オランゼは紅茶に溶かす砂糖を一杯増やす。

普段は高級品の砂糖は少ししか入れないが頭を使いそうだとジケの営業スマイルを見て追加した。

「その話、私にも聞かせていただきましょうか」

ジケが口を開こうとしたタイミングでメドワが二階から降りてきた。

時折メドワとも顔を合わせるが、どうにもジケは嫌われているように感じていた。

メドワから直接嫌いと言われたのではないがクールを通り越して非常に冷たい印象を受ける態度でジケに接していた。

視線も冷たく言葉もどこか刺々しい。

三人分の給与を持っていくのだから面白くないのも当然で、それぐらいの冷遇は甘んじて受け入れる。

商会を思ってのことだとジケも分かっている。

カップを取り出し紅茶を淹れて砂糖を二杯ざっと入れる。

遠慮ない砂糖の使い方にオランゼが物言いたげな目をメドワに向けるがメドワはオランゼの方すら見ない。

「メドワが同席してもいいだろうか」

いさめてもメドワは引かないだろうことを分かっているオランゼはため息をつく。

「もちろんです」

「すまないな」

「ではまず一つ目の提案です。俺にもう二区画任せてみませんか」

オランゼの表情が一瞬曇る。

ジケに任せる区画の拡大はオランゼも考えていた。

条件やタイミングを考えていたところを先を越された形になる。

「一区画ごとに今と同じ条件で二区画。つまりは三区画を俺が処理します」

「それはふっかけすぎではありませんか」

オランゼが口を出す前にメドワが不快感をあらわにした。

反応の速さを見るに無償で働くか金でも払うと言わない限りは反抗してきそうな速度だった。

現在の条件で二区画増えれば六人分、合計三区画で九人分もの給料を寄越せと言っていることになる。

相当な高級取りになる。

一区画三人分でも高いと思っているメドワからしてみれば反発して然るべき。

「メドワ、待つんだ」

「ですがオラ……会長」

「俺は正直、君の働きなら三人分は相応しいと思っているよ」

オランゼの言葉にメドワがムッとした表情を浮かべる。

ジケはメドワに対してもっと淡白なイメージを持っていたのに感情が思いの他顔に出ている。

「他の区間は今のところ三人で回してるから君一人に変えられれば更なる拡大も容易になる。ただし事はそう単純に行かないんだ」

ねたメドワが砂糖をさらに紅茶に入れる。

少しだけオランゼが悲しそうな顔でそれを見る。

「区画を広げるにも交渉や集積所の場所を考える必要があるし事前に区画の住民に利用の説明や契約が必要になる。他に働く人との兼ね合いもある。君だけ九人分の給料を貰っていると知れれば必ず不平不満が出る」

貴族街でクレームなく少ない人数で事業を行えるならこれほど良い事はない。

十分利益が見込めるために多少の出費は惜しくもない。

問題はオランゼではなく他の従業員だ。

メドワですら不満を抱いている。

他の従業員にもし知れる事になると事業に支障をきたすかもしれない。

ジケがどうやってゴミを処理しているのかオランゼは知っている。

メドワがこっそり後をつけてジケの仕事ぶりを確認した。綺麗になった後の集積所を見てオランゼも驚いた。

クレームは何も集積所にゴミがある時だけが問題ではない。

運んでいる途中の臭い、しみて垂れた液体や袋が破れ落ちたゴミ、ゴミを運ぶ馬車の騒音など様々ある。

スライムに食べさせてしまうなどという思いつきもしない方法で短時間で完璧にゴミを処理してしまうのだから馬車もゴミを最終的に持っていく場所も燃やす魔法使いもいらない。

三人分どころでない働きをジケはしているが、目の前で働きを見たメドワもジケの価値を理解していないことを考えるといくら説明をしても他の人が理解できるとも思えなかった。

だから上手い落としどころを考えていたが、まとまりきる前にジケの方から提案されてしまった。

ジケだけに任せると仮に体調を崩した時などに代わりを立てるのが難しくなるなどの問題もある。

「仮に仕事をする区画を増やすにしてもこちらに準備する時間がほしいのと給料についてももう少し交渉する余地を貰えるか?」

「……分かりました」

ジケはオランゼの言葉に腕を組み目をつぶり考える素振りを見せる。

あくまでも見せるだけ。

こんな提案をしたけれど急かすつもりも答えを今出せと言うつもりもジケにはない。

今後の事業計画を立てる時にジケもまだもう少し働けることを考慮に入れてもらおうと考えて先手を打った。

一日中ゴミを処理して回るのは嫌なので、高めの給料と三か所を提示してそれ以上にならない制限をかけ、高めの給料をふっかけておけば三か所で三人分なんてケチなことも言いにくい。

