責任が受け継がれる瞬間って、わかる?
私は知ってる。口で言うほど簡単じゃないってこと。校旗は、見かけより重いってこと。
十一月のある日、私は壇に立って挨拶文を読んだ。『学校が変わる。皆で変える』一年前に掲げたスローガンは、そのとおりになった。ひそひそ。じろじろ。がやがや――退任の挨拶を終えて礼をしても、拍手はあがらなかった。
私から校旗を受け取った新しい生徒会長は朗々と就任の挨拶を終え、そのなかで『どこにでもあるふつうの学校生活を取り戻す』なんて力強く語った。
どこにでもあるって、なんだろう。
ふつうって、なんだろう。
喝采を浴びる新しい生徒会長の横顔を、ぼんやりと見つめていた。
会の終わりに校章のついたピンを外せば、私はそれこそ、どこにでもいるふつうの学生となった。生徒会室にはもう入れない。学校を背負う責任もない。残されたのはタイムリミットの近づいた受験戦争と、ほとんど自由登校と化した学校生活――そう、あとわずかで、私は高校生ではなくなってしまう。
それがなんだか切なくなって、私は一時間目をサボってしまった。立ち入り禁止――そう誰かに怒ったことのある非常階段から、体育の授業風景を眺めた。
どこにでもあるって、なんだろう。
ふつうって、なんだろう。
たとえば、この体育の風景がふつうなのだとしたら。
男女に分かれて授業を受けて、同性がペアを作る。そんな世界がふつうなのだとしたら。私だって、ふつうではないのだろうか。
たとえば、放課後の風景がふつうなのだとしたら。
男女に分かれていたはずのふたりが、手を繋ぎ合って通学路を歩く。そんな世界がふつうなのだとしたら。私は、ふつうではないのだろうか。
胸に引っ掛かる、〝ふつう〟という言葉。
それに答えを出す前に、私は現実に引き戻された。
「高梨先輩?」
「あ、脇坂さん」
「もしかして――サボり、ですか?」
「自由登校なんだから、サボりじゃないよ」
正確にはまだ自由ではないのだけど、私は適当に言ってサボり仲間にため息をついた。
「考え事ですか?」
「そんなとこ。交代式の時にさ」
「ひどいですよ、あんなの。まるっきり高梨先輩を敵にして」
「やっぱりそうなのかな」
「そうですよ」
脇坂さんはペットボトルをきつく握りしめて、鼻息とともに私の隣に座った。毒気を抜かれた私は、そういえば――と彼女を見つめた。
「脇坂さんってさ」
「はい?」
「僕って隠さなくなったよね」
「ああ――なんかもう、いいかなって思って」
「そうなの?」
「僕が〝僕〟って言おうが、誰も気にしないし」
「いや気にすると思うけど」
私は困ったように笑って、一瞬凍りついた。
いま――脇坂さんを〝ふつうじゃない〟って思った。
それに気づいたからだ。
私の一人称は〝私〟ほとんど皆がそう。
だからこれは〝ふつう〟
対して脇坂さんの一人称は〝僕〟男子が使うもの。
女子が使うのは〝ふつうじゃない〟
今、私そう思った。
なんだかそれもおかしな話だ。
「どうしたんです?」
脇坂さんは、こんなにいい子なのに。
「あ、ううん――なんかさ。ふつうって難しいよね」
「交代式のこと気にしてます?」
「うーん、そうなのかも」
「ダメですよ」
脇坂さんは苦笑すると、ペットボトルを手のなかで弄んだ。
太陽がきらきらと反射してきれいだ。
「どこにでもある、ふつうの――なんて。他人を認めてないだけじゃないですか」
「――そうだね」
まったく、後輩に諭されるなんて、恥ずかしい。
確かに〝ふつう〟って、そういうことだ。
自分のなかにある基準で、相手を測ろうとしているだけ。
だからきっと――
「脇坂さんって、変わってるよね」
「え、その話からそれですか?」
〝ふつう〟なんて、違っていいのだ。
仰天して肩を落とす脇坂さんを笑って、私はひとつ伸びをした。
みんな変わっている。みんな変わっていく。いまだって、変わろうとしている。
私も、脇坂さんも、皆が。変われる可能性を持っている。
「変わってるんですかねえ、僕」
「それ。褒め言葉だよ」
さあ、はじめなきゃ。
私の私だけの変革の物語を。
ひとは巡る。際限なく進化していく。
ふつうじゃなくなって、それでも生きていく。
私も、そうやって生きていく。
だから――悠美。
私、変わるね。