7 キキ、おしゃれの自分を運ぶ
きのうの夜おそく降った雨のおかげで、しっとりと気持ちのよい朝です。空のはじのほうに、秋のはじめによくあるかき玉汁の玉子みたいな雲があるだけで、すんだきれいな青空です。キキはおもてのドアをあけて、深く息をすいこみました。
「キキ、おはよ」
おソノさんの声がします。見ると、おソノさんがよちよち歩きのノノちゃんをパン屋さんの店先で遊ばせていました。
「ジー、ジージージージー」
ノノちゃんはジジを見ると、よだれの口をとがらせて走りよってきました。それに気がついたジジはあわてて身をかわし、家の中にはいってしまいました。つかまえようと身をのり出したノノちゃんは、そのままどたんところんで大きな声で泣きだしました。
「あら、ごめんね。ジジったら、いじわるねえ」
キキはノノちゃんを抱きおこしました。
「いいの、いいのよ。この子、このごろ、なんでもひっぱるくせがあるの。きのうなんて、手にいっぱいジジの毛をにぎっていたのよ。いたかったでしょうに。ジジはこりたのよ」
おソノさんはキキの手からノノちゃんを抱きとると笑いました。
「あら、おソノさん、すてきなスカートね。とってもきれいな色」
キキはおソノさんの見なれないスカートを指さしました。
「あっ、これね、このあいだアレコレ
「ええ、何回か上を飛んだことがあるわ」
「あそこのウイさんのお店で買ったの。この人ね、けやきの木二本に品物をつるして、お店にしてるのよ。このスカートは十年くらい前に、はやったんですって。あたし、色が気に入っちゃったの」
「ほんとにすてきよ。いったいどんな人がはいたのかしら」
「あたしも知りたくなっちゃう」
おソノさんはスカートのはじをつまんでひろげました。
「その古着屋さんね、お店しながら詩を書いてるのよ。なんだかわかりづらい詩だけど。でも売ってるのはきれいなものばかりよ。キキも近くに行ったらよってみたら」
「でも、わたしはこの洋服って決まっているから」
キキは自分のスカートを指さしました。
「そうだったわね。でもリボンなんかもあるわよ。あっ、あたし、お店あけなくちゃ」
おソノさんはあわてて店の中にはいっていきました。そのとたんにジジがおもてに出てきました。
「ジジ、どうしていじわるしたの? ノノちゃん、あんなにかわいいのに」
「かわいいよ。でも、あのおむつのおしり、かっこうわるいよ。ぼてん、ぼてんと歩いちゃってさ。スカートはくようになったら遊んでやってもいいけど」
「まっ」
キキはおどろいてジジを見ました。ジジまでスカートをはいた女の子がすきだなんて。
「ジジ、さんぽに行ってみようか」
キキはいいました。
「あっ、わかった。アレコレ市に行くんでしょ」
ジジはうれしそうにほうきにとびついていきました。
キキはアレコレ市のはずれにおり立つと、ぶらぶらと歩きはじめました。
通りの両側に小さなお店が重なるようにならんでいます。どれもちゃんとしたお店ではなく、テーブルの上にコップをならべて売っていたり、小さなかごに野の花を入れて売っているようなお店ばかりです。
「あたしがお店するんだったら、ボタン屋さんがいいな」
キキは肩にのっているジジにいいました。
「そしたらおてつだいするよ」
「おや、どんな?」
「まねきねこ。『いらっしゃい』っていうの」
「ふふふ、いいかもね。あたしはこの魔女の服にね、いっぱいボタンをぬいつけて、『えー、ボタンはいかがですか。お気にめしたものはすぐハサミでおとりいたします』なんていって売るの。魔女の服は黒いからボタンが目立ってとてもいいお店になると思うわ」
キキはぶらんぶらんとスカートをゆらしました。
