5 キキ、一大事にあう
キキは店の戸をあけると、「まぶしい」と思わずひたいに手をかざしました。
いいお天気でした。
キキがこの町にきたころは、お日さまの光は空をゆっくり遊びながら落ちてくるようでした。キキが生まれそだった森の多い小さな町のお日さまと、そんなにちがっていませんでした。でも、今、この町のお日さまの光は、ねらって投げつけるまりのように、せわしなくぶつかってきます。
「海辺の夏ってすごいのね、ふうふうしちゃう」
キキはつぶやきながら、胸のボタンを一つはずして風を入れると、ちょっと背のびしました。
(あらやだ。背のびしたって、見えるわけないのに、かあさんの手紙のせいだわ)
キキが生まれた家からは、背のびをすると、東の草山のてっぺんがよく見えたのです。おととい、かあさんのコキリさんは、手紙でその草山のことを書いてきたのでした。
「きのうね、かあさんは用事で出かけた帰りに東の草山まで飛んでいきました。あなたがお使いに行くと、あそこに寄り道してなかなか帰ってこなかったのを思い出してね。草がひざっこぞうぐらいまでのびていましたよ。かあさんはしばらくすわって空を見てました。それからどうしたと思う? ねちゃったのよ。草はいいにおいがするし、すずしい風がふいてくるし。どのくらいたったかしら、目をさましてあわてて帰ってきたの。そしたらかあさんの顔を見てとうさん、笑うじゃないの。キキにそっくりだって。ほっぺたに草のあとがいっぱいついちゃってたのよ。かあさんも思わずいっしょに笑っちゃったわ」
キキは燃えるような日ざしの中で、遊びなれた草山や、小さな町の小さな通りのあれこれを思い出すと、もうなつかしさで胸がいっぱいになってしまいました。
「さあ、はじめよう」
キキは思いなおすように商売道具のほうきをとると、やわらかい布でみがきはじめました。これはキキが「魔女の宅急便」をはじめてから、毎朝かかさずにしている仕事でした。
「おや、おや、働きものだこと。きょうもお仕事?」
となりのパン屋の店先から、赤ちゃんを抱いたおソノさんが出てきて、窓から声をかけました。
「そんなにいっしょうけんめいしてもね、きょうはあんまり商売にならないと思うわよ。町がからっぽだもの。まあね、そこの横町で道路をそうじしている、感心な男の子もいるみたいだけど……ほとんどの人はいないわ」
キキは顔をあげて通りをのぞきました。そういわれれば、目にとまるのはまぶしい光と、くっきりと黒い建物の影だけです。
「きょうは日曜、しかも夏のまっさかり、みんな海に行っちゃったのよ」
「海へ、何しに?」
「もちろん泳ぎによ。あなたもきょうは休みにして行ってきたら?」
「こんな暑いのに?」
「いやだわ。暑いから行くんじゃないの。気持のいいもんよ。ここにいたら、海に行かないと夏はつらいわよ」
「でも、あたし、泳いだことないの」
「じゃ、なおさら、行ってらっしゃいよ。水着ならあたしのかしてあげるわよ。ちょうどわかいとき着た黒いのがあるから。魔女はやっぱり、黒いのじゃなくちゃいけないんでしょ」
「おソノさんは行かないの?」
「こんな小さいのがいるのよ。むり、むり。今年はがまんだわ。そこへいくと、キキはいいわねえ。ほうきでひとっ飛びなんだから」
「あたし、いっしょに行ってあげるわよ。赤ちゃん見ててあげるわ」
キキはおソノさんの腕の中で気持よさそうにねている赤ちゃんのほっぺたを、そっとさわりました。
「いいのよ。キキ、あなたもこの町にきてからずーっと、気持の休まるときがなかったでしょ。すこしずつ仕事もふえてきたし、ひさしぶりにのんびりしてらっしゃいな。ただ砂の上でねそべってるだけでもいいものよ。ちょっと待ってね。今、水着もってきてあげるから。洋服の下に着ていって、むこうでぬぐとかんたんよ」
