ハイルトンは、僕がまだアクシス家で暮らしていた頃に屋敷に仕えていた執事だ。

 僕の紋章が発覚するまでは色々と面倒を見てくれていたが、僕が水の紋章持ちだとわかった途端手のひらを返したように僕に厳しく当たるようになった。

 もちろんそれは僕の家族がそういう態度に出たからだ。使用人も僕を腫れ物を扱うように接していたから、ハイルトンの態度が変化したのも当然だったのかもしれない。

『お前のような無能がこの屋敷にいるだけで外聞が悪い。お前がどれだけアクシス家に迷惑を掛けているかわかっているのか? もしアクシス家のことを思うのならお前自身の手でさっさと死を選ぶがいい』

 ハイルトンは紋章発覚後、僕に対して常にそんな言葉を投げかけてきた。それもあって当時の僕は塞ぎがちになってたと思う。だけど屋敷を追放されることが発覚したとき、ある意味吹っ切れたと思っている。屋敷を出てしまえばハイルトンとの関わりもなくなるだろうと、そう思っていたから──。

「なんで今更──大体、僕はお前に命を狙われるような覚えはないのだけど」

 ハイルトンから目を離さず僕の気持ちを伝えた。そんな僕をハイルトンは侮蔑の瞳で見てくる。

「おやおや。まさかそのような寝ぼけたことを口にされるとは。何故処分されるかもおつむの弱い水属性の塵には理解できないか?」

 ハイルトンは大仰に両手を広げかたのように言葉を続ける。

「ならばはっきりと言ってやろう。貴様というアクシス家にとって恥でしかない屑が邪魔だからだ。故に私が自ら始末しに来たのだ」

──ハイルトンが僕を殺しに来たと断言した。まさか執事に命を狙われるハメになるなんて。

「ちょっと! さっきから聞いていれば好き勝手言って、あなたネロのなんなのよ!」

「スピィ!」

 エクレアが眉を吊り上げ叫ぶ。彼女の肩の上ではスイムも一緒になって怒ってくれているようだった。

「これはこれは。また可愛らしいお嬢様だ。お前のような無能がよくもこれだけの女を垂らし込めたものだな」

「な、なな、何言っているのよ!」

 エクレアが顔を真っ赤にさせて怒った。当然だ。ハイルトンの言い方はエクレアの品位を貶める。彼女は僕を仲間に迎えてくれた心優しい女の子なのに。

「ごめんエクレア。このハイルトンは──僕が生まれ育った家で執事をしていた男なんだ。だから彼が言った非礼は僕が代わりに謝らせてもらうよ」

 今は追放され関係が断たれたとはいえ元は僕が生まれ育った家の執事だ。全く責任がないとは言えない。

「え? し、執事? ちょっと待って。だったらどうしてネロを狙うような真似するわけ?」

「スピィ~……」

 僕の説明を受けてエクレアとスイムが戸惑っている。ハイルトンは殺意を隠そうともしていない。

「それはこの男が無能な塵だからだ。アクシス家は魔法の名家。故にこのような無能をのさばらせておくわけにはいかない」

「──ちょっとまって。まさかと思ったけどアクシスってあのアクシス侯爵家のことなの?」

 ハイルトンの話を聞きエクレアが目をパチクリさせた。やっぱりあの家はそれ相応に名前が知れていたんだ。

「うん──僕の生まれはアクシス侯爵家。だけどハイルトンの言うように家から追放された。だから今の僕は関係ないことになっている。それなのに何故だ、ハイルトン!」

 追放されてから僕は家との関係を断っていた。連絡も一切取っていないし僕自身追放されてからはアクシスの家名を出したことは一切ない。

「色々手違いがあったというべきでしょうか。本来ならとっくに始末されていなければおかしいお前がいまだ生き残っているので、仕方なしに私が直々に伺ったのですよ。もっともまさか本当に私の手を汚すことになるとは思いませんでしたがね」

