3 キキ、大きな町におり立つ
お月さまは一日一日とまるくなって、もうきょうは満月の日です。キキが旅立とうと決めた日がきたのです。
お日さまがすこし西へかたむきかけたころから、キキは、コキリさんのつくってくれた新しい黒い服を着て、鏡の前で前をむいたりうしろをむいたり、大さわぎです。足もとでは黒猫のジジも負けてはいられないというように、横から鏡をのぞきこんでは、体をのばしたり、ちぢめたりしています。かと思うと、ふたりしてコキリさんのほうきに乗りこんで、ちょっと横をむいて気どってみたりしています。
「さあさ、あなたたち、おしゃれはそのぐらいにしたら……ほら、西の空を見てごらん、夕やけの色がもうあんなにうすくなってきたわ」
コキリさんはいそがしそうにあちこち動きまわりながら声をかけました。
「かあさん、もうちょっとでいいからスカート、みじかくしてよ」
キキはスカートをひっぱって、つまさき立ちしながらいいました。
「どうして? とてもにあっているのに」
「もうすこし足が見えたほうがすてきだと思うわ」
「そのほうがずっとお上品よ。おとなしく見えるほうがいいのよ。そうじゃなくても魔女のことをとやかくいう人が多いんだから。さ、これ、おべんとうよ」
コキリさんはキキの肩をたたいて、そばに小さな包みをおきました。
「なるべくくさらないように薬草入れてつくってあるわ。たいせつに食べるのよ。あたしのおかあさんはね、このひとり立ちの日のおべんとうをつくるのがとてもじょうずだったの。パンに入れる薬草になにやら魔法をかけることを知っててね、そうするとくさらないし、かたくもならなかったのよ。もうわたしたちにはできないなんて、ざんねんだわねえ」
「そんなことはかんたんに伝えられそうに思うけどなあ。どうして消えちまうんだろう。やっぱりそこが魔法なんだろうなあ」
仕事部屋から本を片手に出てきたオキノさんが、口をはさみました。
「魔女のわたしにもわからないなんて、おかしいですけど……ほんとうにまっくらな夜と、まったく音のないしずけさがなくなったせいだっていう人がいるのよ。どこかが明るかったり、ちょっとでも音がすると、気がちってしまって魔法がじょうずに使えないって……」
「そういやあ、大むかしからみれば、ずっと明るくなってるだろうな。今じゃ、どこかにあかりがついてるもんな」
「そう、世の中が変わってしまったってことですね」
コキリさんがうなずくと、鏡を見ていたキキが、
「あら、そうかしら」
と、不満そうな顔をむけました。
「あたしはね、魔法が消えたのは世の中のせいじゃないと思うわ。魔女がね、えんりょしすぎたせいよ。かあさんだって、魔女はおとなしく、ひかえめにって、いつもいってるでしょ。あたしはね、ひとになんていわれるか、いつも気にして生きるのはいやよ。やりたいことはどんどんやってみたいわ」
「ほう、キキもいうじゃないか」
オキノさんが大げさに目をまるくしました。
「でも、キキ、きいて。わたしたち魔女もそうだけど、むかしはいろいろふしぎなことができる人たちがいたものよ。でもたいていの人たちは、そんな人たちを悪いこととむすびつけて考えてしまったのよ。なにか不吉なものを運んでくるんじゃないかってね」
「そういうところあるかもしれんな……」
オキノさんも、考えぶかげにうなずきます。
「そうですよ。よくいわれる、しぼりたてのミルクに魔女がカビをはやしたってことでも、あれはとくべつなチーズをつくるためだったっていいますよ。ほら、今じゃみんな同じようなもの食べてるじゃありませんか」
そういって、コキリさんは心配そうにキキを見ました。
「そんな世間で、魔女が生きのこってこれたのは、ふつうの人たちともちつもたれつ生きようって、気持を変えたからなのよ。ときにはえんりょも必要、おたがいにできることはたすけあう、これがよかったと思うの。今じゃとうさんみたいに、すすんで魔女や
「ほめられたのかな、光栄だね」
オキノさんはちょっとおどけて、腰をかがめました。
「あっらら、外はすっかり暗くなってる。もうじきお月さまが出るわよ、はやく食事にしないと。ややっこしい話はそのくらいにして」
コキリさんはぱんと手をたたいて立ちあがりました。
