「俺の弟子に手を出した罪、命であがなってもらおう」
「し、師匠?」
床を這いずって床に空いた穴まで行って下を覗き込むジケが見たのは、グルゼイが男の首を刎ねる瞬間だった。
なぜここにいるのか疑問に思うがひとまず助かったと思った。
グルゼイがジケを見上げて眉をひそめる。
口から血を流し、右目付近が黒く変色しているジケの姿にグルゼイは怒りを覚える。
「無事だったかと言いたいところだが思っていたよりも酷い状態だな」
「すいません……師匠に剣を習っておきながら情けなくて」
「そうではない……」
「師匠! 危ない!」
まだ剣を教えてもないのだし明らかな異常事態である。
無様な姿だなんてこのような状況で思うわけもなく、子供に、ましてや自分の弟子にこんなことをした奴に怒りしかない。
この廃墟に来て異常な状況の一端を理解してよく生き残った、よく耐えたものだ、そうグルゼイは思っていたがジケは全く違う捉え方をしていて少しだけショックを受けた。
弁解しようと口を開いたがその隙もなく首の無くなった男の身体が動いた。
拳を高く振り上げグルゼイに襲いかかる。
もちろんグルゼイに油断はない。
首を切って血の一滴も出ないのだから何かがおかしいと思っていた。
まずは弟子の生存確認を優先しただけで終わったなどと
「くっ!」
剣を振り肘から先を切り飛ばすが男の勢いは衰えない。
そのまま残りの腕でグルゼイに殴りかかり、間一髪グルゼイはそれを避ける。
よく見ると男の首や腕の切り口からその正体が分かった。
「年輪……お前、木だな。本体はまた別のところにいるのか」
表面は人のように見えていたが中身は木であった。
頭と腕を失った不気味な木製人形は未だグルゼイに殴りかかろうと体を反転させる。
「気味が悪いな」
頭や腕を切り落としても動いてくるというなら対処は単純だ。
「大人しくしていろ」
薄く均一な魔力がグルゼイの全身を包み強化する。
ジケにはまだ見えない速さで剣を振るい、左手を上げた木製人形は瞬く間にグルゼイの剣にバラバラにされた。
「ふぅ、大丈夫か、ジケ」
グルゼイが飛び上がりジケの横に着地する。
二階の高さをこともなげに飛んでみせるグルゼイにジケは実力の差を感じる。
「師匠、どうしてここに……」
「……弟子の危機とあれば飛んでもくるさ」
少し照れくさそうにグルゼイが頬を掻く。
ジケの居場所をグルゼイが知るわけもないから大婆が伝えたのかもしれない。
それにしても助けに来てくれるなんてジケにとって意外だった。
実際大婆の知らせを受けたのだが、大慌てで飛んできたなんてグルゼイに言えるわけもなかった。
「もうすぐ兵士やなんかも来るはずだ。女の子も保護された」
「良かった……」
「ただ……まだ終わっていない」
グルゼイが振り返りざまに剣を振る。
一階から伸びてきた木の根の先がボトボトと床に落ちていく。
あの木製人形は本体ではない。
人形でも操作するのは容易いことではないので、近くにまだいるはずだとグルゼイは考える。
「もう少し待っていろ。すぐに終わらせてくる」
グルゼイが再び飛び降りて一階に降りていく。
「どうやら本体も近くにいるみたいだな。尻尾巻いてどっかに逃げればいいものを、スティーカー」
グルゼイの右手の裾から小さな蛇が顔を覗かせて赤い舌をチロチロと伸ばす。
スティーカーと名付けられたグルゼイの魔獣である。
スティーカーはその小さな口を大きく開けるとグルゼイが持つ剣の根元に噛み付いた。
牙から剣の表面にグリーンの線が広がっていく。
グルゼイの剣の表面には剣の根元から枝分かれする細い溝が剣の先まで伸びている。
スティーカーの牙から出た毒が溝の端から溝を伝って剣先まで満たされていく。
珍しいタイプの魔獣との協力技をグルゼイは使う。
そうしている間にも木の根はグルゼイに襲いかかる。
弟子を傷つけられた怒りに燃えながらも頭は冷静に。
避けて、切ってとあらかじめ決められていた動きのように無駄がなくダンスでも踊っているかのようにグルゼイは木の根を処理する。
木の根だって硬いはずなのに、柔らかいものでも切っているかのように。
「ボーッと見てる場合じゃないな」
ただ上から眺めていても状況は変わらない。
痛む身体を押してジケは床を這いずる。
床が抜けても危ないのでグルゼイが開けた穴から少し離れて移動する。
目指すは暖炉だがもう一本火かき棒を探すためではない。
「えっと、ここら辺かな」
暖炉に手を突っ込みペタペタと触って探る。
すっかり日も落ちて暗いので視認するのは難しく、魔力を感知できるような集中も保てない。
指先に神経を集中させてそれを探す。
布の質感を感じてそれをグッと掴む。
「よい、しょっと」
脇腹が痛むが気合を入れて掴んだものを引っ張り出す。
大きな塊が暖炉の中から引きずり出される。
「おい、大丈夫か?」
ジケ自身の手も真っ黒なのであまり効果はないが、それでも多少はマシになるだろうと暖炉の煤を払う。
「少し……かなり埃っぽくて呼吸が苦しかったです」
真っ黒なそれが目を開けた。
真っ黒な中に少し紫がかったようなブルーの瞳がジケを見上げている。
暖炉の中から引き出したそれは煤にまみれて真っ暗になっていたリンデランだった。
咄嗟にリンデランをどこかに隠さなきゃいけないと思った時、目についたのが部屋にあった大きな暖炉であった。
長いこと手入れもされていないのか煤けて真っ黒になった暖炉にリンデランを押し込んだ。
ついでに煤を手に取って顔やその目立つ髪に塗りたくって隠した。
薄暗い部屋の中では分かりにくく、まして暖炉の中をしげしげと覗き込む奴もいない。
その過程で火かき棒はたまたま見つけたのだ。
