終章 男はどこまでも歩み続けることを望んでいた



 女王のたいかんしきに起こった事件は、瞬く間に収束した。

 王都にいた人間は憲兵隊たちがしっかりとゆうどうし、その後も包みかくさず事情説明を行ったことで、民衆の間に広がっていたどうようと不安は拭われた。

 女神の代行者が国の危機を救った。

 その事実によって、タクミが行った『ゲーム』の宣戦布告に対して生まれた混乱は一転し、神王国家リヒテルトが攻勢に転じる兆しとして報じられた。

 そして……それは他国の代表たちも同様だった。

 空を覆う異形の怪物を一撃でほうむった神獣。

 その神獣すら使役する女神の代行者。

 リヒテルトに対して強硬的な姿勢を取っていたデンメルグすら考えを改め、安易に戦争を行うのではなく、『ゲーム』の内容を新たに練り直す必要があると皇帝に進言したといううわさが流れるほどだった。

 そして、正式に旧帝国デンメルグ、海上国家セプテリオン、英雄国家シュトラーゼ、断界国ヘリリアントの四国は『ゲーム』の参加を表明した。

 リヒテルトの戦力を見て正面衝突をけるためだと公には発表され、一部の国民から反発を買う事態に発展しているが、その多くは国の上層によってみ消されている。

 全ては……その裏で取り交わされるほうしゆうのため。

 リヒテルトを下すことができれば、自国が大陸のけんを握ることができる。

 そんなおもわくの下に――新たな『ゲーム』が国同士でおこなわれる。

 しかし、事件が起こったリヒテルトの国勢を鑑みるとして、『ゲーム』の執行は最短で半年後、それまでの期間はゲーム内容の準備期間として充てられる運びとなった。

 そして今、波乱を終えた後のリヒテルトでは――

「あぅぅぅ……お、お菓子を作らせてくださいぃ……」

 女王が執務室でうなごえを上げている真っ最中だった。

 執務机にへばりつくミルトを見て、リーゼが叱咤する。

「ダメなのです、まだミルトさんには仕事がたくさん残っているのです。特に、新たな三大公として据えられた亜人組織……『友愛』関連での仕事が山盛りなのです」

「か、簡単なのでいいんです、クッキーでも作れば……っ!」

「そう言って、前は熱が入って大きなケーキを作っていたのです。ちなみにメイドの人たちにおすそ分けしたら大変好評で、ミルトさんの株が急上昇でした」

「そ、それじゃレシピを教えに――」

「ダメなのです」

 リーゼがぎゅーとミルトのこしにしがみつき、再びに座らせる。

 そんな二人の様子を、エルリアは微笑ましそうに眺めていた。

「うーん……リーゼをぎゅっとしてでまわすのもいいですが、ミルトさんに抱きついているリーゼを見るのもなかなか……!」

「エルリア様、手が止まっているのです。女王なんですから仕事してください」

「いえいえ、私はちゃんと全部終わらせましたよ。これでも元女王ですし、こういった書類仕事には慣れている方ですから」

 自分の成果を見せびらかすように、エルリアがれいに積み上げられた書類の山を見せる。

 ミルトの女王そく後、エルリアは元女王という立場から女王補佐官としてばつてきされた。

 女王として年若いというだけでなく、下層でつうむすめとして過ごしてきたミルトが王族の立場やかんきようの変化になれていないということもあり、リーゼと共に補佐を付けることで国の上層をなつとくさせた形である。

 その甲斐と元々優秀だった二人の成果もあり、すでに反対する声はひそまっている。

「あぁぁあああ……リーゼといつしよに働けるなんて幸せですねぇ……」

「エルリア様、職務中に抱きつかないでほしいのです」

「えぇー……以前もこうやって抱きついていたじゃないですか」

「最近はミルトさんに抱きついていたせいか、ふかふか度合が物足りないのです」

「リーゼ? 大人には言っちゃいけないことがあるんですよ? 私も一応年頃の女性なので、そういった話は結構気にしているんですからね……っ!?