「満月の夜は明るいから、旅立ちにはいいと思うけど、ぼくが調べたところでは、魔女が旅立った日のお天気のデータは、雨の日と晴れの日と、五十パーセントずつなんだがな……」
「それはそのときの運ですわ。今夜はだいじょうぶそうよ、空気がこんなに澄んでいるから。キキ、準備はほんとにもういいの?」
オキノさんがぼそぼそいうことばを軽くかわして、コキリさんはまた立ち働きはじめました。
「いいところ、見つかるといいね」
オキノさんはキキの目をじっとのぞきこみました。
「でもキキ、めんどくさがって、おちつくところをいいかげんに決めちゃだめよ」
コキリさんが声をかけます。
「わかってます。かあさんたら心配ばかりして」
「ちがう星に行ってしまうわけじゃないよ。たかがちがう町じゃないか。それに一年たったらどうどうと里帰りもできるんだろ」
オキノさんが、コキリさんとキキを両方なぐさめるようにいいます。
コキリさんは、まじめな顔でまたキキの前に立ちました。
「キキ、くどいようだけど、町はよくえらんでちょうだいよ。店がたくさんあるとか、にぎやかだとか、そういう見た感じで決めるのは考えものよ。大きな町ではみないそがしくって、ほかの人のことなんて考えてるひまのない人ばかりですから。それに、町に着いたらおどおどしちゃだめよ。なるべく笑い顔でね。まず安心してもらうことよ」
「わかったわ、かあさん。あたし、だいじょうぶよ。心配しないで」
キキは何度もうなずくと、オキノさんのほうをむきました。
「ねえ、とうさん。小さいときしてくれた、たかいたかい、して。ほら、あたしのわきの下に手を入れて、よくぽーんぽーんともちあげてくれたでしょ。あれ、もう一度やって」
キキははずかしそうに舌をちろりと出しました。
「よーし」
オキノさんはわざと大きな声をだすと、キキの両腕の下に手を入れて、もちあげようとしました。
「ふう、おもいな。いつのまにこんなに大きくなっちゃったんだ。もう一度だ」
オキノさんはちょっとよろけながら、もう一度手を入れて、キキをもちあげました。
「あっ、あがった。だけど、ふふふ、くすぐったーい」
キキは体をくねらせて笑いました。
予想どおり、満月の光が、東の草山の上からふりそそいでいました。
「さ、行こうかな」
キキはちゃんとしたわかれのあいさつをいうつもりだったのですが、でてきたことばはこんなかんたんなものになってしまいました。肩から荷物の袋をさげると、そばに立てておいたほうきをかかえました。もう一つの手で、オキノさんに買ってもらった赤いラジオをもちあげると、さっきからおとなしく足もとにすわっていたジジにいいました。
「さ、さよならしなさい」
ジジはすっくり立つと、オキノさんとコキリさんを見あげました。
「たのむわよ。ジジ」
コキリさんがいいました。ジジは返事のかわりに、いつものようにしっぽをぱたりと動かしました。
「じゃ、かあさん、すぐ、手紙を書くわね」
「ええ、知らせてね」
「うまくいかなかったら帰ってきてもいいんだよ」
オキノさんが横からいいました。
「そんなことには、なりませんよーだ」
キキがすかさず答えました。
「とうさんったら、今になってあまい顔するんですから」
コキリさんはオキノさんをかるくにらみました。
オキノさんが玄関の戸をあけると、「おめでとう」という声がとびこんできました。町の人たちです。門の前にざっと十人ぐらい、かたまって立っていました。
「あれっ」
キキはびっくりして、ことばになりません。
「ごぞんじだったんですか」
コキリさんもかすれた声でいいました。
「そりゃ、あたしたちのちっちゃなキキと、しばらくおわかれですからねえ」
「それにほれ、おめでたいことですもの」
みんな口ぐちにいいました。
「ときどき帰って、またあの鈴を鳴らして」
「おみやげ話、待ってるわよ」
キキの友だちの声もします。
「うれしいわ。ありがとう」
キキはやっとこれだけいうと、ゆがんだ顔をかくすようにジジを抱きあげました。
「いいお天気で、ほんとうによかった」
オキノさんが空を見あげて、ぽつりといいました。
何度も「さよなら」のことばをかわしたあと、キキはほうきの前にラジオをさげ、うしろにジジを乗せて、飛びあがりました。ほうきがすこし浮いたところで、キキはふりかえって、コキリさんにおわかれをいいました。