結局グルゼイが駆けつけたので意味はなかったかもしれないが、見つけられなかったので効果のあるアイデアだったと思いたい。
「身体はどうだ?」
「まだとても痛いですが先ほどよりは少しだけ和らぎました」
ポーションの効果があったようで話はできるようになった。
しかし走って逃げられるほどの回復は出来なかった。
逃げられたとしてどこに行く。
玄関は塞がれている。グルゼイが来たので今は玄関も破壊されているかもしれないけど、確かめられなきゃ向かうのも自殺行為だ。
ジケと男の戦いで壁に穴が空いていても二階から飛び降りるのはとてもではないが耐えられない。
「動けるか?」
「……とても動けそうにはありません」
動こうとしてみてリンデランがうめき声をあげる。
リンデランの状態も相当に悪い。
「何でもいい。這いずってでも移動するんだ」
「……わかりました」
仰向けの体勢からリンデランが小さくうめき声を上げながらうつ伏せにひっくり返る。
逃げるのは難しいかもしれないがせめてこの床の抜けそうな部屋から離れた方がいい。
落ちればグルゼイが戦う戦場だし、落ちた衝撃でそのまま死んでしまいそうなぐらい危険な状態だ。
ジケは右腕でリンデランを抱えるようにしながら二人で少しずつ移動を始めた。
「貴様は一体何者で、何故私の邪魔をする」
一方でグルゼイは木の根を切り続けていた。
きりがないと思える戦いだが木の根の動きが鈍り始めた。
木の根っこだって無尽蔵に生み出せるわけでない。
特に攻撃のパターンに変化もないので戦うのも難しくなく、切り落とされた根の先は腐るようにして消えていく。
自然の木の根っこではなく魔力で作り出された魔獣の根っこなので切り落とされると消えてしまうのだ。
近づいてきているのは魔力を感知していたから分かっていたので声をかけられても驚きはしない。
しかし実際相手の姿を見てグルゼイは内心ギョッとしていた。
木製人形も決して太くはなく本体の細さを予想させるに足る体型だったが現れた男は偽物よりも細く、例えるなら枯れた木のような身体をしていた。
頬はこけていて腕や指は強く掴めば折れてしまいそうで骨と皮だけと表現しても良いが、それよりももっと水分が抜け落ちたような体をしている。
言葉を発さなければ木の魔獣は目の前の男なのではないかと思うほどであった。
身体からは生命力が感じられない。
なのに目はやたらとギラつき意思に満ちていて怒りに燃えている。
異様な風体の男にグルゼイは思わず警戒を強める。
「モルファ」
呼ぶが早いか、床を突き破って木が生えてきた。
人ほどの高さのところでポッキリと折れてしまったかのような切り株みたいな見た目をしていて表面が黒い。
やや特殊な形状だが木を操る特性と見た目からトレントの一種であることがわかる。
幹の途中から生えた枝がしなり、グルゼイを狙う。
ほんの一瞬の判断、グルゼイは振りかけた剣を止めてモルファの攻撃をバク転で避けた。
後ろに反ったグルゼイの胸の上を風を切る轟音を立てて枝が通り過ぎる。
グルゼイはそのまま着地の勢いを利用してモルファに切り掛かる。
ガキンと金属同士がぶつかる甲高い音が鳴り響く。
モルファはグルゼイの攻撃を枝で防いでみせた。
枝ごと両断するつもりだったが逆に手がわずかにしびれる。
「黒いトレント……やはり普通ではなかったか」
木に擬態するトレントは見た目も様々である。しかしモルファは明らかに他のトレントに比べて黒いのである。
木というよりも巨大な炭に近く、金属のように硬い。
グルゼイの感じた嫌な予感の正体である。
あのまま回避しないで枝を剣で切ろうとしていたらグルゼイは今ごろ手痛い一撃を喰らっていた。
「ヒヒヒッ、貴様に俺のモルファは切れんよ」
モルファから距離をとるグルゼイを見て勝ち誇ったように男が笑う。
「そうか? なら試してみよう」
生来の負けず嫌い、誰かが言った言葉を思い出しながらグルゼイはグッと体勢を低く剣を構える。
一瞬で距離を詰めて剣を振り抜いてそのまま駆け抜ける。
「無駄な足掻きを」
男は鼻で笑って軽く手を振る。
すると今度は今まで普通の色だった木の根に代わって黒い木の根が床から生えてきて一斉にグルゼイに襲いかかるが、グルゼイはそんなこと気にせずモルファ本体を切る。
むなしく金属がぶつかる音がするが諦めない。
モルファはグルゼイを捉えきれず、グルゼイの攻撃はモルファにダメージを与えられないやり取りの繰り返し。
終わりの見えない勝負かのようにみえたが変化が訪れた。
何度目かも分からない斬撃。
ずっと聞こえていた高い金属音とは違う、少し低めの音に男の顔がくもる。
剣の刃の部分だけではあるがモルファに食い込んでいた。
表面で弾かれるばかりであったのに確実にモルファに傷をつけていた。
しかしまだ切るというには程遠いのでグルゼイはもう一度斬撃を叩き込むと再び鈍い音がして剣の半分ほどがモルファに食い込み、男に焦りが生まれた。
「クッ……一体どうやって」
種明かしをしてしまえばなんてことはない。
ただひたすらに全く同じ場所を切り付けた、それだけである。
トレントの顔部分を参考にして切り付けた場所を覚えて、木の根の攻撃を避けながら自分の位置を調整して同じところを切る。
言うは易いが何もかも高水準でなければ行えない
多少切り付けられたところでなんてことはないが、グルゼイの
「モルファ、本気でいけ! ダークスピア!」
焦った男が魔法を使いモルファを支援する。
本気でグルゼイを仕留めにかかる。
黒く細長い槍状の魔法がグルゼイに向かって飛んでいき、同時にモルファの木の根も四方八方から振り下ろされる。
「たった少し傷をつけたぐらいでいい気になるなよ!」
