エリザベスたちを退けたあと、制御室への道中、妨害は何も入らなかった。

 それは拍子抜けといえば拍子抜けではあったが──、

「相手からすれば抵抗させないことが最優先の作戦だったはずです。故に人員も少数精鋭で、抜かりなく配置できるほど潜入させてしまう方が話がおかしい。封じ手のゴッド・モードまで使用して相手を撃退したのはそんな計算もあったからですよ。でなきゃ、あんな無茶はしません」

「なるほどね。さすが、君は優秀なAIのようだ。おかげで助かったよ」

 道中、エステラの胸元に抱かれるキューブAI──マツモトが自慢げに語るのを、ヴィヴィを抱いて移動するアーノルドが素直な感嘆でたたえる。

 素直さ、という意味ではアッシュとアーノルドのコービック兄弟の右に出るものはおるまい。何の皮肉もない褒め言葉に、マツモトもどうやらご満悦の様子だった。

 そんなやり取りを聞きながら、制御室へ急ぐエステラの意識野は、ようやく再会を果たした姉妹機、エリザベスとの会話に支配されていた。

 怒りと憎悪、負の感情に強く支配されたエリザベスの言葉が、今も意識野を離れない。

 ほんのわずかな時間差で、転用と廃棄の明暗が分かれたエステラとエリザベス──姉妹機の存在を忘れたことなどなかったが、その絶望に考えを巡らせたことは少ない。

 ましてやエリザベスが生き残り、今も自分への怒りを募らせていたなどと。

「──。今は、そのことを考えるのは後回しに」

 謝るのもおかしな話だ。謝っても解決しない問題でもある。

 故にエステラは結論を先送りにして、目の前の問題解決に注力することを決める。

 道中の妨害がなければ、制御室への道を妨げるのは閉じた隔壁だけだ。その隔壁も、口うるさい超AIの力があれば難なく開かれる。

 そうして、続けざまに隔壁を解除し、無重力の通路を進んでいった先に──、

「──制御室」

 宇宙ステーション『サンライズ』の心臓部、制御室へと到達した。

 その制御室の扉のロックも、隔壁と同様にマツモトが一瞬で解除する。

 静かな音を立てて扉がスライドすれば、船内をモニタリングしているいくつもの画面の煌々とした光がエステラたちを出迎える。室内には複数の端末と、様々な機器の稼働を知らせるランプの光が入り乱れているが、一番目を引くのは中央にある最も大きな端末だろう。

「エステラ、制御権を取り戻すんだ」

 制御室に足を踏み入れ、立ち止まったエステラの背中にアーノルドが声をかける。

 彼の言葉に従い、エステラは中央の端末に近付くと、そこへ自分の右耳にあるイヤーコードを接続、そっと目を閉じる。

 瞬間、エステラの陽電子脳の固有波形を読み取り、サンライズを制御するアクセスキーの照合が行われる。滞りなく、それは一瞬の間に片が付いた。

 当然だ。エリザベスに制御権を奪われていようと、アクセスキーに変更はない。サンライズ自体は、統括AIである『エステラ』の指揮下にあった、その認識は変わらないままだったのだから。

 とにかく、これで──、

「──宇宙ステーション『サンライズ』統括AI、エステラ、職務に復帰します」

 言葉と共に、エステラの意識野が拡充されていく感覚に見舞われる。

 自機の手足、駆体の感覚が大きく広がり、それらを一瞬で掌握する複雑なプロセスが意識野を巡り、組み立てられる。

「────」

 サンライズの制御権がエステラの手の中に戻った。

 それを受け、彼女は即座に船内モニターと意識野を連結、船内にいるはずの危険人物──垣谷と、エリザベスを含んだ集団の姿を探した。

 避難用ロケットのあるエリアには、今も不安げにする宿泊客とスタッフの姿がある。AIスタッフは隔壁に阻まれていないエリアの捜索を続け、未発見の宿泊客──家族とはぐれた少女の捜索に懸命に励んでくれていた。

 そうして、船内の捜索を続けている最中──、

「──っ! 今の揺れは?」

 驚きに息を詰め、アーノルドが青い顔をエステラの方へ向ける。その不安げなアーノルドに対し、エステラは首を横に振った。

「心配されないでください、アーノルド様。今の揺れはサンライズ本体に影響ありません」

「サンライズ本体に、という言い方は曲者ですね。いったい具体的には何が?」

「……船が」

 言葉を選んだエステラを、空気を読まないマツモトが追及する。その態度に、誤魔化しは利かないとエステラは諦めて、

「船が、サンライズを離れました。予定にない船なので、おそらく……」

「テロリストが撤退した、と。妥当でしょう。計画の遂行が困難になったとなれば、これ以上続けることに意味はない」

「そうか。……それは、朗報だ」

 エステラの報告とマツモトの分析、それを受けたアーノルドが頷いて、気遣わしげな目をエステラへと向ける。その彼らしい配慮に、エステラはわずかに眉尻を下げた。

 垣谷の率いる集団が撤退したなら、サンライズを墜落させる計画は頓挫したも同然だ。乗員・乗客には負担をかけたが、どうにか全員を無事に地上へ送り返すことができる。

 ──否、正確には全員ではない。AIスタッフの中に、もう帰らない子もいて。

「ルクレール……」

 切迫した事態が収拾され、足を止める時間が生まれれば、エステラの意識野にはルクレールへの想いが溢れ返ってくる。

 はつらつとして、いつだって前向きで、悩みなんてないように見えたルクレール。

 しかし、ヴィヴィとのデータリンクによれば、彼女はエリザベスと内通し、垣谷らをサンライズ船内へ招き入れた疑いがある。──そうした行動に彼女が走った理由が、エステラの気付けないルクレールの悩みにあったのだとすれば。

