1 キキ、コリコの町に帰る
今から十四年ほど前、深い森となだらかな草山にかこまれたある小さな町に、キキという女の子が生まれました。
この女の子にはちょっぴり秘密がありました。とうさんはふつうの人ですが、かあさんは魔女なのです。ですからキキは半分魔女。十歳になったとき、キキはかあさんのように魔女として生きていこうと決めました。でもあまりすごい魔法は使えません。たった一つ、ほうきで空を飛ぶことだけです。これなら、そんなにへたではありません。ほうきのうしろに黒猫のジジをのせて、宙返り、二回転半ぐらいならおちゃのこさいさいです。
この黒猫ジジは生まれてすぐからキキといっしょに育ちました。でも魔法のほうはさっぱりです。まあ、キキとだけおしゃべりができるというのが、魔法といえば魔法でしょうか。
かあさんのコキリさんはほうきで飛ぶことと、くしゃみの薬をつくることができます。コキリさんのおかあさん、キキのおばあさんはもっといろいろ、たとえばおべんとうをくさらせないようにする魔法なんかもできたのです。どうやら魔法はどんどん弱く、少なくなっているようです。それはまっくらな夜と、まったく音のないしずけさがなくなったせいだという人もいます。今は、いつもどこかが明るかったり、いつもどこかで音がするので、気がちって魔法がじょうずに使えなくなってしまったのだというのです。民俗学者で、
ところで魔女は十三歳の年の満月の夜をえらんでひとり立ちをします。生まれた家からはなれ、魔女のいない町や村をさがして、自分のもっている力を使いながら、たったひとりで暮らしていくのです。この世に魔女がまだちゃんといることを知ってもらうための、これはたいせつな決まりなのでした。このお話の主人公、キキもちょうど一年前、ひとり立ちをしました。海辺のコリコという大きな町を見つけ、住みつくと、そこで宅急便屋をひらいたのです。この一年間、キキはいろいろな経験をしました。悲しいこと、おどろいたこと、わくわくしたこと。運んだものもたくさん、それも見えるもの見えないものなどいろいろでした。こうして一年をなんとかぶじにすごし、ふるさとの家に里帰りしたのでした。
そして、今、キキとジジはコリコの町にもどっていくところです。ほうきは気持ちよく飛んでいます。
「ねえ、ジジ、見て、見て、コリコの町よ」
キキは前方を指さしました。夕やけが消えかけた、うすむらさきの空をうしろにして、コリコの町が浮きあがって見えます。ちかっと、いちばんはやく電気がついているのは時計台でしょうか。ほんのすこしこの町をはなれていただけなのに、あの道、あのまがり角、あの屋根の形、出会った人びとの顔をいっぺんに思い出して、キキの胸はなつかしさでいっぱいになりました。
「一年前、ここに来たとき、あたしって、ほんとうに赤ちゃん魔女だったと思うわ」
「そうかな」
ほうきの房の上に乗っているジジが、つつつと舌を鳴らしてつぶやきました。
「えっ、なんですって?」
「べつに……ただそんなに変わったかなって……」
「あんたって、いじわる」
キキはつんと体をおこすと、スピードをあげました。
夕日が海のむこうに姿をかくしました。暗くなった空から、おしゃれな女の人の
「あの日は満月だったけど、きょうのお月さまはあーんなやせっぽち」
「なんだかゆうれいみたいだね」
ジジがいいました。
キキはほうきの柄の先をさげると、ゆっくりおりていきました。町からはなれたこのへんでは、もうすっかり暗くなって、葉っぱをつけた木がまっくろなおばけみたいにならんでいます。
「いた、いたた、いたい」
とつぜんキキが声をあげました。足に何かあたったのです。
「あっ」
ジジが首をすくめました。
「ほっぺたの横を、ぴって何か飛んでいった」
「ひりひりする。何だろう」
キキは大いそぎでまわれ右しました。下を見ると、何か白くぼーっとしたかたまりが、ひときわ高い木の先で左右に大きくゆれています。するとまた、びしびしと何かが飛んできました。
