声:音響世界のアイデンティティ

icon「なりたい自分」への最後の鍵

第三に、メタバースのアイデンティティを認識する三つの軸のうち、音響世界のものである、「声」について見ていきましょう。

アニメーションの世界では、声優がキャラクターに声を当てることを「キャラクターに魂を吹き込む」といいます。CMなどで声だけを聞いて、アニメのキャラクターがぱっと頭に浮かんだ経験は誰でもあるのではないでしょうか。

「声」は情報をやりとりするための単なるコミュニケーション手段ではありません。コミュニケーションを通して私たち自身の存在を示す、音響世界における「アバター」とも言うべき、重要なアイデンティティの一つなのです。

物理現実の世界では、基本的に生まれたままの「声」で喋ることが当たり前でした。これは肉体の姿かたち以上に当たり前のものとして私たちの常識に刷り込まれているため、これまで疑問に思ったことすらない方が多いのではないでしょうか。しかし、人間はちょっと声を聞いただけでその人が誰かを判別できますし、年齢や性別、さまざまな属性の情報をそこから読み取ります。声はあなたのアイデンティティを示す情報の塊なのです。

メタバースの世界では、空間を介した音声コミュニケーションがメインになるため、そこで使われる「声」はアイデンティティの印象を左右する決定的な要素となります。しかし物理現実と違い、相手との間にネットワークが介在しているため、生まれ持った肉声で喋るだけでなく、その声を加工するなどして好きな声で喋ることが理論上は可能です。

あなたは、メタバースの世界でどんな「声」で喋りたいですか?

私自身は後述するボイチェン(ボイスチェンジャー)と呼ばれる機械を利用して、変換した音声で喋っています。姿かたちが美少女になったなら、やはり声も可愛らしくなければ意味がないと思うからです。私はメタバースに入っている間、変換後の自分の音声を密閉型ヘッドホンでリアルタイムで聞いており、自分の変換前の肉声は全く聞こえない状態になっています。「声」が自分の精神に作用するプロテウス効果は、アバターの「姿」によるものよりも遥かに効果が大きいと感じており、自分の声が変わった瞬間、ついさっきまで普通に仕事をしていたはずの自分の心がくるりと裏返って、美少女としての私が目覚めます。喋り方も完全に変化し、私の中の別の側面が現れます。ボイチェンは、私の心の美少女スイッチなのです。

しかし残念ながら、既に「なりたい自分になれる権利」がほぼ確立している「アバター技術」と違い、「音声技術」はまだ未成熟な領域です。現時点では、誰でも簡単に自由自在に理想の声を出して喋れるようにはなっていません。しかし、メタバースにおけるアイデンティティは「名前」「アバター」「声」の三つの軸で認識されるものです。「声」は、自己のアイデンティティを完全に自由にデザインして「なりたい自分」になれる世界を完成させるための「最後の鍵」であると言えるでしょう。

これから紹介するさまざまな技術や努力により、メタバースでは「声」という音響世界のアイデンティティをデザインすることによって、「なりたい自分」で「喋って」自由に生きていくことができるようになりつつあります。実際に現在ソーシャルVRに住むユーザーがどんな声で生活しているのか見ていきましょう。