おソノさんはいそいで家に入っていきました。
「海……か」
キキは小さくつぶやきながら、黒猫のジジに声をかけました。
「ねえ、ちょっと行ってみる?」
暑さをさけて、風通しのいい階段に、まるでとけたバターのようにねそべっていたジジは、めんどくさそうに鼻声でこたえました。
「毛皮を着ている者にねえ、こんな暑いなか動けっていうんですか。ひどい話だ」
「あら、海風にむかって飛ぶのよ。うちの中でじっとしているより、よっぽどらくだと思うけど。それにさ、ほうきにだって、たまには遊び飛びっていうの、させてあげなくっちゃ」
「たまにですかねえ」
ジジは鼻を鳴らして、のっそりと立ちあがり、しっぽでばたばたと体をたたきました。これは出かけるときのジジのくせなのです。キキはにっこりして首をすくめると、店の窓をしめはじめました。
キキはおソノさんがもってきてくれた水着を着てみました。ぎゅーっとひっぱって体を入れると、ばちんとゴムみたいにはねて体にすいつきます。
「これでいいの?」
キキははずかしくなって、体をちぢめておソノさんにききました。
「そう、にあうわよ。あたしもむかしは、あなたぐらいやせてたのよねえ。その水着が着られるなんて、うらやましいこと」
「でも、なんだか、体がはみだしてるみたいで……いやだなあ」
「いいのよ、それで。海に行けばみんなおんなじだから、気にならなくなるわ」
おソノさんはそういいながら、自分もスカートをひっぱって、足をにゅっと出してみせました。
「さ、はやく行ってらっしゃい」
キキは水着の上に洋服を着ると、ラジオをぶらさげたほうきを片手に、ジジと外に出ました。それからお店の戸に、「本日臨時休業」というふだをさげました。
キキとジジは、ぬけるような青い空の中を飛んでいきます。ラジオからは調子のいい音楽がひびいてきて、キキはそれにあわせてからだをゆすっていました。
「なんていい気持なの」
うまく風に乗っては、右へ左へと大きくカーブをつけて飛んでいきます。
「飛べるって、ほんとにすてきなことだわ。おソノさんが飛びたがるの、むりないわねえ」
キキは下にひろがっているコリコの町を、目を細めてながめました。大川をはさんで両側に、ちょうちょの羽根のようにのびているこの町も、音楽にあわせて動いて見えます。
「ねえ、キキ、ラジオが何かいってるよ」
ジジがうしろからキキの背中をたたきました。いつのまにか音楽は終って、天気予報に変わったようです。
「それでは特別警報をくりかえします。本日コリコ地方の海上に、ぞくに海坊主風と呼ばれている突風がふくおそれがあります。この風はこの季節にとつぜん現われ、大あばれするというので、こんな名前がついています。海水浴にお出かけの方はくれぐれもご注意ねがいます」
「ほら、お天気、わるくなるってさ」
ジジがいいました。
「えーっ、こんないいお天気なのに?」
キキはまったく気にかけようとしません。
「ほら、海が見えてきたでしょ。あんなに人がはだかで遊んでるじゃないの。天気予報のまちがいですよう。あんたは楽しいときにわざとわるいこと考えるくせがあるけど、それ、あんまりいい性格じゃないわよ」
「うかれすぎるってのも、いい性格ではありませんよ」
ジジは横をむくと、体の毛をふくらませました。
まもなく、キキはほうきの柄をさげ、おりはじめました。そして、砂浜のはずれに、そっと着陸しました。魔女の海水浴なんて、とうのキキだって生まれてはじめてきく話です。なるべく目立たないようにするのがいい、と思ったのでした。
キキは、横目でにぎやかなほうを見ました。どの人も遊ぶのにむちゅうです。砂で玉をつくって投げっこする人。砂にうずまって首だけ出している人。背中をお日さまにあてている人。水ぎわで波を追いかけている人。手を大きくふって泳いでいる人。海辺って、なんていろんな遊びかたがあるんでしょう。あっちもこっちも笑い声と、笑い顔だらけです。
