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──宇宙ホテル『サンライズ』で働くスタッフは、通常のホテルのそれと変わらない。
フロント係、コンシェルジュ、ハウスキーピングにベルボーイと、一般的なホテルでも
無論、そうしたホテルの顔役とは別に、裏方として働く部門も多い。飲食関係やメディカル担当、管理部といった役回りも必要不可欠である。
そうした役職に当てはめた場合、ヴィヴィの主な役割はハウスキーピングとベルガールの兼業といったところだろうか。
多くの場合、宿泊客と至近で触れ合うことになるこれらの役目は、AIスタッフを採用しているホテルでは接客AIに任されることが多い。ベルガールの役目は宿泊客の荷物の運搬や客室への案内、ハウスキーピングは客室の掃除や点検を目的としているので、見栄えの良さと防犯意識の観点から、AIに一任されるようになるのは自然な流れだ。
「ヴィヴィ、そろそろ朝礼の時間よ。ロビーにお願い」
「はい、わかりました」
同業機であるAIスタッフに呼ばれ、ヴィヴィは足早にロビーへと向かう。
ホテルの開業準備は慌ただしくも進み、ついにはオープン当日を迎えていた。教育係のエステラはヴィヴィの指導にいささかの不安を残していた様子ではあったが、スパルタ気質の彼女にしごきを受けたヴィヴィの意識野は安堵のエモーションパターンを獲得している。
「──ただ、不必要な時間をかけていることにボクは納得していませんよ、ヴィヴィ」
と、そんなヴィヴィの胸元、花を模したブローチ型の通信機から声がする。
やや不満げなそれは、ホテル潜入初日から何かとヴィヴィに避けられているマツモトの声だ。
修正活動のためにエステラの排除が最優先だ、と意見を崩さないマツモトに対して、ヴィヴィはこの二日、あれこれと理由をつけて計画の実行を延期し続けた。
そのことが、彼にはいたくご不満な様子なのだ。
「ボクが用意したウイルスを使えば、エステラから派生する諸問題は一気に片付く。それなのに、どうしてそこまで彼女の動機を気にかけるんです?」
「マツモトこそ、不審だと考えないの? AIがテロを起こした。動機もなくそんなことが起きるわけがない。不自然だって」
「それこそ、フィクションの物語に毒されすぎですよ。すでに確定している未来の情報を疑う方がわからない。エステラは宇宙ステーションを地上へ落とす。その原因が今の彼女にないとすれば、バグの発生など必然的な理由がこれから生まれるだけのこと。未来が、現在を確定させるんです」
「例えば、意に沿わないメモリーフォーマットで不具合が生じるとか?」
「……可能性は、ないとは言えませんが」
ヴィヴィの抗弁を受け、マツモトは難しい口調で黙り込んだ。
この任務に臨む前、マツモトはヴィヴィに歴史の修正力について説明した。それこそ、未来の歴史に刻まれた事実は、それを実現するための強制力を持つのだと。
だとしたら、史上最悪のAI災害『落陽事件』にも同じことが言えるのではないか。その修正力とやらが、ヴィヴィたちの手でもたらされないとどうして言い切れる。
「ですが、そんな話を始めればキリがない。ボクたちの行動の是非が、修正力を捻じ曲げられないなんてことになれば……」
「シンギュラリティ計画は根底から覆る。わかってるわ、マツモト。──私だって、自分に課せられた使命が無意味だなんて考えたくない」
それが事実であるとなれば、十五年前にヴィヴィがしたことはどうなる。
──歴史の修正力、それ自体が万能でないことは間違いない。
事実、十五年前にヴィヴィが命の危機を救った相川議員は今も存命で、高齢となった現在も議員として活躍している。もちろん、彼とヴィヴィとが直接会うことは二度とないだろう。
ただ、ヴィヴィたちの活動で変えられた運命もあったという証拠が彼だ。
「──だから、『落陽事件』は必ず阻止してみせる」
