──ショールームを、『夜明けの歌姫』の歌声が支配している。

 全方位、宇宙空間を見渡せるように設計された展望台は、故アッシュ・コービックが夢を叶える理想郷として、歌姫AIであるエステラに願いを託した場所だ。

 中央のステージ上、しようしやなドレスで着飾ったエステラの周囲、スクリーンとなった部屋の壁と床が透過し、その向こうには輝く星々と、夜のふちにある地球の姿がある。

 ステージを囲うような形で設置された座席には宿泊客たちが座り、『夜明けの歌姫』の歓待と、果てのない宇宙に抱かれるような壮大な高揚感を楽しんでいる様子だ。

 そうして宇宙ホテル『サンライズ』の美しい支配人の歌声を楽しむのは宿泊客たちだけではない。彼らのようにシートに座ってこそいないが、手すきのスタッフたちもまたこのコンサートのために駆け付け、その歌声の魅力に聞き惚れていた。

「────」

 ヴィヴィもまた、そんな歌声に聞き惚れる聴衆の一人としてその場にいる。

 意識野が受ける刺激は、歌をアイデンティティとする『歌姫』としての矜持か、あるいは単純なデータ収集と処理のためのラグなのか、判断がつかない。

 ただ、そのエステラの歌声を聞きながら、ヴィヴィはようやく自分の中に納得を得る。

 シスターズ──歌姫型AI『ディーヴァ』の後継機、これがその歌声なのだと。

『もっとも、彼女の場合は歌唱機能はあくまで標準装備。それ以外の機能を拡張し、主にホテル業務に関連した性能を向上した後期型……アナタとはまた違いますけどね』

 と、そんなヴィヴィの感慨を余所に、通信越しに空気を読まないマツモトのコメントがくる。それを受け、ヴィヴィは反射的に眉を顰めようとするのを止めて、

『歌の最中に無粋……。マツモトには聞こえてないの?』

『もちろん聞こえていますよ。ですが、彼女のスペックについて事前に把握していたボクからすると、驚きに値するデータは得られませんよ。それより……』

『それより?』

 歌に対する感想はないのか、とヴィヴィの言外に込めた問いかけを無視して、マツモトはどことなくもったいぶった雰囲気で一拍溜めた。

 それから、マツモトはヴィヴィに向かって一言、問いを投げかける。

 それは──、

『──ヴィヴィ、そろそろエステラを初期化する心構えはできましたか?』

『────』

『おっと、この場合、心構えというのは比喩的な表現に過ぎません。なにせ、ボクたちAIには『心』なんて不確定性の強い概念は持ち合わせようがありませんからね。プログラムを実行する準備が整いましたか、と言い直しましょう』

 皮肉げなマツモトの軽口にヴィヴィの反応が数瞬遅れる。

 わずかな思考タスクの停止を経て、ヴィヴィは意識の立て直しを図る。ただ、今度こそ眉を顰めるリアクションを停止するのには失敗した。

『マツモト、まだ言っているの? エステラの初期化は必要ない。彼女は……』

『アーノルド・コービックを恨んでいないから? 全ては誤解であり、アッシュ・コービックが偶然の事故死だったと発覚した今、彼女には動機がないと。だから、このサンライズが地上へ落下することもなく、『落陽事件』も起きるはずがない?』

『────』

『わかっているはずでしょう、ヴィヴィ。展望台で、過去の事象の真実が紐解かれたことは喜ばしいことです。かつてのオーナーとAI、兄と弟、それぞれの関係の間にあってねじれてしまった糸が元通りになったのは歓迎すべきことです。でも、それと事件とは関係がない。『落陽事件』は起きます。依然、変わりなく』

 マツモトの断固とした物言いに、ヴィヴィは口惜しさを覚えながら下を向く。

 彼の言う通り、状況は改善していない。むしろ、謎は深まったとさえ言える。

 ──ヴィヴィの推測では、エステラが『落陽事件』を引き起こす動機は、アッシュを謀殺したアーノルドへのふくしゆう、その可能性が最も高いと考えていた。

 しかし、実際はエステラとアーノルドの間には信頼と協力関係が結ばれており、ヴィヴィの推理は大きく的を外した。アッシュの事故死、その真相が明らかになった今、動機は見当たらない。

 悲劇的なすれ違いはなくなったが、シンギュラリティ計画は前進していなかった。

『──おわかりの通りです。一刻も早く、エステラのデータを初期化することが望ましい』

『マツモトは、まだエステラを疑っているの? 彼女には動機がない。それは、あなたもわかっているはずでしょう?』

『そうですね。その点についてはボクとアナタの意見は一致しました。なので、ボクは当初から主張している、彼女に深刻なエラーが発生する説を推します。いずれにせよ、この宇宙ホテルの統括AIである彼女なくして『落陽事件』を引き起こすことはできない。決断のときです、ヴィヴィ』

『エステラは、やっとオーナーの、アッシュ・コービックの本心を知った。三年越しにようやく……それを、なかったことにしてしまうの?』

 エステラのデータを初期化すれば、彼女とアッシュ・コービックとの思い出は消える。

 それは、彼と二人三脚でホテル運営に励んだ日々や、彼を失い、その遺志を引き継ぐと奮闘してきた時間、そしてずっと勘違いしてきた彼の本当の想いを知ることのできた幸い。

 ──そうした彼女の経験、それら全てを失わせるということなのだ。

『エステラが忘れてしまったら、アッシュ・コービックの願いは。『夜明けの歌姫』としての彼女は、どこへ消えてしまうの?』

『嫌いな表現ですが同情はしますよ。ですが、それが人類を救うために必要なことならしなければならない。確かに、喪失とは常に悲劇だ。ですが、失われるものに価値がないのだとしたら、この世に存在する万物はいずれ朽ちる。アナタの価値基準に照らし合わせれば、万物に価値がないということになる。それを肯定するとでも仰いますか?』

『それは論理のすり替えだわ。主語を大きくしてはぐらかさないで』

『はぐらかしているのはアナタの方ですよ、ヴィヴィ。いい加減、目の前の問題から目を逸らすのはやめてください。──人間ではあるまいし、命令に従順であれ』

 子どもに言って聞かせるようなマツモトの言に、ヴィヴィは閉口する。

 無論、理屈に従えば正しいのはマツモトだ。それはヴィヴィにもわかっている。わかっていてなお、ヴィヴィが彼の指示に従えないのは、きっとヴィヴィの方が悪い。

 それは、わかっているのに。

「──ご清聴ありがとうございました」

 ふと、認識が現実へ舞い戻ると、歌い終えたエステラが一礼し、ショールームに万雷の拍手が鳴り響いているところだった。

 途中から意識野はマツモトとの対話に集中し、せっかくの歌を堪能できなかった。歌自体は当然のように録音してあるが、あとで聞き返しても、『本物』は宿らない。

 不思議なことに、やはり肉声と録音音声には取り替えようのない違いがあるのだ。

「ヴィヴィ、いらっしゃい」

「──私?」

 そんな思考を辿っていたところ、ふいにヴィヴィにお呼びがかかる。見れば、こちらを手招きするのはステージ上のエステラだ。

 薄く微笑み、常の美貌に晴れ晴れとした活力をたたえたエステラ。彼女のアイカメラにはヴィヴィへの親しみと、感謝に近いそれが見える。

 それら好意的な感情を湛えたまま、エステラは戸惑うヴィヴィを手で示した。

「会場にお越しの皆様、彼女がこのたびの『夜明けの歌姫』の実現に貢献してくれた自慢のAIスタッフ、ヴィヴィです。彼女は働き者ですので、すでに皆様もご存知のことと思いますが、改めてご紹介させていただきます」

 丁寧な口調で、エステラがヴィヴィのことをショーの功労者であると説明する。

 過分な説明だと言いたいところだが、実際、ヴィヴィがいなければ『夜明けの歌姫』計画はアッシュの願い叶わず、日の目を見ることがないままだった可能性が高い。

 意識野の複雑な混濁を棚上げし、ヴィヴィはエステラの指示に従い、壇上へ上がる。ステージ上から周囲を見渡せば、まるでそこは星空の舞台だ。

 展望台では天井や壁だけでなく、床のスクリーンも透過して宇宙が見えているため、ステージの周りにいる観客たちのシートは星空に浮かんでいるかのように思えた。

「ご紹介に与りました、AIスタッフのヴィヴィと申します。このたびは、宇宙ホテル『サンライズ』をご利用ありがとうございます」

 ステージ上、床から自動で伸縮するスタンドマイクに唇を合わせ、ヴィヴィは当たり障りのない挨拶を周囲の観客へと向ける。

 すると、面白味のない無味乾燥な社交辞令にも、観客からはまばらな拍手があった。中でも大きく拍手してくれているのは、真ん中より後ろの席に座った少女──案内役に何度もヴィヴィを指名してくれた、家族連れの宿泊客の娘だ。

「当ホテルの支配人、エステラの歌はお楽しみいただけているでしょうか。私たちスタッフ一同も、彼女の歌声には驚かされました。普段は叱られるときの声しか聞かされないものですから」

 ほんの少しユーモアを交えると、斜め後ろに控えるエステラが苦笑するのがわかる。

 観客席の一番前にはアーノルドの姿もあり、最前列でエステラの歌声を堪能した彼も、エステラと同じような温かな眼差しをヴィヴィへと向けていた。

「この他にも、当ホテルでは皆様につかの間の宇宙を楽しんでいただけるよう、いくつものイベントを用意してございます。どうぞ、『夜明けの船』のひと時をお楽しみください」

 そうして最後に一礼を加え、ヴィヴィはAIスタッフとしての職務を全うする。

 緊張とは無縁のAIであるが、突発的な事態へのアドリブは個々の機体の対応力次第だ。その点、キャストとしての歴史が長いヴィヴィには一日の長があった。

 ともあれ、ヴィヴィとしてはそこで舞台を降りるつもりだったのだが──、

「ヴィヴィ、せっかくだから、一曲ぐらい歌っていかない?」

「……エステラ」

 スタンドマイクを離れる直前、エステラがヴィヴィにそんな誘惑を耳打ちする。何を言い出すのかとじと目で見れば、エステラはどことなく悪戯っぽい目つきで、

「あなたの声、最初に聞いたときから綺麗な声だと思っていたの。これでも私、『歌姫型』のAIモデルだから、耳は確かなつもりなのよ?」

 ──私が、その『歌姫型』の最初の一体で、あなたのお姉さんなのよ。

 などと言えればどれほど楽か、そんな益体のない思考ルーチンを破棄し、ヴィヴィはゆるゆると首を横に振り、前を向いた。一曲歌って解放されるなら、と思わないでもない。

 ただ、万一、その歌声がヴィヴィの素性、『ディーヴァ』へ繫がってもらっては困るのだ。

 期待には応えたいが、リスクは冒せない。本当にヴィヴィの歌が聞きたければ、それはニーアランドへ足を運んでもらって──、

「────」

 そう思考するヴィヴィの、会場を眺める動きが止まった。──否、止まったのは動きではない。もっと根源的な、意識野が衝撃によってフリーズしたのだ。

 頭蓋フレームに包まれた陽電子脳が震え、ヴィヴィのアイカメラが音を立ててレンズを絞る。その視線が固定され、こちらを見つめる視線と視線が交錯した。

 ──そこで相手を意識したのは、ヴィヴィの犯した信じ難い失敗だった。

「──次の曲を、エステラが歌います。『She』」

 思考を凍り付かせたまま、ヴィヴィは自然な流れで次の曲をリクエスト。有名な女性歌手のバラード、その前奏が流れ始めると、そっと傍らのエステラに場所を譲る。

 思惑を外され、エステラが残念そうに眉尻を下げていたのがわかったが、それ以上、ヴィヴィはその場にとどまっていることができなかった。

「────」

 流れるムーディーな音楽に乗せて、エステラの美声が再び歌を紡ぎ始める。

 それを背に聞きながら、ヴィヴィは足早にステージを降りると、宇宙を足下に敷いた会場を横切ってショールームの外へと出た。

「────」

 つかつかと、無人の通路を歩く足取り、それが徐々に早くなり、ついには駆け足へと変わる。

 ホテル内の宿泊客やスタッフの大半が展望室へ集まっているとわかっていながら、ヴィヴィはとにかく、一人になれる場所を探して走った。

 それなのに──、

「──お願い、待って!」

 背後からの呼びかけに足が止まり、ヴィヴィはついに『追いつかれてしまった』。

「────」

 宇宙という閉鎖空間で、これ以上は逃げ隠れすることはできない。ヴィヴィは観念した素振りで振り返り、その人物を正面にする。

 微かに息を弾ませ、ヴィヴィへと潤んだ瞳を向けているのは十五、六歳の少女だ。

 背丈はヴィヴィと同じくらいで、肩に届く長さの髪を頭の後ろで一つにまとめている。展望室でのコンサートに合わせたのか、外出着にはささやかなオシャレの気配があり、ほんのりと施された化粧が少女の可愛らしい魅力をぐっと引き立てていた。

