二回目の出会い

「おい……おい!」

「グフっ!」

「起きろって! 広場でお役人様が待ってるぞ!」

腹部に強い衝撃を受けて目が覚めた。

目覚めは最悪だが気分は悪くない。

起こされ方は最悪で不快感はあるがそれを上回るほどの体の変化に意識が取られた。

年を取ってからというもの長い時間寝れずにスッキリすることも少なかったのに頭がスッキリしている。

頭だけではない。

節々が痛んで動かすのも辛かった体も痛まない。

「なんだ? いきなり年寄りをイジメよってに」

「はぁ? お前年寄りでもねぇしなんだよその変な喋り方。いいから早く起きろって、行くぞ!」

目をこすりながら体を起こす。

腰も関節も痛くない。

この声の相手は誰だろうかと考える。

小屋を訪ねてくる友人はもういない。

何か用事があれば誰か来ることも考えられるが、家の中に入ってきて寝ている老人をりつける不躾ぶしつけな者は記憶にない。

それに聞こえる声は若い。

自分の声も何故か若い。

幼いほどに若く聞こえる。

女性の声かと一瞬思いもしたのだが明らかに自分ののどから発せられた声だ。

さらには安いけれどちゃんとしたベッドに眠っていたはずなのに何故か床に寝ている。

少なくとも寝相は悪くなくベッドから落ちたことも一回もない。

落ちたら目が覚めるので落ちていないと言い切ってもいい。

なかなか目が慣れなくてチカチカとしていて周りが良く見えない。

少し視線を落として近くから目を慣らしていく。

かけているのも、暖まりもしなさそうな薄くて布団とも言えない布だった。

床に敷いてあるのも同じようなもの。

寝る環境としては最悪である。

それなのに不思議と身体が痛くない。

ベッドから落ちた上に床で寝ていたら全身が痛むことは目に見えている。

状況は理解できないが目は慣れてきた。

寝ぼけた目をこすり顔を上げるとそこには少年が立っていた。

目の前の少年にはどことなく見覚えがある。

黄色っぽい茶けた髪に貧民にしては比較的身体付きのよい少年の顔を見て大きく目を見開いた。

粗雑で乱暴だけど仲間思いで真っ直ぐな奴、そして若くして戦争で命を落とした親友。

これは夢なのだと咄嗟とっさに思う。

人のことを蹴り上げたというのに見上げた少年の顔はニカッと笑っていた。

「ま、まさかランノ……か?」

「誰だそりゃ? 俺はラウだろ。そんでお前はジケ。こんな寝ぼけるって珍しいな」

ハハハと笑うラウに鼻の奥がツンとする。

目の前の少年はラウで自分はジケだったことを思い出す。

となれば間違いなくこれは夢だろう。

あの屈託くったくのない笑顔をまた見れるなんて、こんなハッキリとまた会えるなんて、あり得ないことだから。

「何探してんだ?」

キョロキョロと周りを見るジケにラウは不思議そうに首を傾げた。

「いや、フィオスはどこかなって」

「フィオス?」

「……おい、本気で寝ぼけてんのか? 誰だよフィオスってのは。女の人か?」

ジケはフィオスを探していた。

いつの間にか常に出していることが習慣付いてしまったので近くにいないと違和感を覚えてしまうのだ。

起きたら跳ね寄ってきて軽く撫でるのがいつものことだった。

そんなフィオスがいない。

驚くような顔をしているジケにラウは怪訝けげんそうな表情を向けた。

ランノだとかフィオスだとか知らない名前が出てきて困惑もしている。