 エルリアがうにょんうにょんとリーゼのほおを引っ張っていた時、ふと用件を思い出したようにミルトへ向き直る。

「そういえばミルトさん、タクミさんから伝言を受けているんです」

「へ? タクミからですか?」

「はい。今日、お昼を過ぎたら下層の《鈴蘭》に来てくれ……という内容でしたけど」

「うーん……それなら、魔具で連絡すればいいだけですよね?」

 以前とは違い、既にタクミは『念書』によってりよくを得ている。わざわざ伝言を残すより、魔具で直接連絡を寄こすのが自然だ。

 そして、時計の針はそろそろ昼時を指し示そうとしている。

「もしかしたら、直接お話ししたいということじゃないでしょうか?」

「それじゃ……私は少しだけ席を外させてもらいますね」

「だったら、わたしもついて――」

 席を立つミルトを見て、リーゼが駆け寄ろうとした時……エルリアがそのかたつかむ。

 無言のまま首を横に振り、エルリアは再びミルトに向き直る。

「席を外している間、私が仕事を進めておきます。だからゆっくりでいいですからね」

「えと、はい……? それでは少し出てきますね」

 きょとんと首をかしげてから、ミルトはけんとコートを手に取り執務室を後にする。

 下層への連絡船乗り場に向かい、ミルトは一人で下層に向かう。

 水の流れに乗り、水路を下っていく船の上で……ミルトは下層を眺める。

 白煙の立ち昇る職人街。

 そこからは今もかんだかい金槌の音とごうが聞こえてくる。

 しかし、その周辺には下層の人間だけでなく、中層の人間も多く出入りしている。

 下層の環境を改善するための施策。

 職人街を王都の新たな観光名所へと変えるため、石炭や木屑でうすよごれたいしだたみは綺麗に清掃が行われ、湿気で黒ずんでいた工房たちも装いを新たにしている。

 その中にはタクミが提供した技術を試作する工房や研究所が新設されており、以前よりも人々で賑わうようになっていた。

 職人街だけではない。

 観光名所に相応ふさわしい町並みとして、下層の多くにも手が入れられている。

 中層以降の生活用水が垂れ流されていた水路。

 新たな地下水路が完成するのと同時に、今まで下層を通っていた水路は撤廃され、今後は湿気や臭気、害虫や病のおんしようになることもない。

 浮浪者や身体が不自由な者たちには適切な仕事が与えられ、過去に犯罪歴のある者たちは然るべき更生を行った後、適性に合った職業へと斡旋される。

 娼館や賭博場といったものは別の区画を設け、そちらに順次移転しつつ、問題が起こった際にすぐ対処できるように憲兵隊も配備される。

 そうやって――少しずつ下層は変わりつつある。

「少しずつ……少しずつ、進んでいけばいいんです」

 その光景を眺めながら、ミルトはうれしそうに笑う。

 自分が思い描く理想の光景。

 父親が変えようとしていた下層の光景。

 それが形作られ、確かなものに変わっていくことがこの上なく嬉しい。

 そんな思いに耽っていた時……停泊所についた連絡船が音を立てて止まった。

 船頭に軽く頭を下げてから、ミルトは下層の町中を進んでいく。

 その時、不意に横合いから声をけられた。

「あ、ミルトさ――っと、いけない。失礼しました、女王陛下」

 頭巾を被り、果物籠を持ったリリアが深々と頭を下げる。

「すみません、前の調子が抜けなくて……」

「あ、いえいえ。だん通りに呼んでもらって構いませんから」

「ええと……それはさすがに恐れ多いんですけど」

「そんなことありませんよ。私にとって皆さんは顔見知りですし……それに、私は皆さんに気軽に名前で呼んでもらえるような、そんな女王になりたいと思っていますから」

 笑いかけるミルトを見て、リリアが見惚れるように呆然とする。

「それより、リリアさんは食材の買い出しですか?」

「あ、はいっ! 今日から新しいメニューを出させてもらうことになったんです! ところで、ミルトさんはどうして下層に来たんですか? 視察とか?」

「えと、私も理由はわかんないんですけど……タクミから《鈴蘭》に行ってこいって」

「《鈴蘭》って……ああっ!」

 てんがいったように、リリアはぽんと軽く手を打つ。

「それならこうしている場合じゃないですって! 早く行ってください!」

