先輩が好きなのは、あたしじゃない。
そんなことわかってるよ。それでもあたしは、最後のふたりきりになるまで個人練習をする彼女に付き合った。それがあたしと、先輩との約束だから。
「今日もありがとう、真城」
「いーんですよ、ぱぱっと片づけましょ」
あたしは軽い調子でバスケットボール部のエース――伊織先輩に笑いかけると、備品を持って体育倉庫に向かった。
「いつもどこにしまってるのかしら?」
「いやいや、伊織先輩。何年部活やってんすか」
三角コーンの束を持って立ちすくむ伊織先輩は、天然で、天才だ。あんなにバスケがうまいのに、たまにルールさえ覚えていないことがある。
「今日は茜、がんばってましたね」
「脇坂? あの子はこれから、もっと伸びるわ」
「サボり癖、抜ければいいんすけどねー」
あたしと伊織先輩は笑い合って、備品を片づけていった。しばらく掃除をしたあと、重い鉄の扉を閉めて、静けさにひたる。あたしたちは、まだ倉庫のなかにいた。暗闇に身をひそめて、あたしは伊織先輩の言葉を待っていた。
「――いい?」
「いいすよ」
頷くと肩を掴まれた。
伊織先輩はあたしを壁に押しつけ、強引に唇を重ねてくる。呼吸をするのを忘れていたから、息苦しい。吐息を漏らすと、鼻いっぱいに先輩の甘い香りが広がった。
「――ん、ん」
舌同士が絡まると、あたしは捕まってしまう。腕が脚が掴まれるたび軋んで、ぴったりと着ていたはずのジャージのなかに、指が入ってくる。
――今日も。今日もだ。
あたしは、伊織先輩に抱かれる。
隙だらけのあたしの心が、身勝手な情事を許そうとしている。
せめて、もう少し陰で――そんな抗議は、もう届かない。
あたしはそっと目を閉じて、自ら足を広げた。
「ごめんね」
「いや、いいんすよ」
伊織先輩は、行為が終わると優しくなる。
きれいに拭き取ってくれたし、自販機でコーヒーを奢ってくれた。
我ながら安い身体だと思う。
「最近、毎日すね」
「悪いとは思ってるのだけど」
「――こっちは気持ちいいだけすから」
先輩があまりにもばつが悪そうなので、あたしは思わず苦笑した。
「最近、どうなんすか。お姉さんとは」
「悠美? 相変わらずよ」
あたしがその話をすると、伊織先輩は顔をしかめた。
目を逸らして、逃げようとした。それでもあたしは、行為のあとはいつも話すことにしている。伊織先輩の、顔の違う双子の姉のことを。
「まーだ付き合ってるんすか。今回は長いすね」
「卒業まで付き合うって言ってるのよ。頭が痛いわ」
「噂じゃ会長、志望校あやしいみたいすけど」
「やめて頂戴。そんなぞっとする話」
真っ暗になった校庭を歩くなか、あたしは伊織先輩の顔を伺った。その顔は今にも泣き出しそうにみえて、わたしは目を細めた。
「もしかしたら〝卒業〟しないかも」
「嫌よ。そんなの。寒気がするわ」
さっきあたしを抱いた伊織先輩は、いまや駄々をこねる子供のようだった。
「悠美はわたしのものよ。なのに理子はあとからやってきて。今じゃ家に来るのよ? 信じられない。わたしから奪った悠美に、舐めさせてるのよ。気持ち悪いわ。あの声が壁越しに聞こえるの、気持ち悪い。ねぇわかる? 真城――」
「はいはい、聞いてますよ」
あたしは冷めた声で相槌を打って、肩をすくめた。そんな素振りにさえ気づかず、伊織先輩は生徒会長のことを罵った。
「あんなやつ、消えてしまえばいいんだわ」
「そっすね。で、もし消えたら?」
「はあ? なにそれ」
「たとえですよ」
「決まってるでしょう」
何気なく聞いた一言に、伊織先輩は「なにを当たり前のことを」と微笑んだ。
「悠美はわたしがもらうわ」
「――そっすか」
嗚呼、今日も平常運転。頭がどうにかなりそうだ。
伊織先輩が好きなのは、あたしじゃない。
「悠美はわたしとなら永遠にいられるわ」
「そっすね」
「だって姉妹だもの」
「そっすね」
きっとこれからも、それは変わらない。
あたしは、ただ抱かれるのだ。
体育倉庫で、もしくは、別のどこかで。
あたしは先輩が好き。だけど、これはきっと恋じゃない。
恋にならない、求められるだけの――
「真城、また明日ね」
「ええ、また明日」
約束の関係だ。
あたしたちは手を振ると、校門であっさりと別れた。
けれどあたしはそっと振り返り、先輩の後ろ姿を見つめた。また明日。また明日。また明日。続いていく。そのたびに、あたしは念じている。いつか、振り向いて――と。たったそれだけのことを、あたしは求め続けている。