好きなひとがそばにいる幸せってわかる?
あたしは知ってる。抱きしめる身体はいつだって温かいこと。涙が擦れ合う頬は、愛しいってこと。
「もう一度、呼んで?」
「い、伊織――もう恥ずかしいすよ」
「敬語も止めて」
「わ、わかったから」
もう離して。あたしは蕩けそうだった。
甘い匂いがした。ぎゅぅって腕がしまるたび、あなたの身体に沈んでいきそうだった。耳元でささやかれると視界まで熱をもって、あなたの顔が陽炎のように揺れた。それはあふれて頬を伝って、制服に染みていった。
「会いたかった」
「わたしもよ。でも、会えなかった」
ふたりの間に、あの体育倉庫のイメージが浮かんだ。
あたしは怖かった。苦しかった。
この腕に掴まれたのだ。
この身体に貪られたのだ。
この指に、抉られたのだ。
でも今はそれさえ愛しい。ねぇ、自分に酔ってるんじゃないの。今ならわかる。それも正解。あたしは酔ってる――この甘くて柔らかな身体に、ずっと優しく抱かれたかった。
「ごめんなさい。加奈、ごめんなさい」
伊織先輩は次第に崩れ落ちて、声をあげて泣き出してしまった。今度はあたしがあやす番だ。その栗色の髪を撫でて、胸に頭を抱いてあげる。
「いいよ、もう気にしちゃダメ」
「でも」
「それより」
あたしはあなたの頬を包むと、瞳に自分を映した。
きれいな目――だけどにらみつけてやる。
「もう悠美先輩とは、いいの?」
「――もう、いいの。あれがわたしなりの決別よ」
「家族っていうのが?」
「そう」
あなたは目を伏せると、吐息をついた。
身体を抱きしめてあげながら、あたしは耳を傾けた。
「悠美にずっと与えられて育ったわ。けれど、いつしか愛してもらえなくなった。それが辛かった」
あなたは鼻をすすりながら、真剣な顔であたしを見つめ返した。その顔が愛しくて、頬を包んだ指先で顎先を摘まむ。
嗚呼、まるで催眠術をかけてるみたい。
あたしは熱に魘された頭で、ぼんやりと思った。
愛するって、きっとささやきだ。手触りだ。香りだ。虜にしなきゃいけないんだ。
あたしはあなたの唇に舌を這わせた。深く深く口づけた。顔を傾けて、舌で歯をなぞって、割り裂いて――導いていく、その奥底へ。
控えめなあなたを絡めて、惑わせていく。
「――ねぇ、こんなキス、ダメよ」
「どうして?」
「だって、まだわたし」
「そうだった」
唾液を舌で拭いながら、あたしは頬を赤くした。
そう。まだなにもはじめてない。
今のキスは、フライング。二度はない。
「ずっと好きだったよ、伊織」
「加奈――」
いつか振り向いて。そう思っていた。
けれどあなたは罪に溺れて、あたしは傷に沈んだ。
今だってそうかもしれない。もう二度と、あの日には戻れない。戻れなくたっていい。罪は消えない。ふたりの絆として、歪に残り続ける。
「わたしも」
「うん」
「――好き」
それでもいいよ。振り向いたなら離さない。
あたしはあなたに、催眠術をかけていく。
甘い甘い魔法の味を、今から教えていく。
あたしは唇を啄んで、伊織をそっと床に押し倒した。
かわいい服。あとで褒めてあげるね。
でも今は――愛の時間。
手と手を絡めて。繋がっていく。
「――いい?」
「いいわ」
それはお決まりの合図。
あの日の恋の幻像は、今ここにある。
もう、はじまっていたんだ。
あたしと、あなたの恋愛の物語は。
間違っていてもいい。
過ちの末であっていい。
魔法で全部、正解にしてあげる。
恋は閃光のようだって伝えてあげる。
愛は育むものだって示してあげる。
だからね。
「伊織」
あたしは好き。
あなたが、大好き。