「かあさん、元気でね」
すこしはなれてからでないと、自分もコキリさんも泣きだしてしまうと思ったからでした。
「ほら、ほら、よそみしちゃだめよ」
コキリさんのいつもの声が追いかけてきました。そのことばに、みんながどっとあげた笑い声もいっしょに。
キキはほっとしていました。こんなとくべつのときでも、かあさんはいつものかあさんらしいほうがいい、とキキは思ったのでした。
「さようなら」
キキはもう一度、大きくさけぶと、一気にのぼっていきました。みんなのふる手がひらひらと見えて、それもだんだんとぼやけると、町全体の灯が星空をさかさまにしたようにまたたきはじめました。まんまるの月が、キキを見まもるように浮かんでいます。
やがて、町の光も遠のいて、目の下に見えるのは黒々とした動物の背中のような山ばかりになりました。
「どっちに行くか、はやく決めてよ」
うしろからジジがつっつきました。
「ええとー」
キキはあわてて四方を見まわしました。
「南、みなみに行きたいの。南へ行くとね、かならずいつかは海に出るってきいたことあるの。あたし、一度でいいから、海ってもん見てみたいのよ。いいかしら、ジジ」
「いけないっていっても、いいんですかね」
「おねがい、いわないで」
キキはちょっとほうきをゆすってさけびました。
「どうして女の子って、こうむだな質問するんだろう。でもね、まちがいなくたのみますよ。さがすのは海じゃなくて、町ですからね」
「はい、承知してますとも。さーて、南、南は……と」
キキはきょときょと見まわしてから、ほっとしたようにいいました。
「わかったわ、こっちよ。お月さまが左にあるからまちがいなし」
そして口笛をひとふきすると、ぐんぐん速度をあげていきました。ぶつかる風は強くなり、ほうきの房が川の流れのような音をたてはじめました。
ときどき黒い山のあいだに、あかりがぽつりぽつりと見えることがありました。急に灰色の畑が見えることもありました。でもそれはほんのちょっとのことで、また山、山とつづいています。
キキは、どんどん、どんどん飛びつづけました。東の空がうっすらと白くなりはじめました。空の白い部分は夜を追い出すように、みるみる広さをましていきます。すると、今まで灰色とこい青の世界だったものが、いろいろな色をつけはじめました。低い山は春のやわらかい緑におおわれ、空中に浮きあがろうとでもしているように軽やかに見えます。とがった岩山もぬれたように光りはじめます。キキはお日さまのほんの一すじが、世界をこんなに美しく変えてしまうことに、胸がどきどきするほど感動していました。
せまい谷間に小さな村が見え、煙突からけむりが一すじ、二すじと横に流れていきます。
まもなく山のあいだにきらりと光って、細い川が見えてきました。それはかくれたり、現われたりして、だんだん大きくなっていきました。
「あの川にそって飛んでみよう。川の終りは海っていうもの」
キキはラジオのスイッチをひねり、流れだした音楽にあわせて口笛をふきはじめました。ほうきはちょうど追風をうけて、元気よく飛びつづけました。
「あたしね、かあさんがあんなこといってたけど、小さな町はやっぱりいやだなあ」
キキは急にひとりごとのようにいいました。
「じゃ、どんな町ならいいのさ」
風の音とラジオの音に負けまいと、ジジが声をはりあげました。
「そうねえ、かあさんの町より大きいのがいいな。高い建物があって、動物園があって、汽車が出たり入ったりする駅があってさ。それに遊園地……ジジはどう?」
「よくばりだなあ。ぼくは……ただお日さまがあたる屋根があれば……それからお日さまのあたる出窓があれば……それにお日さまのあたる廊下があれば……」
「あんた、寒いんじゃないの?」
「うん、すこし」
「じゃ、こっちにいらっしゃい。えんりょしないでなんでもいわなきゃだめよ。これからはふたりきりなんだから」
キキはそういいながら、背中にかじりついてきたジジをひざの上に乗せました。
「ねえ、キキ、あの町どう?」
しばらくすると、ジジがとつぜん首をのばしていいました。ま下に見えるその町は、ぐるりと低いきれいな緑の山にかこまれて、お皿のような形をしています。赤や青の屋根がかたまって、スープに入ったにんじんやグリーンピースのように見えます。
