第三章


 クラス合宿に来て早々に、苦労して押し入れから取り出した海パンはお役御免になった。

 一体全体どうしたものか。

 今まさに着ているのは学校指定の紺色ジャージというわけだ。暗い色の生地が律儀にも蒸し暑さを吸収してくれるので、苦しくてかなわん。

 ほら見ろ、やっぱりこうなるだろ。

 俺の理性は冷ややかにそう言う。

 わざわざ自分からクラスの集まりに来ておいて、つるむ相手も居ない、やることもない、どこにいるのが正解かも分からない。

 一体、そんな間抜けがどこにいる?

 参考までに、ここに来ていない奴だって普通にいる。

 普段から周りを見て自分の立ち位置みたいなものを承知しているから、こんな所に来ればどんなに気まずい思いをするか分かっているのだろう。同じ日陰者でも、教科書や参考書としか向き合っていないガリ勉とは違う。そいつらの半分でも賢ければ良かったのに。

 だがそんな俺にとってとびきり幸運だったのは、似たような間違いを犯した奴が他にもいたってことだろう。

「ははっ……海なんて、いるだけで恥ずかしくなるっての。わざわざここまで来なくても、こうなるって分かってたのに」

 今の俺をしやべらせれば、もちろんちようしか出てこない。

 それでも聞き役はいた。おかげで独り海水浴場の端っこをさまようっていう、最悪の状況だけはどうにか回避された。自発的に来ておいて結局一人……そんなの、考えただけで決まりが悪すぎる。〝好きで来たわけじゃない〟とか言ってしかめっ面をしていられる遠足とは事情が違う。

「ほんと何しに来たんだって話」

 俺は、自分で選んでここに来たのだ。

 来た理由、ちゃんとあるはずだったのにな。

「ここにいるだけでネタだよな。ほんと、バカやらかした」

 しかしクラスでは俺の相棒であるまつれいが、教室で言えばただの二つ分しか席が離れていないことを考えれば、彼が色々と見透かしているのも無理なかった。

 何しに来たのか、だと?

 自分で言っていて馬鹿だろって思う。

「ふーん。たちばなさんと会うため、じゃないの……?」

 橘とひようどうが俺を海に引きずり込もうとした時、小松君も隣にいた。

 だが、本当言うとそれだけじゃない。橘が図書室を超えて教室でも絡み始めてきたのは、既に前からそうだった。クラスでも怪しいと思われてきている。もうこの辺りの噂はどうにもなりそうもないし、俺も火消しをあきらめ始めているわけで……。

 そして、これは癖だろうか。

 いまだに俺の口の中で、橘に関する言葉はいつだって歯と歯の間に挟まっている。ちょうどこんな風に。

「どうだかな。別にあいつのためだけにってわけじゃあ……」

「ぼくさ、ずーっと近くで見てたんだけどねっ。もうそういうの、そろそろ苦しいと思うんだけどなっ。彼女じゃないとか、まだぼっちだとかさあ。何かちょっと、しがみついてるみたい」

「ふん、それでも彼女じゃないってのは事実だっ。つか、どーでもいいが、何でそんな不満そうなんだよ。さっきから」

「別に」

 どういうわけだか、いつもは温厚なぼっち仲間も今に限って素っ気ない。一体何が不満なのだか皆目見当もつかないが、まあ不満なりには付き合ってくれているのだから文句があるってわけでもない。

 結局のところ、お互いがお互いにとって唯一の選択肢なのだからしゃーなしだろう。

 彼だって俺を拒絶すれば、今度こそ一人になるしかないのだから。

「はい、また王手」

「ああっ、マジか……。将棋、やたら強いのな」

 どうやら二局目も負けが近いらしい。

 ホテルのカフェテリアではどうせ真昼の時間帯で誰も居ないので、コーヒー片手に将棋盤を広げていても、すぐには出て行けってことにはならないのだった。

 窓からは海水浴場が一望できた。

 今頃何をやっているのか、ちらっと眺めてみても橘の姿は見えない。

 時計を見るに、もうかれこれ一時間半ってところか。

「……帰りのバスまで、あと二十一時間か。帰れる頃にはもうちょっと強くなって、まともな相手になれればいいんだけどな」

 何というガチぼっち・ステーション。滅多に電車は来ない。

 そうだ、この思わぬ特技を持ったつわものに弟子入りしたと思えばいいんだ。

 しばしば、ぼっちにはポジティブな精神が必要になる。こういう気まずい状況では特にそれが言える。

「将棋合宿に来たと思えば割に合わないってこともない。小松君には世話になりっぱなしだな、今に始まったことじゃないけど」

 俺は俺にできうる限りは冗談めかして言ったのだが、どうやら笑って返してくれるって風でもない。

 むしろ師匠、もというちのクラスのぼっち名人はかすかに顔をムッとさせた。

「橘さん、いちじよう君が来てすごく喜んでたのに。……もう諦めちゃうの?」

「……じゃあ聞くが。俺があいつらに交じって、スイカ割りでもしていれば正解だったのか? 砂浜に立ってみろ……遠くから見ているだけですら、すげーしんどいんだぞ。俺はあんな輪に加われるような奴じゃないし、一生かけてもあいつらの仲間になれるとは思えん。いるだけで逃げ出したくなるくらいだしなっ」