「助かる。そう遠くないうちに返事はする」

「今も生活には困らなくなったのでゆっくりで構いませんよ」

三人分の給料を受け取っていれば分かりきった話で、ギリギリの生活からは脱却できている。

「では二つ目の提案ですが、事業の改善案があります」

メインの話はこちらである。

「事業の改善だと?」

「はい、事業を改善する考えが俺にはあります」

「ちょっと待て」

すっかり温くなった紅茶をオランゼは一気に飲み干す。

全く考えていなかった提案に胸が熱くなり、自分の年の半分もなさそうな少年に緊張し始める。

初めて会った時も尋常じゃない提案をしてきたジケだ。否が応でも期待してしまう。

そして何がジケの口から飛び出すのか不安すらある。

「君の提案なら聞こうか」

「いえ、待ってください」

「……なんだ」

「是非ともこれは商人ギルド仲介の特許契約魔法を交わしてほしいです」

「ちょっとそれはあなた……」

「メドワ……メドワ!」

思わず立ち上がるメドワをオランゼが言葉で制する。

特許契約魔法は商人ギルドが仲介となって技術を守るために生まれた魔法で、商人ギルドに技術を伝えて記録してもらう。

そして特許として記録された技術は商人ギルドに保護される。

特許として記録された技術を使うには商人ギルドで魔法による使用契約を結ばなければいけない。

使用契約なく勝手に技術を使えば商人ギルドからペナルティーを科される。

魔法を使うこともあり特許にしたい内容によってはギルド側に拒否されたり利用料がかかったりするので気軽に利用できる制度ではない。

提案とやらのよほど重要な技術内容かあなたを信頼していませんという意思表示か。

子供が噂で聞いて提案するものでない。

メドワはジケの態度を傲慢ごうまんさと自分たちに対する侮辱ぶじょくであると感じた。

オランゼもジケ相手でなければ怒っていた。

「自分が何を言っているか、分かっているのか?」

「遊びでこんな提案すると思いますか?」

「……………………」

深くイスに座り直して空のカップを見つめたままオランゼは沈黙する。

無意識に手のひらを強く押して揉んでいた。

内容を聞かない事にはなかなか判断がつかない。

だがその内容は特許契約した上で話をするという。

特許契約魔法の料金や保証金はジケに払えるものでないからオランゼが持つしかない。

内容は商人ギルドを通るのか、通っても本当に事業に使える内容なのか。

信用するかしないか。

結局オランゼは自身の商人の勘に頼ることになる。

ジケにしてもこれは大きな賭けだ。

まだまだ少ない信頼で何も言わずに難しい決断を迫っている。

しかしもしこれを乗り越えられたならオランゼの事業はさらに前進し、ジケは事業にとってなくてはならない存在になる。

この先、ゴミ処理の仕事は都市全体、さらに国へと広がっていく。

そしてそれだけに収まらないのがオランゼという器なのだ。

街中や大きな建物の清掃の外注も請け負うようになり、さらに未来では裏の事業も密かに始まる。

最初は噂をまとめて情報分析をする程度のことだったが、分かりやすくするために体系化するうちに情報屋へと発展する。

掃除の人間がいても良くない顔をする人はいるかもしれないが仕事であるので追い出されることはない。

そうしているうちに清掃の人間を気に留める人はいなくなる。

もっと緩い人なら掃除の人間をいないように扱い大きな声で会話もする。

だんだんと日常生活に溶け込む清掃員だが作業をする人には耳があるのだ。

最初は清掃員。

噂や何気ない会話で気になるものをしっかり記憶して持ち帰り記録する。

情報の収集も事業をさらに広げたり細かいニーズに応えたりが主な目的。

次は清掃員とは別にアマチュアながら情報収集をメインにする半清掃員を育成する。

文字を書ける人や話術が上手い人を使い、さらに顧客に入り込んでいく。

オモテの情報収集係だった。

最後に影に紛れて情報を集める諜報員を育て上げる。

貴族は自分のところで人を雇っている。

家の中の掃除はそうしたメイドや執事、専門の侍従じじゅうが行うので必要ないがゴミ処理などは貴族からも要望があったし、事業拡大の反発やクレームに対処するために情報が必要だった。