寝ぼけているにしてもどんな夢を見ていたのだとラウは大きくため息をついた。

「ほら、行くぞ! 立って!」

「ちょ……まっ」

寝ぼけているなら体を動かせば目が覚める。

感傷に浸る時間もくれずにグッと肩に手を回して引っ張るように立ち上がらせると、そのまま走り出すラウ。

転びかけるも身体は軽く、引っ張られるままに走り出すことができる。

欲を言えば水の一杯ぐらい飲みたいけどそんなことしなくても体が動く。

家を飛び出して道に出る。

視点は低く足は素早く動き景色は流れていく。

肩から手を離して先を行くラウに付いていく。

周りの景色も懐かしく慣れ親しんだ道を走っていく。

走るのなんて久々で走ることが楽しくて何かを考える間もなかった。

目的地についたのかラウが速度を落とした。

古くてぼろぼろの家々が昔たまたま火事でいくつか無くなって出来た広場でよく遊んだなとジケは思った。

同時にラウの話と今の状況が繋がって一気に記憶がよみがえってきた。

広場に集められたボロ切れを着た子供達と綺麗な服を着たお役人と数人の兵士、そしてそれを遠巻きに眺める汚い服を着た大人たち。

ここはアンジュ王国の首都レルマダイの北西部にある貧民街である。

集められた子供たちにはこの状況が分かっていないがジケにはこれから何が起きるのか分かっていた。

そう、この時に転落人生が始まったのだ。

「これで全部か?」

「全てを把握しきれてはいませんが、おおよそ集められたかと」

貧しそうな大勢の子供を前に役人が後ろに控える兵士に声をかける。

なんで自分がこんな所に来なくてはならないのかとでも思っている不満そうな顔をしている。

貧民街におもむかないといけない仕事なんて部下に押しつけてしまいたいという思いでいっぱいだった。

実際国王直々のお達しでなければそうしていた。

平民ですら難しいのに貧民の数を把握するのはほとんど不可能なことである。

貧民の子供全員にと言われたから出来る限り集めたが、全員とはいかないのは当然だろう。

苦情が来る危険性や同僚が足を引っ張ってくる可能性をできる限り排除したいが難しい。

些細なことでも突っかかってきて出世レースの足を引っ張ろうとする役人連中の顔を思い浮かべると陰鬱いんうつな気分になる。

できるなら草の根を分けても全員探して来いと言いたいが現実的ではない。

いつまでも兵士に貧民街を駆けずり回らせるわけにもいかないし兵士の反感を買って良いこともない。

盛大にため息をついた役人が前に出ると注目が集まる。

兵士が静かにするように言うも貧民街の子供がそんなことで静かになることはない。

役人が手を軽く振って兵士を下がらせる。

兵士に対するやや尊大な態度を見るに役職が高めか貴族なのかもしれないとジケは思って見ていた。

広場の子供達を一瞥いちべつすると役人は咳払いをして指をパチンと鳴らした。

すると役人の指先から炎が立ち上がり、一瞬にして周りが静まり子供たちの目が役人に向いた。

過激なやり方だが効果的だった。

視線が向いて静かになったことを確認すると大きく頷いて役人が勅書ちょくしょを広げて読みあげる。

「コホン、この度、我らが国王が新たなる法を制定された。全国民契約法というこの法により今後産まれてくる子供は貴賤きせんを問わず魔獣との契約を行うことが義務付けられ、またすでに産まれている者でも契約を行えること、保証する」

