魔術師事件



      1


「わあ……すごいお肉。何か圧倒されちゃう!」

 彼女が見入っているのは黒い鉄皿に載せられた肉のかたまり──こんがりこげちや色の焼き目がついた分厚いステーキだ。表面は肉汁で光りまくり、見るからにあぶらがのっている。いんげんソテーとフライドポテトが貴人にかしずく控えの者よろしくそのわきにかしこまっていた。

「あの、しろさん。これ本当に食べて良いんですかっ?」

もちろん! その為に事前に連絡して昼食を抜いてもらったんじゃないか。お腹がいているだろう?」

「とっても空いてます。実は授業中おなかが鳴っちゃって大変だったの。しそう!」

「くふふ! 思う存分たっぷりと食べてくれ!」

 得意げな顔でそう答えたのは、制服の上から白衣をった女。部活動の際は怪盗がまとうマントさながら必ずこれを着ている。理由は格好良いからとのこと。

 七月。夏休みを間近に控えた、とある平日の放課後であった。

 ここはかぜもりがくえん高等部、料理事件部の部室──。

 ホワイトボードにはでかでかと『肉』と書き付けられていた。天井ではプロペラが回り、部屋の隅には幸福の木こと少し皮の向けたドラセナが飾られている。

 応接用のテーブル上に置かれたステーキ皿をはさんでソファーに座っているのは、二人の麗しい女生徒であった。

 白衣を着ているのはじよううちしろといい、神秘的にきらめくそうぼうと腰まであるロングヘア、一見スーパーモデルかとまごうばかりのそうしんが印象的な美少女だ。

 彼女はこのもりちよう出身の有名な食通、城之内しようろうそうそんであり、自らも包丁を取るのだが、それ以上に人助けが大好きで、しい物をごそうして学園のトラブルを解決するという、不思議なコンセプトの変な部──『料理事件部』をち上げた個性的な人である。

 性格もすこぶるユニークだ。

ちゃんはたっぷり食べて、たっぷりおっぱいに栄養をあげるべきなんだよ! わたしと違って大変だろう。エネルギーの大半を胸に持っていかれちゃうんだから」

「な……? 突然何を言い出すんですかっ?」

「ここで一発がつんと肉を入れて、エネルギーを充電しないと!」

「え。ええー……っ

 いきなりのセクハラ発言に切ない声をあげ、遠い目をしているのはづきといい、サラサラの黒髪が文学少女風の印象を与える美少女だ。本が好きで、よくページに目を落としたままぼうっとしたり、勘違い的な物思いにひたったりしている。性格がとろくてワンテンポ遅いので、一部の男子から《遅咲きの撫子なでしこの花》等と呼ばれる事もあるが、体の成長は早い。しろの指摘通り胸はふくよか、かなり自己主張強めに制服を押し返している。

「くふふ、ところで動物は好きかい、未百合ちゃん? 砂漠を旅する時のため、ラクダのこぶにはたくさんのエネルギーが貯蓄されているんだけどね。何も食べずにいると、ラクダのこぶというのは徐々にしぼんで小さくなっていくらしい」

「そうなんですか? ふうん、白奈さんって物知り……って、わたしの胸はラクダのこぶじゃないですー!」

「何にせよ、その発育ぶりはただ事ではない。明らかにわたしより多くのタンパク質をらなきゃならないはずだ。だってホラ、わたしはこの通り慎ましやかなものだからね」

 そう言ってペシペシと自分の胸をたたき、大口開けて笑っている白奈──とても残念な人ではあるが、一方の未百合はこわごわ自分の身を抱きかかえて深刻極まりない顔だ。

「どうしよう……。お肉は美味しそうだけど、急に食べにくい空気になったわ。かしら。目の前のステーキ肉が危険な物に思えてきちゃう。食べたら全部の栄養が……」

「さあ、未百合ちゃん! この肉を食べて更にむちむちのままな体になってくれ!」

「……ど、どうしたらいいの」

「ボン、キュッ、ボン! セクシーボディの高校一年生っ。ひゃああー、本当にうらやましいな、未百合ちゃん!」

「……こ、この空気の中で食べろって言うの?」

 未百合は眼前のステーキ肉を見つめ、青ざめた顔でガクガク震え始める。

「早くお食べ、未百合ちゃん。だっだーん! ぽよよんぽよよん!」

「ああ……。白奈さんはわたしをどうするつもりなの……。一体何を望んでいるの。この意地悪なお肉をわたしどうすれば……!?

 別な世界にいっているかのごとく未百合は何やらつぶやいていたが、不意にぱっと顔を上げると、

「ねえ、玄人くろと君、何とか言って!」

「……あ?」

 話しかけられたのは窓際でスチールのに座り、耳を穿ほじっていたほん玄人だ。

 彼は未百合のおさなじみで、白奈には料理事件部に無理矢理入部させられるという、女運が良いのか悪いのかよくわからない男である。卓越した料理の腕の持ち主だが、他の事にはこだわらない我が道を行くタイプだ。先程から白奈と未百合のやりとりを適当に聞き流していたのだが、

「このタイミングで俺に振るなよ。俺に何を言えってんだ?」

「だ、だって……。こんな空気の中だと、わたしとっても食べにくいんだもの」

「食いたくなければ食わなきゃいいし、食いたかったら食えばいい」

「そ、それはそうなんだけど」

 は口元を押さえて続きの言葉を待つように黙していた。誰も何も言わなかった。

 せみ時雨しぐれだけが窓の外でひびき続け──やがて彼女の細い肩がプルプル震え始めた。

「お願い! そんな風に突き放さないで玄人くろと君っ。この前は優しくしてくれたじゃない。何でも良いから言って。玄人君が言ってくれれば、わたしは何でも喜んで言う事をきくわ!」

 だってわたしは玄人君の……ブツブツブツ、と小声で独りごちている未百合さん。かなりテンパってきたのが見て取れる。いささか自分の世界に入り込みやすい人なのだ。

「ったく、仕方ねえなあ」玄人はボリボリ頭をき、「お前はどうしたいんだよ?」

「わたし、食べたい。せっかくしろさんがわたしの為にひまかけて作ってくれたんだもの。しそうだし、食べたいわ」

「だったら食べろ」

「ええ! そうする」

 未百合は素直にうなずいた。何なんだ、と玄人は思う。

「それじゃありがたく頂くわね、白奈さん」

 未百合はそう言ってナイフとフォークを手にする──が、肉を切りにかかった未百合を白奈の不思議な台詞せりふが止めるのだった。

「ちょっと待った未百合ちゃん。このカロリーたっぷりの極悪ステーキは別にわたしが作ったわけじゃないよ?」

「エッ?」

 未百合は目をパチパチとまたたき、三秒程そのままの体勢で考えていた。

「……ああ! だったら」

 不意にパアッと弾んだ笑顔に変わり、として首を玄人に向ける。

「これは玄人君からの贈り物なのね! もうっ、ぶっきらぼうなふりして、やる事が優しいんだから……。でもうれしい。お肉をプレゼントしてくれるなんて、何かのちようなのかな。今夜は何かが起こるのかしら? わたし、ちょっぴり期待しちゃったりなんかして」

(あああ? 何を意味不明な事を言ってんだ、この勘違いちゃんはよ……)

 玄人はジト目で首を横に振った。

「俺はそんなのプレゼントしてねえ。よく考えろ、未百合。一人暮らしで食費を切り詰めてる俺に、そんなばかでかい高級肉をくれてやる余裕があると思うか?」

「そうか……。そういえばそうよね」

 だったらどういう事かしら? 未百合は小首をかしげて考え込む。

「放課後ごそうしたいから昼食を抜いてくるようにと昨日白奈さんに言われた。そして今日、待っていたのはしそうなステーキよ。でも料理を作ったのはしろさんじゃない。玄人くろと君からの誘惑でもなかった。だとすると」

 はサッと部室の奥を向く。そこにはきつてんにでもありそうな私物のテーブルにノートPCを置き、澄ました顔でキーボードをたたいている人がいた。

 大きなヘッドホンを首にかけた彼女は、未百合の視線に気づくと顔を上げて言う。

「違うわ」

「そうよね……」

「わたし、お肉ダメだし」

 そう言って再びPCのモニターに顔を向けたのはくらさとといい、淡雪のように白い肌と貴族的な顔立ちが特徴的な美少女だ。アレルギー体質で肉も魚も食べられないが、音楽が好きで特にゴシックメタルは大好物である。気配り上手で性格も優しいところがあり、しかし基本的には冷静で物事をてきぱきこなすタイプなので、最近では部の事務処理を一任されていた。

 血倉と未百合は料理事件部の正式な部員ではないが、白奈のすいせんもあり、玄人の助手としてよくここに出入りしているのである。

 もつとも、料理事件部は学園のめ事処理をうたってはいるが、実際に依頼人が来る事はほとんど無く、仕事という程の仕事も無いので、実は今も血倉はタイピングソフトでブラインドタッチの練習をしているだけだ。

 とはいえ、来たるべき事務処理に備えるのも必要な事ではある──という風に血倉は割としっかりした考えに基づいて行動する人なのだった。

 さておき、血倉も無関係だと知って未百合はますます困惑顔だ。ナイフとフォークを手にしたまま不思議そうにステーキ皿を眺めてつぶやく。

「……だったらこのお肉は?」

「くふふ」

「これって何? つまりどういう……一体何だっていうんですか、白奈さん?」

「うん、その真相はだね」

 と、その時だ。不意に部室のドアがノックされた。返事を待たずにドアが開け放たれ、元気の良いソプラノボイスがひびき渡る。

「こんにちは、皆さん! その節はお世話になりましたっ」

 ずかずか部室に入ってきてステーキ皿をいちべつすると、愛らしい垂れ目をパッと大きくする。

「あらまあ! 何だか素敵なお肉がありますね。本官に隠れてごそうを食べようだなんて言語道断。即刻逮捕します! っていうのはじようだんですが、皆さん相変わらずおひまそう。お変わりなくて何よりです」

「……お前も相変わらずじゃねえか」

「やーだ、そんなにめないでください、玄人さん!」

 口調はていねいだが内容を聞くと意外とそうでもない──愛くるしいドーリースマイルでビシッと親指を立てたのは二年のあかであった。

「そのステーキはのもんだからつまみ食いすんなよ。それより何の用だ、赤座」

「はい、実は頼みたい事があってですね。料理事件の依頼なんですが」

「おいおい、またかよ?」

「えへへ。あなた方料理事件部の腕前にれ込んじゃいましたからね!」

 赤座伊衣子はれんふうぼうの二年生。玄人くろと達より一つ上の先輩だ。《垂れ目の柔和令嬢》の二つ名で呼ばれているが、警察官を目指していて、割と血の気が多い。

 それはさておき、先日彼女が持ち込んだ事件はなぞと不思議がおどりに躍るというだけでなく、ちょっとしたにんじようも発生したやつかいしろものだったのだ。そういうのは本職の……お前の親父にでも任せとけよ、と玄人が言おうとすると、

「よーし! その依頼、我々料理事件部が引き受けよう!」

 白奈が立ち上がり、どむっと胸をたたくのだった。

「ちょっと部長。ろくに話も聞かずに……」

「相手はまた宇宙人かい? それとも宇宙怪物かな? 何にせよ、この町で料理人にかなう者はいないよ。しい料理をごそうしてその舌をねじ伏せるのみさ!」

 さあ一体どんな料理事件なんだね、とみ手をしながら勢い込む白奈に、あの事件の元凶は部長だったでしょう、という玄人の突っ込みは届かない。それどころか今や外野も興味しんしんだ。未百合とくらも何だかんだでひまだったらしく、にわかに態度がそわそわしている。

