2 キキ、ひとり立ちの時をむかえる
お茶の時間のあと、コキリさんとオキノさんが用事で出かけてしまうと、キキは黒猫のジジといっしょに、陽のあたる庭さきにぼんやりすわっていました。
「早く旅立ったほうがいいわね」
キキはひとりごとのようにいいました。
「そうだよ。いまさら、魔女になりたくない、なんていうんじゃないでしょうね」
ジジが頭をあげてキキを見ました。
「まさか。自分で決めたことよ」
キキはきっぱりといいました。そして、はじめてほうきで飛んだときの感激を思いおこしていました。
十歳になるまで、キキはまあまあふつうの女の子としてそだってきました。かあさんが魔女で、自分も十歳になったら魔女になるかどうか決めなくてはならないとわかっていたのですが、あまりそのことを本気で考えたことはなかったのです。十歳になってしばらくたったころ、友だちが、「あたし、かあさんのあとをついで美容師になるんだ」といったのを耳にして、「あとつぎ」ということを急に考えるようになったのです。コキリさんがあとをついでほしいと思っていることはうすうす感じていました。でもキキは、かあさんが魔女だからあたしも、とかんたんに考えるのはどうも気がすすまなかったのです。
(あたしは自分のすきなものになるんだ。自分で決めるんだ)
キキはそう思っていました。
そんなある日、コキリさんが、
「ちょっとだけ、飛んでみない?」
と小さなほうきをつくってくれたのです。
「あたしが? 飛べる?」
「魔女のむすめですもの、だいじょうぶなはずよ」
キキは、そのさそうようないいかたがすこし気になりましたが、めずらしさもてつだって、さっそくかんたんな飛びあがりと着地のしかたをおしえてもらうと、コキリさんのあとについて、おずおずとほうきにまたがって、地をけったのでした。
とたんに体がすっと軽くなり、キキは、なんと、空中に浮いていたのです!
「あたし、飛んでる!」
キキは思わずさけんでいました。それは屋根よりたった三メートルばかりの高さでしたが、とてもいい気持でした。空気も、ほんのすこし青い感じでした。それに、もっと高いところを飛んでみよう、もっと、もっと……そしたら何が見えるかな、何があるかな、もっと、もっと……とまるで体と心をもちあげるようなふしぎな興味がわいてきて、たちまち飛ぶことがだいすきになってしまいました。
そしてもちろん、魔女になる決心をしたのです。
「やっぱり血すじですよ」
コキリさんは大よろこびでしたが、キキは、それだけじゃないわ、あたしが自分でえらんだのよ、と自分にいいきかせていました。
キキは、ぴょんと立ちあがると、
「ねえ、ジジ、あれを見てみようか、ちょっとだけ。かあさんいないから」
庭のすみにある物置のほうに、あごをしゃくってみせました。
「どうして、コキリさんに秘密にするのさ」
ジジは、めんどうくさそうにいいました。
「だってさ、かあさんはひとり立ちのことになると、大げさにさわぐんですもの。それになんでも口をはさみたがるでしょ。とたんに話がややっこしくなっちゃうんだもん」
「まあ、いいけど……さ。でも、あれはたっぷりお日さまにあてなくちゃいけないんだよ」
「ちょっとだけよ」
「そうかな。また抱いてねたりしたら、かびがはえちゃうよ」
「わかってるわよ。あんたも協力してくれなくちゃこまるわ、これからふたりっきりなんだから」
キキは、そういいながら、腰ぐらいまである薬草のあいだをじょうずにすりぬけていき、物置と塀とのすきまに体をななめに入れました。と同時に、うれしそうな声をあげました。
「見てっ」
物置の軒下に、細長いほうきが一本、ぶらさがっています。すこし西にかたむきかけたお日さまにあたって、白く光っていました。
「あんなきれいになったわ。もうだいじょうぶね」
キキは思わずかすれた声をあげました。
「こんどは、うまくいったらしいね」