「きれいね」
キキがいいました。
「こういう町がいいんだよ、きっと。住むにはさ」
ジジがこころえ顔でいいます。
「だけど……ちょっとちっちゃすぎる……あれ? あそこ」
キキが急に大きな声をあげて指さしました。それははるか下のぽちんとした黒い点で、だんだん近づいてくるのをよく見ると、ひとりの魔女が、肩に黒猫を乗せてほうきで飛んでいるのでした。でも、がくがくと、あばれ馬にでも乗っているように見えます。
「ちょっと行ってみようか」
キキはぐっとからだを下にむけました。
「あら」
その人はキキを見ると、あいかわらずがくがく飛びながら目をまるくしました。キキよりちょっとおねえさんみたいでした。
「まあ、なつかしいこと、おなかまに会えるなんて。どこからきたの? あれ、もしかしたら、あなた、きょうはたいせつなあの日なんじゃないの?」
その魔女は、すばやくキキの全身に目を走らせるといいました。
「そうなの、きのうの夜
キキは、ほうきを彼女の横につけて飛びながらいいました。
「そりゃ、わかるわよ。おしゃれしてるしさ。顔がこわばっているしさ。あたしもだったもの」
「そう、やっぱり、こわばってる? あたし、平気なつもりだったけど……」
キキは、ふふふっと笑いました。
「あなたはいつだったの」
「もうすぐ一年目」
「この町はどう?」
「やっと慣れたとこ」
「やっぱりたいへんだった?」
キキはすこし心配になって目をよせました。
「あたしはね、まあまあだいじょうぶだったわよ」
おねえさん魔女は得意そうにちょっと首をすくめました。まるい顔の両側にぷっくりとえくぼができて、やさしい顔になりました。
(この顔だわ)
キキはコキリさんが「笑い顔」といったことばを思い出していました。
「それで、何をして暮らしていらっしゃるの」
「占いやさんよ。この猫のププとね。あたし、ひとの気持がなんとなくわかるもんだから。よく当たるって評判なのよ。おせじかもしれないけどねえ……まあ町の人ってやさしいから」
「いいわねえ。それにもうじき、里帰りでしょ」
「そう、そうなの。胸はって帰れるから、それだけでまんぞくよ。でもねえ、こう見えても、たいへんなときもあるのよ」
「そうでしょうねえ。ほうきもこわれちゃってるみたいだし」
「あっははは、これはちがうのよ。あたし飛ぶのがへたなのよ。でもたまには飛ばないと、魔女だかなんだかわからなくなっちゃうでしょ、それもこまるのよ。せっかくひとり立ちしたんですものね。きょうはね、むこうの山の牧場のめ牛のごきげんがわるいから、ちょっとみてくれっていうもんで、朝早くからこうして出かけてきたの。占いとはいえないけどね……」
「まあ、牛の?」
「たのまれたらいやっていわないのが、魔女の仕事のこつよ。このめ牛はちょっとばかり変わっててね、人間に似てるのよ。このあいだなんて、首にさげてもらった鈴の音が気にいらないって、だだこねたんだから」
「まあ、ぜいたく」
キキは笑いました。
「音楽ずきっていうのかしらね。鈴をかえて、しばらくそばで歌をうたってやったらきげんをなおしたわ。だけど、このめ牛の飼い主のおかみさん、お礼にとってもおいしいチーズをくださるの。いいにおいで、ストーブであぶると、びゅーんってのびるのよ。とってもたのしみ」
「うらやましいわ。うまくいってて」
「あなたもだいじょうぶよ。あたしと同じでかわいいしさ。あたしと同じで頭もわるくなさそうだし、飛ぶのうまくて、ちょっとおてんばさんのようだけど……まあがんばりなさいね。じゃ、あたし、いそぐから」
おねえさん魔女は手をひらひらさせると、あいかわらずがくがくゆれながらはなれていきました。
「なんだか、あの人、ついでにじまんしてったみたいだ」
ジジが小声でいいました。
「でも、あたしのこと、ほめてくれたわ」
「そうかなあ。あの猫、すましちゃってさ。あいさつもしない。先輩ぶってさ」
「おや、まあ、ジジったら、話したかったんじゃないの。そういうときは、あんたからあいさつするもんよ」
「べつに、ぼくは……」
ジジは鼻を鳴らしました。
「さ、あたしはあたしで、自分のことを考えなくっちゃ」
キキはいきおいをつけて、ぐるっとまわれ右すると、飛びつづけました。