再び子供達がざわつきだす。

しかし役人はもうざわつきを無視する。

一々落ち着かせてから話していては永遠に終わらない。

「この法は、この貧民街で産まれた子供たちも対象となり、この度国が費用を持って契約を行うこととし、ここに集まってもらった。これより契約のため移動する」

契約が何なのか、よほど幼い場合を除いて子供でも分かっている。

ただ子供は子供。

小難しい言い回しに役人が何を言いたいのか理解が追いついておらず、相談できる相手もいない。

考えるような時間もない。

隣の子に聞いても隣の子も同じ状態なので何も変わらない。

収まらないざわつきの中で役人があごで兵士に指示を飛ばす。

兵士にうながされ広場から移動し、馬に繋がれた荷台に押し込められるように乗せられていく。

抵抗することなく付いてきてしまっているジケもまた迷っていた。

これから何が起きるか分かっている。

これは夢なのか、走馬灯なのか、幻なのか。

一つだけ違うのはこれから起こることを知っている、それだけである。

あえてもう一つ言うならば今はもう契約に期待もしていないことか。

そうしている間にも馬は歩みを進め、平民街と貴族街のちょうど境目に存在する大きな建物に着いた。

子供がたくさん乗った馬車はひどく揺れてお尻が痛い。

もっと先の時代なら揺れない馬車もあるのにとジケは思った。

ここは契約場や竜殿と呼ばれる建物で、貴族も平民も利用する施設なためにこうして他の都市でも貴族街と平民街の境目のようなところにある場合が多い。

契約場は大きな建物とその後ろの高い壁で囲われた野ざらしの中庭のようなスペースで出来ている。

貧民の子供はまず足を踏み入れることのない建物である。

本来なら建物の中で受付や医者のチェックを受けたり貴族なら寄付のお願いがあったりする。

今はそうした面倒臭い手続きを全てすっ飛ばしてジケを含めた子供達はこの広い中庭のような場所に通された。

天井がなく土が露出している壁で囲われた広い空間は町中にあるのに町を感じさせない異質な雰囲気がある。

便宜べんぎ上契約室というらしいが室と呼称するのは無理があるように思えるほど青い空が見える。

契約室の真ん中には大きく魔法陣が描かれている。

そこで契約が行われる。

兵士の近くにいた子供が一人魔法陣の側に連れていかれた。

小さな魔法石を持たされ、指先をナイフで軽く切られて血を魔法陣に垂らして兵士の言葉を訳も分からず復唱させられる。

魔法陣が光を放ち、子供たちの視線をくぎ付けにする。

ジケも最初は興奮したものだけれど二回目ともなればなんとも思わなかった。

やがて一層強く光り、魔法陣の中から何かが出てくる。

そう言えばあの子が一番最初だったなと魔法陣の光に驚く子供達の中でジケは冷静に状況を見ていた。

記憶の通りに物語が進んでいく。

心臓の鼓動が速くなり、緊張で手に汗をかく。

けど逃げ出したくてもここまで来てしまえばもはや逃げる事は叶わない。

呼び出されたのはシルクバードという種族の青い羽を持つ小型の鳥類魔獣。

人の魔獣を勝手に分類して悪いが当たりか外れかで分けてしまえば外れになる。

魔獣契約とは、古来ドラゴンが、ある程度の知恵と技術を持つが魔力が少なく力の弱い人間のために授けた魔法である。

人間と敵対する魔物を召喚し契約することを可能としたこの魔法は、今はなくてはならないものとなっている。

単純に魔物を使役しえき出来るだけでなく人間に足りない力をも与えてくれた。

契約した魔物を魔獣と呼ぶのだが、魔獣は人間に魔力を与えてくれるのである。

魔獣が強ければ強いほど、そして互いの関係、絆が強ければ強いほど契約者に魔獣の魔力が大きく与えられる。

魔獣契約の魔法を授けたドラゴンも人間と契約し、魔物におびえて暮らした人々を助けて国を作ったお話は誰しも聞いたことがある。

そうしたことから魔獣となる魔物は魔物自体の強さもそうであるが、魔力を多く与えてくれるものも強さや有用さの基準とされる。

さらに持っている魔力だけでなく関係性を築くための高い知能や人間に親和的な性格かなども考慮される。

シルクバードは、知能はそれなりであるが力も弱く魔力も多くはない。

魔物ではあるが戦闘よりも、戦闘を避けることを好むために戦闘力が高くないのである。

そう考えると外れになる。

ただしジケはそうでもないと考えている。

世間一般に言われる当たりとはおおよそ魔力を多く得られる魔獣と相違ないが、貧民街にとっては、あるいは別の考え方によっては何物も使いようで変わる。

彼が何をしたいかにもよるが、魔獣契約をした者の仕事としてまず候補に挙がるのは冒険者だ。

戦闘力を必要とする仕事ではあるが空飛ぶ魔獣であれば直接討伐に参加できるほどの力がなくても偵察ていさつなんかで貢献出来る。