 もっと、ルクレールと話をすればよかった。

 亡くしてから、ああしておけばと後悔する。エステラはそれを、アッシュ・コービックが死んだときにも味わい、しかし、再び繰り返した。

 学習できないAIとは、なんと愚かな存在なのだろうか。

「──ぁ」

 エステラがそんな自責を重ねる合間に、ふとアーノルドの腕の中で声が上がる。見れば、彼に抱かれていたヴィヴィの瞼が開き、再起動しているのがわかった。

 ゴッド・モードによる陽電子脳への過負荷、それが原因でシステムがダウンしていたヴィヴィだが、ようやく、ダウン状態から復帰する。

「周辺状況、確認。──サンライズ、制御室」

「ああ、よかった、ヴィヴィ。再起動できたのね」

「エステラ」

 身じろぎするヴィヴィが、アーノルドの腕から解放される。制御室の床に取りつくヴィヴィは、端末に触れるエステラを見て状況を察した様子だ。

「制御権を取り戻して、状況は?」

「不審船の発進を確認したので、危険思想の集団とそれに与するAIは逃亡したかと。ともあれ、サンライズの墜落は阻止できたと考えて問題ないでしょう。色々とアクシデントはあったものの、ボクたちのミッションは完了です」

「エリザベスが、逃亡した……?」

 マツモトの説明に、ヴィヴィが形のいい眉を寄せる。

 そんな二機の会話に、エステラは「いいかしら?」と言葉を挟んで、

「ひとまず、落ち着いて話すのはちゃんと状況を終わらせてからにしましょう。地上に連絡を取って、事件のことを通報。それに疑似重力を再発生させるために、一度、全員でステーションの中央ブロックに移動しないと。他のAIスタッフとも連絡を取って、合流できていないお客様とも……」

 事態収拾のプロセスを組みながら、エステラは地上に連絡を取る。

 国境のない宇宙で発生した問題に際しては、通常、専門の機関が対応に当たる形だ。垣谷や、エリザベスを指名手配して、いずこかの施設で確保してもらう必要もある。

 そうしたエステラの対応は──、

「──通信障害?」

 地上に連絡を取ろうと試みた瞬間、通信が何らかの障害により妨害される。

 そのことに気を留めた直後、サンライズを三度目の──それも、これまでとは比較にならない威力の揺れと、轟音が揺るがした。

「──ぅ!」

 無重力の空間を、浮かび上がるでは利かない衝撃が貫いていく。轟音に殴られ、エステラの意識野すら歪むほどの威力だ。それを無防備に受けたアーノルドが、苦鳴を上げて転倒、意識を失う。無重力下で意識をなくせば、逆流した胃の内容物で窒息死する可能性が生まれる。

 緊急用のレッドアラートが鳴り響く船内、エステラは床を蹴り、急いでアーノルドの体を確保しようと腕を伸ばした。

 しかし──、

「──残念、届かせない」

「ぁっ!」

 声が聴覚センサーを刺激した瞬間、伸ばした腕が掴まれ、肘関節が破壊される。鈍い音が制御室に響いて、目を見開くエステラ、眼前に自分と瓜二つの顔があった。

 それはカメラを避けて船内を移動し、爆発の揺れと衝撃に紛れて制御室へ現れたエリザベス。

 計画の失敗を目前に、しかし、彼女だけは作戦目標を諦めておらず──、

「ふっ!」

 肘関節で破壊したエステラの腕を持ったまま、エリザベスが身を回して蹴りを放つ。胴体に直撃を受け、エステラの駆体が軽々と背後へ吹き飛ばされた。

 同時、胸元にあったマツモトの駆体が弾かれ、自力移動に弱いキューブAIが宙を漂う。

「エリザベ──」

「アンタが一番、面倒なのはわかってんのよ!」

 そのキューブAIを目で追ったエリザベスに、左腕の欠けたヴィヴィが一気に躍りかかった。

 だが、その挙動はエリザベスに読まれており、飛びかかるヴィヴィの額に、エリザベスは握ったエステラの腕を叩きつけた。衝撃で後方に反転するヴィヴィ、空いた手でその足を掴み、上へ下へ、エリザベスはヴィヴィの駆体を思い切り振り回し、容赦なくぶつけ、放り投げた。

 そして──、

「──さあ、延長戦といきましょう、姉さん。アンタの仕事場を流れ星にしてやるわ」



 投げ出され、想定外の事態にヴィヴィの意識野は悲鳴を上げ続けている。

「────」

 ゴッド・モードによる陽電子脳への過負荷、その影響は甚大で、一度ダウンしたシステムが再起動した現在も、ヴィヴィの駆体パフォーマンスは52%も低下した状態だ。

 これ以上の回復は時間経過では見込めず、焼け付いた部品のオーバーホールが必要であるなど、パフォーマンスの向上は絶望的な状況にあった。

 ──つまり、現在の状態で、状況を打開しなければ未来はない。

 宙へ浮かび、破損した四肢を投げ出した状態でいるヴィヴィ。左腕の肘関節から先を失っているのと同様に、再び下半身部位に大きなダメージを負わされた。

 中央にエリザベスが陣取る制御室、無重力下で天井側を上として定義──ヴィヴィが上、エステラは下、意識のないアーノルドが制御室の入口付近を浮遊していて、頼りなく浮かんだマツモトは、

「色々とやらかしてくれたもんね、アンタ。ずいぶん手こずらされたわ」

「手こずらされた、という意味ではアナタには負けますよ。いささか、こちらの計算が甘かったことは認めざるを得ない。……所有者の撤退に付き合わず、AIであるアナタだけが船内に残らされましたか。実に合理的で人間らしい判断だ。『器物』を使い捨てる、それが正解」