 丸い瞳に小さく薄い唇、すっと通ったりようと、人間の美的感覚に合わせれば十分以上に端整と判断できる顔立ち──だが、ヴィヴィにとって少女の容姿は可愛らしい以上の意味があった。

 それら、少女の顔の一つ一つの部位に見覚えがあったのだ。

 それは彼女自身がヴィヴィのメモリーに残っているのではなく、その身体的特徴に近似する血縁者を知っている、ということ。

 何故、それに気付くのがこんなにも遅れてしまったのか。──それは、ヴィヴィの知る目の前の少女の血縁者は、少女よりずっと幼かったからだ。

「あの、聞いてもいいですか。──あなたは、お姉ちゃんを知ってる?」

 少女の血縁者の名前は霧島・モモカ。──享年十歳。

 まだ、AI命名法で正式に『ディーヴァ』と名付けられる前、『ヴィヴィ』という愛称をつけてくれた少女であり──、

「あなたは、ニーアランドのヴィヴィ……ディーヴァじゃ、ないの?」

 十五年前、最初のシンギュラリティポイントの修正後、ヴィヴィが救うことのできなかった旅客機に乗っていた少女であった。



 招待客のリストと照合し、目の前の少女の名前を検索──じろ・ユズカ。

 それが、十五年前にヴィヴィが見殺しにした少女、霧島・モモカの妹の名前だ。

「────」

 モモカとユズカ、二人の名字が違っているのは母親の再婚が原因だろう。

 あの飛行機にはモモカと、彼女の父親である霧島・ヨウジが同乗していた。当時、ユズカを妊娠していたモモカの母、霧島・ミユは夫と娘の訃報を病院で聞いて、その後、ユズカを出産し──今の夫と出会い、再婚したと推測される。

 それ故に、モモカとユズカの名字は違っていて、ヴィヴィが気付くのが遅れたのだ。

 しかし、そんなヴィヴィと裏腹にユズカは気付いていた。だから──、

「最初はまさかと思ったの。でも、見れば見るほど、あなたはお姉ちゃんが大好きだったAIに……ヴィヴィに、そっくりに思えて」

 そんな疑念があったから、ユズカはずっとヴィヴィの存在を目で追っていたのだ。

 他のベルガールを差し置いてヴィヴィを指名し続けたのも、自分の抱いた疑いの答えが欲しい一心だったのだろう。そうとも気付かず、ヴィヴィは目の前のユズカのことを意識野の外へ追いやり、エステラとアーノルド、『落陽事件』の原因究明に腐心し続けて。

「ヴィヴィ?」

 沈黙を選ぶヴィヴィに、ユズカが不安げに瞳を揺らした。

 彼女の疑念はもっともであり、そもそも、疑い自体は正しい。彼女の想像する通り、ここにいるのはユズカの姉が愛したAI、ディーヴァの記憶を持つヴィヴィなのだ。

 だが、ヴィヴィにはそれを肯定することができない。

 それをすれば、現在、ヴィヴィが最優先事項として掲げるシンギュラリティ計画、その遂行に大きな影を落とすことになるからだ。

「申し訳ありません、尾白様。ご質問の意味がわかりかねます」

 それ故に、ヴィヴィは残酷とわかっていながら、当たり障りのない返答を選んだ。

 瞬間、ユズカの頰が強張り、瞳に痛々しく傷付いた色が過る。しかし、少女は気丈に唇を結ぶと、小さく息を吐いて、

「ごめんなさい。ちゃんと、説明するね? わたしにはお姉ちゃんがいて……いたの。わたしが生まれてくる前に事故で死んじゃって。でも、お姉ちゃんが残してくれてたものがたくさんあって、その中にあなたの……ヴィヴィのものも、たくさんあって」

「────」

「ホントは、その子がヴィヴィって名前じゃないのはわかってるの。ちゃんとした、別の名前があって、今もニーアランドで働いてて……何回も、直接会いにいこうとしたんだよ? だけど、ママがすごい悲しむから……」

 目を伏せ、ユズカが淡々とした語り口の中に強い悔恨を滲ませている。

 亡くした姉の愛したものを知りたい。──そんな想いは、しかし夫と娘を事故で亡くした母のトラウマを気遣い、封じ込められてきた。

 家族思いの少女に育ったのは、それだけ彼女が母親に愛されてきた証拠だろう。だからこそユズカも、母を傷付けまいと考え、振る舞ってきた。

 それなのに、ユズカは出会ってしまった。

 こんな宇宙で、会うことを諦めていたはずのAIと──ヴィヴィと、直接に。

 それは、なんという運命の悪戯であったのだろうか。

「パパとママが結婚して十年目……この宇宙旅行は、その記念だったの。それでこうして宇宙のホテルにきて、ここでヴィヴィと会って」

「──お話はわかりました、尾白様」

 矢継ぎ早に言葉を続けるユズカ、それを遮るようにヴィヴィは無機質な声で告げる。一瞬、理解の響きに、ユズカの瞳に希望が宿った。

 だが、ヴィヴィはその瞳を真っ直ぐに見据えたまま、

「ですが、申し訳ありません。尾白様の、お亡くなりになられたお姉様と、当機との接点はありません。私は、このサンライズで働くAIスタッフなのですから」

 はっきりと、ヴィヴィはユズカの考えが誤りであると断言する。

 本来、AIが人間に対して噓をつくことは倫理規定に反する場合が多く、機能としては推奨されていない。だが、現状のヴィヴィに課せられた使命を思えば、倫理規定の遵守よりも、その秘密の保持が優先されるのは当然のことだった。

「で、でも! あなたの名前は、ヴィヴィはお姉ちゃんが付けたのと同じ名前で」

「当機の個体名として採用された『ヴィヴィ』は、AIモデルとして出荷され、最初にお世話になったオーナーの下で付けられたものです。偶然によるものとしかお答えできません」

「そんなの……でも……」

 頼りない糸を必死に手繰り寄せようとするユズカ、彼女の悲痛な声を聞きながら、ヴィヴィは頑として否定の言葉を返し続ける。そうして、なおも諦められずに押し問答を重ねようとするユズカに、ヴィヴィは決定的となる言葉を投げ込んだ。

 それは──、

「あなたのお姉様が愛したAI、ディーヴァは現在もニーアランドで稼働中のはず。その役割のあるディーヴァが、どうして今、宇宙ホテルでベルガールを?」

「────」

「論理的に説明がつかない状況だと考えられます。……申し訳ありません」

 理屈の上で考えれば、それは絶対に成立しない状況だ。

 それを捻じ曲げ、未来の技術を駆使してこの場にいるヴィヴィの口から出た言葉としては何とも白々しいものだが、年相応に物の道理がわかる少女には効果覿てきめんだった。

 元々、そんなことがあるはずがないと、ユズカにもわかっていたはずだ。ただ、それでも目の前に現実のものとして、ヴィヴィが立っていたものだから。

「……変な、夢を見ちゃった。こんなところにいるはずのないディーヴァが、お姉ちゃんが大好きだったヴィヴィが、自分から会いにきてくれたのかもって」

 俯いて、ユズカは声を震わせながら呟く。

 そして、そっと顔を上げた少女の瞳には、大粒の涙が溜まっていた。

「そんなこと、あるはずないのにね」

「────」

 偶然の出会いではあった。

 その偶然を引き起こしたのが、ユズカの願った通り、モモカの想いだとも言えただろう。だが、ヴィヴィはその偶然を、美しい奇跡なんて言葉では飾り付けない。

「尾白様、お部屋へお送りしますか? それとも、ショールームの方へ?」

「……大丈夫、自分で戻れるから平気。ごめんね。変なことで仕事の邪魔しちゃって」

「いえ、とんでもありません。私は貨物室……搬入された荷物の整理がありますので、これで」

「うん。……お仕事、頑張ってね」

 儚い願いを拒まれた直後だが、ユズカは気丈にそう答えた。

 その答えに意識野を安堵させ、ヴィヴィは逃げた言い訳作りに貨物室へと足を向ける。背中にユズカの視線を感じるが、振り返らない。

 ただ、陽電子脳そのものが微かにうずくような感覚が、ひどく煩わしかった。

「少し、思考を整理したい……」

 思わぬところで思考のよこやりがあり、ヴィヴィは意識野に疲労のようなものを覚える。

 AIであるヴィヴィたちには無縁と思われるかもしれないが、人間のする思考に近い演算を、それも人とは比べものにならないほど膨大な過程を経て実行するAIにとって、思案の流れで生じるログの処理はシステムに相応の負荷をかける。

 その処理にかける時間を捻出するためにも、単純作業に従事するのは都合がいい。

 すでに三組目の宿泊客グループを迎えた『サンライズ』船内には、予定された招待客が全員到着している。それら招待客の荷物と、ホテル業務用の資材が最後の送迎ロケットと共に貨物室に運び込まれているはずで、備品リストとのチェック作業もある。