 実際そうした。

〝途中で海から逃げて、ここに戻ってきてもいーわけだし〟とけやきは言っていた。あともう二分でも愚痴をこぼしていれば本当にそうなりかねない。今となっては、その選択肢があまりにも魅力的に見える。

 もちろんその時は、橘も気づかないはずがない。

 だから俺は最後の理性で踏みとどまっているが、これだっていつまでもつのやら。

「どうだろな……小松君だって、同じ立場にたてば分かるんじゃないか」

「そういうもの?」

「そういうもんだ」

「ぼくさ、すごい勝手な話なんだけど……」

 小松名人は子供っぽい顔を陰らせる。

「……ぼっちじゃなくなっていく一条君、ほんとにすごいと思った。かっこいいって思った。テストの時はみんなに頼られて、突っかかってきたなかむらですら許しちゃうし、橘さんみたいな女の子にも……すごく好かれててさ。ぼくもあんな風になれたらって……。だから今日、無理してここに来たんだ」

 ……つまり、若干彼の機嫌が斜めっているのはそういうことか。

「その、友達くらいはできるのかな……って」

 俺があんまり甲斐がいないから。

 俺と彼との間で、〝ぼっち仲間〟の意味合いは百八十度違っていたというわけだ。

 小松君はその不甲斐なさで俺と共鳴するより、むしろそれからどうにか免れることを望んでいた。かなうことなら、架空のぼっちヒーロー・一条君と一緒に。

 しかし肝心の本物は、スイカ割りにすら満足に交じり合えないヘナチョコと来た。そりゃ確かに、今の俺を見れば失望モノだろうな。

 橘となら、どこにでも行けると思っていた。

 何があっても大丈夫と思っていた。

 しかし……ただただ甘かった。

「一条君みたいにはなれなくても、一条君みたいに頑張れれば、ぼくもちょっとだけ変われるのかなあ……ってさ。まあ、いつも通りダメダメで浮いちゃってるわけなんだけどね……。だから一条君のこと、ほんとはそんなに強く言えないんだ……」

 どいつもこいつも、俺に変な期待をし過ぎている。

 俺が小松君の考えるようなクラスの主役であったことは一度もない。むしろ遠足の班分けの時に声をかけてきてくれた分、小松君の方が俺なんかよりもずっとマシな奴とすら言えるんじゃないか。

 最近ずっと思っていること。

 言いたくても、言う必要がなかったから言わなかったこと。

 きっと言えば失望させてしまうようなこと。

 橘ではなく、小松君に初めて言うことになった。

「俺は……しよせん、俺だ。お前の思っているような奴じゃない」

 小松君の思う一条君って奴と、橘の思う純って奴。

 本物のぼっちでいた頃、こんな亡霊に取りかれていただろうか?

 俺はお前の思っているような奴じゃない。いつだって内心ビクビクしっぱなしな、大人の体をした子供でしかない。きっと期待にはこたえられないし、仲良くなっても長くは続かないかも知れない。

 しかし、橘にとってはそんなの無関係だった。

 あいつが無条件で期待の目を向けてくればくるほど、俺はそれに追いつかなきゃって思ってしまう。無理して。必死になりながら。今日も会えばどうにかなるだろって、夢を見てしまいながら。

 違う、どうにもならないことだってある。

 俺の如きボンクラが、ある日突然、全方位から聞こえるヤジや黄色い声に耐えられるような奴にはなれないし、ビーチボール遊びで笑っていられるような楽しい男にもなれはしない。

 俺は、残念ながら俺にしかなれない。

 その結果が、浜辺に一人立つ場違いな陰キャってわけだ。

「別に小松君を責めるってわけじゃないが……そういうの、少し重荷だな。うん」

 橘には出ない本音が、小松君に出てしまうのは何故なのだろうか。

「……ごめん、そだよね。実はちょっと分かってるんだ。でも、さ…………だったら、ほんとの一条君のこと、もっとぼくに……ぼくらに、教えてくれたっていいじゃん。ほんの少しも向き合って……くれないの?」

 少年の表情に痛々しさがにじんだ。

「だってぼくら……ほとんど友達…………じゃん。自分のこと隠してないで、かっこつけてないで教えてよ……。それと、どうでもいいかも知れないけど、ぼくのことにも。ほんの少しくらいでいいから、興味持ってよ……?」

 外の騒ぎ声が聞こえる。

 天気はあいにくの晴天だ。

 室内まで響いてくるのはクラスメートの声なのか、一般客の声なのか。

 全部ごっちゃになって、あまりに聞き慣れない夏の音がする。吸い慣れない夏の空気が、年がら年中秋冬仕様の俺の肺を殺しにかかってきた。

 いずれにせよこの薄い窓が、ぬるま湯と危険地帯を危うく分けてくれているってことなのだ。

 しかし夏合宿は始まったばかりなわけで、このカフェテリアにずっといられるわけでもない。

 多分、いずれは海に戻らなければならないだろう。

「はぁ……何か変なこと言ってごめん。やること、ないよね……」

 ぼっち仲間が将棋盤の前で肩を落とした。

 機嫌を直してくれたというより、言いたいことは言い切った感じだ。

「まあな。やること、ないな……」

「帰ったら親に何て言われるんだろ」

「慣れっこ、だろ……? 少なくとも俺はそうだ」

 もう潮時か? いくらなんでも早すぎないか?

