
「──ただ今より、第一回『くっつけ♡二人の愛の重力』作戦の会議を始めたいと思います」
「ネーミングセンス二〇〇〇年代初期なのやめろ……」
目を輝かせながら言う天津風に、僕は力なく突っ込みを入れる。
場所は、市内最大というスーパーマーケットの入口付近。飯盒炊爨の材料を買い求めるためここに立ち寄った僕らは、赤城と能美が手洗いに班を離れた隙に、作戦会議を始めたのだった。
天津風は声を落として上機嫌に言う。
「こういうのは、まず形から入ることが重要なのですよ、琥太郎さん。この秘密会議感、青春っぽくないですか?」
「おまえの青春感は裾野が広すぎて、おいそれと同意しにくいんだよ……」
「クラスメイトの男女をくっつけるために暗躍する、なんて如何にも青春の王道ではないですか。琥太郎さん、そんなことでは、この先の青春ラノベ戦国時代を生き残れませんよ」
「青春ラノベ戦国時代って何!?」
天津風、たまにわけのわからないことを言う。
まあ、何であれ天津風がこの状況を青春と認識してそれを謳歌してくれているのであれば、それはそれで世界の安定に繫がるので取り立てて文句もない。
とにかく、とそこで天津風はにっこりと微笑んで議題を進める。
「能美さんと赤城さんをくっつけるというミッションを実行中の我々ですが、どうにも状況は芳しくありません。なのでこのあたりで一度状況を整理しつつ、二人の仲を進展させるための新たな方策を検討する必要があります」
「確かに……このミッションはなかなか難解だね」
八重樫はまるで他人事のように嘯く。
午後に予定されていたガラス工房見学でも大した成果は得られず、はっきり言って状況は芳しくないどころかむしろ悪化しているまであると僕は見ている。
バーベキュー時のあれこれが引き金になったのか、二人がどうにも悪い方向に互いを意識し合ってしまっているのだ。赤城と能美を二人組にして進展を望もうとしても、互いを無視して口も利かないのであれば何の意味もない。というか明らかに逆効果だろう。
強制的に切っ掛けを作って二人の仲を進展させるという方策はもう捨て去ったほうが賢明だ。
「そもそも赤城くんと能美さんが好き合っているという前提からして僕は懐疑的なんだけど。どう見てもあの二人は水と油じゃないかな?」
至極もっともな意見を述べてこちらを見上げる八重樫。僕はやや視線を逸らして答える。
「そ、そんなことないぞ! 逆に全く正反対の二人だからこそ、惹き合うものがあったんだよ! サンとアシタカだって生まれも育ちもまるで違うのに惹かれ合っただろ!」
「アシタカって地元の女の子から貰った物を平気で人にあげるクズだけどね」
「このタイミングで突然のアシタカ批判やめろよ! 怒られるかもしれないだろ!」
僕らしか聞いてない会話で誰に怒られるのだ、という話ではあるが。
「とにかく二人が両想いというのは、納得できないとしても大前提として受け入れてくれ! なあ、委員長!」
「そ、そうだね! 私も正直今の二人を見てたらどうして両想いになったのか皆目見当もつかないけど、とにかくそういうものなんだと信じて!」
「──『今の』?」
目敏く加賀美の失言に食いつくが、八重樫は急に何かを悟ったように肩を竦める。
「まあ、いいや。琥太郎くんたちがそう言うならそうなんだろう。うん、納得した。天津風さん、話の腰を折ってごめんね」
「いえ、八重樫さんにもご理解いただけて嬉しく思います」天津風はにっこりと微笑む。「では、改めて現状の確認をしましょうか。というか、今のお二人は少なくとも表面上、以前よりもむしろ仲が悪くなっているように見受けられます。やはりこれは、無理矢理二人をくっつけようとした我々のミスでしょう。反省すべき点も多々ありそうです」
「まあ、一番反省すべきだと思うのはこの場にいない那珂川さんだけどな……」
あの人の雑なアドバイス、マジで一ミリも役に立たなかったぞ。というか、赤城に意外なほど女性耐性があったのがその主な原因ではあるのだが……。少なくともおっぱいを押しつけて云々というのは、二人の仲を進展させることがなさそうなので、ここから先は新たな切り口を模索していかなければならない。
「でも、二人の過去に何らかの因縁めいたものがあるってわかったのは収穫だな」
「そうですね。どうにかして折を見て話を聞き出す必要はあると思います」
天津風は真面目な顔で頷いた。
「とりあえずは、この飯盒炊爨で巻き返しを図るのが先決だと思うの」加賀美は珍しく興奮したように拳を固める。「その上で、何か飯盒炊爨が楽しくなるようなアイデアはないかな?」
「アイデアねえ……」
僕はスーパーの店内を見回す。都内では考えられないほど広く、また多種多様な商品が置かれているので結構自由度は高い気がする。色々なものを買い込めば都会っ子たちが行う飯盒炊爨にも多少はエンタテインメント性を持たせられるのではないだろうか。
実際、あちらこちらでうちの学校の生徒たちが、楽しげにカレー作りに必要なさそうなものを色々と買い物かごに放り込んでいるのが見える。やはりワクワク感は大事だと思う。
「メニューはカレーだったよな? じゃあ、みんなで何か一つずつ食材を持ち寄って、それをカレーにぶち込むとかどうよ?」
「闇鍋ならぬ闇カレーですか! それ最高に青春してて楽しそうですね!」目を輝かせて天津風が乗ってくる。「何入れましょうか……! シュールストレミングとかでしょうか……!」