こころもち強くなった風に、ビーチパラソルがぱたぱたと音をたてはじめました。つられて波もちょっと高くなり、波乗りの人たちのさわぐ声がいちだんと高くなりました。
「やっぱり、あっちに行こうかな」
キキは洋服と靴をぬいで両手にかかえると、背中をまるめてこわごわ歩きはじめました。はだしで砂の上を歩くのもはじめてだったのですが、その砂は、まだ昼前だというのにものすごく熱くなっていて、とてもゆっくり歩いていられません。ぴょんぴょんはねながら、大さわぎです。
ジジはちゃっかりキキの影の中に入ろうと、自分もぴょんぴょんついていきながら、ぶつぶつ文句のいいどおしです。
「へんなかっこう。まるでフライパンの中のいり豆みたい。コキリさんに見せてやりたいよ」
キキは、やっとの思いでにぎやかなところにたどりつくと、みんなのまねをしてすこし穴を掘り、うつぶせにねそべってみました。砂はおふろのようなあたたかさで、とてもいい気持です。顔のそばを、いろいろな人の足が通りすぎていきます。でもみんなそれぞれ遊ぶのにむちゅうで、まわりのことなど気にしていないようなのが、キキをほっとさせました。
キキはあごの下に両腕を入れて、海をながめました。海はもりあがり、たえず動いて大きな生きもののようです。その背中にとりつくように、人がつぎつぎ飛びこんでいきます。
「あたしも入れるのかしら」
キキは、かあさんのコキリさんが海のことを何もおしえてくれなかったことに気がつきました。それも当然かもしれません、コキリさんも海は見たことがなかったのですから。
「キキ、魔女はね、水に入るととけちゃうかもしれないよ。やめたほうがいいよ」
ジジが心配そうにキキの顔をのぞきこみました。
「まさかあ。みんな気持よさそうにしているじゃない。魔女にだけいけないってことないと思うわ。足だけでも入れてみようかな」
キキは起きあがって、砂の上にすわりました。そして水平線のむこうに、さっきまでなかった黒い雲がひとかたまり、現われたのに、ふと目をとめました。砂の上に目を動かすと、小さなつむじ風がまわりながら走っていきます。
「あら、やっぱり天気予報、あたったのかしら」
それでも、あいかわらず空には元気なお日さまが照っているのをたしかめると、またうらやましそうに海で遊ぶ人たちをながめました。
「ねえ、ちょっと」
近くでいきなり声がしました。
キキが声のほうをむくと、すぐとなりでおなかを下に寝そべっていた女の人が、笑いかけていました。その人はゆっくりと起きあがって、そばのほうきを指さしました。
「あなたのそれ、こんなところまでもってきて、海で遊ぶため? 浮きぶくろのかわりにでもするの?」
「ふふふ」
キキはあんまりおかしなことをいわれて、思わず笑ってしまいました。女の人も肩をすくめて笑うと、つづけていいました。
「町にね、魔女がきたってきいたけど……もうさっそくまねがはやりだしたのね。でも、すてきじゃないの。あたしね、坊やの世話でいそがしくって、このところ流行にはとんとごぶさたなの。ちょっと前もわかい男の子が持っているのを見たわ」
キキは、あわててほうきをうしろにかくすようにしました。
「ほら、あすこよ、見て」
女の人がうしろをむいて指さす先、砂遊びしている人のむこうに、小さな荷物とほうきをかかえた男の子がこちらを見ていました。
「あ、あの人はおそうじの人でしょ」
「あら、そうなの、あなたもおそうじなの。あたし、てっきり……」
女の人はそういいながら、首をのばしてあたりを見まわすと、いきなり高い叫び声をあげました。
