見た。僕は見てしまった。
生徒会室でキスをする、ふたりの女生徒を。
確かあれは生徒会長の高梨先輩で、相手はよく知らない。ふたりはどうやら喧嘩をしていたようだ。でも、それはきっと〝青春〟の一幕だ。僕は窓を見るふりをして、すれ違う高梨先輩の涙を見送った。
ふたりはきっと、付き合っているのだろう。女同士で。なんてことだ。僕にとって、その事実は青天の霹靂だった。
僕は性別上は女だが、このように〝僕〟と名乗っている。この事実を知る人間はいない。外向きには〝ウチ〟と言ってお茶を濁しているし、休日に男モノの服を着たって、髪を短く切ったって、ボーイッシュとしか思われない。
そう。僕だけが、僕が〝僕〟であることを知っている。
だから、まるで考えたことがなかった。女子と付き合う。そうしている人間がいるという事実に、足元が揺れるようだった。
まさか彼女のどちらかは〝僕〟なのだろうか?
「いいな」
茜色の空を見つめながら、僕は独りごちた。
嘘偽りのない羨望を、胸のうちだけに留めておけなかったのだ。
僕にとって、同性は身近な存在ながら恐怖の対象だ。しかし、こうして恋愛を身近に感じると、憧れずにはいられない。
「――もし」
もし、付き合うとしたら、誰がいいだろう。
僕はそんな妄想にとりつかれた。まず、同じ学年の女子は除外する。いつもうるさくて、恋愛対象として好ましくない。であるならば、上級生か大人か。嗚呼、遠回りをしても結局、行きつく先は決まっている。
伊織先輩だ。
彼女がいいだろう。
同じバスケ部の先輩で、部活のエース。目下サボり部員の僕とは違う。部長でこそなかったが、誰からも慕われている。かくいう僕も、彼女の優しさの虜になったひとりだった。
彼女が僕の〝彼女〟になるなら、それはきっと素晴らしいことだろう。僕は部活に足繁く通うようになり、毎日、伊織先輩と一緒に帰るのだ。
表情豊かな伊織先輩は、付き合えばもっと色々な姿を見せてくれるだろう。そして、先の高梨先輩と見知らぬ上級生のように、たくさんのキスを交わす。僕は空想に花を咲かせるうち、だんだん頬が熱くなるのを感じた。
これは自覚だ。僕は確信した。
そうだ。思えば僕は、学校という社会に順応することばかりを考えてきた。
けれど僕はそもそも〝青春〟が好きだったはずだ。伊織先輩のような女性なら、きっとそれを見せてくれるに違いない。
彼女の長身を恥じる仕草が好ましい。もっと堂々としてもいいと思う。
彼女の困ったような笑みが好ましい。もっと花開く笑顔を見たいと思う。
彼女の豊かな双丘が好ましい。これは想像するに恥ずかしいけれど、触れてみたらどんなに柔らかいだろうと思う。
彼女の。彼女の。繰り返せばきりがない。僕は伊織先輩と送る〝青春〟の虜になっていた。思えばこうして部活をサボっているのも、格好悪いところを、見せたくなかったからだと位置づけた。
「ねえ」
しかし、逆にサボっているというのも格好悪いだろうか。今日から練習を重ねれば、伊織先輩を振り向かせることができるかもしれない。そうだ。それがいい。すべては行動あるのみ。そうなれば善は急げだ。
「ねえってば」
「? あ。真城」
気づけば隣に同級生の真城がいた。
なんてジャストなタイミングだろう。彼女はバスケ部のマネージャーだった。
「なぁにサボってんの茜」
「むしろ、今から行くところ?」
「なにそれ」
真城は呆れたようにため息をつくと、僕の制服の裾を摘まんだ。
「そいなら行こうよ。探してこいって言われてんだわ」
「ウチを? なんでまた」
「あんたねえ。次の練習試合出るんでしょうが」
「え? そうなの?」
知らなかった。僕はいつの間にか、バスケ部の選手になっていた。
「やっぱり運命ってあるんだな」
「は? 馬鹿なこと言ってないでいくよん」
「いてて。引っ張らないで」
僕は腕を掴まれ、真城に引きずられていった。
その先にはきっと、困ったように笑う伊織先輩が待っているのだろう。
そしてこう言うのだ。「脇坂は才能があるのだから」
伊織先輩は優しい。
はじめてバスケットボールを教えてくれた、僕にとっての女神だ。
だから僕はがんばろう。そして伊織先輩とキスをして〝青春〟の涙をこぼすのだ。
天啓を得た。身体に羽が生えたようだった。
これなら飛べる。ゴールに向かって、ダンクシュートでも決めてやろう。
「いい加減自分の足で歩けー」
真城の声を無視して、僕は見つけた〝青春〟の味を噛みしめていた。