「最初から全力で味を破壊しにいくのやめろ!」僕は慌てて止める。「結果的にカレーの味が破壊されるのは良しとしても、一品で味を破壊する系の食材は禁止な! だいたい、闇鍋と違ってカレーは煮込んで全員で同じもの食うんだから、入れた本人だってつらいだろ!」
「確かに! それは盲点でしたね!」
「おまえの盲点は当たり判定がでかすぎるよ……」
「でも、確かに多少のルールは必要かもね」八重樫は人差し指を立てて言う。「たとえば単品で味や臭いが強すぎるものだと、全体への影響が大きいから禁止にしたほうがいいね。納豆とかくさやとかね」
「納豆はカレーに入れる人もたまにいるけど、結構好き嫌いが分かれそうだから止めたほうが賢明だねー」加賀美は同意する。「あとはアレルギィの有無なんかも事前に確認しておいたほうがいいかも」
「あ、私お野菜のアレルギィがあるのでお野菜禁止でお願いします」
「噓を吐くな噓を」
しれっと挙手をする天津風の後頭部に軽く手刀を振り下ろしたところで、赤城たちが戻ってくる。
「お待たせして申し訳ないですぞっ! いやあ、自分、一日三回うんこが出るタイプの人間でして、こういうときは困りものですなっ!」
赤城は相変わらずだ。でも、そろそろ慣れてきた自分が少し心配になる。
「いやー、ホントごめんねー。トイレ結構混んでてさあ。ちなみにあーしはおしっこだから勘違いしないように!」
能美は照れたように言う。いや誰も別にそんなこと言及しないからわざわざ注釈してくれなくても良かったんだけど……。
何だか変な空気になりつつあったところで、加賀美は早速話題を変える。
「実は二人を待ってるときに少し話してて、みんなで一品ずつ好きな具材を持ち寄って闇カレーにしようかって話になったんだけど、どうかな?」
「へえ! それイイジャン!」能美が楽しげに指を鳴らす。「ただカレー作るだけじゃ面白くないとあーしも思ってたんだよね!」
「まるでギャルゲーのようなイベントですなっ! さすがは〈陰王〉、需要と供給をよく心得ておりまするなっ!」
赤城の言っていることはちょっとよくわからないが、コンセンサスが取れたのであれば何よりだ。加賀美は二人の顔を交互に見ながら続ける。
「一応、味や臭いがきつすぎるものは一品で全体への影響が大きいから禁止でお願いね。あと、もしアレルギィとかあったら念のため教えておいてほしいな」
「アレルギィ……」
楽しそうだった能美の顔が一瞬曇る。何かあるのだろうか、と彼女の言葉を待つが、それより早く赤城が勢いよく挙手をした。
「はい! 自分、アレルギィではないですが、昼間のバーベキューで肉を食べ過ぎて胃もたれが酷いので、できれば肉類はなしにしてほしいですぞっ!」
「あー、うん。別に良いと思うよ」少し戸惑いながらも加賀美は頷いた。「お肉なしなら、シーフードベースにしようか。私むしろそっちのほうが得意だし。みんなもそれで良いかな?」
加賀美に問われて、僕らは思い思いに頷く。まあ、特に反対する理由もない。
「能美さんはどう? 魚介類にアレルギィとかない?」
「……ううん、大丈夫」
少しだけ、いつもよりもしおらしく能美は頷いた。
それからショッピングカートを押してみんなでぞろぞろ歩き出す。
最後尾を歩いていた赤城と能美が小声で何かを言い合っている。
「──あんたのそういうところ、ホント嫌い」
「何の話ですかな? 自分はただ思ったことを言っただけですが? それにオタクが空気を読めないのはいつものことでは?」
「ま、まあまあ!」僕は慌てて二人の間に割って入る。「よし、それじゃあみんなそれぞれの買い物のために一旦解散しようか! 三十分後にさっきの入口集合ってことで! とりあえず、ベースの買い物は僕と加賀美でやっとくから!」
わざとらしく手を叩くと、それだけで意図は伝わったようで天津風は能美を、八重樫は赤城を連れてこの場を去って行った。
みんながいなくなったのを確認してから、僕はようやく肩の力を抜く。
「はあ……ままならねえな……」
「あはは。湊くん、お疲れだね」
他人事のように笑いながら、加賀美はポンポンと背中を軽く叩いてくる。僕は恨めしい目で彼女を見やる。
「……それもこれも、おまえんとこの家族の問題なんだけどな」
「いっそ湊くんも、私と結婚して家族になっちゃう?」
「……クラスメイトの愛娘と結婚とかただの犯罪だろ」
「天津風博士の〈群青理論〉は、そんな犯罪も合法化する夢の大発明なんだよ」
「未来人の倫理観マジイカれてんな!」
早くこの世界を正常化しないといつか本当に取り返しのつかないことになりそう。もしかしたらとっくにそうなってるのかもしれないけど。
「……とにかくさっさと買い物済ませちゃおうぜ。僕、カレーの材料とか全然わからないんだけど、委員長に任せちゃって良いのか?」
「お姉さんに任せなさい!」
加賀美は自信ありげに薄い胸を叩いた。ちなみに加賀美は四月二日生まれということで、クラス一のお姉さんを自称している。結果としては、クラス一ちっちゃいのだけど……。
「……なに? 湊くん、何か言いたげだけど?」
「何でもないぞ! いやあ、美玖お姉様は頼りになるなあ!」
「あ、その呼び方新鮮で良いなあ。今度から二人きりのときはそう呼んでよ。特別に湊くんだけのお姉様になってあげる」
「その提案に、何か僕のメリットがあるのか……?」
「性格が曲がっていてよ? って締め直してあげるよ。首を」
「首を!?」
ただのイカれた殺人鬼じゃねえか!