 家に逃げれば、ほら。

 置いていかれたあいつは、どれだけ心配するだろう。

 俺が何にモヤッとしているのかも分からないまま、自分を責めちまうかも知れんぞ。そのまま疎遠になっちまうかも。そうなれば、今度こそ普通のぼっちに逆戻りだ。いずれそうなるとは前々から思っていた。

 でも、今になって耐えられるだろうか?

 小松君との間に気だるい沈黙が流れたが、それほど長くは続かなかった。

 俺たち二人を見てのことなのか、誰かが後ろであからさまなため息をついたのだ。

 振り返ってみると……これがまた、ちと意外な人物ではあったのだが。

「もう、二人共……。どこにいるかと思ったらっ」

「い、委員長さん……!」

 てんじゆいんももがやって来たことで、俺たち二人は微妙な空気を隠すようにして、それぞれのやり方で作り笑顔を浮かべた。

 俺はちようと、ほんの少しの冗談っ気を滲ませながら肩をすくめる。

 小松君は苦笑いだった。

「あのねえ。私たち一応、海に来てるのよ……?」

「……その、まあ、あれだ。将棋代わろうか? 小松君、めっちゃ強いぞ」

「あははっ……。ぼくら、やること何にもなくってさ……」

 委員長は俺らのちょっとした惨状に対してしっかりあきれ顔で返してくれるから、妙に安心してしまうのだ。

 どうか心の中では、盛大に笑っていておくれ。


 天樹院が俺たちの前に現れたのは、どうやら全くの偶然ってわけでもなかったようだ。

 そして結論から言うなら、それはしらいし先生の差し金だった。

 どうも俺が橘の前で海から逃げたことで、要らん目をつけられてしまったらしい。

「お前らに頼むのはちょっとした力仕事だ。どうせ海でやることもないのだから、構わんだろう……?」

「はあ」

 堅いという印象しか与えない若手の女性教師が、ため息の後に声と表情を大人っぽく和らげた。夏休みモードなのか、俺たちに同情しているのか。いずれにせよ、今日の俺は他人を失望させてばかりらしい。

 つまり、ぼっちとしては絶好調ってことだ。

「構えなくていい、損はさせんよ」

 ホテルのカフェテリアでああしているよりは悪くなりようがないので、さして抵抗もしなかったというわけだ。

 さて、細かいいきさつはともかくとして、だ。天樹院がカフェテリアにやって来てその五分後には、俺も小松君も、道路を走る四人乗り軽トラックの中にいた。

 それにしてもこの車内の面子メンツ……何がどうしてこうなったんだ?

 運転手は白石先生。このミス仏頂面が無言であるのは言うまでもない。

 助手席が小松名人。もちろんしやべる気配はない。

 そんでもって後部座席には、俺と天樹院がスペースを空けて座っていた。話題なんてないのだから話す必要はない。こうしていると、ただただエンジンの音が響くだけだ。

 うむ、ぼっちだった頃を思い出してきたぞ。

 そうだ、話したくなきゃ無理に話す必要なんてないんだ。

 場をもたせるような、会話のための会話など俺には必要ない。

 車内にいる奴らのほとんどは、言わば沈黙に耐えられる人種であった。沈黙を友達にできる側の人間と言ってもいい。いつもなら派手なグループの中にいる委員長でさえ、この空気を浴びて居心地が悪そうって程でもなかった。

 思えばこの女子、先程はスイカ割りの輪にも交じっていなかったな。

 いや終業式の日などは、男子が来るなら水着は持ってこないとまで言っていたっけ。見る限り、どうやら本当にそうしたらしい。青いワンピースと夏っぽい格好だが、かと言って海で積極的に遊びましょうって風でもない。

 今は涼し気な顔をして、アナログな手帳を眺めていた。

 俺らと同類と言えば失礼千万だろうが、このジミーズ・エクスプレスは、少なくとも天樹院の存在が原因で空気が微妙になるってことはありそうになかった。要するに、彼女はあまりにもこの謎の集まりにみ過ぎているのだ。総合的に言えば、誰もあんまり話を切り出さないので、ちょっと居心地がいいほどである。

 それでも車内に一抹の気まずさがあったのは、白石先生と天樹院が何となく、ぼっち二匹の惨状を察していそうなところだろう。

 それでいて何も喋らないのだから俺らとしても釈明する余地はない。

 それにしても、この変な面子で何をしようってんだ?

