父の辞書には日曜日の文字はない。

 というのは言いすぎかも。日曜日は私が家にいるから、父はお昼を二人ぶん作る。でも、違いはそれくらいだ。月月火水木金金の年中無休で、父はアトリエにこもって絵を描くか彫刻を作っている。

 お昼のあと、アトリエをのぞくと、父は彫刻に色を塗っているところだった。彫刻というと普通、ミロのヴィーナスみたいな無彩色のを想像するけれど、父が作るのは彩色彫刻だ。今日の作品は、スライムみたいな形をした抽象彫刻に、パステルカラーの昭和っぽい色彩が途中までほどこしてある。

 私には、父の作品がわかったためしがない。「わからないだろう、それでいい」と父はいつも言っている。

 父の作品はわからなくても、父の行為はわかる。壮大なこうだ。壮大すぎて、誰にも止められない。わいしような愚行を大量にやられるよりはマシなんだろうけどね、ギャンブル中毒とかよりは。

「散歩に行ってくるね」

「ああ」

 この冬に買ったばかりのコートを着て、だいぶくたびれてきたロングブーツをはき、外に出る。行き先はコムズはくさんだ。

 最初に、やしろに行ってみる。中央の立て看板には、「店内を回っています」と書いた木のふだがかけてある。めぐみ札をる掲示板は、もうあらかた埋まっている。恵み札を眺める人が二人、ベンチに座っている人がひとり。いつもの光景だった。

 このあいだ真名から聞いた話では、来月からこの社に、飲み物の自販機を置くという。自販機本体の管理は、なにしろ真名はお金にさわれないから人まかせだけれど、社の掃除は真名の仕事だ。ゴミ捨ての手間や、客が飲み物をこぼして床を汚すことを予想して、真名はゆううつそうにしていた。自販機のもうけが真名に入るわけじゃないもんねえ。

 高額商品の恵み札は、社の出入り口近くに貼ってある。ここが一番面白いところだから、コムズ白山に来たときはいつもここだけは見ていく。新しい高額商品のおは……、座布団が二つ。商品画像つき、ということはこうに入っている店からのお布施だ。

 さて、真名は店内にいる。ぼちぼち捜しますか。

 本屋、食品売り場、衣料品店、電器店と、恵まれ講に入っている店を回っていく。見つからない。今日はついてないのかな、と思いながらコーヒー屋の横を通りがかると、明るい茶色のロングソバージュが目に入った。店のテーブルに真名がひとりで座っていた。私は店に入って、

「こんにちは。今ひとり?」と声をかける。真名はうなずいた。

「それ、お布施してもらったの?」

 真名の前には飲みかけのコーヒーが置いてある。

「お店から。新メニューだって」と言って真名は、いつも持っているトートバッグからクリアファイルを取り出した。短冊が挟んである。恵まれ講に入っている店がお布施したときに使う、商品画像つきの恵み札だ。

「そっか、お社に貼ってもらうと広告になるもんね。じゃあ、もしかして、ほかの食べ物屋さんも新メニューをお布施してくれるの?」

 真名はあいよく微笑ほほえんで、

「その前に、なにか注文して」。すぐに切り上げて、お金を使わずに済ませようと思ってたのに。お店の回し者め。

 せっかくだから、真名と同じものを注文した。ストロベリーソースのかかったウィンナコーヒー。味は、うーん、ケミカル。いかにもアメリカ人の味覚だわ。

じゆんが私服着てるのって、久しぶりに見た」

 そう言われると、急に自分の装いが気になってくる。このブーツ、さっさと新しいのにしようかな。とはいえ、なにしろ我が家の家計は純度一〇〇パーセントのい、祖父の遺産の食いつぶしだ。ブーツくらい、父に頼めば買ってもらえるけれど、節約しないと。してらえばやまむなし。

「先週うちに来たときに私服だったじゃん」

「一週間あれば充分久しぶり」

「毎日制服で会ってるしね」

 コーヒー代の元を取ろうと、無駄話に花を咲かせる。女子校の王子様のうわさ話、って、これはあんまり無駄でもない有益な情報収集かな? なにしろ学校では本人がいつも横にいるから、なかなかできない。