言うまでもなく正しくはタイ。
「委員長さ、よくお姉さんぶるけど、何か理由とかあるのか?」
「客観的事実を述べているだけであって特別な理由とかはないけど……まあ、私、一人っ子だったからさ。妹とか弟とか欲しかったんだよね。それに湊くん、何か弟属性だし」
「まあ、実際弟だし」
「え、それ初耳だよ! もっと早く言ってよ! 湊くんは私だけの弟だって信じてたのに!」
「まずそもそもおまえの弟ではないし、僕からしてみれば生まれた瞬間から弟で当たり前だったからわざわざそのことを表明する理由がなかっただけだ」
それに家族の話とか恥ずかしいじゃん……? 第一、男子高校生が嬉々として家族の話をクラスメイトの女子にするほうが問題な気がするけど。
「お兄ちゃん? お姉ちゃん?」
「姉が一人と妹が一人だよ」
「三人姉弟……! しかもお兄ちゃん属性まで……! 湊くんちょっと設定過多じゃない?」
「人んちの家族事情を設定呼ばわりするな!」
「でもそっかぁ……お姉さんと妹さんいるんだぁ……写真とかない?」
「あるわけないだろ。高校生男子が家族の写真とか持ってたらキモいだろうが」
「そんなことないと思うけど……今度会わせてよう。見てみたいよう。琥太郎お兄ちゃん、美玖のお願い聞いてよう」
「人の家族見るためだけに自分のキャラを平気で投げ捨てるのやめろ!」
あと袖を指で摘まんで物欲しそうな顔でこっちを見上げるのも止めてほしい。天津風にこんなシーン見られたら、機嫌を損ねられてこのスーパーにゾンビが押し寄せるまであるぞ。
「大体、妹弟が欲しいなら両親に言え」
「なんか生々しくてイヤだなあ……」
「……それもそうだな」
両親の家族計画とか、世の中の知りたくないことランキング最上位案件だ。
「そ、そんなことより! 委員長、料理もできるんだな! さすがはみんなのママ委員長! まさに完璧超人!」
「……得意というほど料理もできないけどね。でも、シーフードカレーだけは得意なんだ」
褒められて恥ずかしかったのか、わずかに視線を逸らしながら加賀美は答える。
「お母さんの得意料理だったんだ。お父さんの大好物で……。だから、教えてもらったの」
「へえ……。でも、さっきの様子だとどっちもそんな感じじゃなかったけど」
「そうみたいだね。これから好きになっていくってことなのかな」
「もしくはやっぱり両親が違うとか」
「湊くん、現実を見なよ」
「わりかし僕は同世代の人間と比較してかなり現実を見てるほうだと思うよ!」
何せすでに何度か、馬鹿げた世界崩壊の危機を救っているので。
そんな実のない会話を続けながらも、加賀美はテキパキと籠の中に材料を突っ込んでいく。
「んー、本当は有頭エビとか殻付きのあさりとか使いたいんだけどねー、キャンプだしシーフードミックスで我慢しようか。これでも結構良い出汁が出るんだよ」
「へえ、さすがは委員長。なんでも知ってるな」
「全知全能だからね」
「おまえが神か」
斬新な切り返し止めろ。
「それより……両親との思い出のカレーを闇鍋みたいにされちゃうのは、ちょっと嫌なんじゃないか?」
「……まあ、正直ちょっとね」加賀美は苦笑する。「でも、そもそもその両親が揃ってるわけだし、二人の思い出作りに協力できるほうが私は嬉しいかな」
その言葉に、僕は少しだけ不安を覚える。
この娘は、あまりにも他人を優先させがちだと思う。もちろんそれは彼女の優しさから来るものなのだろうけれども、今は亡き両親と自分だけの思い出の味を変えられるのは、やはりあまり気持ちの良いものではないだろう。
こいつは……加賀美美玖という少女は、もっとわがままであっても良いと思う。
「……やっぱさ、止めようぜ」
「えっ?」
不意に口を衝いて出た言葉。加賀美は不思議そうに足を止めて僕を見上げた。
「僕は加賀美の思い出を汚したくないよ。だから、加賀美の思い出の特製シーフードカレーを作るのは止めよう」
「で、でも、カレーは作らないとだし……」
「なら──僕が作れば問題ないだろ」
僕は不安げな彼女の瞳を見返して微笑む。
「ようするに肉の代わりに魚介突っ込んだのがシーフードカレーだろう? 大体カレーなんて不味く作るほうが難しいくらいなんだから、僕でも何とか喫食に値するものくらい作れるさ」
「それ、は──」
驚いたように目を丸くする加賀美。僕は彼女の頭をポンポンとそっと撫でる。
「おまえの大切な思い出は、心の中にしっかりしまっとけよ。加賀美はさ、もうちょっと自分を大事にしたほうが良いよ。任務とかさ、未来のためとかさ、色々事情があるのはわかるけど、それはおまえの人生すべてをふいにしていい理由にはならないだろ。もっと僕を頼れよ。僕らは因果に逆らって未来を変える大罪を志す共犯者だろう?」
決して好き好んで今の状態になったわけではないけれども。事情を知ってしまった今、加賀美や他のみんなが困っているときに見て見ぬ振りなど僕にはできない。
さして役には立たないかもしれないが、弾除けくらいにはなって、みんなの負担を少しでも軽くしたいと。
そんなふうに考えてしまうのは、決して思い上がりなんかじゃないと信じたい。
しばし惚けたように僕を見上げていた加賀美だったが、急に我に返ったように僕の手をぞんざいに払い除けた。
「お、女の子の髪に許可なく触れるなんてセクハラだよっ!」
「おっとそれは失敬」僕はあえてわざとらしく両手を挙げる。「手の置き場に高さがちょうど良くてな。まさかそれが委員長の頭部だとは思わなかったんだ。僕に過失はない」
「言うに事欠いてそんな言い訳あるかな!? さすがの私も傷ついたよ!?」
尻尾を踏まれた猫のように威嚇してくる加賀美を見て少し安心する。どうやらいつもの調子が戻ってきたみたいだ。
とにかく、と僕は強引に話をまとめる。
「カレーは僕が作る。カレールーの箱の裏に書いてあるとおりに作ればそんなに失敗はないだろ。だから委員長は、後のことは僕に任せて闇カレーに入れる食材でも探してこいよ」