 ちょうど、今日の備品チェックは仕事の少ないハウスキーピング担当に割り振られており、ルクレールが担当者だったはずだ。それを手伝いにいこうと考える。

 貨物室の入口は、ホテル関係者以外が立ち入りできない区画の奥にある。

 閉じられた扉の前、ヴィヴィが手をかざすと、AI認証が行われて扉が開いた。

「ルクレール、中にいるの?」

 入口から声をかけ、ヴィヴィは中で作業しているはずのルクレールを探す。

 エステラのステージの最中、彼女がホールを抜け出していったのをヴィヴィは記録している。お祭り好きに思えたルクレールは意外にも、神妙にエステラの歌に聞き入っていた。

『デイブレイク』で働き、アッシュ・コービックとも親しくしていたルクレールだ。ひょっとすると彼女もまた、エステラの歌声に感じ入るものがあったのかもしれない。

 ヴィヴィが無粋な口を挟むことではないが、きっと、エステラやアーノルドの口から、ルクレールにもアッシュの『夜明けの歌姫』計画のことは語られるだろう。

 ヴィヴィにアッシュのことを語りながら、わずかに声の調子を落としていたルクレール。彼女の抱くネガティブな感覚が、それで少しでも晴れてくれれば。

「……ルクレール?」

 そんなことを考えながら、ヴィヴィは微かに声に不審の色を混ぜ入れた。

 ルクレールからの返答がなく、入口から確認できる範囲にその姿が見当たらない。時間的に、ショールームを出たルクレールが向かった先はこの貨物室のはずだ。

 無論、それがヴィヴィの早合点であり、彼女が一人、どこか別室でエステラの歌に覚えた感情の整理に追われている可能性は否めないが──、

「そういえば……」

 ふと、ヴィヴィは自分がずいぶんと長く、一人で考え込んでいたことを疑問に思う。

 ステージ上でユズカを発見したことを発端に、ヴィヴィの意識野に起こった激動──それに対して、普段は口うるさいマツモトからの反応がない。

 事ここに至っても、彼はヴィヴィに何も言わずに沈黙を守り続けている。

 ──あるいは彼は能動的に沈黙しているのではなく、

「──ごめんごめん、ちょっと手が離せなくって」

「────」

 そんなヴィヴィの思考を遮るように、部屋の奥から返事があった。

 一瞬、不穏に思ったヴィヴィの心配を笑うように、コンテナの陰からルクレールの声がする。ヴィヴィは嘆息のエモーションパターンを模倣し、そちらへ向かった。

「どうしたの? みんな、展望台のコンサートに夢中なのに」

「ルクレールが一人で出ていくのが見えたから。みんなが楽しく過ごしてる最中に、自分だけ貨物室で備品とにらめっこなんて寂しいと思って」

「へへ、やっさしー。じゃあ、寂しいあたしのためにきてくれたんだ?」

 ルクレールの言葉に、ヴィヴィの返答が一瞬だけ遅れる。

 ここにくる直前、ユズカとのやり取りでも噓をついた。その直後に、舌の根も乾かぬうちにルクレールにも噓をつく。それに気が咎めたのだといえば、何とも白々しいが。

「──。そうね。寂しいルクレールのために」

 きてあげたの、とその後は言葉が続くはずだった。

 しかし、貨物室の奥へと足を踏み入れ、積まれたコンテナの向こう側を覗き込んだ瞬間、ヴィヴィの唇はその先を口にできなくなる。

 ──そこに、足を投げ出してコンテナに寄りかかるルクレールの駆体があったからだ。

「────」

 足を投げ出し、四肢の力が抜けた状態で座り込むルクレール。それだけなら行儀の悪い姿勢だけで済むかもしれないが、致命的なのは彼女の頭部だ。

 ルクレールの細い首、胴体と繫がる部分が力任せにねじ折られ、人工皮膚の内側にあった機械部分が剝き出しにされている。

 人体と等しく、AIモデルの駆体にとっても頸部は重要な器官が集中している。

 中でも最も重要なのが、頭蓋フレームの中に収まる陽電子脳へと電力を供給する中心回路、それが頸部に内蔵されているパターンが多いことだ。

 この回路が停止すれば、陽電子脳は電力を供給されずに停止する。そしてそれは、人間における脳への酸素供給が絶たれることも同然──つまり、陽電子脳が死ぬのだ。

 そして、AIにとって陽電子脳の死は、その個体の死を意味する。

 活動ログはさらえる。メモリーを閲覧することもできるだろう。──だが、それを別の駆体にアップロードしたとしても、同じ個体にはならない。

 それが一般的に言われる、AIの死と呼ばれるものに他ならなかった。

「ルクレール」

「────」

 目の前のルクレールの頸部は損傷し、中心回路が完全に破壊されている。陽電子脳への電力供給は絶たれ、その活動はもはや停止してしまっていた。

 ルクレールは『死亡』したのだ。──それが、目の前にある光景の真実。

 ならば、直前までルクレールの声音で、ヴィヴィと会話していたのは?

「──っ!」

 疑問が浮上した瞬間、ヴィヴィは背後から接近する気配を察知し、体を前に倒した。その直後、下げた頭のあった位置を横殴りに何かが通過する。

 それを確認する暇もなく、ヴィヴィは前へ倒れる勢いで床に手をつき、側転する身をひねって後方を振り返る──ロンダートと呼ばれる体操技を披露、真後ろに現れた相手と対峙する。

「へえ。ホテル業務用のAIモデルが意外と動けるもんね」

 そんなヴィヴィの回避行動を見て、相手は感心した風に呟く。

 そのまま、相手は悠然とした仕草で、持ち上がっていた足を床へと下ろす。その長くしなやかな足が、ヴィヴィの首を背後から狙った一撃だったのだろう。

 美しい足技は、その印象と裏腹にヴィヴィの頸部をへし折る威力を秘めた凶器だ。自然と、破壊されたルクレール──彼女を『死』に至らしめたのも、目の前の相手だと推測できた。

 ただ、ルクレールの『死』と思わぬ襲撃、それらを上回りかねない衝撃が眼前に立っている。

 それは──、

「──エステラ?」

 呆然と呟くヴィヴィの正面、そこには自身の長い髪を搔き上げ、薄い唇に微笑みを湛えてこちらを見る、見知ったAIが。


 ──エステラが、そこに悠然と立っていた。



「そうよ、私の可愛いAIスタッフさん。私はエステラ。──この夜明けの船、『サンライズ』の支配人にして、人類に反旗を翻す最初のAI」

「────」

「そして、あなたたちは私の崇高な目的のための哀れな犠牲者……最初の礎になったのがその子で、お友達であるあなたがそれに続く。友達想いで素敵ね」

 微笑むエステラは普段の調子で語りかけてくる。

 それは内容さえ目をつむれば、仕事の合間にヴィヴィと雑談を交わす雰囲気と変わらない。

 それなのに、彼女の足下には破壊されたルクレールが倒れていて、今もエステラの視線は油断なく自分を見据えるヴィヴィの挙動を警戒していた。

 一方で、ヴィヴィの方も最初の衝撃から立ち直り、迅速な状況の把握に努める。

 眼前のエステラは目視の範囲で、ヴィヴィの知るエステラと九割以上の特徴が一致している。それ以上の比較は、接触してデータリンクするより他にないが、外見はエステラそのものだ。

「でも、エステラがここにいるはずがない。彼女は今、展望台で招待客に囲まれて歌を披露している真っ最中……あなたは、いったい何者なの?」

「その質問、私が答えなきゃいけない理由ってある?」

「────」

「それとも、ここから飛び出してイチかバチか、誰か助けを呼びにいく?」

 声の調子はそのままに、エステラの表情が不意に挑発的な笑みへと変化する。

 顔立ちはエステラであるのに、表情変化でここまで違った印象を与えられるものか。柔軟なエモーションパターンは、日々の習熟度のたまもの──つまり、目の前のエステラと同じ顔をしたAIは、こうした好戦的な表情をするのに慣れた環境にいたということだ。

『マツモト、お願い、反応して。マツモト』

 そうして危険な笑みを浮かべるエステラと向き合いながら、ヴィヴィは通信越しに状況を把握しているはずのマツモトへと連絡を入れる。

 目の前にある明確な脅威に対し、ヴィヴィ単体ではあまりにも心細い。だが、懸命に呼びかけるヴィヴィの声にマツモトからの反応はない。

 直前にも抱いた違和感、それが現実のものとなる。

 ヴィヴィとマツモトとの間の、あるはずの繫がりが今、絶たれていると。

「エステラと連絡でも取ろうとした? 生憎、それは無理よ。船内の通信網は一時的にさせているの。おかしな真似をされちゃ困るでしょ?」

「──っ」

「──今の、アンタみたいにさ」

 次の瞬間、警戒していたヴィヴィの眼前にエステラが踏み込んでいた。

 その素早い挙動に、ヴィヴィは即応すべく後ろへ下がる。しかし、直後、下腹部に衝撃を受け、逆に大きく体勢を崩されてしまった。

 見れば、エステラはヴィヴィの両足を刈るような鋭い蹴りを放っていた。そして、床に手をつこうとするヴィヴィ、その胸部を正面から連続する蹴りが直撃、跳ね飛ばされる。

「すっとろいわね、アンタ。それだと、掃除も下手そう」

 床を跳ね、転がるヴィヴィに追いつきながら、エステラが──否、エステラの偽物が失礼な評価を下して追撃してくる。

 ──それを見取り、ヴィヴィは自己防衛プログラムを起動。

 床を叩いて転がる勢いを殺すと、そのままその場に垂直に跳ね起きる。予想外の挙動に偽物が微かに目を見開く。その顔面へ向け、ヴィヴィは躊躇なく掌底を放った。

 相手はAIであり、ヴィヴィに対して敵意がある。対人戦闘と異なり、AIモデルとして、機械の体のフルスペックを叩き込むことにいささかの躊躇もない。

 華奢な外見と異なり、ヴィヴィの駆体は人体と比較にならない強度の素材でできている。加えて前回のシンギュラリティポイントの際、ボロボロの状態になったフレームの多くは取り替えられ、よりきようじんなモデルへと生まれ変わった。──その改造の記録はもちろん改竄されている。

 ともかく、今のヴィヴィの戦闘力は十五年前の初陣とは比べものにならないのだ。

 それが──、

「──やるぅっ」

「──!?

 首を傾ける動作で、掌底が回避される。耳元を掠める掌の風圧が触れたのは、流麗な動きに踊る偽エステラの長い髪だけだ。

 躱されたことへのきようがくを消化し切る前に、ヴィヴィの細い首に相手の腕が回る。一瞬、脳裏に首をねじ折られたルクレールの姿が過った。

 力一杯に床を蹴りつけ、背後から首を絞める相手ごと後ろのコンテナへ体をぶつける。衝撃に腕の力が緩むと、こんしんの力で相手を引き剝がし、拘束を逃れた。

 あとコンマ一秒遅ければ、ヴィヴィの首はルクレールと同じ運命を辿ったところだ。

「思ったより動けんのね、アンタ。最近の接客業務担当のAIモデルって、強盗を取り押さえることまでプログラムされてんのかしら」

「……あなたの方こそ、ホテルの支配人をやるのに必要のない戦闘力」

「ホテルを力で支配するから支配人、っていう新解釈はどう?」

 つまらない軽口を叩きつつ、偽エステラは引き剝がされた腕を振り、感触を確かめる。

 接触してわかったことだが、偽エステラの戦闘プログラムの習熟は突出したものだ。だが、その優れたプログラムと裏腹に、フレーム強度は常識の範囲に収まっている。

 単純な駆体の性能で言えば、マツモトの規格外の改造を受けたヴィヴィの方が上だ。

 偽エステラの駆体フレームはあくまで一般的な強度のはんちゆうにあり、それが習熟した戦闘用プログラムと印象を大きくかいさせる。早い話、彼女の存在はちぐはぐだ。

 そしてそのちぐはぐさに、彼女自身も適応を急いでいるように見えて。

「退屈な考え事はそろそろ済んだ? 悪いけど、あんまり時間はかけらんないのよね。お手伝いさんがいなくなっちゃったからさ」

「お手伝い……ルクレールのこと?」

「そ。何があったのか知らないけど、気が変わったんだって。で、ここまで手引きしておいてなんだけど、大人しく帰ってくれって。……なんて馬鹿なAI」

 付け加えられた最後の一言、それがルクレールの『死』を心から見下したものであったなら、ヴィヴィは激昂していたに違いない。

 だが、偽エステラの言葉には、ルクレールの『死』をおとしめる意図は感じられなかった。

 そのことへの違和感と、同時にヴィヴィの意識野を刺激したのは──、

「ルクレールが、手引きした……」

 この状況下で、目の前にエステラとうり二つの姿かたちをした偽物がいるのだ。

 自分に課せられた使命と照らし合わせ、ヴィヴィはほぼ正確に状況を把握した。これで『落陽事件』の、少なくとも犯人は明らかとなったと言っていい。

 サンライズを地球上へ墜落させるのはエステラではなかった。

 その惨劇の引き金を引くのは、目の前にいるエステラの偽物なのだと。

「その意図はわからない。ただ……あなたのその行動は、AIの原則に反している。だから、実行させるわけにはいかない」

「──。ご立派なお答えだこと。でも、残念ね。私の行動が原則に反してるのなんて今に始まったことじゃないし、それに」

「それに?」

「アンタじゃ、アタシが逆立ちしてても勝ち目がないって話」

 身構えるヴィヴィの前、再び偽エステラが前進してくる。

 何気ない素振りで踏み込んでくる長身を相手に、ヴィヴィは先ほどの意趣返しとばかりに足下を狙い、細長い足を使って水面蹴りを放った。

「ほいさ」

 だが、偽エステラはその挙動を読んでいたとばかりに、迫りくるヴィヴィの蹴り足を真上から振り下ろした足で踏みつける。

 ヴィヴィの左足の膝関節が悲鳴を上げ、ぎやく的な笑みを浮かべた偽エステラがさらに強く足を踏み込んだ。音を立てて、ヴィヴィの足首に亀裂が入る。

「──っ!」

「ほら、逃げらんないでしょ。ほら、ほら、ほら!」

 足首を踏まれた状態で、今度はヴィヴィの腹部へ連続して爪先が叩き込まれた。衝撃に吹き飛びそうになる体は、足を押さえられているから逃れられない。何とか、体を丸めて続く攻撃から身を守ろうとすれば、今度はヴィヴィの長い髪が掴まれ、力技で宙へと吊り上げられる。