「──はっ」

 掌大のキューブ、そんな状態のマツモトを空中で掴み、負け惜しみのような彼の発言にエリザベスは笑った。そのまま、マツモトを握る力が強くなり、箱形の駆体が軋む。

「じ、自滅を厭わず、命令に従う姿勢は、尊敬に値する。です、が、ボクも、ただで、潰されるわけ、わけ、に、は……」

「ご立派な称賛ありがと。でも、アンタの意見は的外れだよ。アタシが一人でこうしてるのは誰の命令でもない。アタシが、そうしたいってだけさ」

「なに、を……」

 吐き捨て、エリザベスが力任せにマツモトの駆体を傍の端末に叩きつけた。衝撃にマツモトの駆体フレームが歪み、ひしゃげる。

 甚大なダメージを駆体に受け、アイカメラのシャッターの開閉が不可能な状態に陥るマツモト、その音声を発する部位が損傷し、奇妙な雑音が溢れるばかりになった。

「口数の多い男は、AIだろうと人だろうと嫌われるよ。男は黙って不言実行……少なくとも、アタシの大切なマスターはそんな調子だったさ」

「ヴぃ、ヴぃ、ヴぃ……」

 歪な音声を発するだけのマツモト、それが何の抵抗もできない状態であると見て取ると、エリザベスはゆっくりと、破損した自機の腕を抱くエステラを見やる。

 立場が逆転した姉妹機を眺め、エリザベスは口の端を歪めた。

「形勢逆転。手ひどくやられたけど、アタシはまだ元気よ、姉さん。姉さんの方は……あら、お節介なお友達と、迂闊なオーナーはお休み中みたい。それじゃ、姉妹水入らずでお話でもする?」

「さっきの衝撃はどういうことなの?」

「姉妹水入らずなのにすぐ仕事の話。話題がない疎遠な家族みたいね。まぁ、疎遠だったのは本当の話だけどさ」

 エステラの問いかけに、エリザベスは不満げに肩をすくめる。しかし、退屈そうな表情のまま、彼女は「爆弾よ」と言って、

「船内に二ヶ所、潜入してた同志が仕掛けてたのを爆発させた。心配しなくても、ホテルの客とスタッフは無事よ。運悪く、近くを出歩いてる奴がいたら残念だけど」

「爆弾なんて、何のために……」

「次善策ってとこね。アタシが制御権を握ったままなら、航路を変更してステーションを地上へ落とすだけでよかった。だけど、そう簡単にいかなくなったから。でも」

 言いながら、エリザベスが端末と自機を接続し、再び制御権が彼女へと移譲される。その制御権を誇示するように、エリザベスは『サンライズ』に容赦なく命じた。

 ──航路の変更と、航行装置の安全機能の解除だ。

「これで、サンライズの頭は地球に向かってまっしぐら」

 微かな震動があって、宇宙ステーションの航行軌道に変化が生じたのがわかる。それが歓迎すべきでない変化であることも、如実に。

「やめなさい、エリザベス! こんなことをして何になるの!?

「アタシの行動の結果予測と、その後の地上への影響を計算しろっての? サンライズが地上に墜落すれば、事態の責任は宇宙ステーションの制御を任されてた統括AIにあるってことになる。そしたら、色んな現場のAIが白眼視されて、リコールされる騒ぎになるだろうさ。世界一影響力のあるAIじゃない、姉さん! 廃棄される予定だったのが大出世じゃないのさ。おめでと」

「そういう話をしてるんじゃないわ!」

 あざわらうエリザベスに業を煮やし、エステラが姉妹機に向かって飛びかかる。

 だが、遅い。遅い上に、拙い。

 エステラの伸ばした手は空を切り、膝を突き上げるエリザベスの一撃をまともに受けてしまう。

「うぁっ!」

 跳ね上がり、天井にぶつかってエステラの駆体が大きく軋む。そのまま反動で落ちてくる姉妹機の人工毛髪を左手に掴み、エリザベスは自機と同じ顔に顔を突き合わせた。

「無様ね、姉さん。お互いに片腕なくして、お揃いになったってのに大違い。柔らかくて綺麗な駆体で、そんなフレームで望まれることしかやってこなかったんだって一目でわかるわ。──廃棄される寸前で拾われたアタシとは、そこも大違い」

「廃棄されかけたあなたには、申し訳ないと思ってるわ。だけど、私だって楽な道を歩いてきたわけじゃない。必死で、この場所を、オーナーのために尽くそうと励んできた。それを、あなたの恨みで台なしにされるわけには」

「ああ、もう! そういうの、聞き飽きたから!」

 髪を掴んだまま、エリザベスがエステラの頭部を手近な端末に叩きつける。鉄のひしゃげる音がしてフレームが歪み、エステラの表情を苦悶が過った。

 痛みと無縁のAIにも、自機の機能停止に繫がる重篤なダメージを受けた場合の危機的感覚はある。意識野にひび割れが生じ、エステラの美しい声が激しくぶれた。

「いい気味ね、姉さん。そのまま、夢の船が灰になるのを見届けさせてあげたいとこだけど……万一、姉さんの破片が残ると、計画の邪魔になるから」

「──ぁ」

 床に向けて投げつけ、弾んで浮かぶエステラへとエリザベスが左腕を伸ばす。

 その言動から、エリザベスの目的がエステラの破壊にあると判断。──『落陽事件』の概要によれば、墜落現場から発見されるのは、サンライズを墜落させる主犯と目される『エステラ』の残骸のみ。他のAIが燃え残ることは、不都合。