一部の魔法を切り裂き、後は寸でのところで避けるグルゼイはどこからどう見ても防戦一方で余裕がないように見えるが本人はニヤリと笑みを浮かべた。
たった少し、その少しで自分には十分であると。
対して攻め立てている男はグルゼイのような余裕はない。
男の魔力も無尽蔵なわけじゃない。
魔法の使用、木の根の再生でも魔力は減るし細い身体は魔力を失えばあっという間に弱り切ってしまうのでさっさと片をつけなければいけない。
なのに、グルゼイに攻撃は当たらない。
完璧に追い詰めたように見えても抜け目なく穴を見つけたり、魔法を切って木の根にぶつけて軌道を逸らしたりと回避を続けている。
逃してしまったガキも気がかりだと男は思う。
おそらくよほど間抜けじゃない限り人を呼ぶに違いなく、どこかに身を隠す必要がある。
生きた証人がいる以上徹底的に調べるはずだからこれまでの方法は使えず、町を離れることも考えなくてはいけない。
どうやって目の前の目障りな奴を殺すか男が考えていると、モルファの動きが目に見えて鈍くなってきていた。
「モルファ、何を……」
グルゼイがつけた傷はすでに塞がり魔力が底をついたわけでもない。
なぜモルファに異変が生じたのか、なぜ苦しむように揺れているのか。
男は理解ができなかった。
グルゼイは避けるのに必死でモルファに近づいてもいない。何がモルファを苦しめているというのか。
「う、ウウッ……」
突如として腹部に針で刺されたような鋭い痛みを感じ、男は膝をついた。
自分が何かされたのではない。
これはモルファが感じている痛みだと瞬時に分かった。
「意外だな」
グルゼイがゆっくりと男に近づく。
グルゼイの魔獣であるスティーカーは非常に小柄な蛇の魔物で、単純な力だけでいえば相当非力な部類に入る。
けれどもスティーカーは別名森の殺し屋と呼ばれるインフェリアバジリスク。
その大きな武器となるのは身体能力でも魔力でもない。
強力で抗いようのない毒こそがスティーカーの最大の武器である。
さすがに刃先まで毒を通すのは難しく刃先だけでは毒に侵すことは無理だが剣身に刻まれている溝にはスティーカーの致命的な毒が満ちている。
剣身の半分まで入れば相手は完全に毒に侵されることになる。
毒に侵されたのは魔獣であるモルファであって男ではないのに男の方も苦しみ始めた。
魔獣との結びつきが強いと魔獣の苦しみや痛みすらも契約している本人が感じることがある。
絆が深いとかリンクが強いとか表現にはいくつかあるが要するに魔獣と心を通わせることであり、喜びや痛みなどの感情や感覚を共有することができて魔獣から受けられる魔力も多くなる。
単に一緒に居ればいいというわけでもなく相性や魔獣の性格によっても絆の強め方は変わる。
そして痛みなどの感覚まで共有できるということは最上級クラスに絆が強いことになる。
よって痛みまで感じるほど絆が強いことは稀である。
ましてトレントは魔獣としては知能が低い。
総じて知能が低い魔獣は関係を築きにくく絆を強めにくい。
毒の効きにくい植物系の魔獣で絆も強めにくいのに膝をつくほど痛みを感じるとはグルゼイも思っていなかった。
「今度こそ終わりだ」
だが男が魔獣と深く絆で結ばれていることなど今はどうでもいい。
男の方も苦痛を感じて動けなくなったのだとしたら好都合なだけ。
もっと余裕があるなら拘束すべきだがジケの体の状態を考えるとそんなことしていられない。
さっさと殺して弟子を教会にでも連れて行って治療してもらおうとグルゼイの剣が男の首に当てられる。
「リィィィィィン!」
最後の足掻きか、新たな敵襲か、天井が崩壊して何かが落ちてきた。
「何者だ!」
魔獣が何かしたのかとグルゼイは思ったが、モルファはただの木のようになって動いていない。
そこにいたのは白髪のやたらガタイのいい老年男性。
老年男性の周りにはチリチリと火の粉が舞い、魔力が渦巻いている。
「貴様こそ何者だ、ワシの孫はどこにいる!」
「孫? 何のことだか……」
「ウソをつくなぁ! ファイアウェーブ!」
老年男性が腕を突き出すや魔力の
「この……ジジイ!」
間一髪グルゼイが魔法を切って直撃は避けるも圧倒的な熱量に服の端が焦げ付く。
「クッ、おい聞け! 少なくともあんたと俺は敵じゃない」
「なにぃ! …………ならワシの孫はどこにおる!」
「俺は知らん。さっきまでここにいた男が知っているはずだがな」
気づけば横にいたはずの男がいなくなっていた。
モルファもいない。
いざこざの間に隙をみて逃げ出していたのであった。
「なんだと、逃さんぞ!」
よほど焦っているためかグルゼイの言葉を聞いて老年男性はすぐに飛び出して行ってしまった。
わざわざ壁に大穴を開けて飛び出していかなくてもと思うが、知らない爺さんに忠告することもない。
慌てて追いかけるまでもない。
毒が効いているのだから逃げられたとしても高が知れている。
老年男性が追いかけるのに開けた大きな穴を見ながら逆に気持ちが落ち着いていくのをグルゼイは感じた。
「ハァッハァッ……クソッ」
グルゼイの予想通り廃墟の裏で男はほとんど逃げていないにもかかわらず、激しく息切れを起こし胸を強く握っていた。
モルファに回った毒が男のことも苦しめていた。
あと少し、あと一人でよかったのに欲張ったと後悔が浮かんでくる。
あのお方のご期待に沿えるようにと屋敷に入り込んだ子供の中で有望そうな者を選んで捕らえて養分にした。
非常に強い魔力を持った子供を捕まえたので最後の仕上げにしようと取っておいたのが失敗だった。
さっさと取り込んでいれば今頃はこんなところで逃げ回っていることもなかったろうし、もし戦うことになってもこんな情けない姿を晒すことはなかった。