気安く言うと、加賀美は頰を染めながら「うぅー」と恨めしそうな顔で僕を見上げる。
「……そういうのズルイよ。私だって年頃の女の子なんだから……そういうことされちゃうともやもやしちゃうじゃん……」
「あん? なんか言ったか?」
「何でもないよ!」
イーッと、まるで子どものように加賀美は歯をむき出しにしてわめく。
「じゃあ、全部湊くんに押しつけちゃうからね! どうなっても知らないんだからね! 私、湊くんのことなんて道端に生えてる苔くらいにしか思ってないんだからね!」
「せめて細胞壁を持たない高次生物として認識してくれ!」
「でも──」
そこで一旦言葉を切り、加賀美は後ろ手を組んではにかんだ。
「ちょっと格好いいと思っちゃった。だから特別に今度、湊くんにだけ、うちの特製シーフードカレーご馳走してあげる。ほっぺた落っこちちゃうくらい美味しいんだからねっ!」
「ははっ、楽しみにしてるよ」
イタズラを思いついた子どものように笑って、加賀美は人混みの中へ走り去っていった。
加賀美の小さな背中を見失ってから──僕は一度深いため息を吐く。
さて……料理なんて中学の家庭科以来だけど、ホントに何とかなるんだろうか……。
カレーの万能感に祈りながら、僕はカレーに入ってそうな残りの食材と、あと闇カレー要員のオモシロ食材を探して、見知らぬスーパーマーケットの生鮮食品売り場を彷徨うのだった。
各々食材を買い込み、バスでキャンプ場まで移動した。
トイレや水場まで完備されているかなり本格的なキャンプ場のようだ。聞くところによると、最近リニューアルされたのだとか。キャンプのキャの字も知らないド素人の都会っ子高校生の初キャンプとしては最高のロケーションだろう。
キャンプ場の人に火のおこし方などの簡単なレクチャーを受けた後に、半ば自由行動に近いカレー作りが開始された。
「ではまず火をおこすことが肝要ですぞ。自分、こう見えても小学生の頃はボーイスカウトをやっていたので、アウトドアの基本くらいは弁えておりますぞ」
意外なほどのリーダーシップを発揮して、赤城は僕らを先導する。
「ありがたいことに薪は用意していただいておりますからな。すぐに火はおこせますぞ。今のうちに飯盒の準備をお願いいたしたく候」
「じゃあ、ごはんは僕がやろうかな」八重樫が相変わらず爽やかに名乗り出る。「以前にも、何度か使ったことがあるしね」
「では、八重樫氏にお任せしますぞっ! ほかの面々はカレーの準備を進めてくだされっ!」
「任せとけよ赤城くん」
僕は力強く胸を叩き、天津風、加賀美、能美の三人を連れて水場まで移動する。
さて、どうしたものか……。
「琥太郎シェフ! 私たちは何をすれば良いですか!」
長い髪を結ってバンダナを装着した天津風が、楽しそうに胸の前で拳を固めて言う。
「そうだな……」僕は見事に大中小の順番に並ぶ三人組を眺めて尋ねる。「天津風以外は答えて欲しいんだけど、この中で料理経験者は?」
「琥太郎さん! 今どうして自然に私を省いたんですか! もしかしたら私だってお料理できるかもしれないじゃないですか!」
「え、できるの?」
「できないですけど!」
できないんかい。じゃあなんで嚙み付いてきたんだよ……。
「でも、常々私もお料理がしてみたいと思っていたんです! お料理イベントは青春ラブコメのマストですから! でも、シェフや使用人の皆さんが全力で止めてくるのでなかなか機会がなくて……!」
確かにお嬢様ガチ勢で家にシェフが三人もいるくらいなのだから、それくらい過保護に育てられても仕方がないのかもしれない。天津風が可愛いくてつい甘やかしてしまう気持ちは僕も痛いくらいよくわかる。
「わかったわかった。じゃあ、今日は初めての料理を存分に楽しんでくれ。で、委員長は料理できるみたいだけど、能美はどうだ?」
「あーしも人並みにはできるよ。いつもママの手伝いしてるし」
「へえ、スナックの?」
「実母だわ!」
能美は声を荒らげる。いや、そうだろうとは思ったんだけど念のためね……。というか、能美はギャルギャルしい見た目のわりには、どうにも中身がギャルっぽくなくて戸惑うことが多い。マジで謎のギャルめいた言葉遣いさえ改めたら、割と普通の良い子な気がする。
「じゃあ、能美と天津風でニンジンとジャガイモの処理を頼む。僕と委員長で先に玉ねぎやっちゃうから」
「りょー」
「はい、がんばります!」

気安く答える能美と、ふんす、と鼻息を荒くして鼓舞する天津風が対称的だ。
二人に水場を任せて、僕はまな板に向かう。
「さて……委員長、玉ねぎは適当に切るけど良いか?」
「みじん切りとかくし切りとか、人によって色々あるけど、今日は湊くんに任せるよー。湊くんの手料理なんて初めてだから楽しみ!」
「期待するなよ」
玉ねぎの皮を剝き、ザクザクと適当な大きさに切ってから鍋に突っ込んでいく。加賀美も僕の切り方を見てそれを真似てくれているようだ。どこか楽しげに見えるので、僕も少しホッとする。
「湊氏! 火おこしが完了しましたぞ!」
「おう、ありがとう赤城くん。適当に休んでてくれ」
早くも仕事を終えた赤城くんを労う。
「では、お言葉に甘えて少し川縁で涼ませていただきますぞっ! そ、その、もし良かったら、委員長殿もご一緒に如何ですかな……っ!」
意外な提案に、加賀美は困惑したように僕を見上げる。僕は苦笑して応じる。
「行ってこいよ。ここは僕一人で十分だから」
「で、でも……」加賀美は不安そうだ。
「大丈夫だよ。ほら、思い出作りだろ」
加賀美は逡巡を見せるが、すぐに何か吹っ切れたように、そうだね、と笑顔を向けた。
「よし、じゃあお言葉に甘えて私も休ませてもらおうかな。赤城くん、一緒に行こう! 水切りやろうよ水切り!」