 この言い方、やっぱり──。

「あの三人に僕たちを襲わせたのも、ハイルトン! お前か!」

「フフフッ。その通り。しかし驚きましたよ。まさか無能な塵にやられるとは思いませんでしたから」

 僕が問うとハイルトンは誤魔化すこともせず、はっきりと認めた。その上で雇った連中の死体に蔑むような視線を向けている。

「さっきからいい加減にしてよ無能無能って! ネロの水魔法は凄いんだからね!」

「スピィ!」

 ハイルトンが侮蔑の視線を向けてくる中、エクレアが僕の隣に立ち奴に向かって叫んだ。スイムも抗議の声を上げてくれている。

「──確かに一応はこの連中を倒したわけだしな。三流の盗賊相手とはいえ、多少使える魔法にはなったということか」

 ハイルトンが片眼鏡を弄りつつ答えた。眼鏡の奥の瞳は酷く冷え込んでいる。

「そ、そうよ。ネロの水魔法は頼りになる。あなたたちの見る目がなかっただけよ!」

「スピッ!」

「エクレア、スイム──」

 胸が熱くなった。エクレアとスイムが一緒にいてくれて、本当に良かったと思う。ただ──ハイルトンが不気味だ。僕は執事として仕えていたハイルトンしか知らない。戦えるかどうかもわかってない。

 だけど、この目は本気だ。それだけはわかる。

「頼りになる? 見る目がない? 貴様──旦那様を愚弄するかぁあぁあッ!?

 ハイルトンが突如怒りの形相で叫ぶ。この男、執事としてあいつへの忠誠心は確かに高かったけど──。

「な、何よあんた突然。大体見る目がないのは確かでしょう! 実際、ネロの魔法は強いんだから」

「スピィ!」

「──そうですか。ならばますます看過できませんな」

 エクレアもスイムも僕の力を認めてくれている。僕自身追放されたときと今では魔法の質は異なり強力になっていると感じている。

 だけど、ハイルトンの態度は全く変わらない。

「ネロ、旦那様は貴様を無能とみなしたのだ。旦那様の言葉は絶対だ。ならば貴様は無能でなければならず無能なまま死ななければいけない。この世界に有能な水の魔法使いなど存在してはならないのだからな──」

 ハイルトンは僕が無能だから殺すと言った。そしてエクレアとスイムがそれを否定したら、今度は僕が有能であってはならないから殺すらしい。本当につくづく身勝手な話だと思うよ。だけどあの男なら十分ありえるのかもしれない。

「有能な水魔法だから駄目だなんて、そんな馬鹿な話があっていいわけないじゃない!」

「スピィ!」

 エクレアはハイルトンの言いぶりに腹を立てているようだ。スイムも一緒になって怒ってくれている。

「全く。わからないお嬢さんだ。今も言っただろう? 魔法の名門アクシス家が、当主ギレイル・アクシス侯爵がそこの塵を無能だと判断したのだ。旦那様の発言は絶対だ。だからここで殺す。旦那様の判断に間違いなどあってはならないからだ。故にネロ貴様はここで死ぬ。私が殺す」

 ハイルトンは本気だ。このままじゃエクレアやスイムを巻き込みかねない。ハイルトンの戦う姿なんて見たことないけど、正直イヤな予感しかしないんだ。

「待て! 僕を狙うのはわかった。だけどエクレアとスイムは関係ないはずだ」

「関係はある。お前のような塵と行動を共にした。残念だがそれが不運の始まりだということだ」

 ハイルトンに僕以外を巻き込まないよう必死に伝えた。僕だけが狙いなら二人は逃しても問題ないはずだ。

 だがハイルトンはそう考えていないらしい。僕と行動を共にしたからって巻き添えにはできない。

「エクレアはギルドマスターの娘だぞ! 手を出したらただでは済まない。僕だけならいくらでも相手してやるから彼女とスイムは逃がしてくれ。関わりのない話なんだから」

「は? ちょっ、ネロ何言っているのよ!」

「スピィ!」

 エクレアが眉を吊り上げ叫んだ。スイムも僕の判断を良しとしないらしい。だけど、駄目だ。これは僕の家の問題だ。それにハイルトンだってギルドマスターの娘と知れば──。

「ハハッ、何かと思えば。全く。これだから塵は浅慮で困る。何故わざわざ私がこのようなダンジョンを選んだと思う? 貴様も含めて殺したところでいくらでも事故で済ますことができるからだ」

 くっ、こいつそこまで考えていたのか!