 そして語り出す赤座伊衣子──またしても新たな料理事件が始まってしまったようだ。

(……クソッ。面倒な事になりそうな気がぷんぷんするんだが)

 彼女達が盛り上がる様を見ながら、玄人は半眼で額を押さえていた。


      2


 もりちよう総合運動公園陸上競技場。

 かぜもりがくえんからバスで十五分ほど揺られた所にある陸上スポーツのメッカ──と、以前は言われた場所である。名前が示す通り公園内にせつされたこの競技場、かつては名実共にこのかいわいで最大の規模を誇っていたが、二年前に新・九森町総合運動公園という上位互換的ネーミングの施設ができてからというもの、めぼしいスポーツイベントのほとんどがそちらで行われるようになり、切なくも目に見えて客足が減ったという。

 が、それゆえに料金大幅値下げというおおざつな処置がとられ、高校生は五十円──。気兼ねせずに個人練習にはげみたい陸上部員の間ではひそかなブームだ。また、職場で出会いのない社会人アスリートの出会いの場としても大いに活用されているという。

 否──そんな微妙過ぎる情報はさておき。

 バスを降りた玄人くろと達は陸上競技場の入口へと歩いていた。強い夏の光に目を細める玄人とに、黒いレースの日傘を差しているくらしろは風に白衣をなびかせ、あかは気持ち良さそうに日差しに身をさらしている。

 この見るからに個性的な五人、別に走り込みをする為に来たわけではない。目的は料理事件の捜査──

 先程聞いた赤座の話によればこうだった。

「わたしの後輩にさきという女の子がいるんです。あ、中学時代からの友達でですね。もともとは近所に住んでまして、幼い頃はよく一緒に警察官ごっこをした仲なんですけども」

「……や、そんなところから説明すんなよ! しやべってるうちに日が暮れちまう。手っ取り早く要点だけ言ってくれ」

 と、そこで不意に血倉さとが口をはさんだ。

「えっと……美咲さんっていうのは、もしかしてそら美咲さんの事かしら?」

「はいはいはい、そうです!」赤座は目を丸くしてうなずき、「もしかしてご存じでした?」

「同じクラスよ」

 意外なところに話が飛び火した。

「わたし、D組全員のフルネームを言えるし、漢字でも書けるし。それでなくたって彼女は目立つもの。もちろん知ってるわ」

 血倉知里は少し前までクラスにめなかったが、料理事件部の活躍で溶け込めた。最近は同級生の事情にかなり気を配っているらしく、よどみなく説明を始める。

「一年D組の空野美咲さんはさわやかな性格の、色んな意味で美しい女の子よ。体育が得意で足の速さは学年一。それもそのはず、彼女は陸上部なの。異名は《ビューティフルランナー》。一年生ながらエースとして期待されているみたい」

「へえ、お前のクラスにそんなやつがいたなんてな。全然知らなかった」

ほん君も顔は知ってる筈よ。我が道を行くタイプのあなたと似たタイプかもしれないわ。走りに関してはものすごく才能あるの。今年はあと一歩及ばずだったけれど、来年は個人種目でインターハイに出られるかもしれないってもつぱらの評判よ」

「うむ、その通りだ!」

 じよううち白奈が得意げに口を挟んできた。

「夏といえば高校総体! 陸上は先月に県大会があって、まあ、うちの学校はそこで見事に敗退した訳だが……。致し方ない。かぜもり学園は運動が盛んな学校ではないからね。とはいえ、彼女だけはかなりの記録を出したんだ。確かに来年は個人の方でいけるかもしれない」

 何でもよく知ってる奴だな、と玄人は思う。

「ほっ! わたしは色んな事に首を突っ込むタチだからね。とはいえ、くだんの美咲さん。最近何だか調子を崩していると小耳にはさんだ。ねえくらちゃん、クラスでの様子はどうなんだ?」

「ええ、確かに言う通りね。何だか元気無さそうにしているわ。タイムがどうとか、スタミナがどうとか言っていたような……。ともかく、来年に向けて厳しい練習に取り組んでいるみたいなのよ。そのせいで疲れがまっているみたいな事を言っていたけれど」

「ふむふむ、それは心配だ」

「悩みでもあるのかも……。聞いてあげたら多少は楽になってくれるかしら」

「なるともさ。よーし! ここは一つ、我々が何とかしてやろう!」

 しろと血倉の小気味よいおうしゆうの過程で情報が引き出され、またたく間に方針が決まっていく。

 そして。

「あ、あのぅー……

 すっかり取り残されているあか。……駄目な依頼人だった。いいんです、きちんと説明しなかったわたしが悪いんです、と若干いじけて独りごちている。それに血倉が気づいて、

「すみません。わたし達だけで盛り上がってしまって。それで赤座先輩の依頼というのは何でしょう?」

「……いやー、大枠は今あなた方がおつしやってくれた通りなんですけどね……。後輩のさきが調子を崩しているみたいなんで、いつものように解決してあげてほしいかなー、と」

「あ、やっぱり」

「何かしらの理由があるっぽいんですよ。ただ彼女、若干ストイックなところがあって、誰にも打ち明けようとしないんです。そこであなた方の事を思い出しまして」

 百戦れんの料理事件部さんなら必ずや話を聞き出せるでしょう、と根拠のない確信をこめて言う赤座伊衣子。……そんなに過度な期待をするなよ、と玄人くろとはこめかみを押さえるが、とりあえず皆の勢いに流されて依頼を引き受ける羽目に。

 ステーキを目前に長々と放置プレイをくらっていたは切なげにプルプルしていたが、急いで食べるのも一人部室に残って食べるのもいやだったらしく、肉を冷蔵庫にしまって玄人達についてきた。ステーキとそのなぞについてはひとまず保留──。

 そして一行は美咲がいつも練習しているという陸上競技場へやってきたのだ。


「ふーん、そうなんだ?」

 彼女はしとどに流れるほおの汗をスポーツタオルでぬぐいながら言った。

「今日もまた料理事件部は人助けのために東西ほんそうしているって訳だね。立派だよ。ほんと、この暑い中わざわざお疲れ様、ほん玄人君!」

「や、そんな立派なもんじゃねえよ。俺は無理矢理連れて来られただけでだな……」

けんそんしなくていいよ。こないだのトマトスパゲティーはお世辞抜きに絶品だったもの」

 またいつか食べたいなっ、と白い歯をキラッと光らせているこの人がくだんそら美咲だった。

 競技場に入るとトラックには数える程しか走者がいなかったのですぐにわかった。それはさきの方も同じだったようで、玄人くろと達を見つけると素早くコースを外れて駆け寄ってきたのだ。

「キミ達、僕に何か用なのかい?」

「ボク少女!」

 という風に。

 さておき、そら美咲──澄み渡った瞳にしなやかな手足、風もないのにフワリと風になびいているような髪型が特徴的な女の子だ。Tシャツではなく、へそ出しの正式な陸上ユニフォームを着ているが、それでもなお美少年にも美少女にも見える不思議な印象の人である。ほっそりしており、仕草はまるでバレリーナのように優雅だ。

「少しせた?」あかが首をかしげてそう言うと、

「僕は前からこんなものですよ、赤座先輩」美咲は髪をサラリとき上げる。

「んー、何にしても流石さすがは陸上選手。こうして間近で比べると、スレンダーぶりはわたしと良い勝負だな!」しろも感嘆する程だ。

「お肌もすごく白いわ。まるで妖精みたい」がこくこくうなずいて、「美咲さんって、もしかしたら陸上の精なのかしら……」

「こ、こらこらっ。キミは何を夢見がちな事を言ってるんだい、づき未百合君。そんな訳ないでしょ。僕は日焼け止めを念入りに塗っているだけだよ」

「日焼け止め?」

「そう。僕はいつでも美しくありたいからね。れいなストライドやフォームだけじゃない。外見も常に人をれさせる美しいランナーでいたいんだ。そのためには紫外線対策もきっちりしておかないと。は美しく咲く。そして僕は美しく走る女の子でいたい!」

 ……うわあ、何か変な事を言い出したぞ、と玄人くろとは思う。

「あ、言っておくけど、僕はナルシストじゃないよ?」

「どの口が言うんだ!」

 思わず大きな声が出た。ぽかんとしているに代わって玄人が突っ込んだのだ。

「本当だよ。僕は決してナルシストじゃない。ただ自分が美しいと思っているだけで」

「……や、それをナルシストっていうんじゃねえのか?」

「何にしても、これは僕なりのイメージトレーニング法なんだよ。美しい僕が美しく走っている理想の姿を想像して技術を高める。フィギュアスケートの選手なんかは皆やってるよ。それにおばあちゃんにもよく言われているんだ。さきは薔薇のように美しく咲くランナーになりなさい、とね」

 美しくあれと思えば美しくなる。料理心理学で言うところのピグマリオン効果……いや、それは深読みし過ぎだろう。ちなみに美咲の祖母(ぼう女子駅伝に出場経験あり)はいまだ健在で、足腰もしっかりしているという。

 つくづくかぜもり学園には変なやつが多いな、と思いながら玄人は頭をボリボリき、

「……で、俺達は一体何を食わせればいいんだ?」

 と、言った。

「えっと、それはどういう意味だい、ほん玄人君?」

「お前最近スランプっていうか、調子をくずしてるんだろ? その辺のくだりを話せよ」

 すると彼女は細いまゆを寄せ、サッと口を閉ざすのだった。

「ちょっと美咲……」あかが口をはさんだ。「せっかく料理事件部さん達が来てくれたのに」

「美咲さん、遠慮する事ないわ。わたし達クラスメイトでしょう」くらも口添えする。

「いや……。赤座先輩や血倉さんには申し訳ないけど、これはあくまでも僕の問題だから。料理事件部の人達には関係ないよ。自力で解決する」

 他人に頼るのは美しい行為とは言えないもの──と美咲は影のある表情で言い、その雰囲気に引き込まれて未百合が、これが美というものなの……とぼうぜんつぶやく。キーッ、ほんとにこの子は融通がきかないですっ、と赤座はその場で地団駄を踏み、ずいぶんと自立心が強い人なんだなあ、としろは腰に手を当てて笑っている。……陸上競技場の一角が奇人変人ワールドと化しつつあるが、玄人はその空気を振り払うように、

「ったく、ほんとめんどうくせえな。いいから話せよ、そら美咲。他人に全く頼らずに生きてる奴なんてこの世にいねえんだ。ていうか、ここまで来といて、はいそうですかって素直に帰れるか。それじゃ話が進まねえだろ」

「いや、でもこれは本当にキミ達には関係ない事で。多分どうにもできないと思うし……」

「できる。この手の料理事件にはお約束のパターンって物があってだな。俺ら料理人はそれを熟知してんだよ。大方お前、体力付けようとして変なもん食ってんだろ? げきから料理とかマムシとかスッポンとかよ」

「ううん、そんな事ない。最近は野菜ばっかり食べてるよ」

「ほんとかあ? 生の大蒜にんにくり下ろして食ってたりしねえだろうな。ああいうのは確かに精がつくが、料理法次第じゃ夏バテの原因にもなるんだぞ? いいからとにかく言っちまえ」

