
「あびゃ~、実にいい湯でしたな~」
大浴場からの帰り道。浴衣に身を包んだ赤城は、年寄り臭くそんなことを言う。
「ご機嫌だな」紙パックのフルーツ牛乳を両手に、隣を歩きながら僕は応じる。
赤城は楽しそうに続けた。
「自分のような日頃運動不足のキモオタには、今日の予定はなかなかに過酷でしたからな。温泉で一日の疲れを癒やして、今や絶好調ですぞっ!」
確かに僕も文化部(?)なので、その意見には賛成だった。
朝、いつもより早起きしてから、ずっと何かしら動きっぱなしだったので、飯盒炊爨が終わってホテルへ戻ったときにはもうクタクタだった。少しはインドア派の体力のことも考えてスケジューリングをしてほしいと企画者を呪ったものだったが、大浴場の温泉は最高の一言で、今は幾分回復していた。
まあ、運動部の連中なんかは風呂で泳ぐくらい元気いっぱいのようだったので、単純に僕らの体力が平均よりも足りていないのかもしれないけど……。
「こんなことなら、八重樫氏も来れば良かったのに残念でしたな」
赤城は無邪気に言う。
八重樫は、人と風呂に入るのが苦手、という理由から部屋のシャワーを使っていた。
いやまあ、本当のところは、女の子だから、の一言に尽きるのだけど、さすがに赤城にそんなことを伝えられるはずもなく、僕は曖昧に笑う。
「誰にでも得手不得手はあるからな。あまり詮索してやるなよ」
「それはもちろんそのつもりですが……」赤城は残念そうだ。「八重樫氏が温泉を味わえなかったのは、少し可哀想ですな。あと旅の思い出に、男三人で裸の付き合いがしてみたかったですぞ……」
「言動はイカれてるけど、おまえかなり良いヤツだよね」
「余計な前置きがなければ素直に喜べたのですけどなっ!」
今日一日で赤城とも随分と打ち解けられた気がする。
ちなみに赤城は風呂でも眼鏡を着用していた。せっかくようやく素顔が見られると思ったのに、それだけは少し残念だった。せめて前髪だけでも上げたところを見てやろうとも頑張ったが、結局それすらも叶わなかった。顔面鉄壁防御である。
惜しい思いを引き摺りながら、上機嫌に隣を歩く赤城に目を向ける。
並んで歩くと僕よりも頭一つ分ほど小柄だが、今は風呂上がりのためかボサボサ頭のボリュームが増して少し大きく見えた。
「しかし、それにしても今日は本当に楽しかったですぞ」
湯上がりのためかわずかに頰を紅潮させて赤城は続ける。
「昼間も言いましたが、自分本当にこの林間学校には何の期待もしていなかったのですが、今までの学校イベントの中で一番楽しめていますぞ。それもこれも、すべて湊氏が自分に声を掛けてくれたからですぞっ!」
「声を掛けたのは八重樫であって僕じゃないよ」苦笑して肩を竦める。「でも、赤城くんと同じ班になって、赤城くんのことよく知れて、僕も嬉しかったよ。これまで接点がなさすぎて、下手したらほとんどまともに会話しないまま卒業だったかもしれないからな」
加賀美の一件がなければ、間違いなく深く関わり合いになろうとは思わなかったタイプの人種だ。でも、実際こうして深く知ると、トリッキィな赤城や能美も実はとても良いヤツだったことがわかった。
なかなか得難い体験だろう。
「み……湊氏ィ!」
感極まったように赤城は僕にしがみついてくる。
「自分のようなカス虫にそんなことを言ってくれたのは、湊殿が初めてですぞっ! 湊氏は心の友ですぞっ!」
「大げさだな」湯上がりで暑い上に、男に抱きつかれて喜ぶ趣味はないので無理矢理赤城を引き剝がす。「僕も正直友だちが少ないからな。赤城くんさえ良ければ、林間学校が終わってからも仲良くしようぜ」
「もちろんですぞっ!」
風呂上がりで火照った身体をくっつけ合う僕らを見て、通りすがりのクラスメイトたちがひそひそと何かを言い合っている。
「……湊のやつ、男もイケるらしいぞ」
「……マジかよ。八重樫との噂は本当だったのか。クソッ、天津風さんや委員長、那珂川先輩にまで目を掛けられてるのにその上男にまで手を出すのか……! 爛れたヤツめっ!」
何やら酷い誤解をされているようだった。これ以上、不穏当な噂が立つまえに、もう少し生活態度を改めたほうが良いかもしれない、と思い直す。
尚もしがみついてこようとする赤城を片手で制しながら僕は早口で言う。
「それよりも早く部屋に戻ろうぜ。これから真のお楽しみタイムが始まるんだからな」
「おおっ……! 修学旅行の夜イベントですなっ! 漫画やゲームでは定番ですぞっ!」
「ああ、夜通し語り合おうぜ。好きな奴の話とかな……!」
「うひょーっ! 自分、今から興奮してきましたぞっ!」
ハイテンションに諸手を挙げる赤城。
「……湊たち、今夜はお楽しみらしいぞ」
「……マジかよ。爛れてるってレベルじゃねえな。今度から湊のことは『夜王』と呼ぼう」
「…………」
さすがに看過できないひそひそ話が聞こえてきたので、僕は誤解を解くため割って入る。
「──良かったら僕らの部屋へ遊びに来ないか? これから楽しいことをするんだけど」
『ヒィッ!?』
何故か顔を引きつらせ、声にならない悲鳴を上げたかと思ったら、クラスメイト二名は、そそくさと走り去って行ってしまった。
……解せん。
何だか事実とは異なる認識をクラスメイトたちに与えてしまった可能性を心配しつつ、僕は赤城と共に部屋へ戻った。
「──やあ、おかえり」
窓際の謎スペースで涼んでいた八重樫は、顔だけをこちらに向けて穏やかに微笑んだ。
「ただいま戻りましたぞっ! おおっ、布団まで敷いていてくれたのですかっ! 何だか申し訳ないですぞっ!」
部屋に川の字で並べられた布団を見て、赤城は感嘆の声を上げた。
「ははっ、暇だったからね。気にしないでいいよ」八重樫は謎スペースから端の布団に移動してぺたりと座り込む。「それより大浴場はどうだった?」
「最高でしたぞっ! 八重樫氏とご一緒できなくて残念でしたぞ! でも、その代わり湊氏がお土産を買ってきましたぞ、ね、湊氏!」
「え、あ、ああ」
不意に水を向けられ、動揺を悟られないように僕はさり気なく真ん中の布団に座り込む。
「ほらこれ。大浴場の自販機でフルーツ牛乳買ってきたんだ。一緒に飲もうぜ」
「わあ! 嬉しいな、ありがとう!」
フルーツ牛乳を手渡すと、八重樫は心底嬉しそうに笑った。そんな八重樫を微笑ましく思いながらも──僕は気持ちが落ち着かない。
すぐ目の前に所謂女の子座りで座り込む八重樫を改めて見やる。湯上がりのためかわずかに上気した肌。微かに汗ばむうなじ。浴衣の襟元から覗く鎖骨など、その存在すべてが異様にセクシィだった。あとメッチャ良い匂いがする。
早速紙パックにストローを挿してチューチューと啜りながらも、八重樫は不思議そうに首を傾げる。
「──? どうかしたのかい、琥太郎くん?」
「い、いや、何でもないよ」
声が裏返らないよう必死でコントロールする。
湯上がりで薄着の女の子が、目の前に無防備に座ってる状況で緊張しない男子高校生など存在しないのである。
あと浴衣のコスチュームパワー半端ない。僕はコスプレ趣味はなかったはずなのに……!