「い、いたいっ」
キキが思わず両手で顔をかばったからたいへん、ほうきは急に落ちはじめました。荷物の中で、仲よしのとんぼさんへもってきた、おみやげの鈴がカラカラと鳴っています。
「みゅー」
ジジの悲鳴がひびきます。キキはむちゅうでほうきの柄をつかみなおそうとしました。でも、とどきません。ほうきはまっさかさまに地面にむかっています。
「こっち、こっち、枝をつかんで」
キキのスカートにぶらさがっているジジがさけびました。キキは手をむちゃくちゃにのばして、さわった枝にしがみつきました。枝はキキがぶらさがると、サーカスのブランコのようにゆれだしました。
「あっ、やった、やったーっ」
上から声がふってきました。見あげると、白いパジャマを着た小さな男の子が、同じように枝の上でゆれながらのぞきこんでいます。
「つかまえたよーう、おねえちゃーん」
男の子はまた大きな声でさけびました。下のほうでぽーっとあかりがひろがり、この木によりかかるようにたっている小さな家の扉があいて、ひとりの女の子がとび出してきました。
「また、そんなこといって、いいかげんにしなさい」
「大きなこうもりと、小さなこうもり、つかまえたんだよう、ほら」
こうもり? キキがふしぎに思って、あちこち見まわすと、ちょうど上をむいていた女の子と目があいました。女の子はぎくっと体をこわばらせました。年ごろはキキと同じぐらいでしょうか。
「こんばんは」
キキは下をのぞいて、しかたなくいいました。
「木にぶらさがってはいるけど、あたし、こうもりじゃないわよ」
女の子はわかっているというようにうなずきました。
「うそだーい。こうもりだーい。こうもりがばけたんだあー。だって、まっくろじゃないか」
男の子は木をゆすっていいかえしました。
「あっ、おねがい、じっとして」
キキがさけんだとたん、つかんでいた枝がめりっと音をたててさけ、つぎの瞬間にはキキとジジは地面に投げだされていました。キキのおしりがずきんといたみだしました。そばではジジが目をあけたままのびています。
「ジジ、ジジ」
キキはあわてて抱きあげ、ひげをぴんぴんとひっぱりました。ジジはふーっと大きく息をつきました。
「だいじょうぶ?」
女の子はこわごわのぞきこみました。
「ええ、なんとか」
キキはいたい腰をおさえながらやっと立ちあがると、「あたし……」といいかけました。
「知ってるわ、今、町で評判になっている魔女さんでしょ」
キキがうなずくと、女の子は顔をかがやかせて、
「町から来た人にきいたの。宅急便屋さんしてるんでしょ。すごくかっこよく飛ぶんですってねえ」
それから、土やほこりでよごれているキキを見て、へんな顔をしました。
「でも、あんた、おっこちたの?」
「そうらしいわね」
キキはむっとしながら、スカートの土をぱっぱっとはたきました。
「おねえちゃん、ちゃんと命中したでしょ。すごいでしょ」
また上から男の子の声がきこえてきました。見あげた女の子はびくっと体をふるわせました。
「あっ、ヤアくん、そんな上までのぼっちゃだめ。あっ、あぶない、じっとして……」
「へっちゃら、へっちゃら」
男の子は見せびらかすように、もう一つ上の枝に手をかけています。
「お月さまに近くなる、お月さまに近くなる」
男の子は両手をあげて歌いながらわざと体をゆすっています。手にもったゴムのパチンコがちらっと見えました。枝が前後左右にくらー、くらーと、ひときわ大きく動きだしました。
「あっ、どうしよう、枝、おれそう。あの子おっこちちゃう」
「ちょっと待って、あたし、おとどけ屋さんだから、まずあのいたずら坊主をあなたにおとどけするわ」
キキはくすっと笑うと、「ここじゃ、あんまりかっこよく飛べないけど……」といいながら、ほうきにまたがって、ふーっとまっすぐ上に飛びあがりました。それから一気に木のてっぺんまでいくと、ゆれている男の子のパジャマのズボンを、なんとかつかんでつりあげました。
