*
私とあなたの感性の違いをくだくだと説明するよりも、共感できそうなことを話そう。たとえば、目に見えるものは、お互いそんなに違わないんじゃないかな。
その頃の真名は、髪は長くしていたけれど、ソバージュはかけていなかったし、染めてもいなかった。恵まれさんを始めると決まってから、茶髪のソバージュにしたんだ。店で目立つようにね。ちなみに学校の制服はセーラー服だった。長い黒髪によく似合っていたよ。
私はといえば、髪を伸ばしたことが一度もない。男に媚びてるみたいで嫌なんだ──という具合に私は男を意識してしまう。男に媚びることなく男に好かれたい、というこの思い、あなたは共感できるかな?
おっと、真名の話に戻ろう。その頃から背は低かった(って、背が縮んだらヤバいか)。本人は気にしてた。三年生になってから身長の伸びが止まった、ってさ。私みたいに高くなりたいかって訊いたら、「平均くらいがいい」だって。
このセリフは、真名のある面を端的に表わしている。真名は、エキセントリックなものに憧れることがない。自分の名前もあんまり好きじゃないって言うんだ。「絵藤」も「真名」も目立ちすぎる、「長谷川縁」(私だよ)みたいな名前がよかった、って。「絵藤」という苗字は、そんなに目立つとも思えないけれど、既製品のハンコが売ってないんだそうだ。「真名」もそのたぐいだね。そういえば、あなたの「橘淳子」という名前も、真名の憧れそうな名前じゃないか。もしかして真名は名前で友達を選ぶのかな? さすがに直接の関係はないだろうけど、どこかでつながっているかもしれない。
あなたは真名のことを美人だと言うね。でも、さて、どうかな? あなたの主張を否定するつもりはないけれど、あなたの趣味はどちらかといえば渋いほうじゃないかな。取り立てて言うほどの美点は、肌がきれいで、顔が小さくて、目が切れ長で、歯並びがよくて、くらいだろう? だから前の学校では、真名は美人とは思われていなかった。地味、ただそれだけ。もし目立って美人なら、『影の番長』だなんて形容はしないよ。
*
「美点の数で採点しようだなんて、素朴にも程があるでしょう? あなたらしくもない」私は問いかけた。
「おっと、我が創造主どのがじきじきにご介入とはね。
真名を侮るつもりはこれっぽっちもないんだ。真名の美しさに気づかない連中のことなら、いくらでも侮るつもりはあるんだけれど、そんな連中の話をさせたいわけじゃないだろう?」
縁は──私の頭のなかにある、女子校の王子様の紋切り型は──答えた。
「他人のことはいい、あなた自身の考えを説明して」
「へえ、二十二年前には訊けなかったことを、今になってから訊くんだね」
そう、私は訊かなかった。縁が真名のことをどう思っているか、訊かなかった。訊けなかった。
「まあ、いいさ。創造主どのには逆らえない。ただ、もっとストレートに訊いてほしいな。『真名のことが好き?』とかね。それなら答えは知ってるだろう? 『いいえ』だ」
そんなことは訊かなかったし、知らない。ただ、そのように推測する根拠ならある。
「それが、あなた自身の考え?」
「本心とは限らないけどね」
そう、縁は本心を隠したのかもしれない。きっと彼女なら、上手に嘘をつくことができただろう。
私は本心を知らないまま、身ぶり口ぶりだけを再構成する。
*
本心? 我が創造主どのは困ったことをおっしゃる。あなただって、「貧乏でも心はきれい」だなんて言い訳を聞いたら、腹を抱えて笑うだろう?