動かなくなったモルファを一時的に魔石状態にしてこっそり逃げてきた。
魔石状態にしたとはいえ身体の不調は治らない。
全身が
何をされたのか男には分かっていないがマズイ状態である。
「ひとまずここを離れなければ……」
「どこへ行く?」
後ろから頭を鷲掴みにされて持ち上げられる。
いきなり火を操るデカイジジイが現れた隙に、チャンスだと思って逃げてきた。
しかしそんなデカイジジイに片手で持ち上げられた。
「ワシの孫をどこへやった」
馬鹿の一つ覚えみたいに同じ言葉を繰り返す。
「ヒヒヒッ、あんたの孫……そうだな、俺を殺せばその孫とやらと一生会えなふ……ふぃ」
キツく締め上げられて痛む頭で状況を打開する方法を考える。悪知恵を働かせようとするが下手な時間稼ぎはむしろ相手を怒らせた。
ミシミシと音が聞こえてくるほど手に力が込められ言葉を発することもできない。
痩身とはいっても人一人を片手で持ち上げるとはどんな化け物だ。
(ヤバい……もうこれしかない)
徐々に遠のく意識の中、男はポケットに手を突っ込んでモルファの黒い魔石ともう一つ小指の先ほどの大きさの黒い丸い石を取り出して、口に入れた。
縦長とはいえ手のひらぐらいの長さのあるモルファの魔石を一息にのどに押し込む。
「むぐぐ……」
異物がのどを通ることを身体が拒否して気持ちが悪く涙が出てくる。
「何をしている!」
後ろからでは何をしているか見えないが足をバタつかせ苦しむ様子にようやく異常に気づいた。
男の頭から手を離し胸ぐらを掴んで引き寄せる。
男の目は焦点が合っておらず口を手で押さえたまま涙を流し続けている。
「何を飲み込もうとしている」
口から手を引き剥がそうにも男はものすごい力で抵抗しており動かない。
「うぐ……」
「な、おい、おいっ!」
男ののどが大きく動き魔石を飲み込んだ。
途端男の身体から力が抜けグルンと目が上を向く。
慌てて身体を揺すってみても男はダランとして反応はない。
口に手を当ててみても呼吸をしていない。
手を離すと男の身体は力なく地面に倒れる。
「な、なんと」
潔いのか、意地が悪いのか、自殺するだなんて微塵も思わなかった。
孫であるリンデランに繋がる唯一の証人が死んでしまったことに肩を落とす。
廃墟のどこかに捕らえられているならいいが他の場所に捕らえられていたらと考えるとゾッとする。
「……むっ」
廃墟をひっくり返しても捜し出してみせると自分を奮い立たせた瞬間、嫌な気配を感じて振り返った。
いや振り返ろうとした。
視界がぐるぐると周り、浮遊感、そして地面に叩きつけられた。
耳鳴りがして物が何重にも見える。
「キシシ……苦労かけやがって」
殴られて吹き飛んだのだと理解するのに時間はかからなかったが状況の理解が出来ない。
死んだことは確認した。
なのに、死人が息を吹き返したというのか。
さらにはあの細腕で殴ったところでいかほどのダメージもないだろうに、油断していたとはいえ一発で意識が軽く混濁するほどの
頭を振り焦点が合ってくると男の姿に驚愕する。
例えるなら木のような容姿の男だった。
それが今はどうだろうか、明らかに男は木になっている。
水分が抜けたようでガサガサだった肌は樹皮になり目は赤く染まり指先が枝のように伸びている。
樹皮もただの樹皮ではない。
モルファと同じ真っ黒な樹皮に覆われている。
「キシシ、シネ」
「ファイアウォール!」
トドメを刺そうと殴りかかる男の前に炎の壁が反り立つ。
人にせよトレントにせよ火が目の前に現れたら怯んでしまうのはどうしようもない。
一秒にも満たず隙とも言えない硬直だが、わずかばかりのためらいが生じることを知っている。
自分の炎であっても相当熱いのにそんなことお構いなしに何度もやってきた過去の経験がなせる本能にも近い妙技。
ファイアウォールを防御ではなく目眩し、一瞬の隙を作ることに使う。
ファイアウォールを出して自分は殴りかかり、すぐにファイアウォールを消すことで火傷もせず気づけば相手は目の前に拳が迫るという荒技。
タイミングを間違えば自分が自分の魔法でやけどしてしまう。
魔力を送るのをやめて魔法を消してもすぐには魔法は消えないために遅れれば無防備なパンチにもなり兼ねない非常にシビアな戦い方である。
当然男も気づいた時には顔面にパンチを食らい後ろに転がっていた。
お返し。
ある種の高等技術を単に殴られたから殴り返すのに使った。
「ハッハッハッ、孫の居場所を聞かねばならぬから手加減をと思っておったが……お主は危険すぎるな。このパージヴェル・アーシェント・ヘギウスがお主を倒してみせよう」
パージヴェルが剣を抜く。
一般的な両刃剣に見えるが二メートル近い体格のパージヴェルに合わせて作られた剣なので実際は普通のものよりも大きい。
男が起き上がり感情の読めない目をパージヴェルに向ける。
思い切り拳を振り抜いたのに男にはダメージを受けている様子は見受けられない。
「コロス」
それどころか人らしさも段々と失われていっている。
「相手が名乗ったら自分が名乗るのも礼儀だろうに」
メキメキ音を立てて男の身体が一回り大きくなる。
より木らしくなり、もはや残っていた人らしさが完全に消え去ってしまう。
男が一直線に距離を詰め、腕を振り下ろしたのを剣で受ける。
本気を出したわけではないが手を抜いたわけでもないのに受けた剣が額スレスレまで押される。
近づけば近づくほどに感じる不吉な魔力。
不安定な感じがしていた魔力が段々と落ち着いて馴染んでいっている。
身体に力を込めて男を押し戻して、切り返す。
刃先は硬い表皮に阻まれ切れはしないが構わず振り切る。しかし流石に男の方も何度も転がることもせず少しよろけるに留まった。