「いや、だからその……」

 と、出し抜けに玄人くろとを見上げるさきほおが不意にぽっと赤らんだ。

「そこまでして僕に関わろうとするなんて。まさかキミ、僕の事が──?」

「あ?」

 何を言い出すんだ、と玄人は思う。

「ダ、ダメだよ!」美咲はカアッと頰を染めて首を横に振り、「キミはその、確かに魅力的な男子だとは思う……。だけど僕の事も考えてくれっ。僕の美しさは少年と少女の間を駆け抜けるせつの中間的な美しさ! もう少し今のまま咲いていたい。キミの気持ちはうれしいが、まだその思いを受け入れて普通の女の子になる訳には!」

「……見かけによらずマジでめんどうくさやつだな、お前は」

 思わず半眼になる玄人の背後では、づきが青い顔で震えながらブツブツ言っていた。

「どうしよう。玄人君が危険な道に引き込まれちゃう。あぁ、だめ……。いけないわ。わたしのい人を誘惑しないで。たぶらかさないで……」

 未百合のろうばいぶりにられてくらまでがまゆを寄せ、不安げに口を押さえたりして、混迷を極めるこの状況──カオスとしか言いようがない。

「ほっ! じゃあこうしよう!」

 不意にしろとんきような声をあげた。

「駆けっこで対決して、わたしが勝ったら事情を話す。キミが勝ったら我々は帰る。そんな感じでどう? シンプルで解りやすくないか?」

 一同ポカーンと水を打ったように静まり返る。……そりゃそうだ。美咲がスランプの理由を話す事と競走する事には何の関係もない。とはいえ、白奈は得意満面、いかにも良い知恵を出したと言いたげだ。にんまりと笑み、その残念ぶりをかんなく発揮している。

 やれやれ、こんな安っぽい挑発に乗る奴がいるかよ、と玄人があきれ返っていると、

「うふふ、それおもしろいね!」

「え?」

「ビューティフル! いいよ。その勝負、美しく受けて立とう!」

 もっと残念な事にその挑発に容易たやすくのってしまうそらさきがいるのだった。玄人くろとは両手で頭を抱え、しばらく勝手にやらせておこうと思う。

 かくして陸上部のビューティフルランナーこと空野美咲VS料理事件部発起人、じよううちしろの突発的な対決が始まった。


「よりにもよって短距離で勝負を挑むなんてね。僕が一番得意な種目なのに……」

「料理人をあまり甘く見ない方がいい。わたしは必ず勝つよ、美咲ちゃん!」

 勝負の方法は百メートル競走だ。玄人がスタートの合図をし、ゴール地点でストップウォッチを構えているくらが勝者を判別する。ルールはいたって単純だが、それだけに小細工をする余地が無く、ましてや美咲は短距離ランナーらしいのでここは長距離で勝負すべきでは? と玄人としては思うのだが、どうなのか。実は白奈の運動神経もじんじようではなく、廃工場の頂上からバンジージャンプくらいは軽くやってのけるのだ。

「くふふ、わたしは瞬発力には自信がある。とはいえ、スタミナはそれ程でもないからね。この方法で勝負するのがベストさ」

「でも相手は本職ですよ。勝算はあるんですか、部長?」

「心配ないよ、ボス。こちらには我が家に伝わる秘伝の策──城之内流妖術がある」

「何すかそれ!?

 変なの出てきた! と玄人は思う。

「ちょっと部長……。言っときますけど、空気読まない真似はしないでくださいよ? これは料理の話なんだから。俺達は普通の高校生で、あくまでも一介の料理人なんですからね?」

「くふふ、まあ安心して見ていたまえ」

 二人がスタートラインに立った。

 美咲は妖精さながらリズミカルにその場でステップを踏み、しく引き締まった顔つき。一方の白奈は愛用の白衣を脱ぎ──すると何故か下は制服ではなく体操服だった。いつの間に着替えたんだ! と玄人は突っ込むが、まさかこれが妖術というオチではあるまい。

「位置について」

 玄人の言葉に二人がかがんだ。

「よーい……」

 二人は両手を地面につき、おしりを高く持ち上げて前を見る。いわゆるクラウチングスタートの格好だ。美咲は当然だが、白奈のポーズもかなり様になっていて期待が高まる。これはひょっとしたらひょっとするのかと思い、玄人はスタートと叫ぼうとするが──。

 その時、事件は起こった。

「ぶうううっ」

 とても派手な音がとどろいたのだ。

 玄人くろとは殺意を覚えた。

(あの野郎──)

(やりやがった)

(ヒロインが人前でやってはいけない事を遂にやりやがったっ!)

 まさしくフリーダム。じよううちしろという女、自由にも程がある──。その思いは全員共通らしく、さきもちろん、ゴール地点で待機しているくらあかも顔面そうはくと化している。

 だが、それこそが白奈のねらい。

「……何っ?」

 目をらせば、白奈は唇に片手の甲を押しつけていた。

 そう、ほうおんではなく──勢い良く空気をき出して類似の音を出しただけ。つまりこれはフェイク! 美少女の尊厳は断固として守られたまま──か、どうかは知らないが、白奈はれつぱくの気合いと共に走り出し、直後に美咲はハッと我に返ったのだ。

「こ、ずるい真似を……っ!

「やーい、引っ掛かったあ!」

「小学生か!」

 美しくない、こんなの全然ビューティフルじゃないぞっ、と出遅れた美咲はだいふんがいだ。気合いをみなぎらせ、大きく息を吸い込んで白奈の後を追いかける。

 が、数メートルもいかないうちに突然せ返った。

「ゴフッ!?

 げほっごほっと鼻を押さえて激しくき込むそら美咲──目に涙を浮かべて呼吸困難におちいっている。彼女に何が起こったのか? ここからでは何が起きているのかよく見えないが、

(そうか……)

 玄人は理解した。

(一発目はただのフェイクじゃなかったのか)

 音のない二発目──それを見舞う事こそが白奈の真の狙いだったのだ。さりげなくやったのだろう。美咲が今苦しんでいるのは油断していたところにそれを吸い込んだせい。──一般的に無音の時の方が臭気が強いと言われている。白奈、恐ろしい子。しりから発する攻撃である以上、相手の前に出なければ顔に見舞う事はできない。だからこそスタートダッシュの時に驚かせて先んじる事と、また、怒らせて興奮させる事で吸い込みをそくしんするという二重の効果が最初のフェイクにはあったのだ。

 人を惑わせほんろうする、まさに妖術──。

(って、おい。……何をにこんな考察をしてるんだ、俺は)

 とはいえ、勝負はついた。ビューティフルランナーは必死に追い上げたが、ぎりぎりで追いつく事ができず、何だかんだで結構足が速い白奈が先にゴールしたのだった。


「ふうーっ! いやだなボス、誤解しないでくれ。わたしは別にオナラなんかしていない」

 走り終わったしろは勝ち誇った顔でそんな風に言った。

「……しゃあしゃあとよくもそんな事を。だったらさっきのは何だったんですか」

「これこれ」

 そう言って白奈は今まさに着ようと手にしていた白衣をばさりと広げてみせた。

「な、何じゃこりゃあああっ?」

 じゆんしよくする刑事のような台詞せりふを言う玄人くろと。それくらい驚いた。白奈の白衣の内側は隠しポケットだらけで──そこには変な器具がごまんと収納されていたのだ。さいばしや計量スプーンといった調理器具あり、調味料が詰まった小袋あり、とバラエティに富んでいる。

「くふふ。コートの中に大量のメスを仕込んで持ち歩く外科医のごとく、必要な物をけいたいして有事に備える。それがじよううち流妖術のしんずいさ!」

 確かに妖しい術だった。

「成程。それが料理事件部発起人、城之内白奈の真のすごさ……って、何でですかー」

 らしくもないノリ突っ込みをする玄人。色んな意味でペースを乱されている。

「さっき使ったのはこれだよ、ボス。白奈特製におい袋!」

「匂い袋ぉ? それって確か、部屋に飾って虫よけにしたりする──」

 否、別物であろう。びやくだんちようといった天然香料を布袋に詰めて香りを楽しむのが匂い袋だが、白奈が取り出したのは銀色に輝く小型のアルミパックなのだ。自作品である。

 渡された袋の口を開け、玄人はそっと鼻に近づけた。

くせえっ? 何だこれ!」

「凄いだろう? スカンクも驚くはた迷惑なしろものさ。言うなれば、鼻つまみもの……だよ」

「うまい事言ったみたいな顔すんな! 自分で作ったんだろ!」

 先程の勝負で白奈はこれを使ったのだった。隠し持っていたこの袋をさりげなく開け、匂いをさきの走行ルートにき散らすという、まあお世辞にも正々堂々とは言いがたい。

 とはいえ、何だかんだでつつがなく事を運んだ訳だから、白奈は大したやつである。

「ん? これをどうやって作ったかって? くふふ、単純単純。古今東西の匂う物をひたすら混ぜて乾燥させたんだ。薬草系が多いね。ドクダミ、コリアンダー、大蒜にんにく、ドリアン……」

「そんな事聞いちゃいませんよ。与太話はその辺にして、さあ美咲、約束は約束だ」

「わ、わかったよ……。これ以上変な事をされたくないし、負けた言い訳するのもビューティフルじゃないからね。話すよ」

 玄人達はコンコースの階段を上ってスタンドに移動。ベンチに腰掛けた美咲を皆で囲んだ。

「だけどお願い、誰にも言わないで。《魔術師》の事は秘密にしているから」

「魔術師……?」

 何だそれは、と目を丸くする玄人くろとさきはこう語った。


 もりちようの外れに《九森ぎん》という商店街がある。地方にはよくあるネーミングだが、九森銀座もご多分にれず、東京の銀座とはかけ離れた雰囲気で、良く言えばぜいがある。

 そんな九森銀座のダーティかつ寂れた裏通りに最近謎の占い師が出没するという。すごうでにして料金無料。とにかくまれに現れ、あらゆる事をピタリと当てると評判のその人物が、通称《魔術師》だ。魔法じみた占いの力で人を幸福に導くらしい。

「最初は僕もうわさばなしとか都市伝説の類だと思ってた。でも、うちの学校でもチラホラ占ってもらった人がいて、すごく効果があったって口をそろえて言うんだよ。実際、ネットで調べてみると魔術師のおかげで開運したって人は凄くたくさんいるんだ。それでずっと気になっていた。何が何でもって訳じゃないけど、機会があれば一度試してみたい。もっと良いタイムを出せるように開運してほしい……ぐらいには思ってたんだ」

「ふうむ」

 美咲はきつねにつままれたような玄人の顔をいちべつし、コホンとせきばらいして続けた。

「あれは今月の初め、木曜の放課後の事だよ……。丁度その前日から僕、ものもらいができていてさ。眼帯をしてるとコースを曲がる時に危ないから、練習を休んで眼科に行ったんだ」