しつ』のことは、

「水曜日にこうこんしん会があって、そこではみんなゆかりのことを『執事さん』って呼んでた」。へー、へー、へー、なるほどね、講の役職名だって言ってたしね。

 事件を境にして縁は変わったのか、といてみると、

「知識は変わった。考え方は変わってない」

 そりゃ、どんな大事件があったって、突然あんなやつができあがるもんじゃないわ。

 あと、どうでもいいけど、『知識は変わった』って、知識は変わるものじゃなくて、つくものじゃないの? そんなこと別にわざわざ突っ込まないけど、の日本語はいつもきっちりしているから気になった。

 コーヒー代の元を取るくらいしゃべったところで、私は本題に入った。

「真名になにかおしたいの。最初にしてから一か月ったでしょ、月に一度はお布施しようって思って」

 予算は千円くらい、とか言おうとしたら、真名はあいよく微笑ほほえんで、

「ありがとう。手伝ってほしいことがあるの」



             



 コムズはくさんのバックヤードから出てくるとき真名は、髪をあげて毛糸の帽子をかぶっていた。ロングソバージュの明るい茶髪が見えなくなり、さらにコートを着て緑のセーターが隠れると、真名はいきなり目立たなくなる。明るい茶髪のロングソバージュと緑のトップスは、真名のトレードマークみたいなもので、それがどちらも見えないと、真名らしさが半分くらいに減ってしまう。

 そのことを言うと真名は、

「お店の外ではちょっと隠すことにしたの」

 めぐまれこうこんしん会で、あまり店の外では目立たないでほしい、と言われたのだとか。

 の家は、思ったとおり、コムズはくさんの近くにあった。ここかな、とぼしをつけていた建物のひとつだった。六階建ての六階で、郵便受けにも表札にも「とう」とは出ていない、空白のまま。やしろの恵みふだを見たら、一人暮らしだってことは見当がつくから、あんまり住所をばらしたくないんだろう。

「ちょっと待ってて、持ってくる」

 私は玄関でブーツを脱がずに真名を待つ。そのあいだはもちろん、家のなかを観察しまくる。

 第一印象、なんだ、普通じゃん。我が家と同じく、玄関から見えるところの壁には絵やポスターはない(ただし我が家には、例のデザイナーズ家具な靴置きがある。すごく目立つ)。靴箱はなく、靴が四足、上がり口に並べてある。

 ……って、四足は多くない? スニーカー、制服用のローファー、私服用のかかとのある靴、雨のときに使うオーバーシューズ。千円とかの安い靴はない。社の高額商品コーナーはいつもチェックしてるけど、靴は、講からのおの二足しかなかったはず(制服用と私服用)。恵み札を持って帰る人がくれたの?

 そういえば、恵み札を持って帰る人と、社にってもらう人の割合ってなぞだ。そのうち真名にいてみよう。

 お金のこんせきは、見つからない。コンビニのレシートも、通販の段ボールもなし。そのものずばりで一円玉が落ちていたりもしない。真名はちようめんだしね。玄関から見える範囲はきれいに掃除してある。

 てなことを観察したり考えたりしているうちに、真名が戻ってきた。

「これ、お願い」

 渡されたのは紙バッグ、なかには本が大小二十冊ほど。

 真名はお金にさわれない。だから、ものを買えないのはもちろん、売ることもできない。そこで私がかわりに売ってくる。売ってできたお金は預かっておいて、月曜日にしつすなわちゆかりに渡す。これが、真名の『手伝ってほしいこと』だった。

「じゃ、やっとくね」

「終わったら、またここにきて。お礼にごそうする」

 おおっと、作戦的中! これで真名の部屋にあがって、お金の痕跡を探すことができる。先週のチャンスをのがさなかった私はえてたわ。

 私は先週、真名を家に招いたらあとでお返しに招いてもらえるだろう、ていうかそうさせる、というねらいのもと、父の留守というチャンスを生かして、真名を昼食に招待したのだった。