とつぜんキキが、「あっ」と小さくさけびました。横丁の、ちょっとはなれたアイスクリーム屋さんの前で、ひとりの女の子とアイスクリームをなめなめ、おしゃべりしている、とんぼさんの姿が見えたからです。
「とんぼさん」
キキは走りよろうとしました。でもその足がぴたりと止まってしまいました。いっしょに話している女の子がミミさんだったからです。キキは、さっとその道を通りすぎました。ふたりはなんだかとても楽しそうに話をしていました。それに、ミミさんが着ている、いちご色のちょうちん
キキは自分でもびっくりするほど、急に胸がどきどき音をたてはじめました。
「行かないの、ねえ、どうして?」
ジジがキキの肩にきゅっと爪をたてました。
「うん、……」
キキは声にならないような声を発すると、「えーと、ウイさんのお店って、電信柱だったっけ」とごまかすようにつぶやきました。
「ちがうよ。けやきの木だよ」
ジジが大きな声でいいました。
「どならないでよ。そんなに……」
「ただ、けやきの木っていっただけじゃない」
ジジも急にふきげんになって、いらいらと毛をさかだてました。
アレコレ市の終わり近くに、けやきの木が二本、背くらべをするようにならんでいました。一つの木には男の人の服、もう一つには女の人の服がさがっています。その二本の木の間に、ウイさんなのでしょう、女の人がひざにノートをおいて、しきりに何か書いていました。
キキは近づいて、洋服を一つ一つさわってみました。レースがいっぱいついたおよめさんの服みたいなの、ぱーっとひろがるようなスカート、花もようや、水玉もようのワンピース。その間にハンドバッグがさがり、木の根元には靴がならんでいました。どれもこれもすてきです。キキはため息をつきました。ウイさんが顔をあげてキキを見ました。
「おや。もしかして魔女さん?」
「ええ」
キキはうなずきました。
「おどろいた。この町に住んでいるってきいてたけど……お買い物とは……」
「この黒い服じゃ、すぐ、わかっちゃうわね」
「すてきよ。にあっている」
「でも、こんなにいっぱいきれいな色の服みちゃうと、なんだかうらやましい」
キキは笑おうとしました。でもちょっと前に見た、いちご色のちょうちん袖が目に浮かんで、ほほがひくひく動いてしまいました。
「でも、古いものばかりよ」
「売れます?」
「まあ、ぼちぼち」
「すぐ売れちゃいます?」
キキは追いかけるようにまたたずねました。
「ええ、まあ……」
ウイさんはふしぎそうにキキを見ました。
キキはさっきから気になっていた、コスモスの花がちっているワンピースに目をやりました。これと同じもようのワンピースが、キキの住んでいた町の洋服屋さんのウィンドーにもかざってあったのです。キキは旅立ちの日、それを着て飛びたちたいと思っていました。でもコキリさんは、魔女の洋服はすべての黒の中の黒に決まっているのよ、といって許してくれなかったのです。ですからこの花の色は、ずーっとキキの心の中に住みつづけていたのです。
〈あれだったら、きっとあたしににあうわ〉
キキは自分が着たときのことを想像し、ちらりとさっきのミミさんの洋服とくらべていました。
ウイさんはまた何かを書きはじめました。
「あっ、詩を書いているのね。おソノさんにきいたわ」
キキがいいました。
「おソノさん? あっ、パン屋さんのね。あんた、これ、見たい?」
ウイさんはノートをもって立ちあがりました。
「ええ、ええ」
キキは大いそぎで二度つづけてうなずきました。
ノートにはこんな詩が書いてありました。
「じんじんしてる
目をつぶっても
じんじんしてる
いきをとめても
じんじんしてる
にげようとしても
じんじんしてる」
「恋の詩よ」
ウイさんは得意そうにいいました。
(これが?)