「やだ、やめろよ」
男の子は足をばたばた動かします。
「おねえちゃーん、こうもりがぼくを食べちゃうよーっ」
「あたし、こうもりじゃないってば」
キキは木の葉のようにすーっとおりながらいいました。
「でも、まっくろいかっこしてるじゃないか。お月さまをはやくもとどおり、まんまるにしろ」
「えっ? お月さまを? もどす? へんなことばかりいう子ねえ」
キキは女の子のほうに顔をむけました。
「ご・め・ん」
女の子は首をすくめました。
「このヤアくん、わたしの弟なんだけど……、ものすごくお月さまがすきでさ、それも満月が……でもお月さまって、欠けていって、消えちゃうときもあるでしょ。すると、どうして消えちゃったの、どうして消えちゃったのって、たいへんなの。きのうなんて、空みて、べそかくのよ、あんなに細くなっちゃったって。それで、あたし、とっさに、大きな黒いこうもりがかくしちゃったのよって、いっちゃったもんだから」
「それでね、石がとんできたのは」
キキは血のにじんだ足をさすりました。
「うー」
ジジがのどを鳴らして、しっぽを立てました。
「あら、たいへん、しっぽ、まがっちゃってる!」
女の子はかがんで申しわけなさそうに、ジジのしっぽをなでました。
「やい、お月さま出せ」
ヤアくんは思いきりキキのスカートをひっぱりました。
「ほら、また、はじまっちゃった」
女の子は肩をすくめました。
「とうちゃんとかあちゃん、出かせぎに行ってるもんだから、できれば、おねえちゃんとしてね、ちゃんと答えてあげたいんだけど……近くにある草や花のことなら、なんとなく気持ちわかるんだけど……空の上のことはねえ、遠いし、大きすぎちゃって。ときどき来てくれるおばあちゃんは、あいも変わらず、お月さまはチーズでできてるから、ねずみが食べちゃったんだ、なんていうの。でも、ヤアくんたら、ねずみはあんな高いとこまで飛べないって……へんなことわかってるのよね、この子……」
「あのね」
キキはヤアくんの顔をのぞきこみました。
「あたしがきいたところではね、お月さまが小さくなるのは、お空の中にある山のむこうへ、さんぽにいくからなんだって……」
「ふーん」
ヤアくんは空を見あげました。
「ねえ、ヤアくん、このまっくろくろのこうもりおねえちゃんが、飛んでいって、お月さまに、ちゃんともどってきてね、ヤアくんが待ってるからって、言ってきてあげようか?」
「ほんと? それじゃお月さまと約束してきてくれる?」
「うん、約束のしるしにヤアくんのあくしゅ、お月さまにとどけてあげよう」
「わーい、いいな」
「じゃ、おねえちゃんとあくしゅして……」
キキは手をさしだしました。ヤアくんはキキの手をぎゅっとにぎっていいました。
「まんまるお月さまに、はやく帰ってきてねっていってね」
「わかった」
「魔女さん、ありがとう、たすかったわ。あなたって、かしこい」
女の子はほっとしたように笑いました。
「じゃ、行くわね」
キキはほうきにまたがりました。ジジがあわててとびのると、ほうきはふーっと浮きあがりました。そしてたちまち木の上へ。
「さよなら」
キキがほうきの柄を空にむけて身がまえました。
すると、またしてもヤアくんのかん高い声がとんできました。
「あの、ねえ、ねえ、飛ぶおねえちゃん。あくしゅ、もってってくれるっていったけどさあ、お月さまにお手々ってあるの?」
「うーん、さ、さがしてみる」
「見つかんなかったらねえ、あの細いしっぽとあくしゅしてね」
「えっ、あれ、しっぽなの?」
キキは上をむいて、細い月を見あげました。すると、またヤアくんの声がとんできました。
「いいなあ、猫ちゃんにもしっぽある。ぷらぷら動いてる。ねえ、ねえ、おねえちゃん、どうして猫ちゃんにしっぽあるの? ヤアくんにはないの?」
「うーん、どうしてだろ……あっ、きっとさ、猫ちゃんはいつもはいはいしてるからじゃないの?」
キキはほうきをとめていいました。