「え、え? どういうことなんですか?」

「大丈夫、行けばわかりますからっ!」

 わけもわからずリリアに背を押され、そのまま手を振られながら見送られる。

 その後も何度か道行く人に声を掛けられたが、皆の反応はリリアと同じだった。

「……うぅ、なんだかちょっと不安になってきました」

 何が待っているのか想像できず、ミルトは小さくためいきをつくが、すぐさま気を取り直し、むんっと胸を張って見せる。

「いけません。私は女王なんですからシャンとしてないとっ!」

 そう意気込んだところで――視界の先に、よく知る商会の事務所が見えてきた。

 そして、《鈴蘭》の前で松葉杖をついている男の姿。

 ミルトに背を向けてたたずむ男の姿――

「――――ぁ」

 ミルトは小さく声を漏らし、そのまま早足で《鈴蘭》に向かっていく。

 子供の頃からながめていた大きな背中。

 いつも自分を守っていてくれた大きな背中。

 ずっと、ずっと……追いつきたいと思っていた背中。

 逸る気持ちを抑えながら、ミルトは背を向ける人物に向かってさけぶ。

「――――お父さんっ!!

 娘の声を聞いて、背を向けていた人物はゆっくり振り返る。

 うすい傷跡の残る精悍な顔。

 ミルトにとって、誰よりもやさしいと思っていた父親の顔。

 そして、ミルトはなみだを流しながらその胸に飛び込む。

 泣きじゃくる娘の頭を撫でながら……ヴァテルは静かに娘の名を呼ぶ。

「立派になったじゃねぇか、ミルト」

 聞き馴染んだ父親の声。

 その言葉に対して、ミルトは涙を流しながらも顔を上げる。


「――はいっ! 立派になりましたっ!」


 満面の笑みを湛えながら、堂々と父の言葉に答えた。



 同時刻。

 エルスは王城にある一室をおとずれていた。

 深呼吸をしてから、軽くドアをノックする。

「…………入れ」

 かつてのおもかげもない、生気の抜けた声。

 それを確認してから、エルスは静かに部屋の中へと入る。

 ベッドの上で力無く横たわる……エドガルドの姿。

 そして、感情の薄い瞳をちらりとエルスに向ける。

「……ゼルエルの娘か」

 その言葉にエルスは何も答えない。

 言葉を発することなく、ふるえる手で腰にげたちようけんに手を掛けている。

「……タクミとの約束を果たしにきた。すべてが終わったら、お前と会わせると」

「……そうか。ならばお前にも、エドガルドというかたきの名を教えておこう」

 自身の真名を告げてから、エドガルドは興味が失せたように窓へ顔を向ける。

「あとは好きにするといい。その剣で私を刺そうが、苦痛をあたえて殺そうが、私は抵抗するつもりはない。お前にはその権利がある」

 そう告げたエドガルドに対して、エルスは毅然とした態度で問う。

「その前に……私はお前の口から聞きたい言葉がある」

 エドガルドは自身の目的を果たすために、エルスの父をたんしんもんに掛けて殺した。

 その仇敵から、聞かなければいけないことがある。

「父の――ゼルエルの最期を聞かせてくれ」

 予想していなかった言葉に、エドガルドがわずかにまゆをひそめる。

 ありのままに、その最期を語る。

「あの男は……どこまでも愚かな男だった」

 当時の光景を思い返すように、エドガルドは宙を見据える。

「どのような拷問を受けても口を割らなかった。協力者であり、自身の弟であるヴァテルをかばうために、あらゆる苦痛をえ凌いだ」

 そして……最期には、隷属魔法による告解を受け入れた。

 おく、精神、存在、その全てを蝕まれ、人間の尊厳すら失った。

 家族を守るために、自らをせいにした。

「心底、愚かな人間だと思った。自らの命を賭してまで家族を守ろうとするより、家族を犠牲にしてでも私を討ち取ることが正しい……そう、私は思っていた」

 だが、とエドガルドは言葉を区切る。

「その姿を見て――私は気づくべきだった」

 大いなる目的のために犠牲を払う。

 他者を犠牲にしてでも、目的を果たそうとする。

「私が正しいと思ってきたせんたくが、ちがっていると気づくべきだった。自身だけでなく他者を重んじ、家族のために命を賭した高潔な男の姿を見て……気づくべきだったのだ」