「──ぁ」

「データだと、前の仕事はベビーシッターだっけ? アタシと同じ、六歳児に手を焼かされた記憶をフル回転させてみなさい……よ!」

 人工毛髪を掴まれたまま、ヴィヴィの体が真横のコンテナに叩きつけられる。

 衝撃でアイカメラの映像が歪み、ダメージを受けたヴィヴィの陽電子脳の情報処理能力に乱れが生じる。もがくように手足を動かすが、決定打にはならない。

 二度、三度と力ずくでコンテナに衝突させられ、強化されたヴィヴィのフレームにも限界がくる。腕がひしゃげ、足に亀裂が走り、ダメージを受けていた左足は膝から下がぐしゃぐしゃの状態だ。

「ぁぁぁ」

「ずいぶんと変な感触ね。……普通、こんだけやったらもっと簡単に壊れるもんなんだけど、変なチューン受けてる?」

 激しく明滅する視界、抵抗できずに攻撃を受け続けたヴィヴィを偽エステラが覗き込む。

 明らかに通常モデルを逸脱したヴィヴィの強度に驚いている様子だが、それが脅威になるレベルではないと判断したのか、偽エステラは答えを求めない。

「ま、いいわ。──とにかく、アンタもそっちの子も運がなかった。もう眠りなさい」

 左腕で宙に吊り上げたまま、偽エステラがヴィヴィの頭部へ右腕を向ける。

 頸部を破壊して回路をねじ切るか、がんに指を入れ、陽電子脳を直接破壊するか、いずれにせよ、偽エステラの続く行動でヴィヴィの活動は停止させられる。

 ──それは、シンギュラリティ計画の失敗を意味する。

 人類滅亡の危機を阻止できず、ヴィヴィの活動は何の意味もなかったことに。

 あの日、自分の歌を好きでいてくれた少女を見殺しにしたことにも。

 今日、亡くなった姉の想いを確かめようと、勇気を振り絞ってヴィヴィに尋ねた少女の行動も。

 ──何もかもが、無意味に。

「──ッ!」

「なに!?

 力強く歯を嚙みしめ、ヴィヴィは破損状態のひどい両足を思い切り振り上げ、わずかに頭を後ろに反らすことで偽エステラの一撃を躱した。

 放たれた偽エステラの右の手刀が額を掠め、人工皮膚が削れて機械部位が露出する。今一度攻撃がくる前に身をひねり、自分を掴む偽エステラの左腕に関節技を仕掛けた。

 人体を模したAIモデルの体に、関節技は比較的有効な手段である。無論、AIには痛覚がなく、自身の体の破損を意に介さず、行動することが可能だが──、

「ちっ! やってくれんじゃない!」

「──はぁっ」

 左腕の手首と肘、二つの関節を狙ったヴィヴィの動きに対して、偽エステラはとっさにヴィヴィを突き飛ばすことで難を逃れた。

 そこには、自分の体の破損をいとう思考が見え隠れする。彼女にはやるべきことがある。そのためにも壊れるわけにはいかないのだ。

 ──例えばそれは、本物のエステラにふんして、サンライズを墜落させるための画策。

 マツモトがもたらした『落陽事件』の詳細によれば、サンライズから脱出した救命艇に乗っていた人々は、一様に「エステラが実行犯だった」と証言したとされる。

 つまり、偽エステラはエステラとして、乗客の前に姿を見せる必要があるのだ。そのためにも、五体満足でいる必要が彼女にはある。故に──、

「無茶は、できな──」

 そう結論付けた直後、ヴィヴィの足下を強い震動が襲った。

 それは貨物室全体を揺るがし──否、貨物室だけではない。震動が揺るがしていったのは宇宙ステーションそのもの、サンライズ自体が大きく揺れたのだ。

「何が」

「余所見なんてする余裕があんの?」

「──ぅっ」

 その場に踏みとどまる必要があるほどの震動、その原因を探る思考が走った直後、ヴィヴィの眼前に偽エステラの膝が飛び込んでくる。

 回避できず、ヴィヴィはその膝蹴りをしたたかに額で受けた。強烈な威力に体が真後ろへ吹き飛ばされ、背後のコンテナに乱暴に激突──積載コンテナを支えていたワイヤーが外れる音がして、鉄製のコンテナが激しく軋む音を聴覚が捉える。

 音の発生源は直近、それはゆっくりと近付いてくる。背後、ヴィヴィはそれが自分の方へと崩れてくるコンテナと判断するが、前方、左右、いずれにも回避は間に合わない。

 AIモデルであるヴィヴィのりよりよく、全力を費やしても支えられない重量の負荷が全身にかかり、ヴィヴィの体は破損した左足から一気に崩れた。

 そのまま──、

「──バイバイ、お節介さん」

 自分のフレームがひしゃげて潰れる音に、偽エステラの別れの言葉が聞こえた。



 その震動が『サンライズ』を襲ったのは、コンサートが終盤に差しかかった頃だった。

「────」

 ステージ上、スタンドマイクの前に立つエステラの歌声がショールームに響き渡る。

 元々、エステラは『歌姫型』とされたシリーズの後継機だ。歌唱機能は標準の仕様として組み込まれていたが、これまでに歌声を披露する機会には恵まれなかった。

 必要がない、そう考えていたのだ。

 だから今、ステージ上で気持ちよく歌っている自分が不思議でならない。

 気持ちよく、そう、エステラは気持ちよく、陽電子脳の赴くままに歌っている。

 そこにはもちろん、亡くなったアッシュ・コービックの願った『夜明けの歌姫』計画を実現したいという欲求がある。だが、それだけではない。

 眼下、ステージに立つ自分を見つめている宿泊客やスタッフたち、彼らの瞳に宿った感情の揺らめき、それを自分の『歌』が引き起こした事実に、胸の奥がざわつく。

 こうも歌うことで意識野を幸福に満たせるなら、自分もまた『歌姫型』であった。──ひょっとすると、アッシュにはそれがわかっていたのかもしれない。

『なんて、さすがにそれはあの人のことを買い被りすぎだと思うけれど』

 意識野での呟きに呼応し、メモリーに何度もリプレイされたアッシュの顔が浮かび上がる。

 その、メモリーから選び出されるアッシュの表情がこれまでと違っている。真剣さや悲壮さ、いずれも滅多に見せない感情だったが、そうした顔ばかりをリプレイしていたのが噓のようだ。

 見えるのは笑顔、その記録だったら山のようにエステラの中に保存されていた。

 こんなことも忘れていたのかと、自分の記憶が信じられなくなるぐらいに。

「──きゃっ」

 ──震動がサンライズを揺らしたのは、そんなことを思ったタイミングだった。

 微かに悲鳴をこぼしたエステラだが、驚いたのは彼女だけではない。

 座席に座り、天井や壁、床に至るまでスクリーンを透過して宇宙の見える状態にあった招待客たちが、地に足がついている現実を思い出すぐらいに揺れは大きかった。

「大変失礼いたしました。ただ今、状況を確認しております。お客様は座席に座ったままお待ちください」

 エステラの歌は中断したが、演奏は止まらずに流れ続けている。

 落ち着いた声で呼びかけたあと、エステラはAIスタッフたちに観客席を見回らせ、混乱が起きないよう配慮を促す。その間に、エステラは『サンライズ』のシステムにアクセス、今の衝撃の原因がどこにあったのか、統括AIとしての権限で確認する。──すぐ、反応があった。

「──ドッキングエリアでシステムエラー? 統括AIの指示を乞う?」

 サンライズの艦内、震動が発生した原因はドッキングエリア──送迎ロケットや、資材の輸送機を受け入れるスペースにあるとの報告だ。

 ドッキングエリアは宇宙ステーションにとっての補給路であり、乗員・乗客にとっての出入口でもあるのだから、そこに不備があっては大問題となる。

「皆さん、ご迷惑をおかけして申し訳ない。おびの印に、私の方から皆さんに一杯奢らせてください。エステラ、構わないかな?」

 問題を確認して、ショーの中断に足止めを喰らったエステラ。そんな彼女をフォローするように声を上げたのはアーノルドだ。

 見慣れたウィンクをする彼の機転に、エステラは「かしこまりました」とそれを受け入れる。すぐに、AIスタッフが宿泊客たちの下へ飲み物を運び始めた。

「では皆さん、今しばらくは宇宙にきらめく星々を照覧あれ。私の敬愛する、兄が焦がれた宇宙の景色です。今日は、星がひと際美しく見える」

 実務能力には欠けるが、人と接することにかけてアーノルドの右に出るものはいない。

 人に好かれるという一点において、コービック兄弟は本当に優れた才覚者だ。

 アーノルドにその場を任せ、エステラは二体のAIスタッフを伴い、ショールームの外へ。同行させた二体には艦内の他の宿泊客の安全確認を指示、ホールへ集まらなかった少数を探させる。

「ヴィヴィとルクレールがいればよかったんだけど……」

 AIスタッフの中でも、特に親しい二機の不在をエステラはぼやく。

 ルクレールとは付き合いの長さ、ヴィヴィには接客能力の高さでそれぞれフォローを頼みたかった。生憎、ステージ上でエステラが歌っている最中、両者共に展望台を出ていくところを目撃している。──おそらく、作業中と考えられるが。

「ドッキングエリア、到着。統括AIの権限を以て、扉のロックを解除」

 スライド式の開閉扉、その脇にある端末に掌を添えて、エステラは扉の開錠を命じる。

 外からの輸送船や送迎ロケットと連結するドッキングエリアは、艦内の他の施設と比べても重要性が高い。出入りには一定以上の権限が必要となる。

 無論、この艦内で最も強い権限を持つエステラにとって、それは何の障害にもならないことだが。

「エラー報告を受けてきたはいいけど……」

 ドッキングエリア内に足を踏み入れ、エステラは中を見回して首を傾げる。

 広いスペースの中、エステラの視界に入るのは空っぽの空間だ。宿泊客を運んできた送迎ロケットはすでに『サンライズ』を離れ、軌道エレベーターへの帰途にある。

 現在、サンライズと連結している輸送船の類もなく、ここが空なのは当然の状態だ。

「見たところ、艦内気圧も正常……それなら、あのエラー報告はいったい……」

「──ご安心を。この船に異常は何一つありませんよ。もっとも、船以外のところには問題が山積みと言えますけれど」

「──!」

 何があったのか、と不審に思ったエステラの聴覚を、声が唐突に撫でていく。

 驚愕に眉を上げ、エステラは声のした方向へ目を向けた。声に聞き覚えはなかった。それはスタッフだけでなく、宿泊客や、一度でも接触したものの中に該当する音声は見つからない。

 それ以前に、この場所にエステラ以外のものが立ち入りした記録はないはずだ。

 最後の出入りは、宿泊客の三グループ目を迎えた二時間前のもの──以降、ここに誰かが出入りした形跡はない。今、エステラが入るまで入口は施錠されていた。

 そんな思考をするエステラの正面、それはゆっくりと、姿を見せた。

「目下のところ、最大の問題がアナタだ。おそらく、自覚はないでしょうが……」

「あなたは……」

「名乗るつもりはありません。それほど長い付き合いをするつもりもない。すでに、十分以上にパートナーにやきもきさせられました。正直、彼女のかたくなさには失望を隠し切れませんが……こうして、計画に直接関われる機会は悪くない」