キキはどんどん飛んでいきました。よさそうな町もいくつか見えました。そのたびにジジが「はやく決めちゃえば」と文句をいっても、キキは「海まで」といいつづけました。「もうちょっと、ちょっとだけ」と、同じことばをくりかえすのでした。
やがて山がだんだん少なくなり、かわって畑や村や町がつぎつぎと見えてきました。川は今ではずっと広くなり、大きくまがりくねって流れていきます。水の上にはキキたちの影が小さくうつって、まるで魚が泳いでいるようでした。
「あっ、あれ、海じゃないの」
ジジが大きな声をあげました。
下にばかり気をとられていたキキが目をあげると、はるか遠くに、すうっと一本の線が光り、青い空と海を二つにわけていました。
「そうよ、あれが海よ、まちがいないわ。あんた、見つけるのはやいわねえ」
「なんだ、大きな水たまりじゃないか」
ジジはものたりなさそうです。
「でもすごい、すごいじゃない」
キキはむちゅうで声をあげながら、目のとどくところはじからはじまでながめて、ふと、川が海へ入ろうとしているところにひろがっている町に気がつきました。
「あっ、あの町、あっ、大きな橋」
キキがまた声をあげました。
「あっ、汽車」
同時にジジもさけびました。
「さ、いそいで行ってみよう」
キキはぐんとスピードをあげました。
近づくとそこは、思っていたよりもずっと大きな町でした。四角や三角の高い建物がいくつも空へむかってつきでています。キキはぐるりと見まわすと、うきうきした声でいいました。
「あたし、ここに決めたわ」
「でも、大きすぎるんじゃない? コキリさん、いってたでしょ。大きくてにぎやかなのは考えもんだって」
ジジはすこし心配そうです。
「だけど、あたし、気にいっちゃった。ほら、あの塔を見てよ」
キキが指さした高い時計台は、ほぼ町の中央にあって、まるで天にのぼるはしごのようにそびえていました。
「あそこを持ってさ、この町をコマみたいにくるっとまわしたら、おもしろいでしょうねえ。影があんなにのびて、町ぜんぶが日時計みたいじゃない」
キキは目をきらきらとさせて、下をのぞいています。
「ずいぶん、いせいのいいこというじゃない。でもさっきの町みたいに、もう魔女が住んでるかもしれないよ」
「おりていって、きいてみなくちゃわからないでしょ」
キキはほうきの柄をぐっと下にむけ、ゆっくり町の通りへおりていきました。
ちょうどそのころ、通りは午後の買い物の人でにぎわっていました。キキが石だたみにとんと足をついてとまると、みんなびっくりして立ちどまりました。中にはこわがってよける人や、人のうしろにかくれる人がいて、たちまちキキを遠まきにして人垣ができてしまいました。キキはあわててほうきから足をはずすと、ジジを肩に乗せ、にっこりと笑い顔をつくりました。
「あの……あたし、魔女のキキっていうんですけど……」
「ほほう、魔女かい。今どきめずらしいねえ」
ひとりのおばあさんが、めがねを動かしてじっとキキを見ました。
「あら、それなら、この町に今、魔女はいないんですね。ああよかった。あたし、魔女のキキ、そしてこれ、黒猫のジジです。おじゃまさせていただきます」
キキはそういうと、まわりを見まわして、とくべつていねいにおじぎをしました。
「おじゃまさせていただくって、このコリコの町にかい?」
男の人が口をはさみました。
「そんなことだれが決めたの? あの新しい町長さんかしら」
女の人の声がしました。
するとみんな、となりの人と顔を見あわせて、かってにいろいろしゃべりはじめました。
「魔女がいると、何かいいことあるんですか?」
「今どき空を飛ぶなんて、へんだと思いません?」
「町にひとりぐらいはいるもんだって、むかしからいいますけどねえ。今までいなくっても、どうってことありませんでしたねえ」
「かあさん、魔女って魔法を使うんでしょ。おもしろそうだね」
「とんでもない、こわいことするのよ」
「まさか、何か悪いこと、たくらんでるんじゃないでしょうな」
キキはつぎつぎとんでくる、あまりやさしいとはいえないことばをきいているうちに、胸がきゅっといたくなってきました。それでも、笑い顔、笑い顔と自分をはげましながら、何かいわなくてはと思っていました。
「あたし、この町に住まわせていただきたいんです。きれいだし、時計台もすてきだし」
