
赤城くんと能美さん──パパとママが踊り始めた瞬間、それまで全く力が入らなくなっていた私の身体から、急に力が湧き上がってきた。
湊くんの背中から下ろしてもらって、私は自力で大地を踏みしめる。
数時間まえは立っているのもやっとだったはずなのに、今の私の身体は妙に軽い。
一週間くらいずっと抱えていた身体の接続が上手くいかないような不具合も、全くなくなっていた。
つまり──世界崩壊フラグは無事に回避されたということなのか。
信じられない想いで、私は傍らに立つ湊くんを見上げる。
湊くんは、どこか満ち足りた優しい表情で、パパとママのダンスを見つめていた。
本当に──不思議な男の子だと思う。
私たち未来人の都合で、普通の青春が送れなくなってしまった世界一不幸な男の子。
文句の一つくらい言ってもいいのに、まあ、文句の二つ三つはよく言っている気もするけど……、それでも最後にはなんだかんだ言って誰かのために頑張れる、そんな素敵な男の子。
天津風博士から色々と話は聞いていたから、最初はどんな素晴らしい人なのだろう、と期待した。でも、クラスメイトとなった湊くんは、だらしなくて、理屈っぽくて、自虐的で、お世辞にも天津風博士ほどの美人が夢中になるような男の子には思えなかった。
天津風博士ほどの器量があれば、どんな男の子だって選び放題なのにどうしてわざわざこんな冴えない子を選んだのだろう、とずっとずっと不思議だった。
でも、天津風さんが転入して来て、必然的に湊くんと過ごす時間も増えてきたことで──その理由がわかってしまった。
何というか湊くんは……普通すぎるのだ。
どんな理不尽な現実にも、平等に、あくまでもフラットな姿勢で向かうことができるとでも言えば良いだろうか。
理不尽──つまり、異常な状況への耐性が高すぎて、どんな状況でも彼にとってはあくまでも日常の一ページに成り下がってしまうわけだ。
いったいどれだけ異常な人生を送ってきたら、そんなふうになれるのか不思議なくらい。
私が未来人であることを告白したあの夜も、驚いてはいたが、まるでそれが普通のことであるように、彼は私の話を受け入れた。
天津風さんが将来、タイムトラベルを実現することも、那珂川さんが未来から湊くんを殺すためにやって来たと知ったときも、おまけに超能力者たちに命を狙われたときも。
湊くんはいつだってフラットに現実を受け入れた。
挙げ句の果てには、自身の死が因果律によって定められた歴史的事実なのだと知ったときでさえ、大きな動揺を見せることなくそれを受け入れ、ついには奇想天外な発想で因果律さえ捻じ曲げて強引に自身の生を勝ち取った。
たぶん湊くんは、自分の死さえも客観的に見ることができる、究極の平等主義者なのだろう。
だから、普通ではない〈特別〉な人間ほど、彼に惹かれてしまう。
彼の前では、どんなに〈特別〉な人間でさえ、〈普通〉の人間として扱われてしまうから。
自身の特殊性に引け目を感じている人ほど──彼の側は居心地が良いと感じてしまうだろう。
──そしてそれは、私も同じだった。
テロに巻き込まれて、片腕と内臓のいくつかを機械に置き換えられた、人ならざる私。
両親も失い、絶望の果てで手を差し伸べてくれた天津風博士のために残りの人生を費やそうと決めた私は、同じ年頃の女の子と同じように笑ったり友だちを作ったり、恋をしたりなんて当たり前の人生を送ることはできないのだと思っていた。
でもこの時代に来て、私はそんな当たり前の人生を送らざるを得なくなってしまった。
同じ年頃の普通の女の子たちに混ざって過ごすのは……正直、すごいストレスだった。
だって、この時代の普通の女の子たちはみんなキラキラしていて、眩しいくらいに綺麗で、私なんかとは文字どおり住む世界が違っていたから。
それに私は、事故の影響で発育が遅れている。だから女性らしい起伏に富んだ身体をしている他の女の子たちが、最初は羨ましくて仕方がなかった。
言ってしまえば私は──劣等感の塊だったのだ。
そんな私の認識を変えてくれたのが、湊くんだった。
湊くんはたぶん覚えていないだろうけど、入学式の日、私は早速制服をだらしなく着ていた湊くんを見つけて注意した。彼は、面倒くさそうに制服を正してからこう言った。
「──小学生か?」
カチンときた私はすぐさま反論した。
「同い年だよ! クラスメイトの加賀美美玖! よろしくね!」
「──ふうん」彼は感心したように唸った。「しっかりしてるな、さすが高校生だ。僕は湊琥太郎。あんたクラス委員長にでもなったらどうだ? それだけしっかりしてれば、みんな言うこと聞くだろうし」
たぶん彼は軽口のつもりでそう言ったのだと思うけど……私は初めて『居場所』を与えられて、何というか救われた気がしたのだ。
普通ではない私でも、受け入れてもらえそうな予感がした。
だから私は彼の提案どおりクラス委員長に立候補して──そうして無事に念願だった自分の『居場所』を手に入れた。
それからずっと彼のことが気になって、でも、天津風博士から聞いていた話とは全然違っていて──。
そんな混乱の中で湊くんの人となりを少しずつ知っていって、今、私の心は揺れている。
「──琥太郎さん。もしよろしければ、私と踊ってくれませんか」
不意に天上の調べのような声が降ってきた。私は思考を中断して意識を現実へと向ける。するとすぐ側に天津風さんが立っていた。
湊くんは天津風さんの姿を認めると、心底嬉しそうに微笑み、しかし少しだけ面倒くさそうに、「──ああ」と答えた。