 静かに言葉を紡ぎながら、改めてエドガルドは告げる。


「ゼルエル・フェアシュタットは――誰よりも高潔で、公正の名に恥じぬ男だった」


 うそいつわりのない、ありのままの言葉を紡ぐ。

 そんなエドガルドの言葉を、エルスは黙って聞いていた。

「今さら何を言ったところで……お前が父を殺した事実は変わらない。私にとってお前は未来永劫、父の仇であることは変わらない」

 あふいかりと悲しみに耐えながら、エルスは自身のおもいを語る。

「私の父は誰よりも高潔な人だった。自分だけでなく他者にも厳しく、そして他者を重んじるような……誰よりも公正な人だった」

 自分の中にある父の姿をエルスは語る。

 そして――力をき、剣から手を放した。

「私は……そんな父から『高潔さ』と『公正』を受けいだ人間だ」

 父の姿から受け継いだ想いを胸に、エルスは厳然と言い放つ。

「お前が間違いに気づき、それを贖おうとするのならば――私は『公正』の名の下に、貴様に対しても罪を償う機会を与えるべきだという結論に達した」

 父のふくしゆうではなく、清廉潔白であった想いを継ぐと決めた。

 そんな少女を見て――エドガルドは小さく笑みを作る。

「なんとも、あまい考えだが――あの男も、お前と同じことを言いそうだ」

 エルスの姿とゼルエルの姿を重ねながら、エドガルドは顔をせる。

「私からすれば……ゼルエルも、お前も、ただのおひとしとしか思えない」

「それで構わないさ。それに……今の私は、私たち以上のお人好しに仕えている」

 口元に微笑をかべながらエルスは告げる。

「どんなやつにも救いの手を差し出す――そんな素敵な奴にな」

 自身を正しく導いてくれた男の姿を思い浮かべ、エルスは晴れやかに笑った。



 麗らかな午後の一時。

 ここよい風が平原を撫でていく。――クノンは大きく欠伸あくびをした。

「くぁぁぁ……なんというか、平和ですねー」

 ぽかぽかとしたしを浴びながら、クノンが再び欠伸をする。

 そして、地面に転がっている面々に声を掛ける。

「レヴィンとエイグル、まだきゆうけいは必要ですかー?」

「お……ォァ……なんでクノンのあねは元気なんだァ……?」

「そ、そもそも神器を日常的に使っている時点で我々とは次元がちがうのかと……ッッ!」

 ボロクソに叩きのめされたレヴィンとエイグルが、地面の上で呻き声を上げる。

 そんな二人の様子を眺めながら、メリノがぱちぱちとやる気なさげに手を叩く。

「……クノン、つよーい」

「そ、そんなノンキなこと言ってていいんですか? 次はボクたちの番ですよ? ミスでもしたらクノンさんに何をされるか……っ!」

「……大丈夫、ワタシにはクロリスがついているから」

「あ、はい。もうなんかそうなるって予想してましたよぉ……」

「……クロリス、がんば」

 暴れるクロリスをがさないように、メリノがしっかりと抱え上げる。

 それを確認してから、クノンは隣にいるラングに声を掛ける。

「ラング、これでペアの組み合わせは最後ですか?」

「はい。と言っても、お二人は補助なので連携訓練となります」

「むぅー……つまりわたしの出番は無しですか」

「ハッハッ、では私と共にのんびりとひなたぼっこをしましょう」

「あなたの隣は身の危険を感じるのでイヤです」

「それは心外です。幼女に手を出しかねないエイグルならともかく、私は女性の尿にようさえいただければ人畜無害なのですから」

「尿瓶を差し出してくる変態は害しかないですけどねー」

 ぬぼーっと差し出された尿瓶を蹴飛ばしてから、クノンは太陽を見上げる。

「うーん……時間も頃合いですし、先にご飯にしましょうか」

「ク、クノン教官……ッッ! 我々は一体どうすればッッ!?

「と、とてもじゃないが飯なんて食えねェ……ッ!」

「二人は負けたばつとしてご飯抜きです。動けるまでそこでころがっていてください」

「「これは放置プレイというごほうッッ!!」」

「やっぱり一生寝転がっていてくださーい」

 バカとアホを放置して、クノンはとことことメリノたちにる。

「さてさてっ! 今日のご飯はなんですかっ!」

「……サンドイッチ。お肉たっぷりと野菜たっぷりの二種類ある」

「わたしはお肉の方でっ!」

「ボクは野菜の方をもらいますっ!」

 メリノが光の中からバスケットを取り出したしゆんかん、クノンが尻尾しつぽを、クロリスが耳をぱたぱたと大きくはためかせる。

 そして後からラングものっそりと近づいてくる。

「では、私は紅茶を入れましょう。ああ、ちなみにお茶とは尿のことでは――」

「おおっ! このお肉、分厚いだけじゃなくて味付けもバッチリですっ!」

「わぁっ……野菜もシャキシャキですよぉ!」

「……リリアに作ってもらった特製のサンドイッチ。お茶も受け取ってる」

「リリアさんが作ったなら間違いなしですねっ!」

「ハッハ、まさかの私も放置プレイ」

 女性陣から全スルーされ、ラングがぬるぬるとレヴィンたちに近づく。

「仕方ありません。ひまなのであなた方にお茶を振るうとしましょう」

みように納得しがたいですが、水分補給はありがたいですな……ッッ!!