「気にいっていただいたのはけっこうですけどねえ」
「でも、めんどうはごめんですよ」
「まあ、ごかってに」
みんな、それぞれおしゃべりをして気がすんでしまうと、ばらばらとまたちらばって、町の中に消えていきました。
キキは今までの元気はどこへやら、すっかりしょげかえりました。この町に魔女がいないときいたとき、めずらしがってみんなが歓迎してくれると思いこんでしまっていたのでした。朝から何も食べずに飛びつづけてきたつかれもどっと出て、このまま体がどこかへしずんでいくような気がしました。
キキが生まれた町の人は、魔女と暮らすのをよろこんでくれていました。
「魔女ってね、時計にさす油みたいなものよ。いてくれると町がいきいきするわ」
と、とてもたいせつにしてくれたのです。毎日、おすそわけですよ、とだれかが何かおいしいものをもってきてくれました。もちろんキキたちもお返しのおすそわけをしました。コキリさんのくしゃみ薬をわけてあげたり、また、古くから使っている薬草の名前をおしえてあげたり、ひとり暮らしのお年寄りとあやとりをしてあげたり、ほうきに乗って、わすれものをとどけてあげたり、もちつもたれつ暮らしてきたのでした。
生まれてからずっと、こんなふうでしたから、今「ごかってに」ととつぜんいわれても……はじめての町で、しかもひとり立ちしたばかりというのに、どう〝ごかってに〟暮らせばいいのか、とほうにくれてしまいます。
キキは通りをはずれると、ほうきをひきずってしょんぼり歩きはじめました。
「コキリさんがいったようにさ、やっぱり、大きな町ってよくないんだよ」
肩の上に乗ったままのジジが、耳もとでぽつんといいます。
キキはなみだがあふれないように、わざとゆっくりうなずくと、
「どうしよう……ねえ」
とつぶやいて、ジジのしっぽをなでました。
「どうにかなるさ」
ジジはわざとそのしっぽを元気よくふりました。
もうすぐ夜になるでしょう。食べものはコキリさんがつくってくれたおべんとうがまだそっくりあります。でも、ねるところはどうしたらいいのでしょう。宿に泊まるお金はあっても、この町で魔女を泊めてくれるところがあるでしょうか。キキはすっかり自信をなくし、ただおろおろと歩いていきました。
「ちぇっ、魔女も弱くなったもんだよ。むかしだったらさ、こんな町なんて、ただじゃおかないんだけど。あの塔を持って、この町ごと、どこかの山のてっぺんにでも乗せちゃうんだけどなあ」
ジジはキキをはげますように、急に大きな声でいいました。キキはだまってちょっと肩をすくめました。
どこをどう歩いたのか、あちこちうろついているうちに、せまい通りにきていました。高い建物にかわって、小さな家がよりかかるようにならんでいます。いつのまにか日も暮れて、両側の店も戸をしめようとしていました。食事中でしょうか、お皿のふれあう音や、笑い声が窓のむこうからひびいてきます。
とつぜん、すぐ前の、半分しまりかけたパン屋さんの中から女の人のかん高い声がきこえてきました。
「あれっ、まあ、あのおくさんたら、たいへんなものをわすれて。ちょっと、あんた、とどけてあげてよう」
キキは自分にいわれたのかと思って立ちどまりました。するとつづいて、男の人の声がきこえてきました。
「なんてさわぎだい。たいへんたって、たかが赤んぼうのおしゃぶりじゃないか。赤んぼうをわすれてったわけじゃないだろう。おれはこれから寄合があるんだよ。あしたの朝になったらひとっぱしりとどけに行ってやるよ」
「それじゃこまるからいっているのに。あそこはいいお得意さんなんですよ。遠いところから、それも赤ちゃんをつれて、うちのバタパンを買いにきてくれるんですから。たかがおしゃぶりっておっしゃいますけどねえ、赤ちゃんにしてみりゃたいせつなものよ、あんたのパイプと同じです。かわいそうに、今夜あの子は、ねむれないわ。いいですよ、あたしが行ってきますから」
パン屋のおかみさんらしい人が、シャッターをくぐって店の前に出てきました。中から男の人の声が追いかけてきました。
「おい、だめだよ。そんな体で、大川こえていくなんて」
見ると、おかみさんは今にも赤ちゃんが生まれそうな大きなおなかをしています。手にはゴムのおしゃぶりをしっかりにぎっていました。
