Ⅲ/Ⅴ 幕間

 

 

 

 好きなひとがそばにいる幸せってわかる?

 あたしは知ってる。抱きしめる身体はいつだって温かいこと。涙が擦れ合う頬は、愛しいってこと。

「もう一度、呼んで?」

「い、伊織――もう恥ずかしいすよ」

「敬語も止めて」

「わ、わかったから」

 もう離して。あたしは蕩けそうだった。

 甘い匂いがした。ぎゅぅって腕がしまるたび、あなたの身体に沈んでいきそうだった。耳元でささやかれると視界まで熱をもって、あなたの顔が陽炎のように揺れた。それはあふれて頬を伝って、制服に染みていった。

「会いたかった」

「わたしもよ。でも、会えなかった」

 ふたりの間に、あの体育倉庫のイメージが浮かんだ。

 あたしは怖かった。苦しかった。

 この腕に掴まれたのだ。

 この身体に貪られたのだ。

 この指に、抉られたのだ。

 でも今はそれさえ愛しい。ねぇ、自分に酔ってるんじゃないの。今ならわかる。それも正解。あたしは酔ってる――この甘くて柔らかな身体に、ずっと優しく抱かれたかった。

「ごめんなさい。加奈、ごめんなさい」

 伊織先輩は次第に崩れ落ちて、声をあげて泣き出してしまった。今度はあたしがあやす番だ。その栗色の髪を撫でて、胸に頭を抱いてあげる。

「いいよ、もう気にしちゃダメ」

「でも」

「それより」

 あたしはあなたの頬を包むと、瞳に自分を映した。

 きれいな目――だけどにらみつけてやる。

「もう悠美先輩とは、いいの?」

「――もう、いいの。あれがわたしなりの決別よ」

「家族っていうのが?」

「そう」

 あなたは目を伏せると、吐息をついた。

 身体を抱きしめてあげながら、あたしは耳を傾けた。

「悠美にずっと与えられて育ったわ。けれど、いつしか愛してもらえなくなった。それが辛かった」

 あなたは鼻をすすりながら、真剣な顔であたしを見つめ返した。その顔が愛しくて、頬を包んだ指先で顎先を摘まむ。

 嗚呼、まるで催眠術をかけてるみたい。

 あたしは熱に魘された頭で、ぼんやりと思った。

 愛するって、きっとささやきだ。手触りだ。香りだ。虜にしなきゃいけないんだ。

 あたしはあなたの唇に舌を這わせた。深く深く口づけた。顔を傾けて、舌で歯をなぞって、割り裂いて――導いていく、その奥底へ。

 控えめなあなたを絡めて、惑わせていく。

「――ねぇ、こんなキス、ダメよ」

「どうして?」

「だって、まだわたし」

「そうだった」

 唾液を舌で拭いながら、あたしは頬を赤くした。

 そう。まだなにもはじめてない。

 今のキスは、フライング。二度はない。

「ずっと好きだったよ、伊織」

「加奈――」

 いつか振り向いて。そう思っていた。

 けれどあなたは罪に溺れて、あたしは傷に沈んだ。

 今だってそうかもしれない。もう二度と、あの日には戻れない。戻れなくたっていい。罪は消えない。ふたりの絆として、歪に残り続ける。

「わたしも」

「うん」

「――好き」

 それでもいいよ。振り向いたなら離さない。

 あたしはあなたに、催眠術をかけていく。

 甘い甘い魔法の味を、今から教えていく。

 あたしは唇を啄んで、伊織をそっと床に押し倒した。

 かわいい服。あとで褒めてあげるね。

 でも今は――愛の時間。

 手と手を絡めて。繋がっていく。

「――いい?」

「いいわ」

 それはお決まりの合図。

 あの日の恋の幻像は、今ここにある。

 もう、はじまっていたんだ。

 あたしと、あなたの恋愛の物語は。

 間違っていてもいい。

 過ちの末であっていい。

 魔法で全部、正解にしてあげる。

 恋は閃光のようだって伝えてあげる。

 愛は育むものだって示してあげる。

 だからね。

「伊織」

 あたしは好き。

 あなたが、大好き。