本来、垣谷は即座にその場へ駆け出して、相川と機械の両方に
しかし、傷付いた体は、トレーラーの突貫を最後に言うことを聞かない。ビルから転落した際に銃は取り落としてしまい、ここにあるのは不自由な体と、惨めな敗残者だけ。
遠く、サイレンの音が聞こえる。
トレーラーの爆発音を聞きつけ、近隣の何者かが警察や消防に通報したのだろう。周辺の通信網は掌握し、外部との連絡は途絶していたが、これ以上は不可能だ。
それは、中で防災シャッターに囚われた同志たちの奪還ができないという意味でもある。
「……!? ど、どこにいった!?」
一瞬のことだ。
垣谷がビルの方へ視線を向け、近付いてくるサイレンに意識を向けた直後、気付いたときには道路にあの機械の姿はなかった。
道路には、相川が仰向けの状態で倒れている。その眉が微かに動いて、
──これ以上は、何もできない。
悔しさに歯嚙みしながら、垣谷は
桑名たちの、同志たちの無念と、今夜の失敗を皆に伝えなくてはならない。
そのためにも──、
「忘れて、なるものか……!」
血を吐くように絶叫し、垣谷はボロボロの体を引きずって逃げた。
逃げて、逃げて、逃げ続けた。
──それだけが、今の彼にできる、唯一の戦いだった。
12
炎上するビルの地下通路から相川を連れ出し、彼が無事に保護されたのを見届けたところで、ヴィヴィは急ぎ、その場をあとにした。
「────」
人けのない、月下の道を走るヴィヴィの駆体は悲鳴を上げている。
全身に高熱を浴びたことで、内蔵部品のあちこちが熱変形してしまい、普段の細やかな動作は望めそうにない。この状態をニーアランドの関係者に発見されれば、あの施設の人の好い同僚たちは、それこそ卒倒してしまうのではないかと思索する。
それでも、ヴィヴィには明日も、ニーアランドで任された役割があるのだ。
ニーアランドの開園を祝したイベントこそ今日だけだが、人々を喜ばせ、華やかな夢の世界を演出するテーマパークに休日はない。明日も、夢の世界は夢の世界で在り続ける。
そしてヴィヴィは、そんな世界で『歌姫』の役割を与えられた、ただ一体のAIなのだ。
だから、ヴィヴィは明日も、ニーアランドで来園者を出迎えなくてはならない。
そのためにも、破損部品や変形した部位を交換し、元の状態で戻らなくては──。
「────」
そう思考し、足早に移動するヴィヴィはニーアランドではない方角へ向かう。
相川・ヨウイチ議員の救出に向かう前に、ヴィヴィはこうした事態に備え、破損した駆体の修復が行える環境を、セーフハウスとして用意していた。
正確には、マツモトがハッキング技術を駆使して用意したというべきか。
事が暗殺の阻止となれば、荒事になるのは必定。
それだけに、ヴィヴィのために足のつかない修理環境を用意するあたり、マツモトは抜け目のないAIだった。──ただし、そのマツモトは今、手元に置かれていない。
ビルから脱出する最後の瞬間、ヴィヴィは相川の無事を最優先した。
とっさの判断で通路の床にあった排水用の水路に通じる鉄板を跳ね上げ、相川ごと中へ飛び込んで爆発を免れたのだ。その後、炎と煙に酸素が焼き尽くされるより早く、相川を担いでビルの外へ逃れ、近付く警察や消防の車両に見つからないようにその場を離れた。
その状況下で、マツモトの無事を気遣うだけの猶予はヴィヴィにはなかった。そのため、残念ながらマツモトは爆発に巻き込まれ、回収することができなかったのだ。
無論、あのテディベア型の多機能時計はマツモトの本体ではない。彼の本体と呼ぶべきデータは今も、ヴィヴィが最初に彼を出力したニーアランドの端末の中にある。
ただ、あの贈り物──ヴィヴィの誕生日プレゼントに、モモカが選んでくれたものを置き去りにしてしまったことは、ヴィヴィの意識野に微かなしこりを残していた。
「────」
ともあれ、シンギュラリティ計画における、ヴィヴィのファーストミッションは終了した。
相川は無事に関係者に保護され、今夜の襲撃を計画した危険思想の持ち主たちは逮捕される。これで、相川の死を受けて推進される『AI命名法』の法案は変化するはずだ。
あとは、セーフハウスでヴィヴィの破損部位を修復し、何食わぬ顔でニーアランドに戻るだけ。そしてそのまま、明日の開園時間を迎えればいい。
