美少女は「枯山水」私はメタバースにおけるアバターは「人間が肉体の殻を脱ぎ捨てて、魂そのもので活動している姿」と捉えており、リアルタイムに会って話せて、触れ合うことすらできる時代に、「中の人」の性別や属性にこだわることはもはや完全にナンセンスだと考えています。実際、メタバースで会って話をしていても、相手の物理性別などわからないことも多いですし、普段は意識することはありません。
しかし、この感覚はソーシャルVRをやったことのない方にはなかなかイメージが湧きづらいらしく「性別のことは気にならないんですか?」という質問をよくもらいます。そういう時は「京都の枯山水を考えてみてください」と答えています。
「枯山水」とは、日本庭園における様式の一つです。水を一切使わずに、石や砂を巧妙に配置することで、空間の中を流れる躍動感のある水の流れを表現します。実際にそこに水が流れているわけではありませんが、石のかたちによって遥かな水の流れに「思いを馳せる」のです。また、同じく日本の伝統芸能「人形浄瑠璃」でも、優美に踊る美しい女性の人形の背後には黒子のおじさんが見えてしまっています。しかし、それを指摘するのは野暮というものです。観客がそれを見てがっかりすることはありませんし、むしろその見事な操演技術に敬意を払うものです。
つまり「バ美肉」とは「ないはずのもの」を「あるものと見立てる」枯山水や人形浄瑠璃のような日本の豊かな「見立て」の文化の延長線上にあるものだと捉えることができます。美少女とは、本人の技術や、お互いの共通認識、そして相手との掛け合いによって生み出された、本来ないはずの理想の存在であり、集合知による一種のアート作品なのです。「美少女」とは「枯山水」なのです。
私は「美少女」とは、物理現実世界の「性別」としての女性のことではなく、アニメや漫画の空想上の二次元世界における「かわいい」という概念を具現化した、ある種の象徴的な存在だと捉えています。
「かわいい」とは、人間の「子供っぽさ」「未熟さ」をポジティブに捉える日本独自の比較的新しい価値観です。かつて人類の古典的な価値観は、生活の中で成長・成熟し、尊敬される「大人」になることが重要視されてきました。しかし技術の進化速度が加速しあらゆる情報が陳腐化していく昨今、「永遠に新しいことを学び続けていく」ことが当然のように求められます。もはや誰も「大人」になることはありません。そんな、全ての人が永遠に「未熟」であることを受け入れざるを得ない社会において、「大人としての自尊心」に変わる新たな価値観こそが、お互いの「未熟さ」を愛しいと思う価値観「かわいい」ではないかと私は考えています。
こうした「かわいい」を具現化した概念上の存在である「美少女」にアバターという肉体を与え、「見立て」の力によって実在感を与え、自身に顕現させる。それこそが「バ美肉」であり、日本のメタバース文化を醸成させている原動力ではないかと私は考えています。