キキの足もとから顔をのぞかせて、ジジも目をまるくして見あげています。
「ねえ、キキ、ちょっとひとっ飛び、ためしてみたら? いいお天気だし、さ」
「だめよう」
キキは首をふりました。
「あの日までは使わないの。もうすぐよ。あたしはね、なにもかも新しくしていきたいのよ。洋服も靴も、それにほうきもね。生まれたての赤ちゃんみたいにさ。かあさんはすぐ、『古い血すじの魔女だもの、むかしからのことはたいせつにしなくちゃ』っていうでしょ。でもあたしはあたし。新しい魔女なんだから」
「じゃ、ぼくは、どうやって新しくしたらいいんでしょうかね」
ジジはちょっとすねて、ひげをふるわせました。
「だいじょうぶよ。きれいに毛をすいてあげます、ぴかーっと光るまでね。できたてのほやほやにしてあげるわよ」
「ふん」
ジジは鼻を鳴らしました。
「できたての猫なんてさ、お料理みたいにいわないでよ。ひとり立ちするのは、キキだけじゃないんだから」
「そうでした。ごめん」
キキは笑いをこらえて、ジジの目をのぞきました。
「あたしたち、出発するとき、どんな気分かしら」
「キキは泣くよ、たぶん」
「やだ、泣いたりなんてしないわよ」
「ところでいったい、いつにするつもりなの」
ジジはあらためてキキを見あげました。
「もういつでも出発できそうね。思いきって、このつぎの満月の日にしちゃおうか」
「えっ、つぎの?」
「そう、あと五日。決めたら、すぐっていうの、気持いいじゃない」
「大さわぎだね。またまた」
「今夜、あたし、とうさんとかあさんにきちんというわ。ジジ、あたしたち、どんな町に行くのかしらね」
キキはちょっぴりおとなの気分で、空のむこうを見あげました。
「どうなることやら、心配だね。決めたらすぐの人だから」
「あら、そう。あたし、心配なんてしてないわ。心配はおきたときすればいいのよ。今は、贈りもののふたをあけるときみたいにわくわくしてるわ」
はずんだ声でいうと、キキは手をのばしてほうきをつっつきました。ほうきは、うなずくようにぷらんぷらんとゆれました。
その日の夕食のあと、キキはジジといっしょにオキノさんとコキリさんの前に立ちました。
「ご安心ください。出発の日を決めましたよ」
とたんにコキリさんも椅子から立ちあがりました。
「まあ、ほんと? それで、いつ?」
「このつぎの満月の夜にしたわ」
コキリさんはあわてて、壁の暦に目を走らせました。
「えーっ、あと五日しかないわよ。じょうだんじゃないわ。そのあとの満月までのばしなさい」
キキは口をまげて、肩をすくめました。
「ほらね、かあさんの大さわぎがはじまったわ。あたしがぐずぐずしているとおこるし、ちゃんと決めると文句がでるんだから」
「そうだよ、かあさん、おかしいぞ」
オキノさんがいいました。
「そんなこといったって、いろいろ用意もあるし、母親って、たいへんなんですから」
コキリさんは顔を赤くしながら、しどろもどろです。
キキは、そんなコキリさんの前に顔をつきだすと、腰をふってうたうようにいいました。
「あなたのむすめを、信じなさいったら、信じなさい。もう用意はできてます」
それから、「ね、ジジ」と声をかけると、ジジは、返事のかわりにしっぽをぱたりと動かしてみせました。
「まあ」
コキリさんはぽかんと口をあけて、それから目をふせました。
「用意って、どんなことをしたの」
「ほうきよ。新しくつくったの。ジジといっしょに、ねっ。ちょっと待って、今もってくるから」
キキはドアをあけて、とびだしました。
「これよ」
すぐもどってきたキキは、コキリさんとオキノさんの前に、さっきのほうきをさしだしました。
「ほーう。やるじゃないか」
オキノさんが目を細めていいました。
「柳の枝を川の水でさらして、そのあとお日さまにもさらしてつくったの。よくできたでしょ、ねえ、かあさん」
キキはほうきをびゅんとふってみせました。