真名の言葉にも、そりゃ本心はあるんだろう。でも私はあまり気にしなかった。それよりも、『君』のほうが気になった。あなたも、そうじゃないかな。
真名の『君』。これは、速い。「アナタ」や「ユカリ」(私のことだよ)よりも速い、「キミ」。いつも速いんならいいけれど、急に加速するんだから剣呑だ。まるで襲いかかってくるみたいだ。
それも真名の意図だろう。とにかく相手を黙らせて、もう二度と気持ち悪い言葉を言わないようにさせれば、それで真名は満足なんだ。
要は黙らせればいいんだから、いつでも『君』を使うわけじゃない。『それ、誰に向かって言ってるの?』もそうだね。ほかにも、たとえば、「人間はなんのために生きてるの?」と尋ねたときには真名は、言いにくそうな顔をして、
「知らないほうがいい」
「知ってるの?」
「それも、知らないほうがいい」
ものの見事に黙らされた。
(そうそう、これは本心のいい例でもある。真名が答えを知っているかどうか、つまり真名の本心は、この際は関係ない。もし私が「知らないくせに」と主張したら、「なら訊かないで」で終わりだ)
思えばこの『知らないほうがいい』は、どんな質問に対しても使える。でも真名がこの手を使ったのを見たのは、これ一度きりだった。真名が愛用した初手は、なんといっても『それ、誰に向かって言ってるの?』、それに『君』と『誰』の組み合わせだ。
珍しい手だの、愛用の初手だのと、いやに詳しいだろう? 詳しくなるようなことを、したからね。
初めて真名の『君』を体験したとき、悔しくてその夜は眠れなかった。私は復讐を誓った──というのは脚色のしすぎだな。でも、ものの喩えとしては、そう的外れでもない。愛情のない執着は、復讐に似ている。真名に執着しながら、私は真名を見ていなかった。私は自分自身だけを見ていた。ほら、ご覧のとおり、私はナルシストなものでね。
初体験の後も、私は慇懃に友達づきあいを続けた。そして時々、嫌われない程度の間隔を空けて、タイミングをよく見計らって、無邪気を装って、気持ち悪い言葉を真名にぶつけた。
間隔を空ける必要があったから、あまりたくさんはぶつけられなかった。なにしろ相手は影の番長、社会的摩擦なんてものを歯牙にもかけない。昨日まで仲のよかった友達、それも私みたいな影響力のある人間と、手のひらを返したように縁を切るなんて、なかなか勇気のいることだよ。でも真名なら平気でやったはずだ。真名のことを『普段はおとなしい』と評したあの人も、真名のそういうところを恐れたんだろう。
真名にぶつけた言葉のなかで、あなたが関心を抱きそうなものをひとつ、紹介しようか。
「それは、男を立てるべきじゃないかな、本当に賢い女なら」
私がなんの抵抗もなく、こういう気持ち悪い言葉を口にしていたとは思ってほしくない。そもそも、抵抗を感じる能力がなければ、どんな言葉が気持ち悪いかわからないだろう?
ちなみに、真名の初手がけっこうワンパターンなのと同様、気持ち悪い言葉もけっこうワンパターンだ。この例では「本当」のところがポイントだから、ひとつ、じっくりと味わってみてほしい。「本当のラーメン」という言葉は無害なのに、「本当の日本人」だと気持ちが悪い。なぜだろうね?
さて、真名の反応はというと、
「君は誰?」
さっき、真名の『君』は剣呑だと言ったけれど、こうしてみると、やっぱり真名はお嬢様だね。「『本当に賢い女』だぁ? そういうお前は何様だよ」とでも応じたほうが、相手は確実に黙るんじゃないかな。
『君は誰?』──我が創造主どのの初体験は、私に言わせれば、いつものパターンだったわけだ。
*
真名は相手を黙らせようとした、と女子校の王子様は──縁は言う。でもそれは真名の「本心」を想定した物言いで、しかも真名の本心をこれこれこうと決めつけている。
縁の矛盾を責めたいわけではない。もし十五歳の子供の言うことが常に一貫しているとしたら、おそらく、その子はひどく不幸な境遇にいる。私が指摘したいのは、矛盾ではなく、軽薄さだ。軽々しく「本心」を想定し、軽々しく決めつける物言い、それは縁が何者であるかを物語っている。
ほかの場合はともかく、少なくとも『知らないほうがいい』については、真名は自分の結論を語ったように思える。
私は博士課程のとき、バークリーで一年を過ごした。あるとき近所に住む老婆と知り合い、話をした。昔の世相をあれこれと語る、他愛ない世間話の最後に、老婆が言った。
「──といっても、そのとき私は修道院にいたんですけどね」
「修道院? 昔は修道女をなさっていたんですか?」
老婆はうなずき、ある有名な女子活動修道会の名前を挙げた。
それまで聞いた話から、彼女が還俗したときの年齢を推測してみると、中年以降のことだった。
「大変な事情がおありだったのでしょうね」、と私は逃げ腰ぎみに相槌を打った。
「いいえ、とんでもない。人間関係のちょっとしたトラブルです。毎日どこにでもあるようなつまらない話ですから、あなたのお耳に入れるようなことじゃありません。