「八重樫氏、そうしていると本当に女の子みたいですなぁ」何も知らない赤城が無邪気に言う。「美形は本当に目の保養になりますな、湊氏」
「え、あ、う、うん。そ、そうだな」
「──湊氏、動揺しすぎでは? ひょっとして、浴衣姿の八重樫氏に欲情しているのでは?」
「し……してねえ! 断じてしてねえぞ!」
必死に誤魔化すが、今度は八重樫がその隙を見逃さなかった。
「おや、琥太郎くんは僕に性的興奮を抱いてくれているのかい?」
こちらの気も知らずに、いや、知っていてあえてだろうが、八重樫は悪い笑みを浮かべながら身を寄せて僕にしなだれかかってくる。
「お、おい、八重樫、頼むから離れてくれ……!」
「どうしてだい? 男同士、仲良くしようよ」
薄い浴衣越しに、熱い体温と女性特有の柔らかさが伝わってきた。
トドメとばかりに、ふぅ、と耳に吐息を吹きかけられる。
ヤバい。理性ヤバい。
「はわわ! じ、自分、BLにも寛容ですから、その、よろしければ小一時間ほど席を外すのもやぶさかではありませんぞっ!」
「変な気を回すな赤城くん! 頼むから僕と一緒にいてくれ!」
「つ、つまり三人でのプレイングをご所望と……!?」
「違うそうじゃない!」
「自分そういうのは初めてですが……敬愛する湊氏になら掘られても構わないですぞ……!」
「僕の話を聞いてくれ!」
マジでどうやって収拾つけるんだ、と理性が薄らいできたところで、八重樫はパッと僕から離れた。
「ははっ、ごめんよ。からかいすぎた。琥太郎くんのことは好きだけど、まだそういうことをするのは早いもんね」
口元に人差し指を添えて、八重樫は可愛らしくウィンクをする。
頼むから将来的な可能性をほのめかすのはやめてほしい。僕には天津風という心に決めた人がいるのである。
「じょ、冗談だったのですか……キモオタには刺激が強すぎたのですぞ……」
赤城は安心したように胸をなで下ろす。
「赤城くんもごめんね。僕も林間学校の夜で少しテンションが上がっちゃったみたいだ」
「八重樫氏もお茶目さんですな!」
お茶目さんで済ますなよ……僕は貞操の危機だよ……。
しかしながら、いつまでも動揺しているわけにもいかないので、僕は無理矢理気持ちを切り替える。
「──じゃあ、布団は八重樫がそこの端、僕が真ん中で、赤城くんが反対側ってことでいいな?」
女性である八重樫と、それを知らない赤城を隣り合わせて何かあったら大変なので一方的に決めてしまうが、特に反論は上がらなかった。
「それより消灯まで男三人で遊びましょうぞ!」
「じゃあ、僕トランプ持ってきてるから、ババ抜きでもやろうか」
「おお、ババ抜き! 自分、友情マンVSスペードマンが大好きですぞ!」
「今の若い子にはそのネタわかんねえよ……」僕は力なく突っ込みを入れる。
中央の布団の上で三人向かい合って座りつつ、だべりながらのババ抜きが始まった。
「──それにしても意外だったな」
ペアになったカードを中央に出しながら、不意に八重樫が口を開く。
「こういうときって男の子は、女の子の部屋に押し掛けるものだと思ってたよ」
「我ら草食ですからな……ね、湊氏?」
「そんな安易に同意を求められても」
ちなみに男子部屋と女子部屋はフロア毎に明確に分けられており、廊下は教師陣が定期的に巡回しているらしい。この林間学校は、ホテル全体をウチの学校が貸し切っているため、他の宿泊客に迷惑を掛けることがない。そのため、女子部屋に忍び込もうとする不届き者には容赦ない鉄槌を下す準備が整えられているのでくれぐれもバカな真似はしないように、と行きのバスの中で担任の村雨が警告を発していた。
たぶん今も、芋色のジャージを着た村雨が、竹刀片手にホテルの廊下を徘徊していることだろう。正直、絶対に出くわしたくない。
「みんな真面目だね」
八重樫はどこか余裕を滲ませて僕らを見やる。女子からしたら、そういうときは男のほうから訪ねてきてほしいもので、据え膳を食おうともしない僕らのような大人しい男子は軽蔑の対象なのだろうか……。マジで女心がわからん……。
せっかくの機会なので聞いてみようか。
「たとえば──いや、これはマジのたとえ話だから話半分に聞いてほしいんだけど、もしも八重樫が女の子だったら、こういう状況では男に遊びに来てほしいと思うのか?」
「うーん、そうだねえ」八重樫は意味深な流し目で僕を見る。「もしも僕が女の子で、それで気になる男子がいたとしたら、自分を訪ねてきてくれることを少し期待しちゃうかな。もちろん変な意味じゃなくて、ただ純粋に寝るまえに少しお話できること自体が嬉しいと思う」
「ではやはり、オオカミになれない我ら草食動物たちは、女子からすればヘタレクソカスゴミ虫なのですかな」
意外にも真面目な顔で赤城は尋ねる。八重樫は穏やかに微笑んで首を振る。