そこで問題となりそうな貴族を監視させたり、貴族の侍従に近づいたり、最終的に貴族の屋敷に侵入まで行ったりする完全に闇の事業を確立した。

ゴミを集めて回っている者が情報屋なのだと誰が気付こうか。

情報屋もやるころにはゴミの直接持ち込みも可などとうたっていたので、情報を買いに来るものがいてもゴミを片手に来れば疑われもしなかった。

安定したお金もジケの目的だが本当の目的はこの情報屋事業に一枚むことである。

本来なら情報屋事業はもっともっと先。

だからゴミ処理事業を加速させ、早くから高い信頼を築いておきたい。

オランゼはすっかり冷め、ずっと置いてあるためかなり濃くなって渋みや苦みが出ている紅茶をカップに注いでまた一気飲みした。

気付け薬代わりである。

愚かな選択。

オランゼが酔っぱらっていたってしないだろう選択を今しようとしていた。

「わかった。その提案受けよう」

「会長!」

メドワが驚愕した顔をする。

こんな無茶な提案、拒否すると思っていただけに驚きを隠せない。

「今から商人ギルドにいくぞ。メドワ、しばらく頼む」

「い、今からですか!? 会長、本気ですか!」

「本気だ。ジケ、今からでも大丈夫だろ?」

「もちろんです」

ここまで早く決断するとはジケも思っておらず驚いたが、オランゼは慎重に見えて野心の強い男である。

怪しい提案に一も二もなく飛びつく人でないが機会を逃すほど慎重すぎる人でもない。

この提案を逃してはならない。

オランゼの頭のどこかでそう勘が告げている。

「費用は俺が持つ。もし俺のことを騙していたりくだらない内容だったりしたら……子供でも容赦しないからな」

「それは聞いてから判断してみてください」


道中の会話もなくオランゼに連れられて商人ギルドに赴いた。

平民街と貴族街の境目から少し平民街寄りにある一際大きな建物が商人ギルドである。

ジケが訪れた経験はあまりなく馴染みが薄い場所である。

オランゼが要件を伝えると受付が人を呼びにいく。

「おお、久しぶりだな、ヘルファンドのせがれ

「お久しぶりです、副ギルド長」

ほどなくして奥から痩身細目の小さい男性が出てきた。

オランゼの身長は比較的高く、比べると頭二つ分は小さい男性は、線の細さも相まって低いというよりも非常に小さく見える。

オランゼがうやうやしく頭を下げてもまだオランゼの方が高い。

「特許契約魔法を使いたいとのことだけど君がその相手かい? よろしくね、僕はショルネー・マクサロス。この商人ギルドの副ギルド長を任されているんだ」

ジケが抱いたマクサロスの印象は年齢不詳。

この国の商人ギルド本部の副ギルド長を任されるならそれなりに年齢はいっているはずなのに話し方も若く、見た目もそんなに年がいっている風には見えない。

見た目は若いというより老けて見えない感じの人である。

笑ってみせると細い目が閉じ、目から考えが窺えなくなる。

今もどうジケを見ているのか分からない。

「僕とギルド長、もう一人が話を聞いて記録し内容を判断するよ。子供相手とはいえ手加減はしないからね」

付いてきてと商人らしくさっさと歩いていってしまうマクサロスに付いていき奥側にある部屋の前で立ち止まる。

「ヘルファンド君はあっちの部屋で待っててね」

「分かりました」

「じゃあ君はここね」

マクサロスがやたらと分厚く見えるドアを開けてジケを招き入れる。

窓もない小さい部屋で長テーブルに一人、部屋の隅にある小さいデスクに一人座っていた。

マクサロスが長テーブルの男性の横に座りジケに正面に座るように促す。

「私はギルド長のフェッツだ。そちらの隅にいるのが記録係となるケラーシェンだ」

フェッツは恰幅かっぷくの良い老年男性。

ケラーシェンは若めの女性。

ジケはフェッツのことを知っていて、少しだけピリッとする。

会ったことはないけれどジケの知る過去ではある意味有名な男である。

