「に、逃がしてくれたりすると嬉しいんですが?」

 ジャイアントアントに言葉が通じるはずもないと思いながら、その威容に気圧されて、思わず声をかけてしまうサーラ。

「ギギ」

「あ、あれ!? 今、首を横に振りましたよね!? 私の言葉が分かるんですか!?

 サーラの問いかけに、首を横に振るジェネラルアントを見て、彼女は驚きの表情を浮かべる。

 知能の高いモンスターは、時として人の言葉を理解すると言われているが、ジャイアントアントでは報告されたことはないはずだ。

「もしかすると、このジェネラルアントが異変の原因なのでしょうか? いえ、でもあの布は――」

 考え込む少女へと、ジェネラルアントが一歩足を踏み出す。

「――とはいえ、このまま逃がしてくれるつもりはないようですね……」

 ジェネラルアントは、警戒しながらゆっくりとサーラとの距離を詰める。

 少女の背後は土の壁で塞がれている。前方にはボスモンスターと思われるジェネラルアント。

 もはや、逃げ場はなかった。

「仕方ありませんね。ちょっとだけ、戦うとしましょうか」

 絶体絶命の状況にもかかわらず、彼女は落ち着いた様子で短剣を構えた。

 蒼く輝くミスリル製の刀身に、薄く魔力をまとわせると、タイミングをうかがう。

 ジェネラルアントが、歩行のために足をあげようとしたその瞬間。

 サーラは全身をバネのように使って、一瞬のうちに急加速した。

 途中で軌道を変え、空気を切り裂く音を立てながら迫るジェネラルアントの前足。

 それを、紙一重ですり抜けるように回避。

 足元を駆け抜けながら、短剣を素早く振るう。

 手元がブレて見えるほどの速さで振られた刃。

 その青くきらめく軌跡が、足のこうかくの隙間を結ぶように、鮮やかに描き出される。

 そして、鋭く研がれた刃が関節を切り裂き、ジェネラルアントは、自重を支えきれずに崩れ落ちる――と同時に、パキンと何かが折れる音が響いた。

「ふあ!? 刃が折れちゃいましたよ! お気に入りの短剣だったのに!」

 サーラは、刀身の中ほどから折れてしまった短剣を放り投げ、予備のものへと持ち替えた。

 短剣は折れたのではない。折られたのだ。

「あの一瞬で、甲殻の隙間にはさみこんで刃を折るとか。どれだけの化け物なんですか! あの短剣、すっごく高かったんですからね! 弁償してください!」

 うずくまるジェネラルアントへと指を突きつけ、理不尽な怒りをあらわにするサーラ。

 そんな彼女へと、ジェネラルアントが敵意に満ちた視線を向けた。

「な、なんですか、その目は! そんな目をしても怖くないですよ! だってあなた、もう動けない――ええ!? なんで立ち上がれるんですか!? 関節を切ったのに動けるとか反則ですよ!」

 よろよろと立ち上がったジェネラルアントは、すぐに彼女へと襲い掛かるかと思われたが、ぴたりと動きを止め、サーラの手をじっと見つめた。

 彼女の手の中には、ジェネラルアントの腕に巻かれていたあの赤い布が握られていた。

 攻撃のついでに抜きとったそれは、さらさらとした不思議な手触りの布であった。

 魔力は感じられないことから、特殊な効果などもなさそうだと、サーラはそう判断する。

 彼女が手にした赤い布を見つめていたジェネラルアントは、いつの間にかうつむきプルプルと震えている。

 どうしたのだろうかといぶかしむサーラだったが、何はともあれチャンスだと、じりじりと後退を始める。

「ギイイイイイィィィ!」

「ひいぃ!?

 あと少しで、サーラの逃走が成功しようかという瞬間。ジェネラルアントがサーラに向けていた敵意が、刺し貫くような殺気へと変化する。

 荒事に慣れているはずの彼女が、一瞬ひるんでしまうほどの濃密な殺気。

「な、なんだかとても怒っているような!? な、なんでですか!?

「ギアアアァアァァ!」

「わぴゃあ!?