「そんなことないと思うよ。真面目なのは欠点ではなく美点だ。まあ、相手に何を求めるかは人それぞれだろうけど……僕が女子だったとしても、決して奥手なきみたちを蔑むような真似はしないから安心してほしいな」
「八重樫氏……! やはり真のイケメンは心までイケメンですな……! 自分、八重樫氏にも操を捧げる覚悟ができましたぞ……!」
「ははっ、遠慮しておくよ」八重樫は爽やかに躊躇なく断った。
軽蔑されるわけではないのは、嬉しい知らせだったが、やはりこういう状況だと女子はそういうことを期待してしまうものなのか……。天津風もそうなのであれば、僕も頑張って彼女たちの部屋へ訪れたほうが良いのだろうか、とそんなことを考えていたところで、控えめにドアがノックされた。
ババ抜きの手を止めて、僕らは一斉にドアのほうへ視線を向ける。
「こんな時間に誰だろう。村雨先生かな?」八重樫が呟く。
時刻はすでに午後九時を回ったところだ。十時の消灯まで就眠準備のはずだが……。
訝しく思いながらも、代表して僕がドアへ向かう。
「なんすか──」
鍵を解いてドアを開く。
するとその先にいたのは村雨ではなく──。
「──えへへ。来ちゃいました」
浴衣姿の天津風撫子が立っていた。
天津風は、どこか照れたようにもじもじとしていた。
しかも彼女の後ろには、加賀美と能美の姿もある。
湯上がりのためか、髪を軽く結い上げている天津風。元々純和風の雰囲気を漂わせていることもあり、浴衣が信じられないほどよく似合っていた。
思わず──言葉を無くしてしまうほどに。
「……湊くん。天津風さんに見とれるのはわかるけど、取りあえず中に入れてもらえないかな。こんなところ誰かに見つかったら、それこそ言い訳が立たないよ」
「う……あ、ああ、そうだな……気が利かなくてごめん……」
加賀美の指摘で、僕は思考が真っ白になったまま、とりあえず三人を室内へ招き入れる。
改めてドアを閉めたところでハタと気づく。
いやいや……招き入れちゃマズいだろ……!
そもそもなんで来たの? 何しに来たの? ああもう、相変わらず天津風は可愛くて良い匂いだなあ!
混乱の極致である。
三人を部屋へ招き入れると、八重樫と赤城はさすがに意外そうな顔をした。
「えへへ、お邪魔しまーす」天津風は楽しそうに許可もなく僕の布団にぺたんと座り込む。「やっぱり修学旅行の夜といえば、こっそり異性のお部屋へお邪魔イベントですよね。これぞ青春の醍醐味ですっ! でも、琥太郎さんヘタレだから絶対に私たちのお部屋には遊びに来ないだろうと思ってこっちから押し掛けちゃいました」
「ははっ、完全に見越されていたね、琥太郎くん」八重樫は爽やかに笑った。
「笑い事じゃねーんだわ……」マズいことになって僕は胃の疼痛を覚える。「絶対ヤバいって……村雨に見つかったらマジでボコられるぞ……」
「まったく琥太郎さんはビビりですねえ。向こうだってこのくらいのイベントは予想済みです。見つかったら、謝れば良いんですよ。別に不純異性交遊をしているわけでもなし」
あくまでも悪びれない天津風。こいつ大人しい見た目してるくせにメチャクチャ豪胆なんだよなあ……!
「委員長も能美もどうして天津風を止めなかった……!」
「やだなあ、湊くん。やる気満々の天津風さんを私が止められるはずないでしょ」
「それはそのとおりなんだけど、胸を張って言うことじゃない……」
「あ、あーしは止めたんだよ……?」意外にも一番ノリでこういうことをしそうな能美はどこかおどおどしていた。「でも、しこっちとみくっちがどうしても行きたいって言うから、止めきれなくて……」
「おい、ギャルが一番真面目じゃねえか、どうなってんだよ!」
「まあまあ、琥太郎さん、落ち着いてください」天津風は余裕の表情で僕に身を寄せ、耳元で囁く。「これも作戦ですよ作戦」
「……作戦?」
「『くっつけ♡二人の愛の重力』作戦です」
「そのクソ恥ずかしい作戦名まだ有効だったんだ!?」
「夜イベントという特殊な状況に持ち込めば、能美さんと赤城さんの関係も急接近に違いありません!」
「……そうかなあ」
「あくまでもお二人の仲を取り持つための作戦ですからね。決して私が湯上がりに浴衣を着た琥太郎さんと楽しくおしゃべりしたいがために押し掛けたわけではありませんので」
「……そうかい」
「ちなみに今のは噓で、本当は私が琥太郎さんと夜も楽しく遊びたくて来ました」
「ビックリするくらいあっさりと前言を翻した!?」
「女の子だって男の子のお部屋に行きたいんです!」
「清々しいまでに開き直ったな!」
「琥太郎さん、浴衣も素敵ですね! 格好良すぎて、郭公になっちゃいます!」
「ちょっと何言ってるかわからないですね……」
自分で言うのもアレだけど、この子ちょっと僕のこと好きすぎじゃない……?
いやまあ、嬉しい限りなのだけど、器の小さい僕じゃその大海のような愛を受け止めきれないよ……!