めぐまれさんのお礼って、恵みふだだけじゃないの?」

「あれは領収書みたいなもの。お礼とは別」

 ちょっとがっかりした。にとっては恵み札は領収書なんだ。毎日たくさん書いてれば、そういう事務的なものに感じるのも当たり前だろうけど。

 それはしょうがないとして、

「ごそうってなに?」。そろそろおやつの時間だから、お菓子かな。

「おでん」



             



 見つめあう。

 だいちようこう、でも実は考えてなんかいない。大勘違いかもしれないだなんてことは、もうわかりきっている。問題は勇気、ただそれだけ。真名にそういうことを迫られたとき、きっぱりと断って逃げ出す勇気があるかどうか。真名との今の関係を失う勇気があるかどうか。

 見つめあう。

 私の考えはお見通し、という顔で真名は私を見つめている。

 見つめあう。

 真名とのこんな関係は、長くは続かないし、続けてはいけない。勘違いかどうか、はっきりさせなければ。

 もしこのとき私が三十七歳のオバサンであったなら、あいまいでもいいんじゃないの、つきあっていればそのうちわかるだろうし、と気長に構えたかもしれない。でも私は十五歳だった。曖昧さに耐えられなかった。真名がお金を隠し持っているかどうか、真名が私のことをそういう風に思っているのかどうか。

「うん、ご馳走になる。じゃ、またあとでね」

 私は玄関を出て、通路から空を見上げた。青空。



             



 本を売るのは、思ったより面倒だった。古書店に行ったら、保護者の同意書が必要と言われて家に戻り、父に書いてもらって、また古書店へ。の家の前に戻ってきたときには、一時間以上が過ぎていた。

 チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いた。おでんのにおいがする。

「おかえりなさい」

 真名はあいよく微笑ほほえんだ。

 玄関から見える範囲と同じように真名の部屋も、第一印象は、なんだ普通じゃん、だった。猛烈に汚かったり、生活感がないほど片付いたりはしていない。机の上には、大きめの鏡、本をひらみにした山が二つに、ノートパソコンとiPodも置いてあって、狭苦しい。壁には、学校のカバンや、コムズはくさんにいるときにいつも持っているトートバッグや、小さなハンドバッグ(かなりお高いブランド品、真名が持っているとは知らなかった。やしろめぐふだにはこんなのなかった)が、一か所にまとめて置いてある。

 よく見ると、部屋に置いてある家具や家電が微妙にアンバランスなのに気づく。テレビ関係は、テレビ本体もテレビ台も高級品なのに、それ以外の家具は机ととタンスしかなく、どれも安物だ。座るものは椅子だけ、収納のたぐいはタンスだけ。恵まれこうのメンバーリストを思い出して、なるほどと思う。家具店は講に入っていない。

 真名は押し入れを開けて、座布団を出した。細かい織り目で模様が織ってある、高そうな座布団だった。そのとき押し入れのなかが見えた。上の段に寝具、下の段に座布団、ちゃぶ台、アイロン、アイロン台、それだけ。

 ……この家、ものが少なすぎない? おしてもらって集めなさい、ってことかな。恵まれさんって大変だわ。

「テレビ、大きいね。いいなあ」と一応めると真名は、

「一番上等なのは、カーテン」と言って、部屋のカーテンを半分閉めた。たしかに上品な質感のあるカーテンだった。「今、日本にある一番いい生地なんだって」と真名。

「へー。いくら?」

「知らない」

「お店を回ってれば、値段がわかるんじゃないの?」

「値段は見ないようにしてる。お布施は金額じゃないから」

 そういえば恵み札には、基本的にものの値段が書いてない。例外は、講のメンバーからのお布施のときの、商品画像つきのやつで、あれは画像といっしょに値段をせている場合がある。

「さっきの恵み札、書くね」

 真名はいつものトートバッグから筆ペンと、短冊をじた束を出した。あのくらいのことでわざわざめぐふだなんて、と思ったけれど、やしろを見ていると、恵み札はたとえ大根半分でも書いている。一時間も荷物を抱えて外を歩いたんだから、恵み札はありだわ。