年寄りとは到底思えないパワーだが男の方も先ほどまでとは比較にならない力をしている。
「我が孫に手を出した罪を思い知れ」
ただ少し切っただけで終わるパージヴェルではない。
剣に魔力を込め炎をまとわせ切り掛かる。
咄嗟に腕を上げて攻撃を防ごうとしたが取るべき行動は防御ではなく回避だった。
研ぎ澄まされて周りがゆっくりと動いている、そんな感覚に陥るほど男の能力は強化されていた。
どうせ切れはしないと上げた腕がゆっくりと目の前を落ちていき、腕が視界から外れるとその向こうでパージヴェルがすでに突きの体勢をとっていた。
恐ろしいほどに無駄のない滑らかな動作。
次にどう動くかは相手の反応次第なのにまるで決まっていたようにパージヴェルは剣を操る。
金属のように硬い表皮も切り裂ける自信がパージヴェルにはあり、回避だろうと防御だろうと剣をしっかり振り下ろせることは分かっていた。
単純な動作が故にパージヴェルの動きはとんでもなく速かった。
男の能力も上がったのでパージヴェルの攻撃にはついていけるはずだった。
視覚だけはパージヴェルの行動に付いていけていた。
なのに、体は付いていけず動かない。
慣れない速さに男の意識が体の方に適応できず、パージヴェルの攻撃の速さに対応できていなかったのだ。
切られたことは分かってもなぜ切れたのか分からない。
どうしてすべてがゆっくりに見える世界でパージヴェルだけが普通に動いているのか分からない。
「燃えろ」
ようやく腕の痛みを感じ始めた時、男の胸にはパージヴェルの剣が刺さっていた。
そして胸に剣が刺さったことを認識した時、男の身体は炎に包まれていた。
「ああぁぁぁぁぁ!」
「安らかに、逝くといい」
慈悲をかけるならそれは中途半端にせずさっさと殺してやることである。
パージヴェルは燃え尽きるのを待つのでなくもだえ苦しむ男を
苦痛を感じさせずに殺してやることがせめてもの情けであったのだ。
「不吉な魔力、魔獣との同化、この男に何があったんだ……」
剣を納め燃える死体を眺める。
リンデランのことを忘れてはいないが拘束するにはあまりに不確定要素が多くリスクが大きい。
もっと人がいるならそれもよかったかもしれないが、逃げられでもしたら厄介なことになる。
段々と力に慣れてきていたので完全に慣れてしまう前に倒した方がよいと判断した。
「まあよい、今はリンデランを捜すことが優先……」
「おい」
「ぬっ? お主は……」
◇
叩きつけられた左の脇腹が痛まないようにゆっくりとリンデランは仰向けからうつ伏せに体勢を変える。
まずはもうこの部屋の床は信用が出来ないので部屋から離れなければいけない。
リンデランの横にピッタリくっつき引っ張りながらジケは少しずつ進む。
情けなく這いずることしかできないけれど諦めるつもりなんて毛頭ない。
どんなに無様な姿であっても生き残ることの方が大事なのだ。
「大丈夫だよ、フィオス」
フィオスが心配するようにジケの側にいる。
ジケの体の周りを飛び回っては手の煤などの汚れを取ってくれている。
下から時折金属のぶつかる音がしてグルゼイが戦っていることが分かる。
幸い男の頭の中からジケやリンデランのことは抜け落ちているらしく攻撃される気配はない。
今のうちに少しでも移動しておきたい。
「リィィィィィン!」
「なん……だ」
状況が把握できない。
もう少しで廊下に出られるところで誰かの声が聞こえたと思ったら天井が落ちてきた。
そんな義理もないのに身体が勝手に動いた。
「身体を丸くしろ! フィオース!」
リンデランが頭を抱えて膝を曲げて丸くなる。
激痛が全身に走るがそんなことも言っていられない。
ジケはリンデランを抱きかかえるように覆いかぶさった。
同時に衝撃で床が抜ける。
ふわりとした感覚に襲われる。
轟音と衝撃で天地がひっくり返ったように何も分からなくなった。
「お、重い……」
元々かなり古くなった建物に戦闘の度重なる衝撃や床に空けられた大きな穴などが重なって一気に崩壊してしまった。
ジケとリンデランは崩壊に巻き込まれて二階から落ちた。
床だけでなく上から天井も崩れてきたのだけど二人は運が良く潰れることはなかった。
崩れた木が支えあって偶然二人が入れるだけの空間を作り出していた。
それも本当に二人がギリギリ収まっているだけで余裕はない。
落ちた時に仰向けになったリンデランの上に乗っているジケは動かない。
身体を動かそうにも痛みと狭いスペースのせいで身をよじらせるぐらいしかできない。
ただ思いのほか落ちた衝撃による痛みはない。
気づくと背中が柔らかいとリンデランは思った。
手を伸ばしてみるとぷにっとした何かに触れた。
押してみると弾力がある。
リンデランを衝撃から守ったのはジケだけではなかった。
とっさにフィオスを呼んだジケはフィオスをリンデランの背中に差し入れた。
衝撃に強いスライムの特性を生かしたのだ。
これ以上リンデランにダメージがあると命に関わるので少しでも衝撃を減らそうとした。
フィオスクッションのおかげで、リンデランは落下によるダメージをほとんど受けずに済んでいた。
「ジケさん……?」
動きたいのに動けない。
上になっているジケが動いてくれないとどうしようもないのに待てど暮らせどジケは動かない、何の反応もない。
不安になったリンデランがジケの肩を揺すってもうめき声すら上げない。
ハッとして呼吸を確かめるが息はしている。
打ちどころが悪く気絶しているのかもしれないと思った。
とりあえずジケが生きていて安心するが自分の手元すら見えないのでどうしたらいいのか分からず不安が胸を占める。
このまま知り合ったばかりの男の子と抱き合ったような体勢のまま誰にも見つからないなんてこともあると考えると怖い。
