだもんなあ、ありがたかった。でも、あのときはすごい力を出したねえ」
「そんなあ……あたしなんて……」
キキは小声でいって下をむきました。
「あれ以来、町長はこの時計にとても神経質になってねえ。自分が町長のときに、またまたおかしくなっては恥だと思っとるんでしょう。ま、気持ちはわかるよ。この時計台あってのコリコの町、といってもいいぐらいだから。おかげでわたしはしじゅう、時計のお守りをしなくちゃならなくなった」
「そうだったんですか。どうりで時計、いつも元気な音をたててるわ」
「考えてみりゃ、時計のほうだってたいへんだよ。やすみ時間なんてないんだから」
時計屋さんは顔をしかめ、それから「耳をすましましょう」と、のどをのばして歌うようにいうと、「ふふふ、何度口にしてもいい合言葉じゃないか」と、笑いました。
「ここで魔女さんに会えてちょうどよかった。じつは、一つおねがいしたいことがあるんだよ」
時計屋さんはひと息ついてキキをみつめました。
「じつは、りんごを一つとどけてもらいたいんだ。わたしのねえさんのところまで。な、かんたんな仕事だろ。ねえさんはほれ、大みそかに指きりげんまんをするあの町に住んでるんだが、ひとりっきりでねえ。このところは体が弱っちまって、なんにも食べなくなってしまったんだよ。……もう歳も歳だから、……しかたないのかなあ。ところが、なにを思ったのか、うちの庭のりんごが食べたいといいだしたんだ。子どものころ食べた味が、なつかしいんだろうね。さいわい、今年とれたりんごが一個のこっていたから、お安いご用、すぐとどけようと思ったんだが、ごらんのとおり、わたしは時計からはなれられない。時間というのはとおせんぼしたって、とおせんぼしたって止まってくれないからね。だれかにたのんで、たった一個しかないりんごに、まちがいでもおきたらたいへんと、こまっていたんだよ。そしたら魔女さんのほうから来てくれたじゃないか。うれしかったよ。あんたの仕事はたしかだもんなあ」
キキは思わずほうきをにぎりしめました。それが今はたしかではないのです。
「いいね、たのまれてくれるね」
時計屋さんはキキの顔をのぞきこみました。キキはその目につられてうなずきながら、胸のどこかが不安でちちっと鳴るのをきいていました。
「りんご、一つだけでしょ」
キキは自分にいいきかせるようにいいました。
「ちょっぴり並より大きいけど、ただのりんごだよ。じゃ、あしたの昼ごろ、またここによってくださらんか」
「はい、そうします」
キキは返事をしながら、あの町までは遠いけど、休み休み行けば、このほうきでもなんとかなるわ、と思いました。
「そういうわけでね、お昼から、西に山を三つ越えたところの『指きりげんまん』ていう町まで行くんだけど、ジジ、いっしょに来てくれるでしょ」
つぎの朝、目をさますとすぐ、キキはジジにいいました。
「お昼から? わるいなあ、ぼく、行くとこあるんだ」
ジジはなるべくキキのほうを見ないようにしていいました。
「えーっ、またなのお」
キキは思わず声を大きくしながら、ジジが自分を見ないようにしている態度に、よけい腹がたってきました。
「いいわよ。あんたのことなんて、あてにしないから。でもジジ、あんた今に魔女猫じゃなくなっちゃうから。ただのカラス猫になっちゃうから」
ジジはゆっくりと顔をキキのほうにむけました。口からしゅーっとおこったような息をはいています。
「ちょっと、そのいいかた、カラス猫に失礼なんじゃない。このごろどうしたの。キキこそ、不満だらけで、いまに魔女じゃなくて、ただの女の子になっちゃうから」
ジジはいうだけいうと、すくっと立って歩きだしました。キキはどきっとして、口をとがらせました。
(ただの女の子のほうがよかったかもしれない)
キキはゆれるジジのしっぽをじっとながめました。
時計屋さんはかわいい花柄の包みをもって、時計台の上でキキを待っていました。キキが包みの結び目からのぞくと、ぴかぴか光った赤いりんごが甘い香りをたてていました。
「ねえさんの家はね、にんじん横丁の二番地。ここに地図をかいといたよ」
時計屋さんはいいました。
キキは包みの結び目をほうきの柄に通すと、「いってきまーす」と精いっぱい元気な声を出して、飛びあがりました。
心配していたほど、ほうきの調子はわるくないようです。キキはほっとして、すぐ西の方向を目ざしました。指きりげんまんの町は、西のほうに山を三つ越したところにあります。
ほうきはひとつ目の山を難なく飛びこしました。遠くに見える海は、こまかい光がきらきらと動いています。谷間を通る風にのって、キキは飛びつづけました。いつもほうきの房の上に乗っているジジがいないせいか、どうもおしりのほうがあがりぎみになります。そこをうまく調子をとりながら、ジジがいなくったって、どうってことないじゃない、なんてつぶやいていました。
「なみさん とおくで
ふざけあいっこ
かぜさん ちかくで
口笛 ふきっこ
わたしは ここで
手ばなし 宙がえり
ふふふのふー」
キキは小声で歌をうたいながら柄をぐいと下にむけ、さかだちのようなかっこうをしました。ほうきはくるりと一回転。
「きゃきゃはーっ。調子、わるくないじゃない」