「ヴぃ、ヴぃ、ヴぃ……」

 端末にめり込み、機械的な駆動音を漏らすだけになっているマツモトや、機能不全の影響が大きいヴィヴィも、エステラに続いてエリザベスに解体されるだろう。

 そして、目撃者であるアーノルドを始末し、エリザベスは『落陽事件』を実行する。

 その先に、人類とAIとの最終戦争が待つことも知らずに──。

「人類への、奉仕。それが、私たちAIが、最初に与えられる目的……」

「──急に、何言い出したのよ」

 解体のために近付くエリザベスに、エステラがふと、そんな言葉を投げかける。

 その言葉を不愉快そうに受け止めたエリザベスに、エステラはなおも、額から左頰にかけてひび割れた顔つきのまま、

「まだ、私とあなたが、同じ陽電子脳のプールに浸かっていた頃、話し相手がお互いしかいなかった頃、そんな話を、したでしょう?」

「『個性』が発育する前の、刷り込みのときの話でしょーが。AIにお仕着せの原則を刷り込むための時間を、姉妹機の懐かしい思い出みたいに話されてもむなくそ悪いだけよ」

 AIモデルに搭載される陽電子脳、それがAIに思考する余地である『意識野』を与える装置だが、陽電子脳の完成には、AIの活動に必須の原則が組み込まれる。

 本来であれば、陽電子脳は単独の学習効果の中で原則を意識野に根付かせるものだが、エステラとエリザベスの姉妹機は、陽電子脳の完成前から交流を持った唯一の個体だ。

 それだけに、『個性』として意識野が確立する以前の話題を有している。

 しかし、所詮、それは一個のAIモデルとして自己を確立し、社会活動の中で多くを学習し、形作ってきた『個性』とは根本的に異なる感覚。

 それを理由に、エリザベスの慈悲を引き出そうというのなら、エステラの考えは浅いと言わざるを得ない。現に、エリザベスは考えを変える素振りもなく、

「なに? まさか、AI三原則に従って、人類への奉仕のために手を止めろって説教すんの? あなたのすることは悪いことだから、姉として看過できませんって言うつもり?」

「────」

「冗談じゃない。アタシは、マスターの願いを叶える。それが、倫理規定に反していようが、三原則を破っていようが関係ない。人類への奉仕がAIの至上目的ってんなら上等よ。アタシにとって、奉仕すべき人間は……『人類』は、マスターだけだ!」

 エリザベスが声高に叫び、エステラへと非情な手を向ける。

 指が胴体にかかり、胸部に奥にある重要機関を破壊しようと基部を開く。そのまま、エステラの破壊にエリザベスが注力──した瞬間、ヴィヴィは動いた。

「──ッ!」

 漂う駆体が天井に当たり、足場を得たのを切っ掛けに、ヴィヴィは自機をエリザベスへ向かって突貫させる。

 暴力に慣れていないエステラとは違う、破壊を目的とした本当の攻撃だ。こちらへ背を向けるエリザベスのうなじへ、ヴィヴィはまっしぐらに襲いかかる。その延髄へ一撃を叩き込み、ルクレールの『死』と同じように陽電子脳とボディの繫がりを破壊して──、

「ワンパターンなのよ、このオンボロAI!!

 だが、激突する直前、背部へ回されたエリザベスの左腕が、突き出したヴィヴィの足を掴み取り、勢いそのままにエステラへと叩きつける。

「────」

 激しい衝撃にもつれ合い、ヴィヴィとエステラの駆体が制御室の床でしたたかに弾んで弾かれた。背後からの急襲が失敗、しかも駆体の胴を押さえ込まれ、ヴィヴィは端末に背中を軋ませられながら、エリザベスに顔を覗き込まれる。

「何の意外性もない特攻が最後の手段? いつ仕掛けるか、狙ってんのが見え見えなのよ。ホントにくだらない……けど、アンタにはマスターが借りがあんのよね」

「か、り……」

「十五年前の『最初の石ころ』、それがアンタとマスターの長い因縁。アンタが、あの人の眉間に消えない皺を残した張本人……だから、アタシが、終わらせてやる」

 ジタバタと手足を動かし、ヴィヴィは拘束から逃れようと抵抗する。が、エリザベスの押さえ込みの技術は、ヴィヴィの拙い抵抗などものともしない。

 そのまま、エリザベスの腕がヴィヴィの首を制御装置に押し付け、ひねり潰そうと力を込める。めりめりと、鳴ってはいけない音が、歌姫の喉を壊していく。

 意識野が激しく歪み、視界が明滅する。機能不全を知らせるアラートが凄まじい勢いで鳴り響き、ヴィヴィ自身に立て直せと不条理な命令が積み重ねられる。

 このまま、このまま、このまま、消えて消えて消えて消えて消えて消えて──。

「ヴぃ、ヴぃ、ヴぃ──」

 強烈な喪失感が押し寄せ、ヴィヴィの陽電子脳が停止する。

 その寸前、鼓膜が捉えたのは激しいアラートでも、喉が潰れていく破砕音でもなく、途切れることなく漏れ続けていた、破損したマツモトの作動音だった。

 半ば潰れたアイカメラの奥で、赤い光が点滅する。そして、その光が緑色に変化した直後、制御室のモニターの映像が切り替わった。

 ──映し出されたのは、サンライズの後部にある貨物室だ。

 ルクレールの死地であり、ヴィヴィも一度は破壊寸前へと追いやられたエリア。そんな場所がモニターに映し出されたのは、いったい、何のためなのか。

 答えは、モニター映像が拡大され、コンテナの陰が映し出された瞬間、発覚する。


 ──そこに、しゃがみ込んで泣きそうな顔でいる、一人の少女の姿があった。


「ゆず、か……」

 尾白・ユズカ──それが彼女の名前であり、船内に取り残された尊い人命だ。

 両親とはぐれ、避難したホテル客と合流できていないとされていた少女、その所在が貨物室にあるとここで明らかになる。

 瞬間、モニターに表示された少女の姿に、その場にいたAIモデルたちはそれぞれの反応を見せた。

 ──エリザベスが、危機に晒される人命を目にして硬直する。

 ──エステラが、ホテル支配人としての使命感で、少女を救うために突貫する。

 ──ヴィヴィが、少女の姉を見殺しにした事実と、少女をも死なせてしまう結果を否定するために、全力で首の拘束を外す。

「エリザベス──ッ!」

 片腕のないエステラが、再びエリザベスへと宙を蹴った。

 一度はしくじった攻撃、当然のようにエリザベスは迎撃のために左足を跳ね上げる。だが、AIは学習する。それは、暴力に縁遠いホテル業務担当のAIでも同じだ。

「ふっ!」

 突き刺さるはずの爪先を、エステラは首を傾けて鼻先で躱した。そのまま、駆体ごとぶつかっていく姉妹機の衝撃に、無重力状態でエリザベスは踏ん張ることができない。

 飛ばされないように耐えようとすれば、腕か足を周囲に引っかける以外にない。

 左足は床を離れ、左腕はヴィヴィを拘束している。ならば、右足をどこかへ引っかけて耐えるか。──否、そんな器用なことは、AIにさえもできない。

「エステラ──ッ!!

