Ⅰ/Ⅲ 真城 加奈

 

 

 

 先輩が好きなのは、あたしじゃない。

 そんなことわかってるよ。それでもあたしは、最後のふたりきりになるまで個人練習をする彼女に付き合った。それがあたしと、先輩との約束だから。

「今日もありがとう、真城」

「いーんですよ、ぱぱっと片づけましょ」

 あたしは軽い調子でバスケットボール部のエース――伊織先輩に笑いかけると、備品を持って体育倉庫に向かった。

「いつもどこにしまってるのかしら?」

「いやいや、伊織先輩。何年部活やってんすか」

 三角コーンの束を持って立ちすくむ伊織先輩は、天然で、天才だ。あんなにバスケがうまいのに、たまにルールさえ覚えていないことがある。

「今日は茜、がんばってましたね」

「脇坂? あの子はこれから、もっと伸びるわ」

「サボり癖、抜ければいいんすけどねー」

 あたしと伊織先輩は笑い合って、備品を片づけていった。しばらく掃除をしたあと、重い鉄の扉を閉めて、静けさにひたる。あたしたちは、まだ倉庫のなかにいた。暗闇に身をひそめて、あたしは伊織先輩の言葉を待っていた。

「――いい?」

「いいすよ」

 頷くと肩を掴まれた。

 伊織先輩はあたしを壁に押しつけ、強引に唇を重ねてくる。呼吸をするのを忘れていたから、息苦しい。吐息を漏らすと、鼻いっぱいに先輩の甘い香りが広がった。

「――ん、ん」

 舌同士が絡まると、あたしは捕まってしまう。腕が脚が掴まれるたび軋んで、ぴったりと着ていたはずのジャージのなかに、指が入ってくる。

 ――今日も。今日もだ。

 あたしは、伊織先輩に抱かれる。

 隙だらけのあたしの心が、身勝手な情事を許そうとしている。

 せめて、もう少し陰で――そんな抗議は、もう届かない。

 あたしはそっと目を閉じて、自ら足を広げた。

 

 

 

「ごめんね」

「いや、いいんすよ」

 伊織先輩は、行為が終わると優しくなる。

 きれいに拭き取ってくれたし、自販機でコーヒーを奢ってくれた。

 我ながら安い身体だと思う。

「最近、毎日すね」

「悪いとは思ってるのだけど」

「――こっちは気持ちいいだけすから」

 先輩があまりにもばつが悪そうなので、あたしは思わず苦笑した。

「最近、どうなんすか。お姉さんとは」

「悠美? 相変わらずよ」

 あたしがその話をすると、伊織先輩は顔をしかめた。

 目を逸らして、逃げようとした。それでもあたしは、行為のあとはいつも話すことにしている。伊織先輩の、顔の違う双子の姉のことを。

「まーだ付き合ってるんすか。今回は長いすね」

「卒業まで付き合うって言ってるのよ。頭が痛いわ」

「噂じゃ会長、志望校あやしいみたいすけど」

「やめて頂戴。そんなぞっとする話」

 真っ暗になった校庭を歩くなか、あたしは伊織先輩の顔を伺った。その顔は今にも泣き出しそうにみえて、わたしは目を細めた。

「もしかしたら〝卒業〟しないかも」

「嫌よ。そんなの。寒気がするわ」

 さっきあたしを抱いた伊織先輩は、いまや駄々をこねる子供のようだった。

「悠美はわたしのものよ。なのに理子はあとからやってきて。今じゃ家に来るのよ? 信じられない。わたしから奪った悠美に、舐めさせてるのよ。気持ち悪いわ。あの声が壁越しに聞こえるの、気持ち悪い。ねぇわかる? 真城――」

「はいはい、聞いてますよ」

 あたしは冷めた声で相槌を打って、肩をすくめた。そんな素振りにさえ気づかず、伊織先輩は生徒会長のことを罵った。

「あんなやつ、消えてしまえばいいんだわ」

「そっすね。で、もし消えたら?」

「はあ? なにそれ」

「たとえですよ」

「決まってるでしょう」

 何気なく聞いた一言に、伊織先輩は「なにを当たり前のことを」と微笑んだ。

「悠美はわたしがもらうわ」

「――そっすか」

 嗚呼、今日も平常運転。頭がどうにかなりそうだ。

 伊織先輩が好きなのは、あたしじゃない。

「悠美はわたしとなら永遠にいられるわ」

「そっすね」

「だって姉妹だもの」

「そっすね」

 きっとこれからも、それは変わらない。

 あたしは、ただ抱かれるのだ。

 体育倉庫で、もしくは、別のどこかで。

 あたしは先輩が好き。だけど、これはきっと恋じゃない。

 恋にならない、求められるだけの――

「真城、また明日ね」

「ええ、また明日」

 約束の関係だ。

 あたしたちは手を振ると、校門であっさりと別れた。

 けれどあたしはそっと振り返り、先輩の後ろ姿を見つめた。また明日。また明日。また明日。続いていく。そのたびに、あたしは念じている。いつか、振り向いて――と。たったそれだけのことを、あたしは求め続けている。