小型の魔獣であればより偵察に適している。

優秀な斥候せっこう役がいればリスクを減らすことができるので、上手いことやれば生活に困らず長いこと仕事を続けられる。

努力やリンクの強さによっては遠距離でも魔獣をコントロール出来るので手紙や書類を手早く運ぶ仕事もあるだろう。

賢ければコントロールが弱くても運ばせるぐらいなら出来るかもしれない。

雇われ先の最上級で考えられるのは、警戒心の高い貴族が監視として雇うなんていう例もある。

もっとも貧民街からそうした人を雇うことは考えにくいが可能性がないわけでもない。

貴族がこうした魔獣と契約したならプライドが邪魔をしてやらない仕事でも貧民街の仕事がない連中からすればあるだけありがたい。

仕事を見つけられるかはまた別問題であるが少なくとも貧民街の子供にとって弱いだけで外れとは言い切れないとジケは思う。

作業のように次々と魔獣との契約が行われていくが結果はあまりパッとしない。

小型で力の弱い魔獣が多く役人も暇そうに眺めている。

貴族であっても強い魔獣と契約できる人ばかりではないから貧民なら更に見込めない、なんて思っているのだろう。

魔獣契約に貴賤なんて関係ないはずなのだが確かに貴族の方が良い魔獣が出やすい。

もともと魔力があり、良い魔獣と契約できた人が今の貴族の祖先であることも多いのでそういうところも関係あるのかもしれない。

生まれた時点で契約する魔獣は決まっているなんて話もある。

スタート時点で差があるなんてズルい話だ。

「おっ、やっと俺の番か」

流れ作業で契約されていく光景に困惑していた子供たちも慣れてきて早く契約したくてウズウズとしだす。

契約はより早くなり、とうとう契約の順番もジケの隣にいるラウの番となった。

契約を待ちわびていたラウは兵士に連れられるまでもなく自ら前に出てナイフにもおくすることなく指を当てて血を垂らす。

「我望むは友好のちぎり、悠久ゆうきゅうの縁を結び共に生きるもの、呼びかけに応じたまえ」

もう何回も聞いたのですらすらと詠唱えいしょうが口を出る。

少しは強いやつならいいな。ジケよりも強ければとラウは思っていた。

血が魔法陣に垂れた瞬間に他の子供達の時にはなかった目を覆うほど一際強い光が放たれた。

ごくまれに起こる暴走などから周りを守る役割の兵士たちが一斉に槍を向ける。

一閃いっせん

魔法陣とは違う光が瞬いた。

轟音ごうおん

体が浮き上がったように感じられるほどの低い音が響き渡った。

それがなんであるのか、知っているジケだけが見ていた。

地から天に向かって雷が放たれた。

立ち昇る不思議な雷の根本に一匹のトラがいた。

金色の目、しなやかな体躯たいく、背面はだいだい色で腹部は白く、ところどころ黒い縦縞たてじまが入っている。

わずかにジリジリと音を立てる魔力がトラの属性を否が応でも分からせる。

デルファ地方に多く存在する魔物でデルファタイガーと名付けられているものだがそのほとんどが特定の強い属性をもちサンダーライトタイガーとも言われる。

そう、雷属性の魔獣なのだ。

間違いなく当たり。

魔獣そのものの戦闘力も高く契約者に与える魔力も大きい。

性格こそ難しいところがあるが頭も良く、未来の百人隊長の相棒になるのも納得であるとジケはその魔獣の姿を見ていた。

サンダーライトタイガーは真っ直ぐにラウを見つめ、ラウも真っ直ぐにサンダーライトタイガーを見つめる。

喉の音か、それとも雷の音か、ゴロゴロと音が聞こえる。

兵士に緊張が走る。

もし制御できずに暴れ出したらサンダーライトタイガーを止められるほどの実力者はこの場にいない。

役人も打って変わって食い入るようにラウの様子を見ている。

子供達は無邪気に目を輝かせサンダーライトタイガーに見入っているがアレがどんなものか分かっていたらそんな風には思えない。

おびえて距離をとっている子は分別がある。

ジケはどうなるか分かっているからサンダーライトタイガーに恐怖は抱かない。

一回目は強そうな魔獣という衝撃でよく見なかったが改めて見るとやはりこのサンダーライトタイガーは威厳があり美しい。

ある程度の知恵を有する魔物ならその種族の中でも序列がある。

実はラウの契約したサンダーライトタイガーは上の序列に当たる強い個体であり美しささえある優れた魔獣だったのだ。

やけに長く感じられる時間が過ぎてサンダーライトタイガーがラウに近づいてベロリと顔を舐め上げた。

ざらざらとした舌に首を持っていかれそうになりながら驚きに満ちた表情をしているラウをサンダーライトタイガーは満足そうに眺めて、ニヤリと笑ったように見えた。

少なくとも魔獣が主人を認めたので暴走の心配はない。