でもね、そんなつまらないことで、自分の人生のほとんどを──十五歳のときに心を決めてから、五十五歳のそのときまで、四十年間ですよ、ほとんどを捧げてきた修道生活を、もう続けたくない、続けられないと思って、あっさり投げ出してしまった。私はいったいなにをしてきたのかしら、私はなにを大切にしているのかしらって、今でも毎日、自分に問いかけずにはいられません」
彼女のあまりにも確信に満ちたきっぱりとした語り口は、テレビ伝道師の説教を髣髴とさせた。日本と同じくこの国でも、宗教は気軽な話題ではない。
「還俗したからといって、信仰を失ったわけではないの。自分自身を発見する、問う、疑う、再検討するというのは、苦しいことだけれど、けっして邪悪なことではない。それどころか、一心にお勤めに励んでいたときよりもずっと──」
そのとき彼女は突然、テレビ伝道師の歯切れのよさを失い、黙り込んだ。視線をあちこちにさまよわせ、言葉を探していたようだった。
彼女の探している言葉を、私も探してみた。おそらく、修道生活の価値を今も信じている彼女にとって、「敬虔」や「充実」はふさわしい言葉ではない。
やがて老婆は、
「──ごめんなさい、うまく言えないわ」
彼女の年齢は聞かなかったが、七十歳以下には見えなかった。彼女は、『うまく言えない』なにかを、二十余年にわたって生きてきたのだ。
真名の『知らないほうがいい』という答えは、老婆の『うまく言えない』なにかを生きるよう勧めたものかもしれない。
*
我が創造主どのに一言。あなたは思いのままに私を造形しておいて、そのうえで私を軽薄だと言っている。それが悪いとは言わないけれど、一種の矛盾じゃないのかな? 嫉妬は醜いよ。それも二十年以上も前のことを。
さて、そろそろ核心に入ろうか。あなたを今でもこれほどの嫉妬に駆り立てる、あの事件の話をしよう。いよいよ、『どうして空は青いの?』の意味を語ろう。
やっぱり真名はお嬢様だ、とさっき言ったね。それじゃ、真名の家はどんなのだと思う? 摂関家だったりしたら楽しいんだけど、あいにくそんなことはなく、ご父君は中小企業の二代目社長だった。実のご母堂はすでに亡くなられていて、後添えの継母がいた。お二人には何度かお会いしたことがあるけれど──あんな事件があったんだから当然だね──、ごくごく常識的なかたがただったよ。あの事件までは真名のことを、「思春期の女の子は難しい」だなんて思っていたくらいにね。
初めてご両親にお会いしたのは、あの事件の前だった。真名の家は我が家から近くて、ときどき遊びに行っていたんだ。あの事件は、真名の家で、真名の部屋で起こった。
秋のことでね。中間テストのあとの日曜日だった。天高く馬肥ゆる秋、なんて感じの日だった。真名の家にゆく道すがら、気持ち悪い言葉を探した。
真名が答えに窮するんじゃないかと思えるような言葉は、なかなか見つからない。半年も同じことを繰り返してきたから、真名の手があらかた読めるようになっていた。そこまで学習するほど繰り返したんだから、思えば真名のほうも、私のしていることに気づいていたかもしれない。
『どうして空は青いの?』を思いついたときには、ずいぶん迷った。真名が食いつくかどうか、わからなかった。ポエムと思われて聞き流されるんじゃないか、とね。でも新しいパターンではあったし、真名の手も読めなかった。
よく考えてみるとこれは、味わいのある言葉なんだよ。科学者のあなたには釈迦に説法だけれど、「光の散乱のため」みたいな説明は、大事なところを取り逃している。問いよりも答えが先にありき、だ。
そもそも「青」ってなんなのか。空の青、信号の青、ラピスラズリの青、それぞれ違う色なのに、どうしてみな同じ「青」というカテゴリーに入れられているのか。『空はなぜ青いの?』という問いは、こういうカテゴリー分けの問題も含んでいるはずだ。なのに、どうしてカテゴリー分けの問題がいつも置き去りにされて、「光の散乱のため」が真っ先に出てくるのか。
ほら、気持ち悪いだろう? だから、真名は絶対に「光の散乱のため」みたいな説明はしない、と確信した。じゃあ、ほかにどんな答えようがある? わからなかった。これはぶつけてみる価値がありそうだ、と思った。
真名の家はごくありきたりの集合住宅だ。七階建ての四階。どの家でも玄関は、住人の趣味が表われるものだけれど、真名の家の玄関は、まるで事務所のようだった。事務所で書類なんかをしまうのに使う、ねずみ色のスチール製の棚があるよね。あれを玄関に置いて、靴を並べていた。傘立ても、コンビニに置いてあるような、無趣味を極めたシロモノだった。
ちなみに、人の家の玄関を見るとき、靴箱と傘立ては重要なチェックポイントだ。デザイナーズ家具の傘立てはいかにもデザイナーズ家具らしいし、田舎の成金用の傘立ては見紛うことなく田舎の成金用だ。だから傘立ては、よほど人目を気にしない住人でも、自然と自分の趣味をアピールするようなものを選ぶことになる。ところが靴箱のほうは、自分の趣味をアピールするようなものを選ぶのが難しい。いかにもデザイナーズ家具な靴箱とか、いかにも田舎の成金用の靴箱なんて、想像できるかい? 靴箱は、よほど努力しないかぎり、無難で無趣味なところに落ち着く。こういう目で傘立てと靴箱を見れば、その家の住人のことがわかる。傘立ては、住人の趣味の方向性を示す。靴箱は、住人がどれだけ自分の趣味に重きを置いているかを示す。
