その、その、その、その、その。
私は硬直し、絵藤真名はなにも言わずに私の顔を見るばかり、長谷川縁はそっぽを向いて楽しげにくつろいでいる。
沈黙を破ったのは、絵藤真名だった。
「嫌われたのかと思ってた」
「誰に?」
私はギギギと音をたてながら眼鏡をかけなおす。
「あなたに」
「どうして?」
「通学のバスが同じなのに、ずっと話しかけてくれなかった」
「そっちこそ」
なにが『そっちこそ』だ、私の馬鹿め。自分に対してストーカーみたいなことをしている人間に話しかけたりするわけがない、と冷静に考えればわかるのだけれど、私は冷静じゃない。
「そうね。ごめんなさい」
絵藤真名の大人な対応と、それに気づかない私。穴を掘って埋めたい。
「こっちこそ、ごめんなさい」
そしてまた沈黙。絵藤真名は沈黙を苦にしないらしい。私は長谷川縁に向かって、
「長谷川さんは絵藤さんのこと、なんて呼んでるの?」
「真名」と長谷川縁。それにしても二人ともいつも返事が短い。
「絵藤さんは長谷川さんのこと──」
「縁」と絵藤真名。
本名ワールドか。私だけ「るっち」だと浮く。
「じゃ、私のことは『淳子』って呼んで」
けれど絵藤真名は、
「『るっち』じゃないの?」
私のあだ名を知ってる! どうして。私のことをマークしてた?
私のストーカーじみた振る舞いが向こうに気づかれないはずもなく、人当たりのいい王子様の縁ならクラスの誰かに尋ねれば簡単に私のことを聞き出せただろうと推理できる、ただし、二十二年後に思い返すならば。当時の私の混濁したおめでたい頭脳は、真名が私に関心を抱いている、としか思わなかった。
「『淳子』がいい」
「そう」
こうして絵藤真名は真名になり、長谷川縁は縁になった。
「真名は、最近引っ越したの?」
「ええ」
「縁も?」
どうせ答えは『ええ』だろうと思っていたら、
「いや、私は引っ越してない」
少なくとも縁は、帰国子女とかじゃないってことだ。こんなおまけのことはどうでもいいけれど、真名のことがわかるかもしれない。
「じゃ、どうして転校したの?」
尋ねてから、そういえば、と思い出す。
「内緒」
そうなのだ。二人とも転校の理由を秘密にしていると、友達が言っていた。
「そのうちわかる?」
「それは、あなた次第。才能は、あると思うよ」
「才能?」
「テレビのニュースを見ていると、よく思うんだ。犯罪事件の犯人の動機というやつ、警察が発表するあの筋書きは、一千年後には、ほとんど誰も理解できないんじゃないか、ってね。
『千夜一夜物語』は知ってるね。別名『アラビアン・ナイト』、中世ペルシアなどの民話を集めたものだよ。これを初めて翻訳して西洋に紹介したのが、十八世紀フランスのアントワーヌ・ガランという学者だ。ところがガランは、誠実な学者ではなかった。自分が捏造した物語を、翻訳のなかにまぎれこませたんだ。『アラジンと魔法のランプ』『アリババと四十人の盗賊』、この二つはガランが書いた贋作だ。
さて、あなたは、この二つ以外に『千夜一夜物語』の話をいくつ知ってる? せいぜい『シンドバッドの冒険』だけだろうね。本物の中世ペルシアの民話は、筋書きのパターンが違いすぎて、今の日本ではほとんど誰も理解できないんだよ。
流行りのパターンの筋書きしかわからない人には、わからないことがたくさんある。あなたは、どうかな」
けっ。
こういう秘教的なもったいぶった物言いを、王子様の魅力と感じた友達は多かった。けれど私にはそういう感性はなく、ただ「けっ」と思うだけだった。二十二年後にもそれは変わらず、ただ「けっ」と思う。もしかして私は今でも彼女に嫉妬しているのだろうか。彼女が真名にあれほど深く触れたことを。
*
真名と友達になってしまった。
登下校のバスが一緒だから、話す機会は多い。おかげで恵まれさんの暮らしのことが、いろいろわかった。
勤務時間のようなものは特に決まっているわけではないけれど、
「クローズ前の一時間は店にいてくれ、って言われてる」
「クローズ?」
「閉店のこと」。ちなみにコムズ白山の閉店は午後九時だ。
食料品は店が混雑しないうちにお布施してもらい、いったん家に持って帰ってから、また店に出る。それが面倒くさい、という。
「バックヤードに冷蔵庫を入れてもらえばよかった」
「バックヤード?」
「関係者以外立入禁止のスペース」
社のバックヤードには、立て看板の予備や、チラシのストックが置いてある。立て看板やチラシは真名が自分で管理しているという。
店内を回るときには、恵まれ講に入っている店だけを回る。不参加の店の商品は、お布施を頼んではいけないし、そもそも真名の暮らしとは接点のない店だったりする、ベビー用品店とか。
施主から恵まれさんに声をかけるケースは珍しく、ほとんどは恵まれさんから声をかけて「これを恵んでください」と頼む。いくら声をかけても施主のなり手が見つからないときには、恵まれ講からのお布施という扱いにして手に入れることができる。でもそれならお金を持ってるのと大差ないんじゃないの? 「お金に触ってはいけない」という決まりには、やっぱり怪しいところがある。でもそのことは訊かない、訊けない。
「知らない人に声をかけるのって、大変じゃない?」
真名はしんみりとうなずいて、
「淳子から声をかけてもらったとき、すごく嬉しかった」
それでも、その苦労がずっと続くわけじゃない。昔の恵まれさんの体験談によれば、常連が三、四十人もできれば、知らない人に声をかける必要はなくなるらしい。
もしかして私も常連候補?