 全員が全員、まあまあ静かなタイプだ。

 力仕事と言っても、だったら俺と小松君だけを呼ぶべきなわけで。

「はぁ……。かれんと何か、あったの? あんなにベタベタしてたのに」

 俺の脳内が疑問符でごちゃごちゃなのを見て取ったのか、横にいた黒髪の女子が口を開いた。

「先生から何か聞いたのか?」

「ああ、私が言ったさ。学級委員長だけにはな」

 海を離れてTシャツにジーンズ姿になった先生は、軍手をはめたままハンドルを握っている。運転席から目だけをちらりとこちらに向けた。

「一条の様子がおかしいのは明らかだ。物静かな一条のことだ。仲の良い橘に言われたのでなければ、そもそもここには来ないだろう。それでも実際にここにいるということは、単純な仲違いというわけでもなさそうだな。突然お前があの橘を拒んだので、どうしたものかと思って探してみれば小松と一緒にこそこそ将棋……。夏休みにわざわざクラスで海に来たというのに、だ」

 先生は演技っぽく「はぁ、まったく……」と息をつくと、

「……一度しか聞かないぞ、何があった?」

「……単に吸ってる空気が合わなかっただけです。きっと小松君も」

 その一言で十分だったらしく、先生はフッと口を曲げる。

「まあ、私にも覚えがあるさ。成り行きで場違いな集まりに来てしまって、それはもう気まずいのだろう?」

 そこまで分かっているのなら放っておいてもらえまいか。それが対ぼっち対策の鉄則みたいなところ、正直あるだろ。

 こういうの、クラスを受け持つ担任なら基本だろって。

 だって、あれだぞ。常にクラス全体を見回していてぼっちには特別に優しくしてくれる教師とか、需要ないだろ。こういう微妙な人間関係、大人の出る幕でもないのである。無理に出しゃばろうものなら、かえって日陰者のハートは傷つくだけだ。

「つーか、どうして先生が気にするんですか? 俺と橘の関係について、つい最近こっ酷く叱ったばかりでしょう」

 けれど、どうやら先生は単に同情してるってわけでもないようだ。彼女は見た目通りのスパルタだった。

「その原因がお前ら自身の孤立なら話は別だ。私のクラスで居場所のない者は作らん。学校教育とは、たとえ嫌でも仕方なしに他人と関わらねばならない場だ。自分でここに来たのだから、今だけはせいぜいあきらめろ。一条も、小松も」

 ああ、そうかい。そうかい。もうどうにでもなれ。

 来た以上は諦めなければならないというのは、さっき小松君と話していて観念した部分でもあるのだ。

 ……それでドライブの果てにたどり着いた場所ってのが、海水浴場からそう遠くない距離にあるスーパーだった。

 買い物リストを見る限り、今日の晩飯はみんなでBBQってことらしい。先生は俺たちを降ろした後に別の場所に行ったので、俺たちはここで買い物を済まして待たなければならない。

 暑い。長い一日だ。

 俺がカートを押し、天樹院が肉やら野菜やらを選んで入れていく。

 ところで小松君もちょうど俺の横を歩いているのだが、二人で片手間にやっているゲームというのが伝説級にしょーもなかった。

 その名も、ぼっちあるある祭り。

 何を隠そう他人疲れにさいなまれた俺たちが、限界状態で生み出した闇のゲームだ。

 お互いいんうつさそのものをまとった状態で始まった遊びだったが、やっていると次第に楽しくなってくる。

「学園祭の打ち上げに呼ばれない、とか? ほい、小松君の番だ」

「トイレでぼっち飯……とか」

「まさか、便所飯なんて都市伝説だろ。ノーカンだ、ノーカン」

 どうだこれ、夏っぽくないか?

 祭りって言ってるし、超夏休みっぽかろう。

 ルールは簡単。お互いが提示したあるあるが本当にあるあるか確かめ合うってだけの、勝ち負けもないゲームだ。

 これ、試しに始めてみたのだが、あまりにしょーもなさすぎて時間を忘れそうになる。特に今のモヤモヤした心境なら、多少は気も晴れるというものだろう。だが、ゲームが与えてくれるものはそれ以上だった。

「ぼっちでも自分の席があるだろ。一人で食うのに、どうしてわざわざトイレなんだ?」

「一人で食べるとか、恥ずかしいじゃん……。一条君には、強いメンタルがあるんだろうけどねっ」

「ないない。ぼっち飯にメンタルが必要なもんか。ええと……小中時代の記憶がないから、意外と黒歴史が少ない。俺なんか真っ白」

「一日中誰とも話してない」

「卒業式はすぐ家に帰る。アルバムの白いページも白いままなのは基本だな」

「眠くないのに机にうつ伏せ。これ、よくやるんだよなあ」

「全体的にやることがない」

「勝手に席に座られてて戻れない」

「俺ならためらわずどけって言うけどな」

 ほう、同じぼっちでもタイプが微妙に違うようだ。

 一方で小松君は、ぼっちであることに負い目を感じている従来型ぼっち。

 他方で俺は、ぼっちに慣れすぎてしまって、いかにぼっち生活を快適にするかというところに心血を注いできた行動型のぼっちと言える。

「……保護者を相手に、修学旅行をサボるための交渉」

「そこまでする……!?