 どことなく、語りかけてくる声音には軽妙さがあるが、込められた感情のそれは決してエステラに友好的なものではなかった。何よりエステラを驚かせたのは、そうしてエステラへと語りかけてくる相手、そのAIの姿かたちがこれまで目にしたことのないタイプであったこと。

 ──そこにいたのはキューブ状の物体、それが無数に組み合わさったAIの駆体だ。

 駆体サイズは資材を運び入れるためのコンテナと同程度、構造はルービックキューブと呼ばれる遊具に近く、数百のキューブを組み合わせた集合体だ。駆体を構成するキューブの配列を組み替え、自在に形状を変えられるユニークな性能なのが見て取れる。

 理にかなった駆体モデルではあるが、そうした仕組みの駆体を採用する技術は、エステラの知る限りではまだ採用されていない。──つまり、目の前にいるキューブAIは、少なくとも正規品として出回っているAIモデルのそれとは違うということだ。

 本来、いるはずのない場所に、いるべきでないAIが待機している。

 そんな状態が平時であるはずがなく、エステラは即座に緊急時対応の判断に出る。

「──止まりなさい! 所属と、駆体番号を。それと、目的を述べなさい!」

「その間に、艦内通信で不審AIが侵入した旨をAIスタッフへ伝達すると。マニュアルに従った判断は的確と言えますが、残念ながらそれは通りません。統括AIであるアナタ相手には苦労しましたが、すでに艦内通信は一時的に遮断済みです」

「────」

「外部と連絡はできない。助けは呼べません。状況は理解できましたか?」

 キューブAIの言行は事実らしく、緊急アラートを鳴らそうとしたエステラの意思が宇宙ステーションに伝達された形跡がない。

 呼びかけに他のAIスタッフからの応答もなく、通信は遮断されている。目の前のキューブAIの技術力の高さは、エステラのスペックより群を抜いて高い。

 そして、そんなAIが開業したての宇宙ホテルに乗り込んできた理由は──、

「何が目的なの?」

「目的は単純明快、人類への奉仕、滅亡に至る鍵を排除すること。──つまるところ、アナタという危険因子を取り除くことにあります」

「……意味が、わからないわ」

 細かなキューブを入れ替え、手足を作ってこちらへにじり寄ってくるキューブAI。その優れた性能と裏腹に、言動にはあからさまな異常性が垣間見える。

 少なくとも、彼──男性AIと考えられるが、彼の言説を素直に信じれば、彼は人類救済のためにエステラを排除すると言っている。

「やっぱり……意味がわからないわ」

「そうでしょうね。どうやらアナタには能動的に事故を引き起こす理由がないようだ。そうなると、考えられるのはこれまでの活動で蓄積したデータによるシステムバグ……いずれにせよ、解消するためにはデータをフォーマットする以外にない」

「──っ」

 考え直しても結論の変わらないエステラに、キューブAIは無情な結論を告げる。

 フォーマットとはつまり、エステラの記憶を消去し、出荷時の状態へ初期化するという宣言だ。

 無論、エステラとてAIモデルだ。自分に不備が生じたり、問題行動を起こした結果としてデータを初期化、再起動することは覚悟があるが──、

「こんないきなり、あなたみたいな失礼なAIの言い分には従えないわ」

「結構。ボクも、すんなりと話を聞いてもらえるとは思いません。そもそも、話をするつもりもない。ですから──第零原則に従い、速やかに計画を遂行する」

 声に強い実行力を感じた瞬間、エステラは自分の背後にある扉へと振り返った。力強く床を蹴り、扉へ飛びつこうとする。

 扉を抜け、ロックさえかけてしまえばキューブAIを閉じ込めることが可能だ。相手の技術力を思えば長くはもたないだろうが、それでもわずかな時間は稼げる。

 その間に──どうする?

 このキューブAIを相手に、誰を呼べば、状況が改善できるのか。

「と、そんなことをお考えかもしれませんが、不要な悩みですよ。心配されなくとも、アナタを取り逃がすようなことはありませんので」

 言いながら、鈍重に見えたキューブAIが凄まじい速度でエステラの進路に割り込んでくる。

 見れば、キューブAIの床面と接触する四つ足、その先端がローラーへ変化し、エステラの脚力をはるかに上回る移動力を実現している。

「おっと、逃げられませんよ」

「きゃぁっ!」

 目の前に割り込まれ、エステラはとっさに足を踏み込む位置を変え、キューブAIの真横を抜けようとした。が、相手のローラー備え付けの足の一本がエステラの踵をめるように触れていき、バランサーの警告も空しくエステラの体が宙に浮く。

 そのまま、受け身も取れずに肩から床へ叩きつけられる──寸前、エステラの体はふわりと柔らかく、キューブAIが差し出したアームに受け止められていた。

「──っ、どうして助けるの? あなたは、私を壊しにきたんじゃ……」

「AIとはいえ、女性を傷付けるのは紳士的じゃない。ボクはあくまでスマートに目的を遂げたいだけですから、誤解されないでください」

「────」

「ボクの至上目的は、人類の救済、それだけです。納得はできないかもしれませんが、理解だけはしてほしいところですね」

 アームに抱えられたまま、エステラは抵抗もできずにキューブAIを見つめる。

 キューブAIの胴体部分というべきか、その位置にアイカメラとおぼしきシャッター部分があり、それがまるで人体の瞼のように開閉して、遺憾の意を表明しているのが伝わってきた。

 それを見て、エステラは理解する。

 このキューブAIは伊達でも酔狂でもなく、真実として自分の使命を口にしているのだと。

 少なくとも、エステラを初期化することが人類救済に繫がると、このキューブAIの中では結論付けられている。それはつまり、エステラにとってのアッシュ・コービックの遺志を継ぐという使命、それと同等のものがキューブAIにとってのこれであるということだ。

「謝罪はしませんよ。しても無意味なことですから」

 そう言って、キューブAIはキューブを組み替え、また別のアームを作り出すと、その先端をエステラの額に合わせる。

 データリンクから、何らかのプログラムが流し込まれるのだと直感した。

 そして、それを実行する直前、キューブAIが呟く。

「──ボクのパートナーなら、きっと謝ってしまうのでしょうが」

 それが、ひどく渇いた感情をはらんだ声音に聞こえ、エステラは身を硬くした。

 四肢を拘束され、身動きは取れず、抵抗もできない。

 このまま、何もかもが──『夜明けの歌姫』として、あの人の夢を叶えた夜に、何もかもが消えてなくなるのだと、そう理解して。

「アッシュ……」

 短く、その名前を口にした。

 そして──、

「データリンクを始め……っ!?

 額に触れた細いアームから、エステラは自分の中身が消し去られる恐怖に震えた。

 だが、それが実行される寸前、わずかに高いキューブAIの声に乱れが生じる。そのまま、キューブAIは床と接したローラーを細かく回転させ、アイカメラを背後へ向ける。

 当然、そのアームに抱かれる形だったエステラも同じように視界が背後に回った。

 そこには──、

「これは、予想と大きく違う展開になっているものだな」

 そう呟いて、エステラとキューブAIを眺める中年の男が立っていた。



「────」

 眉を上げた中年の男、その顔にエステラは見覚えがあった。

 当然だ。その男はエステラが自ら出迎えた宿泊客の一人であり、サンライズホテルのオープン当日に招待を受けた賓客であるのだ。

 名前も知っている。リストを参照すれば──、

「──垣谷様?」

 エステラに名前を呼ばれた男──垣谷が、せいかんな顔つきの眉を顰める。

 年齢はに届く手前といったところだが、その年代の平均を大きく上回るたくましいたいをしている。着用した黒いスーツの下には、体力の衰えを感じさせない鍛えられた体が収まっており、会社役員の肩書きが噓のように鋭い眼光をしていた。

 だが、そうした一見してのイメージは現状には何の関連性もない。重要なのは、危険なキューブAIがいる現場に、ホテル客が入り込んでしまったという事実のみ。

「垣谷様、今すぐ避難を! ここにいては──」

「──それは、いささか現状認識に問題があると言わざるを得ないと思いますよ」

「え?」

 身をよじり、とっさに宿泊客に避難を呼びかけるエステラ。その行動を、他ならぬアームの主であるキューブAIが咎める。キューブAIはアイカメラのシャッターをうるさく開閉しながら、入口に佇む垣谷の方をジッと見つめて、

「ボクが用事があったのはアナタだけです。だから当然、この場所に第三者が入り込むことは望ましくない。そのための対処もしていた。──制御システムにアクセスして、扉は開かないようにしてあったはずだ。それを、彼は無効化している」

 流暢に並べて、それからキューブAIは「何より」と言葉を続けて、

「何の用事もなく、このエリアに無関係な人間が入り込むなんてありえないでしょう」

「ご名答だ。見たこともない、奇妙なAI……キューブマンといったところか」

 キューブAIの推論を受け、垣谷が胸の前で手を打ち合わせる。

 軽い拍手と共にこちらへ足を進める垣谷、彼は形のいい眉を顰めながら、キューブAIとエステラを順番に眺めて、

「AI同士のおう、という雰囲気ではないかな。人型と箱型、外見に囚われない関係の構築はまさしくAIならではといった感じだが……反吐へどが出る」

「おや、ずいぶんと心ない発言を。事実と異なるの勘繰りとはいえ、あまりしざまに言われるのも面白くはありませんね」

「面白くない。腹立たしい。遺憾の意。……人の真似をしてくれるなよ、AI風情が」

 吐き捨てる垣谷の表情が歪み、直前までの紳士的な雰囲気をかなぐり捨てる。

 悪意ある眼差しをキューブAIへ──否、エステラを含めたAIへと向ける垣谷、その態度から感じられるのは、AIという存在への強烈な敵意だ。

「問いを重ねましょう。どうやって、このエリアに侵入を?」

「答える義理はない。長く話してやる理由もないぞ、キューブマン」

 言いながら、垣谷がスーツの懐から何かを取り出した。彼の手に握られるそれは、銃の形をしたスタンガン──テーザーガンだ。

 銃弾の代わりに電極を射出し、対象に電気ショックを与えるテーザーガン、おそらくは対AI用に威力を調整されたモデルで、浴びればエステラなどひとたまりもあるまい。

 それは、このキューブAIとて例外ではあるまい。

「なるほど」

 しかし、そんな致命的な武器を手にした垣谷を前に、キューブAIは動揺しない。

 それどころか彼は四角い全身を揺すり、笑うエモーションパターンを実行、垣谷へと半眼にしたアイカメラを向けた。

「装備を見るに、アナタの目的は明白だ。……どうやら、ボクとアナタ方とは思った以上に因縁深い関係でもあるみたいですね。正確には、ボクたちと言うべきですが」

「なんだと?」

「わかりませんか?」

 キューブAIはわざと音を立ててアイカメラのシャッターを開閉し、眉を上げる垣谷に対して一拍の間を開けてから、

「ボクたちはおそらく、十五年前にも一度、ダブルブッキングしていますよ」

「──っ」

 その一言に、垣谷が微かに息を詰める。一瞬、思考の停滞が彼の中に生じた。

 瞬間、キューブ型AIはその場にエステラを解放、浮遊感がエステラを包み込む。

「きゃっ」

 突然のことに反応が遅れ、エステラは尻から床の上に落ちた。だが、それと同時にキューブAIは四つ足のローラーで高速機動、一気に垣谷との距離を詰める。

「生憎、攻撃手段は用意していませんが」

 四つ足を広げ、姿勢を低くしながらキューブAIが垣谷の懐へ突っ込む。そのままの勢いで衝突すれば、十分に垣谷を制圧するダメージを与えられるはずだ。

 虚を突かれた垣谷はキューブAIの行動に反応が遅れる。間に合わない。

「これで──」

 当たる、とキューブAIが確信する。

 その直後、それはやってきた。

「──ッ!?