兵士達が安堵に胸を撫で下ろす。

「見たか、ジケ! なんかスッゴイの呼び出したったぞ!」

ヨダレまみれの顔を拭いながらラウがジケに駆け寄る。

臭いはしないがヨダレが付くのは嫌なので近寄らないでほしいとジケは思った。

後ろから悠然とサンダーライトタイガーも付いてくるものだから他の子供達は逃げるように離れてそこだけポッカリと穴が空く。

遠目で見る分にはカッコよくても近づくのは怖い。

ついつい見てしまい、サンダーライトタイガーと目が合う。

ジケは緊張感にドキッとするもサンダーライトタイガーは興味なさげに視線をそらした。

「次はお前の番だな!」

良い魔獣を出して上機嫌なラウは何が起こるとも知らずジケの肩を叩いて笑う。

サンダーライトタイガーがいて兵士も来にくそうにしているのでジケが自ら魔法陣の前まで行くと兵士がホッと息を吐く。

優れた者ばかりが兵士になるわけではない。

むしろこのような任務につかされる兵士は実力も家柄もない兵士がほとんど。

魔法陣の一番近くで子供に説明をしていた兵士も余裕が消えて緊張した面持ちでいる。

なんてことはないと思っていたのに目の前に強力な魔獣が出たのだから気も引き締まるだろう。

もし魔獣が暴れたら真っ先に被害を受けるのは魔法陣に近い自分であることを改めて思い知ったろう。

ジケは魔法石をもらって左手を差し出す。

前の時は右手だったので気まぐれに逆にしてみた。

右か左かで変わるほど繊細なものじゃないことは分かりきっているが、些細なことで状況が変わることもある。

指先を軽く切ってもらい血を垂らして呪文を唱える。

「我望むは友好の契り、悠久の縁を結び共に生きるもの、呼びかけに応じ給え」

他の子なら一度は聞いたことがある強い魔物を夢見るか、まだ訳もわからないままに契約を始めるだろう。

そうした中でジケだけは違った思いを抱いていた。

許されるなら。

ジケは許されるならもう一度会いたいと思っていた。

これが夢でもいい。

いつか覚める夢でも今度は理解して心を通わせて共に生きていくのだ。

魔法陣が記憶よりも強く発光した。

再び兵士に緊張が走る。

もう会えないかもしれないと思ったのも束の間、光にくらんだ目が慣れてくるとそこにいる魔獣の姿がはっきりと見える。

青く透き通るつるんとしたフォルムに黒い核が透けて見える、ある意味有名な魔物であるスライムが召喚されていた。

駆け寄る、もとい跳ね寄ってくるスライムを受け止める。

今ぐらいの季節ならヒンヤリしているはずなのにほんのり温かい。

抱き受けた感触は柔らかく記憶と違いがない。

堪えきれずに自然と涙が溢れてくる。

「可哀想に、あの子は貧民街から抜け出せないな」

役人が可哀想なんて思っていない顔でつぶやく。

貧民街の子供にただで魔獣契約をさせるなんて仕事やりたくなかった役人は基本冷たい目で様子を窺っていた。

ジケが呼び出したのはスライム。最弱という呼び声も高い魔物であった。

最弱の魔物議論には様々な意見がある。

戦闘力に難があるシルクバードのような下位鳥種や小さいむし種を挙げる人もいる。

ゴブリンやスライムといった魔物もその中に名前が上がってくる。

この議論に結論はない。

長い間いろいろな人が本気で、あるいは遊び半分で話し合ってきたものの万人が納得する一つの結論に落ち着かない。

条件など何を考慮するかによって議論の論点や決着が変わってくる。

それでも有力候補というものは存在する。

まず最弱の魔獣議論で何を考慮するか。

人や状況、前提条件によって様々であるが一般的に強さや与えてくれる魔力を考えることが多い。

加えて魔獣そのものの利用可能性もこの議論には要素となることがある。

鳥種はどうか。

確かに戦闘力は弱く与えてくれる魔力も弱いものが多い。

しかし運搬や偵察の仕事はこなせるし見た目を好ましく思う者も多い。

羽や卵などを利用することもできる。

弱いが利用の可能性は十分にある。

虫種はどうか。

羽虫や地をう虫など戦闘にも仕事にも期待は置けない。

見た目も嫌う者が多い。

しかし虫種には他の種にはない進化可能性と特殊な能力があることも多いのだ。

将来性という点であなどれない魔獣になる。

ゴブリンはどうか。

魔物としての最弱論にも異論は多い。

力は弱く魔力も弱いことは誰しもが知っているし初心者が討伐しやすい魔物としても有名だ。

しかしゴブリンには油断ならない知恵がある。

手先も意外と器用で教えれば細かい作業でも手伝えたりするのだ。

戦いも教えるとある程度動けるようになってそれほど能力が低くもないのだ。

スライムはどうか。

最弱の呼び声が高い。

力や魔力が弱いことは言うまでもなく鳥種のような能力も蟲種のような将来性もゴブリンのような知恵もない。