「──あのう、お二人さん。イチャつきたいなら私たち余所へ行くんですけど」
加賀美の突っ込みで、僕と天津風は磁石のN極とS極のように離れる。
「琥太郎さん、それではくっついてしまいます」
「人の心を読むなよ!」
天津風、マジ侮れねえ。
「まま、それはさておき」天津風はあっさりと話題を変える。「せっかく皆さん同じ班になったのですから、この機にもっと仲良くなりたいと考えまして思い出作りに参った次第です。消灯時間にはちゃんとお暇しますので、それまでみんなで遊びましょう!」
「──消灯時間までなら、もしバレてもそれほど怒られないかな」意外にも八重樫が真っ先に天津風の提案に乗った。「ちょうど僕らもトランプで遊んでたところだからさ。せっかくだしみんなで遊ぼう」
「さすがは八重樫さん! 話がわかりますね!」
天津風は上機嫌に指を鳴らした。
どうやら図らずもまた天津風の望んだとおりの展開になってしまうらしい。
いつもどおり、考えてどうにかなるものでもないので、僕は諦めて状況に流されることに決めた。怒られたら怒られたでまたそのときに考えよう。
「……じゃあ、何するんだ? ババ抜きの続きでもやるか?」
「それでも良いけど、せっかく六人もいるんだし大富豪でもやろうか」
「わあ、大富豪! 私、ずっと憧れてたんです!」天津風は目を輝かせる。「実際にやるのは初めてですが、いつかお友だちとやるときのためにルールはしっかりと把握してきましたよ! さあ、『Qボンバー』でも『絶対革命』でも『エンペラー』でも何でもアリで良いですよ!」
「……なんでそんなローカルルールに詳しいんだよ」
知らない知らない。『エンペラー』とか聞いたこともない。
軽く引く僕だったが、八重樫は相変わらずクールにいなす。
「今回は手軽にオーソドックスルールにしようか。『革命』『スペ3』『8切り』『都落ち』くらいでどうかな? あとはジョーカー一枚入れて『スペ3返し』もありかな。禁止上がりは2、8、ジョーカーでどうだろう?」
「大富豪と大貧民は二枚交換、富豪と貧民は一枚交換ですかな?」と赤城。
「そうだね」八重樫は頷く。「このルールで誰か何かわからないことはあるかい?」
車座になったみんなを眺めるが、特に質問は上がらなかった。
かなり標準的なルールだ。それほど難しいこともない。
ただ一つだけ懸念事項があったので、僕は隣に座る天津風に耳打ちをする。
「……あくまでも赤城と能美の仲を取り持つためのゲームなんだから手加減しろよ」
「──? 手加減も何も大富豪なんて運のゲームじゃないですか。変な琥太郎さんですね」
「…………」
いや、それはそのとおりなんだけどさあ……! おまえ、まえにトランプやったとき無意識にチート能力使ってたじゃねえかよ……!
不思議そうな顔で可愛らしく小首を傾げる天津風に解せないものを感じるが、一応釘を刺したので大丈夫だと信じたい。
「それより、もう少しゲームとして盛り上げるために演出を加えましょう!」
まるで名案を思いついたかのように天津風は手を叩いて注目を集める。
「大富豪になった人は毎回、それ以外の人たちに何でも一つだけお願いを聞いてもらえるというのはどうでしょう?」
「……またけったいな条件を」
「でも、これくらいのほうがドキドキして楽しいでしょう? 琥太郎さんだって、もしも大富豪になったら、私にあんなことやこんなことを命令することも可です!」
「じゃあ、僕が勝ったら天津風にたらふくピーマン食わせるわ」
「鬼ですかあなたは!?」
いつもからかわれる側なので、珍しく逆にからかうのたのしー。
「まあでも、勝者特権みたいなものはあったほうが盛り上がるのは事実だよね」八重樫は自ら中心となり話をとりまとめる。「僕は良いと思うけど……みんなはどうかな?」
「私はいいよー。ただしえっちなお願いは禁止にすべきだと思うけどね」加賀美は現実的だ。
「あーしも良いよ! バッチグーっしょ!」と能美。
「自分も構わないですぞっ!」赤城もノリノリだ。
そんなわけで、急遽男女混合の絶対命令権付き大富豪が開始された──。
大富豪というのは、シンプルに見えて意外と戦略性の深いゲームだ。
2が最も強く、3が最も弱い。
プレイヤーは、手札から選んだカードを場に出し、次のプレイヤーは場に出されたカードよりも強いカードを出さなければならない。
一度に同じ数字のカードを複数枚出すことも可だ。その場合は、次プレイヤーもまた同じ枚数だけより強いカードを出していくことになる。
それを延々と繰り返し、最も早く手札をすべて場に出したものが勝者──すなわち大富豪となる。そして最後まで手札が残っていたものが大貧民だ。
この極めてシンプルなゲームに高度な戦略性を与えるのが、先ほど少し話題になったルールという特殊な条件縛りだ。
たとえば『8切り』は、8を場に出すとそれまで場に出ていたカードをすべて一度『流し』、新たなカードをまた場に一から出すことが可能になる。つまり一ターンでより多くのカードを消費できるわけだ。使い所さえ間違えなければ、かなり有利にゲームを進められる。
それらの特殊ルールを駆使して、他のプレイヤーに嫌がられながらも、とにかくひたすらに一位を目指すのがこのゲームの醍醐味でもあるのだけど──。
第一ゲーム。
「ハイ、2の8切りの4で上がり! では早速、これから加賀美嬢は語尾に必ず『にゃ』を付けるのですぞ!」
「そ……そんにゃあ!」
第二ゲーム。
「8切りのエースの革命で上がり! さあ、続けて加賀美嬢はこれから必ず自分を『お兄ちゃん』と呼ぶのですぞ!」
「お……お兄ちゃん……勘弁してほしいにゃ……!」
第三ゲーム。
「2の三枚と、エースの三枚と、最後6で上がり! ではせっかくなので加賀美嬢は一人称を『美玖』に変え、ついでに他のみんなのことも『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』と呼ぶのですぞ!」
「ふ、ふええ……お兄ちゃん、お姉ちゃん……美玖に優しくしてほしいにゃ……!」
赤城、バカ強くて無双状態。
マジで何らかの攻略法でもあるんじゃないかというくらい一方的に赤城は勝ち続ける。そしてひたすら標的にされる加賀美が不憫でならない。
──ただ。
普段真面目で比較的お堅いイメージの強い加賀美の可愛さをひたすらに引き出し続けているのは、天才的と言わざるを得なかったが。
「くっくっく……実は自分、オタクにありがちなあらゆるゲームに精通するゲームマスターなのですぞ! この程度の簡単な大富豪など赤子の手を捻るようなものですぞ!」
いや、ありがちではないだろう……!
いくらシステム的に大富豪が勝ちやすいとは言っても、少なからず天津風の豪運が作用しているはずのこの場において、それでも勝ち続けるというのは、明らかに尋常のことではない。
元々、頭の回転は速いほうだと思っていたが、どうやら赤城は思っていた以上に頭が良いらしい。
(ふええ……湊くん……助けて……)
脳内に悲しげな加賀美の声が響く。同情的な気持ちにはなるが、僕は心を鬼にして返す。
(──何か、足りてなくないか?)
(……ッ!)
加賀美は恥辱に満ちたように顔をしかめるが、それでも頰を朱に染め大人しく続ける。
(こ、琥太郎お兄ちゃん……美玖のこと、助けてほしいにゃ……!)