「なんならその連中の死体も利用できる。そいつらは冒険者の振りをしているが実際は盗賊だ」

 やっぱり──冒険者という部分を濁していたから怪しいとは思っていたけどね。

「お前らを片付けた後、その死体の側に転がしておけば盗賊に襲われて相打ちにあったように見せることもできるだろう」

 つまりこのダンジョンで盗賊に襲われあえなく死亡という筋書きにしたいわけか。

 しかもハイルトンは冒険者ではない。恐らく僕たちとの関係を知られるようなヘマもしなければ街に来ていた痕跡すら残していないだろう。

「──エクレア。やっぱりここは、スイムを連れて先に逃げて!」

「馬鹿ァ!」

「ぐほぉッ!?

 え、エクレアに思いっきり鳩尾を殴られました。膝ががくんと折れてめちゃめちゃ苦しいです──。

「ネロはそれで格好つけているつもり? 冗談じゃないわ! 私もスイムもあなたの仲間よ! そう思ってパーティーだって組んだ! それなのにこんなときに逃げろって──ネロにとって私たちはその程度の存在なの!?

「スピィ!」

 エクレアが僕の頬を柔らかい手で挟んで怒ってきた。スイムもやっぱり怒っているみたいだ。

 仲間、そう二人は仲間。だから僕の家のことに巻き込みたくなかった。だけど、それは結局僕の自己満足だったのだろうか──て!

「危ない!」

「キャッ!」

「スピィ!」

 エクレアを押して地面に倒れる。背中すれすれを何かが通り過ぎていった。

 これは、さっきあの盗賊の首を刎ねた──。

「私のチャクラムからよく逃げたものだ。全く。いつまでもくだらない茶番を見せられているのもたまらないのでさっさと殺したかったのですがね」

 戻ってきた輪っかを指で受け止めハイルトンが言う。恐ろしいほどに血の気の通ってない目と声で。

「あぁそうそう。さっきから勝手に逃がすやら、逃げないやら言っておりますが、私は最初から全員逃がす気などありません」

 片眼鏡を押し上げながらハイルトンが宣告してくる。

「全員仲良くあの世に送って差し上げますから後は地獄で仲良くやるといい」

 そしてハイルトンがチャクラムに触れるとその数が四つに増えた。もともと四本が重ね合わさっていたのか。

「死ぬ前に一つ教えて差し上げましょう。私の紋章は投擲。あらゆる投擲武器を私は扱えるのですよ。武芸・操投擲!」

 そしてハイルトンが殺気を込めて四本のチャクラムを投げてきた──。

 ハイルトンが投げた武器。チャクラムというらしいけど、それが高速回転しながら迫ってくる。

 それが全部で四本。それぞれが別の軌道で曲線を描きながら迫ってくる。

「水魔法・まもりたて!」

 水の盾で防御に回す。もちろん僕だけじゃなくてエクレアにも盾を用意した。

 ハイルトンの投げたチャクラムが盾に当たり跳ね返った。水魔法でなんとか攻撃を防ぐことはできている。

「凄い、水ってこんなこともできるのね」

「キュピ~!」

 エクレアが目を白黒させた。スイムはどこか誇らしげでもある。

「──これが水魔法だと? 信じがたいがやはり貴様を生かしておくわけにはいかんな!」

 僕の魔法を見たハイルトンの目つきが変わる。しかも跳ね返したチャクラムが再び戻ってきた。

「くっ!」

「一度防いだぐらいでこの私の技を破れると思ったら大間違いだ」

 チャクラムは何度も何度も僕たちに襲いかかる。エクレアとスイムにもだ。しかも軌道を微調整しながら。どうやらハイルトンの技は投げたチャクラムの動きを操作できるようだ。