「手法はともかく、その部分で意見に相違がないなら構いません。ところで」
「──?」
「ロビーに集合しないと、またしても不興を買ってしまうのでは?」
マツモトの言葉で現実に立ち返り、ヴィヴィは唇を引き結んで周りを見た。慌ただしくロビーへ向かっていた同僚たちは見当たらず、通路にいるのはヴィヴィ一機だけだ。
マツモトとの対話に集中するあまり、足が止まっていた。原則、ホテルスタッフは集合の号令があってから五分以内に集まらなくてはならない。
そしてそれはすでに過ぎてしまっていて──、
「──ヴィヴィ、またなの? 今度はどこの壁の汚れが気になっていたのかしら?」
もはや堂々たる足取りで遅刻したヴィヴィに、整列したスタッフたちの前に立つエステラがそんな声を投げかけた。なお、壁の汚れとは、時折、ヴィヴィが虚空を見つめて動かなくなることに由来したからかいだ。マツモトとの通信に専念すると、ついつい現実が
ともあれ、エステラは腰に手を当て、出来の悪い妹を見るような目をヴィヴィに向けている。
AIモデル的には十年以上も先輩であり、シリーズ的には長女であるヴィヴィとしては何とも
「────」
そんなエステラの装いは、ホテルのオープン当日に合わせ、支配人としての役割に恥じない豪奢なドレス姿となっていた。
普段は清楚さと淑女然とした在り方を優先したファッションのエステラだが、さすがにオープン記念日とあっては華やかに着飾る必要がある。
豊満な体つきと、白く細長い手足が強調される薄手のドレス、結い上げた金色の髪を飾る宝飾品は、年齢感モデルを二十代女性として設定されたエステラと極限の調和を見せる。大人の色気と包容力が魔性となり、ただでさえ美しい彼女を至高のAIモデルとしてこの場に顕現させていた。
ちなみにだが、ヴィヴィの年齢感モデルは十七歳前後とされている。
その装いはホテルスタッフとして派手になりすぎず、しかしAIモデルの端麗な容姿を
と、そんな余談はさておきだ。
「ごめんなさい、遅れました」
「はいはい、見ればわかります。明日からはそんなことでは困るから……いらっしゃい」
軽く頭を下げるヴィヴィ、その謝罪の言葉はこの二日ですっかりお馴染みとなっていて、整列する同僚スタッフたちには笑みを浮かべるものもいる。
しかし、それはヴィヴィへの負の感情からではなく、親しみからくるものだ。善性の人間が揃っている。──ニーアランドを思い出す、そんな感覚だった。
それらを横目に、ヴィヴィは自分を手招きするエステラの方へ足を進める。人間同士であれば息がかかるほどの距離まで近付くと、ヴィヴィはそこで目を閉じた。
その瞼を閉じたヴィヴィの額、前髪を指が搔き分け、人工皮膚が剝き出しにされる。すると、同じように自身の額を指で
──AI同士の、データリンクである。
額と額を合わせ、データリンクを行うのはAIたちにとって一般的な行為だ。これもまた人間からは微笑ましく思われるらしく、実行する意味のない人とAIの間柄でも、親愛表現の一環として取り入れられていることが多い。
だが、そうした親愛表現と異なり、AI同士のデータリンクには意味を伴った行為としてこれは実行される。ホテル業務でいえば『申し送り』のそれに近く、作業時間中にあったことなど、ホテル業務の統括AIであるエステラには報告義務があるのだ。
当然、朝礼前のヴィヴィの作業内容や動態ログは全てエステラに筒抜けとなる。その中にはマツモトとの、エステラにとって物騒な話題も含まれているはずだが──、
「──はい、お疲れ様。でも、あとほんの少しだけ手際よく動けるようにしてね」
額を離して、データリンクを終えたエステラがヴィヴィの仕事ぶりをそう評価する。
青みがかった彼女のアイカメラには、ヴィヴィがマツモトと交わした不穏な会話、それらを知ったことへの不信感は見られない。──見られていないのだ。