(クッソ可愛くて草)
(──何笑てんねん)
(……すみません、調子乗りました)
急な真顔関西弁止めろよ……マジで怖いわ……。
(冗談はともかく……確かに状況としてはあまりよろしくもないな……。赤城と能美をくっつけるためのイベントのはずが、これじゃあただただ赤城が無双して楽しんでるだけだ)
(……湊くんも楽しんでない?)
(──全然そんなことないよ? ただ加賀美は可愛いなあ、と思って)
(今の状況で言われても嬉しくないよ!)
僕にしかわからないように、加賀美は小さく頰を膨らませる。可愛い。
(じゃあ、これからはもっと普通の状態のときに可愛いって言うわ)
(それならまあ……って、そうじゃなくて! そういうのは私じゃなくて天津風さんに言ってあげてよ! このド軟派カス男!)
(突然、辛辣棒で殴ってくるのやめて!)
心の準備ができてないからダメージ倍増だよ。
(とりあえず、赤城の無双を止めるのには賛成だ。これ以上加賀美の可愛さを赤城に知られるわけにはいかないからな)
(……なんかちょっと引っ掛かるけど、赤城くんを都落ちさせるのなら私も協力するよ)
(というか、ゲーム強すぎるんだけど、何者なんだコイツ)
(何者ってただの一般人だけど……。でも確かに、お父さんからは小さい頃に色々ゲーム教えてもらったけど一回も勝てたことなかったかも。IQ148らしいよ)
(そんな一般人いてたまるか!)
ガチのバケモノじゃねえか!
(とにかくもはや手段は選ばない。何をしてでも、赤城を大富豪の座から引きずり下ろすぞ)
(そうは言っても、湊くんさっきからずっと大貧民なんだけどね)
(それは言うな!)
そう、実は三連続大貧民です……。ちょっと手札が悪すぎる。
(今だと赤城くんにハイカード集まってるから、ローカードで誰か革命してくれないとどうしようもないよね。ちなみに私は無理だよ)
(僕も無理だけど、それでも天津風なら……! 天津風ならきっと何とかしてくれる……!)
豪運の影響か、天津風は三連続でジョーカーを手札に持っていた。そしてずっと平民なので手札のやり取りもなく、おそらく次のゲームでも彼女の手元にジョーカーが行く可能性が高いことがわかる。
つまりどうにかして天津風に手番を渡してやれば、チャンスはある、ということだ。
天津風マジ仙道彰。
僕は天津風にすべてを託すために一計を案じる。
「──なあ、赤城くん。提案があるんだが」
「なんですかな?」
「手番、逆にしない?」
現在の順番は、僕から時計回りに赤城、八重樫、能美、加賀美、天津風となっている。つまり大貧民である僕の手番から始まったとしても、次の赤城がハイカードで場を流し、そのまま無双するというパターンができあがってしまっているのだ。
この悪い流れを断ち切るためにも、まずはこの順番を変えるしかない。
「そうですな……まあ、他ならぬ湊氏の頼みですからな、構いませんぞ」
勝者の余裕からか、赤城は快諾してくれた。
やった……! 言質取ったぞ……!
僕は天津風に軽く目配せをする。天津風はそれを見て小さく頷いた。彼女は空気は読まないが、決して馬鹿ではない。というか、頭はかなり良いほうだ。だから、この状況でも僕の意図を一瞬で察してくれる。
僕は天津風を信じて、場に7を一枚だけ出す。
「ハイ! 8で切ります!」
天津風は元気よく場を一度切り──。
「では、3の三枚とジョーカー一枚で革命します!」
「な、なんですとぉ!?」驚愕する赤城。
3の革命は少なくともターン内での革命返しも不可能だ。仮に赤城が何らかのカードを四枚抱えていたとしても、ヤツの手番になるまでこの革命状態を受け入れるしかない。
しかし──都落ちというルールの性質上、大富豪の人間は一度の機会で集中的に狙われる。
次ターン、天津風のハイカード二枚出しから始まり、僕の意図を読んだらしい八重樫の7二枚出し(つまり赤城の8切り封じだ)で徹底的に赤城の手を遅らせる。赤城はかろうじて5の二枚出しで応戦するが、そこで僕の4の二枚出しでダメ押し。
そこからはローカード長者である僕の独擅場だ。8切りとローカード連打により、無事に僕が大富豪になった。
赤城は当然都落ちにより大貧民決定。
「こ……これは計算外ですぞォー!」
漫画やアニメに出てくる頭脳派キャラのような断末魔を上げて、赤城は布団に倒れ伏した。
その後、天津風が富豪、八重樫が貧民、という結果でこのゲームは終了した。
「いやあ、何というか、大魔王をパーティ全員で力を合わせて倒したような疲労感があるな」
「ひ、酷いですぞぉ! 自分、何も悪いことはしてないのにぃ!」
「──でも祐お兄ちゃん、美玖のこと集中的に狙ってたにゃ?」
泣き言を叫ぶ赤城に、加賀美は冷たい声を投げ掛けた。
「それは……その、調子に乗って申し訳なかったですぞっ!」
赤城はビクリと震えた後、その場で土下座した。
とにかくこれでようやく多少は平等なゲーム展開ができそうでホッとする。っと、そのまえに大富豪特典のお願いがあったか。
何しようかな……。天津風にあんなことやそんなことをお願いしてみるか……? いやでも、天津風なら普段でもお願いすれば何でも喜んでやりそうだしな……。
というか、ほかの面々も何だかんだ言って大抵のお願いは聞いてくれそうな気がするので、わざわざゲームの勝者特典として何かをお願いするのは、少し勿体ない気もする。
ならば、普段ではお願いを聞いてくれなさそうな人に狙いを定めるしか──。
と、そんなことを考えていたところで。
──ガチャ。
突然、ドアの解錠音が響いた。
途端、水を打ったように室内が静まり返る。
何が起こったのか。一瞬であらゆる可能性を検討し、そしてほぼ全員同時に一つの結論に至った。
見回りの教師は、ホテル側からマスタキーを預かっているので、すべての部屋に自由に出入りできる。
つまり──ピンポイントでこの部屋に教師が様子を見に来たのだと。
思考から行動への転換は一瞬だった。
とにかく女子連中を隠してやり過ごすしかない。
慌ただしく僕らはトランプを投げ出し電気を消して、寝た振りをする。
結果──僕は布団の中に天津風と加賀美の二人を抱き込むことになってしまった。
ドアの開かれる音。
天津風たちの館内スリッパは、万が一のことを考えて事前に隠してあるので少なくともそこから彼女たちの存在がバレることはない。
続くふすまを開く音と、何者かがすぐ側に立っている気配を感じる。
僕の心臓はあり得ないほどの早鐘を打っている。
天津風たちを部屋に連れ込んでいるのがバレるかもしれないという緊張と、そもそもその天津風たちと身体を密着させているという別の緊張のせいだ。
二人とも、少しでも布団の膨らみを小さく見せようと僕に強くしがみついてきている。それはもう当然、本来であれば当たってはいけないあんなところやこんなところも容赦なく接合しているわけで、まあこれで緊張しない思春期の男子高校生がいたら見てみたいレベルだ。
ちょうど胸のあたりに二人の顔が来ているため、たぶん間違いなく僕の心音は聞かれてしまっている。でも──僕も腕のあたりに二人の異様に速い心音を感じているのでそういう意味ではおあいこと言えるのかもしれないけれども──。
「──もう寝ているのか、湊」
ふすまのところに立つ何者かの声。これは……村雨の声だ。
「……ね、寝てます(裏声)」
「起きてるじゃないか」
ありきたりなやり取りでどうにか様子を窺う。
「せ、先生の声で起きてしまっただけです。いつ何時であれ、先生の口から紡がれるありがたいお言葉を聞き逃すわけには参りませんので」
「それは殊勝な心掛けだな」
怪しんでいるのかそうじゃないのか。何とも言えない調子で、村雨は淡々と続ける。
「──ときに湊」
「……ハイ」
「布団が妙に盛り上がって見えるが……おまえの身体はそんなに大きかっただろうか」
ギクゥ!