真名の家の玄関のことを考えてみてほしい。真名のご両親はごくごく常識的なかたがただとさっき私は言ったけれど、それは、よくあるタイプのどれか一つにぴったりあてはまるという意味じゃない。だいたい、ごくごく常識的、というのがすでにユニークだろう? 人間はほとんど誰もが非常識だ。
事務用の棚を靴箱にするというのは、現代美術のような趣味じゃないかと思った。真名のご母堂にお世辞がてら、靴箱の件をうかがってみると、こともなげにおっしゃったよ。
「前は引き戸のついた靴箱を使ってたんだけど、湿気と臭いがこもるのが嫌でねえ。そしたら、うちの宿六が会社でいらなくなった棚を持ってきたのよ」
どうやらこの家には、趣味なんてものは存在しないらしい。
私はちょっと驚いてから、真名のことを思って、安心した。もし真名のご両親が、田舎の成金だったり、洗練された都会人だったりしたら、真名はどんなに生きるのが辛いだろう。
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縁が──私の頭のなかにある一個の紋切り型ではなく、実物の縁が──靴箱の話をしたとき、私はどんな顔をすればいいかわからなかった。我が家には、『いかにもデザイナーズ家具な靴箱』があったのだ、正確には箱ではないけれど。二つの階段をX字型に交差させたもので、踏み板のところに靴を置く。高さは私の背丈くらい。収容能力からいえば、父と私しかいない家には無用の長物だったが、もともとこういうデザイナーズ家具は満杯まで使うようなものではないのかもしれない。有名なデザイナーの一品ものだというから、値段はきっと乗用車くらいだろう。
私はそのとき(今でも)、よその家の玄関を語れるほどよその家を訪れたことはなかった。もし私の家にあの靴置きがなかったら、縁の言うことを真に受けていただろう。
これが縁の軽薄さだ。彼女の言葉は軽薄で、うかつに信用できない。
だからこそ、このトンネルは、彼女の言葉を通して語るしかない。この軽薄で疑わしい言葉こそが、私の体験したことだから。
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我が創造主どのもお人が悪い。そんなことを思ったなら、その場で言ってほしかった。私が全知全能を気取っているように見えたのかな。
それに、あなたの家の靴置きは、私の主張の反例じゃなくて例証だろう? あなたのご父君は、ご自分の趣味にきわめて熱心なかただ。いや、趣味に熱心、なんて言っては芸術家に失礼だな。芸術、と言い直そう。
おや、そうだ、またしても脇道にそれてしまった。話を戻そう。あの事件の話にね。
その日、天高く馬肥ゆる秋の日、私はその事務所みたいな玄関を通り、真名のご母堂にご挨拶して、真名の部屋に入った。
真名の部屋は──ああ、これの説明は必要ないね。我が創造主どのが見た(これから見ることになる、と言うべきかな?)あの部屋と、だいたい同じようなものだよ。初めて見たときには、あんまりにも物が少なくって驚愕した。片付けのコツを訊いたら、「絶対に必要とはいえないものは捨てる」だって。その「絶対」たるや半端じゃない。春になったら、冬物の服は全部捨てるんだとさ。正確には捨てるんじゃなくて、ご母堂がネットオークションで売るんだそうだが。
「いつも暇なとき何してるの」
「ゲームしたり、本を読んだり」
でも、ゲームのソフトがどこかに並んでるわけじゃないし、教科書以外の本だって机の上に何冊か置いてあっただけだ。ちなみに真名は本を立てずに平積みにしていた。立てておくほどたくさんの本は持たない、ということだろう。
真名の部屋には座るものといえば椅子一脚だけで、クッションのたぐいもないから、ほかの部屋から座布団を借りてくる。がらんとした部屋で、大きな座布団に小さな身体でちんまりと座る真名は、学校にいるときよりずっと真名らしい──と言ったら変かな。違和感がないんだ。逆に言えば、真名に学校は似合わない。
さて、あの事件の日のことだ。
私は真名が読みたがっていたまんがを持参していた。真名はそれを読み、私は真名が買ったばかりのゲームをやった。
ちょっとゲームにくたびれてきたところで私はコントローラを置き、床に仰向けに体を伸ばすと、空が見えた。ここに来る道すがら思いついたあの質問を思い出して、もう一度よく考えてみると、ますます素晴らしく思えてきた。これは、いくら真名でも答えに窮するにちがいない。今日こそ復讐を成し遂げる日だ、とさえ思った。
絶対にうまく答えられないはずだという確信をもって、私は尋ねた。
「ねえ、真名、どうして空は青いの?」