 おお、これには相棒もドン引き気味だ。

「ああ、するね。でもその時は自衛行為だった。ひどいクラスだった」

 もちろんうちの叔母に限って、〝修学旅行を休みたい〟は通用しなかったが。今になって思えば、結局言い負かされた時の理屈も今日と全く同じだ。とりあえず行け。どうしてもダメなら帰ってくればいいから。

 小松君から小さな笑いがあふれたので、俺も表情筋が和らぐ感じがした。

 話だって丸っきり合わないわけじゃない。ぼっちとしての違い。そこに面白みを感じて興味を持てるということは、目の前の少年にも興味を持っているということにもなる。

 そんな自分に、驚いていないかと言えば噓になる。

 面倒だと思っていた。こういう一つ一つの会話。

 だから橘にひっつかれている時でも、あいつ相手だから緊張してるってのもあるだろうが、ついつい口下手になってしまう。

 ぼそっとぶっきらぼうになってしまう。

 会話なんて面倒だから、何となくでついていってしまう。

 俺は、多分。

 心の中は、すげーうるさいんだ。

 それなのに自分を出そうとしないから、きっと正しくは伝わってない。

 本当なら冗談だって、少しは言えるのに。

「よく考えれば、今年は修学旅行があるんだった。どうだ? 一緒にサボるか?」

「そんな、連れションみたいに……」

「あいにく、ノウハウだけは豊富だぞ。力になれるぞ」

「いいよっ。修学旅行サボるなんて、流石にぼくでも考えたことないよ……」

「そうか、そうだなあ。まず考えられるのは、大金を節約できるっていうのを親御さんにアピールすることだな」

「いやだから、ノウハウ聞いてないし!?

「あのゴミクソイベント、立派に金だけは食いおるからなー。飛行機も無駄にいい会社で行こうとするし、ホテル選びもなってねーし……。俺が選べば軽く半額にはできるな、うん」

「一条君、旅慣れてるんだね……」

 小松君はあきれ半分、笑い半分といったところだった。俺も俺で妙に口が動いた。分かってくれるであろう相手に、しやべりたかった。

「ぼっち旅ほど楽しいものはない。わざわざ金払って周りにスケジュールを合わせるなんて、どう考えても馬鹿げてるだろ?」

「……今、みんなで旅行中なんですケド」

「だーから、それを二人で仲良く後悔し始めてるんだろーがっ。いい教訓になったろ。これが仮に修学旅行だときっついぞ。一体何泊するんだって話だ。今年はどう叔母に切り出すか……」

「てゆーか、来てよ! ぼっちがぼくだけになっちゃうじゃん!」

「え、ああ? あれだろ、流石にその頃には俺以外の友達だって……」

 言いかけて……気づくと、ひとりでに笑みが広がってきた。

 ほう……一条君、俺以外の友達ときたか。でも、当の小松君は友達だと思ってくれているのだろうか? しかし少年が笑い返してくれたことで、胸にはあんが広がった。

 友達、だったようだ。

 お互いにとって。

「はいはい。一条君以外の友達、ね(笑)」

 これだって、いずれははっきりさせるべきことだった。そうだよな?

 一条君のこと、教えてよ。ぼくのことにも、興味持ってよ。小松君はついさっきそう言っていた。

 なら一応、このどうしようもないやり取りは……小さな成功じゃないか?

 ひょっとすると橘にも同じようなこと、できないか?

 そしてこのどうしようもない会話、もう一人の連れも聞き流していたわけではないようだ。もうこうなると呆れを通り越しているのだろうか? カートを進めていると、天樹院が立ち止まった。

 深いため息を吐いて……いや、カフェテリアに来た時の呆れ顔とは違う。

 柔らかい表情で、大人っぽく肩をすくめた。

「そうだなあ。靴を隠される、とか……?」

「え……? 何……?」

 黒髪の女子生徒がスタスタと前に進むので、俺は慌て気味にカートを押す。

「だって……ぼっちあるあるなんでしょ?」

「いや、そういう意味じゃなくてだな……」

 その質問に対しては、俺も横にいたぼっち名人も答えに詰まった。

 天樹院桃子。クラスの委員長閣下にして、いつもなら橘と氷堂の後ろに立ってバランスを取る常識人だ。よりによってこの女子が、ただの成り行きとはいえ俺たち二人と行動を共にしているってだけでも酷く間の抜けた状況なのだが……。

「まさか委員長が、こんなゴミみたいな会話に加わってくるなんてって思うだろっ。驚くなって方が無理だ」

「だって一応、クラスメートじゃない……。嫌……?」

「そうは言わんが……」

 この女子。

 クラスでの人間関係的には、正直とっつきやすいと思っていた相手ではない。

 まあそれを言えば全員が全員とっつきにくいのではあるが、それでも天樹院はイケイケに距離を詰めてくる橘とは正反対だろうし、それに便乗して軽く茶化してくる氷堂ともかなりタイプは違う。

 黙っていればクール、喋らせれば生真面目といった具合だろうか。

 だが同時に、気の遣える人物ではあるようだ。

 俺がいぶかったあまり顔をゆがめていると、こちらにかすかな笑みを向けてきた。

「そもそもあんたがここに付いてきたのは、単に料理担当だからか? それとも、橘に関係することだからか?」

「両方よ」

「天樹院さん。靴隠されたこと、あるの?」

「椅子も。ずっと前の話だけどね。私が二人にどう見えているのかは知らないけど、一人だった時期、ほんとは長いのよ?」

 将棋が上手うまい方のぼっちは驚いた顔を見せた。だが将棋が下手な方のぼっちからすれば、特段不思議ってわけでもない。

「十年も学生やってりゃあな。女子のぼっち事情には疎いが」

 道理であの車内で浮いていなかったわけだ。

 よくよく考えれば彼女、いっつもつるんでいる二人とはタイプが違い過ぎる感はある。他の二人が男子の方に行っているときに、この真面目ちゃんが自分の席──つまり、俺の左隣ってわけだが──にとどまるっていうのはよくあることだった。