「おおっ! ノリノリですなっ、委員長殿! でも、手加減はしませんぞっ! 自分、水切りは大の得意ですからなっ!」
「なら、勝負しよう。私も、小さい頃お父さんに教えてもらったから結構自信あるんだ。負けたほうは、勝ったほうの言うことを何でも聞くってことでどうかな?」
「な、何でもっ!? で、でも自分、委員長殿にそんな破廉恥な真似は……」
「私が勝ったら、赤城くんに去勢手術を受けてもらおうかな」
「罰ゲームって次元を遙かに超えて罰が重すぎるのですが!?」
「あはは、冗談だって。もっと軽いのにしてあげるから早く行こう」
加賀美は楽しそうに赤城の手を引いて川のほうへ向かって行った。
家族水入らず、というのとは少し違うかもしれないけど、加賀美が今の状況を楽しめているなら僕も嬉しい。
僕は早速鍋を持って、かまどのほうへ移動する。かまどには先客がいた。
「やあ、琥太郎くん」
「おう、八重樫、お疲れ」
どうやら先に飯盒の準備を終えていたらしい八重樫が、膝を抱えて丸くなりながら火の様子を眺めていた。
「そっちの調子はどうだ?」
「何事もなく順調だよ。飯盒なんて慣れちゃえばそんなに難しいものじゃないしね」
「初めちょろちょろってやつ?」
「そうだね、今回はオーソドックススタイルで」八重樫はクールに笑う。「米にちゃんと浸水ができてれば、最初から強火で時短できるんだけど……まあ、せっかくのキャンプだしね、のんびりやろうよ」
「なんか、アウトドアに強いってだけで普段の五割増しくらいに格好良く見えるな」
「そうかい? ありがとう」八重樫はにっこりと微笑む。「でも、二人きりのときは、きみにだけは、格好良いよりも可愛いって言ってもらいたいな」
「……勘弁してくれ」
急に身体を寄せて来て、耳元で甘く囁くのはやめてほしい。基本的に普段はボロを出さないように八重樫を男だと思って生活しているので、不意打ちでそういうことされると、いきなり女の子を感じてしまって脳がバグるのだ。というか、結構な頻度で八重樫は面白半分に僕に迫ってくる気がする。下手したら那珂川さんよりも頻度が高いかもしれない。
「あまり僕を甘く見ないほうがいいぞ。何かの拍子にリミッターが外れて、そのままおまえに襲い掛かるかもしれないからな」
「ははっ、ないない」腹が立つほど爽やかに八重樫は笑う。「琥太郎くんは超が付くほどのヘタレだからね。女の子に手を出すなんてそんな甲斐性ないよ」
「……馬鹿にしてる?」
「いや、誠実だと褒めてるんだよ」
「……そうかなあ」僕は訝しんだ。
絶対僕をからかって遊んでるだけな気がする……。
多少の不満を飲み下し、僕はかまどの上に鍋を置いて玉ねぎを炒め始める。
「おお、料理男子だ。琥太郎くん、格好良いよ。写真撮って良い?」
「やめてくれ……」
「あとで那珂川さんに売るから、そのお金で美味しいものでも食べに行こうよ」
「絶対にやめろ!」
あの人、わりと本気で僕のことになると見境がなくなるから、下手したら平気で万札出しかねない。僕は親友を悪の道に引きずり込まないためにも断固とした態度で拒絶を示す。
「ざーんねん」
珍しく戯けたようにそう言って、八重樫は火ばさみで薪の位置を調節した。
可愛い子ぶるのは正直やめてほしい。マジで可愛いので頭おかしなるで……。
「ところで、琥太郎くん」
「……なんだ?」
「さっき、赤城くんと委員長が楽しそうに川のほうへ歩いて行ったけど」
「うん」
「なんか親子みたいで仲睦まじげだったね」
「うぐっ!?」
実のない会話で油断をさせておいてから不意打ちで核心を突くという高等テクの前に、僕は為す術もなく言葉をなくす。
「──ふぅん。なるほどね、そういうことか」八重樫はすべてを見通したかのように目を眇めて僕を見やる。「きみたちが必死になってる理由がわかったよ。それにたぶんこれは因果律に干渉する類の事象だ。なら僕も少し真剣に取り組まないといけないね」
「……カマ掛けたのか?」
恨めしい視線を向けると、悪びれもなく、うん、と八重樫は頷く。
「かなりの当て推量だけどね。ただ、できれば僕には初めから教えておいてほしかったな。僕らは親友で、二人だけの秘密を共有する仲だろう?」
「いや……言っても良かったんだけどさ、それよりはおまえにも普通にこの林間学校を楽しんでほしかったからさ」
「気遣いは嬉しいけどね。それで除け者にされるほうが僕は悲しいよ。それにきみたちが何かを必死に頑張ってるのに、それを横目に見ながら僕だけ暢気に今を楽しむなんて、そんなことできないよ」
「──おまえマジで心までイケメンなのな」
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくよ」
澄まし顔を浮かべる八重樫に、僕は素直に謝る。
「……悪かったよ。今後は可能な範囲ですぐにおまえにも事情を説明する。ただ、今回は委員長の家庭の事情もあったから、僕の判断だけでは勝手なことができなかったって都合も加味してくれると助かる」
「まったく、琥太郎くんはとことんお人好しだね」八重樫は肩を竦める。「それじゃあ、夏休みにデート一回で特別に許してあげようかな」
「で、デート……?」
「うん。那珂川さんや天津風さんとはしてるのに、僕とはデートしてくれないなんて、そんな冷たい人間じゃないだろう、琥太郎くんは?」
意味深な流し目を向けてくる。
いったい何を企んでいるのかはわからないが……まあ、夏休みの一日くらい、コイツのために使ってもバチは当たらないだろう。
「……わかったよ。いいよ、おまえの行きたいところどこへでも付いていってやる」
「本当かい? じゃあ、ルーヴル美術館に──」
「せめて国内にしてくれ! あとできれば近場でお願いします!」
マジでどいつもこいつも僕とは全然違うスケールで人生楽しんでて困る。
冗談だよ、と八重樫はまた笑った。
「それじゃあ、お金も時間も掛からないところを考えておくね。いやあ、楽しみだなあ」