「せ、成長期なんで……! 男子三日会わざれば刮目して見よというアレです」
「昼間会ったはずだが」
「我ながら竹の如き成長速度で驚きを禁じえません」
「そ、そういうものか……」
呆れたのか、諦めたのか、村雨はわずかに引く。好機と見て僕は攻めに転じる。
「しかし村雨先生、こんな時間に何用でしょうか? 我が班員は昼間の強行軍に疲れ果てており、早く静かで上質な睡眠を取らせてやりたいのですが」
「用というほどの用ではないのだがな……」村雨は神妙に言う。「湊のことだから、部屋に女子を連れ込んで乱交パーティでもやっているものかと」
「酷い偏見だ!」
現状、その偏見は当たらずとも遠からずなんだけどさあ!
「もしもそんなことをしていたならば──」
そこで言葉を切り、次いでびょお、という空気を切り裂く鋭い音が響く。
「この〈ムラサメ・ブレード〉が再びおまえの血を欲することになっていただろう」
「…………」
この担任怖すぎるよ……。
ちなみに村雨は、自分の竹刀に名前を付けて喜んでいるだけのイタイ大人ではない。
実際のところは、八重樫の所属する〈SSP財団〉という超能力組織の一員で、付いた二つ名が〈抜けば玉散る氷の刃〉。彼女は棒状のものを握るだけで、あらゆるものを断裂する〈妖刀・村雨〉を顕現させるという掛け値なしの化け物なのである。
以前、その妖刀とやらで痛い目に遭わされた(物理)僕としては、その脅しはただただ恐怖するほかない。
しばし黙り込んで僕を見下ろす村雨だったが……やがてため息を吐く。
「……まあ、いい。起こして悪かったな。ゆっくり休め」
それだけ言い残すと、さっさと出て行ってしまった。ガチャリ、と施錠の音が響くが、まだ安心はできない。
ただ、いつまでも天津風たちを布団の中に押し込めておくのも申し訳ないので、せめて少しは空気が入るようにとわずかに布団を捲ってみる。
布団の中からは──天津風と加賀美が潤んだ瞳でこちらを見上げていた。
「あ、あの……琥太郎さん……」天津風が僕と加賀美にだけ聞こえる小声で囁く。「もしかしたら先生が戻ってくるかもしれないので、もう少しこのままでいても良いでしょうか……?」
「そ、そうだね……それが良いね……!」加賀美も同意する。「村雨先生、怖いもんね……! 決してもうちょっと湊くんに抱きついていたいとか、そういう邪な考えがあるわけじゃないから勘違いしないでよね……!」

「いや、それはわかってるけどさ……きみら暑くないの?」
クーラーが効いてるとはいえ、真夏に布団を被って寝るのはさすがに暑いはずだ。
しかし──。
「い、いえ、全然そんなことないですよ? むしろ私はまだ少し肌寒いくらいなので、もうちょっと強めにぎゅーしてもらっても良いですか?」
「じゃ、じゃあ私も……」
「僕はクソ暑いんだけど……」
風呂上がりだというのに、すでに全身冷や汗と何か別の感じの汗でびしょ濡れだ。というか、天津風と加賀美も汗ばんでいる気がするけど……。
でも、実際問題もうしばらくは様子を見ないといけないのも事実なので、二人が嫌でないのであればこのままでいよう。
……もしかしたら我慢をして、嫌々僕にしがみついているだけなのかもしれないけれども。
「……なんか二人とも息が荒くない? やっぱり暑いんじゃ……?」
「い、いえ! 決してそのようなことは! ねえ、美玖さん!」
「う、うん! 全然暑くないし、それに今の状態に興奮して過呼吸になってるとか、全然そういうんじゃないから!」
「それはわかってるけどさ……」
一々注釈を入れなくても大丈夫だけど。
加賀美は律儀だなあ。
…………。
というか、クラスメイトの女子二人と抱き合って一つの布団で寝てるって今の状況、冷静に考えるとヤバいな……。僕は内に眠る獣を静めるために、頭の中で必死に素数を数える。
0、1、1、2、3、5、8、13……。
「琥太郎さん、それは素数ではなくフィボナッチ数列です」
「だから人の心を読むなよ!」
天津風、多芸が過ぎる。
結局そのままの状態で五分ほどが経過したところで、さすがにもう村雨も戻ってこないだろうと結論づけて、八重樫は再び電気を点けた。
それに合わせてもぞもぞと天津風と加賀美の二人は僕の布団から這い出てくる。
「……いや、おまえら汗だくじゃねえか!」
僕もだけどさあ!