「店に毎日くる人か、高いものを恵んでくれる人じゃないと」。そりゃそうだわ。
真名の話を聞いているうちに、恵まれさんはファンタジーじゃない、ということがわかってきた。恵まれ講に担いでもらえるかどうかが最大の難関で、それさえクリアしたら、あとは字がうまくて辛抱強いだけで充分な気がする。
それがわかっても私はまだ、彼女が私と同じ人間だとは思えない。家にもカバンにもポケットにも、一円も持ってない? そんなはずはない。お金を隠し持っていて、どこかでこっそり使っているにちがいない、それを確かめたい。
でも、もし本当に──そんな馬鹿な。だって、どう見ても真名は、ちょっと変わってはいるけれど、普通の人間なのに。
「本当は持ってるんでしょ? お金」
そのたった一言が、どうしても、口にできない。軽く尋ねればいいのに、真名をひどく怒らせるとも思えないのに。
体育の授業の最中に、こっそりひとりで教室に戻って、真名の荷物を漁る、という計画をしばらく本気で妄想した。盗むわけじゃない、捜すだけ、と自分に言い訳しながら。あまりにも深く綿密に妄想したので、もしかしたらもう実行してしまった後なのかも、と思うほどだった。私はまぎれもない危険人物だった。
その妄想からどうにか身を引き剥がした頃、一月の終わりの頃、ある日、縁が言った、真名のいないところで。
「今日は放課後はヒマ? そう、それじゃ、四時に真名のお社で会おう。真名には内緒だよ」
は? なにそれ?
「どうして?」
おまけの分際で、まさか私に惚れたのか。見た目が王子様だからって、中身もそっちなのか、律儀な奴。などと馬鹿なことを一瞬考えた、けれど、
「あなたの疑問を解くカギをあげる」
ぎょっとした。私の疑問──真名がお金を隠し持っているかどうか。でもそのことは一度もしゃべっていない。
「疑問?」
「どれのことかと訊かれても困るな。全部、つながっているんだ。真名が嫌がる質問は、どれも同じことなんだ」
真名が嫌がる質問というのは、どうして恵まれさんになったのかとか、どうして転校したのかとか、そういうことだ。それは、なるほど、つながっていそうだわ。
ほっとした。バレてるわけじゃない。けれど、私がほっとしたことは、バレた。縁は訳知り顔で微笑んだ。
「どうやら、あなたには秘密がありそうだ。私にもあるよ。お仲間だね」
本気で言っているのか、それとも笑いを取っているつもりなのか、わからなくて困った。二十二年が過ぎた後も、やはり謎のままだ。
*
社の掲示板は、初日はがらんとしていたけれど、今はもう半分くらい埋まっている。その大半が食料品、なにしろ大根半分とかの単位で札にしてある。施主の名前もいちいち書いていなくて、「同右」ばかり。
真名に聞いた話では、掲示板が一杯になったら古いのから順に捨てて新しいのに貼り替える。そのとき、高価なものの恵み札は、古くなっても残しておく。貼る場所にも差をつけてあって、食料品は社の奥のほうに、衣料品や家電のように高価なものは出入り口近くに貼る。
社がオープンしてから三週間が過ぎて、そろそろ物珍しくもなくなったと思うのに、今日もまだ、掲示板を眺める客で混みあっている。待ち合わせ場所としても使われているらしい、縁がそうしたように。広告効果はそれなりにありそうだ。
テナントじゃなくて一般人のお大尽はいるのかなと思って探してみると、なんと、何万円もする高級イヤフォンの恵み札があった。値段は書いてないけど、このメーカーのイヤフォンは最低で二万円からなのだ。いるもんだわ、お大尽。施主から声をかけてきたのかな、こんな高いもの、恵まれさんから声をかけて頼んでも無駄だろうし。それにしても真名が音楽好きだなんて知らなかった。