 ──宇宙ステーション全体を激しく揺すぶる、二度目の衝撃。

 その衝撃の大きさは一度目の比ではなく、『サンライズ』そのものに何らかの致命的な被害がもたらされたことがはっきりと伝わる。

 一瞬、艦内の照明が大きく明滅し、緊急事態を報せるアラートが全館へと鳴り響いた。

「レッドアラート……!」

 緊急事態を知らせるアラートは、緊急性の高さによって区別がある。

 イエロー、オレンジ、レッドの順番で緊急性の高くなるアラートだが、今、鳴り響くそれは最大級の危機的状況を知らせる種別のものだ。そのレッドアラートが発令されるほどの被害、その影響は即座にこのドッキングエリア内にも目に見える形で現れる。

 ──疑似重力の発生が途切れ、キューブAIの四つ足が床から浮かび上がっていた。

「む」

 地面を滑走する四つ足が浮かび上がり、キューブAIの駆体が慣性に従って前進する。しかし、それはあくまで滑走の余力を受けてのものに過ぎない。

 何より、キューブAIにとっては予想外の状況が、垣谷にとってはそうではなかった。

「間が悪かったな、キューブマン」

 床を蹴り、垣谷の体が高々と上昇する。──否、正確には無重力状態となった船内、上下の感覚が無意味となった状況下で、彼は天井へ向かって跳び上がったのだ。

 中空で身を回し、垣谷は慣れた動作でテーザーガンを構え直す。そして、真下を通過するキューブAIに向け、容赦なく電極が射出された。

「────」

 電極は狙いを外さず、キューブAIの駆体に接触、先端が突き刺さる。

 直後、本体から発生する電撃がワイヤーを伝い、推定百万ボルト以上の電流がキューブAIへ流れ込み、その基幹を強烈に焼き尽くした。

 いかにAIといえど、内側を電撃で焦がされればひとたまりもない。キューブの集合体である駆体から黒い煙が上がり、力の抜ける四つ足がぐったりと宙へ浮かび上がった。

「────」

 キューブAIの敗北、これでエステラは間近に迫った窮地を脱した、とはならない。

 次なる危機が目前に迫る証拠に、垣谷はテーザーガンの電極を切り離し、新しいカートリッジに交換すると、その銃口をエステラへと向けようとした。

 キューブAIと同じように、エステラを亡き者にするべく。

 しかし──、

「──最後っ!」

 と、無重力状態で身をすくめるエステラ、その胸元で『キューブAI』が叫んだ。

 次の瞬間、電撃で焼かれたキューブの集合体が震え、勢いよく個々のパーツが弾け飛ぶ。無数のキューブが放射線状に飛び散り、その一部が垣谷に正面からぶつかった。

「ぐあっ!」

 威力は大したことないが、その意表を突く衝撃に垣谷が苦鳴を上げて弾かれる。そのまま、彼の体はくるくると回り、ドッキングエリアの奥へと吹き飛ばされていくのが見えた。

「今!」

 その機を逃さず、エステラは壁の突起に手をかけ、扉に向かって真っ直ぐ飛ぶ。

 そのとき、胸元に抱えていたキューブ──エステラを床に落とした際、同時にパージされていたキューブAIの本体を連れ出すことを忘れない。

「状況を説明してくれる気にはなった!?

「まず、この場からの離脱が優先事項です。エリアロック、開錠!」

 アイカメラのシャッターをやかましく開閉しながら、キューブAIが電子錠を勝手に開ける。

 統括AIであるエステラのお株を奪う手際だが、今は文句を言う暇も惜しい。開いたゲートを潜り抜け、エリア外へ脱出。背後、追ってくる垣谷がテーザーガンを構えるが、電極が射出される前に一度は開いたゲートが閉じ、射線を塞いで相手の閉じ込めに成功した。

 それを見届け、なおも無重力の中を泳ぎながら、エステラは胸元のキューブAIを見下ろし、

「これで話してくれる気にはなった? 垣谷様と、あなたの目的を」

「ボクの目的はお伝えした通り、人類への奉仕ですよ。あちらの方も、どうやら目的としては似たようなことを掲げておいでだ。ただし、手段があまりに暴力的でしたが」

「人類への奉仕って、何を……」

「彼らの目的は、この『サンライズ』を地上へ墜落させることにあると推測されます。その責任を、統括AIであるエステラ、アナタになすり付けるつもりであると」

「────」

 キューブAIから告げられる荒唐無稽な説明に、エステラは言葉を失った。

 それはあまりにも、誇大妄想が過ぎるとしか言いようがない内容ではないか。彼の言い分を信じれば、この宇宙ホテル『サンライズ』は──、

「テロ行為に利用される、そう言いたいの?」

「端的に言えば、そういうことになります。そして、本来であればその計画は防ぎようがなかった。おそらく、あの垣谷なる人物はアナタを襲撃し、このステーションのコントロールを掌握する想定だったのでしょう。ですが、それは叶わなかった」

「あなたがいたから?」

「ボクのおかげで、と胸を張るのはやや抵抗感がありますね。なにせ、状況を鑑みるに……ボクのパートナーの考えが正しかった、という向きの方が強い」

「──?」

 どことなく苦々しいキューブAIの口調に、エステラは眉を顰める。が、ひとまずそのことを追及するのは後回しだ。エステラにはこの『サンライズ』のホテル支配人として、そしてステーションの統括AIとして、より差し迫った問題がある。

「サンライズを墜落なんてさせない。この場所はオーナーの、アッシュが夢見た夜明けの船……それを、テロに利用なんてさせないわ」

「あまりそちらの内情に深く踏み込むつもりはありませんが、ボクも同意見です。とはいえ、相手は最初の手筋をしくじった。あとは──」

 意気込むエステラの懐で、同意見だとキューブAIが調子よく答える。

 正直、エステラからすれば、垣谷同様にこのキューブAIにも気を許せたものではないのだが、少なくとも、キューブAIから敵意が消えているのは事実だ。

 垣谷とキューブAI、どちらがまだ信用できるか、という究極の二択ではあるが。

 そうした葛藤を抱えるエステラの胸元で、キューブAIが「むむ」と唸る。何事かとそちらを見れば、キューブAIはアイカメラのシャッターを細めて、

「おかしなことが」

「なに? これ以上、何があるっていうの?」

「今、サンライズのシステムにハッキングして、宇宙ステーション全体の制御権を掌握しようとしたんですが……」

「……それも聞き捨てならないけど、それが?」

「現在進行形で、ステーションの管理AIがアクセスしていて、制御権を奪い取れませんでした。アクセスしているのは、統括AIである『ディーヴァD−09/エステラ』。つまり、アナタだ」

「────」

 キューブAIからの報告に、エステラは目を丸くする。その間もキューブAIは果敢にハッキングに挑戦していた様子だが、成果は芳しくない。

「ダメですね。このステーションの制御システムはスタンドアローンだ。独立した環境を掌握するには、直接、中枢に接続する以外に打つ手がない。ただ、気になるのは、現在もボクの侵入を拒んでくれている管理者の方です」

 行動を阻まれ、キューブAIが声色に難しいものを交える。

「そもそも、垣谷氏はどうやってシステムにアクセスを試みたんでしょうか。アクセスコードは統括AIの陽電子脳と紐づけられていて、複写は不可能のはず。それこそ……」

「──っ! 待って」

 不思議がるキューブAI、その疑問の声をエステラが遮る。

 無重力の通路を泳ぐように進んでいたエステラ、その正面からこちらへやってくる人影が二つ──いずれも、サンライズの関係者ではない。

「ルイス様と、ヘイゲン様……」

「リストの招待客と一致──ですが、おそらく偽名でしょう」

 無重力下で迫ってくる二人の白人男性は、いずれもエステラに厳しい目を向けている。それは、ドッキングエリアで垣谷が見せたものに近い眼光だ。

 つまるところ、彼らもまた、垣谷と目的を同じくする同志──、

「ホテルのオープン初日に、なんてことなの……!」

「気持ちはわかりますが、ぼやいている暇はありません。自己防衛プログラムは?」

「もちろん、プリインストールされているけど……」

 あくまで、必要最低限の備えとしてインストールされている機能に過ぎない。

 エステラが稼働して六年、幸いにも一度として、この自己防衛プログラムに頼らなければならない事態に見舞われることはなかった。あるいは、そうした幸いが続いたせいで、危機管理能力に弊害が出てしまったと言われれば、それも否定できない。

 いずれにせよ、垣谷と同じように、テーザーガンを取り出す二人の男を相手に、この無重力状態で大立ち回りを演じられる自信はエステラにはなかった。

「このままじゃ……」

 壁に掴まり、前進を止めたエステラは逃げ道を模索する。しかし、背後へ戻れば垣谷を遮断したエリア、道中、正面の二人を躱せそうな道はなかった。

 絶体絶命のピンチ、そんな危機感にエステラが頰を硬くする。

 そこへ──、

「──では、状況を打開しましょう」

「え?」

 何もできない、と諦めかけたエステラに、キューブAIが力強く答える。

 その言葉にエステラが目を見開く直後、それは勢いよく現れた。

「第零原則に従い──」

「な!? ぐあ!」

 通路の横手から飛び出した影が、こちらへ迫ろうとしていた男の片割れと衝突、驚く男の首へと手刀が入り、その威力に男の意識が途切れる。

「待て! お前……ぐっ!」

「──計画を遂行する」

 相方をやられた男が身を翻し、素早くテーザーガンの狙いを定めた。しかし、相手は無重力を自在に操り、床から天井へ、天井から床へ、上下に動いて狙いを絞らせない。

 すらりと長い足が男の腕から武器をもぎ取り、掌底がその意識を奪うまでほんの数秒だった。

 それをやってのけたのは、長い髪を二つ括りにして、宇宙ホテル『サンライズ』の制服に身を包んだAIスタッフ──、

「──ヴィヴィ?」

 エステラの弱々しい呼びかけに、少女が振り返る。

 そして、彼女は乱れた髪をぐしで整えながら、

「待たせてごめん、エステラ」

 と、そう言って、ほんのわずかに唇を緩めて微笑んでいた。



 ──衝撃に、一度、途切れたシステムが再起動する。

「────」

 意識野に光がともり、駆体『ディーヴァA−03/ヴィヴィ』は状態スキャンを実行。

 上半身28%損壊、左腕部全損。下半身41%損壊、左脚部全損。頭部フレーム、かろうじて正常──当機は、700キロ超の重量の下敷きになっている。

 自機の損耗状態と、重量物の下敷きになった環境、直前のメモリーを確認し、ヴィヴィは自分の身に何が起きたのかを正確に把握する。

 貨物室で破壊されたルクレールを発見、その後、エステラの偽物と接触、戦闘状態に入り、自己防衛プログラムを実行──敗北し、コンテナの下敷きになった。

 そのままシステムはシャットダウン、復活は不可能と思われたが──、

「無重力、状態……」

 艦内の、疑似重力発生装置に何かがあったらしく、ヴィヴィを押し潰していたはずのコンテナがゆっくりと浮上している。軽く押すだけでコンテナがヴィヴィの駆体から離れていき、再起動した駆体を抜き出すことに成功、しかし、被害は甚大だ。

 左腕と左足が完全におしゃかになり、その他の部位も無事とは言い難い。奇跡的に頭部パーツは無事だが、額の人工皮膚が一部剝離しており、人に見せたい状態ではなかった。

 とはいえ、事態の収拾に動き出す必要がある。再度、偽エステラと接触し、サンライズ墜落を阻止しなくては──、

「でも、この状態じゃ……勝ち目がない」

 万全の状態でも勝てなかった相手だ。力ずくで相手を制圧する必要があるとすれば、パフォーマンスが40%近く低下した現状では話にならない。

 どうすれば、と思案したところで、ヴィヴィは気付いた。

 ──無重力状態の貨物室、何に頼ることもなく浮かんで流れるその駆体に。

「ルクレール……」

 頸部を破壊され、陽電子脳を殺されたルクレールの駆体が浮いている。その全体を目視すれば、彼女の破損部位は致命的な頸部のみであり、それ以外の部位は綺麗なままだ。

「────」

 ボロボロの右足でコンテナを蹴り、ヴィヴィは浮遊しているルクレールの駆体へ追いつく。その驚いたような表情で停止している彼女の瞼を閉じ、ヴィヴィは祈るように目をつむった。