「くっ!」

「ネロ!」

「スピィ!」

 脇腹をチャクラムが引き裂いていった。僕の方の防御が疎かになりそこを狙われた形だ。

「貴様の魔法には驚かされたが、仲間に集中するあまり自分の守りが薄くなっては仕方ないな」

「そ、そんな、私たちのために──」

 エクレアの顔が青ざめる。かと思えば、キッ、とハイルトンを睨みつけた。

「私は守られているばかりじゃないわ!」

 エクレアが飛び出してハイルトンに近づいた。

「武芸・雷装槌!」

 雷を纏わせエクレアがハイルトンに鉄槌を振り下ろす。

「なるほど。雷と槌の複合属性というわけか」

「え? は、速い!」

 速い──。エクレアの一撃をハイルトンがヒラリと躱してしまった。しかもハイルトンはそのまま壁に飛びつきそのまま静止した。

 壁に足が貼り付いているんだ。これは一体?

 ハイルトンは自分の紋章は投擲の紋章だと言っていた。武芸と扱っている武器から見てもそれは間違いはないだろう。

 それなのにこの動きって──ハイルトンはそのまま壁を走り、死んだ盗賊たちの側まで移動した。その動きに合わせるようにチャクラムも奴の手元に戻る。

「どうやら私の方に分があるようだな」

「どうかな?」

 僕はポーチから生命の水を取り出し飲んだ。この状況だと悠長にかけている余裕はない。薬は飲んでも効果はある。即効性は落ちるけど回復効果は患部だけじゃなくて全身に回る。

「ふん。回復薬か。だがそれもいずれ尽きる」

 ハイルトンの言う通りだ。僕の手持ちは四本。生命の水は普通の回復薬よりも効果は高いけど、本数に制限がある以上、そうそう頼れない。

「お前たちにさらなる絶望を与えよう」

 ハイルトンがニヤリと笑みを浮かべると、手持ちのチャクラムが炎に包まれた。あれも武芸なのか? だけど既視感がある。ハイルトンはくるりと回転しながら四つのチャクラムを投げつけてきた。チャクラムから炎が尾のように生えているように感じる。あいつはこのチャクラムを自由に操作できる。水の盾でも防ぎきるのは難しい──。

「こんなの私が叩き壊してあげる!」

 エクレアが勇ましい声を上げ鉄槌を振り下ろした。だけどチャクラムの動きは速い。鉄槌から逃れ軌道を変えエクレアの首に迫った。

「これでまず一人」

「スピィ!」

「させないよ! 水魔法・水ノ鞭!」

 咄嗟に水で作成した鞭を複数伸ばした。鞭を絡め、チャクラムの動きを封じ込める。

「なんだと?」

 ハイルトンが目を白黒させた。水の鞭が絡みついたことでチャクラムの炎も消えたからだろう。僕の水なら炎だって抑え込む。

「エクレア無事!?

「あ、ありがとう助かった。うん、ちょっと火傷したぐらいだから」

 火傷──鉄槌を避けたチャクラムでか。

「スピィ~」

「わぁ。ありがとうスイム。ひんやりして気持ちいいよ」

 スイムはエクレアを心配して火傷した箇所に体を擦り付けた。スイムの体は冷たい。火傷を抑える効果があるのかもしれない。だけど──。

「……なんだその目は?」

 ハイルトンが僕を見て顔を歪ませた。恐らく今の僕の瞳には怒りが滲んでいることだろう。

「僕の大切な仲間を傷つけた。絶対許さない」

「……欠陥品の分際でこの私に対してその口の利き方、許しがたいですな──」

 ハイルトンの目に殺気が宿る。チャクラムは僕の鞭が絡みついて操作できない状況だ。

 この男の武器は奪った。なのに全く戦う意志が削がれていない。

「私の武器がそれだけだと思ったら大間違いですよ」

 ハイルトンがナイフを六本取り出し不敵に笑った。そうだった。ハイルトンの紋章は投擲。投げられる武器なら種類は問わないはずだ。

「爆投擲!」

 ハイルトンがナイフを投擲してきた。投げられたナイフは直接僕たちには当たらず地面に命中し、爆発した。

「うわっ!」

「キャッ!」

「スピィ!」

 突然の爆発に怯んでしまう。でも驚きはしたけど直接のダメージはない。

「取り戻しましたぞ」

「え?」

 ハイルトンの声が背後からした。どうやら爆発に紛れて移動したようだ。しかも鞭で封じていたはずのチャクラムがなくなっている。

 いや、ハイルトンが投げたナイフもだ。どうやら回収したらしいけど、一体どうやって? 何かがおかしい。ハイルトンは紋章が投擲だと言っていた。だけど行動が紋章に伴っていない。投擲系の技はわかる。だけどそれ以外の行動はどう考えても投擲とは関係ない。単純な身体能力と考えるには違和感がある。紋章がもう一つある可能性も捨てきれないけど、それにしても幅が広すぎる。

