辺りが夕闇に包まれ始めた頃、ルドニールは目を覚ました。
戦いを始めたのは、太陽が
その姿は王と呼ぶには、
自慢であった角は折れ、片方の目は無残にも潰れている。
光を受けて
至る所に傷がつき、傷口からは血が流れ落ち、翼はすでにぼろぼろだ。
――だが、ルドニールは死んではいなかった。
目を覚ました彼の近くに、あの化け物はいなかった。
あの化け物にとって、ルドニールはその辺を飛び回る羽虫のようなものだったのだろう。
ただ羽虫がうるさいから振り払っただけ。それは戦いですらなかった。
『我は、我は王なのだ! このような無様が許されるものか!』
炎竜王の悔し気な
情けなかった。
悔しかった。
その身の弱さがどうにも許せなかった。
強者との戦いであると意気込んでいたのは、彼だけだったのだ。
戦いですらない――それが一番許せなかった。
だが、彼が化け物にとって取るに足らぬ存在であったことには間違いない。
また戦いを挑んだところで、結果は同じだろう。
すべての生き物が逃げ出し、無残に荒れ果てた彼の領土だった地に伏しながら、ルドニールは誓う。必ずや、あの化け物を下してみせると。
彼が山の王として
ならば、さらに力を付けねばならない。化け物が無視できぬほどの高みに上るしかない。
ルドニールは、ぼろぼろになった翼を使い飛び上がると、西へと向かう。
かつて彼のご機嫌取りにやってきた、下級の竜から聞いた話を思い出したのだ。
ルーナ山脈の西に広がる森の中には、とある宝があると。
その宝は手にしたものに強大な力を与える力の秘宝。
聞いたときは鼻で笑い飛ばして、目の前にいた竜を消し炭にしてやったその話。
そんな宝など下らぬ、強者の力というのは自分で手に入れねば意味はない。力を求めて他のものに頼るのは、弱者のすることである――
そう思っていた彼だが、今は何としてでも力が必要だった。
竜の寿命は長い。それこそ不変の象徴として例えられるほどである。
だが、残りの寿命では、あの化け物と戦えるまでに
『あの化け物を倒すためならば、悪魔にでも魂を売ってみせよう。強者たる
ルドニールはただひたすら西を目指す。
すでに日は暮れ、
体中に残る傷は深く、力が抜けそうになるが執念で飛び続ける。
ようやく見えた森は、闇夜の中にぼんやりと浮かぶように存在していた。
ルドニールは、森の上をゆっくりと旋回する。
森の中心に生える、永き時を生きたであろう巨木が目に入った。
周囲の木々をはるかに超えるその巨大さ、あふれ出るような生命力を感じて、ルドニールは宝があるならばここであろうと当たりを付けた。
ルドニールが強引に森へと降り立ち、木々を
『もう少しだ、もう少しで我は奴と戦うだけの力を手に入れることができる! そしてあの屈辱を晴らすのだ!』
だが、大樹へとあと少しでたどり着こうかというときだった。
その周りに揺らめく何かが彼の行く手を阻む。
『何者か! 我を
見れば大樹の周りには小さな、ルドニールと比べるにはあまりにも小さな羽虫のような者たちが集まっている。
『貴様らか! 奴のような強者ならまだしも、貴様らのような小さな存在が我を阻もうというのか!』
怒りに任せ、ルドニールは灼熱の吐息を羽虫たちに向けて放つ。
だが、その炎は羽虫たちを焼き
『許せぬ! 許せぬ! 許せぬ! あのような虫けらに防がれるなど、断じて許すことはできぬ!』
ルドニールはなおもブレスを吐き続ける。
◆ ◆ ◆
――どれほどの時間が経ったであろうか。
ルドニールの攻撃を防いでいる結界の力が、ほんのわずかにだが弱くなっていた。
ルドニールが先ほどの戦いで受けた傷は、まだ
だが、彼が倒れるよりも、この結界が破れる方が早いだろう。
この森に炎竜王の脅威となるような力は感じず、どれも取るに足らないほどの小物ばかり。