「まあ片目だと距離感がつかみにくいからな。で?」

「で、眼科に行った帰りに九森銀座に寄ってみた。そしたら何と遭遇してしまったんだ。噂の凄腕占い師、通称《魔術師》にね」

 なかなか会えないって評判だから、そういう意味では幸運だったんだけど、と浮かない顔で言う美咲。唇の端を軽くんでしようぜんとした様子である。

「占ってもらったのか?」玄人はいた。

「うん……」

 美咲は伏し目がちに答える。

 何だか知らないが、余程ひどい事を言われたらしい。仕方ねえな、と思いながら玄人はボリボリ頭をいて、

「気にすんな、美咲。占いはあくまでも占いだ。悪い事を言われたらスルーして、良い事を言われた時だけ喜んでおけばいいんだよ」

 ところが玄人のはげましに美咲はゆっくり首を横に振るのだった。

「……いや、占い自体には何も問題なかったんだ。色んな事を言われたけど、凄く良く当たっていた。素敵なアドバイスも沢山もらえたし、評判になるのも当然だと思ったよ。でも最後に何だか変な事をされたみたいで」

「変な事?」

「いや、どう言えばいいんだろう。こういう表現はおかしいかもしれないけど」

 魔法、とさきは小声で言った。──何かまじないじみた物をかけられたという。

「はああ……? 魔法ってどういうこったよ?」

「帰り際に魔術師が言ったんだ。『これからぬしに魔法をかける。日を追うごとに御主の望む物がどんどん出てくる。どんどん望む通りの自分になれる』ってね。そして彼は僕の肩にぽんと手を置いた。次第に目の前がぼんやりしてきた。夢見心地って言ったらいいのかな。すごく気分が良くなって……気づけば僕はいつの間にかその場を離れ、駅に向かって歩いていたんだ」

 その辺の記憶ははっきりしないらしい。

「マジかよ……?」

 このご時世に魔法とは。

 とはいえ、それを契機に美咲の調子は変になったのだという。

 翌日は走れど走れど速度が上がらず、そのまた翌日も同様だ。日増しに遅くなるばかりで、この二週間で美咲のタイムはがくんと落ちた。今では自身の最低記録を塗り替える日々で、来年インターハイに出るどころではなくなってしまったのだ、と彼女はしょんぼりと語る。

 玄人くろと達には速そうに見えたが、やはり素人しろうと目線だったようだ。

「何とかスランプを脱出しようと僕なりに頑張ってるんだ。でもスピードだけじゃなく、スタミナも無くなっちゃって。走ってるとすぐにバテちゃう。夜はしっかり寝てるし、食事にも気を遣ってるのに……。こんなの全然ビューティフルじゃない。こんな事って有り得ないよ!」

 魔術師に何かされたせいだ、と美咲はうめく。メンタルな問題としか考えられない、と。

「こういうのって結構デリケートな問題でさ。スポーツ選手にとって精神面のもろさは付け込まれるかつこうすきになる。個人同士が抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げる陸上競技では特にね。だからこの事は秘密にしていたんだ。お願いだよ、できれば誰にも言わないで」

「ああ、そりゃ誰にも言わねえが」

 玄人は額を押さえて思う。……何だってこんな怪しい依頼ばかりが舞い込んでくるんだ?

 しかも占い師だとか魔術師だとか、今回は料理と無関係だろう。完全に便利屋扱いか。最初にこの話を持ち込んだあかに文句を言ってやりたいが、しかし、今はそういう雰囲気ではないのだった。良い意味でも悪い意味でもここにいるのはおひとぞろいで、しろくらも赤座も懸命に美咲をはげましている。心配ないわ、ここにいるハードボイルド料理人の玄人君がきっと何とかしてくれるから、と。

(……一体俺に何を期待してるんだ)

 そもそも俺のどこがハードボイルドなんだよ、と思いながら玄人は言う。

「なあ、基本的な事をきたいんだが、お前ら解ってる? 俺はちょっと腕が立つだけの料理人なんだぞ? しい物なら作れるが、トラブルを何でも解決できるって訳じゃあ……」

「さあて! 今回は人数も多いし、二手に分かれて動く事にしようか!」

 すさまじいまでのスルーぶりをろうして白奈が立ち上がった。白衣をバサバサとなびかせて、この女ノリノリだ。空中で何かつかむような格好のまま固まっている玄人くろとの髪をひゅうっと夏風がなぶっていく。

「まずはさきちゃんの心身についてだが、これはわたしが担当しよう。じよううち家に伝わる食事療法を色々と試してみるつもりだ」

「うわあ……。ちょっと部長、またとんきような真似をするつもりじゃないでしょうね?」

「ん? とりあえず基本から攻めるつもりだけど。メンタルというのは脳内の神経ぶんぴつ物質の働きに左右されるからね。このバランスを安定させるにはトリプトファンが豊富に含まれる大豆、バナナ、牛乳、チーズなんかを多めにると良い。そうすれば精神を安定させるホルモンであるところのセロトニンが作られやすくなる」

 存外まともだ。思わず鼻白む玄人だった。

「あらまあ! それ全部、わたしの好きな物ばっかりです」あかが話に食いつく。「わたし、牛乳もビシソワーズもジョッキでがぶがぶいけますし」

「え? わたしはビシソワーズなんて一言も言ってないんだが……しかしあれも材料をかんがみれば、相当トリプトファンが豊富そうではある。よし! それじゃあ赤座ちゃん、君はわたしと同じチームだね。占い師の方はボスに任せたっ!」

 好き勝手に仕切っている白奈。めんどうくさい事をこっちに振るなよ、と抗議しようとした玄人だが、ふと気配を感じて横を見た。思わず、「……うぉう?」

 ──くらが仲間になりたそうにこちらを見ている。

「玄人君、わたし頑張るわ。何でも言いつけて」うっとりと目を細めて言う未百合。

「わたしもよ。絶対あなたの役に立つわ」血倉も気の強そうな目をキラキラさせている。

「……二人とも何でそんなにやる気まんまんなのっ?」

 未百合と血倉は互いにチラッと視線を交わしたが、結局何も言わなかった。まあ困っている美咲を助けたいという優しい気持ちの表れなんだろう、と玄人は思う。

「じゃあ決まり。ボスは助手を二人連れてもりぎんの調査に向かってくれ」

「「はーい!」」

 と、声をそろえて言う未百合と血倉。もう断れる流れではなく、玄人はけんをぐりぐりむ。こうして世にも奇妙な『魔術師事件』が幕を開けたのだ──。


      3


「知ってる知ってる! 九森銀座にしゆつぼつする占い師でしょ。何かすごく当たるんだってね!」

「あら。あなた会った事があるのかしら?」

「や、あたしはないんだけどね。友達の友達の友達が占ってもらったらしくて」

「それって……他人よね?」

 SNSの話じゃないのよ、とせきばらいして質問を続けるくらさと。いまいちろんな情報提供者は、あたしは友達の友達まで日記を公開してる、といてもいない事を教えてくれる。

 玄人くろとと血倉は競技場からバスで学園に戻り、例の占い師について聞き込みをしていた。もりぎんが方角的に正反対だったからだ。

 七月の放課後はまだまだ明るく、放課後の校舎にはかなり生徒が残っている。さきの話ではかぜもり学園にも占ってもらった人がチラホラいるという話だったから、物は試し。こういう事なら任せてちようだい、と血倉が率先して色んな生徒に訊いて回っているのだった。

 先程までの濃過ぎる面子メンツの中では目立たなかったが、血倉は実は気配り上手で、その気になると要領が良い。今のわたしはちゃんと存在感をアピールできているわ、と言いたげな充実した顔で走り回り──情報収集を終えた彼女は息をはずませ、玄人と未百合のもとへ戻ってきた。

「大体完了! 報告するわ」

 得意げに人差し指を立てて言う。

「かなりの人が魔術師について知っていたけれど、実際に占ってもらった人は少数よ。美咲さんが言っていた程じゃなかったわ」

「話に尾ひれがついた訳か」玄人は言う。

「ええ、ほとんどの人がそくぶんを自分の体験談のように語っていただけ。ありがちな話だけれどね。でも、実際に占ってもらった人も二人いたわ。彼女達の話によれば料金なんかは取らないそうよ。何が目的なのか気になるところだけれど、やっぱり腕は相当に良いらしいわ」

 どうしてそんな事がわかるのかとびっくりするくらい、その占い師は様々な事を当てるという。占ってもらった彼女達は大仰天。そして素敵なアドバイスをたくさんもらい、とてもハッピーな気持ちになった──この感想は美咲とも共通する物だから、おそらく基本的にそういう活動をしているのだろう。

 特に変な……まじないじみた真似はされなかったようだ。むしろ、恋がかなった、あこがれの彼と結ばれた、等と思わぬやくがあったらしい。

(だとすれば、美咲だけがそいつのがいった事になる)

 なんだ……?

 と、まゆひそめる玄人の前で血倉はりゆうちように語り続ける。

「魔術師が出没する場所と時間は本当にまちまちみたいね。占ってもらった二人はその手の事が相当好きらしくて、九森銀座に毎日通い詰めてようやく会えたって言っていたけれど、遭遇した場所も時間も全然違っていたから。うん、これはわたし達も気長に張り込むしかないと思うわ。ねえ、ほん君。これから九森銀座に行って軽く下見しない? そして明日からはタイムテーブルを決めて、手分けして張り込みするとか……。あの、未百合さんはどう思う?」

 何やらひどく深刻な顔をしている未百合に気づいて血倉が話を振った。若干のんびりしたところのある彼女が話についてこれていないのでは? と気遣ったのだが、

「恋がかなった……」ボソッとつぶや

「え?」

あこがれの彼と結ばれた……」ボソッ。

 話はしっかり聞いていたらしいが、予想外の勘違い美少女、づき未百合は明らかに別な事を考えていたご様子だ。小声で独りごちながらほおをほんのり赤く染めている。

「御利益……。縁結び……」

「ちょっと、未百合さん?」

「良縁……。子宝……」

(やーれやれやれやれやれ)

 玄人くろとは思わずジト目になる。未百合は黒目がちの瞳をうるませ、すっかり自分の世界にひたっていた。長い黒髪に指を絡めた夢見心地の大和やまと撫子なでしこ。占い師に何の御利益を期待しているのか、ぽうっとしながら気の早い言葉をつむぎ続ける。

「一人っ子だと寂しいものね。ウン……やっぱり安産祈願よ。わたし、赤ちゃんはいっぱい産みたい……」

「ちょっと未百合さん! 家族計画立てないでぇ!」くらが泣き笑いのような顔で言う。

 未百合は大家族に憧れがあるのだ──

 が、それは今の状況とは全く関係ない。玄人は冷や汗をぬぐって言った。

「……とりあえずもりぎんに行ってみるか。急げば明るいうちに着くだろ」


    ◆ ◇ ◆


 現場に着いたらまずは周辺の見回り。どこにどんな施設があるかあくして面倒事に備える。拠点を決めよう。長時間いても平気なきつてんが良い。張り込みは二人一組で行う事にして、残った一人はタイムテーブルに従い、そこできゆうけいを取る──。

 と、道すがら立てていた血倉のプランはしよぱなから不要の物となった。

「ねえ、魔術師ってあの人じゃない?」

「おそらく、もしかしたら……」

「いや、どう見てもあいつだろ」

 と、玄人は突っ込む。

 いきなり出くわしてしまったのだ──世にも怪しいふうさいの人物に。

 九森銀座は駅から徒歩五分、昭和の雰囲気を色濃く残す、閑散とした飲食店街だった。

 すでに辺りは薄暗く、立ち並ぶ建物の壁も負けず劣らず黒くすすけている。定食屋、居酒屋、ホルモン焼き店、脈絡なく並んでいる床屋の看板がどこかシュールだ。いわゆる隠れ家的な感じの店が多いが、デートで訪れるのはやめておけ──と、助言したくなるような所である。