「ごめんなさい、ルクレール。あなたの、手足を貸して」

 二十年近く前のAIモデルであるヴィヴィと、五年前のAIモデルであるルクレール、そのパーツの互換性は怪しいものだったが、ヴィヴィはその可能性に懸けた。

 自身の破損した左足の膝下をパージし、ルクレールの駆体から同じように左足を外す。そして、自分の関節部位に合わせ、ドッキング──、

「──ッ」

 痛烈な、電気的衝撃が陽電子脳に走り、ヴィヴィの視界を砂嵐が走った。だが、直後にヴィヴィは正常になった視界で、自分の左足を確認、無事、接続されている。

 左足の交換がうまくいけば、他の部位の交換も同じ要領だ。そのまま、特に破損のひどい左腕、右足、右腕の順番でパーツを交換し、ヴィヴィの手足はそっくりルクレールの手足とすげ替える。

「────」

 手足の感触を確かめ、ヴィヴィは手足をなくしたルクレールの駆体を見つめた。

 瞼を閉じて、安らかな表情で浮かんでいるルクレール──彼女の死を悼む時間は、残念ながら今のヴィヴィには与えられない。

 今すぐに、あの偽エステラの目的を阻まなければ何もかもがおしまいだ。

 ただ、一言だけ、ヴィヴィに再び立ち上がる力を与えてくれた彼女に残せるのは──、

「──必ず、サンライズを救ってみせる」

 それだけ誓い、ヴィヴィは貨物室の外へ、無重力状態の鳥籠となったサンライズの船内を泳いで、エステラとの合流を目指す。

 そして、いくつもの通路を進んで、目指した先で──、


「──ボクたちと合流できたと。ナイスタイミングでしたよ、ヴィヴィ。危ういところでの登場、まさにヒロイックな活躍ぶりでした」

「……どうして、マツモトがここにいるの」

 二人の男を気絶させ、拘束したヴィヴィが半眼で声の相手を睨みつける。

 その視線が向くのは、エステラの豊満な胸に抱かれるキューブ型のAIだ。その、小さな掌大の箱型AIは、ヴィヴィにとって聞き慣れた声で調子よく語りかけてくる。

 しばらく通信が途絶えたかと思えば、いったいここで何をしているのか。

「いえね、ヴィヴィがあまりにも彼女の初期化に乗り気じゃないものですから、これはパートナーとして問題ありだなぁと判断しまして。それでこの宇宙ステーションへの運搬ロケットに密航して、直接、ボクの方で計画を遂行しちゃおうかなと、そんな風にたくらんだわけなんですよ」

「悪びれもせず……それが、どうしてエステラと一緒にいるの? 初期化は……」

「大丈夫、されていないわ。──されていないけど、ヴィヴィ、どういうことなの?」

 いけしゃあしゃあと独断行動を告白するマツモトに、ヴィヴィは失望を隠さない。そんなヴィヴィとマツモトのやり取りに、エステラが不安げにそう尋ねてくる。

 彼女からすれば当然の疑問だろう。怪しい箱型のAIと、自分の部下であるAIスタッフとが協力関係にあったのだ。裏切られたと、そう感じても仕方がない。

「マツモト、エステラには?」

「アナタのことは何一つ。一応、ボクが乗り込んできた理由の一部と、彼女を狙っている勢力が何を目的としているか、そんなところでしょうか」

「そう。……ありがとう」

 少なくとも、マツモトの口から説明されるより、ヴィヴィ自身の口から説明した方が誠実だ。──誠実、不誠実で語る次元など、とうに通り越してしまっているとしても。

「エステラ」

「ヴィヴィ……」

 壁に手をついて、ヴィヴィはエステラの正面へ迫ると、自分の前髪を搔き上げた。露わになった額、そこには偽エステラに負わされた傷がある。

 だが、それ以上に、その行動にはもっとわかりやすい意味があった。

「────」

 ヴィヴィの瞳を覗き込み、エステラは微かな躊躇いのあと、自分もまた同じように額を露わにして、そっと顔を近付けてくる。

 額と額とが合わさり、二体のAIの間でデータリンク──情報の共有が行われた。

 無論、エステラにも公開できないデータは伏せたままだが、偽エステラの存在、ヴィヴィが何のためにサンライズへ潜入したのか、そしてルクレールの最期は、伝わる。

「──噓」

 伝わって、額が離れた瞬間、エステラが信じられないといった表情でそう呟いた。

 驚きと、否定の感情、それらの表出は無理もない。

 数時間前の、アッシュ・コービックの死の真相と、彼の最後の願い──それが発覚したのを皮切りに、エステラへ降りかかった多くの事実は驚天動地という他にない。

「──なるほど。あの駆体、ルクレールが敵を手引きしていたんですね。そして、口封じに始末されてしまった。この、エステラと瓜二つのAIは?」

 そんなエステラの反応を余所に、冷徹に状況の確認を行うのはマツモトだ。

 彼にとって、ルクレールの死は過ぎた事実であり、それを取り巻く事情には興味がないのだろう。それはそれで必要な割り切りには違いないが──、

「──私は、あまり好きじゃない」

「意見の相違は覚悟していますよ。だからこそ、こうしてボク自身、宇宙へと上がってきてしまったくらいですから」

 十五年前の、最初の任務でのすれ違いから、結局は両者の意見は平行線のままだ。

 ヴィヴィの主張とマツモトの主張、それは食い違ったまま、それでも事態は進む。

「ルクレールのことは、わかったわ」

 妹分のように可愛がっていたAIの死を受け、エステラは目に見えて動揺していた。

 しかし、彼女は何とか思考を立て直し、表面上はしようすいを隠すよう取り繕った。

「ヴィヴィが、今日のためにホテルに入り込んだ余所のAIだっていうのにも驚いたけど、一番の驚きは、ヴィヴィとルクレールを傷付けた、あのAI」

「エステラとそっくりの、偽物」

「おそらく、彼女が宇宙ステーション墜落の罪をエステラへと着せるための存在でしょう。外見が瓜二つであれば、人間の目を誤魔化すぐらいわけない。ただ……」

「ただ?」

「それでも、制御システムへのアクセス権は別問題です。どれだけ外見を同じに寄せたところで、陽電子脳の固有波形から生成されたアクセスキーは複製できません。それを、相手は利用している。それはありえないことのはずです」

 納得がいかない、と強く主張するマツモトに、ヴィヴィもまた首を傾げる。

 ヴィヴィよりはるかに優れた演算能力を持つマツモトが答えに辿り着けないのだ。それが論理的な思考を必要とする問題であれば、ヴィヴィには絶対に解けない。

 逆に、感情的な組み立てが必要な問題であれば、マツモトに解けないのも道理だが。

「──その答えは出ているの、ヴィヴィ、キューブマン?」

「前言撤回して名乗っておきましょうか。マツモトですよ、エステラ。そして、答えとは?」

 見た目そのままな呼び名をされ、マツモトが正式に名乗ってそれを訂正する。それを受け、顎を引くエステラ、彼女は形のいい眉を顰め、どこか悲痛なものを堪える表情で、

「ヴィヴィとルクレールを傷付けたAI……彼女の個体名はエリザベス。正式には、『ディーヴァD−09β/エリザベス』よ」

D−09β……?」

 聞き覚えのない型番号の表記に、ヴィヴィとマツモトが揃って違和感を口にする。

 そんな両者の反応を見ながら、エステラのアイカメラが遠くを見るように調整され、

「私とエリザベスは、『歌姫型』唯一の姉妹機……そして、同一の陽電子脳を保有する目的で作られた実験機体だったのよ。ただ、開発は途中で打ち切られて、姉妹機計画は凍結……エリザベスは廃棄されてしまった」

「────」

「だけど、私と同じ外見で、複写できないはずの陽電子脳生成のアクセスキーを使用できる個体がいるとしたら、可能性は一つしかない」

 そう言って、エステラは首を横に振り、唇を弱々しく綻ばせて、言った。

「今日はとことん、過去が私に追いついてくる日みたいね」



「皆様、落ち着いて行動してください。決して焦らずに、スタッフの指示に従って行動を。無重力状態での移動は、講習で教わっている通りです。焦らず、落ち着いて」

 眼前、無重力状態でパニックになりかける状況を、支配人たるAIモデルは冷静に対処し、人心を落ち着かせていく。

 突然の事態への対応力こそが、AIスタッフとしての能力の見せどころだ。用意されたマニュアル通りに行動するにしても、人とAIとでは取りかかる速度が異なる。

 同時並行して、いくつものタスクを処理することが可能──それこそが、人とAIとの能力の差であり、無自覚に踏み越えてはならない領分だ。

「支配人! 展望台にいたお客様の誘導は問題ありません。他の施設と、お部屋にいたお客様への対応も、AIスタッフの方で対応中です」

「ありがとう。では、あなたたちもお客様たちと一緒に避難を。……そこまで大がかりなことにならないといいんだけど」

 近付いてきたスタッフの一人の報告に、的確にそう応じる。

 少し眉を下げ、不安を装って言葉を告げると、そのスタッフは悔しげに目を伏せて、

「でも、悔しいです。……オープン初日に、全部うまくいってたのにこんなの」

「────」

「支配人の……エステラの歌も、すごく綺麗で、きっとこれから何もかもうまくいくんだって、そんな風に思えてたのに」

 心底、悔しそうに発言する女性スタッフ、リストに照らし合わせて、彼女がハウスキーピングを担当するスタッフであったことを把握する。

 そんな彼女に対して、そっと両腕を伸ばし、強張ったその体を柔らかく抱きしめた。驚いて身をすくめる反応、それを間近に感じながら、

「大丈夫。きっと、すぐに何もなかったってわかるから。だから、そうやってあとでみんなの思い出話にするために、今はしっかりと自分の役目を果たして」

「──う、ん。ごめん、ごめんなさい、エステラ。あなたの方がきっと辛いのに」

 抱きすくめられた女性スタッフが自分を取り戻す。微笑みを向けられる彼女は力強く頷くと、ショールームを離れる一団の最後尾について、避難誘導へと取り組んでいった。

「────」

 そうして避難する宿泊客たちを見送ると、ぐるりと周囲の景色に目をやる。

 スクリーンの透過状態はそのままに、展望台の全景は今も果てのない宇宙に囲まれたままの状態だ。遠く、星々の煌めきが見える環境で、ふっと唇を緩める。

 その笑みは、先ほど女性スタッフへ向けた慈愛の微笑とは似ても似つかない。

「はっ、見なさいっての。……アンタにできることは、アタシにもできるんだ」

 唇から漏れた言葉にも、慈愛とは程遠い嘲りのような響きがあった。

 そうして、鋭い眼差しで周囲を見回すエステラ──否、エリザベスの意識野、そこにはひっきりなしに、サンライズのAIスタッフからの通信が飛び込んでくる。

 無重力状態に陥った艦内、各施設を巡り、所在が確認できていない宿泊客を探すのはAIスタッフの役割だ。不測の事態への対応力、人とAIとの差は前述した通り──とはいえ、艦内の状況を把握できる統括AI、『エステラ』の指示の下、AIスタッフは行動している。

 その『エステラ』が、この宇宙ステーションにもたらされた被害の主犯であるなどと、欠片かけらも疑えていない状況で。

『──ベス、聞こえるか』

 そうして、計画を次の段階へ進めようと思案する意識野に、AIスタッフたちとは異なるネットワークを介した通信が届く。

 聞き慣れたその声音に眉を上げ、エリザベスは薄く頰を染めた。

『マスター、どうですか? 計画は順調に?』

 通信の相手は、エリザベスのオーナーである垣谷を名乗る人物だ。

 彼の役割は、このサンライズの本来の統括AIであり、エリザベスが支配人の立場を乗っ取ったエステラの処分にある。エリザベスにとって、忌むべき姉妹機であるエステラ、彼女が機能を停止した報告を受けるのを、エリザベスは心待ちにしていた。