「ヤアくん、もういいでしょ。さ、おうちにはいって寝るのよ」
女の子がヤアくんの手をひっぱりました。
「じゃ、さよなら」
キキはくすりと笑いながら、月の光に目をむけ、一気に高度をあげていきました。
「さ、ちゃんとあくしゅをしてこなくっちゃ」
キキは暗い空のむこうで、細くてもきんと光っている月に右手を高くあげると、
「さ、あくしゅ、あくしゅして、お月さま」
とさけびながら、どんどん高くのぼっていきました。そして、空気がいちだんとつめたく感じるほど高いところまで行ったとき、右手を大きく二回ふると、
「たしかに、ヤアくんのあくしゅ、おとどけしましたよ」
といって、ゆっくりおりはじめました。
「ねえ、キキ」
うしろからジジのあらたまった声がひびいてきました。
「あんな小さな子にうそついてもいいの? ほんとはとどけられないのに……」
「でも、どうしてうそだっていえるの」
「だって、お月さまのところには行けないじゃない」
「そうかな、気持ちは飛んでいくと思うけど……」
「でも、やっぱりあくしゅはできないじゃないか」
「ジジはそういうけどね、うそってさ、元気のもとになることだってあるんだから」
キキはまだ何かいいたそうなジジに、
「さ、おソノさんとこにかーえろ」
といいました。
「そういえば、ねえ、キキ、どうして夜って暗くなるんだろう。ねえ、どうして?」
「まったく、もーう、あんたって、まねっこ猫。それはね、空が目つぶっちゃうからじゃないの」
「ふーん、空って……目、あんのか」
ジジは目を細めて空を見あげました。
つられて、キキも上をむくと、
「まあ、まあ、まあ、キキ、あんたなの」
ドアをあけたおソノさんは、ふとった体をゆさゆささせていいました。それからちょっと低い声になってささやきました。
「ほんとにキキが帰ってきたのね。ほんとよね」
「そうよ。あたし、自分を運びたくなっちゃったのよ。コリコの町へ」
キキはうなずきました。
「まあ、なんてうれしいこと」
おソノさんはキキの手をとると、
「さ、はいって、はいって」
とひっぱりました。
中はなつかしいパンのにおいでいっぱいです。
「おっ、おかえり。待ってたよ」
あしたの朝の準備でしょう、テーブルの上でパン種をたたきつけるようにしながら、おソノさんのだんなさんがいいました。
キキのすきなあんパンとレモンパンがお皿にのっています。
「赤ちゃん、元気?」
キキはいいました。
「あの子、ちょっと前に寝たばかり。だからゆっくりできるわ」
と、おソノさんは二階を指さしました。
「それに、あの子、もう赤ちゃんじゃないわよ。とつぜん歩けるようになってねえ。とんでもないいたずらはするし、目がはなせないの」
おソノさんはしゃべりながらキキに目をとめました。
「キキ、なに、その姿? ほっぺにどろつけて、……あらら、髪の毛に葉っぱが……、まっ、まっまっ、ジジのそのしっぽ、いったいどうしたの。レの字にまがってるじゃないの」
「そ、そうなの。おソノさん、ばんそうこうある? ほら、これ見て」
キキはスカートをつまんでもちあげました。
「まあ、血」
「木の上のいたずらっ子にパチンコで打ちおとされちゃったの。森の中で……」
「いたずらっ子に?」
おソノさんはあわてて上を見ました。
「ご心配なく、よその子よ」
キキは思わず笑いだしました。
おソノさんは大げさに胸をなでてみせると、棚から薬箱をおろしてきました。
「キキの傷は、消毒して、薬つけとけばいいけど、問題は……ジジのしっぽ。まっすぐにするのアイロンじゃだめだろうし……、そ、そう、寝押しがいいかもしれない。今夜、一晩、おとうさんの重い枕、のせといてあげるわね」
おソノさんはいそいそと薬箱のふたをあけました。ジジはなさけなさそうに、自分のしっぽをふりかえりました。
「それにしても、たいへんなご帰還になりましたねえ。ま、キキらしいけど」
「そう、やっぱり、にぎやかな二年目になりそう」
キキは首をすくめました。