この分ならば、敵を警戒して傷を
なによりも、このような羽虫たちにまで
必ずやこの
◆ ◆ ◆
リーアの街の冒険者ギルドには、本部からの応援部隊が到着していた。
多くの兵と冒険者を失った街から要請を受けて派遣されてきたのだ。
冒険者たちの顔合わせも終わり、そろそろ打ち合わせを――というときに、恐るべき情報がもたらされた。
ギルドマスターであるガルツの執務室の前が慌ただしくなり、乱暴に扉が開けられる。
飛び込んできたのは、全身に汗をかき、真っ青な顔をした職員だった。
「何事だ! 今はここに来るなと伝えておいたはずだ!」
ガルツが立ち上がり職員に問いかけると、真っ青な顔をした職員は、ぜいぜいと息を乱しながら
「き、き、緊急事態です! ひ、ひっひ、ひがし……東から、りゅ、竜が……」
「竜? とりあえず落ち着け! 竜がどうしたというんだ?」
落ち着くように言われ、深呼吸をする職員。
何度目かの深呼吸の後、ようやく話ができる程度に落ち着くと、なおも震える声で続けた。
「すぅ……はぁ……ほ、報告します! ここより東のルーナ山脈より、え、炎竜王が……炎竜王ルドニールが襲来しました! 現在ソナナの森中央付近に着陸! 辺りをブレスで焼き払っています!」
その報告に全員が凍り付き、ギルドマスターの部屋は静寂に包まれた。
「――終わりだ」
誰かがつぶやいたその言葉を否定することのできる者はいない。
炎竜王とはそれほどまでの脅威――もはや、天災と呼べるレベルの存在だった。
200年ほど前に一度大暴れして以降、炎竜王が己の縄張りから出ることはほとんどなかった。山脈周辺を荒らしたという報告も受けた覚えはない。
それなのに、なぜ――
なおも報告は続く。どうやら炎竜王はすでに全身がぼろぼろの状態らしい。
もしや何かに挑んで敗け、住処を追われたのではないか?
いや、あれに勝てる化け物がいるとは思えない。
ならば、なぜ――
その場に集まった人間たちの間で慌ただしく意見が交換されるが、答えは出なかった。
原因は分からない。
しかし、炎竜王は現にソナナの森へと現れている。
今は移動する様子はないようだが、いつ何時こちらへと向かってくるか分からない。
もしもかの炎竜王の襲撃を受けてしまえば、確実にこの街は滅びるだろう。
あの竜を足止めできるものなど、どこにもいない。
かつて
ならば、彼らにできることはただ一つだけである。
「リーアの街の冒険者ギルドのギルドマスターとして、非常事態宣言を発令する! 現在出ている依頼はすべて中止だ! 手の空いている冒険者を全部かき集めろ!」
「りょ、了解しました!」
ガルツがそう叫ぶと同時に、職員たちが各々の役目を果たすべく、弾かれたように執務室から飛び出していく。
新しい領主のところにも、すでに同じ連絡が行っている頃だろう。
新しく決まった領主は、以前の領主よりもずっと慎重で堅実な人物だ。
もうすぐこの街および近隣の村々の住人の避難が開始されるだろう。
だが、大人数での移動には危険がつきものである。特に夜となればなおさらだ。
先に冒険者を送り、道中の危険を減らさねばならない。
果たして逃げたところで意味はあるのだろうか――ガルツの脳裏にそんな不安がよぎる。
もしも炎竜王に目を付けられたならば、どこまで逃げても意味はないだろう。
最後の職員が立ち去った後、ガルツが立ち上がり、本部から派遣されてきた応援部隊の面々へと顔を向ける。
「さて、せっかく来てもらったところで済まないが、予定していたダンジョンの調査は中止だ。本部から派遣されてきた方々も、住民の避難を手伝ってくれると助かる」
「ええ、もちろんです。ですが、竜の動向を見張る人員も必要でしょう? それはどうなさるおつもりですか?」