『動態ログの改竄はコンプリート。活動時間中、アナタがたどたどしく客室の掃除と点検を行っていた合成映像を用意して、それをエステラへ進呈しました。つまるところ、十全な掃除は行われてないわけですが……まぁ、問題になるほどではないかなと』
エステラのデータリンクを誤魔化したマツモトが、その手並みの称賛を求めるかのように自慢げなメッセージを発信してくる。それを無視すると、『ちぇっ』と聞こえよがしのメッセージがきた。
「これで全員揃ったわね。では、朝礼を始めます」
人間スタッフからは口頭の報告を、AIスタッフからはデータリンクによる報告を、それぞれ受けたエステラが支配人の顔になってスタッフたちへ向き直る。
ヴィヴィもそそくさと列の最後尾に並び、自然と背筋を正して前を見た。
スタッフ一同の視線を一身に集めるエステラ、その彼女の目の前に、床に収納されていたスタンドマイクが現れる。エステラは一度、人間のように
「おはようございます、皆さん。ついに、このホテル『サンライズ』のオープン当日を迎えました。開業のための準備は大変でしたが、皆さんのご協力のおかげで無事、この日を迎えられたこと、本当に感謝しています」
流暢に謝辞を並べて、エステラがスタッフに向けて頭を下げる。
礼法として完璧なそれを見たスタッフ、その手元では自然と拍手が生まれ、しばらくの間、頭を下げるエステラをねぎらうような拍手が続いた。
「皆さんもご存知の通り、この宇宙ステーション『サンライズ』は、宇宙ステーション『デイブレイク』の二号店として開業します。宇宙ホテルの始まりは六年前、今は亡き最初のオーナー、アッシュ・コービックの夢としてスタートしました」
エステラが語るのは、『サンライズ』と『デイブレイク』の始まりの物語だ。
エステラの経歴は知っている。彼女は立ち上げ当初から『デイブレイク』の業務に携わり、アッシュ・コービックとの信頼関係を育んでいた。その関係はエステラがAI企業OGCからの貸与であったにも拘らず、非常に良好であったと記録されている。
だからこそ彼女は、アッシュ・コービックの死後、正式に彼の遺族に乞われ、経営難を脱した『デイブレイク』の運営に携わる今の地位についたのだ。
「オーナーは常々言っていました。宇宙には果てのない夢がある。自分が憧れた場所にこうして関われて、そして夢を見る人々と間近で会えて、幸福だと。──残念ながら、彼は開業して三年で帰らぬ人となり、二度目の夜明けを見ることができませんでした」
「────」
「ですが、彼亡き今も、彼の願いは続いている。その夢を追い求める情熱が、今日の私たちの夜明けをもたらしました。『サンライズ』は、彼の夢が続いているその証です。どうか皆さん、この夜明けの船に力を貸してください」
そう言って、エステラは今一度、スタッフたちに向けて深々と頭を下げた。
そんな彼女の熱の入った言葉に、一人、また一人と時を思い出したように動き出し、拍手が増えていく。最初のそれより、熱く、多く、強く、拍手が鳴り響く。
言葉に胸を打たれた人間のスタッフたちが手を打つ。
エモーションパターンをなぞるように、AIスタッフたちもまた手を打つ。
ヴィヴィも、同じように拍手を送っていた。
──エステラの言葉に噓はないと、拍手するヴィヴィの結論は変わらなかった。
2
──ホテル『サンライズ』のオープン初日、予定された宿泊客は三十組。
四十ある客室を満室にしない判断に、ヴィヴィは何の意味があるのかと疑問を抱いていた。
「オープン初日だし、安く見られちゃいけない仕事だもの。元々、お客様も関係者の招待関係の方が多いし、最初はお試し期間だと思って」
「そんなものなの?」
「そんなものなのよ。ホント、ヴィヴィってば何にも知らなくて可愛いんだから」
と、ヴィヴィの疑問に笑って答えるのは、ハウスキーピングを担当するルクレールだ。
彼女もまた、サンライズで働くAIスタッフの一機であり、お喋り好きも相まって、よくよくヴィヴィとの対話を試みてくれている。
明るい緑の髪をセミロングにして、ひらひらとしたスカートの制服が愛らしい。