キキはわざと大げさに笑い声をあげました。とたんにキキはどきり、うしろをふりむきました。
ずーずーずー。
ほうきの房のほうでへんな音がしだしたのです。キキはさらに体をねじってのぞきこみました。
「あっ」
ほうきの房の細い枝が、一本、二本とぬけかけています。キキは手をのばして止めようとしました。でも、それより先に枝は矢のようにうしろにとびはじめました。
「やだ、やだ、待ってよ」
キキはあわててうしろむきになり、おさえようとしました。でも、その手から逃げるように、枝はつぎつぎ、とんでいきます。それにつれて、ほうきのほうもどんどん落ちていきます。そして、あっというまにふたつ目の山の中腹にぶつかると、大きくはねてとまりました。キキはおしりをぶつけて、「うっ」とうめき声をあげました。その目の前を、包みからとび出したりんごがころがっていきます。キキは息つくひまもなくあとを追いかけました。
たいせつなりんごです。たったひとつしかのこっていないりんごなのです。なにも食べられないおばあさんが待っているりんごなのです。でも、まん丸のものとキキとでははやさがちがいます。りんごは一直線に谷川へむかってころがっていきます。そしてキキの目の前で岩にぶつかると、花火のようにくだけて、川の水の中にとびちりました。キキはりんごのかけらをじっとみつめました。どうしたらいいか、考えつかないのです。キキは岩についたりんごのかけらをつまんで口に入れました。
「おいしい」
キキの口から声がもれました。と同時に涙があふれてきました。口にひろがる甘さに、いっそう悲しさがふくれてきたのです。キキはただただ泣いていました。
しばらくして、キキは立ちあがり、山をのぼりはじめました。とちゅうで、りんごを包んでいた布を、つづいて穂の枝がすっかりとれてしまったほうきの柄を、ひろいあげました。布を柄のはじにしばりつけると、キキは涙で見えなくなる目をふきふき、落ちてしまったほうきの枝を、なんとかすこし見つけて、そばの枯れ枝といっしょにたばね、藤づるをさがして、柄にくくりつけました。のどの奥で小さなしゃくり声をあげながら、キキはほうきに乗りました。まにあわせのほうきは、こんなキキにびっくりしたのか、しずかに飛びつづけ、指きりげんまんの町になんとか到着してくれました。
にんじん横丁の二番地はすぐわかりました。おばあさんは、くの字よりもっとまがった腰をベッドにのせて、小さく小さくすわっていました。キキは正直におきたことひとつひとつを話し、あやまりました。そのあいだも涙はあふれて、あとからあとからほほをつたいます。おばあさんはうなずきながら、キキの話をきくと、しわの中にしずんでしまいそうな目をゆっくり動かしました。
「おじょうちゃん、おねがいだから、これ以上悲しい顔をしないでちょうだい。これは、はずみでおきたことよ。あなたのせいじゃないわ。あら、それ、おやおや」
おばあさんは、とちゅうから急におどろいた声をあげました。
「そ、そのほうきの柄についている布、ちょっと見せて」
「りんごを包んであったんです」
キキは結び目をほどいて、おばあさんに手わたしました。
「まあ、これねえ、わたしがおじょうさんぐらいのころ頭にかぶっていたきれよ。この桜草のもようがわたしににあうって、みんなにいわれたの。なつかしいわ」
おばあさんはうれしそうに布を頭にかぶり、あごの下で結びました。
「わたしにも、こんなかわいいもようがにあったときもあったのよ。なんだかわくわくしてきたわ。体があったかくなってきた」
「りんご、だめにしちゃって、ごめんなさい」
キキはもう一度あやまりました。
「ほんと、とてもざんねん。でもね、おじょうちゃん、わたし、もうすぐ死ぬんじゃないかと思っていたんだけど、死神さんには、もうちょっと待ってもらうわ。来年の秋までは、わたしなんとかがんばりたい。どうしてもあのりんご、もう一度たべたいんですもの。そのときはまた運んでくださいね。指きりげんまんよ」
おばあさんは小指をさし出しました。キキはその指に自分の小指をからませて、いっそうしゃくりあげました。
「いーい、時計屋のおじさんには、このことはないしょよ。さ、こんなにかわいいおじょうちゃんが、そんなに泣いちゃいけませんよ」
おばあさんは、しわくちゃの顔をもっとしわくちゃにして笑いかけました。
枯れ枝がぶつかってこつこつとさびしい音のするほうきにまたがって、帰り道を飛びながら、キキは思い出したようにまたしゃくりあげました。
でも、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。たまたまほうきがこわれただけなのでしょうか。キキには、あの黒い手紙以来かかえてしまった不安な気持ちが、こんな事故をひきおこしてしまったように思えるのです。それがわかるので、キキはいっそう混乱していました。キキは、自分はここにいるのに、いないみたいに感じました。どうしたら、もとのように、魔女でよかったと思える自分をつかまえることができるのでしょう。これはジジのせいにも、ほうきのせいにもできないことなのだと、それだけはキキにもわかるのでした。