一行の交渉役である男が、鋭い目を輝かせながらガルツへと問いかける。
そこそこ平和な土地であるため、この街のギルドに所属する冒険者の腕は平均程度でしかない。
一部、腕の立つ者はいるが、避難民の
「腕の立つ奴らは避難民の
ガルツの答えを聞いた男は一瞬あっけにとられたようにその顔を見つめると、やがておかしそうに笑い始めた。
「くっくっく。何を言い出すかと思えば……あの炎竜王を近くで見たくてたまらないと顔に書いてありますよ?」
「ぐっ……」
「さすがにギルドマスター殿にそのようなことをさせるわけにはいきません。代わりにこちらから何人か出しましょう。全員かなりの腕利きですよ」
「……分かった、協力、感謝する。時間は少ない、さっそく我々も動くとしよう」
話が終わると、ガルツたちは行動を開始する。
住民たちにも情報が届き、一時パニック状態になるも、ギルド員たちの活動により何とか落ち着きを取り戻した。
本当に助かるのだろうか――住民たちは不安を抱えながらも、避難を始めた。
リーアの街の北東。
ソナナの森がある方角では、燃え盛る炎に照らされ空が赤く輝いていた。
◆ ◆ ◆
すっかりと日が落ち、辺りが
大樹の根元にある妖精の里は、今までにないほどの大混乱に包まれていた。
その日もいつもと変わらぬ日であった。
妖精たちは笑い、遊び、思い思いに時を過ごしていたのだ。
きっといつまでも、このように平和な日々が続くのだろう。
里の誰もがそう思っていた。
だが、そんな妖精たちの想いは、はるか東より森へと現れた、強大な力を持つ炎竜王によってあっけなく破られることになった。
突然、恐ろしい見た目の巨大な炎竜が森へと降り立ち、大樹のもとへと来ると、
大樹を
だが、結界の外にあった木々はすべて燃え
美しかった花畑も、清浄な水をたたえていた泉も、そして森に住んでいた様々な生き物たちも、すべて
「じょおーさまー! ほーこくです!」
「い、今のところ全員無事であります!」
「……そうですか、犠牲が出ていないようで何よりです」
どこか気の抜けたような声と、震えながらもきりりとした声が響く。
妖精たちの女王であるフロレーテは、
今のところ、里の中に逃げ遅れた妖精は1人もいないようだ。
あの炎竜王が襲い掛かってきたのがちょうど夕暮れ時だった、というのが妖精たちに味方したのだ。
日中は里の外に遊びに出ていた妖精たちも、日が暮れる前にはすべて里に戻ってきていた。
もし、日が高いうちの襲撃であったのなら、いったいどれだけの妖精たちが犠牲になっていたことか――その様子をほんの少しでも想像するだけで、フロレーテの背筋が寒くなる。
「里の皆を集めてください。皆に伝えねばならないことがあります」
「了解であります!」
「おまかせあれー」
傍にいた2人の妖精たちはフロレーテの言葉に返事をすると、さっそく二手に分かれて別々の方向へと飛び立っていった。
2人を見送ったフロレーテは、結界越しにあの巨竜を眺める。
未だに、あの恐ろしい巨竜は結界の外でこちらに向けて攻撃を続けている。
大樹の力で作られた結界は、今のところは荒れ狂う炎を完全に防ぎ、里を守り切っている。
しかし、怒り狂った炎竜王の吐き出す灼熱の吐息の前では、それもいつかは破られてしまうだろう。
妖精は、とても弱い種族だ。
隠れることは得意であるが、戦う力はほとんどない。
もしあの結界が破られてしまったならば、この里の妖精たちは何の抵抗もできないままに焼き
たとえ、運よく生き残ることができたとしても、外の世界は妖精が生きていくには厳しい。
そして、それはこの里を治めていた女王であるフロレーテでさえも例外ではない。
「大樹様……どうかこの里をお守りください……」
フロレーテは里の中心に悠然とそびえ立つ巨木を見上げ、ぽつりと声を