深夜――玄関の扉が開く音がして、わたしは部屋を飛び出した。
握りしめたスマートフォンは燃えるように熱く、廊下を薄明かりで照らしてくれた。
「悠美?」
わたしが呼びかけると影は笑って、
「珍しいね、部屋出てるじゃん」
わたしを冷たく見つめた。
「少し話せる?」
「疲れてるんだけど」
うわずった声で問いかけると、悠美は嫌そうに首を回した。
わたしはスマートフォンを握る指先に力を込めた。
「お願い」
「いいよ。外出よう」
悠美のあとに続いて玄関を出ると、風は冬を帯びて冷たく舞っていた。
わたしと悠美は、並んで近所の公園を目指す。
「こうして隣を歩くのは何年ぶりかしら」
「さあね。アタシ夜は忙しいから」
「バイトでしょう。いつもありがとう」
「別に。ただのコンビニだよ」
悠美は暗い街灯に照らされた顔をしかめていた。
やがて公園に辿り着くと、わたしたちはひとつのベンチに腰掛けて、目の前にそびえる団地を仰いだ。
「コーヒーでも飲む?」
「いいわ。すぐに済むもの」
「そ」
悠美は足を組んで、ベンチにだらりと背をつけた。
わたしはじっとそれを見て、震えるまぶたを閉じる。そして――
「本当に、ごめんなさい」
流れ落ちる涙を留めることもできず、わたしは顔を覆った。
「ごめんなさい。あなたがせっかく、進学を諦めてくれたのに、わたしは――」
「なにかと思えば。そっちの話か」
悠美はため息をついて呆れていた。
わたしはあふれる言葉と涙を、どうすることもできない。
「わたしが、あんなことをしたばっかりに」
「推薦ダメになったんでしょ。別にいいじゃん。アタシどうせ受験したくなかったし」
「でも」
「それよりさ」
涙に沈む視界で、悠美はわたしをにらんだ。
「アタシじゃなくて、謝るひとがいるんじゃないの」
「それは――」
わたしは握りしめたままのスマートフォンを撫でると、吐息をついた。
それは、わかっていた。わかっていたけれど、
「ひとりには、もう謝ったわ」
わたしはうまく謝ることができただろうか。
電話の内容を思い出して、わたしは不安になる。
どれだけ謝っても、彼女は笑って頷いて、耳を傾けるばかりで――
「誰? あの真城って子?」
「そうよ」
嗚呼、わたしは本当に、謝ることができただろうか。
そればかりが気になって、わたしは俯いた。
「理子にも謝りなよ。学校の噂は知ってんでしょ」
「ええ。ごめんなさい、苦労かけて」
「アタシに謝られてもな」
悠美は苛立った声で首を傾げると、鼻を鳴らした。
それで会話は途切れた。
暗い公園に冬の風が注がれ、わたしたちはしぜん肩を寄せあった。もう何年もこうしていなかった。わたしは昔を思い出して、思わず口を開いた。
「あの時、あなたがわたしに言った別れの言葉」
「なんだっけ――そうだ。アタシはアンタのモノじゃない。だっけ」
「そう」
「今でもそう思うよ。アンタは真城って子も、モノみたいに扱ったんだろ。なにも変わってない」
「そのとおりね」
本当に。結局、わたしは変わっていない。
わたしはとにかくあなたが欲しかった。いつか離れるのが怖かった。同じ時、同じ場所で生まれた家族だった。それなのに、わたしと悠美は似ていなかった。悠美はわたしに、与えてくれた。部活。進学。自由な時間――わたしはそれが、いつしか怖くなっていた。
「離れるのが、怖かったのよ。あなたが与えてくれなくなるのが。怖かった。だって、ずっとそうしてきたのよ?」
「知らないね。我慢していたのはいつもアタシだ。それだけだよ」
「なら、どうして抱いたの」
どうして、恋さえわたしに与えたの。
あの時の唇が、指が、吐息が、快楽が――忘れられない。
それさえも、わたしは与えられていた。
与えなくなるなら、どうしてそれを与えたの。
「嫌いだったからだよ」
悠美は舌打ちすると、わたしを押し倒した。
ベンチでもつれて、わたしは土のうえに投げ出された。悠美は馬乗りになるとわたしの頬を掴んだ。
「ちょっとくらい、くれてもいいのにって思ったんだ。でもアンタはもらうばっかりで、アタシになにもくれなかった」
頬を砂利が掠め、痛みが走る。
わたしは悠美の顔をじっと眺めていた。
「急にものわかりいい面して。気にくわない。なにを言われたのか知らないけど、アタシは許さないよ」
「許さなくて、いいわ」
「ああ。許さないね。一緒に生まれてくれてありがとう」
悠美はそう言って唾を吐くと、わたしから離れた。
手についた土を払い、舌打ちして頭をかく。
「悠美」
「なに?」
わたしは背を向けた悠美に声をかけた。
「理子に求めているの?」
悠美は振り返ることさえしない。
けれど足を止めて、静かに肩を震わせた。
「あの子は言ったわ。なにもできないって」
わたしは、彼女が与えてくれた言葉を反芻した。
「……なにもできない。私、なにもできないよ」
彼女はそう言ってくれたのだ。
他の子とは違っていた。
彼女は、私に――
「だからなんだって言うの」
去りゆく背に、それ以上の言葉はなかった。
わたしは砂まみれの髪を払いながら、転がったスマートフォンを拾いあげる。
それをきつく胸に押しつけると、身体の痛みは幾分和らいだ気がした。