未来で戦争が起きて、その最中にフェッツはとっとと見切りをつけて、家財をかき集めて逃げた。

ギルド長になるくらいだ、大きな商会を運営していたのにだ。

都市の経済は混乱に陥ったが戦争は勝利を収めた。

結果フェッツは国を見捨てた裏切り者になり、戦争のために国を脱出も出来ずに捕らえられて死罪になった。

目前に敵兵が迫れば誰でも怖いので批判するつもりは毛頭ない。

一つ違えば国は敗れフェッツは別の国で再起していたことだろう。

むしろ素早い判断で英断とも言えると思う。

当時の状況を考えると間違った考えでもなかった。

フェッツはフェッツなりに自分の持つものを守ろうとしただけなのだから。

ただそれでもジケには納得できない感情が少し残ってしまった。

フェッツに近い商会で働いていたのでフェッツが逃げたために商会が潰れたことを恨みに思っていることもないとも言い切れないのだ。

「ジケです。よろしくお願いします」

「よろしく、では始めようか、サイレント」

ただ今の時点でフェッツは立派に役割を果たしているので文句を言うのも筋違いである。

ジケは大人しく良い子を演じて頭を下げた。

フェッツが手を振ると部屋が魔力に包まれて魔法が発動した。

防音仕様の部屋にさらに防音の魔法を重ね掛けして情報の漏洩を防ぐ。

徹底していて抜かりがない。

「この魔法陣に血を垂らしてください」

フェッツとマクサロスが指先をナイフで傷つけて魔法陣の描かれた紙に押し付けると血は紙に吸い込まれてしまう。

赤いシミ一つ残さず二人の血を吸い込んだ紙とナイフをジケに差し出す。

こういった契約の魔法のたびに血を垂らすのは面倒なことだなと思う。

ジケはナイフを手に取ると躊躇ためらいなく指先を小さく切りつける。

大人だって痛みに弱い者だと嫌がるのにジケは流れるように二人に続いた。

フェッツが小さくほぅと感心の声を漏らす。

説明も手助けもしないままジケは紙に指先を押し付ける。

滲んだ血の感覚が消えて同時に指先の痛みが無くなる。

魔法陣に組み込まれた簡単な治癒魔法が発動して指先を治療したのだ。

最後にケラーシェンが魔法陣に血を登録する。

「よろしい。これよりここでされる会話は記録され、権利者の許可なく漏らさないことと誓おう」

「じゃあまず一つ目」

「一つ目?」

「ファイヤーリザード。乾燥した山岳に住む魔物で人と契約して魔獣になることもある。背中が火で燃えていて魔獣としても厄介だけれど──」

ジケの話し方が理路整然としていて、子供にありがちな要領を得ない話し方とは違っていることにフェッツとマクサロスは驚いた。

名前からして貧民の子供なのは容易に予想ができる。

つまりは学がないと誰でも思う。

貧民の子が他に比べて同年代であっても大人びた態度や考え方をする子がいることは知っていたが、ジケの話ぶりは回りくどさはありながらも簡潔で要点を得ている。

すでに商会のいくつかを任せている息子の姿が頭をチラついてフェッツは天をあおぎたくなる気持ちだった。

未だに自信なさげにモゴつく様にため息が出てしまうこともあり、しっかりしているジケと比べてしまった。

歴戦の商人を前に密室で自信満々に話を終えたジケにフェッツもマクサロスも言葉を失った。

「まだあと二つありますよ?」

呆然とする二人に対して余裕の表情で指を二本ひらひらとして見せる。

「んっ、そうだな……少なくとも一つ目は通してもいいだろう。マクサロスはどう思う?」

「え、ええ……ここまで詳細に話せるならひとまず通してもいいと思います」

「あと二つ、この分で続くなら一つ一つ分けた方がいいかもしれんな。ヘルファンドに三回分払うつもりがあるか聞いてこなければいけないな」

「待ってください。彼もそれほど多く余裕がありはしないでしょう。ジケ君、君はヘルファンド君のところで働いてはいるけど商会員ではないんだろ? どうだい、僕のところに来るつもりはないかい?」