「何だかよくわからないけど、ほどほどでお願いします……」
げんなりとして肩を落としたところで、天津風たちがやって来た。
「すみません、琥太郎さん、お待たせしました!」
「おお、天津風、お疲れ」
一仕事やり終えたような満足げな笑みを浮かべる天津風から、切られた野菜の入ったボウルを受け取る。どれも丁寧に皮が剝かれ、大きさも切り揃えられている。初めてとは思えないかなり良い仕事だ。
「すごいな。天津風頑張ったじゃん」
「へへーっ」得意げに天津風は笑う。「師匠が良かったんです! 能美さん、とても丁寧に教えてくれて良かったです!」
「おお、そうか」僕は能美に向き直る。「初心者の天津風を押しつける形になって悪かったな」
「いや、チョベリグっしょ!」能美も満足げに答える。「しこっちかなり筋が良いっていうか、手先が器用だし、頭が良いから飲み込みも早くてこっちも教え甲斐があったよ」
「怪我とかは大丈夫だったか?」
「ぜーんぜん。最初、包丁を逆手に持ったときには、ビビり散らかしたけど、ちょっと教えたらすぐに猫の手もマスターしたよー。しこっちマジ天才」
「すみません……最近『ダイの大冒険』を読んだもので……!」
包丁をアバンストラッシュの要領で構えだしたら、そりゃビビるわな……。
「皮はピーラーで剝いたし、コタっちが心配するほど危ないシーンはほとんどなかったよー」
「ねえねえ琥太郎さん! ピーラーって知ってます? これメチャクチャ簡単にお野菜の皮が剝ける秘密道具なんですよ! たぶん、これの発明者はノーベル賞とか取ってます……!」
たぶん取ってない。
でも偉大な発明品であることは間違いない事実だし、何より天津風が感動しているのだから、それに水を差すような真似はしたくない。
「いや、とにかく二人ともありがとうな。委員長と赤城は川のほうで涼んでるから、二人も合流してくるといい」
「え、でも、琥太郎さんと八重樫さんに任せきりというのは……」
「大丈夫だって。初めての作業で疲れてるだろう? 僕らのことは気にせず休んで来いって。それに、ここにいたらせっかくの闇カレーの食材を全部見ることになって後の楽しみが半減しちゃうぞ」
「そ、それは困ります……!」天津風は急に慌てたように狼狽える。「で、では、ここはお言葉に甘えてお二人にお任せしますね! その代わり、後片付けは私たちに任せてください! では能美さん、参りましょう」
「りょー。コタっちとかえでっちもよろぴくねー」
楽しそうに話をしながら二人もまた川のほうへ消えていった。すっかり仲良しのようだ。
僕は受け取った野菜も鍋に突っ込んで炒めていく。
少し炒まったところで、記載どおりの水を入れる。
「灰汁って取ったほうが良いのか?」
「うーん、インドカレーだと灰汁は取らないで雑味も込みで味わいを楽しむみたいだけど、この後闇食材を入れるのであれば、今の段階では可能な限り雑味は取っておいたほうが後で味がまとまりやすい気はするかな」
「じゃあ、取ろう」
この闇カレーを少しでも美味くするためであれば、手間は惜しまないのである。
あらかた灰汁を取りきったところで、まずは買ってきたシーフードミックスを突っ込む。
それからついにみんなの闇食材も様子を見ながら入れていく。他のみんなにはわからないように一人ずつ僕が食材を回収しておいたのだ。
まずは一品目──。
「……チョコレート?」
「あ、それは僕だね」八重樫は答える。「カレーにするとは言っても、あまり冒険できなくてね。チョコレートなら隠し味に入れる人もいるから、そんなに全体の味は破壊されないと思ってそれにしたんだ」
「八重樫マジ天使!」
みんなが八重樫くらい周りのことを考えていてくれたら、たぶん世界から戦争なんて下らないものはなくなるに違いない。
僕は八重樫セレクトの板チョコを半分ほど割って鍋に入れた。
続けて二品目──。
「……なると?」
いきなりわけのわからないものが出てきた。それはラーメンなどに添えられる断面にピンクの渦が描かれたなるとだった。それが丸々一本。
「……まあ、広義の意味ではなるとも魚介と言えなくもないし、まだシーフードカレーとしての面目は保ってるんじゃないかな」
八重樫のフォローが身に染みる。とりあえず、このまま一本放り込むわけにはいかないので、面倒だったが調理場に戻って適当な大きさに切ってから鍋に放り込んだ。
早くも不安しかない中の三品目──。
「梅干し……!」
おいマジで誰だよ……! 何がどうまかり間違って、カレーに梅干し入れようって発想になるんだよ……!
しかも、自分も食べることへの微かな抵抗からか、蜂蜜入りの甘いヤツだ。
「でも、蜂蜜をカレーの隠し味に使う人もいるし、ギリセーフなのでは……?」
「いや、アウトだろ……」
念のため種を取って、躊躇なく果肉を鍋に放り込む。
これは早速混沌としてきたな……。
絶望という言葉が脳裏に過り始めた四品目──。
「バナナ……!」
絶対果物突っ込んでくるヤツいるとは思ったけどね!
よりによってクセの強そうなバナナか……。滅茶苦茶細かくして入れれば、溶けてなくなるかな……?
「ま、まあ、インド料理には欠かせないチャツネという調味料にはバナナを使ったものもあるから……」
「大丈夫? 僕騙されてない?」
そろそろ親友のことさえ信用できなくなってきたが、闇カレー提案者として提示された食材は必ず入れなければならないという義務感だけで、僕はバナナを丁寧に細かく刻んで鍋に放り込んだ。
続く五品目──。
「豆板醬!?」
ここへ来て闇鍋定番が来たな!?
ご存じ、闇鍋における最強デッキの一つと名高い『激辛デッキ』の一番槍である。
えぇー……これシーフードカレーに入れるの……?
天津風とか大丈夫……? あいつ以前、激辛焼きそば食べようとして世界を崩壊させそうになった女だぞ……?