それで、任務は完了する。──はずだった。
『──残念ですよ、ヴィヴィ』
無機質な声が降ってきた直後、ヴィヴィの細い駆体が衝撃に揉まれていた。
「────」
一瞬、アイカメラの映像に砂嵐が走り、意識野に深刻な障害が発生する。
強制的にシャットダウンしたシステムに即時の再起動をかけ、バックアップデータから直前の行動、思考パターンの復元を試みる。
──途切れる寸前、当機はいったい、何をしていたのだったか。
『これ以上の抵抗は無駄です。無意味と言ってもいい』
不意打ちのように届いた音源は、復旧中の聴覚デバイスを介したものではなく、陽電子脳が作り出す意識野に直接書き込まれた情報だ。
この間、意識の復旧を試みてから一秒以内──復旧が、現実に追いつき始める。
「────」
千々に乱れる視覚情報は、二つあるうちの左側のアイカメラの破損を伝えてきていた。残された右側のアイカメラがぼやけるピントを世界に合わせ、眼前の星空が記録媒体に焼き付く。
正面に夜空、背中が接地している感覚に、ヴィヴィは自分が地面に仰向けに横たわっていることを理解する。──否、地面ではない。ここは、滑走路だ。
飛行場にある、広大な滑走路。その空間に、ヴィヴィは横たわっていた。
通常、飛行場の滑走路は部外者の立ち入りを禁止している。当然、そのルールが適用されるのは人間だけでなく、AIも例外ではない。
定められた規則に従うこと。──それは、AIの有する判断能力における大前提の一つ。
にも拘らず、ヴィヴィはこんなところにいた。
そして、そんなヴィヴィのことを、正面に佇む相手もまた、理解していた。
『ヴィヴィ、わかっているはずです。アナタじゃボクには勝てない。そして、計画の実行には今後もアナタの存在が必要不可欠なんです。これ以上、ボクはアナタを傷付けたくありません』
声は冷静に、説得によるヴィヴィの投降を促していた。
しかし、ヴィヴィにはそれを聞き入れるつもりがない。
「────」
寝そべったまま、上半身と下半身、それぞれの駆体の稼働率を確認する。
上半身18%、下半身67%の稼働率。衝撃に直撃された上半身の被害が甚大で、元々、熱で変形していた部分の修復は困難、右腕部分は胸部ごと換装することが推奨される。
その修復計画を一時凍結し、ヴィヴィはかろうじて、活動限界手前の駆体を動かした。
「────」
『これだけ話しても聞く耳を持たない。ボクたちにはそぐわない物言いになりますが、大人になってはくれませんか、ヴィヴィ。こんなことに意味なんてありません』
「意味……?」
腰部のモーターが平時にはしない軋む音を立てて、ゆっくりと上体を起こしていく。連動して膝を曲げ、脚部が全体の質量を支え、バランサー頼りに立ち上がった。
「──命令に、従うまで」
『……その命令の解釈は恣意的だ。システムのエラーか、バグを疑うべきです。最後にシステムメンテナンスを受けたのは? 直近で部外者に頭部パーツを預けたり、システムにアクセスを許したことは? もちろん、ボクを除いて』
聞く耳を持たない。それこそ、お互い様だ。
故にヴィヴィは首を振り、自機のオイルに塗れた長い人工頭髪を揺らして、拒絶の意思表示を──否、提案を否決する情報を送信した。
「────」
『────』
黙り込む。しかし、互いにやるべきことは明白だった。
ヴィヴィは動かない左腕パーツを胴体から切り離し、損傷の激しい右腕を上げる。それに対応するように、ヴィヴィの正面で巨大な機体が動き出した。
五メートルは下らない大きさのそれは、建築現場などで利用される単純作業用の工業AIだ。人の掌を模した鋼鉄のアームを開閉し、十トン級の建築資材をも持ち運ぶ運搬能力と、その鋼の握力を誇示するように先端をこちらへ突き出してくる。
チタン製フレームを採用されたヴィヴィの人工骨格も、そのアームにかかれば紙切れと変わらない。彼我の戦力差は明らかで、超高度演算は残酷な目標達成率を弾き出していた。
それでも、ヴィヴィは引かない。AIとして、引けない理由があった。
故に──、
「──第一原則に従い、当機は目標を遂行する」
少なくないダメージを負った脚部で踏み出し、ヴィヴィは滑走路を蹴って走り出す。