チクリと。胸に刺さった小さな棘が痛みを発した。
湊くんは天津風さんの手を取って、キャンプファイヤのところまで歩いて行くと、不格好なダンスを踊り始めた。
胸の痛みは、鈍痛のように少しずつ広がっていく。
そのとき、ふと昨夜のことがフラッシュバックする。
実はあのとき──私には意識があった。
あくまでもぼんやりとしたものだったが、寝たくても身体が冷たすぎて眠れないという苦しみに耐えていたのだ。
そんな折、突然湊くんが私のくるまっていた毛布を剝いだものだから驚いた。
不覚にもすっかりと失念していたが、あのときは閉ざされた小屋に年頃の男女がいるというシチュエーション。そのうち女のほうはまともに身動き一つ取れず、意識だって朦朧としている状態だ。襲うとすれば──絶好の機会だった。
湊くんだって若い男の子だ。非常事態ということもあり、情欲に理性が敗北してしまうことだってあるだろう。
だから私は、毛布を剝がれたとき、湊くんにエッチなことをされるのだと確信した。でも、私はすぐにその現実を受け入れた。この状況ならば仕方がないとも言えるし、元々、湊くんにはかなり無理を言って未来人たる私の願いを何度も叶えてもらっているのだ。
私の貧相な身体一つで、その借りが返せるのであれば──安いものだ。いくらでも溜まりに溜まった獣欲を満たせば良い。
そんな覚悟を決めたというのに。
あろうことか湊くんは、私を襲うどころか自分が寒いのも我慢して私の身体を温めてくれた。
触ろうと思えば、私の身体のセンシティブな部分を思う存分まさぐることだってできたはずなのに、彼はあくまでも紳士的に、動けない私に接してくれた。
背中に触れた、彼の肌の温もりを思い出して──私は顔が熱くなる。
意気地なしというか、甲斐性なしというか。
据え膳食わぬは何とかなんて格言もあるけれども。
私はそんなヘタレで真面目な湊くんの不器用な想いに触れて──胸を高鳴らせてしまった。
顔を上げ、私は夕日とキャンプファイヤに照らされながら楽しそうに踊る湊くんと天津風さんを見やる。
二人ともとても幸せそうな表情をしている。
湊くんは、天津風さんに恋をしている。
それはもはや紛れもない事実だろう。
そして当然、天津風博士から聞いていたとおり、天津風さんは湊くんのことが大好きだ。
私は二人の恋をサポートすることを目的の一つに未来からやって来た。
二人が好き合って、幸せに過ごしてくれればそれで良い。
それが私の役目なのだ。
だから──胸の中に湧き上がったこの想いには、気づいてはいけない。
これはきっと、吊り橋効果的な一時の気の迷いから生じた幻想だから。
私はこの時代の人間ではない。私の余計な行動一つが、タイムパラドクスを生み、その結果宇宙そのものを崩壊させかねないということを常に念頭に置いて行動すべきだ。
あくまでも私は、この時代における傍観者でしかない。
傍観者が──余計な想いなど抱いてはいけないのだ。
でも、もしかしたら。
違う未来が待っている可能性も……ゼロではないのかもしれない。
現に、今この世界は、私が生まれ、歩んできた正史とはまったく異なる新たな歴史を刻んでいる。未来人が二人も居て、おまけに正史ではすでに死んでしまったはずの湊くんがピンピンしているというとても不思議な、新たな歴史。
タイムパラドクス理論が正しければ、決してあり得ない矛盾した世界。
いったい今のこの世界が、どのような理由により存在を許容されているのかは、専門家ではない私には皆目見当も付かないけれども。
ひょっとしたら……そもそもタイムパラドクスなんてものは起こらない、ということは考えられないだろうか。
歴史的な矛盾が発生した瞬間、世界は新たな可能性に分岐する。
だから今、世界は当たり前のように未来人である私や那珂川さんの存在、そして何よりも湊くんの生を許容している。
そう考えても、少なくとも今のところは矛盾がない。
──だとしたら。
私は……私が生まれ育った正史を無理になぞる必要はないのかもしれない。
私は、これまで当然そうであるべきかのように、湊くんと天津風さんが両想いになることが正しいと信じて行動してきた。
でも、冷静に考えたらそれだって大きな矛盾を生じている。
何故ならば正史において、二人は決して結ばれていないのだから。
正確には、結ばれるよりもまえに湊くんが死んでしまったわけだけれども。
私をこちらの時代へ送り出す直前、天津風博士は言っていた。
──過去の世界には、あらゆる可能性が存在しています。何が起こるかは、私にも想像できません。だけど……どうか美玖ちゃんが、悔いのない選択をできますように。
そこで、ああ、と天恵のように気づく。
天津風博士は……この可能性を見越していたのか。
つまり──私が湊くんに恋をしてしまう可能性を。
ならば、やはりゼロではないのかもしれない。
私と湊くんが結ばれる──そんな夢物語の仮想世界線も。

いつか湊くん、言ってたっけ。
天津風さんと出会わなかったら、私のことを好きになってたかもしれないって。
だとしたら……私にも、まだチャンスはあるのかな。
二人のダンスはまだ続いている。
胸に刺さった小さな棘が、チクリとまた疼痛を発する。
その痛みが、恋心から来る嫉妬によるものなのか、それとも恩人にして親友でもある天津風さんを裏切る行為から来る罪悪感によるものなのか。
私には判断がつかなかった。