「チョ、チョコレートもバナナも甘いから、逆に辛さを中和してくれるかも……」
「辛いものを中和するために甘いものを使うって発想が小学生レベルなんだよなあ……」
甘味と辛味は背反する味覚ではなくまったく異なる種類のものだ。特に辛味は味覚神経ではなく痛覚神経で感じるものなので、別の味覚でカバーすることが難しかった気がする。
さすがに一瓶丸々入れる勇気はなかったので、半分くらいを鍋に突っ込む。
そして最後の六品目──。
「──トマト缶?」八重樫の意外そうな声。「最後にびっくりするくらい普通のが来たね。これは委員長のセレクトかな。うん、カレーの味を損なわないようにっていう気遣いだね。さすがはママ委員長」
「いや……これ僕なんだ」素直に白状する。「野菜嫌いの天津風でも気にせず食べられそうな野菜を考えたときトマトくらいしか思い浮かばなくてさ……」
つまり、みんなのママ委員長はこれまで登場したオモシロ食材のどれかを選択したことになる。
八重樫は複雑そうな表情で僕を見やり、
「……琥太郎くんもなかなかに過保護だよね」
とだけ呟いた。
……自覚はある。おまけに天津風を甘やかすだけじゃいけないということも十分に理解しているつもりもあるんだけど……天津風のことを思うとどうにも判断を甘くしてしまう。
何というかあいつ、マジで天性の愛され体質だよな……。
那珂川さんのような意識的な魔性の女よりも、ナチュラルボーンの人たらしな天津風のほうがもしかしたら危険な存在なのかもしれない……。
そんなことを思いながら、ホールトマトを潰して鍋に放り込む。
とにかくこれで──すべての食材は鍋の中で渾然一体となった。あとは、火を通して全体を馴染ませてからカレールウを溶かせば完成、のはずだ。
美味くなるビジョンはまったく見えなかったが、せめてギリギリ食える範囲にまとまってくれと神に祈りながら──僕は焦げ付かないよう無心に鍋をかき回すのだった。
八重樫のおかげで米はとても美味しそうに炊けた。
ふっくらとして瑞々しく、ところどころにお焦げもある。
正直、この白飯をおかずにして飯が食えるレベルだとは思ったが、僕は感情を切り離して、皿に盛られた純白の炭水化物に、名状しがたい匂いを発している茶色い高粘性流体をかける。
うん、見た目だけはまごうことなくカレーだ。なるとの自己主張が少し激しすぎるけど。
「わあ! 完成ですね!」
天津風は嬉しそうに手を叩いた。闇カレーにしては見た目そこそこまともなので、一見期待してしまうのも無理はない。
中身を知っている僕や八重樫は微妙な反応だったが、それ以外の面々のリアクションは上々のようだった。
「やっぱシーフードカレーにはなるとだよねえ」
加賀美は嬉しそうに嘯く。なるとはおまえの仕業か。おまえんちのマイナールールをあまり世間一般に当てはめないでほしい。
僕らはそれぞれカレー皿を持って、食事場所である河原へ向かう。
そこには無数のアウトドアテーブルが並べられ、できあがった班から各々自由に晩餐を始めていた。いい加減空腹も限界なので、僕らもいそいそと自分たちの班テーブルに着いた。
「それではオーナーシェフの琥太郎さん。号令をお願いします」
「……じゃあ、いただきます」
『いただきまーす!』
ぴたりと五人の唱和が河原に響き、伸るか反るかの闇カレー喫食チャレンジが始まった。
ちなみに当然味見などしていないので、実際に食べるのは僕らもこれが初めてになる。
覚悟を決めて、一口運ぶ。
……。
…………。
………………。
「──普通に滅茶苦茶美味いな」
思わず口を衝いて本音が零れた。
いや、マジで完全に予想外の事態なのだけど、ビックリするくらい美味い。
え、これ僕だけ? 調理者としての贔屓目から味覚にまで補正が掛かってるの?
あの材料でここまで美味いものが作れるとはとても考えられないので、あまりの不味さに脳が幻覚を見せている可能性すら考慮してみんなの反応を窺う。
「んーっ! 美味しいです!」
天津風は左手を頰に添えてうっとりしていた。
「少し辛いですが、複雑な旨味が奇跡的な調和をもたらしています! これはあれでは? シェフ、天才なのでは?」
「──確かに。これは見事だね」八重樫も同意する。「本当に複雑としか形容できない味だけど、とにかくバランスが天才的だ」
言われてみれば、なるほど本当に今にも切れそうな細い糸の上に立つような奇跡的な均衡の元でこの独特な味わいは成り立っている気がする。
ひょっとして天津風の豪運が上手い具合に作用した……?
何にせよ地獄の晩飯を予想していただけにこれは嬉しい誤算だった。
ふと加賀美の反応も気になって、彼女の顔を窺ってみる。
すると加賀美は、美味さに驚く他の面々とは少し異なり、放心したように目を見開いてカレーをじっと見つめていた。
もしかして口に合わなかったのだろうか──。心配になってきたところで、彼女は不思議そうな顔のまま僕を見やり、
(これ……うちのカレーだ)
と僕だけに聞こえる心の声で呟いた。
うちのカレーって……どういうことだ?
(私もよくわかんない……でもこれ、少し違うんだけどほとんどうちの特製シーフードカレーの味なの。秘密の隠し味がたくさんあって絶対に真似できないはずなのにどうして……?)
ひょっとしておまえんちのカレーって、隠し味にバナナとか梅干しとか入れるの……?
(──うん。あとチョコレートとトマト缶と豆板醬となるとだけど)
完全にこの闇カレーの特殊食材たちだった。
いったい何が起こっているのか。天津風の豪運による偶然なのだとしても意味がわからない。
理解不能な現象を前に、不気味さすら覚えていたところで──。
「湊氏ィ! 素晴らしく美味しいですぞ!」
不意に赤城が感嘆の声を上げた。赤城は興奮したように続ける。
「自分、実はシーフードカレーが大の好物なのですが、これは今まで食べた中でも群を抜いて自分好みですぞ! 闇カレーということで味にはまったく期待していなかったのですが、予想外の美味しさに感動すらしていますぞ……! いったいどんな魔法を使ったのですかなっ!」
「いや、普通に全部ぶち込んで煮込んだだけだが……」
「なるほど、つまり湊氏は無自覚チート系主人公だったのですなっ!」
「僕は割と色々なことに自覚的だよ!」
このカレーに関しては完全に無自覚だけどさ!