「やっぱり、ね……二人がこういう場でもがいているのを、放っておけないっていうか。それに私、委員長だし。迷惑……?」

 小松君は何も言わず首を横に振った。

 俺はと言うと、突然この真面目系な美少女と絡んで驚きはしたが……いや。せっかくの好意をはねつけられるような立場か? 俺は。

「いいや、別に。迷惑ってこともない。ノリで似合わん場所にやってきて、実際お手上げだしな、俺たち」

「私もほんとはね……こういうイベント、苦手。クラスのみんなが心配だから頑張って来てるんだけど……本音は、家で本でも読んでいたくってね」

 派手めな二人と仲良くしつつ、自分の間のようなものを持っている。

 振り回されないしんの強さ。

 それでいてイケイケな二人や他のクラスメートまでもを、ゆるくまとめ上げる包容力。限られた知識で彼女について言うなら、そんなところだろうか。大して話したことはないから正確かどうかは知らんが。

 何にせよ彼女はタイプの合わない橘とすら上手くやっているわけで、まるで俺の影になっているような気がした。

 興味を引かれないわけじゃない。

 俺だって進んで教えを乞うってタイプじゃないが、合宿に来てこの状況ならぜいたくを言っていられる立場でもないだろ。

「それでも天樹院は橘や氷堂みたいな女子とつるんでるってわけだろ。前のクラスで一緒だったんだっけ? たまにでもさ、呼吸が合わねーなって時、ないのかよ?」

「……たくさん。そういうことがない日の方が、珍しいかもね」

「なのに続くものなのか?」

「まあね。でも、最初っから合わなくて当然よ。あんな髪の子だもん。ちょっと仲良くなると、たくさん外連れ回されちゃうしね」

「あはは、一条君とまんまだね……」

「う……。別に、俺たちはそんなこと……」

 しょっちゅう外出してるってこと、知っている奴は氷堂とここにいる天樹院だけだったはずだが……。

「……もしかして、噂になってるのか?」

「こら、話をそらさない。それに一条君はもう手遅れじゃない。私と弥生やよいは、現場を押さえてるんだからねっ」

「アッハイ」

「はぁ……。教室でベタベタしだしたら注意して、気まずくなってたら助けようだなんて。委員長やるのも大変よねっ、もう……」

 委員長はわざとらしく頰を膨らませた。普段は見せないような茶目っ気だ。だが、すぐに真面目モードの顔に切り替えて俺たちを諭す。

「私からのアドバイス……聞いてくれる?」

「どうせ暇な身だ」

「二人や私みたいな大人しいタイプだと、すぐ向こうのペースになっちゃうわ。特にかれんは純粋過ぎてね……ずっと嫌な顔をしないでいると、楽しんでると思われて、こっちの気持ちが気づかれないこともある。

 だから……ね。これはちょっとしたテクニックなんだけど。小さなことでいいから、たまには私の希望を伝えてみるの。例えば、今日はあの店に行きたい……とか」

「それで何か変わるのか……?」

「一個希望を聞いてもらう度に、少しだけ私のことを分かってもらえる。それに好みの店って、色んなことを説明してくれるのよ? 落ち着いた場所にあるカフェがいいのか、駅の中の店がいいのか。性格とか、距離感の取り方とか。

 かれんに限らずだけど、受け身だと分かってもらえないのはみんな一緒だから……ね? あと、たまにでいいから誘いを断ってあげるのも大事。タイプの違う相手と、長く付き合いたいなら特に」

 今度試してみて、と彼女は小さく付け加えた。

 控えめ勢による控えめな交友戦略、とでもいえばよいか。

 それにしても、たまに小さな要求……か。さすが我らが学級委員長、出してくる方策がどこか現実的である。

 結論を言うなら、あいつとは別に仲が悪くなったわけじゃない。

 最初からそこの善し悪しは問題じゃなかった。本当に悩ましいのは……俺が一人で勝手にすれ違っているってことだろう。

 でも、じゃあ、どう説明すればいい?

 委員長ドクトリンは、そりゃあやってみなきゃ分からないにせよ……この辺を解決してくれるような気がしたし、確かな期待感を与えてくれた。これなら、何も腹を割って真面目なお話をする必要はないかも知れない。

〝お前とは根本的な所で合わない気がする〟

 いくらなんでも、こうは言えないからな。

 とはいえ、さしもの天樹院さんもあのイケイケ空間に順応する方策を用意してくれたわけではなかった。

 まだ橘は浜辺にいるはずだ。

 となると再び海に行ってあいつと会わないことには、何も始まらんわけで。

 それで、その辺りを何となく察していたのが我らが白石先生だった。

 俺が橘の誘いを断って浜辺から離れたのを見ていて、担任として思うところでもあったのだろう。

「なあに、心配はいらないさ。海にいる口実くらいなら与えてやれる。私にしてやれるのはそのくらいだから、後はせいぜい頑張るがいい」

 それで宣言通りに、ジャージの上着を脱いで力仕事ってわけだ。

 俺たちが買い物をしている間に、先生は入り用のもろもろを業者からたくさんレンタルしてくれていたらしく、軽トラックの荷台には七輪やらアウトドアチェアやらがくくりつけられていた。それも一回の輸送では足りず、先生はその後に何度か往復したほどだ。