「まさか二人ともずっと琥太郎くんの布団に隠れていたのかい?」
さすがの八重樫も目を丸くする。
「いやあ……なかなか外に出るタイミングがわからなくて……」天津風は額に張り付いた髪を整えながら恥ずかしそうに呟く。「でも、全然暑くはなかったので。これはいつ村雨先生が戻ってくるかという不安から漏れ出た冷や汗なのでどうかお気になさらず」
「……右に同じ」
珍しく加賀美は言葉数少なめに俯いた。不機嫌そうにも見えるが、耳が赤いのでたぶん恥ずかしがっているだけだと思われる。でも、そういう反応をされると僕も恥ずかしくなってくるので、できればたとえ恥ずかしかったとしても何事もなかったかのようにいつもどおりに振る舞ってくれるほうがありがたい。
八重樫は二人の様子を眺めて、ふむ、と呟く。
「まあ、冷や汗だとしても汗は汗だからね。ちゃんと水分補給したほうがいいよ」
「──ハイ。お部屋に戻ったら必ず」
「……寝るまえにもう一度シャワーも浴びないとだね」
二人とも大人しく八重樫の忠告を受け入れる。
と、そこで新たな疑問。
そういえば、能美はどこに隠れたんだ……?
改めて室内を見回して──。
「……湊氏ぃ……助けてくだされぇ……」
蚊の鳴くような赤城の声が聞こえた。視線を下ろすと、端の布団で赤城は横になったままだった。
「……何してんの?」
当然の疑問を投げ掛けると、赤城は布団から左手だけ出して自分の布団を指さした。何事かと思って布団を捲ってみると──。
「すこー……」
先ほどの僕らと同じように、赤城にしがみついた能美が高らかに寝息を立てていた。
「……何してんの?」
状況がわからず同じ問いを繰り返す。赤城は困ったように小声で答えた。
「村雨先生の登場で、仕方なく能美を自分の布団の中に隠したのですが……よほど疲れていたのかそのまま寝入ってしまったのですぞ……。起こそうにも触れたらセクハラキモオタクソカスブタ野郎死ねと罵られそうで手が出せず……」
「……さすがの能美もそこまでは言わないと思うけど」
能美は大胆にも浴衣の胸元をはだけ、今にも溢れ出そうなところを赤城にしがみつくことでかろうじて回避しているような状態で寝入っている。
「というか、何か滅茶苦茶幸せそうな顔で寝てるけど」
「きっとケーキバイキングに行っている夢でも見ているのですぞ。ギャルというのは本当に単純な生き物ですな」
「でも、おまえら仲悪いんじゃなかったっけ……? そんな相手にしがみついて暢気に寝るかな……?」
「昼間の疲れが突然来たのでしょう。そしてたぶん抱き枕がないと眠れないタイプの人種であり、それ以上の意味などないですぞ。自分などギャルから見れば枕程度の存在ですぞ」
「……そうかなあ」
色々と突っ込みどころはあったが、さすがに目のやり場に困るということで、女子二人で協力して赤城から能美を引き剝がした。
「能美さん、起きてください。お部屋に戻りますよ」
「んぅ……あれ……しこっち……?」
天津風に揺すられてようやく能美は目を覚ます。
「ほら、能美さんしっかりして。お部屋戻ったらまたのんびり寝て良いから頑張って」
「ふぁい……みくママ……」
ふらつく能美を両サイドから天津風と加賀美で支えながら、三人は部屋を出て行った。
少し心配ではあるが……さすがに僕らが三人を部屋まで送り届けるわけにもいかないので、今は彼女たちを信じることにしよう。
というかそもそも元を辿れば、あの三人が勝手に僕らの部屋に押し掛けてきただけであって、この一連の騒動に僕が責任を感じる必要性など本当は一ミリもないのだった。
時計を確認すると、とっくに消灯時間を過ぎていた。
今の一連の騒動の気疲れと、昼間の疲れのハイブリッド疲労もあり、そこから最初のババ抜きを再開する気力も起こらず僕らも早々に就眠することにした。
電気を消して再び布団に潜り込む。
ところが、布団に残った天津風と加賀美の残り香にドキドキしてしまってなかなか眠れない。天津風は白檀のような上品で高貴な香りで、加賀美はもう少し甘く爽やかな果実のような香りだ。いやマジで女の子ってどうしてあんなに良い匂いするんだろう。生命の神秘だった。
目を瞑ると瞼の裏に良からぬ妄想が展開されるが、必死に見て見ぬ振りをする。
やがて左隣からは八重樫の規則正しい寝息が聞こえてきた。そういえば、今の今まですっかり失念していたが、リアルタイムで隣に女の子が無防備に寝入っている状況でもあるんだよな……。八重樫のことはなるべく意識しないように心掛けてはいるのだけど、それにしても限界というものはある。特に今の感覚が鋭敏になっている状態で八重樫を意識しないことなど不可能だ。
それでもどうにか全力で八重樫のことを意識の片隅へと追いやる。
結果、身体は全力で疲れているのに精神ばかりが昂ぶってまるで寝付けない。そんな生殺しのような悶々とした時間を過ごしていると──。
「──湊氏」
不意に赤城に呼び掛けられた。
「……どうした。眠れないのか?」
「湊氏も同じでしょう。大方、布団の残り香に興奮でもしているのでは?」
「おまえはエスパーか」
「陰の者の考えそうなことなどお見通しですぞ」
「陰キャ特有の共感覚がつらい!」
「なに、ご安心を。自分も似たようなものですぞ」
そういえば赤城も布団の中にずっと能美をかくまっていたのだったか。
「……意外だな。ギャル嫌いでも、匂いとか意識するものなのか」
いつもの調子で軽口を返す。てっきり勢いよく否定されるものかと思ったが──。
「……そうですな」
あっさりと肯定されてしまい僕も対応に困る。何だか妙な気分だ。昂ぶった意識と、平常とは異なるテンポの会話。頭がふわふわして、すでに夢の中にいるのかと錯覚する。
「湊氏は迷惑に感じるかもしれませんが……自分はこの林間学校を通じて、本当に湊氏のことを友人のように感じていますぞ」
「迷惑なはずないだろ。僕はもう親友のつもりだぞ」
「陰の者にありがちな距離感の詰め方が心地良いですな」
「言い方ァ!」
事実かもしれないけどさあ! もっとマシな表現あるだろ!