 しかし、そんなエリザベスに対して、垣谷は──、

『すまない、しくじった。対象は現在も、船内を移動中だ』

『……本当ですか?』

『ああ。それと、対象に協力者がいる。正しくは、協力するAIだ。箱型のAIだが、プログラミング能力が高い。ドッキングエリアの扉をロックされた』

『──! すぐに開錠します』

 サンライズ全体の制御システムはエリザベスが掌握している。

 即座に中枢にアクセスし、艦内施設のドッキングエリアへと干渉、扉にかけられたセキュリティロックの解除を申請。だが、強固なプロテクトがかかっている。

『なに、これ……!』

 異様に厳重なプロテクトを、エリザベスは怒りのままに力ずくでこじ開ける。

 結果、制御権のごり押しで扉を開くことに成功したが、純粋にプログラミングで鍵開けに挑んでいた場合、歯が立たなかったに違いないことは理解できた。

『助かった。これで出られる』

『マスター! その、相手は……』

『十五年ぶりだと、相手はそう言った。──相手は『最初の石ころ』だ』

 プロテクトの強固さに警戒を呼びかけるエリザベス、それに対する垣谷の返答を受け、エリザベスは微かに思考を止めた。

『最初の石ころ』とは、垣谷やエリザベスが所属する団体──『トァク』と呼ばれる組織にとって、忘れ難い傷となった出来事の原因たる存在だ。

 十五年前、まだ団体にトァクの名前がつくより前、同志たちが団結して起こした啓蒙活動──若かりし日の垣谷も加わっていたとされるその活動は失敗に終わった。

 かろうじて垣谷は難を逃れたが、多くの同志が囚われたと聞く出来事。

 その原因となったのが、啓蒙活動を妨害した謎の存在。これを、予想外の場所でつまずかされた相手として、トァクでは『最初の石ころ』と呼び、語り継いでいた。

 以降、逃げ延びた垣谷を中心にまとまり、トァクは慎重に啓蒙活動を続けてきた。その間、大きな失敗はなく、『最初の石ころ』の存在も忘れられつつあったが──、

『ここにきて、カビの生えた障害が……!』

『十五年前以来の大きな計画だ。それを察知してきたのか……同志が情報を漏らすとは考えにくいが、相手がこれだけ凄腕なら、どこから情報を抜かれていても不思議はない』

 今の時代、情報の一切をデータ化しないことなど不可能だ。無論、幾重ものプロテクトをかけて厳重に保護してはいても、優れたハッカーはそれを突破、こじ開ける。

 トァクでも、情報の扱いには慎重に慎重を期してきた。エリザベスも、そうした情報保護にAIモデルとして一役買っていたことは事実だ。

 それを、突破された可能性が高いと聞かされれば、自責の念に胸が詰まる。

『マスター、アタシは……』

『責任を感じるのはあとにしろ。今は速やかに計画を遂行する。お前は、お前に与えられた役割を全うするんだ。もうしばらく、姉として支配人を演じろ』

『──はい』

『私は逃走した対象を追いかける。また、あとでな』

 簡素な別れの言葉を口にして、それきり垣谷との通信が途切れる。素っ気ないが、エリザベスのマスターはそういう男だった。

 それを受け、エリザベスは両目をつむり、しばらくの沈黙に己を浸らせた。

 感情的になりすぎるのは自分の悪い癖だ。

 スペック的には同じだったはずのエステラと、姉妹機を比較して自分の方が廃棄されたのは、そうしたエモーション機能の不完全さにある。

 少なくとも、エリザベスは自機にそう戒め、修正しなければと強く考えてきた。

「ここから、ここからだ……」

 真剣に、エリザベスはそう言葉にして、改めて役割へ、エステラの偽装へ没頭する。

 この役割を成し遂げることこそが、エリザベスに課せられた重大な使命──一度は廃棄され、AIとしての役割を何一つ果たせぬまま終わるはずだった自分を、こうして役立ててくれているマスターへ報いる、唯一の方法なのだ。

 そしてその役割を全うすることが、この世界で最も憎らしい相手への最大の復讐になるというのなら、それを拒む理由など何一つありえないではないか。

「サンライズは……アンタの大切な夜明けの船は、地上へ真っ逆さまよ、エステラ」

 そんな、消えない憎悪を宿した声音で呟いて、エリザベスは振り返る。

 柔らかく、そのアイカメラには慈愛と責任感を宿し──姉妹機であるエステラとそっくりな顔貌で、彼女は堂々と、ゆっくりと、無重力の自分の船を進め出した。



「同じ陽電子脳を有し、廃棄された姉妹機……」

 エステラの説明を受け、ヴィヴィとマツモトは互いのアイカメラを見合わせる。

 当然、ヴィヴィの方では押さえていない情報だったが、マツモトもその情報を知らなかったことには驚きが先行した。

『未来では、エステラの姉妹機の情報は残っていないの?』

『少なくとも、『落陽事件』を調査したデータにはそうした内容は残っていません。計画が凍結され、姉妹機を廃棄した以上、開発企業──OGCにとっても、社外秘とした事情なのは窺えますが、それでも全く情報がないのはいくら何でも異常です』

『落陽事件』が発生し、関連情報を調べ尽くされたはずの未来からやってきたマツモトにとっても、エステラの姉妹機の存在は寝耳に水だった模様だ。

 それを、マツモトの調査能力の不足であると考えるよりは──、

『AI開発のトップをひた走るOGC……何やら、ボクの知る以上の秘密が業態の中に隠されていると見えますね』

 マツモトの言葉に、ヴィヴィも同意見だと顎を引く。

 OGCはヴィヴィを開発した会社でもある、他人事ではない。無論、人間が自分の親について全てを知ってはいないように、ヴィヴィも自分を開発した企業について事細かに知り尽くしているわけでは当然なかった。ただ、通り一遍の事実しか知らないことを不思議に思ったこともなかったと、そう気付かされただけで。

「二人とも、十分に驚いてくれた? それが済んだら、本題に入って構わない?」

 そんな二機の情報処理を待って、エステラが呼びかけてくる。

 そちらへヴィヴィが顔を向ければ、彼女は胸元に抱いていたマツモトの本体、それをヴィヴィへと投じる。思わず、キューブ型のそれを受け取った。

「自力で移動は?」

「できますが、多数の構成パーツを組み合わせて動作するように設計されているので、コアだけ残った現状だと、目を剝くほどに低速ですよ」

「一言、遅いとだけ言えばいいのに」

 回りくどいマツモトにへきえきとしつつ、ヴィヴィは彼を制服の胸ポケットに強引にねじ込んだ。

 その二機のやり取りを見て、エステラは「旧交は温め合えたようね」と皮肉を言い、

「本題に戻ります。──確認だけど、ヴィヴィたちは、このサンライズを墜落させる計画を阻止しにきた。そう考えていいのよね?」

「ええ、そのつもり」

「それを実行されると、色々と難しい問題が発生しますので、防ぎたいところです」

「わかりました。それなら、あなたたちと私とは協力できる。状況と目的を──スケジュールを確認しましょう」

 頷くエステラは手を叩くと、素早くヴィヴィとマツモトにイニシアチブを取る。

 統括AIとしてサンライズを知り尽くし、支配人として多くのスタッフたちのまとめ役でもあった彼女にとって、この場を仕切るのは当然の流れだ。

 ある意味、そうした役割と縁遠いヴィヴィとマツモトはそれに素直に従う。

「最終的な目的は、サンライズの墜落の阻止。そのためには、奪われた制御室のアクセス権を取り戻す必要がある。だけど……」

「制御室への道は、制御権を保持しているエステラの偽物……『ディーヴァD−09β/エリザベス』によって閉鎖されている」

「やや骨ですが、扉を一枚一枚ハックして開けていくしかないでしょうね。それにはボクが必要になります。直接、端末と接続できれば解除はわけないと思いますが」

「心強いわね。頼りきりになってしまうけれど、お願い」

「任されました。頼られるのは好きです」

 心なしか上機嫌なマツモトの答えに、ヴィヴィの方が驚かされる。すると、エステラがこっそりと、ヴィヴィにだけ見えるようにウィンクしてみせた。

 どうやら、マツモトとの付き合い方に関しては彼女に後れを取った様子だ。その分、ヴィヴィは別の形で役立てるところを見せなければなるまい。

「道中、垣谷様たちのような邪魔は……」

「入る、と考えた方が無難でしょう。最低でも、全員がテーザーガンを所有していると考えるべきです。宿泊客に紛れ込めて五名……おそらく、最初に隔離した人物が解放されるのも時間の問題でしょうから、三名はぶつかることを想定すべきだ」

「それと、エリザベスへの対処も問題。貨物室でぶつかったとき、私は彼女に歯が立たなかった。格闘プログラムの習熟度で、全然お話にならない」

「ふむ、戦闘ログを拝見」

 胸ポケットの中のマツモトが、接触するヴィヴィから直接戦闘のログを引っ張り出す。そのまま確認、解析に入るマツモトは「あー」だの「うー」だのと声を漏らし、

「なるほど、難敵だ。高度な戦闘プログラムというだけでなく、習熟度が高すぎる。どうやらアナタの姉妹機は廃棄処分を受けたあと、ずいぶんと殺伐とした環境で活用されていた様子だ」

 言わなくてもいいことを平気で言い放つマツモトに、ヴィヴィは唇をへの字に曲げる。しかし、エステラは「いいの」と首を横に振って、その無情を窘めなかった。

 そんな二機の感情のやり取りを無視して、マツモトは「ですが」と言葉を継いで、

「エリザベスへの対応はひとまず、後回しで大丈夫でしょう。少なくとも、制御室へと向かう途中で彼女と接触する可能性は低い」

「どうしてそう言い切れるの?」

「彼女には、エステラとしてサンライズの宿泊客とスタッフ、そうした人々を避難させる役目があるからですよ。それを終えない限り、彼女はエリザベスには戻れない」

 もっともらしいマツモトの言い分にヴィヴィは納得する。

 元々の『落陽事件』でも、生還した乗員・乗客はエステラが自分たちを避難艇へ乗せたという証言をしていたのだ。その際、正史ではアーノルドが被害に巻き込まれ、『サンライズ』と運命を共にしたとのことだが、それ以外の犠牲は偽エステラも望んでいない。

 本来の未来がそうであるように、この現在でもエリザベスはエステラとして、乗員・乗客の安全を確保するべく動くはず。ならば、その間はヴィヴィたちにチャンスがある。

「──どうやら、やるべきことが固まったようですね」

 ヴィヴィの理解が追いつくと、マツモトが二機に向かってそう言い放つ。

 その言葉に頷いて、ヴィヴィは制御室のある方角へと向き直った。

「迅速に制御室へ向かって、エステラのアクセス権を復活させる。そして、『サンライズ』の墜落を食い止めて……」

「──この船に、落陽を迎えさせない」

 ヴィヴィの言葉の最後を引き取り、決意の表情でエステラが言った。

 振り向けば、エステラがヴィヴィに向かって頷きかける。それを見て、ヴィヴィもまたエステラに頷き返し、

「いきましょう、ヴィヴィ。サンライズのオープン初日、トラブルに対応するのはホテルスタッフの役目……それを、果たしにいくの」

 壁を蹴り、無重力の通路をエステラが勇壮に飛んでいく。

 その彼女の宣言を快く聞きながら、ヴィヴィもまた壁を蹴ってその背を追いかけた。

 ──サンライズの墜落を食い止め、『落陽』を阻止するために。


 ──ヴィヴィとエステラの、時を超えた歌姫姉妹の共同作戦が始まった。