「ふん、案外こういう場所にい店があったりするんだよ」

 と、ポケットに手を突っ込んで無造作に進んでいく玄人くろとの後ろをくらがキョロキョロしながらついていき、角を曲がると閉鎖された何かの店舗があった。そのシャッター前に怪人物がいたのだった。

(……さて、どうしたもんか)

 そいつは黒いフードを深々とかぶっていて顔は見えず、長いひげを垂らしている。路上に小さなテーブルを出し、その上に水晶玉を置いて、猫背気味にに座っていた。そばに置かれた立て看板に占いをするむねが書かれているから、彼がうわさの魔術師らしいが、少々……いや、かなり近づきがたい濃厚な怪しさなのだ。

「これこれ、そこの人達」

「「「しやべった!」」」

 不意に怪人物が玄人達三人を手招きした。

「わしの事を捜していたのじゃろう? わざわざご苦労じゃった。何もとって食ったりはせんから、えんりよしないで来るがよい。何でも占ってしんぜよう」

 玄人達は顔を見合わせる。……さんくさすぎるだろう。血倉はけいかいするようにまゆを寄せ、未百合は、どうして捜していた事が解ったのかしら、と不思議そうに首をかしげている。

(しかし、何か違和感があるな)

 玄人は思う。──声にどことなく変な感じが。何だろう? しわがれた老人風ではあるのだが、反響の仕方がおかしいというか。

「さあさあ、いいからこっちに来なされ。黒髪の可愛かわいらしいお嬢さんよ」

「え、わたしっ?」未百合がビクッと肩を持ち上げ、「あ、あのっ……。あなたが魔術師さんなんですか?」

「いかにも。わしが悩める人々を救いに導く幸福の魔術師じゃ。ぬし、何か強く望んでいる事があるじゃろう? わしが未来を見てやっても良いぞ。幸せというのは求める人のところにやってくるが、逆に言うと求めなければ幸せはやってこないのじゃ。さあ、おいで」

 ふぉふぉふぉふぉ!

 未百合は花に向かうちようのようにふらふらと魔術師に近づいていき、テーブルをはさんで椅子に座る。幸せという言葉に弱い女の子なのだ。しょうがねえなと思いつつ、玄人と血倉も彼女の後ろに控え──そして占いが始まった。


「あの、お手柔らかに……。よろしくお願いします」未百合は髪を押さえて頭を下げた。

 うむ、と重々しく魔術師はうなずくと、テーブル中央に置いていた水晶玉をわきに寄せ、かぶりつくように身を乗り出した。あれ、水晶玉は使わないんですか、と質問する未百合に、

「ふぉふぉふぉ。人の運命を見抜くのに道具は必要ない。人間を見抜くのは人間じゃ」

 身もふたもない事を言う。──水晶玉は客寄せ用の小道具だったらしい。

「それではお嬢さん、名前と生年月日と血液型を教えてくれ」

 若干おどおどしながらが問いに答えた。魔術師は得心げにうなずく。

「ふむふむ、という事はじゃな。山羊座は土星に支配されておる。成程成程。大体の事はわかったぞよ!」

「あの……。エエッ?」

 もう解ったんですか、と戸惑いがちに言う未百合。魔術師は事も無げに言う。

「御主は素直で正直で、おしとやかに見えるが、意外に冒険心があるのう。かよわく見られがちだが、本当は我慢強い。じっくり時間をかけて物事に取り組むと成果を出せるタイプじゃ」

「……」

 未百合は不安そうに小さくのどを鳴らして魔術師を見た。この人はただものではないと思っているのだろう。とはいえ、それは玄人くろとも同様だ。前方の怪人物をにらむように見て思う。

(こいつ……)

(口でしやべってねえ)

 玄人だけが気づいた。魔術師の顔はフードですっぽり隠れ、長い髭が見えているだけなのだが、そのひげが全く振動していない。先程の違和感の正体がそれで解る。

(魔術師ってのはよく言ったもんだ。こいつは只の怪しいやつじゃねえ。少なくとも腹話術師のスキルがある)

 ──気をつけろよ、未百合。

 後ろでけいかいしんを強めた玄人の気配が伝わったのか、未百合の細い肩が持ち上がった──ついふらふらと誘いに乗ってしまったが、どうしよう。かつに何でも教えたら危険かもしれないし、個人情報の開示には注意しないと、という未百合の心の声が聞こえてくるようだ。

 ところが。

「ふぉふぉ! そんなに一生懸命身を堅くして。御主はしっかり者じゃのう!」

「ハイッ? ……わ、わたしが?」

 予想外。出し抜けに魔術師が意外なところを持ち上げてきたのだ。

「只の占いにそこまでおおぎように緊張するとは……大したもんじゃのう! そのぴりぴりした警戒ぶりは御主の根がしっかり者である事の何よりの証明じゃ。いやはやえらい。実に立派じゃ!」

 派手な賞賛の言葉に未百合が瞳を大きくしている。──それはそうだろう。彼女は普段からおっとりしている、のんびりしている、ほんわかしている、トロトロしている、と評される事はあってもその逆はあまり無いからだ。

 未百合はくすりと微笑ほほえんだ。持ち上がっていた肩がスッと下がる。

「あの……それも占いですか、魔術師さん? だとしたら今度のはちょっぴり外れてるかも。ン、確かにわたし、自分ではしっかり者のつもりよ。今だって警戒心を高めまくっているわ。よく友達からすきだらけって言われるけど、全然そんな事は無いと思ってるの」

「うむうむ、皆は御主の事を十全に理解できていないようじゃ。だがそれはに過ぎん。肝心なのは御主が自分をどう思っているかという事じゃよ。安心せい。御主のぴりっとしたけいかいぶりは実にあっぱれな物じゃ!」

 すると未百合は満更でもなさそうにモジモジと体を動かすのだった。──照れている。

「さて、余談はこの辺にしておこうか。そろそろ御主が今最も望んでいる事について教えてしんぜよう」

「あ、はい。そうですね。わたしが今一番気になっている事は、その……」

 未百合は声を小さくしてうつむくと顔を赤らめた。魔術師の顔がいつしゆんチラッと玄人くろとに向けられる。何だろう? 魔術師はすぐに元の体勢に戻ってこう言った。

「実は言われなくても解っておる。恋愛関係じゃろう。恋の悩み。そうではないか?」

「ど、どうしてそんな事まで解っちゃうのっ?」未百合は背筋を伸ばした。「魔術師さんって本当にすごいわ! 確かにわたし、子供の頃からずっと想ってる人がいるんです!」

「子供の頃からの想い人な訳じゃな。ふむふむ、それはつまり──」

 不意に魔術師は口をつぐんだ。

 一方の未百合はキョトン。目をまたたき、しばらく胸に手を当てて考え込むようにしていたが、

「それはつまり、子供の頃からの片想いって事になるんですけど」

 と、モジモジきやしやな体をくねらせて言った。

「ふむふむ、一途な恋心を伝えられていない訳じゃな。だから──」

 と、またしても口を閉ざす魔術師。未百合は先程と同じように少し考え、

「だから、いつか告白した方がいいと思ってるんですけど」

「ふむふむ、告白には及べていない訳じゃな。かというと──」

「何故かというと……えっと、不安だから。あっさり断られるんじゃないかと思うと、なかなか踏ん切りがつかなくて」

「ふむふむ、その理由はというと──」

「だって、彼って凄いんです! タフで優しくてユーモアのセンスがあって、何でもできちゃうハードボイルドな人なんだもの。日本中の女の子が彼の事をねらってる……。あの人を我が物にしようと女の子達はいつも気が変になるくらいウズウズしながら色んな事を考えまくっているんですっ」

 そんな凄過ぎる彼にわたしは釣り合っていないような気がして──といき混じりに言う未百合の後ろでは玄人が腕組みしてその話を聞いていた。

(おいおいおい、あいつ、ちょっと思い込みが激し過ぎるだろ)

(しかしマジかよ? 未百合のやつ、好きなヤツがいるのか? そんなに凄い男なのか)

(まあ俺には関係ねえが)

(いや、本当はちょっとだけ気になるが。……ふん、これは単なる興味ってやつだ。おさなじみが変な男に引っ掛かって泣きわめく羽目になったら寝覚めが悪い)

 ぶつちようづらでそんな事を考えている。

(だが話をよく聞くとあれだな。タフで優しくてハードボイルドな男……? そんなやつが現実にいる訳ねえ。本好きのの事だから、おそらく小説に出てくる登場人物にでも恋しちまっているんだろう)

 多分フィリップなんちゃらって奴だな、と結論づけて一人うんうんとうなず玄人くろと。我が道を行くタイプだから仕方ない。

 一方、未百合はとつとつと語り続けている。

「で、でも……そうですね。今思い出したわ。わたしにも一つ取り柄がある。彼がそれを教えてくれたんです。だから、これだけはすごぎる彼にもばっちりり合っちゃうと思います」

「ふむふむ、それはずばり──」

「む……胸っ!」

 き出すように答える未百合。ああっ、言っちゃったあ! とずかしそうに両手で顔をおおっても発した言葉は戻せない。そんな愉快な様を見ながら、ふぉふぉふぉ、と魔術師は笑い、

「心配無用。御主の想い人はまさにそれを欲しているからこそ告げたのじゃ。その男はずいぶんと支配的な肉食系のようだから、御主の巨乳が大好物じゃよ。二人の相性は最高じゃ!」

「えええっ?」未百合がビクンと体を縦に揺らし、キャーッと黄色い声をあげる。

「必ずやうまくいく。御主は自分のおっぱいに自信を持つと良い。否、むしろすきを見て押しつけてしまえ!」

「そんな……大胆!」

「必ずや相手はクラクラになるじゃろう!」

 ひょっとしたらその勢いで彼を一気にモノにできるかもしれんぞ……? と未百合のハートをゾクゾクさせるような台詞せりふを連発する魔術師。完全にこの場をしようあくしている。一方の未百合は、いけない、いけないわっ……と独りごちつつ喜びに舞い上がってしまっていた。

「も、もう! 未百合さんばっかりずるいわ!」

「……押しつけて、クラクラに……」

 と、夢見心地の未百合が席を立った後、そこにすべり込んだのはくらさとだった。

「今度はわたしがっ!」

 首にかけたヘッドホンをくるんと回して気合い充分。血倉は両のこぶしを丸めて机の上に置くと、挑戦的に切れ長の目を細めて眼前の魔術師を見た。

かぜもり学園一年、血倉知里! 十月二十四日生まれのさそり。AB型よ」

 自分からそう名乗った。

「言っておくけれど、わたしはさんみたいに素直じゃないわよ? これでもガードは堅い方なの。あなたがいくら不思議な方法で心の中をのぞこうとしても多分無理。フフン、それでもわたしの望みを占う事ができるなら、やってみるが良いわ、魔術師さん!」