おソノさんがへんてこっていってたけど、ほんとうにへんてこな詩。
ところが、この「じんじんしてる」っていうことばが、ふいにキキの耳の底でひびきはじめたのです。まるで何かの伴奏のように、くりかえし止まらなくなりました。さっき、とんぼさんとミミさんの楽しそうな姿を見たせいでしょうか。どうやら、キキはこの恋の詩の音につかまってしまったようです。
キキはコスモスもようのワンピースのすそをもってじっとみつめました。いつかコキリさんはいっていました。
「魔女の黒の中には、この世の中のすべての色がはいっているのよ。むかしから人のねがいをできるだけ受け入れようとしてきた魔女には、いちばんふさわしい色なのよ」
でもこの花もようはやっぱりきれいです。キキは小さくため息をつきました。
すると、キキがもっていたワンピースが反対側のほうからつんつんとひっぱられました。キキもあわててひっぱり返しました。
「ちょっと、あたしにこの服みせてよ」
さがった洋服のかげから、キキと同じぐらいの女の子が顔を出しました。
「あたし、気に入ったの。ちょっと着てみよーっと。ねえ、おばさん、いいでしょ」
女の子は、またノートに何かを書きはじめたウイさんにいいました。
「ええ」
ウイさんがかるい返事をして顔をあげると、キキがすいと前に立って早口でいいました。
「あたし、今、着ようと思っていたとこだったのよね。ウイさん、いいでしょ」
「えーっ」
女の子がかん高い声をあげました。
「わるいかしら」
キキの声もそうとう大きくなりました。
「いやだ、あたしが先よ、ねえ、おばさん? あんたにはその黒い洋服がにあってるじゃない」
「だめよ、あたしが先ですもの」
キキは思わずさけびました。どうしても止められないのです。心の半分では、自分のいっていることに、キキはびっくりしていました。
「へんな子ねえ。あたしが先にいったんじゃないの、さ、貸してよ」
女の子はキキをにらんで洋服を強くひっぱりました。ウイさんはおどろいて、おろおろするばかりです。
「じゃ、いいわ、着なくても。あたし、買います。おいくら?」
女の子はキキを無視してハンドバッグをあけました。
「はあ、えー、えーと……」
ウイさんは目をうろうろさせ、悲しそうにしているキキを見て、急に声をはりあげました。
「あっ、そうでした。こちらのお客さんにお売りするっていったんでしたよね。ごめんなさい、忘れてたわ」
キキはびくりと体をふるわせました。ウイさんは女の子のほうに顔をむけ、頭をさげました。
「ごめんなさい。そんなわけで……ほかの洋服じゃ、いけません? お安くしますけど」
「じゃ、いらない」
女の子はぷいとうしろをむいて行ってしまいました。キキはどうしていいかわかりません。ウイさんは笑いかけました。
「魔女さん、さあ、着てごらんなさいよ」
「ごめんなさい、あたし、どうかしてたわ。あたし、とっても買えないの」
キキはふるえながらあとずさりをしました。
「いいから、いいから。このワンピース、あなたに貸してあげる。半日ぐらいなら魔女をお休みしてもいいんじゃない。これ着てさんぽにでも行ってらっしゃいよ」
「そ、そんなこと、できません。あたし……」
「いいのよ。魔女さんがおしゃれするとこ、あたしも見たいのよ」
「でも……」
「ぐちゃぐちゃ、いわないの。でも、むりにとはいわないけど」
ウイさんは、キキの手からワンピースをとって枝にもどそうとしました。
「あたし、着てみたい」
キキはとびつくようにいいました。
キキはコスモスもようのワンピースを着ると、ウイさんからすすめられた白い靴をはいて、自分の黒い洋服と靴とほうきをウイさんにあずけて、歩きだしました。歩きながら、ときどき踊るように腰をふって、そっと目を下にさげました。するとスカートがコスモスの花の風車のようにまわって見えました。
キキはそれがうれしくって、何度もくりかえしながら歩きつづけました。
「ねえ、いつまで歩いているつもり? このまま行ったら海にはいっちゃうよ」
さっきまでキキを見あげてはまんぞくそうにのどを鳴らしていたのに、ジジはすこしつかれてきたようです。
「あたしね、おしゃれをしたあたしを運んでいくのよ。『海の
「えー、海の指定席? ほんと? あそこは高級なとこでしょ。おとなが行くとこだよ。それもお金持ちが……」
「そうよ。あたし、あそこのいちばんいい席、海のそばの席にすわって、ゆりの形のガラスにはいったアイスクリーム食べるんだ。前に見たことあるの。とってもおしゃれっぽくって、あたし、だいじにしていたお金、全部つかったっていいわ。きょうはとくべつの日ですもの、ちゃんとスプーンで食べるのよ。レースのナプキンつかって。町の立ち食いとはぜんぜんちがうんだから。あっちはね、アイスっていうの。こっちはアイスクリームっていうの」