行く手に立ちはだかるのは、百年に及ぶ計画を共に遂行するパートナー。
「──っ!!」
正面、迫りくる重機のアームを最小限の動きで回避して、ヴィヴィは豪風を纏いながら巨体の横を通り抜ける。が、演算よりわずかに下半身の動きが拙い。
逃げ遅れたツナギの裾がアームの端に引っかけられ、ヴィヴィの軽い体の足が浮いた。猛烈な勢いで空中に体が投げ出され、回転しながら滑走路の地面に叩きつけられる。
損傷、さらに深刻化。パージした左腕に続いて、ビル内の活動で損耗の大きかった右腕部位への電力供給をカット、かろうじて息の続く脚部の活動に全力を注ぐ。
うつ伏せになる体で身を逸らし、下半身を振る動きで強引に立ち上がった。瞬間、頭上からヴィヴィを地面へ組み伏せようとするアームの隙間を搔い潜り、転がる。
転がった瞬間、アイカメラの端に滑走路に白く引かれた番号が見えた。第三滑走路、ヴィヴィが辿り着かなくてはならない第一は、二つも先にある。
そう、ヴィヴィは辿り着かなくてはならない。その場所に。
他でもない、『歌姫』ヴィヴィとして、自身が人のために作られたAIであるために。
「────」
上半身を大きく損傷し、下半身の機能低下も著しい。人間であればすでに意識はなく、重篤な後遺症すら覚悟しなくてはならない負傷も、AIにとっては何ほどでもない。
──痛みを感じる神経はなく、恐怖を感じる心はなく、足を止める命令もない。
幸い、マツモトはヴィヴィの破壊を恐れている。
取り押さえ、こちらの行動を阻害しようとしているのがいい証拠だ。彼にとって、ヴィヴィはシンギュラリティ計画のためになくてはならない存在。
その彼の目的意識につけ込んで、ヴィヴィは己の存在意義を──、
『ボクを出し抜けると思ったのなら、それは大間違いですよ』
重機のアームを回避し、巨体を置き去りに走り出したところで、それは届いた。
無論、ヴィヴィの機械の駆体が、動揺で動けなくなることはない。故に、それが届いたところで、ヴィヴィの行動は変わらなかった。
つまり、二本目のアームに力ずくでねじ伏せられたのは純然たるスペックの差が原因だ。
躱した重機ではない。ヴィヴィを取り押さえたのは、その背後に並んだ別の重機だ。
容易いことだった。マツモトは百年先からやってきた最新鋭のAI──時代遅れの工業用AIをハッキングし、複数台の制御を乗っ取ることぐらいのことは。
「────」
地面に仰向けになるヴィヴィ、その胴体を地面と挟み込むようにアームが被さっている。
パージした左腕とは別に、右腕も両足も、そこから脱出することは叶わない。衝撃で外れたフードの下、少し焼け焦げたヴィヴィの人工毛髪がオイルに
『借り物の体でしたが、あのテディベアは嫌いじゃなかった。敵の最後の抵抗で失われたのは贈り主の感情に配慮すると胸が痛む。……痛む胸がありませんが』
「マツモト……」
『正直、ボクはこの事態を懸念していました。だから、アナタへの情報共有を渋ったと言っても過言じゃない。そして、ボクの懸念は現実のものとなった。わかりますか、ヴィヴィ。これがボクとアナタの、百年以上もある、埋め難い差の証明でもあるのだと』
ヴィヴィを押さえ付けたまま、マツモトの操作する工業用AIから
そこに感情が差し挟まっているように感じるのは、それだけ彼のエモーションパターンが優れているだけのこと。
拘束されるヴィヴィ、その周囲を工業用AIが次々と取り囲む。
最初に
ヴィヴィが必死になって一台を躱しても、マツモトにはこれだけの手勢があった。勝算が1%にも満たないことは、初めからヴィヴィにもわかっていたことだ。
それでも、ヴィヴィはやらなければならなかった。過去形ではない。
やらなければならないのだ。だから、ヴィヴィは、この瞬間も。
「提案する、マツモト。この拘束を解いて、私を、当機を自由に」
『できません。──それに、もう遅い』
胴体が軋むほどに押さえ込まれ、発声部位への影響で声を歪ませながら、そう提案するヴィヴィの言葉をマツモトが撥ねつける。
そして、眉を顰めるエモーションパターンをするヴィヴィに、マツモトは告げた。
『多機能時計のボディは失いましたが、役割を果たしましょう。──時間です』
そのマツモトの言葉が何を示すのか、問い