「坊や、坊や、だめよ、遠くに行っちゃ。おかあさんの見えるところにいるのよ。そ、そうそう。お水のところでぺたぺたやってなさい。ほら、波がどぶーんとくるでしょう」
女の人が手をふると、オレンジ色のおぼんのような浮きぶくろにすわった小さな男の子が、こっちを見ながら足をばたばたさせました。女の人はキキに目をもどして、大きく肩で息をしました。
「子どもってかわいいけど、とってもたいへん。おかあさんって、とってもたいへんよ」
それから、またいきなりすっとんきょうな声をあげました。
「あっ、坊や、深いところに行っちゃだめよ。そう、そこにおすわりしてなさい。いい子ね」
女の人は、またキキににっこりした顔をむけました。
「海にきたときぐらいゆっくりしたいのに……あっ、そう、そうだわ。あなたのそこにいる猫ちゃん、坊やと遊んでくれないかしら。とってもかしこそうな猫ちゃんですもの。そしたらうちの坊やはひとりで遠くに行かないわ」
女の人は手をのばして、ごきげんをとるようにジジの背中をなでました。
「ジジ、行ってあげなさい」
キキもジジのおなかをつっつきました。ジジはのっそりと起きあがり、ひと声おなかの中でうなり声をあげました。
「猫ちゃんだってよ、一人前の猫に。ぞっとするね」
と、ひとりごとをいいながら、おしりをふりふり水辺にむかって歩いていきました。
「なんて、おりこうさん」
女の人は目を細めて、ジジのうしろ姿が坊やのそばまで行くのを見とどけると、ふにふにと鼻歌をうたいながら、またおなかを下にねころがりました。キキもつられてまたねそべりました。目をつぶると、まわりでまざりあういろいろな音が、いっそうはっきりときこえてきます。塩っぽくて、お魚のにおいやわかめのにおいがかすかにまじりあったような海のにおいも、なかなかいいものでした。
とつぜん、ごうっと音がして、今までとはまるでちがった風がふきつけてきました。それは空から落ちてきたかと思うようなはげしさでした。悲鳴に近い声があちこちであがりました。
砂の入った目をしばたたかせながらキキがまわりを見ると、麦わら帽子が飛びかい、浮きぶくろがまるで車輪のように走りまわっています。あわてて立ちあがると、今まであんなに平和な遊び場だった浜辺は、一変していました。子どもをこわきにかかえて、浜のはずれの松林のほうににげる人。飛ばされた荷物を追って走りまわる人。
「坊やあー」
となりの女の人が、はりさけんばかりの声でさけぶと、気がくるったように水辺にむかって走りだしました。
目でそれを追いかけたキキは、オレンジ色の浮きぶくろに乗った坊やとジジが、大きな波の間にひきこまれようとしているのを見ました。女の人は水に飛びこんでいきましたが、ジジと坊やを乗せた浮きぶくろは、強い渦にまかれながら沖に流されていくばかりです。ひきさくような泣き声がきこえてきます。
キキもつづいて走りながら、
「しっかりつかまっているのよ、今、たすけに行ってあげるから」
と、ジジにむかってさけびました。
そして、足を波にさらわれながらおろおろ立っている女の人に、いいました。
「安心して。あたし、飛べるの。たすけてくるわ」
そばでだれかがいいました。
「そうだ。この子は空を飛ぶっていう宅急便屋さんじゃないか」
「じゃ、はやく、はやく」
キキは砂の上にとって返し、ほうきをもちあげました。
そのとたん、キキはまっ青になりました。いつのまにかほうきがちがっているのです。あの使いなれたかあさんのほうきとは、似ても似つかない、安っぽいほうきに変わっていたのです。
こんなたいせつなときに、なんということでしょう。さわぎにまぎれて、だれかがとりかえていったのでしょうか、それとも目をつぶっていい気持になっていたときか。キキの胸ははげしく鳴りだしました。どうしよう!