「マクサロス!」

「あと二回分、僕が払おう。君は非常に聡明そうめいだ。教師を付けて勉強も教えるし、僕には子供がいないから養子を取ることも考えよう」

「おい、ここはそんな場じゃないぞ!」

フェッツがいきどおった顔でマクサロスを制する。

密室で本来の目的と離れた引き抜き行為など越権行為もはなはだしい。

信用問題に関わりかねない重大な違反行為である。

「ここまで賢い子は見たことがありません。ヘルファンドにくれてやるのはもったいない。そう、思いませんか?」

マクサロスの細目からわずかに見える黒目がフェッツの緑の瞳を捉える。

正直フェッツもジケに興味がないと言えるわけもないほどに惹かれているが、だからと言ってこんなところで声をかけるのはやりすぎである。

相変わらず狡猾こうかつな男だ。だからここまでのし上がってきたのだけど少しやりすぎなところがあるとフェッツは思った。

ここであったことは外で言うことはできない。

特許契約に高い金がかかることをさりげなく伝えて、自分はそれを払えるアピールをする。

まさか養子にするとまで言うとは思いもしなかったが破格の条件である。

非常にずるいやり方である。

「答えは今出すこともありません。とりあえずここは私が出すというだけで……」

「ヘルファンドさんに聞いてからにします」

マクサロスの顔が凍りつく。

「もし費用が捻出ねんしゅつできないとおっしゃられるのならマクサロスさんの手を借りることもあると思いますが、出してくれるならこのままヘルファンドさんにお世話になりたいと思います」