 それで結局、俺たちぼっちコンビが行き着いたのは、海水浴場での会場設営及びその管理……つまりは栄光あるBBQ奉行の任を仰せつかったというわけだ。

 先生いわく、遠足の時を思い出せとのことである。

 彼女は当時の俺や小松君を見ていたらしく、仕事と割り切れる状態ならその場に溶け込むのも楽だろうとの計らいだった。

「うんしょっ、うんしょっ……と。絶対おかしいよね。海まで来てあくせく働いてるなんてさ……っ」

「さっきのことを考えれば大きすぎる進歩だろってっ。カフェテリアじゃなくて、砂浜にいるだけでもな……」

「ふふっ。そだよね……。ううっ、二人でやる仕事じゃないけど……っ」

「その分だけ時間が稼げるだろっ。ありがたいと思うことにするさ……っ」

 もしやこれは、想像以上に的確な司令だったかも知れない。

 あの先生は、きっと俺たちヒキヒキ族の心理を理解しているのだろう。学生時代とか超暗そうだしな、うん。

 でもこれなら騒がしい輪に交じって遊ぶ必要はないわけで、具体的な仕事がある以上は海にいても決まりが悪いってことはまずない。

 夕方までにはまだ時間もある。

 一般客も交じってごみごみしている中ではあるが、集中さえすれば気にならん。

 五分の会話より一時間の単純作業。考えることがなけりゃあ意外と楽なもんだ。

「つまり俺らは、頼まれずともリア充連中のパシリをしているってわけだな。俺ららしくて、意外と悪いもんでもない」

「あはは……。海に来たのにパシリか、暗いね……」

「どうだろう……自分から進んでやってんならパシリとは違うと思うけどな。あいつら、後でせいぜいありがたく思えばいいさ。それに……ぼっちには単純作業が似合う」

「ぼっちは……グループ分けでハブられがち」

「何だよ、またあれやんのか? もういいだろ(笑)」

「作業ばっかじゃ飽きるし?」

「ははっ、そうだなあ。俺としてはいい加減ネタ切れなんだが……」

 それにしても、このぼっち名人とはさっきから一緒に居て、妙な仲間意識を覚えるようになってしまったものだ。

 友達。

 そんな風に言い合ったのは間違いなく橘以来だ。

 海に来てまだ半日も経っていないのに。そしてまた、教室では遠足を通じてぼっち仲間でしかなかったってのに。ずいぶんな変わりようじゃないか?

 いや……ひょっとすると、中身自体は何も変わっていないのかも知れない。

 単に、前より少しだけ希望を持っているだけだ。

 橘と行動を共にするようになった時と同じように、ほんの少しだけ前を向いている。何だかその程度の前進が、実はかなりうれしかったりする。

 俺はこの合宿を通じて、困っていた小松君をぼっちにさせなかった。

 まあ完全に成り行きだっただろうが、本心では友達を求めていた彼を、運良く放っておかずに済んだ。

 まあ橘とは少しだけすれ違ったにせよ、だ。

 それはまだ、どうにかなるだろうし。

 一応、ここに来てよかった。そうじゃないか?

「私も手伝うわ」

「天樹院……お仲間と遊んでてもいいんだぞっ」

「海で遊ぶって格好でもないし。それに、私が今更二人を放っておけると思う?」

「委員長って人種はみんなお節介なのかよ。うんしょ……っと。まあ、その、何だ……」

 ありがとう。

 どうでもいい小さなことに対しても、その言葉が浮かんでくるようになった。

 橘にだって、そう何度も言っているわけじゃない。本当なら感謝すべきこと、いくらでもあるのに。

 ……二十名近い大所帯とあってか、椅子を引っ張ってくるだけでも中々の重労働だった。これから開いて全部並べなきゃならんが、そもそもその前に、日除け用のテントだって四帳も建てねばならない。

 三人分の作業量でもなければ、まして二人分でもない。

 だがそれでも、向こうで遊んでいるクラスメートをよそに手を動かし続けた。

 徹頭徹尾、地味だった。

 でもそういうのが、一番居心地がいい在り方だったように思う。

 ああなるほど、居場所を見つけた。それだけでずいぶんな充実感で、リア充勢がはしゃいでいるのと同じように、俺にはこういう形なら適応しうるんだ。

 手を、手を、ただただ手を動かす。

 時々、手を貸してくれている小松君や天樹院とお疲れ様って感じの表情を交わした。クラスのためというよりは、一緒に働いている奴らと頑張っている時間を共有するのが心地よかったのだろう。

 ただ、手を、手を、手を……。

 作業はまだまだ、いくらでもあるんだ……。

 しかし白石先生の仕掛けは、もしかするとここからだったのかも知れない。

 彼女はおそらく、俺や小松君に花を持たせたかったのだろう。

 波打ち際から遠い所で作業をしている俺たちの姿が、そういつまでも見向きもされないってことも、確かにあり得ない話ではあった。誰かが見つけるだろうし、その中で必ず誰かが放っておかない。