 ……お前は占ってほしいのかそうでないのか、どっちなんだ、と玄人くろとは思う。

 けんせいし合うくらと魔術師の間では見えない火花がこうさくし、あまこうもりと魔術火球が激突するヴァンパイアVSウィザード的な幻想が展開されていた。

 二人はしばらく無言でたいしていたが、

「ふぉふぉふぉふぉ」

 張り詰めた空気をまぎらわすように笑ったのは魔術師だった。

「まあまあ、そんなに突っかかるでない。御主の事も大体もう解っておるのじゃ」

「……何ですって?」

 瞬発力がある女、血倉さとめられたと思ったのか、から腰を浮かさんばかりに食ってかかろうとする。貴族的な顔立ちの人だから怒るとそれなりに迫力があり──

 ところが出し抜けに魔術師が意外な台詞せりふを放つのだった。

「御主、ツンデレじゃろう?」

「……」

「知っておるか? ツンデレは男子に大変な人気があるらしいぞ?」

 ──いわく言いがたい沈黙が立ちこめた。

 やがて血倉はそっぽを向くと、はなはだ心外だという口調でぷりぷり言う。

「べ、別にツンデレなんかじゃないわっ。わたしは単に好きになった人に一途に尽くすタイプなだけよ。他の男子にびを売ったりしないだけで、全然ツンツンなんかしていないわ」

「ほほう」

 ……いや、よく解らないがそれをツンデレって言うんじゃねえのか、と玄人は内心で突っ込みながら事態の推移を見守る。今の発言は血倉を多少揺さぶっただけのようで、彼女は再び澄ました顔になり、逆襲に移ったのだ。

「ていうか、いい加減な事を言っているとただじゃおかないわよ、魔術師さん。あなたの力はその程度のものなの? だとしたら、とんだ見込み違いね。さんみたいに純粋な人の心しか読めないようじゃ、この先到底やっていけないんじゃないかしら?」

 と、冷ややかに挑発する。今さっき動揺させられたお返しだとでも言うように、とがったあごを反らして魔術師を見た。

 だが、またしても魔術師から意外な発言が飛び出した。

「御主はトマトを育てているじゃろう」

 血倉はこおりついた。

「なっ……。どうしてその事を──」

「ふむふむ、外国産の有名なトマトじゃな。御主はそれを使った料理で人をもてなし、一躍クラスの人気者になったのじゃ。作った料理はトマトスパゲティー。そうではないか?」

 信じられないというぼうぜんとした顔でくらは首を振った。

「その料理をクラスメイトに振る舞う機会を作ってくれた者がいて、その人物に御主は大変な恩義を感じておる。だから、ひたすら尽くそうと心に誓った訳じゃ。ああ、泣かせるのう。けなな女の子じゃのう」

「こ、この人……っ。ホンモノだわ」

 その後も魔術師は見てきたような事を語り続け──しかもそれが全て的中。今や血倉はすっかり抵抗する気を無くし、られたように従順にうなずくばかりになってしまった。

「御主が望んでいる事もまた黒髪のお嬢さん同様、恋の占いじゃな。よいよい。乙女の恋する気持ちは万事に優先する尊い気持ちじゃから、決して遠慮したりちゆうちよしてはいかんぞ」

「そ、そうなんですか?」血倉はいつの間にか敬語になっている。

「ふぉふぉふぉ! 衝動に従った行動をする事で初めて人は己の気持ちを理解する。自分を知りたければまず行動せよという事じゃ。御主の場合は……ふむふむ、そうじゃな。そのすらりとした脚をかすのが吉じゃろう。美脚、それはいにしえより伝わる男殺しの魔術」

「美脚!?」血倉が前のめりになる。「男殺し!?

「高く上げたり、これ見よがしに組み替えたりして、想い人を誘惑するが良い。必ずやうまくいく。ニーソックスの柄にるのもまた良し」

「わ、わたしっ……がんりますっ!」

 がたんと立ち上がって言う血倉。わたしにも望みがあるのね、うれしいっ、と連呼しながら普段の彼女とは別人のようにはしゃいでいる。舞い上がるあまり、近くをふらふら彷徨さまよっているの手を取り、二人でぴょんとジャンプ。未百合は解っているのかいないのか、とにかくキャーキャー言いながら二人は喜びをあらわにしているのだった。

(……この占い師。やたらとほうらつな助言をしてる気がするのは俺だけかあ?)

 ボリボリ頭を玄人くろと。色々と突っ込みを入れたい展開だったが、あまりに彼女達が引き込まれ、夢中になっていたので我慢していたのだ。

(大体二人とも忘れてるんじゃねえのか? こいつはさきに何かみような事をした。俺達はその調査に来たんだって事をよ)

 油断したタイミングで何かされないとも限らない──この魔術師は心理操作のスキルにけた、ある意味危険な人物なのだ。

 とはいえ、上機嫌な二人は玄人の内心も知らずに大はしゃぎだ。

ほん君、この人は魔法使いよね!」と血倉。

「ウン、やっぱり本当の魔術師なのよっ!」と未百合。

「ったく、何が本物の魔術師だ。未百合も血倉もいい加減に目を覚ませ。そんなに簡単にだまされてるといつか悪質なのに引っ掛かるぞ。こいつがやった事には全て理屈がある。魔法でも何でもねえ。単なるトリックだ」

 目を丸くした二人がピタリと動きを止める。──トリックってどういう事?

「要するに話術だ。コールドリーディングと言う。仕草や表情を観察しながら、その場その場で臨機応変に対応して相手の情報を得る。それをさも最初から知っているように見せかけるんだよ」

 それによって自分の言葉を信じ込ませやすくする。占い師の十八番だ、と玄人くろとは言う。

「だよなあ、ニセの魔法使いさん」

「……はてはて、何を言っておるのかわからんのう」

 あくまでもとぼけるつもりらしい。なら種明かしをしてやるか、と玄人は言う。

「複数の技術を組み合わせて実行するのがコールドリーディングのポイントでな。まず最初にこいつはから生年月日と血液型をいて性格を当てた訳だが……」

 ──御主は素直で正直で、おしとやかに見えるが、意外に冒険心がある。かよわく見られがちだが、本当は我慢強い──。

「これは別に星占いキラキラの世界じゃねえ。やつは未百合の姿を観察していたのさ。仕草や姿勢も含めてだ。トロトロしてるのはいちもくりようぜんだし、ようぼうも淑やか。だからその客観的な見え方とは逆の事を絡めて言う。そうすると、さも内面を見抜かれたように感じるんだよ。例えば──荒っぽい外見の奴に対してなら、その事を指摘すると同時に、『でも実はせんさいなところもある』とか言えばいい。要するに反対の事をくっつけて言う訳だ」

 誰にでも当てはまる内容をもつともらしく言う事をバーナム効果っていうんだが、それの一種だ、と玄人はポケットに手を突っ込んで言う。

「人間の性格は固定されたもんじゃねえ。その日の体調や気分で変わるし、人間関係やら環境によっても変わる。全ての人の中に全ての性格が内包されてんだよ。逆に他人から自分の性格の思わぬ一面を指摘されて初めて気づく──自分をそんな性格だと思い込んだり……性格ってのは案外そういうあいまいなもんなのさ」

 と、玄人は言う。

「その後、性格を当てられてけいかいした未百合の緊張を解いたのも同様の話術スキルだ。途中で突然しっかり者だとか、いい警戒ぶりだとか、妙に持ち上げた事があっただろ? あれは気の抜けた台詞せりふで空気を和ませただけじゃねえ。警戒心をむしばんだのさ」

「蝕んだ?」未百合が目を見開く。

「人の行動する動機……要するにモチベーションには、自発的な物と外的要因による物の二種類があるんだが、自発的にそれをしている時に外部からほうしゆうを与えられるとモチベーションは下がるんだよ。自発的な動機が報酬目的の外的な物にすり替わっちまうからだ。アンダーマイニング効果という。日本語だと蝕むって意味で、未百合がされたのもこれの応用だ。だって敵がこんな風にめてくるんだぜ……『たかがこれしきのさいな事におおになって、御主は実に大したもんじゃのう!』ってな。これがシリアスな対決物語なら展開が台無しだ。動機がスポイルされちまう」

 まだあるぞ、と玄人くろとは言う。

「好きな相手の話を聞く時にやっていたのはツァイガルニク効果──一言で言うと中断されたら気になるって事だ。TV番組が良いシーンでCMに入るアレみたいなもんだが、それを応用し、相手の話に無理矢理ヒキを作る。『つまり』とか『すなわち』とか『要するに』なんて言葉を相手が話し終わった後に付け加えて、中断された話みたいにしちまうのさ。すると人は続きをしやべりたくなる。付け加える言葉の種類によって、引き出す話の内容をコントロールできる」

 玄人は思い出す。確かこんなやりとりだった。

 ──それはつまり、子供の頃からの片想いって事になるんですけど。

 ──ふむふむ、一途な恋心を伝えられていない訳じゃな。だから──。

 ──だから、いつか告白した方がいい、と想ってるんですけど。

 ──ふむふむ、告白には及べていない訳じゃな。かというと──。

「とまあ、そんな風にだな。さっきのは全部有名な心理スキルを使ってやった事だ。ただのコールドリーディングだったんだよ」

 久々に長く喋った、と玄人は思った。魔術師はちんもくしたままで、フードの奥の表情はうかがい知れない。とはいえ、口元に手をやったりしているから不安を感じてはいるようだ。玄人の事をこいつは何者なのかと思っているに違いなく。

 一方、くらは夢から覚めたようなぼうぜんたる表情で立ちくしていた。が、

「も、もぉっ……何よぉ!」

 意外にもとつじよ二人ははじかれたようにもうぜんと玄人めがけてけてくるのだった。

「お、おい? 何だよ」

「「プンプン!」」

 未百合と血倉はぷりっと唇をとがらせ、共に玄人の体にしがみつくかのごとく取り付くと、

「ひどいわ、ほん君ったら!」

「そうよ、玄人君の意地悪っ!」

 丸めたこぶしの付け根の部分で、ポコポコと左右交互に玄人の胸をたたきまくる。

 ポコポコポコポコポコポコポコポコ。

「な、なあおいっ、何をそんなに怒ってんだよ? せっかく俺が……」

「ふんだっ、知らない知らないっ」

 ぷりぷりしながら玄人太鼓を叩き続ける未百合と血倉。よく解らないやつらだな、と玄人が汗をかいていると、不意に未百合がはっと危険な感じに黒目がちの瞳を輝かせた。

「そ、そうだわ……。物は試しよ。この機会に──エイッ!」

 ぎょっとする玄人。心臓がドクンと強く打つ。──未百合が彼の背中に手を回し、突然抱きついてきたからだ。お、お前一体……? とうめ玄人くろとの言葉に耳を貸さず、は真っ赤な顔でずかしそうに柔らかな体を押しつけてくる。ふくよかな胸のふくらみを思い切りつぶし、玄人の横腹の辺りに当てていた。

「ち、ちょっと! 未百合さんっ?」

「あぁ。今わたし、大胆っ。……まいがしそう……」

 クラクラしちゃう、とすっかり悦に入っている未百合だが、たわわに実った柔らかな果実を押しつけられた玄人も大混乱だ。この感触──。

(何だ何だ何だ? このけしからんパッションフルーツは……って、そうじゃねえだろ。落ち着け俺!)

 この状況で落ち着くのも無理な話だが、しかし更に度肝を抜かれる。

 玄人が未百合を引きがすようくらに頼もうとしたしゆんかん、彼女が何か見せつけるように片足をスッと持ち上げたからだ──危険の予感。血倉はクールにこう言ってのける。

「美脚は男殺しの魔術……」

「何て!?