「そうだよね。手にもって舌でべろんべろんってなめるなんて、かっこうわるいよな」
「まあ、ジジったら、やさしいじゃない!」
キキは体をかがめて、ジジの背中をなでました。
まっ白な建物の「海の指定席」には、海にむかって張り出した庭があって、白いテーブルに、うすい空色の
「見て、見て」
キキは小さい声でジジにいいました。
「このスプーン、先にゆりのつぼみがついてるの。なんてすてき」
ジジも感心したように息をつきました。キキはひらりひらりとスプーンを使って、アイスクリームを口に運びました。ときどき指の先につけてジジにもなめさせてやりました。このアイスクリームは、終わりになるほどどんどんおいしくなっていくみたいでした。
食べ終わると、キキはほおづえをついて海をながめました。
それから、さっきミミさんがとんぼさんを見あげて笑っていた姿を思い出し、まねしてにっと白く歯を出して笑ってみました。でも、そばにいるのは、レストランのボーイさんばかりです。それも白い柱のようにならんで立っているだけです。
海はゆっくりと波を運んできます。遠い水平線にそってきらきらと光りながら、白い船が通っていきました。
「ふー」
キキは小さくため息をつくと、足を組みなおし、スカートをふんわりひろげました。
じんじんしてる。また胸の底のほうから、あのことばがきこえてきました。
とんぼさんとミミさん、あのとき何を話していたんだろう。とんぼさんは、あたしと話すときは、ほうきで飛ぶ魔法の話ばっかりだけど、ふつうの女の子とはどんな話をするのかしら……。
海の季節が終わってしまったからでしょう。そばにだあれもいません。こんなすてきなドレスを着て、こんなすてきな所にいるのに、すてきなことの一つぐらいおきてくれてもいいのに。キキの口がだんだんへの字にまがってきました。足もとでジジが「ふああん」と、ばかに大きなあくびをしました。
すると、ぽとんと何かが靴にあたりました。見るとべたべたにぬれたボールが落ちています。まっ白だった靴に砂と水のしみがついてしまいました。いつあらわれたのでしょう、口のまわりに白い毛をはやしたおじいさん犬が、舌をべろりと出し、よだれをたらしながらキキにすりよってきました。キキはボールを靴でぽんとけりました。ボールは思いもかけず、ぽんとはずんで海の中へ。水にもまれてまわりながら遠ざかっていきます。それを見た犬は、追いかけてそのまま海の中にとびこみました。泳ぎながら、やっとボールをくわえると、とぶようにもどってきて、ぽんと、またボールをキキの足もとにおきました。それから得意そうにキキを見あげると、ものすごいはやさで体をふるわして、水をはじきとばしました。キキのうすい布地のドレスはみるみるぬれて、足にぺたんとはりついてしまいました。
「やめてよ」
キキはそれでもまだすまして、小さな声でいいました。ところがこの犬は「やめてよ」ということばを「やりましょう」とききちがえたようです。しっぽをくるくるまわし、キキにとびついて、大きな舌で顔をべろんべろんとなめはじめました。ぬれたスカートは砂だらけになり、キキの顔はよだれだらけになりました。ジジがどうしよう、どうしようというようにとなりの椅子の上を行ったり来たりしています。ボーイさんたちが「しーっ」と声をあげて動きだしました。
でもキキは急にとてもなつかしい気持ちになっていました。小さかったとき、ジジと顔をくっつけあいっこして遊んだときのことを思い出したのです。
ピューと口笛が鳴りました。犬がさっと顔をはなしました。いつのまにあらわれたのでしょう、ひとりの男の子が、海がわに立っていました。キキを見ています。前髪がななめにさがり、片方の目にかかっています。
「すいません。タチが……」
「ええ、いえ、あの」
キキはわけもわからないことを口にしながら立ちあがりました。
「すいません、ぼくが目をはなしたすきに……」
男の子は肩をすぼめて頭をさげました。
「こいつ、きれいな色が、なぜかすきなんですよ」
男の子は顔をしかめながら笑いました。急にうれしくなってキキも笑いかえしました。
何度もあやまる男の子に、キキは自分で洗えるからだいじょうぶといって、ぬれたままウイさんのお店にもどっていきました。理由を話してあやまると、ウイさんは気持ちよくわかってくれました。それから洋服はちゃんと洗って、魔女の宅急便であしたお返ししますといって、自分の黒い洋服をかかえて家へ帰りました。