コキリさんはゆっくり首をふりました。
「とってもきれいだわ。でも、そのほうきはだめよ」
「どうして? 今までの小さなほうきなんていやよ。あたし、空を飛ぶことしかできないんですもの。新しくして、気にいったほうきで飛びたいのよ」
コキリさんはまた首をふりました。
「飛ぶことしかできないから、なおさらほうきがたいせつじゃないの。慣れないほうきで飛んで、もし失敗したらどうするの。はじめがかんじんなのよ。ひとり立ちってね、そんなにかんたんなことじゃないんですから。お金はほんのすこし、きりつめてきりつめて一年やっと食べるぐらいしかもたせられないのよ。そのあと魔女はね、自分のできる魔法で生きていかなければならないの。だからこの一年で、なんとか自分の生きかた見つけなきゃ。かあさんが薬草をつくって、町の人たちのお役にたってきたようにね。かあさんのほうきで行きなさい。あのほうきならようく使いこんであるし、飛びかたもこころえているから」
「いやだあっ、あんなの。すすけて、まっくろくろ。煙突そうじのほうきみたいじゃないの。それに柄もふとくって、ずどーんとしてて、やぼったいんだもん。ねえ、ジジ」
キキは足もとでようすをうかがっているジジにききました。半分うしろをむきかけていたジジは、こんどは大げさにぐるーんとのどを鳴らしました。
「ほら、ジジだっていってますよう。あのほうきじゃ、乗っている黒猫は雨雲とまちがえられちゃうって。柳のほうきなら、ガラスの馬車に乗った花むこさんに見えるのにって」
「まあ、ふたりいっしょになって……」
コキリさんはふきだしました。
「まだまだ子どもねえ。ほうきはおもちゃじゃありませんよ。いずれはこのかあさんのほうきも古くなるでしょうよ、そうしたらキキのすきなのにしなさい。そのときはあなたも一人前になっているでしょうから」
コキリさんは何か考えるように、ふっと目をつぶりました。
キキは口をとがらせて、ほうきでとんとんとゆかをたたきました。
「せっかくつくったのに……これは、どうするのよ」
「かあさんが、かわりに使うわ。それでいいでしょ」
コキリさんのことばに、キキはしばらく自分のほうきを見つめていましたが、顔をあげると、いいました。
「うん、それなら、いいわ。それじゃ、洋服はあたしのすきなのにしてよ。大通りのお店のウィンドーに、いいのが出てるの、コスモスもようよ。あれならきっと花が飛んでいるように見えると思うわ」
「かわいそうだけど、それもだめよ」
コキリさんはまたもむずかしい顔をしました。
「今では魔女だからといって、とんがり帽子も、長マントも着なくなったけど、むかしから魔女の洋服の色はすべての黒の中の黒って決まっているの。これは変えられないのよ」
キキはもう、ふくれっつらです。
「古くさいんだから、ほんとに。黒い魔女に黒猫、くろぐろじゃないの」
「古くさいのはしかたがないわ。古い血すじの魔女ですもの。でも黒い洋服って、形ですてきに見えるものよ。かあさんにまかしといて。大いそぎでつくるからね」
キキは「また古い血すじ……」とつぶやくと、返事のかわりにくちびるをぴっとつきだしました。
「キキ、そんなに、形ばかりにこだわらないの。心がたいせつよ」
「かあさん、わかってるわよ。心のほうはまかしといて。お見せできなくてざんねんです」
キキは、あきらめ顔であごをしゃくると、オキノさんのそばにすいっと寄っていきました。
「とうさん、ラジオはいいでしょ。あたし音楽をききながら飛んでいきたいの。赤いラジオがいいんだけどな」
「よし、よーし、ひきうけたよ」
オキノさんは笑ってうなずきました。コキリさんもこんどはにこにこしています。そして、ふとうしろをむくと、
「さ、もういいわ、おやすみなさい、キキ」
と、いいました。右手がエプロンのすそをにぎって、そっと目のほうにもちあげられたようでした。