想像だにしない話で魅力的な提案であることは間違いなく、ゆくゆく副ギルド長の義理の息子となり商会の運営が出来るなんて貧民にしてみれば良すぎる提案である。

ただジケはオランゼが将来どうなるか知っている。利用価値も高い。

商人が目の前にぶら下げたえさに飛びつくのはあまり良くないことなのも分かっている。

あとはやっぱりオランゼにお世話になった恩がある。

「そうですか。あまりに話を急ぎすぎましたね。ヘルファンド君に聞いてきましょう」

マクサロスは驚きと怒りを隠して平静を装って答えた。

ここまで良い条件を提示してきっぱり断られるとはマクサロスも考えていなかった。

頭がいいとは思いつつ貧民の子だと軽んじていた側面があったのかもしれない。

逆に好条件すぎて警戒したのか、賢い子ならそれもありうる。

焦りすぎて失敗してしまった。

もう少し慎重に距離を詰めるべきだったとマクサロスは反省した。

「申し訳ないな、ジケ君。気持ちはわからないでもないが今やることではなかった」

「い、いえいえ、頭を上げてください!」

フェッツが頭を下げる。子供相手でも通すべき礼儀は通す。

マクサロスのやり方は明らかに礼をかいていた。

「許してやってくれ。いろいろ複雑な時期なんだ、あいつも。……そうだな、少し休憩としよう。ケラーシェン、何かジュースがあったろう。持ってきてやってくれないか」

「わかりました」

まだ来てから長い時間が経ったとは言えないので、ジュースを出すのはびと口止めといったところか。

ケラーシェンがジュースを持ってくるのとマクサロスが戻ってくるのはほとんど同時だった。

「あの手を揉む癖、変わらないですね」

一回分でも特許契約魔法はそれなりの値段がする。

オランゼも悩んだことだろう。

結局メドワに怒られる覚悟でお金を払うことに決めたようだ。

もしかしたらマクサロスが何かせっついたのかもしれない。

その後休みなく二回分特許の内容を話す。

半端な内容なら協議を必要とし、時間がかかるものだがフェッツもマクサロスも文句なしで特許内容を認めた。

三枚の契約書にサインをしてフェッツが防音の魔法を解く。

これでジケの話した内容はギルドに記録された。

個人はおろか国でさえ勝手に技術を使うことは許されない。

「次は特許の使用契約になるがそのまま始めてしまっても大丈夫か?」

「ジュースをもう一杯くれたら頑張れるかな?」

「ふっ、わかった。ケラーシェン頼むよ。マクサロス、ヘルファンドを呼んできてくれ。特許の仲介は私が行おう」

「それでは呼んでまいります」

ひとまず山を越えてホッとするジケ。

ジュースもよりおいしく感じられるというものである。

マクサロスに連れられてやってきたオランゼは待っている間も気を揉んでいたのか、やや疲れているように見えた。

右手の真ん中も押していたから真っ赤になっている。

再びジュースを持ってきたケラーシェンとマクサロスが退席して部屋にはジケ、オランゼ、フェッツだけとなる。

「待たせたな、ヘルファンド」

「いえ、思っていたよりも短かったです」

「そうか」

短かったと思うなら右手がそんなにならないだろう。

オランゼが咄嗟に右手を左手で覆って隠すがフェッツはそんな様子に気付きつつも何も言わない。

「今回の特許の申請は三つ、全て文句なしで特許に相応しいと判断した」

「三つも……」

三つもやると聞いていたので最低でも最初の一つは通ったのだろうと予想していた。

オランゼは三つあることにまず驚いたが、それを許可する二人やさらには三つ全てが通ったことにもはや驚きを通り越して、遠い世界の話を聞いているようだ。

フェッツもマクサロスも自分よりも前の世代からの生粋の商人で態度は柔らかいが仕事に甘さはない。

そんな二人が協議もなしに認めたとは信じ難い。

しかもマクサロスに言われた。

ジケを引き抜こうとしたと。

正確には商会員でなくともオランゼの下で働いている者を、仕事中に引き抜こうとしたとマクサロスは悪びれもなくオランゼに言ってのけた。

苦情を言おうかとも悩んだが、ジケは商会で保護されている人物でないし、引き抜きを行なったタイミングを卑怯ひきょうだと言うぐらいしかできなかった。

三回分の費用もマクサロスの態度を見て腹が決まった側面はあった。

「それで今回の技術をどう応用するかですが──」

神童。オランゼはこの言葉を思い浮かべた。

厚かましくも三杯目のジュースをお代わりしている貧民の子の考えに自分の考えを挟む余地もなく、ただただ驚かされっぱなしである。

事業への利用法まで伝えられて契約を拒否するわけもない。劇的に事業が良くなる物ではないがうまく使えば苦情は大きくなくなるし他への応用可能性もある。

多少問題はあるものの、利用できないものでもなさそうである。

「契約料は費用も出してもらいましたし一年間は無料で構いません」

「それは……」

「俺は……ヘルファンドさんに感謝しています。きっと他の人なら僕はこんなことさせてもらえなかったと思います。だから少しでも恩返しさせてください」

ちょっとやりすぎなような言葉にジケは自分でも背中がゾワっとしたが仕方ない。

それらしく見えるように子供っぽい表情を作る。

「なんと……そんな」

ジュースは美味いが三杯も飲めばお腹がいっぱいになるが子供っぽさの演出のため。

さとく抜け目のなさそうな子供に見えてその実、恩義を感じていて利益にならない便宜を図る。

秘められた感謝の思いにオランゼのみならずフェッツまでも感動する。

オランゼの中でジケに対する好感度が上がる音が聞こえる気がした。

「でも二年目からはお金貰いますよ」

「はははっ、それは当然だな。私としても文句はないさ」

オランゼが破顔する。

滅多にないオランゼの笑顔。

「それと三年間はこの特許を非公開でお願いします」

「本当にいいのか? これは公開すれば問い合わせがあるだろうに」

「もし似たような技術の問い合わせがあればその方には公開して構いませんが今はまだ積極的に公開するつもりはありません」

ここまでヘルファンドに便宜を図るとはとフェッツは目の前の少年の能力にも心意気にも感動しっぱなしだった。

これほどまでにオランゼに恩義を感じているなら引き抜くことも難しかろう。

自分もこっそり声をかけてみようなどと思っていたのをフェッツは反省した。

三枚の契約書に二人がそれぞれサインする。

商人ギルドが証人となる信頼の高い契約。

これでオランゼに対して出来る限りのことはした。

後はオランゼの手腕次第、どこまで広げていけるかである。

あえて三年の非公開期間を設けたのも何もオランゼに技術を独占させるためだけでない。

ジケは期間を意識させてオランゼの行動を早めようとしていた。

「私は帰って計画を練るとしよう。ジケはどうする?」

さっそくオランゼは手のひらを撫でている。

押すまではいってないから深くは考えていないが、もうジケの提案をどう利用するか考え始めていた。

「少し辺りをぶらついてから帰ります。今日はありがとうございました」

「いや、こちらこそ疑って悪かった。それにありがとう。三回分の料金を払ってきたなんてメドワが怒るかもしれないがその価値はあったよ」

思いのほかお金を使うことになったので手持ちではなく商会が預けているお金から費用を出すことになったので手持ちにお金があった。

これで何か食べて帰るといい、そう言ってオランゼはジケに銅貨を三枚ほど渡して足早に帰っていった。

すでにオランゼの目は未来を見つめている。あの分ならこの先も心配は無さそうである。