「──ねえねえ、コタっち。それより食材の答え合わせしない? あーしは豆板醬なんだけど」
能美の提案でハタと気づく。そういえば想定外に美味しくできてしまったがためにすっかりと忘れていたが、せっかくの闇カレーなのだからその構成要素を明らかにしなければ面白くはないだろう。
僕はカレーの中身を能美たちに教えてやる。するとさすがに驚いたようにみんな複雑そうな顔をした。
「……よもやそんなことになっていたとは」赤城は困惑している。「自分の梅干しは、闇鍋の食材としては意外とありきたりかと思っていたのですが、皆結構冒険をしたのですなっ!」
「いや、おまえも比較的冒険者だと思うぞ……」
僕のトマト缶、八重樫のチョコレートはまともな部類に入るし、加賀美のなるとも変わりダネではあるがカレー全体の味には影響を及ぼさないので選択としてはそれほど奇天烈ではない気がする。
あれ、待てよ……?
残りの食材三つのうち、梅干しが赤城、豆板醬が能美なのだとしたら──。
「バナナはおまえか天津風!」
「はーい、そのとおりです!」
今回の闇カレーで一番率先して味を破壊しに行った張本人は、悪びれる様子を欠片も見せずに満面の笑みで挙手をした。
「バナナ、美味しいですよねえ。私、大好きなんですよ。バナナの美味しさをもってすれば、世の中の大抵のものは美味しくなるに違いないという予想は今確信に変わりました! これからは『バナナはカレーに入りますか?』と小さいお子様に聞かれたら、躊躇なく『ハイ』と答えるようにしましょう」
「まずその問い自体がかなりのレアケースである上に、そもそもその確信は極めて偏った危険思想だから今回限りの奇跡なのだと諦めてくれ!」
下手したら天津風がたまに持ってくる重箱弁当の中身がバナナ尽くしになってしまいそうだったので慌てて止める。天津風家の和洋中のシェフ三人による渾身の重箱弁当は、僕の大切なライフラインなのである。
そんな益体もないことを考えていたところで──。
「いやあ、それにしても本当に美味しいですなっ! 今度自分でも作ってみますぞっ!」
「──ッ!」
赤城の放った何気ない一言で僕は気づいてしまった。
(おい、加賀美!)
僕は半ば衝動的に、強く心の中で加賀美に呼び掛ける。
加賀美は驚いたようにビクンと身体を震わせてこちらを見た。
(──びっくりしたぁ。湊くんのほうから呼び掛けられるの初めてだったから慌てちゃったよ。いつの間にそんな特殊技能習得してたの?)
(いや、そんなことよりも! わかったんだって!)
(わかったって、何が?)
(この闇カレーがおまえんちの特製カレーだった理由だよ! おまえんちの特製カレーは今この瞬間に生まれたんだよ!)
(それってどういう……?)
(いいか? 赤城は今奇跡的な偶然の元に生まれたこのカレーが気に入った。だからそれが能美の得意料理になったんだよ! 未来は繫がってるんだ! やっぱり赤城と能美はちゃんと好き合って結婚するんだよ!)
興奮した僕の言葉に、加賀美は目を丸くする。
(た、確かにそう考えれば辻褄は合うけど……で、でも、それはタイムパラドクスになるでしょう? だって、正史だと湊くんはもう死んじゃってるんだよ……?)
そう、本来であれば僕は一ヶ月ほどまえに死んでしまっているはずなのだ。そして加賀美は、それを止めるために未来からやって来て、紆余曲折の末、結果的にその目的を果たした。
だが、彼女は正史の未来から来ているので、僕の選んだトマト缶が特製カレーに含まれているというのは明らかに矛盾する。いわゆるタイムパラドクスだ。以前加賀美は、タイムパラドクスは時空連続体を連鎖的に破壊して宇宙そのものを崩壊させる可能性があるということを言っていた。しかし、今は宇宙も崩壊していないし、何事もなく当たり前の日常が続いている。
それは何故か。
(多分だけど、僕が中途半端に歴史を変えたせいで、それが未来に変なふうに干渉してるんだと思う。だからおまえの未来も、本来の正史と、僕が生きているこの世界線が重ね合わせのような状態になって、それがおまえの記憶にも影響を与えてるんじゃないかな。専門家じゃないんでよくわかんないけど……。でも重要なのは、やっぱりこの世界線でもおまえの両親はちゃんと結婚するってことだろ? 今の二人からは想像もできないけど……この後、二人の間に何かが起こって、結果的にちゃんとキャンプファイヤで踊るんだよ。だから僕らのサポートは、たぶん間違ってないんだ)
(──っ)
加賀美は言葉を詰まらせるように黙り込む。
正直、今日一日あの手この手を尽くしたのに何ら手応えを感じずに焦っていたのだろう。
でもそれは、ちゃんと両親の大切な思い出の一部になっていた。
正史の、つまり僕が死んだ後の世界がどうだったのかはわからない。もしかしたら、赤城たちの班員として林間学校に参加した天津風が二人の仲を取り持ったりしたのかもしれないが、少なくとも今回の闇カレーのような展開にはなっていないはずだ。
正史の世界では、加賀美がいない分、赤城と能美の関係もこじれていないハズなので、恋愛初心者の青春令嬢であるところの天津風の采配でどうにかなったのかもしれない。
──まあ、そのあたりは考えても詮ないこと。
いずれにせよ、今日のことが決して無駄にはなっていないとわかり、一安心というところか。
だが、それとは別に僕には懸念がある。
それは、未だに世界崩壊のフラグが立ったままということだ。
だからたぶん、今のままでは『まだ』ダメなのだ。この世界線は、何らかの理由で、二人がキャンプファイヤを踊れずに、世界が崩壊してしまう因果をはらんでいる。
もちろん、そんな加賀美を不安にさせるようなことは言わないけれども。
僕はしばらく気を抜かずに二人の動向をチェックしていかなければならないだろう。
まだまだ予断を許さない状況ではあったが──。
それでも、一筋の光明が見えたことは素直に嬉しかった。
僕らがやって来たことが間違っていなかったのだと信じられるのは、大きな一歩だ。
「ねえ、琥太郎さん」
「──ん? どうした、天津風」
不意に声を掛けてきた天津風は、いつものようにニッコリと天使のように微笑んだ。
「闇カレー、やって良かったですね」
一瞬だけ考えて──。
「──ああ、そうだな」
僕はこの先に待ち受けるであろう様々な苦難のすべてから目を背けて、笑顔を返した。