 待てよ──そう考えると突然ハイルトンが使い出したあの炎……あれは確か僕が戦っていた盗賊の……。

「もしかして! 水魔法・水槍連破!」

 僕はハイルトンに向けて水の槍を連射した。

「おやおや。どこを狙っているのですかな?」

 ハイルトンは避けようとしなかった。僕の槍はハイルトンからは見当違いの方向に飛んでいるように見えたのだろう。

「そこだ!」

 だけど槍はハイルトンの意識を遠ざけるためだ。僕の水の鞭がハイルトンの袖に命中。

「やっぱりか!」

「──ほう」

 予想通りだった。ハイルトンの袖に隠れていたけど、鞭で袖を捲って腕輪が顕になった。

「あれはもしかして、スキルジュエル!?

「そう。おかしいと思ったらやっぱりだ。ハイルトンは紋章以外にもスキルが使える」

「スピィ!?

 エクレアとスイムも驚いていた。スキルジュエルは貴重だ。それをまさか執事のハイルトンが持っているとは思わなかった。

「恐らくあの盗賊が持っていた腕輪を、ハイルトンが奪ったんだろう」

「それは大きな勘違いだ。奪ったのではない。私が貸し与えていたのを返してもらっただけだ」

 貸し与えていた──そうか。元々はハイルトンの腕輪だったのか。どちらにしてもこれでわかったのは、ハイルトンは両腕に腕輪を嵌めているということだ。そうでないと最初から見せていたあの動きが説明できないからね。

「しかし、この私がスキルジュエルを装備していたとして、それが何か? どちらにせよお前たちが不利であることに変わりはない!」

 ハイルトンが再び縦横無尽に駆け回る。そうだ。ハイルトンの強さの秘密がわかったところでそれに対処できないと──。

「ネロ! コンビネーションよ!」

 エクレアが動き出し僕に呼びかけてきた。コンビネーション──そうか!

「放水!」

「なんだそれは?」

 水魔法を行使。杖から水が噴き出るが、ハイルトンには当たらない。

「こんなもの避けてしまえばどうということはないですな。全く。がっかりですぞ。所詮水魔法などこの程度ということ」

 放水はハイルトンには当たることなくただ周囲を水浸しにしていくだけだ。

「やはり旦那様の判断に間違いはなかった。水魔法などこの程度の代物。まさに失格者に相応しい弱々しい力だ」

「それはどうかしら!」

 ハイルトンの横からエクレアが迫り鉄槌を振り下ろした。

「無駄です。あなたの動きは遅すぎる」

 ハイルトンがヒラリとエクレアの攻撃を躱す。そのときエクレアの鉄槌から激しい光が迸った。

「武芸・らいげきつい!」

「フンッ。なるほど範囲攻撃ですか。しかし距離さえ取ってしまえば」

 エクレアの攻撃をハイルトンは大きく飛び退いて避けていた。だが、パシャンっという音を鳴らしながらハイルトンが地面に着地した、そのときだった。

「な、がぁあああああああぁああぁあああ!」

 ハイルトンが悲鳴を上げた。エクレアが使った技は電撃を発生させる。そして電撃は水を伝わる──エクレアが発見した水の理だ!

 ハイルトンがいくら素早くてもこれは避けられない! 僕たちの作戦勝ちだ。

「ぐぬぅうぅう! がぁ!」

 ハイルトンが感電し、これで勝ったと思ったのもつかの間──ハイルトンは額に血管を浮かび上がらせ、僕とエクレアを睨みつけてきた。

「そ、そんな。確かに電撃を浴びたはずなのに、これを耐えたというの!?