怖いのだが今の体勢を考えた時、密着した体温とジケの呼吸を直ぐ近くに感じて意識しないようにすればするほど意識してしまう。
そもそも男の子の友達もいないためこんなに近いことも当然リンデランは経験にない。
変なところに考えが飛んでしまうと止まらないもので思わず顔が赤くなる。
「あれ……これは」
リンデランの手に何かドロっとした物が触れた。
ほんのりと温かく粘度のある液体がジケの方から垂れてきている。
液体がどこから出てきた何なのか分からず感覚を頼りに液体の元を辿る。
液体はジケの身体を伝って垂れている。
辿っていくとコツンと手が硬いものに当たった。
上に長く伸びる木片なのはすぐに分かったが液体は木片の上から垂れてきている物ではない。
その液体の正体に薄々勘づいてしまって急激に心臓が締め付けられる。
「あ……あぁ……」
ジケの体を伝う液体はジケの体と木片の間から流れている。
崩れた屋根か床が運悪くジケの背中に突き刺さっていて液体はジケの身体から流れ出る血液であった。
怪我の状態を確認しようにも顔を上げられないし暗くて何も見えない。
怪我の周辺を軽く触れられるぐらいで他に何もしようがない。
「ジケさん? ……ジケさん!」
頭の中が一気にパニックになって訳も分からず涙が出てくる。
怪我の程度は分からないけれどどう考えても軽くはない。
放っておいてしまうとジケの命が危ないことはリンデランにも分かる。
動揺しているとリンデランの背中からフィオスが抜けだした。
「どうしよう……このままじゃ」
「おい、ジケ、そこにいるか!」
少し離れたところから男の人の声が聞こえた。
姿は見えずリンデランの知り合いではない声であるが、少し前に暖炉に隠れている時に聞いたジケと話していた師匠と呼ばれていた人の声に似ている。
「こ、ここにいます! うっ……」
少なくとも自分を誘拐監禁していた人ではなく、敵意も感じられない。
聞こえるように大きな声で返すがそれだけでリンデランの身体は悲鳴を上げる。
ポーションの効果がまだ残っていたのとジケの最悪な状態のために忘れていたが、決してリンデランも良い状態とは言えない。
「……ッ、ここです!」
身体が痛くてもリンデランは力を振り絞って声を出した。
もし気づかれなければ、死んだと思われ離れていってしまったら。
残された時間は少なく今の自分にできることは声を出すことだけなので、リンデランは必死に叫んだ。
しかし無情にも相手からの反応はなく自然とリンデランの頬を涙が伝う。
「こ、ここにいるんです……誰か、お願い…………」
もしかしたら自分の上にいるジケは自分を置いて逃げれば無事だったかもしれない。
自分を助けようとしたがためにこんなところで死んでしまうかもしれないし、助けようとした自分も結局助からないのではないか。
悲観的な考えが浮かび、申し訳なさに胸が張り裂けそうになる。
「ヒャッ! ……うぅ……」
チロリ!
何かが頬に触れてリンデランは可愛らしく叫んだ。
それでも体が
何か分からなかったがポッと小さく炎が燃えてそれが何なのか見えるようになった。
「蛇……?」
リンデランの顔の横にいたのはグルゼイの魔獣スティーカーであった。
真っ白な小さな蛇が開けた口の先に火を灯していた。
リンデランの頬に触れたのはスティーカーの舌であった。
無論、グルゼイがジケを見捨てるわけがなかった。
魔力を感知する方向を限定して集中し崩れた木材の中を探った。
流石に物が多すぎて状態までは分からなかったが人がいることは分かっていた。
中の状況を確認するためにスティーカーを送り込み、サードアイの魔法で視界を共有していた。
グルゼイは大婆と違いそうした魔法をあまり使わず得意ではないために集中する必要があり、返事ができなかったのである。
スティーカーはキョロキョロと周りを見渡し状況を主人に伝える。
スティーカーの目は熱感知器官になっており、普通の魔獣とは見え方が違うため状況を把握するのが難しい。
逆に暗くても見えるため細かくジケの方を見て状態の悪さを悟ったグルゼイの焦りが、スティーカーにも伝わってくる。
背中に何かが刺さり出血していて、体温がかなり低くなっていることが見て分かった。
そしてさらに確認していくと刺さる木片の根元に何かが見えた。
「フィオス?」
それだけ温度が違うので一瞬なんだか分からなかったが、不思議な丸い形に見覚えがあってピンときた。
木片の根元に巻き付いているのはフィオスだった。
フィオスなことは分かったが通常とは違う見え方をしているのでグルゼイには何をしているのかわからなかった。
二人以外の状況も確認する。
早くジケを助けなきゃいけないが二人がいる空間は絶妙なバランスで成り立っていて、下手に上から木をどかしていけば崩れてしまいそうに見える。
グルゼイにもなす術がない。
助けを呼びに行こうにもジケの状態は一刻を争い、助けを呼びに行って帰ってくるまでジケが持ちこたえられる保証がない。
「考えろ」
サードアイの魔法を解除してスティーカーはそのまま二人のそばに留め置く。
居場所や変化があればすぐに分かるようにしたいし、スティーカーの灯す小さな灯りでもないよりはマシだ。
今から人を呼んでもおそらく間に合わない。
中の状況を把握して適切な方法を考えて適切な魔法を使える人を呼んで、などとやっている時間はない。
無理をできるほど優秀な人間がいれば話も変わってくるがそんな人材何人もいない。
「待てよ……」
屋根を突き破ってきたパージヴェルのことがグルゼイの頭に浮かんだ。
グルゼイはパージヴェルを誰なのか知りもしないが圧倒的な魔力を感じた。