「まったくだァッ! のどを潤した方が回復も早ェだろうしよッ!!

 ラングから受け取ったお茶を、二人は一息で喉に流し込む。

「あ、すみません。それは私が飲む予定の尿でした」

「チクショウやりやがったこのクソ軟体生物ッッッ!!

「ラング殿ッッ! 世の中にはやっていいことと悪いことがあるのですぞッッッ!!

「ハッハ、疲労した身体で私に勝てるとお思いですかな」

 三人が仲良く乱闘を始めたところで、クノンはメリノから受け取ったお茶をすする。

「いやはや、あの三バカは本当に元気ですねー」

「……元気なのはいいこと」

「まぁ、悪いことじゃないのは確かだと思うのですよぉ」

 おだやかな風を受けながら、三人は和やかなふんの中で笑みを浮かべる。

「ま、これからずっと大変なわけですし、今のうちにのんびりしておきましょう」

 ゆったりと流れる白雲を眺めながら、クノンは小さく笑みを作る。

「平和が一番、そんな世界を目指してがんりましょー」

「……なんか、クノンが言うと胡散臭い」

「むしろ、平和な世界で戦場を探してそうですよぅ……」

「ひどいですねー。むしろ、わたしはだれよりも平和を望んでるくらいですからっ!」

 クノンがふふんと胸を張って見せる。

 それは……ある意味で、クノンの本心だった。

 穏やかで平穏な日々。

 血とでいまみれた世界の対極に位置する光景。

 今までの自分では考えられなかった世界。

 だからこそ、いつか自分も平和を享受できるようにと願いながら――

「――本当に、平和が一番ですよー」

 陽射しに目を細めながら、クノンは大きく欠伸をした。



 下層にあるお世辞にも綺麗とは言えない木組みの家。

 寝る時以外には使わない住居だったが、タクミは数日ほど家にこもっていた。

「ちくしょう……まさか、まともに立てなくなるなんて……」

「そりゃそうでしょ。慣れない魔力を一気に流し込んだ上に、ほうやらを好き放題に使って、おまけに身体強化で負荷を掛けまくったんだから」

 ベッドで唸るタクミを見ながら、カリンはしょりしょりとリンゴの皮を剥く。

「というか、女神の代行者が筋肉痛と過労でたおれるって情けなさすぎでしょ」

「仕方ないだろ、おれはインドア派だ。前線に出るより書類仕事が向いてるし、身体を使うより頭脳労働している方が気楽でいい」

「ふーん……だったら、なんで今回はわざわざ出てきたのよ?」

「さぁな。なんとなく気が向いただけだ」

 不貞腐れるように答えたタクミを見て、カリンはくすくすと笑い声をらす。

「ほら、リンゴ剥いてあげたから食べなさい」

「そんな鳥にエサやるみたいにリンゴを押しけないでくれ」

「三日間も人の世話になっておいて何を今さら言ってんのよ」

「どうせなら甲斐甲斐しく世話をしてくれってことだ。よめみたいな感じで」

「……………………嫁?」

 しばらく、その言葉の意味を考えてから――ぽんとカリンの顔が真っ赤に染まる。

「だ、だだだ誰が嫁よっ!?

「ああ? ずっと一緒にいるんだから似たようなもんだろ」

 タクミが笑う様子を見て、ようやくカリンはからかわれていたことに気づく。

 やられたままで納得がいかないのか、カリンは意を決してうなずく。

「わかったわよっ! やってやるからよく見てなさいっ!」

 耳まで赤く染めながら、タクミの口元にリンゴを持っていく。

「ええと……はい、あーん?」

 真っ赤になった顔を背けながら、世話を焼こうとするカリンを見て――

「ああうん、うまいうまい」