 いますごい事言わなかったっ? と取り乱す玄人の眼前で血倉は曲げたり伸ばしたり、つまさきをピンと伸ばしたりして美脚を見せ付け始めた。恥じらいながらも大胆にわくの血倉ショー、まさに悩殺ものである。やがて血倉は玄人の両足の間に美脚をスッと差し込んできて──。

 ていうか、どうしちまったんだ血倉さん、と玄人はがくぜんとして思う。いつから魔性の女になったのだ。未百合も含めてこいつらは本当にどうなってしまったのか。

「俺が……何をした……」

 鬼のような顔で泣く玄人。意外とおもしろい人だ。うっとりした顔の未百合と血倉にまとわり付かれて、しばらく彼は途方に暮れていた。が、

「げほん! ごほん! うぉぉぉぉぉっほんっ!」

 魔術師のわざとらしいせきばらいでようやく全員我に返った。

「ハッ! わ、わたし達は一体?」

「何だか魔法にかかっていたみたいだわ」

「……いや、だから違うって言ってるだろ」

 未百合と血倉は玄人の体から飛び退くと目を泳がせながら、髪をせわしなくき上げたりヘッドホンを無意味にいじくったりと、見え透いた照れ隠しをするのだった。

「コホン……。それはそうとほん君」

 やがて落ち着いた血倉がまともな顔に戻って言う。

「さっきのトリックの解明、凄かったわ。本当にしびれちゃった。料理人って何でも知っているのね」

「いつも言ってると思うんだが、何でもは知らねえよ。料理の事だけ」

「え? でもさっきのは料理とはまるで関係ない気がしたけれど。あ! もしかしてほん君がたまに言う……何だっけ、ええっと……そうそう、料理心理学っていうやつかしら?」

「あー……。まあそれの応用だな」

「実はいつも気になっていたのよ。料理心理学っていうのは一体何?」

「そりゃ読んで字の通りだ。料理と人の心理の関係を探るんだよ」

 基本、玄人くろとの料理術もそれを取り入れた物である。

「この世のあらゆる物に人の意識が関わる。逆に言うと、人の心で認識できない物は人の世界に存在しない。……という風に、俺の恩師がその昔教えてくれたのさ。色んな種類があるらしい。最近じゃスポーツ心理学とか交通心理学、災害心理学なんてのもあるんだとか」

「恩師?」血倉が目をぱっと丸くする。「本間君に先生がいるわけ?」

「あ、いや」

 しまったという風に玄人は口をつぐむ。

(あの人は)

(今NYにいる……)

(大学の官能分析センターで味覚かんていにんをしてるって話だったが)

 否、思い出にひたっている場合ではない。玄人は首を横に振って回想を中断した。

「何にせよ、そういうのは使用者のモラルが問われるんだよ。人をこっそり操る為に使うのはどう考えてもきようだろ。素人しろうとをコールドリーディングで気づかれないように操作しようなんて、おこがましいとは思わないのか、占い師さんよ」

 玄人の言葉に魔術師のフードが揺れた。あごを引いたのはけいかいしんの表れである。

「御主は相当な自信家タイプじゃな……」

 魔術師が玄人に語り始めた。

「だが、本来の御主は非常に繊細な感性の持ち主で、ナイーブじゃ。過去に何かしようげきてきな事が起こったのじゃろう。御主が今のような態度を身につけたのはそのせい──」

「やめろって言ってんだろ」玄人は言下に遮った。「自信も繊細さもナイーブな一面も誰にだってある。過去に何も無いヤツはいない。人をあなどるのもたいがいにしておけ。その気になれば俺だって、お前の真似事はできるんだ」

「ほほう?」魔術師の声色がわずかに高くなった。「ならば、やってみるが良い」

「やれって言うならやってやるが……」

(どうしたものか)

 玄人はポケットに手を突っ込んで目を閉じた。緊張感のある沈黙がうすやみの街をスパークリングウォーターのようにぱちぱちと満たす。やがて玄人は静かに首を横に振り──

「いや、やめた。俺が手を下す必要はないらしい。どのみちお前はおしまいだ」

「何じゃと?」

 お前なんかに関わるのはこつちようって事だよ、と玄人くろとは不敵に言う。

「どういう意味じゃ?」

「推理してわかった。実は俺達がここに来る前、学校でやばい事件があってな。さんげきといってもいいしろものだったが……ここに来て得心した。詰まるところ、あれはお前が原因だったんだ」

 話のとうとつぶりにその場の皆が動きを止めていた。学校ってどういう事? とはぽかんとした顔。くらは、あれの事なの? と短く言う。

「……何の話じゃ? 学校で事件だと?」

「こんな所にいたせいで知らなかったか? だったらニュースを見ろ。全てはお前の責任だ。明日の学校でお前は調べられる。調べればすぐに解る。俺にだって解るくらいだ。そもそもこの事を公表すれば、お前の未来は終わりだ」

「……だから一体何の事なのじゃ?」魔術師の声のトーンがみようにぶれる。

「大抵の犯罪ってのは人間関係から足がつく」

 玄人はばやに言う。

「惨事の原因は占いだった」

「御主、一体何を……」

「悲鳴は校庭まで聞こえた」

「だから何を……」

「可哀想にな」

「何を」

「あの傷は一生残る」

「何?」

「お前はかぜもり学園の生徒だろ! 何やってんだ!」

 いきなり玄人がものすごい大声を出し、魔術師はビクッとけ反った。バランスを崩してごと倒れる。暗さとフードのせいで顔は見えないが、へたりこんだ体は微弱に震えていた。

「な、それを……?」

 と、うめいた直後に魔術師は失言に気づいたらしい。舌打ちすると何かを投げつけてきた。

「おっと?」

 玄人はそれを受け止めた。何だこりゃ、付けひげじゃねえか──と、気づいた時には魔術師は仰天するような速さでその場を走り出していた。

「おい、待てよっ」

 魔術師は狭い建物の間に素早く入り込む。昆虫じみたびんしようさだ。あわてて追いかけた玄人達がそこをのぞいた時には煙のように姿を消していた。

(クソッ、挑発に乗ってやり過ぎちまった……)

 玄人は苦い顔で頭をガリガリく。確かにおどかすつもりではあったが、こんな結果になるとは思わなかった。骨折り損のくたびれもうけとはこの事だ。

 かくして目的のさきの話は何も聞けずに、玄人くろと達はもりぎんを後にするのだった。


      4


 その翌日のかぜもり学園。──今は放課後である。

「やれやれ、じゃあ部長の方も大した成果はなかったんですね」

「うむ!」

 玄人の言葉にじよううちしろがビシッと親指を立てる。

「……めちゃいませんよ」

「まあまあ、いいじゃないですか。怒るとじわが増えますよ、玄人さん」

 隣を歩くあかなだめるように言う。にこにこして、今日は何だかごげんだ。

「ごめんよ。僕のために……。今日は練習を休んでキミ達に付き合うから」

 隣でそら美咲が申し訳なさそうに胸元をいじっている──あの日は陸上ユニフォームだったから気づかなかったが、この人は制服のポケットにを飾っているのだ。でも造花である。

 放課後の廊下を玄人達は部活棟に向かっていた。

 玄人、白奈、くら、赤座伊衣子、空野美咲という、見た目は良いがキャラがみように濃い六名──一歩間違えばちん集団だが、風乃森学園には個性的な生徒が多いから問題ない。

 そんな事件の関係者全員ががんくびそろえて何をしているかというと、今から『占い研究会』の部室に乗り込むところなのだ。なら、魔術師の手がかりがそこでつかめる──

(──かどうかは知らねえが、うちの学園にいるって事はけんしたからな)

 玄人は思い出す。

 昨日の九森銀座での一件。それは後に料理人と魔術師の精神戦──吸血鬼のかたきを料理人が討った的な見出し付きで料理事件部の事件簿に記録されるのだが──もちろんそれを入力したのは日夜タイピングの練習にはげんでいた血倉さとだ。

 さておき、あの出来事の後、未百合と血倉は声を揃えて玄人にいたものである。

「「すごい! 今のは一体何をやったのっ?」」

 それに玄人が答えていわく、

「でかい声でおどかしただけだよ」

 過不足なく説明したつもりだったが、未百合と血倉はキラキラした目を玄人に向けてらさない。それだけじゃないんでしょ? といかにも言いたげだ。渋々続きを語る。

「要は怖がらせたんだよ。と言っても想像させただけだが。もつともらしい事をほのめかしただけで実体がある事は何一つ言ってねえ。あいつは自分が恐れているものを勝手に想像して勝手におびえたんだ。効果が劇的だったのは、それだけヤツの中にやましい事があった証拠だろ。一の不安に二を掛けても二の不安にしかならねえが、五の不安に二を掛ければ十の恐怖になる」

 もちろん、事前に魔法のネタ暴き──コールドリーディングのトリックを玄人くろとが解明してみせていたから、言葉を深読みさせる事ができた。そして多大な効果があったのだ。

(あの驚きようをかんがみると、結構やばい事をしてるのかもしれねえな)

 鼻先を指で引っき、玄人は続けた。

「こいつは自分の知らない何かを知ってるんじゃないか? そんな不安を少しずつ高めるようにもっていき、不意打ち気味に相手が隠している事実を突然告げる。見抜いていたのに今まであえて言わなかった事も加味されて、奴はすっかりびびっちまったのさ」

かぜもり学園の生徒だったっていう、例のあれね」くらがこくんとうなずいて、「確かにあれは聞いているわたし達も衝撃だったわ。魔術師はもっとびっくりしたでしょう。ほん君の指摘が当たっていたからこそ、あそこまでろうばいした訳で」

すごい逃げ足だったから、とかしてなければいいんだけど……」

 おひとしのが心配そうに少しずれた事を言う。優しい性格なのだ。

「でも玄人君、どうして正体が風乃森学園の生徒だって解ったの?」未百合がいた。

「自分で言ってたからな」

「え……? どういう事?」

「あいつはコールドリーディングだけじゃなく、ホットリーディングも使ってただろ」

 目をしばたたく美少女二名。続きを説明しなくては済まされない流れだ。

「コールドリーディングってのは説明した通り『話術』だ。その場の状況に合わせて相手の情報を読み取る。ホットリーディングってのは『知識』だ。事前に相手の事を調べておき、あたかも今読み取ったかのようにしやべる。血倉が言われてたやつだよ。トマトを育ててるとか、料理を作ってクラスの人気者になったとかよ」

 ──外国産の有名なトマトじゃな。御主はそれを使った料理で人をもてなし、一躍クラスの人気者になったのじゃ。作った料理はトマトスパゲティー……

流石さすがにコールドリーディングだけじゃ、そこまでは解らねえだろ」料理人でもない限り。

「エ? だったら」未百合が口元を押さえ、「血倉さんは調べられていたって事?」

「いや……」玄人が言いかけると、

「そうじゃないわ、未百合さん。もともと学園の生徒だから知っていたというだけでしょう。それについてはホラ、何というか……微妙に有名な話だったじゃない?」

 以前自分がしでかした吸血鬼事件の話を若干ずかしげに言う血倉さと。自分で言えるようになったらもう過去の話だ、と玄人は素早くフォローを入れて、

「策士策におぼれるとはよく言ったもんだが、要はそれが決定打だな。学園の関係者だと解った時点で色んな事が判明する。出没の頻度や時間帯を鑑みれば教師の可能性は低いだろうし、生徒だとすればその行動から動機が透けて見えてくる」