不可能を可能にする底知れぬ実力者なのは間違いがない。
「もう少し待ってろ! 絶対助けてやるから!」
こんな状況を招いた張本人に助けを請うのは
「いや、一度ぶん殴ってやる」
殴るくらいの権利はあるはずだ。
グルゼイはパージヴェルを呼びに走り出した。
探さずとも居場所の見当はついている。
魔力が非常に強く離れていてもおおよその方向が分かるほどである。
グルゼイがパージヴェルを見つけた時もう戦闘は終わっていて男は炎に包まれ、パージヴェルはそれをじっと見つめていた。
「おい」
「ぬっ? お主は……」
パージヴェルが声をかけられて振り返えるとグルゼイはもう拳を振りかぶっていた。
男に殴られたのとは逆側、右の頬にグルゼイのストレートがモロに当たる。
容赦のない一撃にパージヴェルが転がっていく。
「ぐぅ……何を」
「立て、あんたの孫はまだ、生きているぞ」
「なん、だと!」
思わぬ言葉に殴られたことを忘れて立ち上がりグルゼイに詰め寄る。
グルゼイはパージヴェルの孫のことなんて知らない。
パージヴェルとリンデランどちらの名前も聞いていないし、リンデランに関しては見てもいない。
リンデランがパージヴェルの孫かもしれないとは推測はするがそんなことどうでもよい。
仮に違ったとしてもその時はその時でどうとでも言える。
孫がいなくなったことには同情はするが、知らないパージヴェルの孫よりも瀕死の弟子のほうが大切である。
「そうだ、かろうじてだがな」
「どういうことだ!」
「早くしないと手遅れになる、こっちだ」
案外丈夫そうなのでもう一発ぐらい殴っておけば良かったと思いながら崩壊現場に戻る。
「ここの……どこにリンが」
外はもうだいぶ暗くなっている。
パージヴェルが炎で照らすと
石造りの大きな暖炉も半分崩れて上に乗っていて、触れれば潰れてしまいそうなバランスになっている。
こんなところのどこに人がいるというのだ。
パージヴェルの顔が青くなる。
「この下だ」
「この下、とはまさか」
「そう、この崩れた木の山の下、少し空間があってそこにいる」
あんたのせいだ、という視線を顔の青くなったパージヴェルに向ける。
「早く助け出さなければ……」
「触るな!」
不用意に木をどけようとしたパージヴェルの肩を掴んで止める。
「よく見てみろ。下手に手を出すと崩れるぞ」
さらに手を出さなくてもそのうち崩れてしまいそうだ。
パージヴェルの瞳が動揺で揺れる。
孫のことになると判断能力がバカになる。
「俺の能力ではどうにもできないからあんたを呼んだんだ」
「本当にいるんだな?」
「こんな状況で嘘をつく必要もないだろう」
「ふむ………………どこにいるかは分かるか」
「俺の魔獣がそばにいるので分かる」
「ではワシの魔法が届いたら教えてほしい」
顎ひげを撫でて考え込んだパージヴェルは何かを決心したように顔を上げた。
動揺した情けない目をしていた先ほどと違い、落ち着きを取り戻している。
「ファイアチェーン」
火で出来た十本の鎖を生み出す。
大きく一度息を吐き出して鎖をそれぞれ違うスキマに滑り込ませる。
山を崩さないように慎重に鎖を進めていく。
十本もの魔法を同時進行で、見えないところを動かすのは簡単ではない。
魔力が多くパワーがあることは間違いないと思っていたグルゼイだが、魔法のコントロールも相当なレベルにある。
実際パージヴェルは繊細なコントロールを得意とする方ではない。
大雑把で破壊的な魔法の使い方をしてきた。
今は孫であるリンデランのためにこれまでにないほど繊細に魔法を運用している。
玉のような汗がパージヴェルの額から流れ落ちる。
人生でも最高レベルにパージヴェルは集中している。
魔法の先に何かがあたると方向を変えて進められる先を探す。
十本もの魔法の鎖でそれを繰り返して進んでいく。
「……一本着いたぞ」
「分かった」
どれが着いたのか、あまり迷うことはなかった。
少し進んだだけであちこちにぶつかっていた鎖の一本が動かしてみてもぶつからない。
グルゼイの言葉も合わせて二人がいる空間とやらに着いたことが感覚的に理解できた。
他の鎖を消して一本に集中する。
どうするつもりなのかスティーカーの目を通じて観察する。
鎖は空間を探るようにゆっくりと動き、ジケやリンデランも鎖で触れてどこにいるのか把握する。
炎で出来た鎖だがしっかりとコントロールされていて人に害のある熱さはない。
グルゼイはヤキモキするがパージヴェルはここばかりは雑にやることはできないと丁寧に周りを調べた。
「シャクエンタイテイ」
パージヴェルが魔獣を呼ぶ。
火を得意とするパージヴェルの魔獣らしく赤い毛を持つパージヴェルよりも大きな
「ファイアチェーン」
さらに二本の炎の鎖を送り込む。
一度通った道だから慎重さも保ちつつ素早く鎖を送りこむ。
計三本の鎖が二人の元に送り込まれた。
パージヴェルはリンデランとジケを炎の鎖でグルグル巻きに包み込む。
隙間なく何重にも鎖を巻きつけ一つの炎の塊のようにする。
ジケに刺さった木は鎖が途中で焼き切って中に収めてしまった。
「準備は良いか、シャクエンタイテイ」
「……スティーカー戻れ!」
グルゼイが重たく感じるほどの魔力をシャクエンタイテイは溜めている。
戦闘中にこれほどの魔力を使った攻撃をされたら防ぎきる自信が持てない。
危険な予感がしてスティーカーを慌てて戻す。
「いくぞ……消し飛ばせ!」
「ウキ」
シャクエンタイテイが手を床につく。
魔力がほとばしり、眩い炎にグルゼイは腕で顔を覆って横に背ける。
暗い空に輝くように燃え上がる炎の柱が立ち昇った。
屋根よりも高く屋敷の幅もある巨大な火炎柱が全てを燃やし尽くしていく。