あとで真名の話を聞いてみたら、恵まれ講のメンバーのなかでも電器店は特に負担が特に大きいから、かなり時間を割いて回っていて、そんなに欲しくないものでもお布施を頼む、という。
私がお布施した料理書の恵み札は、まだあった。まわりの恵み札はほとんどが楷書で、私のだけがぽつんとくずし字だ。読めない字じゃ嫌って人が多いの? くずし字のほうが有難味があると思うんだけど。
ざっと掲示板を眺めてから、社の中のベンチに腰かける。例の立て看板には、「留守にしています。店内にはおりません」と書いた木の札がかかっている。
「待たせたね」。後ろからハスキーな声。縁だった。「外に出よう。といっても、どうも具合が悪いんだが」
「具合?」
「あなたにカギを渡そうと思ったんだが、条件が揃わない。見込み違いだった」
コムズ白山の外に出ると、風が強く、立ち話をするような天気じゃない。さっき外から中に入ったときには眼鏡が曇った。空は晴れて日が差しているけれど、夕方の太陽だから弱々しい。ついさっきまで雨が降っていて、まだ地面のアスファルトがところどころ濡れている。
縁は、佐間ニュータウンの山がちな景色をさっと見渡すと、
「やっぱり、だめだね。条件が揃わない」
「条件って、なんのこと?」
「内緒」
「へー。で、条件が揃わないから、どうしろっての?」
まさか、『条件が揃わない』とかいう謎の理由で、私に無駄足を踏ませるつもりか。
「ああ、なんだ、私とデートしたい? いいよ」。これで笑いを取ったつもりらしいから笑えない。
「条件とやらが揃わないから、カギとやらを渡せない?」
「すまないね」
私はそのまま家に帰った。
翌日、縁は同じように話を持ちかけ、同じ場所同じ時間に待ち合わせをして、会うと同じように外に出た。空は曇って暗いけれど、今日は風がないせいで、昨日よりずっと暖かく感じる。
縁は、夕方の暗い曇り空を見上げると、
「条件が揃った。カギを渡そう」
そう言って立ち止まり、私を見つめた。
「どうして空は青いの?」
*
『どうして空は青いの?』。これが無邪気な問い? ご冗談を。これは、大学院の博士課程の面接問題だ。答えるのに一時間はかかる。私が大学院の入試面接を受けたとき、まさにこの問題を出された。大気の光学現象は、学部のときから現在に至るまでずっと、私の専門分野だ。
だから、この問いをもし言葉どおりに受け止めるなら、私の娘は、この上ない適任者を引き当てたことになる。もちろん、いきなり波動方程式を教えるような無茶はしない。最初は、ちょっとした実験をしてみせる。
コップ一杯の水に、粒径の充分小さいポリスチレンラテックスを混ぜて、横から白色光を当てる。すると水は青く光る。これがレイリー散乱、青空を青く染めるのはこれだ。ポリスチレンラテックスのかわりに生クリームを混ぜると、水は白く光る。これがミー散乱、雲を白くするのはこれだ。
でも、それはきっと、彼女の望んだことではない。この問いを発したとき、彼女は、幼稚な意地悪をしかけるつもりの顔をしていた。それは私にも身に覚えがある。
ボーデンハイマーはこの点を、父親にたいする子どもの質問を例に挙げて説明している。「お父さん、空はなぜ青いの?」子どもは本当は空そのものには興味がない。この問いの真の狙いは、父親の不能、つまり空が青いという動かせぬ事実を前にしたときの無力さ、その事実を実証できず、その証明に必要な一連の論証を提示できない無能さを暴露することである。したがって空が青いということは、父親の問題になるだけでなく、父親の落ち度にもなる。「空は青い。なのにあんたはそれについて何ひとつできず、馬鹿みたいにぼんやり眺めているだけだ」。問いは、たとえある特定の事物の状態に言及しているだけであっても、つねに主体に形式的に責任を負わせる。ただし否定的な形で。つまりこの事実を前にしたときの無力さの責任を負わせるのである。(※1)