 占いがしたいなら学校でやればいい。かぜもり学園には占い研究会があり、あれ程のスキルを持ちながらそこでそれをしないのは理由があるからだ。怪しい服や付けひげで変装し、腹式発声法でボイスを大幅に変えてまで……。

 動機から人物像を割り出すのは料理プロファイリングの基本である。学園生活における大半の問題は人間関係によるものだから、部活でトラブルを起こしている可能性は大だろう。

 という訳で、玄人くろと達は『占い研究会』の部室に向かっているのだった。


「着いたぞ、ここだ」

「すみません、おじやしますっ」

 がドアをノックする。どうぞー、という声が中から聞こえ、玄人がドアを開けると異様な光景が目に飛び込んできた。


    ◆ ◇ ◆


「ようこそ、占い研究会へ!」

「「あひゃあ!」」

 玄人の横にいた未百合とくらが身も世もない悲鳴をあげた。出迎えた男子があまりにちんみような格好をしていたからだ。頭に派手な羽根飾り──ウォーボネットというらしい──を装着して手に長いやりを持っている。どこぞの民族の部族長のようだ。

「おいおいおいおい、何だか知らねえが……」

「そうだね、ボス。多分こいつが犯人だ! 取っ捕まえてめ上げよう!」

 しろが白衣をひるがえしてマシラのごとく飛びかかる。

「な、何だいきなりっ? ばんな真似はやめてくれ! ぼくは君達お客様を歓迎するためにわざわざこんな格好をして待っていたんだぞ。喜ばれこそすれ、乱暴される理由は無いっ!」

「や、TPOってもんを考えようか」

 玄人は突っ込みを入れ、やんちゃな攻撃を仕掛けまくっている白奈を制止した。

 ウォーボネットのボリュームのせいで大きく見えるが、本体は意外に小柄で、どう考えてもスーパーモデル顔負けの体型をした白奈の方が強いのだ。

 何とも言えない沈黙をてウォーボネットの男子は気を取り直し、

「コホン……。ま、とりあえず中へどうぞ」

 と、女の子達を部室内に案内する。気配り屋の血倉が事前に見学したいむねを彼に伝えておいた為、サプライズ目的で素敵なふんそうをしてくれていたらしい。ご苦労様な人である。

「ぼくは一年のしん宿じゆくたか。原始宗教における呪術やシャーマニズムに興味がある。最近はホピ族の予言を研究中で、彼らによればぼくらの文明は物質的な欲望を求め過ぎており、このままでは危ないそうだよ。よろしく!」

「よろしくって……おいおい、しよぱなからそう飛ばしてくんなよ」玄人くろとは冷や汗をぬぐった。

「今日はゆっくり見学していってくれ!」

 こんなに大勢の、しかもれいどころが見学に来た事はなかったのだろう。怪しい男子ことしん宿じゆくは羽根飾りをいじりながらご満悦だ。朗らかな口調で言う。

「あ、そうそう。この格好は部族長みたいだけど、ぼくは部長じゃないからね」

「ヒラ部員か!」

「まあ一年だから、ははは」

 ……だったら部長はどこなんだ、と玄人は部屋をめ回した。

 占い研究会の部室は不思議な物であふれかえっていた。

 あちこちの壁にられたエジプトの象形文字やトンパ文字の表、天井からドリームキャッチャーと呼ばれる輪状の飾りがぶら下がり、床には魔方陣が描かれたじゆうたんが敷かれ、部屋の隅にはタヌキのはくせいなんかも置いてある。すさまじいまでの自由ぶり──。

 部として認可されていない研究会や同好会も、かぜもり学園では部室を与えられている。昔はそうでもなかったらしいが、少子化の影響か近頃は規定人数に達する部が減り、その辺がゆるくなったのだ。料理事件部が部として認められるくらいだから、さもありなんである。

「ん?」

 ふと目が合う。部屋の奥に机とがあり、そこから玄人をじっと見ている女子がいた。

「お前は確か、うちのクラスの……」玄人は言う。

 彼にしては珍しく顔を覚えていた。なら彼女はとても印象的な──左右の瞳の色が異なるからだ。左は黒く、右は明るい茶色。オッドアイというらしい。カラーコンタクトではなく生来の物だ。少しきつい感じのするその瞳と、すっきり通ったりよう、サラサラの長い髪は夜の滝を思わせ、何か魔法でも使いそうな雰囲気の美少女である。異名は《舌遣いの魔女》。その性質は──多分これからわかる。

「何だ。クラスメイトの名前も覚えていないんだな」

 彼女は散文的な口調で言う。こういうしやべり方なのだ。

 玄人は入学式の自己紹介を頭の中でリプレイしてどうにか名前を思い出すと、

「覚えてるって。お前の名前は各務かがみだ。そうだよな?」

「……チッ」

「舌打ちされた!」

 舌遣いの魔女とはこのくせに由来するものである。

 各務麻戯香は長い髪をわずらわしそうにき上げると玄人のリアクションを流し──芸人なら許されない行為だ──黒目がちな切れ長の瞳をすがめた。

「ところでそちらの名は?」

「何だよ、自分は覚えてねえのかっ? 俺は同じA組のほん玄人くろとだよ」

「ああそうか。本間君だったな──」

 各務かがみはいたってよくように欠けた口調でそう言うと、

「このハードボイルド野郎」

 と、脈絡なく暴言をいた。

 玄人のほおをつうっと一筋の汗が伝う。

 何なんだこの女は……。そして俺はいつもハードボイルド呼ばわりされるのか。

「ち、ちょっとぉ!」が血相を変えて横から割って入る。「あなた、いきなり何て事を言うのよっ? わたしの大事な人に向かってそれはないわ。ひどいじゃないっ」

 各務は沈黙でそれに答えた。神秘的なオッドアイを細め、早くも瞳をうるませている未百合をまじまじと見る。そして──

「いいや、本間君はわたしの物だ。何を言おうが何をしようが、わたしの自由だな」

 と、またしてもそんな暴言を吐くのだった。

 何を言ってやがんだこいつは、と玄人はポカーン……。

 というより、しん宿じゆくたかを除くその場の全員が意味不明のやりとりに困惑している。

「あ、あなた、玄人君とは一体どういう関係っ?」

 顔を真っ青にしてガタガタ震え出すづき未百合──今きっと頭の中がとんでもない事になっている。一方の各務は問いに答えず、ただようえんな微笑を浮かべるのみだ。

「ま、まさか!」

 未百合は親のかたきでも前にしたように各務を恨みがましくキッとにらんだ。

「……いけない事をしたのね?」

「くすくす」

「あ、あなた、玄人君といけない事をしたのね? いけない関係になったのねっ?」

 ひ、ひどいわ。わたしのい人にそんな事を──。

 未百合はヘナヘナとその場にへたり込んで、しばし放心。それから、うっ、うっ、この泥棒猫ぉ……と顔をおおってめそめそし始めた。冷や汗だらけの玄人だが、どうにかしないと話が進まない。気を取り直して未百合の肩にぽんと手を置いた。

「や、落ち着け未百合。お前最近思い込みが激し過ぎるぞ。俺は何にもされてねえ」

「エッ? そうなの……?」玄人を見上げる勘違い美少女。根が一途なのだ。

「お前はからかわれただけだ。そうだよな、各務っ?」

 強い眼光を浴びせる玄人。しかし各務は動じる事なくごうぜんと細いあごを反らした。

「からかった訳じゃない。これはペーシングというのだ、本間君」

「あ……? 何だって?」

「新宿君がホピ族の予言に詳しいように、わたしにも得意分野があってな。NLP……神経言語プログラミング。ペーシングはそのスキルの一つで、話し方を相手に合わせる事をいう。これを使えば相手から、より多くの情報を引き出す事ができる。リズム、呼吸、雰囲気。それをマッチングさせて会話すると信頼感をスムーズに獲得する事ができるのだ」

 また、相手の仕草に合わせるのはミラーリングというスキルだぞ、と各務かがみきもしない事を教えてくれる。玄人くろとはキョトンとしながら、

「要するに……どういうこった?」

「つまりだな、ほん君。最初に無愛想な対応をしたのは無愛想な君が相手だから。づきさんに昼ドラ的な受け答えをしたのは昼ドラが好きそうな葉月さんのペースに合わせたからだ」

「へえ、それで信頼感を得られるのか……って、おい! 思い切り失敗してんだろ!」

「確かに今回はうまくいかなかった。君達とは相性が悪いようだ」

「……やー、そういう問題じゃない気がするんだが」

「チッ」

「舌打ちすんな」

「なあ本間君。解りにくいかもしれないが、わたしの属性はいわゆるドジっでな。一度や二度のミスで目くじらを立てず、気長に見てもらえるとありがたいのだが」

「そういう事を自分で言うなよ。ドジっ娘ならもっと可愛かわいしやべり方をしてくれ」

 さておき、と玄人は思う。

(昔先生から聞いた事がある。NLP、確か心理コミュニケーションの体系だ。諸分野から色んなスキルを取り入れているらしい)

(使い方次第じゃ、人を操る事も可能……か?)

(現には妙な感じに誘導された訳だが──)

 各務、とりあえずさんくさい女だと思いながら玄人は言う。

「まあいい。それで各務。見たところ他に部員はいないようだが、占い研究会ってのはお前としん宿じゆくの二人だけなのか? 実は訊きたい事があって来たんだ。どうせなら全員集まってからの方が……」

 各務は無言でスッと指を玄人の後方に向けた。振り返ると、

「うぉう?」

 不思議の国のアリスみたいな人がいた。メイド服を着ている。

「あ、ユキちゃん!」あかが明るい声で言った。面識があるらしい。

「皆さん、いらっしゃいませ」

 と、メイド姿の女子は軽やかに笑んだ。

 ほんわかした穏やかな感じの女子だった。メイド服を着ているのは新宿たかと同様、おもてなしのコスプレだろうか。頭にカチューシャを付け、ごていねいに手袋までしている。

「わたし、二年のユキといいます。占い研究会の会長をしています」

 そう言って玄人くろとにお辞儀した。額がひざがしらに付きそうなくらい深いお辞儀だった。

「あ、会長さんだったんですか」玄人は言う。

「はい。英語で言うとプレジデントです!」

「……」

「わたしの得意分野は色々です。占い、予言、ヨガ、心理分析、行動科学、コスプレ……人間の意識が関わる事ならほぼ何にでも興味があります。大体何でも知ってますよ」

 これまた微妙にやつかいそうな人だな、と玄人は思った。天然のにおいがぷんぷんする。

 一方、部室の奥ではしろ各務かがみに早くも遠慮なく話しかけていた。

「何だか知らないがすごそうじゃないか。うんうん、やはり人の上に立つ者は違うなあ!」

「どうかな」

 各務はチラッと会長をいちべつした。

(あ?)

 その時、何かが玄人の胸に引っ掛かった。だが確かめる暇もなく会長が言った。

「他にはですね……。そうそう、最近は超能力なんかにも興味があるんですよ」

「え? 超能力ぅ?」

「宇宙の大いなる意思とつながって奇跡の力を行使するんです。凄いでしょう? アカシックレコードにアクセスすれば、あらゆる未来を予知できるようになる──かもしれないし、ならないかもしれないんです。あ、興味がおありみたいですね。詳しく説明します!」

 会長はうれしげな顔で解説を始めた。

 間違いない、と玄人は思う。占い研究会リーダーユキは正真しようめいの天然だった。