数秒続いたパージヴェルの魔法は木の山どころか廃墟の半分を燃やし飛ばした。
スティーカーを戻さなければ魔法に巻き込まれて死んでしまっていた。
焦げくさい臭いが充満して地面が真っ黒になっている。
真ん中に炎の鎖の塊だけが無事に残っていた。
化け物じみたやり方にグルゼイも言葉が出ない。
「リーン!」
パージヴェルが魔法を解いて二人に近づく。
「リ、リン……?」
煤だらけで真っ黒な姿のリンデラン。
魔法にどこか穴があって炎が入り込んで大切な孫娘を燃やしてしまったのかもしれないとパージヴェルは思った。
「おじい……様?」
「リン……リン!」
もちろんリンデランはパージヴェルの魔法で燃えて真っ黒になったのではない。
煤を塗りたくったために真っ黒になっているのだが経緯を知らないパージヴェルからすれば原因が自分にあると勘違いしてもおかしくない。
弱弱しい声だが確かに孫のリンデランの声であるし生きている。
リンデランが生きていてパージヴェルは安心して、リンデランがパージヴェルの孫でグルゼイは少し安心した。
パージヴェルからぶわっと涙があふれだす。
「おじい様、お願いがあります。この人を、ジケさんを助けてください」
「ジケ? この上に乗っている男か?」
「はい、私を助けようとして、こんなことに……」
リンデランの上に倒れるジケを見ると背中に木片が刺さって呼吸が弱々しい。
刺さった木片の傷口周りにはなぜなのかスライムがまとわりついていた。
パージヴェルは繊細さに欠けて多少抜けたところのある男だが馬鹿ではない。
崩落がなぜ起きて誰に原因があるのか瞬時に理解した。
つまりジケがどうしてこうなったのか瞬時に察し、自分の立場が危ういことに気づいた。
ジケの顔色は相当悪い。
すぐにでも治療を始めないと助からない。
「伯爵様〜!」
しかしパージヴェルには治療する魔法は扱えない。
頭の中で方法をグルグルと巡らせているとパージヴェルにとって聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
声の方を向くとパージヴェルの秘書を務めるヘレンゼールが走って来ていた。
その後ろには家に所属する騎士達と都市を守る兵士達をぞろぞろと引き連れている。
「はぁ……伯爵様、ご無事ですか? ご無事そう……ですが…………また何かしましたね」
ヘレンゼールを始めとしてみんな息を切らしている。
全力で走ってきたのは伯爵であるパージヴェルが心配なのではなく、パージヴェルが何かをするのが心配だったからである。
問題を起こす前にと思ったのだけど空に上がる巨大な火炎柱を見て遅かったと思っていた。
最低でも巨大な火炎柱を出すほどの出来事があったのなら、恐ろしい敵の存在や周辺への影響など何か問題が生じていることが予想できた。
来てみると半壊した建物に賠償金の文字が頭をよぎるが、まずは状況確認が優先である。
周りを見る限りどうやら止めるまでもなく事は片付いていることは窺えた。
「ヘレンゼール!」
「は、はい!」
「治療魔法を使える者はいるか」
「はい。メホル、前へ出ろ!」
「はっ!」
「こちらの少年の治療を頼む」
ヘレンゼールが連れてきたのは伯爵家が誇る騎士団である。
当然ながら治療を行える者がいる。
いつになく真剣な顔をして肩を掴まれてヘレンゼールは考えていた小言を全て捨てて姿勢を正す。
他の騎士と違い、剣ではなく杖を持った若い男性騎士が前に出る。
ジケはリンデランから下ろして地面に寝かされている。
メホルはパージヴェルの迫力に硬くなりながら膝をついてジケの容態を確認する。
まずは軽い治療魔法をかけて反応をみる。
メホルが眉をひそめる。
立ち上がりパージヴェルに向かって首を振る。
「伯爵様、申し訳ございません。私では治療できません」
「何だと?」
「非常に身体の状態が悪く上級の治療魔法と大きな魔力がなければ治療できません」
「メホルが治療できなきゃ誰が治療できるというんだ」
「この国でしたら大神殿の司祭長や大司教、神官長クラスでないと難しいと思います」
「大神殿……」
「しかし今から人を呼ぶにしても運ぶにしても……」
間に合わないと思います。
メホルは言葉を飲み込んだ。
大神殿は街の中心部に近く、外れにあるここからは距離が近いとは言えない。
ジケの容態は非常に悪い。
身体に受けたダメージが大きく出血が多すぎる。
魔力で補助しながら全身を治さなければいけず、中級治療魔法までしか扱えないメホルでは治療中に死に至る可能性の方が大きい。
リンデランの心配そうな視線を受けて尋常じゃない殺気を放つパージヴェルに、メホルは最後まで告げられない。
「大神殿に連れていけば治せるのだな」
「そうはなりますが」
「少年、もう少し耐えろ」
廃墟を崩壊させてジケに致命的な怪我をさせた責任と仮にジケを助けられなかったら大切な孫娘に嫌われるという確信めいた予感がパージヴェルを動かす。
パージヴェルはジケを右手で肩に抱え、リンデランを左手で抱き、全力で駆けた。
火を纏い空を飛ぶように駆け抜ける様子は街の人々に目撃され、後に魔物襲来や敵国の破壊工作なんて噂を呼んだ。
残されたヘレンゼール達は状況が分からなかったが、グルゼイの説明を受けてやっと事の次第を理解した。
弟子の様子も気になるが走って大神殿まで向かっても結果は出た後になる。
それにまだ子供が捕らえられているかもしれず命の危険もある。
放っておくこともできないし、弟子が命を
今すぐにでもジケのところに向かいたいが結果によっては大神殿を血で染めることになってしまいそうでもあったから落ち着かねばならない。
少し遅れてようやく事件の調査のため、兵士達が来たのでグルゼイは後を任せて大神殿に向かった。