「スピィ!」

 エクレアとスイムが驚いている。僕も一緒だ。正直言葉にならない。

「ハハッ、お前らを尾けておいて正解だった。電撃が水を通すなどそんな馬鹿なことがあるかと思ったが、念のために耐雷のスキルジュエルを装着しておいて助かった!」

 ハイルトンが言う。これってつまりハイルトンに尾行されていたってこと?

 そういえば途中で視線を感じたことがあった。あれがハイルトンだとすればダンジョンに入ったときから尾けられていたことになる。

 なんてこった。だからハイルトンは前もって水と電撃のことがわかったんだ。それに雷に耐性がつくスキルジュエルを嵌めていた。見たところダメージが全くないわけじゃなさそうだから、レアリティの低いジュエルなのかもしれない。

 だけど一発で仕留められなかったのは確かだ。最初はハイルトンも半信半疑だったから水と雷の連携に嵌まってくれたけど、次からは間違いなく警戒してくる。

「お前らは一つ間違いを犯した。それは今の一撃でこの私を殺せなかったことだ!」

 ハイルトンがダンジョンの壁を蹴りながら縦横無尽に駆け回った。水に触れないよう、地上に留まらないでこっちを狙うつもりだろう。

「そんな──速すぎる」

「スピィ!」

 エクレアもハイルトンの動きを捉えきれていない。エクレアでさえそうなんだ。僕が目で追いきれるわけもない。

「操投擲!」

 ダンジョンの壁を蹴り跳ね回りながらハイルトンがチャクラムを投げつけてきた。四本のチャクラムが僕たちに迫ってくる。

「水魔法・水ノ鞭!」

 水を使った鞭で再びチャクラムを搦め捕ろうと考えるけど既に見せた手だ。ハイルトンによって巧みに操作されたチャクラムを捉えきることができない。

 まずい。このままじゃジリ貧だ。どうする?

「キャッ!」

「スピィ!」

「エクレア!」

 チャクラムがエクレアの肩を掠めた。エクレアの白い肌から鮮血が飛び散った。スイムが慌てている。僕も思わず声を上げた。

「だ、大丈夫よこれぐらい。ハァアァアア!」

 エクレアがハイルトンに向けて鉄槌を振り回した。だけど素早いハイルトンには当たらず壁ばかりを殴りつけている。

「ハハハハッ! 無駄だ無駄だぁッ! 貴様ら如きに私の動きは捉えきれん!」

 ハイルトンが勝ち誇ったように笑う。悔しい──僕自身もうあの家のことは忘れたかったのに、折角ネロとして新たな人生を歩み始めたばかりだというのに、あいつはそれすらも許さないのか。

「しかしこの私にほんの少しとはいえダメージを与えたことは許されない。ネロよ。貴様という塵を排除することが目的ではあったが、少し趣向を変えるとしよう。貴様を殺す前にまずそこの女とスライムから始末してやる。貴様が後悔するほどに惨たらしくな!」

 エクレアとスイムを? こいつは何を言っているんだ?

 僕を身勝手に追放したくせに。その上、折角できた大切な仲間を、友達を。──ふざけるな! 考えろ、僕! こいつの動きを止めるには?

 そうしないと僕の大切な人が、友達が──。

 それにエクレアはギルドマスターであるサンダースの大事な娘なんだ。僕の家とは違う温かい家族に悲しみなんて似合わない。

 サンダース──そうだ。あのとき、マスターと初めて会った後、ギルドに向かう途中で見たあれを利用すれば……。脳裏に浮かんだ、イメージが!