 が書くところを、後ろから眺める。くずし字。商品名じゃないし、カタカナも入っていないから、全然読めない。

「なんて書いてあるの?」。すると真名は一文字ずつ教えてくれた。

「蔵書の売却の手伝い、二〇〇九年二月八日──」。年月日は読めるってば。「──たちばなじゆん様」

 ああ。

 真名の字で、私の名前が書いてある。それがうれしいというか、幸せというか。

 真名のことが好きだわ私。

 だからって、そういうことはしないけどね。

「お持ちになりますか?」

 社にってあると父に見つかる。私は恵み札をもらった。

 真名がおでんのたくをしに行くと、私はすかさずさがしにとりかかった。音を立てないようにしながら、ゴミ箱を調べ、机の引き出しを開け、カバンのなかをのぞく。結果は、からりだった。コンビニのレシートもなし、銀行のATMの明細票もなし、一円玉もなし。あまり意外でもなかった。これまで真名の暮らしぶりを見てきたかぎりでは、日常的にお金を使っている可能性は低い。もしお金を隠し持っているとしたら、緊急用にしまってあるだけだろう。

 緊急用か、そうだ、「お金にさわってはいけない」というルールを文字どおりに解釈して、「紙幣や硬貨を体に触れさせてはいけない」ということにすれば、ほかの人がカバンの底にお金をい込んで、そのカバンを真名が持ち歩いても、お金に触ったことにはならないし、うっかり触ってしまうこともない。

 じゃあカバンをひっくり返して、というのはさすがにためらう。カバンをひっくり返して調べている最中に戻ってこられたら、そんな一瞬ではカバンの中身を元通りにはできない。私はあきらめて、おでんを待つことにした。眼鏡をかけなおして気持ちを落ち着かせる。

 おでんはおわんに入って出てきた。具がずいぶん小さく切ってある。おやつくらいの分量でいろんな具を食べられるようにするためだろうな。味はなんのへんてつもない。おいしくいただく。

「お社の恵み札ってよくチェックしてるんだけど、この家、あそこに貼ってなかったものがけっこうあるよね」

「高いものを恵んでくれたお客様は、恵み札を持って帰ることが多いの」。高いものをおした記念に持って帰るわけか。

 食べ終わって、足を伸ばそうとして手を床につくと、やけに座布団の手ざわりがいい。そういえば見た目も高そうだった。

「この座布団、なんか高級じゃない?」

「あのカーテンと同じ店からのお。いつも一番いいものをくれるの」

 そうだ、さっきこれのめぐふだやしろで見た、と思い出す。

「最近もらったの?」

「おととい。じゆんがうちに来るのかなって思って、こうこんしん会でお願いした」

 微笑ほほえんだ。まるで野生動物のようになまなましく。

「このちゃぶ台も、そのときにお願いしたの」

 真名は食器を重ねてキッチンに持っていった。

 私はなんだかぼうぜんとして、床の上にあおけに横たわる。窓から空が見える。青空。



             



 おや、淳子、もうすぐたんだっていうのに、いったい私になんの用だい? ちょうどいいところじゃないか、そのまま続けてほしいな。

 とはいえ、我が創造主どのには逆らえない。しゃべるとしようか、あなたには書けないことを。

 あなたの宗教論はなかなかよかったよ。セックスは宗教、なるほどね。もっとも、そういうことを唱える宗教論もやっぱり宗教じゃないかな? 真名はいつも結論ばかりでいけない。『なにが宗教で、なにが宗教じゃないかは、それこそ宗教問題』だなんて、そいつを言っちゃおしまいよ、だ。味わいってものに欠ける。『セックスは宗教』と唱えるあなたの声にこそ、耳を傾けるべき味わいがあるんだ。

 これから土壇場だね。あなたはいったいどんな声で、引かれ者のうたを歌うのかな?

 引かれ者、うん、そうだ、せっかく文字でしゃべっているんだから、こう言ったほうがロマンチックだな──かれ者、とね。



             



 真名が戻ってきた。両手にみをひとつずつ。