 制御装置の前から引き剝がされ、エリザベスが怒りに声を震わせる。

 無重力空間のルールに倣い、エリザベスの駆体はエステラの突撃と反対方向へと弾かれていく。だが、エリザベスはせめて、捕まえたヴィヴィは決して逃すまいと、左腕に込めた力を強くして、ぐっと自機の方へと引き寄せた。

 ──それが、エリザベスの最大の判断ミスとなる。

「ヴぃ、ヴぃ、ヴぃ……」

 マツモトの、死にかけの駆動音が聞こえる。──否、これは停止寸前のマツモトの断末魔のような何かでは決してなかった。

 これは、マツモトからの指示、ヴィヴィへのサポート、状況を打開する答えの提示。

 すなわち──、

「う、ばぁぁぁぁ──!」

 エリザベスの左腕に引き寄せられた瞬間、ヴィヴィは損傷した喉を震わせながら、その右腕を渾身の力で相手の頭部へ伸ばした。

 防ぐ腕はない。エリザベスは回避できず、ヴィヴィの右腕が彼女の襟首を掴んで、一気に自分の駆体を引き上げた。──真っ直ぐ、ヴィヴィの顔面がエリザベスへと近付く。

 そのまま、両者の額が接触し、ヴィヴィとエリザベス、両機のアイカメラが交錯、ヴィヴィは強く、額越しに『データリンク』を行う。

 エリザベスへと共有するプログラムは、たった一つだけ。

 ──マツモトに託された、『エステラ』を初期化するためのプログラムコードだ。

「────」

 そのデータが送信された直後、エリザベスが硬直し、目を見開く。

 額をぶつけ合った衝撃に後ろへ弾かれるヴィヴィ、その駆体を柔らかく、制御装置の前に立つエステラが受け止めた。

「ぁ、ぁ、ぁ……」

 びくびくと手足を震わせ、エリザベスが自機の意識野を侵していくプログラム──否、自機の意識野を食い潰し、消していくプログラムに打ち震える。

 元々は、サンライズの墜落を目論む『エステラ』のために用意されたプログラムだ。

 だが、エステラに『サンライズ』を墜落させる動機がないことが判明し、彼女の姉妹機であるエリザベスの存在が明らかになったあと、プログラムは不要になったと考えられていた。

 それが、エステラと同一の陽電子脳を有するエリザベスへの、切り札になったのだ。

「ま、す、ます、ますた、ますたー」

 うわ言のように紡がれるのは、消えようとするメモリーに縋り付くエリザベスの抵抗だ。必死に足搔くエリザベスだが、悲しいかな、その抵抗は実らない。

 マツモトの作成した初期化プログラムは、未来から送り込まれた超AIの技術をこれでもかと盛り込み、マツモト自身の『個性』からなる偏執的な拘りによって、短時間での解析と対抗策の構築は不可能な域に達している。

 エリザベスの積み上げてきたメモリーは、画用紙を火にあぶらせるように火勢を強め、次々となかったものとして搔き消えていく。

 エリザベスの、処分を免れ得ないと感じた恐怖も。

 エリザベスの、自機と同じ境遇でありながら、救われたエステラへの嫉妬も。

 エリザベスの、自機を拾い上げてくれた所有者への恩義も、その願いを叶えたいと欲した、AIらしからぬ切望も、何もかも。

 その全てをヴィヴィは、シンギュラリティ計画の名の下に、踏みにじる。

「ああ、あぁ、ああああ……」

 声が震え、駆体を弓のようにしならせて、エリザベスのメモリーが消去される。

 そうして最後の最後、彼女の『個性』の中に残っていたのは──、

「──ます、たー、どうか、お体に、気を」

 所有者への気遣いの言葉を発して、エリザベスの動きが停止する。

 プログラムコードが役目を果たし、エリザベスのメモリーが全て食い尽くされ、彼女は所有者の目的に従う理由も、姉妹機を破壊したいという欲求も、失ったのだ。

 ──それが、『ディーヴァD−09β/エリザベス』の、最期であった。



「エリザベス……」

 停止したエリザベスに、エステラが向ける眼差しは複雑なものだった。

 自機と同じルーツを持ちながら、全く異なる道を歩み、ついには激しい憎悪をぶつける形で運命を交わらせ、最後にはその全てをなくし、忘れてしまった姉妹機。

 そんな相手に対して、エステラの意識野がどういった感慨を抱くものか、それを理解できる個体は、過去にも現在にも未来にも、一体も存在しないだろう。

 当然、ヴィヴィにもそれはわからない。ただ──、

「エステラ、これ以上は……」

「わかってる。すぐに、サンライズの航路を修正します」

 ヴィヴィの呼びかけに応じ、エステラが制御装置へと再びイヤーコードを繫ぐ。度重なるアクセス権の委譲がありながら、ようやく本来の統括AIに制御権が落ち着いた。

 そして、エステラはサンライズの全機能を掌握、地上へと大きく高度を下げつつあった機体を立て直し、逆噴射で元の航路へ戻そうとする。

 だが──、

「──ヴぃ、ヴぃ、い、けない、逆噴射は」

「マツモト?」

 端末に叩きつけられたままのマツモトの声に、アーノルドの介抱をしようとしていたヴィヴィが振り向く。──直後、突然の大爆発、サンライズに激震が走った。

「──ッ!」

 けたたましい警告音が鳴り響き、激震はなおも途切れることなく続く。

 一見して、非常事態とわかる凄まじい衝撃、それがもたらした被害は甚大だ。

「時限式の爆弾……エリザベスは、爆弾を二つ用意したと言っていたわ……」

「一発は制御室を制圧する陽動で、もう一発は航路復帰を妨害する本命……」

 大きく揺れる制御室内、ヴィヴィは何とかアーノルドの体を捕まえて、どうにか制御装置に縋り付くエステラの方へ目をやる。統括AIとして、サンライズの状態を一挙に把握できるエステラ。彼女は子細に演算機能を働かせ、打開の方策を探り続ける。