「はろー、ガリ勉。……何してんの?」

 落ち着いた、低い声だった。

 俺は集中するあまり声をかけられたことにすぐには気づかなかったが、いざ振り返ると……ああ、おぎだ。サッカー部の。いつもは適当に女子と歩いているって感じの男子生徒で、俺の知る限り相容れぬウミウミの民であり海パン族である。敵とまでは言わないが、決して味方ではない。

 が、彼も彼で、流石に遊び疲れているのか息が切れかかっていた。

「仕事だ。晩飯の準備」

「へぇ……。んじゃ、俺も手伝うわー」

「はぁ? 別に遊んでていいんだぞ。人手的には、どうにかなるし」

「でも、一条君働いてるし」

「はあ、そうかい。じゃあそこ持ってくれ」

「ういうい」

 おいおい、一人増えちまったぞ。

 二、三人でゆっくり時間を使おうというかんぺきな戦略があったのに、一体どうしてくれるんだ。これならすぐにBBQ始まっちまうだろうが。

 気づけば太陽がほんのりとオレンジがかっていた。

 おそらく六時ちょっと前くらいには始まるだろうが、もうそんなに時間はないだろう。クソみたいな始まり方をしたクラス合宿も、あっという間に晩飯か。そうか、もうそんな時間か……。

 手を動かすほど、お手伝いの数は増えていった。

「おーい、一条っ。言ってくれれば手伝ったのにさー、一人寂しく背中で語ってんじゃねーよ(笑)」

 と、いとウザき中村氏が彼のオタク勢もろともやって来たかと思えば、

「えー、肉焼くのー! 早く準備して焼こーぜー!」

 と、荻野の相方である、お調子者のいいづかが駆け寄ってくる。

 たまったもんじゃねえ。俺の仕事を奪うな、仕事を。

 ……思えばこのクラス。

 ……確かに苦手な奴は多いんだが、こいつ明らかにりい奴だなっていうのが誰一人としていないんだよな。

 誰かが端っこで頑張って仕事をしていれば、そいつが放っておかれることはない。すぐに手伝わなきゃって思う奴が多いようだ。

 だから、その場に参加者の全員が集まるまでには時間がかからなかった。

「ほら、あそこ。一条君、めっちゃ頑張ってる……。よく見たら、結構カッコいいよね」

 うっせいやい、じゃかあしいわ。ピーマン口に突っ込むぞ。

「かれんちゃんの彼氏だっけー?」

 違います。

「影薄いけど、いい人だよね。てゆーか、今日いたの?」

 はい、ご指摘ありがとうございます。実にそのとおりだと思います。

 つーか知ってたか、ぼっちは地獄耳なんだよ。

 これもあるあるの一つだろうが、どういうわけか、自分のことを話していれば小さい声でも聞こえてしまうんだ。別に聞きたいってわけじゃないのに。

「あはは……人気だね、一条君」

「俺としちゃあ小松君に対するコメントがないのが不満なんだけどな。絶対おかしいだろ。同じぐらい頑張ってんのに」

「ぼくは、しょうがないよ……」

「でもぼっち脱却を目指して来てんだろ」

「そっちはもう達成した……でしょ? それに一条君、橘さんの彼氏だから注目されるのは当たり前っていうかさ」

「おい! 俺の数少ない友達ならせめてその辺の理解をだなあ……!」

 どいつもこいつも好き勝手言いおってからに。

「はぁ……。二人共、こういう役回りなら大丈夫そう……?」

 と、散々気づかってくれた天樹院が控えめな表情で言ってくれば、嫌だとは中々言えないものだ。

 そりゃあ、働くのが心地よいと思い始めていたけどさ……。

 なるほど先生よ、これがあんたのやり方か。俺のような地味な在り方でも、たとえみんなと同じようなノリでいられなくても、クラスでは受け入れられる道はある。ちょうどこの前、みんなのテスト勉強を助けてあげたように。

 そのことを、あの人は今一度思い出させたかったんだ。

 全く余計なことをしよるな、あの鉄仮面教師。

 かくして価値なき一条株のバブルが始まった。そんな下らなすぎるバブル、さっさと弾けてしまえ。こちとら株式公開してねーんだよって抗議したいところだが、まあそういうのは学生生活ではあまり通用しないんだろう。

 だがおかげで、クラスの輪に入れた。無理だってしていない。

 そして幸いなことに、どいつもこいつも遊び疲れているようだ。

 この調子なら、今になって俺がパリピみてーな軽いノリに引きずり込まれるってことにはならんだろう。みんなの息が切れている分だけ、今の所ではあるが、俺は落ち着けていた。

 そして元はと言えば、俺をずっと求めてくれた橘のためにここにいるんだ。あいつの望む形かは知らないが、俺はやっと答えを見つけかけている。今はどこにいる? そろそろあいつと話をつけた方がいいだろう。また笑っているところが見たい。

 ……いや、どうしたものか。

 全員集まったかと思っていたが、例外はいた。

 橘と氷堂だけは、砂浜をどう見渡しても見つけられなかったのだ。