揺れが滑走路の地面を伝わり、アームの一撃よりはるかに強い風が巻き起こり、ヴィヴィとマツモトのやり取りを塗り潰すように轟音が突き抜ける。
仰向けのまま、ヴィヴィは首を上に向け、地べたと水平の視界にそれを見た。
機体名、照合。乗員数、定員百五十名。出発時刻、午後十時二十五分──第一滑走路を猛然と突っ切り、一台の旅客機がナイトフライトのために加速する。
「────」
その飛び立つ旅客機の窓、加速するビジネスクラスの一席が目に留まった。
座席に座り、無邪気に外を眺める視線と、一瞬だけ視線が交錯したのは錯覚だったのか。
──否、AIに錯覚はありえない。確かに、相互に存在を認識した。
そして──、
『──AI三原則、第零原則に従い、目的を遂行する』
ヴィヴィではなく、マツモトの語った第零原則。
それがヴィヴィの意識野を激しく揺らした直後、現実からも衝撃が訪れる。
激しい熱となって、今夜二度目の熱波が、ヴィヴィの全身を突き抜けていった。
13
「モモカ、あんまりはしゃいでいてはいけないよ」
「はーい、パパ」
大きなシートに深く腰掛けて、少女は父親の言葉に従い、お
座席のあちこちにある備品、フライト中の乗客を退屈させないための心遣いの数々、父親が少女のために譲ってくれた窓際の席から覗ける夜の風景、全てが少女を虜にする。
ただし、少女にとって、やはり一番思い出深いのは──、
「──ヴィヴィ、すごく
頰を赤らめ、日中の出来事を振り返る娘に、父親は何度目になるかの苦笑を浮かべた。
すでに半日近く、娘から『歌姫』への賛辞を聞かされ続けたあとだ。少女としてはまだまだ語り尽くせていないのだが、仕事の疲れもある父親を困らせるのは本意ではない。
「また、来年もこようね」
なので、そんな可愛らしい希望と、ねぎらいの気持ちを込めた言葉で締め括った。
父親が微笑で、娘の気遣いに「そうだね」と頷いてくれる。大きな掌に頭を撫でられながら、少女の世界は幸福感に満たされていた。
また一年、実際の歌声とは引き離されてしまうが、今日のことは
もう少し背が伸びて大人になれば、自分のお小遣いで通う回数も増やせるかもしれない。少女の夢は広がる一方で、想像できる未来はバラ色だった。
「────」
そうして、ひとしきり思いをまとめると、ゆっくり少女自身にも眠気が歩み寄る。
昨夜は今日への期待でなかなか寝付かれず、今日は一日中はしゃぎっ放しだった。無尽蔵の体力があると勘違いされがちな子どもも、当然ながら休息は必要とする。
すでに、隣に座る父はアイマスクで顔を覆い、到着までの時間を眠りに費やすつもりだ。そのアイマスクが娘の贈り物であり、愛用してくれていることが嬉しくなる。
そんな父親を横目に窺っていると、機内放送があって、徐々に機体が加速していく。飛行機が飛び立つ瞬間、全身が浮遊感に包まれるのが少女は苦手だった。
だから、気分を少しは和らげるために、暗い夜の景色に目をやって──、
「──ぁ」
遠く、一本の滑走路を挟んだ向こう側に、ポツンと小さな影が見えた。それがなんであったのか、一瞬のことで普通だったらわからなかっただろう。
しかし、少女にはその影が、自分が焦がれて焦がれてやまない『歌姫』だとわかった。
何故、彼女がこの場所にいるのか、地べたに寝ているのか、それはわからない。
けれど、少女にはそれが、夜のフライトを不安がる自分へのエールに思えて、そんな風に気遣ってくれることが嬉しくて、小さく、手を振った。
微笑み、手を振る。大好きな『歌姫』に、また再会することを約束しながら。
「ね、パパ……」
寝ている父の袖を引いて、窓の外を眺めながら、少女は唇を動かした。
「ヴィヴィが」
──続く言葉は、衝撃と赤い光に、永遠に奪われた。
14
──九月二十日、午後十時二十六分、旅客機墜落。
──乗員乗客、合わせて百二十一名、全員死亡。
『離陸した直後のマシントラブル……人為的な要素は一切ありません。ただの事故です』
凝然と、アイカメラで炎を注視するヴィヴィを下敷きに、マツモトが淡々と告げる。
第一滑走路の先端、そこには夜闇を焼き払うような赤々とした炎が立ち上り、無残に中央からひしゃげた旅客機が原形を失い、爆炎の中に吞み込まれていくところだった。