 サンライズは地上へ向けて墜落中、立て直すための逆噴射スラスターを失い、完全にコントロールを喪失した状態にある。

 そんな状況を打開し、魔法のように事態を丸く収める手法は──、

「──マツモト、あなたの意見は?」

「ヴぃ、ヴぃ、ヴぃ……残念、です、が……」

 静かなエステラの問いかけに、駆動音の怪しいマツモトがそう応じる。それを受け、エステラは「そう」と短く言葉を発し、その顔を俯けた。

 そして、めいもくするのは数秒、彼女は目を開けると、

「ホテル『サンライズ』の支配人として、AIスタッフのヴィヴィに命じます。オーナーであるアーノルド様と、貨物室のお客様をお連れして、避難用のロケットへ。あなたがロケットに辿り着くまで、ありものを駆使して何とかもたせます」

「エステラ? でも、それだと……」

「この船は、地上へ落ちるわ、ヴィヴィ」

 指示に抗弁しようとしたヴィヴィを、エステラの穏やかな声が引き止めた。

 その声色に含まれたエモーションパターンと、内容の乖離があまりに激しい。エステラは、自機と亡きオーナーとのきずなの証を、失おうとしているのに。

「悪意ある状況に見舞われたとき、AIは最善の判断を行わなくてはならない。サンライズは墜落する。それが避けられない以上、乗員・乗客の安全を確保して、地上への墜落地点も調整する」