そもそも生態はよく分かっておらず半透明の部分に関しては攻撃が通じないなんてことが分かっているぐらい。

けれど弱点は透けて見えている核であり動きは鈍くスライムを倒すことは簡単である。

最大の問題はスライムには知能がないと言われていることにある。

他の種には知能があり関係が深まるにつれ与えられる魔力が多くなる。

知能がなくてもある程度の指示には従うが自分で考えて動くことや複雑な命令はこなせない。

ついでにスライムには手足がない。

簡単なことでも手足がなければできないことも多い。

では知能のない魔獣とどうすれば関係を深められるか。

否、不可能であるとされている。

力も弱く魔力も弱い、特殊な能力や知能もなく複雑な命令もこなせない。

生態もわからず弱点は丸見えで見た目も嫌悪感を抱く人は少なくても不思議なフォルムで不気味だと思う人もいる。

絆を深めることができなくてただそこに存在しているだけ。

総じて最弱という人が多い。

それが魔獣としてのスライムの評価。

ほとんど決まりじゃないか、なんて声もありそうだが何ができて何ができないのか分からないし、スライムを魔獣にした人はそのことをひた隠しにするか情報もなく忘れられがちで俎上そじょうにのらないこともある。

しかし不思議な生態を持つスライムは他の魔物と敵対することはなく、どんな環境でも生きていけるとされていて生存力に関してはずば抜けているとも言われている。

実際どうなのかは誰も知りえないことであるが一様に人が抱くスライムのイメージが強そうなものでないのは確かだ。

その場にいる誰もがジケの涙をあわれんだ。

魔獣と契約することは人生で一度あるかないかの大きなチャンスだ。

スライムを与えられては貧民街から抜け出す希望がついえた、そう思われていた。

魔法陣の強い光に警戒した兵士が槍を下ろすとジケを魔法陣から離れたところに誘導する。

スライムを抱えて部屋の隅に連れていかれた光景にラウですら親友にかける言葉が見つからない。

魔法陣から離れたジケは隅でスライムを抱えたまま泣き続けた。

それが喜びの涙であることは一人も知るわけもない。

誰しもがジケを絶望のさなかにいるのだと信じて疑わない。

「すまなかったな、分かってやれず。今度は同じ過ちは繰り返さないから」

兵士が離れていったので気兼ねなくジケは一人でスライムに話しかけていた。

一回目の時はスライムが召喚されて、ジケは事実を受け入れられなくてスライムを拒絶した。

スライムを投げつけてウソだと叫んで喚き散らした。

あの時に向けられた憐れみのこもった視線は忘れられない。

でも今はそんなつもりは毛頭ない。

それどころか感謝もしているぐらいだ。

「こんな私の元にまた来てくれてありがとう」

ギュッとスライムを抱きしめると腕の形にスライムが歪む。

抵抗も逃げ出すこともせずただひたすらにスライムは腕の中に居続ける。

ただ受け入れてくれている。

「名前はまたフィオスでいいかい? 貧民街にも施しをくれる女神アルフィオシェント様から取った名前だ。いつか魔獣と契約する時が来たら付けようとしていた名前。またフィオスでいてくれるかい?」

貧民であってもどうにかお金を貯めてそのうちに魔獣と契約する人もかなりの数がいる。

そのために普段から魔獣の名前を考えておくことがある。

むしろ暇だからこそ、そして自分の名前もままならない貧民だからこそ魔獣の名前について妄想を広げるのかもしれない。

ジケが考えていた名前はフィオスだった。

一回目の時も同じ名前をつけた。

拒否されることなんてないのだけど拒否されたらどうしようなんて思っていたらスライム──フィオスの表面が揺れる。

同時にそれが喜びだとジケに伝わる。

もうすでに感情が分かるほどに絆が強くなっている。

しかしジケはそんなことに気づかないでフィオスの喜びを感じて自分も嬉しくなった。

同じスライムとは限らない。

そんな考えも一瞬頭をよぎるけれど流れを見ていると記憶と変わっていない。

同じスライムだろう。

いやこれが同じスライムなのだとジケには分かった。

「そうか……そうか、嬉しいか」

収まりかけた涙が堪えきれずに再び流れ出す。

嫉妬と後悔と反省が多く余裕が無くて他人に誇れる人生ではなかった。

嫉妬も後悔もしない人生なんて恐らく不可能だろう。

それでも出来るだけ後悔しないような選択をし、嫉妬をしないように自分の持っているものを見つめ直して生きていこう。

フィオスとならそれができる。

やってみせる。

そんな風に思うことができた。

「ジケ……」

実際にはスライムを抱きしめて感涙しているのだがラウには隅で丸くなって自分を押し殺して泣いているように見えた。