 そのあまりの迫力に、思わず情けない悲鳴を上げてしまうサーラ。

 彼女の生存本能が、けたたましく警鐘を鳴らし、だらだらと冷汗が流れ出る。

「こ、こんな恐ろしいモンスターと戦うなんてやってられません! 援軍が来る前にさっさと逃げるとしましょう!」

 逃げ出すサーラを、怒りのオーラを全身から発したジェネラルアントが、重々しい足音を立てながら追いかけてくる。

 その背中に噛みつこうと、ガチガチとおおあごを鳴らす音が、やけにはっきりと彼女の耳に届いた。

 背後から迫りくるジェネラルアントの速度は、足を負傷しているはずだというのに、以前より増しているようにすら感じられた。

「も、もしかしてこの布、とても大切なものだったり? 今さら返しても許してくれませんよね?」

 サーラは必死に足を動かして、ダンジョンの中を駆けまわる。

 もはや道など覚えていないが、風と魔力の流れを辿り、出口を目指す。

 このままでは、そう遠くないうちに迷ってしまうかもしれない。

 しかし、足を止めるわけにはいかない。

 後ろから響く足音は、彼女の背後にぴったりと付いてきている。

 もしも追いつかれてしまったら、どんな目に遭うのか分からない。

 あの怒りようを見る限り、それはもう恐ろしい目に遭うのだろう。

 何としても逃げ切らなければと、サーラはもつれそうになる足に力を込めた。

 ――迷路のようなダンジョンの中を、もうどれだけ走っただろうか。

 すでにサーラの息は上がり、いっそのこと、すべてをあきらめて地面に倒れ込んでしまいたいとすら感じるほどだった。

 彼女がちらりと後ろを振り返ると、そこにはあのジェネラルアントの姿。

 どうやら、まだ諦めてくれないようだ。

「も、もう許してくださいいぃ」

「ギイイイィィィ!」

「いやああぁ!」

 悲鳴を上げ、もつれそうになる足に気合を入れなおして、地面を蹴り続ける。

 の体力の差が現れ始めたのか、じりじりと距離が詰められ、今にも捕まってしまうかというときだった。

 サーラが曲がった先は、見覚えのある通路だった。

 通路に空いた、壁が崩れたような横穴。

 それは、ダンジョンに入ってすぐに見つけた隠し通路で間違いない。

 ――あと少しで出口にたどり着く。

 そんな希望を胸に、彼女は最後の加速を始める。

「ああ! で、出口です! あそこまで行けば!」

 ダンジョンの外まで逃げれば、追ってこないはず。あと少しで助かる。

 ようやく見えてきた出口を全速力で駆け抜け、太陽の光を浴びたサーラは、ほっと息を――

「ギイイイイイィィィ!」

「な、何でですか!? もうダンジョンの外ですよ!」

 ダンジョンの外に出てもまだ追ってくる、ジェネラルアント。

 その執念深さに、サーラは涙目で叫ぶとまた走り出した。

「もう逃がしてくれてもいいじゃないですかあああぁぁ!」

 草原に出てもひたすら追い回され続けるサーラだが、天は彼女に味方したようだ。

 彼女の前方に見えるのは、背丈の高い草が生い茂った一角。

 彼女は体をかがめて草の中に飛び込み、全力で気配を消して地面をいずる。

 息を殺し、限界まで体を縮めて隠れる少女。

 彼女を追いかけていたジェネラルアントは、草むらをぎ払い、しばらくサーラを探していたが、ようやくあきらめたのかトボトボとダンジョンへと帰っていった。

 ジェネラルアントを振り切り、ようやく彼女が逃げ切れたのはすでに日が落ちかけた頃であった。

 かれこれ数時間は追い回され、全力疾走をしていたことになる。

「も、もう……あの……ダンジョンには……は、入りたくないです…………」

 戦利品は謎の赤い布と、調査用の魔核が数個。

 あれだけ恐ろしい目に遭ったというのに、たったこれっぽっちの成果である。

 よろよろと草むらから這い出したサーラは、その場に座り込む。

「もう、一歩も動けません。汗もかいたし、早く体を洗いたいです……」

 そのまま草むらに倒れ込み、ぐったりと脱力する少女。

「ああ、地面がひんやりして気持ちいいですね……」

 しばらくして――やっと歩ける程度には回復したサーラは、街へ戻るために立ち上がった。

 倒れ込んだ際に顔についた土と草を払うと、びくびくと辺りを警戒しつつ、草原を歩く。

 ようやく草原を抜けようというとき、どこからかあのジェネラルアントの悔し気なほうこうが聞こえてきた。

「ひゃう!? こ、こうしてはいられません! さっさと逃げなければ!」

 草原の外れに待機していた馬へとしがみ付くようにまたがったサーラは、周囲を警戒しながら馬を走らせ続けた。

 ようやくリーアの街の門が見え始めたところで、今度こそあんのため息を吐き出す。

「あんなダンジョンがあるなんて思いもしませんでした! こんなひどい目に遭ったんです! ギルドにはいっぱいほうしゆうを出してもらいますからね!」

 目に闘志を宿し、そう力強く宣言すると、サーラはガルツが待つ冒険者ギルドへと向かったのだった――

 

◆ ◆ ◆

 

『無音』のサーラによってもたらされた情報は、冒険者ギルドを震撼させた。

 ジャイアントアントではあり得ない行動や、大量のネームドモンスターの存在。

 にわかに信じがたい情報ばかりだが、調査を行ったのは他でもなく、ギルドの本部からの信頼も厚い最上位の冒険者である。その信頼性はくつがえしようがなかった。

 これまでのデータから、ダンジョンマスターがいることはほぼ間違いないとされた。

 ダンジョンマスターが出現した可能性は、各国の上層部へともたらされたが、余計な混乱を避けるため、一般層へはとくされた。

 ギルドは、地形や出現するモンスターの情報を加味したうえで、Cランクダンジョンであった『黒軍の大穴』の評価をAランクへと引き上げる。

 これは、ギルド発足以来、史上最速の記録であった。

 この情報はギルドを通じてあちこちへと広まり、炎竜王を倒したことに加え、史上最速でAランクへと成長したダンジョンとして一躍有名になる。

 さらに、サーラがダンジョンから持ち帰った赤い布は、材質、製法ともにすべて謎に包まれており、調査の後にオークションへとかけられることとなった。

 謎に包まれた赤い布は、その出自に関する様々な噂が流れ、希少な品を求める貴族や大商人がこぞって入札。

 最終的には、ダンジョンコアにも匹敵するほどの大金で、とある大貴族に競り落とされることになる。

 そして、その情報を聞きつけた、一攫千金を夢見る冒険者たちまでもが、ダンジョンを目指し、つどい始めるのであった――