おかみさんはふりむいていいました。
「じゃ、あんた、行ってくださるの」
「あしたならな」
「ふん」
おかみさんはぐっとあごをしゃくりました。
「あんたも、もうじきおとうちゃんってもんになるんですよ。そんないじわるなおとうちゃんなんて……」
おかみさんは店の中にむかってこういうと、ずんとつきだしたおなかを両手でかかえて、歩きだしました。肩が大きくゆれ、息が苦しそうです。
「あのー」
キキは思わず追いかけると、声をかけていました。
「あたしでよかったら、かわりにおとどけしましょうか」
おかみさんはふりかえると、二、三歩うしろにさがりました。それから、すばやくキキの頭のてっぺんからつまさきまで見まわしました。
「あなた、おわかいおじょうさんなのに、黒いお洋服着て、それにほうき持って、煙突そうじ屋さん?」
「いえ、あの……じつはあたし……ついさっきこの町にきたばかりの、魔女なんです」
キキはおそるおそるいいました。
おかみさんは大いそぎでまたキキをながめました。
「へえー、魔女? へえー、魔女なの。話にはきいていたけど、見るのははじめてよ、あたし」
おかみさんは肩で大きく息をしました。
「でも、まさか……ほんとうはお芝居の女優さんなんでしょ」
キキはあわてて首をふりました。
「いえ、ほんとうなんです。ですからあたし、とどけることならかんたんにできますから、お役にたたせていただきますわ」
キキはていねいにいいました。
「ほんとの魔女、ねえ……。でも、ちょっぴり遠いのよ。それでもいいの?」
「ええ、いくら遠くてもけっこうですけど……あまり北のほう、北極なんてことないでしょ。あたし、こんな薄着で、マント持ってないんです」
おかみさんはぷーっとふきだしました。
「あたし、なんだか、あなたのこと気にいったわ。じゃ、おねがいしてもいいかしら」
「ええ、もちろん」
キキも笑ってうなずきました。でもふと心配になっていいました。
「あの……おくさん」
「やだ、おくさんなんて、あたしはパン屋のおソノさんで通ってるの」
おかみさんは顔の前で手をふりました。
「じゃ、あの……おソノさん、あたし空を飛んでいくんです。それでもかまいません?」
「また、そんな大げさなこといって。飛行機なんて乗らなくていいのよ」
「いいえ、ほうきに乗るんです」
「えっ」
おソノさんは首をかしげて、口をぱくぱくあけたりしめたりすると、やっとつぶやきました。
「きょうはへんてこな日だわねえ」
それからぶるんと頭をふっていいました。
「魔女だろうが、かかしだろうが、飛ぼうが、泳ごうが、あたしはかまいませんよ。話をややっこしくするのはあまりすきじゃないもんで。今、たいせつなのは、おしゃぶりをとどけることですから」
「そうおっしゃっていただくと、あたしも気がらくだわ」
キキはにっこり笑いました。ジジも肩の上でしっぽをふってあいきょうをふりまきました。
「そうと決まれば、はやいとこおねがい」
おソノさんはエプロンのポケットをさぐりながらいいました。
「すぐ地図を書くわね。それと、あんたを信用しないわけじゃないけど、とどけたらこの地図に赤ちゃんのおかあさんの名前を書いてもらってきてよ。そうしたら、あたし、何かお礼ぐらいはしますよ」
「わー、やったあっ」
キキは思わず友だちにいうようにさけんでしまいました。それから、地図とおしゃぶりを受けとると、すぐほうきにまたがり、足でどんと地面をけって飛びあがりました。
「あれっ、やっぱり本ものだったの?」
おソノさんのおどろく声が、追いかけるようにきこえてきました。
キキが無事におしゃぶりをとどけると、赤ちゃんのおかあさんは、「たすかったわ」と何度もお礼をいってくれました。大声で泣いていた赤ちゃんもおしゃぶりが口に入ると、にっこり笑ってくれました。
キキはパン屋さんにむかって、また空を飛びながら、とてもいい気持でした。
「たすかったわ」といわれて、さっきからしょげていた心がふうっとあたたかくなってきたのでした。キキはおしりにしがみついているジジにいいました。
「あたしね、だいじょうぶだから、あんたも安心していいわよ」
「ふん」
ジジは鼻を鳴らしました。
「なんだか急におなかがすいてきたよ」
「ほんとだ」
キキは手をのばして、ジジの背中をぽんとたたくと、つづけていいました。