とにかく、考えているひまはありません。キキは大いそぎでほうきにまたがると、飛びあがりました。でも、飛びあがったと思ったとたん、がくんとつんのめって、柄の先を水につけてしまいました。
「あーっ」
集まった人から、がっかりしたような声があがりました。
キキはあわてて柄を上にむけると、こんどは房のほうがどぶんと水に入ってしまいます。とたんにほうきは水を吸って重くなり、よたっよたっと浜辺のほうにおりようとします。キキがいっしょうけんめい方向を変えようとすると、そっくり返ったり、つんのめったり、あばれ馬みたいにいうことをききません。そのあいだにも、坊やとジジは流されていきます。
キキは必死で飛びました。水に入ったり、はねあがったりして、やっとのことで坊やのところまで追いつくと、ほうきに腹ばいになって、手をのばしました。坊やは泣きわめいているので、なかなかつかまりません。やっと海水パンツに手をかけて、ひっぱりあげました。つづいて、ジジのしっぽをつかんでひきあげました。そのとたん大きな波がおそいかかり、まるい浮きぶくろはくるくるまわりながら、すごいはやさで沖に流されていきました。
水辺の人たちはいっせいにとびあがって、よろこびの声をあげました。
キキはなんとか浜辺におり立つと、ぐったりした坊やをおかあさんにあずけ、これまたぐったりとしたジジを抱いたまま、大いそぎでぬれた体の上に洋服を着ました。それからラジオをかかえると、すぐまたほうきにまたがり、飛びあがりました。
「ちょっと休んだら。風がひどいよ」
みんなが声をかけましたが、キキはそれどころではなかったのです。はやくほうきをさがしださなくてはなりません。キキには心あたりがあるのです。さっきちらりと見た、ほうきを持っていたあの男の子……。いま思えば、魔女のほうきがほしくってとりかえようとしていたのにちがいありません。キキはかんかんに怒っていました。ぜったいにゆるせないと思いました。坊やとジジがたすかったからよかったものの、失敗したときのことを考えると、ふるえがとまらないのです。つかまえて、百万回でもごめんなさいをいわせてみせると思いました。
キキは用心ぶかく下を見ながら、あばれ馬みたいにがくがくゆれるほうきに乗って、飛びつづけました。
魔女のほうきがほしくてもっていった人が、まずだいいちに行くところがどんなところか……それはかならず
キキは、海水浴場とコリコの町のあいだに点々とある丘の上を、つぎつぎ飛んでいきました。
「キキ、あそこ」
ジジが前方を指さしました。思ったとおり、小さな丘のてっぺんで、黒い洋服を着たひとりの人が、今、まさに飛びたとうとしているところでした。
「キキ、はやくとめなきゃ」
「しーっ、だまって」
キキは、飛んでいたほうきを空中にとめてしまいました。
「けがしちゃうよ」
ジジがまたいいました。
「飛びたいんだから、飛ばせてあげましょうよ。いたい目にあえばわかるでしょ。だまって、ひとの物をもっていくなんて、ひどいじゃないの」
キキはがくがく動こうとするほうきをおさえながら、つめたくいいました。
「ほんとに、飛んじゃう」ジジがさけびました。
丘の上の人がとうとう飛びだしたのです。でも、そのままどすんと地面におしりをぶつけ、石ころみたいに丘の斜面をころげ落ちていきました。
追いかけて、キキも飛びだしました。そして、丘の下でおしりをさすって、体をふるわせているほうきどろぼうのそばにおり立つと、つんとした声でいいました。
「ざんねんでしたねっ」
おどろいて上をむいた顔は、やっぱりさっき見かけた、キキと同じくらいの年の男の子でした。めがねはひびが入り、あちこちすりむいて、血がにじんでいます。キキは思わず、ふふふっと笑ってしまいました。その男の子は、なんと、キキの洋服に似た黒いワンピースまで自分の服の上に着こんでいるではありませんか。
「ごくろうさまね。魔女の服までまねて」
男の子は顔をしかめながら立ちあがると、あわててワンピースをぬぎ、ぱっと顔を赤らめて、下をむきました。
「あなたのために、あたし、たいへんな目にあったのよ」
