Ⅱ/Ⅴ 斉藤 伊織

 

 

 

 深夜――玄関の扉が開く音がして、わたしは部屋を飛び出した。

 握りしめたスマートフォンは燃えるように熱く、廊下を薄明かりで照らしてくれた。

「悠美?」

 わたしが呼びかけると影は笑って、

「珍しいね、部屋出てるじゃん」

 わたしを冷たく見つめた。

「少し話せる?」

「疲れてるんだけど」

 うわずった声で問いかけると、悠美は嫌そうに首を回した。

 わたしはスマートフォンを握る指先に力を込めた。

「お願い」

「いいよ。外出よう」

 悠美のあとに続いて玄関を出ると、風は冬を帯びて冷たく舞っていた。

 わたしと悠美は、並んで近所の公園を目指す。

「こうして隣を歩くのは何年ぶりかしら」

「さあね。アタシ夜は忙しいから」

「バイトでしょう。いつもありがとう」

「別に。ただのコンビニだよ」

 悠美は暗い街灯に照らされた顔をしかめていた。

 やがて公園に辿り着くと、わたしたちはひとつのベンチに腰掛けて、目の前にそびえる団地を仰いだ。

「コーヒーでも飲む?」

「いいわ。すぐに済むもの」

「そ」

 悠美は足を組んで、ベンチにだらりと背をつけた。

 わたしはじっとそれを見て、震えるまぶたを閉じる。そして――

「本当に、ごめんなさい」

 流れ落ちる涙を留めることもできず、わたしは顔を覆った。

「ごめんなさい。あなたがせっかく、進学を諦めてくれたのに、わたしは――」

「なにかと思えば。そっちの話か」

 悠美はため息をついて呆れていた。

 わたしはあふれる言葉と涙を、どうすることもできない。

「わたしが、あんなことをしたばっかりに」

「推薦ダメになったんでしょ。別にいいじゃん。アタシどうせ受験したくなかったし」

「でも」

「それよりさ」

 涙に沈む視界で、悠美はわたしをにらんだ。

「アタシじゃなくて、謝るひとがいるんじゃないの」

「それは――」

 わたしは握りしめたままのスマートフォンを撫でると、吐息をついた。

 それは、わかっていた。わかっていたけれど、

「ひとりには、もう謝ったわ」

 わたしはうまく謝ることができただろうか。

 電話の内容を思い出して、わたしは不安になる。

 どれだけ謝っても、彼女は笑って頷いて、耳を傾けるばかりで――

「誰? あの真城って子?」

「そうよ」

 嗚呼、わたしは本当に、謝ることができただろうか。

 そればかりが気になって、わたしは俯いた。

「理子にも謝りなよ。学校の噂は知ってんでしょ」

「ええ。ごめんなさい、苦労かけて」

「アタシに謝られてもな」

 悠美は苛立った声で首を傾げると、鼻を鳴らした。

 それで会話は途切れた。

 暗い公園に冬の風が注がれ、わたしたちはしぜん肩を寄せあった。もう何年もこうしていなかった。わたしは昔を思い出して、思わず口を開いた。

「あの時、あなたがわたしに言った別れの言葉」

「なんだっけ――そうだ。アタシはアンタのモノじゃない。だっけ」

「そう」

「今でもそう思うよ。アンタは真城って子も、モノみたいに扱ったんだろ。なにも変わってない」

「そのとおりね」

 本当に。結局、わたしは変わっていない。

 わたしはとにかくあなたが欲しかった。いつか離れるのが怖かった。同じ時、同じ場所で生まれた家族だった。それなのに、わたしと悠美は似ていなかった。悠美はわたしに、与えてくれた。部活。進学。自由な時間――わたしはそれが、いつしか怖くなっていた。

「離れるのが、怖かったのよ。あなたが与えてくれなくなるのが。怖かった。だって、ずっとそうしてきたのよ?」

「知らないね。我慢していたのはいつもアタシだ。それだけだよ」

「なら、どうして抱いたの」

 どうして、恋さえわたしに与えたの。

 あの時の唇が、指が、吐息が、快楽が――忘れられない。

 それさえも、わたしは与えられていた。

 与えなくなるなら、どうしてそれを与えたの。

「嫌いだったからだよ」

 悠美は舌打ちすると、わたしを押し倒した。

 ベンチでもつれて、わたしは土のうえに投げ出された。悠美は馬乗りになるとわたしの頬を掴んだ。

「ちょっとくらい、くれてもいいのにって思ったんだ。でもアンタはもらうばっかりで、アタシになにもくれなかった」

 頬を砂利が掠め、痛みが走る。

 わたしは悠美の顔をじっと眺めていた。

「急にものわかりいい面して。気にくわない。なにを言われたのか知らないけど、アタシは許さないよ」

「許さなくて、いいわ」

「ああ。許さないね。一緒に生まれてくれてありがとう」

 悠美はそう言って唾を吐くと、わたしから離れた。

 手についた土を払い、舌打ちして頭をかく。

「悠美」

「なに?」

 わたしは背を向けた悠美に声をかけた。

「理子に求めているの?」

 悠美は振り返ることさえしない。

 けれど足を止めて、静かに肩を震わせた。

「あの子は言ったわ。なにもできないって」

 わたしは、彼女が与えてくれた言葉を反芻した。

「……なにもできない。私、なにもできないよ」

 彼女はそう言ってくれたのだ。

 他の子とは違っていた。

 彼女は、私に――

「だからなんだって言うの」

 去りゆく背に、それ以上の言葉はなかった。

 わたしは砂まみれの髪を払いながら、転がったスマートフォンを拾いあげる。

 それをきつく胸に押しつけると、身体の痛みは幾分和らいだ気がした。