「この用事が終ったら、どこかの木の下にでも行って、かあさんのつくってくれたおべんとう食べよう。でもすこしにしておこうね。だいじに食べないとね。お月さまがあんなに大きくって、やっぱりたすかるわねえ」
パン屋のおソノさんは、さっきと同じところに、さっきと同じように空をむいて口をあけたまま立っていました。キキがしずかに着陸すると、とびつくようにしていいました。
「空を飛べるって便利ねえ。おねがい、あたしにも飛びかた、おしえて」
「それはむりなんです。魔女の血が流れていないと飛べないんです」
「そうなの……」
おソノさんはざんねんそうな声をあげました。
「あたしだって、流れていないとはかぎらないけど……どう? 見えない?」
おソノさんは大きなおなかから両手をはなして、鳥の羽のようにひろげると、ばたばたと動かしました。
キキは目をふせて、ちょっと笑いました。
「やっぱり魔女じゃないみたいだわ」
「やっぱり? どうしてわかっちゃうの?」
「なんとなくなんです」
「まっ、つまらないこと。でもむりでしょうねえ、うちのおばあちゃん、そのずっと前のおばあちゃんだって、魔女だったって話はきいたことないんですものね。あっ、そうそう、赤ちゃん、どうでした?」
キキは、名前を書いてもらった地図をおソノさんにさしだしました。
「泣いていたけど、すぐごきげんになって……あたしもうれしくなっちゃった」
「それはよかったわ。ところで魔女さん、お礼をしなくちゃね」
「どうぞキキって呼んでください。お礼なんてとんでもないですわ。いい方にお会いできて……それだけで、もう……あたし、ついさっきこの町についたばかりなんですもの」
「まあ、欲のないことねえ。きょうの売れのこりでわるいけど……」
おソノさんはそういいながら、お店の中からバタパンを五つかかえてきてキキにわたしてくれました。
「まあ、おいしそう。それでは、いただきます」
キキは思わずはずんだ声をだしてそれをうけとると、ていねいにおじぎをして、立ち去ろうとしました。
「ねえ、魔女さん、あっ、キキっていうんだったわね。あんた、この町にきたばかりっていってたけど、今夜はどこに泊まるの?」
おソノさんが声をかけました。
「………」
キキはふりむくと、ジジを抱いたまま、しょんぼりと下をむいてしまいました。
「まさか、泊まるとこがないっていうんじゃないでしょうねえ」
「………」
「なんで、それをはやくいわないの。それじゃ、うちの粉置場の二階を使いなさい。小さいけどベッドが一つあるし、まあまあ水も出るわ」
「えっ、ほんとですか」
キキは思わずジジを抱きしめてさけびました。
「もし気にいらなかったら、あした、もっといいとこさがせばいいわ」
「いいえ、とんでもない。たすかりました。あたし、ほんとは、こまっていたんです。でも、いいんですか。あたし、魔女なんです。この町の人たちはあまりおすきじゃないようですけど」
「あたしはあなたのことを気にいったわよ。安心してよ。それに魔女をうちに泊めるなんて、たぶんちょっとすてきなことだと思うの」
おソノさんは、またしょんぼりしてしまったキキのあごに手をあてて、上をむかせると、ぱちりと片目をつぶってみせました。
パン屋さんのとなりにある粉置場は、どこもかしこもうっすらと粉をかぶって白く見えました。キキとジジは、安心しておべんとうを食べると、つかれきって、ベッドにもぐりこみました。
「ぼく、あしたになったら、白猫になってるんじゃないかな」
ジジは自分の体を見まわして、小さなくしゃみをしました。
「でもジジ、あんたのすきな、お日さまのあたりそうな出窓があるじゃない」
キキはほっとしていました。長い旅をして、ひとり立ちの一日はやっと終ろうとしていました。
「ねえ、キキ、あした、どこかほかの町さがす?」
ジジがききました。
「あたしね、もうすこしこの町にいようかと思ってるの。思ったようには歓迎されなかったけど、パン屋のおばさん、あたしのこと気にいってくれたでしょ。もしかしたら、もうひとりか、ふたり、気にいってくれる人がいるかもしれない、そう思わない?」
「うん、まあね。もうふたり、か、三人ぐらいはいるかもしれないよ」
ジジはそういうと、もうすーすーと寝息をたてていました。