「急にどうしたよ。まさかおまえ……消えるのか……?」
何故だか胸騒ぎがして尋ねると、赤城は一拍置いて答えた。
「いや、まったくこれっぽっちも全然微塵も消えないですぞ」
「ですよね!」
それはそうだ。最近、超常のことが重なりすぎて少し思考が変な方向に偏ってしまった。
「……じゃあなんでわざわざそんなこと口に出して確認したんだよ」
「友人の……いや、親友の湊氏には話しておきたいことがありましてな」
その言葉でピンときた。
「もしかして……能美のことか?」
「……はい。湊氏は優しいので否定するでしょうが、実はずっと自分たちの関係性に疑問を持ち、気に掛けてくれていたのでしょう?」
「…………」
僕は単純に宇宙崩壊を回避するため強引に二人をくっつけようとしていただけだが……良い感じに誤解をしてくれているようなので、そういうことにしておこう。
赤城はどこか寂寥を感じさせる口調で続けた。
「湊氏の予想どおり……自分たちはただ反目し合うだけのオタクとギャルではないのですぞ。自分と能美は……実は幼馴染みなのです」
「……幼馴染み」
あまりにも意外な言葉に、僕はおうむ返しをする。
「両親同士が仲良しでしてな。それで物心ついたときから、能美とはずっと一緒だったのです。自分にとって能美は、家族……妹のような存在なのですぞ」
「────」
娘の加賀美ですら二人の馴れ初めを知らなかった疑問が解消された。それはそうだ。そもそも馴れ初めなんてものは存在しなかったのだから。二人は生まれたときからずっと一緒だった。隣にいて当たり前の存在だったのだ──。
「小学生の頃の能美は、引っ込み思案でしてな。いつも自分の後ろに隠れて様子を見ているような子でした。でも、自分と二人だけのときは、明るく聡明で、そして誰よりも優しい女の子だったのですぞ。そんな能美を、自分はとても愛おしく思っていました」
引っ込み思案で赤城の後ろに隠れている様子など、今の能美からは想像もできない。
「でも──小学校の卒業を間近にしたある日、能美は突然変わってしまったのですな」
「……変わった?」
「自分と目を合わさなくなって……そして、ギャルになってしまったのです」
「え、な、なんで?」
急な展開に僕は戸惑う。今の話のいったいどこに不仲になってギャル化する要素があったんだよ。
「……自分もそれがわからなくて困っているのですぞ。もしかしたら、何か彼女の気に障るようなことをしてしまったのかもしれませんが……とんと見当もつかないのです。そんな折に、能美の好みのタイプはオタクだという風聞を耳にしましてな。実は自分、その頃は漫画もアニメもゲームも知らない無趣味でつまらない人間でして。ならばと、一念発起してたくさん勉強してオタクになったのですぞ。すべては……もう一度能美に向き合ってもらいたい一心で」
「そう、だったのか……」
そんな悲しい過去があったなんて……考えもしなかった。
「なんか……ごめん。つらいこと思い出させちゃって……。僕が変な詮索なんかしたせいだよな……」
「湊氏が悪いのではありませんぞ。いずれにせよ、自分が親友の湊氏には話しておきたかっただけですからな」赤城はあえて僕に気を遣わせないよう朗らかに言う。「ちなみにオタクになった結果、ますます能美からは嫌われることになりましたぞ」
「世知辛え……!」
泣いちゃいそうだよ……。
「じゃあ、さ……」僕は言うか言うまいか一瞬悩むが、それでもあえて尋ねる。「本当は能美のこと、今でも好きなのか?」
「──わかりません」赤城は寂しそうに答える。「今の能美は、自分が好きだった頃の能美とはまったくの別人のように思えてしまうのです。今の能美を好きになることは……正直難しいですな。自分、どちらかというと穏やかで優しい子が好みですぞ」
好みのタイプは、昔の能美ってことか。確かにそれは今の加賀美とも通じるところがある。
「それで新しい恋でも探そうとしていたところに……急に加賀美嬢が現れたのですぞ。これまで女性にときめいたことなど一度もありませんでしたからな。能美は……まあ、妹みたいなものでしたし。とにかく、これは運命の出会いに違いないと思って特攻したら……瞬殺でしたぞ」
「……その節は大変申しわけございませんでした」
平謝りするほかない。
「それももう気にしないでほしいですぞ。おかげでこうして湊氏と仲良くなれたのですからな……自分にはそれで十分ですぞ」
「人間ができすぎている……!」
聖人なの?
「それより自分の話ばかりで面白くないですな。湊氏の恋愛事情も教えてほしいですぞ」
「……僕の恋愛事情ねえ」
エピソードには事欠かないが、赤城に気軽に話せることかどうかは悩みどころだ。
「今日一日、湊氏を観察して思ったのですが……やはり湊氏は天津風嬢のことが好きなのですな」
推定ではなく断定。
誤魔化そうかとも思ったが、秘密を打ち明けてくれた赤城にそれは不誠実だと思って正直に答える。
「……うん。僕は天津風が好きだ」
八重樫に聞かれていたらちょっと困るなと思ったが、相変わらず規則的な寝息を立てているので大丈夫だろう。狸寝入りではないと信じたい。
「あいつの事情もあるからあまり詳しくは話せないんだけどさ、あいつずっと身体が弱くて中学までまともに学校に通えなかったらしいんだよ。だから高校から初めての学校生活で……僕はあいつの青春を全力で応援してやるって決めたんだ」
「──素敵な話ではありませんか」赤城は達観したような優しげな口調で言った。「天津風嬢も湊氏と過ごす青春をとても楽しんでおりますぞ。今日一日二人を見ていて、自分はそれを確信しましたぞ」
「楽しんで……もらえてるかな」
そうだと信じたいし、僕自身も全力で臨んではいるけれども、そればかりは天津風の裁量次第なので僕にはどうしようもない。
でも──客観的な赤城の言葉は素直に嬉しかった。
「そういえば、転入初日から二人は面識があったようでしたが……馴れ初めはどんな感じだったので?」
「食パン咥えて走ってきた天津風とぶつかったことかな」
「ははは、湊氏は冗談が上手ですなあ。今日日そんなJKがいるはずないでしょうに」
「────」
「……え、まさか本当に?」
「うん」
「……やはり湊氏はラブコメ主人公でしたか。憎い……湊氏が急に憎く思えてきましたぞ……!」
「頼むから僕をそんな安いキャラで見ないでくれ!」
益体もない会話を繰り広げながら。
男だけの秘密の夜は、静かに更けていった──。