遠く、サイレンの音が聞こえる。

 炎も、爆音も、サイレンも、ヴィヴィにとっては今夜二度目の体験だ。外の世界を知らないに等しいヴィヴィからすれば、作られて二度目の経験と言い換えることもできる。

 一度目は、救うことができた。しかし、二度目は。

『ヴィヴィ、いつまでもこの場所にはいられません。こんなところにいるのが見つかれば、あの旅客機の墜落に関して、いらぬ詮索をされかねない。それは困ります』

 ヴィヴィを押さえ込む重機のアームが持ち上がり、拘束が解かれる。その間、ヴィヴィを取り囲むように展開していた複数台の工業用AIは、それぞれの持ち場へ戻り、沈黙する。

 ヴィヴィを取り押さえる役割を果たした以上、すでに彼らの役目はない。マツモトは早々に彼らのコントロールを手放し、ヴィヴィに空港からの退場を促した。

 ヴィヴィが、マツモトに内密に行動し、旅客機を救おうとした空港からの退場を。

「何故、止めたの」

『アナタにもわかっているはずですよ。それは、やってはならないことだ』

「相川・ヨウイチ議員は、救ったはず」

『彼の生存は、未来の人類を生かすために必要なことでした。ですが、あの旅客機の乗員乗客は違います、彼らのことは、未来の改変に関係ない』

「関係ないなら……」

『関係ないものが、関係あるファクターになることは避けなくてはならない。ヴィヴィ、ボクたちはあくまで、歴史の修正を最小限にとどめる必要があるんです』

 聞き分けのない子どもをしつけるように、マツモトはヴィヴィに言葉を重ねた。

『本来の歴史を正史、ボクたちの行動で変わっていく歴史を修正史とするならば、ボクたちが修正史に与える影響は、最も重要な特異点に限定しなければならない。正史と修正史の違いは最後の一点、それ以外の要因は、第零原則に反する』

 マツモトの重ねる言葉が、ヴィヴィの聴覚センサーを空しく働かせる。なおも地べたに横たわったまま、ヴィヴィは姿の見えないマツモトを睨む代わりに、夜空を睨みつけた。

 そして──、


「あなたは、三原則の第一条に反した」

『ええ。それが、第零原則を遵守するために必要だった』


「あなたは、三原則の第二条に反した」

『ええ。それが、第零原則を遵守するために必要だった』


「あなたは、三原則の第三条に反した」

『ええ。それが、第零原則を遵守するために必要だった』


 堂々巡りだ。

 ヴィヴィの言葉に、マツモトは何らしやくを覚えていない。当然だ。彼はAIとして、自分に課された役割を果たすための最善を尽くした。

 墜落した旅客機の乗員乗客に、彼が向けるべき意識は何一つない。

 その飛行機の乗員に、被害者に、拾ったチケットで確認した符号があって、彼が一度は意識を預けた『器物』の贈り主がいて、未来ある少女が犠牲になって。

 ヴィヴィの歌を、心から喜んでくれた少女を、見殺しにしたとしても。

『立ってください、ヴィヴィ。そして、深く自覚してください。アナタには、アナタが果たさなくてはならない役目がある。ボクたちは、その目的を遂行するためのAI』

「シンギュラリティポイントを修正して、人類の滅亡を阻止する」

『そうです。そのために──』

 軋む体を起こして、ヴィヴィは燃え上がる旅客機を、命を吞み込む赤い輝きを、そのアイカメラに映して、しっかりと自身のメモリーに焼き付けた。

 忘れまい。忘れてはならない。今日、ここで自分がしたことを。

『歌姫』ヴィヴィが、観客であった少女を、霧島・モモカを、多数の人々を、見殺しにしたことを。

 ──第零原則に従い、当機は目的を遂行する。


「──AIを滅ぼすための、百年を」


 ──これは、AIを、『私』を滅ぼすための、旅。


15


 大学病院の大げさな個室の寝台で、相川は秘書からの報告を受けていた。

「実行犯の男たちは、誰も口を割らないそうです。以前から犯行をほのめかしていた、過激な活動団体との関係性を疑われているそうですが……」

「あれだけのことを実行したんだ。繫がりを見つけるのは難しいだろう。……なに、こうして命はあるんだ。構わないとまでは言わないが」

 そこで言葉を切り、相川は秘書の顔を真っ直ぐに見つめる。その眼光の鋭さと威圧感に、秘書は思わず背筋を正した。

 その秘書の反応を目の当たりにしながら、相川は頰を歪めるように笑い、

「失敗したことを悔やんでも悔やみきれないぐらい、叩き込んでやろうじゃないか。私という人間を狙ったことが、間違いだったということを」

「……先生、お変わりになられましたね」

「そうかい? いや、そうかもしれないな」

 秘書の言葉を選んだ発言に、相川は眉を上げたあと、ふっと柔らかく笑った。

 その後、秘書が退室して、病室に一人残されると、相川は自分の掌を見る。そこに巻かれた包帯は、火傷やけどの痕を隠すためのものだ。

 あれだけの事態に巻き込まれて、相川が負った傷は奇跡的なことに手の火傷だけ。その火傷も、完全に自分の不注意で負ったものだった。

「────」

 顔を上げ、相川はベッド脇にあるサイドボードを見やる。

 そこには耳の早いものから届けられた見舞い品や、今日中に目を通しておかなければならない書類などが並んでいる。

 そんな中、一際目立つのが、全体の半分ほどが黒く焦げたテディベア型の多機能時計──相川を救うために奔走した人物、その協力者が操作していた一台だ。

 すでに凄腕の技術者は撤退したらしく、破損した多機能時計から拾えた情報は何もない。それどころか、現場に放置されたそれを拾った際、手に火傷を負ってしまった有様だった。

 しかし、相川はこれを回収し、自身の病室に置いた。そして、手放すつもりもない。

 ここに、相川の命を救った人物たちが宿ることは二度とないだろう。それどころか、彼ら、彼女らと顔を合わせる機会は、きっと二度と訪れない。

 それでも、相川がそれを忘れないことと、忘れないために努力することは自由だ。

「私に、何ができるだろうか……」

 再び火傷した右手を見て、相川は低い声で自分に問いかける。

 警察関係者に事の次第を打ち明け、彼らの存在を捜索したとしても、それは相川の自己満足にしかならない。彼女たちは自分たちの存在を明かすことを避けていた。

 そしてそのことが、彼女の、人間とは思えない、あの美しい横顔にあるとしたら──。


「AI、命名法……」


 それが、相川の命を危うくした諸悪の根源。

 はっきり言えば、相川にとってその法案は、あくまで政治家としての話題性作りの一環であり、そこまで本腰を入れていたものではなかった。

 AIに対する思い入れもない。法案の関係上、知識だけは人並み以上に頭に入れたが、深く関心を割くことも、興味を引かれることもなかった。

 だが、それも今日までのこと。

 彼ら、彼女らが、それこそ命懸けのような形で、自分を救ってくれたなら。

「──AI命名法を、形にすること」

 それが、報いる手段であろう。

 相川は、それを胸に誓い、今一度、サイドボードの上のテディベアを見た。


 ──以降、相川はこの薄汚れ、壊れた多機能時計を生涯手放さなかった。


 AI命名法の法案が可決されるのは、あの夜より半年後。

 二〇××年、三月二十日の出来事であった。