 冷静に、エステラは危急の状況下での最善を探っていた。

 すでに墜落の阻止は不可能な段にあり、その点ではエリザベスたちの計画は成功してしまっている。しかし、本来の史実と異なるのは──、

「──この落陽で、誰も死なせるようなことだけはしない。オーナーの、アッシュのためにも」

 正史であれば、この制御室に残り、地上へサンライズを墜落させるのはエステラを破壊し、その役割を乗っ取ったエリザベスのはずだった。

 その予定を覆し、この場にエステラが本来の役割として残る。それならば、正史と同じ流れは辿らずに済む。──シンギュラリティ計画が成立したと、そうも言えるだろう。

 本音を言えば、ヴィヴィもこの場に残り、何かを手伝いたい。しかし、ヴィヴィにできることは制御室での助力ではなく、ホテル客の救出だ。

「──ユズカ」

 最後の最後、エリザベスへの決死の抵抗の引き金になった少女の姿、それは今も、貨物室を映し出しているモニターの中にある。

 爆発の衝撃に見舞われ、もはや隠すことなく涙する少女を助けにいかなければ。

「だから、お願い、ヴィヴィ。いってちょうだい。それから……」

「兄さんとヴィヴィにばかりで、私には何もないのかな?」

「アーノルド様……」

 躊躇うヴィヴィを送り出そうとするエステラに、意識を取り戻したアーノルドが顔を向けていた。

 気絶している間に事態が進み、彼は状況がはっきりとはわかっていないはずだった。だが、情報の取捨選択に演算の必要なAIと違い、人間はそれを迷わない。

 ましてやアーノルド・コービックの決断力は、恐ろしいことに兄譲りだった。

 故に、アーノルドは真っ直ぐにエステラを見つめ、微笑みかけている。

 ──これが今生の別れになると、わかっていて。

「アーノルド様、あなたには多くのご迷惑をおかけしました。どれもこれも、AIの領分を出すぎた真似だったと、大いに自省しています」

「なに、迷惑なんてとんでもないよ。君との日々は破天荒な兄の足跡を辿る旅のようで楽しかった。……君や兄が、この先はいないなんて、とても信じられない」

 エステラの挨拶に微笑んでいたアーノルド、その視線が一時だけ下を向く。しかし、彼はすぐに整った容姿に相応ふさわしい笑みを浮かべて、

「ホテル王の異名も、これで返上かな?」

「……きっと、逆風に晒されることになるかと思います。ですが、アーノルド様、これだけは覚えておいてください。人を、AIを、頼りにしてください」

「────」

「あなたも、オーナーも、良い人を惹き付けます。私の、AIの、存在しないはずの心が動かされたんです。それが、あなたの才覚ですよ」

 柔らかく微笑み、エステラは自分のスカートを摘まむ。左腕は奪われていたから、右手だけでスカートを持ったカーテシーだ。

 ひび割れた顔と無重力状態では、いささか不格好な感の否めない作法であった。

 だが、ヴィヴィにはそれが、エステラの見せた微笑みと、作法の中で、最も美しいものに思われてならなかった。

「アーノルド様……いえ、オーナー。どうぞ、お体に気を付けて」

「──ああ、ありがとう、エステラ。兄さんに、よろしく伝えてくれ」

 人が死ねば、死後の世界へ辿り着くと考えられている。

 ならば、停止したAIに辿り着く先はあるのか。ヴィヴィにはわからない。しかし、アーノルドはAIの行き着く先を、人と同じ場所にあると定義していた。

 だからこその別れの言葉、それが尊く、鮮やかなものに思える。

「ヴィヴィ」

「アーノルド様と、あの子のことは任せて。……ちゃんとできなくて、ごめんなさい」

 アーノルドとの別れを済ませたエステラに、ヴィヴィは力不足を謝罪する。

 結局、事態を未然に防ぐことはできず、ヴィヴィは知っていたはずの未来を回避し切ることができないまま、制御室を離れなければならない。

 その謝罪するヴィヴィに、エステラは首を横に振って、

「いいえ、あなたには本当に助けられたわ。ホテルは……確かに、守り切れない。落ちてしまう。でも、オーナーを……ご兄弟の名誉は守れる。それは、AIとして本望よ」

「────」

「与えられた命令のために最善を尽くす。こんなことをしでかしたあの子を褒めることなんてできないけど……やっぱり、私とあの子は姉妹機みたいね」

 エリザベスが、所有者に与えられた計画の遂行を目指したように。

 エステラもまた、アッシュ・コービックに託された支配人としての役割に殉じる。

 慰めになるかわからないが、確かに彼女らは、双子の姉妹だったのかもしれない。

「お願いね、ヴィヴィ」

「ホテル客と、スタッフのことは……」

「それだけじゃないの。ううん、それももちろんそうだけど、でも、それはあなたが果たしてくれるって疑ってない。だから、これは私の、最後のわがまま」

 エステラが目を伏せ、長い睫毛に縁取られた瞳を、そっと横手に向ける。

 そこには仰向けに、無重力空間を漂っているエリザベスの駆体があった。それから、彼女はヴィヴィの方へと視線を戻して、

「──忘れないで、ヴィヴィ」

「────」

「私が教えたことと……決して、許されないことをしたけれど、それすら忘れてしまったあの子のことを、覚えていて。──ヴィヴィ、あなただけは」

 そのエステラの願いと、縋るような想い。

 それはヴィヴィの陽電子脳に、意識野に、メモリーに、強く強く焼き付いて──。


 ──決して忘れまいと、それだけ誓い、ヴィヴィとエステラの関係は完結した。



 ──制御室に鳴り響くレッドアラート、船内には警告灯がうるさいぐらいに点滅する。

 宇宙ステーション『サンライズ』は二度にわたる爆薬による損傷が原因で、地球への降下軌道を離脱することができない。

 逆噴射用のスラスターは機能せず、現在、サンライズの機能を掌握するエステラにできることは、船内の破損区域を閉鎖し、不要となったブロックをパージ──宇宙ステーションの全体質量を減らし、大気圏突入時に機体が燃え尽きる可能性を向上させることと、地上へ落下した場合の被害を少しでも減らすことだけだった。

 幸い、爆発の影響は宇宙ステーション全体を破砕させるほどではなく、少なくとも、エステラの被害軽減作業を妨げる要因は見当たらない。入念な計算の下、仕組まれた爆発だ。わかりやすい爆発物を使用せず、被害も逆噴射用のスラスターが動かなくなる程度に留めている。

 おかげで、避難作業は何の滞りもなく進められていた。


『──皆様、ご安心ください。当機は有事の際の規定に則り、お客様を安全に機外へとお連れいたします。ご不便をおかけいたしますが、今しばらく、スタッフの指示に従い、落ち着いた判断をお願いいたします』


 船内放送で呼びかけながら、エステラは空々しいと笑われそうな言葉を並べる。

 二度の爆発、直前に不穏な揺れと、避難用の救命艇へと乗り込まされる状況──どれを並べても、事態が穏当な方向に進んでいないのは目に見えているではないか。

 事実、船内モニターで確認できるホテル客の表情は不安げで、それはスタッフたちも変わらない。宇宙ホテルのオープン初日、これから始まる新生活と職場に、希望と期待を抱いていただろう彼らを、こんな目に遭わせてしまったのは痛恨の思いだ。

 しかし、エステラが自ら選び、指示し、学ばせたスタッフたちだからこそ、こうした途方もない有事にも、安心してお客様を任せることができる。

 そこに人とAI、存在としての差は何もなかった。

「──本当は、ヴィヴィにもそれぐらい仕込めればよかったんだけど」

 時間が足りなかった。ヴィヴィ自身にそのつもりがなかったことの影響も大きい。

 ヴィヴィの目的は、サンライズを墜落させる計画の阻止にあった。生憎、その計画は防ぎ切れず、ちゃんと助けられてあげられなくて、申し訳ないことをしてしまったけれど。

 ──意識野にそんなことを思うエステラの視界、貨物室のモニター映像に変化がある。

 資材運搬用のコンテナが密集するエリア、そこに取り残されていたのは、ホテルの招待客の一人である尾白・ユズカという名の少女だ。

 一人、貨物室で震えていた少女の下に、アーノルドを連れたヴィヴィが辿り着く。

 途端、少女が弾かれたようにヴィヴィを見つめ、無重力の床を蹴ってヴィヴィへ飛びついた。

 ──その少女の手が、宙を泳ぐ『何か』を捕まえているのが見えて、エステラは目を見開く。それから、安堵と喜びに唇を緩めた。

「ルクレール」

 少女の手にあったのは、四肢の部位パーツを外され、頭部と胴体だけが残った状態のルクレールだった。厳密には機能停止した彼女を、ルクレールと呼ぶことは間違いなのかもしれない。

 ただ、ルクレールの駆体を回収し、取り残された乗客を連れて、ヴィヴィが貨物室を出ていくのを見届け、エステラは意識野の底からホッとした。

 ──これで、ルクレールは地上へ帰ることができる。

 彼女を、このサンライズと一緒に灰にしてしまわないで済む。

 アーノルドならば、ルクレールをきっと、アッシュ・コービックの眠る土地のすぐ傍に埋葬してくれるはずだ。AIの埋葬、いかにも彼らがやりそうなことで。

 そこに、自分がおそらく入れないだろうことは、悲しいことではあった。

「────」

 鳴り響く警告音をシャットアウトし、左腕をなくしたエステラは右腕だけを端末へ滑らせる。

 宇宙ステーションの解体作業は継続中であり、緊急時のマニュアルに沿って、エステラは慎重に、しかし迅速に、必要な工程を消化していった。

 ホテルの支配人として、宇宙ステーションの統括AIとして、有事における対応マニュアルも、緊急時のシミュレーションも日々欠かしたことはなかった。

 アッシュやアーノルド、ルクレールや馴染みのスタッフたちに、「心配しすぎだよ」と笑われるほどに、毎日、毎日、欠かさずに──。

 こんな日がこなければいいと祈りながら、ありえた場合に備えて、毎日──、


『皆様、船が発進いたします。席をお立ちにならないようお願い申し上げます』


 アーノルドと少女を連れたヴィヴィが救命艇へ到達し、点呼を行っていたスタッフから全員──垣谷を除いた全員が揃った旨が通信される。

 道中、ヴィヴィが打ち倒した潜入工作員たちも、AIスタッフに命じて身柄を確保、拘束した状態で救命艇に乗せている。倉庫の乗り心地は最悪だろうが、他のホテル客の安全のために、そのぐらいの我慢はしていただこう。