キキはほうきの柄をずんと地面にうちつけて、大げさに怒ってみせました。黒のワンピースまで着こんで、男のくせに魔女のまねをいっしょうけんめいしているのを見たら、ほんとうのところ、キキは怒るより、おかしくってたまらないのでした。
「あやまっていただきたいわ。百万回ぐらいはね」
男の子はだまってぺこりと頭をさげました。つづいて、一歩さがってまた、ぺこりと頭をさげました。
「そういうときはね、ふつうは、いいわけっていうのするもんじゃないの。あなた、生まれつきのどろぼうじゃないんでしょ」
「まさか、ちがうよ。研究のためなんだ」
男の子はすこし抗議するように、口をとがらせました。
「研究って?」
キキはきんとした声をはりあげました。
「そんなにどならないでよ。今、いうからさ。じつはぼくたち、この町で飛行クラブっていうのやってるんだ。自分の力でなんとか飛ぼうって考えてるものの集まりなんだよ。今は三つの班にわかれて、競争で研究しているところなんだ。一つは空とぶ靴の研究で、もう一つは空とぶじゅうたんの研究、それから空とぶ魔女のほうきの研究」
「あなたは、その、ほうきの班ってわけね」
キキが顔をのぞきこむと、男の子はてれくさそうにうなずきました。
「だから、きょうも、君のお店の近くにいたんだけど、パン屋のおかみさんと話してるのがきこえたもんだから……それで、ぼくも、いそいでやってきたんだ」
「……あたしのほうきで飛ぼうってわけね。それはだめなのよ。いくらほうきがあったって飛べないのよ。あたしが飛べるのは、あたしが魔女だから。つまり、ここを流れている血がちがうんです」
キキは、自分の胸をとんと一つ、たたいてみせました。
「じゃ、血が飛ぶってわけ?」
男の子は目をまるくして、キキを見つめました。
「いやだ。へんなこといって……」
キキは思わずふきだすと、あわてて笑いをひっこめて、まじめな顔をしてつぶやきました。
「でも、ほんとに何が飛ぶのかしらねえ。あたしにもわからないわ」
キキはぽかんと空をながめて、またふっと笑いました。
「……でも、やっぱりほうきにもよるのよ。どうせ研究するなら、魔女が飛びやすいほうきの研究にしてほしかったわよ。なあに、このほうきは……」
「それじゃ、だめ? ぼくがつくったんだけど、なるべく君のに似せてつくったつもりだったけど……」
「さんざんだったわ。がくんがくんしてさ。おしりがいたくて。まったく、お馬に乗ってハイドウドウって感じなんだから。みんなの前で、ちょっぴり傷ついたわよ。さあ、あたしのほうき、返して……」
といいかけて、キキははじめてまわりを見ました。そのとたん、「あーあ」と叫び声をあげていました。かあさんのお古のあのほうきが、まっぷたつに折れて、地面にころがっていたのです。
「どうしよう、どうしよう」
キキは思わずそれをひろって抱きしめました。
「ごめん」
男の子ががくんと頭をさげました。
「かあさんのお古なのに。……家を出るときもらってきたのに。……とっても飛びやすかったのに」
キキはなみだまじりの声でいいました。
「ごめん」
男の子はもう一度小さな声でいうと、それっきり肩をしょんぼり落として下をむいてしまいました。
「しかたないわ」
キキはかすれた声でやっといいました。いやだっていってもしょうがないもの、と思いながら、あふれてきそうななみだを、胸の中におしもどしました。
「あたし、自分でほうきつくることにする。前にもつくったことあるから、たぶん、だいじょうぶよ。はじめっから、このほうきみたいにいくとは思わないけど……なんとか乗りこなしてみせるわよ」
「……どうしたらなめらかに飛べるかって研究のほうだったら、ずいぶんしたから、なにか、ぼくに、てつだえること、あるかもしれないよ」
男の子がおずおずといいました。
「お気持はありがたくいただいとくわ。でも、これは魔女の仕事だから」
キキはせいぜい胸をはっていいました。
「飛べるっていうのも、なかなかたいへんなんだね」
「そうね、飛べないっていうのも、きのどくかもしれないけど……ね」
キキはようやく、顔をちょっとあげてその男の子に笑いかけました。