「閃いた! 水魔法・さんほうすい!」

 僕は新たな魔法を行使し杖を翳した。杖から大量のシャボン玉が吐き出され、周囲にばら撒かれる。

「なんだ、これは?」

「シャボン玉だよ」

「は?」

 ハイルトンが疑問に満ちた顔を見せる。まさかここに来てシャボン玉を浮かばせるとは考えなかったのだろう。

「これって──」

 エクレアも目を丸くさせていた。シャボン玉は基本的にはハイルトンを中心にばら撒かれている。僕はエクレアに目で訴えた。察してくれたのか、スイムを撫でながら彼女の動きが止まる。

「──やはり思った通り塵は塵ということか。こんなもので、目眩ましのつもりか!」

 怒りに満ちた目でハイルトンが壁を蹴った。僕が放出したシャボン玉をただのお遊戯とでも思ったのか。だとしたら甘い。ハイルトンが動き出してシャボン玉に触れると、泡が次々と破裂していった。途端にハイルトンの身から煙が上がる。

「ぐ、ぐぉおぉぉおぉおおお!」

 雷と水のコンビネーションの威力を知ってからハイルトンは一切地面に足をつけることがなかった。だが、もうその余裕もない。破裂したシャボン玉から零れ出た強力な酸を受けては、どれだけスキルの力に頼ったところで耐えられない。

 ハイルトンは無様に地面に落下した。片膝をつき、苦しげに呻いている。

「な、なんだこれは──貴様! 何をした!」

「大したことではないよ。お前の言う通り僕がやったのなんて強い酸性のシャボン玉を生み出したことぐらいだ。これだけで倒せるほどじゃない。だけど、今の僕には仲間がいる!」

「集中する時間は十分貰ったわ、ネロ!」

 快活な声が耳に響く。とても頼りになる女の子の自信に溢れた声だ。

 ハイルトンは電撃に耐性があるけど、完全に威力を殺せるわけじゃない。ならば、もっと強力な技を喰らわせれば、いくら耐性があろうと大ダメージは免れないだろう。

「これで決めるわ!」

 鉄槌を構えたエクレアが動きの止まったハイルトンに迫る。

「や、やめろ、そうだ! お前は見逃してやる。私に付け! アクシス家がお前の家をサポートできるよう私が働きかけてやる! だから!」

 流石のハイルトンもこのままではまずいと考えたようだ。エクレアに対して寝返るよう言っていた。だけどそれはあまりに見当違いの発言だ。

「誰があんたなんか! 私はね。ネロをバカにされたことが一番許せないのよ!」

「スピィ!」

 エクレアがハイルトンに向けて言い放ち、スイムも声を上げる。そしてエクレアの鉄槌が振り下ろされた。

「武芸・雷神槌トールハンマー!」

「ぐ、ぐがああああぁあああぁああぁあああぁあああぁあああぁあッ!?

 エクレアの鉄槌が直撃し、雷と打撃によるダブルのダメージでハイルトンが絶叫を上げた──これで遂に、やったか……。

 エクレアの武芸が直撃したことでハイルトンの体からプスプスと煙が上がっている。

 肌もところどころ焦げ付いているようだ。

「ぐっ!」

 ハイルトンの片膝が崩れる。地面に膝をつき、苦しげな表情を見せた。あれだけのダメージを受けてもまだ意識があるのはとんでもないね。だけど、もう戦える体力は残ってないだろう。

「観念しろ、ハイルトン。これで終わりだ。いくらアクシス家とはいえ、これだけの犯罪行為に手を染めたらただでは済まない」

「カカッ、してやったりとでも思ったか? 塵はやはり考えが浅い」

 ハイルトンに敗北を認めよと通達する。だけどハイルトンはこの期に及んでもまだこんなことを──。

「いい加減にしなさいよ。この状況でまだネロを馬鹿にする気なの!」

「スピッ! スピィ!」

 エクレアとスイムはハイルトンの態度が気に入らないようだ。ただ、気になる。まさか、まだ何か企んでる?

「馬鹿が。今回の件アクシス家は関係のないこと。この私が独断でやったことよ。貴様はこれで意趣返しができるとでも考えたかもしれんが甘かったな」

 ニヤリとハイルトンが笑みを深める。そういうことか。

 だけど、今の僕にとって大事なのは皆が無事でいることだ。

「くだらない。そんなの今気にしても仕方ないよ。別にお前がうちの命令があって来てようが来てまいが、ハイルトン、お前が罪を犯したことに変わりはない」

「そうよ。どっちにしろあんたは終わりってこと」

「スピスピッ!」

 ハイルトンに向けてハッキリと言い放つ。それに追随してエクレアとスイムもハイルトンを見下ろし声を上げてくれた。