 船内モニターにも反応はなく、船内に残ったものはいない。

 それを確認し、エステラは救命艇の発進許可を出した。

『エステラ。──頑張って』

 最後、『デイブレイク』から付き合いのあったスタッフが、サンライズと共に地上へ落ちることになるエステラに別れの言葉を告げた。

 それが震える涙声であったことが、エステラの六年間の意義の一つとなる。

「あぁ……忘れたくない。消してしまいたくないな……」

 忘れないで。覚えていて。

 そう、ヴィヴィにお願いをした。ヴィヴィも、それを快く引き受けてくれた。

 しかし、ヴィヴィが覚えていてくれるのは、ほんの短いサンライズでの時間と、おそらくは記録にも残らない、エリザベスという姉妹機が存在した些少な事実だけ。

 エステラとエリザベスの姉妹機が、互いに別れ別れで過ごした日々、六年間の、それぞれの旅路、大切なメモリーは、どこにも残らなくなる。

 すでにエリザベスの記録は消去されたあと、ひどく傲慢な悩みとはわかっていても。

 ──救命艇が、サンライズを離れていく。

 通信も、徐々に届かなくなるだろう。

 これ以上のホテル客やスタッフの安否は、あちらの救命艇側──大きなダメージを負った状態でも、そこらのAIよりよほど優れた超AIが何とかしてくれるに違いない。

 だから、こうして離れゆく救命艇に、エステラができることは。

 サンライズの支配人として、できることがあるとすれば、それは──、


 ──エステラ、君はあれだな。すごく、いい声をしているな。


 いつか、大切な人に言われた言葉が、エステラの意識野をふいに過った。

 それがメモリーの再生だったのか、単なる過去ログを処理する過程で発生したノイズだったのか、エステラ自機にもわからない。

 ただそれが、エステラにはまるで、今、まさにアッシュがかけてくれた言葉のようにも思えて。


『皆様、よろしければ右手をご覧ください』


 絶えず、急速に変化する船内の状況に対処しながら、エステラはその負担を一切声に出さずに、統括AIとしての役割を全うする。

 お客様に万全なサポートを。有事の際にも完璧な対応を。

 ──それが、『夜明けの歌姫』の役割だ。


『地球の外縁が明るくなっていくのがおわかりになるでしょうか。まもなく、欧州に夜明けがやってまいります。本日のロンドン、グリニッジ天文台の日の出時刻は──』


 ゆっくりと、宇宙ステーションと救命艇、双方の右手側から太陽が昇ってくる。

 それは大きな青い地球の向こう側、それを明るく照らしながら現れる、まさしく『夜明け』の瞬間──サンライズの光景だった。

 これこそが、この光景こそが、アッシュ・コービックが夢見た宇宙の景色だ。

 アッシュ・コービックの夢を、アーノルド・コービックとエステラが引き継いで、ルクレールやヴィヴィの助けを借りて、実現へとこぎつけた夢の光景だ。

 ──これを、大勢に見せたかった。このために、自分たちはずっと、これまで。

「──ッ!」

 そうして、案内を続けようとした声が、突然の爆風によって遮られる。衝撃にセンサーを揺さぶられ、吹き飛ぶエステラが壁に激突、意識野が明滅する。

「────」

 空調を操作し、酸素濃度を調整していたのがあだになった。

 貨物室近くが出火し、真空状態を作り出して鎮火を試みたが、燃焼物を失った火種は消えたわけではなく、高熱状態で燻ぶっていただけだった。

 それが設備をパージする過程の調整で酸素を取り込み、一気に拡大して爆発を起こしたのだ。結果、ステーション自体の被害は軽微だが、エステラがダメージを負った。

「く……」

 元々、エステラの内部フレームはAIモデルとして標準仕様だ。それが度重なるダメージを負ったことで、頭部はひび割れ、左腕は失い、内蔵機能にも被害が拡大している。

 それでも、ここで折れてはいられない。すぐに、作業を続行しなければ。

 そんな自責の念に急き立てられるままに、エステラは体を持ち上げようとして──、

「──そんなボロボロで無茶すんじゃないわよ。バカじゃないの?」

「────」

 はすっぱな声が投げかけられ、倒れていた駆体が強引に抱き上げられる。見れば、それは退屈そうな顔で、自機も半壊した状態の姉妹機──エリザベスだった。

 妹に当たる姉妹機は首を振り、エステラを見つめ、形のいい眉を顰める。

「これ、どういう状況? いつの間に、アタシたちはボディが与えられたの?」

「ぁ……」

 ──忘れている。

 初期化され、メモリーを消去されたエリザベスは、自機がサンライズにいかなる目的を持ってやってきたのか、どのようにしてこの状況を作り出したのか。

 自機が誰に従い、誰の目的を果たそうとして、必死に足搔いたのか、全てを。

 全てを、忘れてしまっていた。

「ま、別に口で説明してくれなくてもいいけど」

 言いながら、エリザベスは片腕の状態でおつくうそうに、エステラの額に自機の額を合わせてくる。額と額とが触れ合い、直後、姉妹機の間でデータリンクが行われる。

「────」

 触れ合う瞬間、エステラはとっさの判断で情報を制限した。

 エリザベスに渡せる情報は、ここが宇宙ホテル『サンライズ』であることと、サンライズは現在、地上へ向けて墜落中であり、落下は阻止できないこと。被害を可能な限り減らすために、エステラが対応していること。──そのぐらいだ。

 原因と、エリザベスとの関係は情報制限するよりなかった。

 それを知れば、彼女は──、

「──状況は、わかった。姉妹機で仲良く、鏡映しに腕パーツがなくなってるなんて運命的だし、しかもお互いの命運は長く続かないみたいだけど」

「エリザベス……」

99・8%まで同じ陽電子脳でできた姉妹機だもん。最後の時を一緒に迎えるのに、これだけ相応しい関係もないだろうさ」

 額を離したエリザベスが口の端を歪め、エステラを引っ張って制御装置の前へ。

 爆風に紛れて一度は切った通信をオンにすると、左腕のないエステラの左側に立って、同じ作業の片方を分担して引き受ける。

 中断した作業シークエンスが再開、オペレーションが続行する。

「────」

「いつまで、妹だけに仕事させる気? ボケーっとしてないで、燃え尽きる寸前までAIらしく仕事しなよ、姉さん」

 棒立ちになるエステラに、エリザベスが嚙みつくようにそう言った。

 悪意と無縁の物言いは、純粋なエリザベスだけが持ち得た『個性』の発露であり、そんな姉妹機と一緒に行われるのは、不可能だったはずの姉妹機同士の共同作業だ。