
「琥太郎さん、琥太郎さん! 楽しみですね!」
林間学校の場へ向かうバスに乗り込むための待ち時間に──隣に立つ天津風は、脳天気な笑顔でこちらを見上げてきた。
「あんまりはしゃぐと最終日まで保たないぞ」
「そ、そうですよね! おうちに帰るまでが遠足ですものね!」
僕は、はしゃぐ天津風を微笑ましく思いながらも──心中穏やかではいられなかった。
赤城、地獄の告白事件から一週間が経過して、本日は林間学校初日である。
この日を首を長くして待ち望んでいた天津風には申し訳ないが、僕は今日から三日が憂鬱で仕方がなかった。
一週間まえの赤城の告白は──当然の如く玉砕した。しかも、
「──ごめんなさい。私、赤城くんのこと一ミリも興味ないから」
という鈍器でタコ殴りにするような加賀美の返事とともに。
何もそこまで言わなくて良いんじゃないかと思ったが、あとから、たぶん加賀美は、自分への想いを断ち切らせるためにあえて辛辣な言葉を投げ掛けたのだろうと思い直し、赤城に同情しつつもこれもまた運命なのだと受け入れることにした。
それにしてもこの展開は──予想外だった。
てっきり、赤城が能美に思いを寄せていたのかと早合点してしまったが……まさかその相手が将来の自分の子どもである加賀美だったとは夢にも思わなかった。
結果、僕の無責任な太鼓判によって絶対に成功すると信じきっていた赤城は、容赦ないワンパン撃沈によりその後三日も学校を休んでしまうという事態にまで発展した。
おまけにわけもわからず、他人の告白に同行させられた能美も、圧の強いジト目で赤城を一瞥した後、無言のまま校舎裏を去って行った。絶対に良くない印象を与えたに違いない。
良かれと思ってお膳立てしたものの、結果的にそれが赤城と能美の溝を広げるだけだったわけだ。
まあ、何もかも僕の早合点が悪かったんだけど……でも、赤城が加賀美に恋をしてるなんて予想できるはずないだろ……!
言い訳がましくそんなことを思いながら、僕はため息を吐く。
「──琥太郎さん、どうしました?」天津風が心配そうに覗き込んでくる。「もしかして、赤城さんの告白のことを気にされているのですか……?」
天津風、鋭い。僕は正直に答える。
「……さすがにちょっと責任を感じてな」
「そんな! 琥太郎さんのせいではありませんよ!」
天津風は慌てたように両手を振る。ちなみに天津風には、二人は本当は好き合っているのだが、僕らが無駄に盛り上げたせいで恥ずかしくなり、赤城はついおちゃらけて加賀美に告白をしてしまった、という少々苦しい説明をしてある。
もっとも、赤城と能美の仲がより険悪になってしまった要因を作ったのが紛れもなく僕である以上、僕が責任を感じるのは当然のことなのだけれども。
「とにかくこの林間学校の間で、お二人の仲を取り持っていくしかありません! 過ぎたことは仕方がありませんから、前向きにいきましょう!」
極めてポジティブな天津風だったが、おそらくクラスメイトの愛のキューピッド役を務める、という行為に何らかの青春要素を感じ取りテンションが上がっているものと思われる。
些かミーハーが過ぎるとも思えるが、天津風のやる気と彼女の持つ激運はきっと何かの役に立つだろう。
「──そうだな。さすがは青春令嬢天津風、良いことを言う」
「ふふん、そうでしょうとも」天津風はドヤ顔で胸を張る。「どうです? 惚れ直しました?」
「そだねー」
「ちょっと、雑な感じで聞き流さないでくださいよ、琥太郎さん!」
そそくさとバスに乗り込む僕の背中を、天津風は怒ったようにポカポカと殴りつけてきた。無論、微塵も痛くなく、ただじゃれついているだけである。
ちなみに赤城と能美の件は、八重樫にも事情を説明してあり、彼女もまた二人の仲を取り持つことに協力してくれることとなった。八重樫はミーハーというよりは、面白そうなことに何でも興味を持つタイプなのでこういうときは本当に助かる。
とにかくこれで、林間学校の最中の赤城・能美恋愛包囲網は完成したのだった。
バスの座席は、班の中で好きに決めて良いということだったので、天津風は能美と、八重樫は赤城と並んで座ることに決めた。正直言うと、天津風と能美を隣り合って座らせることで、天津風が影響されてギャル化しないか、という不安はあったが、そもそも加賀美があの二人と隣り合って座るのを嫌がったのだからやむを得ない。
そんなわけで、バスに乗り込むと僕の隣の席には、当たり前のように加賀美がちょこんと腰を下ろした。
「湊くん、よろしくねー。湊くんとこうして改めて隣り合って座るのって何か変な感じだね。えっちなことしちゃダメだぞっ」
「……おう」
「あれれ? 元気ないなー。ひょっとして今日が楽しみすぎて寝不足かな?」
つんつん、と楽しげに僕の頰を突っついてくる加賀美。
普段から馴れ馴れしいヤツではあるが、それにしても今日は妙に距離感がおかしい気がする。赤城への牽制のつもりか、それとも単純に林間学校でテンションが上がっているだけなのか。どちらもあり得るのが、この加賀美美玖という少女の恐ろしいところだ。つまり、計算高いくせに割と天然。

「……おい、あまり僕に構うな。天津風に見られて機嫌を損ねられたら厄介だ」
「あー、確かにせっかくの林間学校が全部雨になっちゃったら計画が水の泡だもんね」
加賀美は大人しく手を引く。天津風は自身の持つ激運によって、気象すらも自在に操るやべーヤツなのである。
ちょうどそこで点呼も終了し、バスは目的地へ向かってゆるりと動き出した。低いエンジン音と振動による共鳴、そして何よりバス内のはしゃいだ喧噪のカクテルパーティ効果により内緒話をしても周囲に聞かれる可能性がなくなったところで話を戻す。
「計画って、何か当てはあるのか?」
「あるよー。完璧な計画だよー」
加賀美はドヤ顔で薄い胸を張る。
「湊くん、今日の予定はちゃんと覚えてるかな?」
「ああ、一応な」僕は頭の中の予定表を思い返す。「ホテルに着いて荷物を置いたら班行動開始だ。僕らは午前中に川下りをして、昼食はバーベキュー。それから午後はガラス工房を見学して、その後夜は飯盒炊爨だ」
「おお、意外としっかり覚えてるんだね」感心したように加賀美は微笑む。「まずは今日一日で、二人の物理的な距離を縮めて、お互いの苦手意識を克服させるよ」
「物理的に? どうやって?」
「たとえば、川下りのラフティングボートは六人乗りだから、あの二人を隣り合って座らせるって感じかな。二人だけだと気まずいかもだけど、私たちが周りでフォローしあえば苦手意識も薄まって二人の仲も急接近するはずだよ!」
「……そうかなあ」僕は訝しんだ。
「あとこれは、那珂川さんからのアドバイスなんだけど……『陰キャは異性耐性ゼロだから、とりあえず腕におっぱい押しつければ何でも言うこと聞いてくれるわ』って」
「あの魔性の女! 非モテ陰キャを弄びやがって!」
今まで散々それやられて那珂川さんのお願い聞いてきたけど、そんなふうに思ってたのか!
……まあ、でも柔らかくて良い匂いだし、報酬の先払いだと思えば何のデメリットもないというか、むしろ嬉しいだけというか……。
…………。
いけない。完全に思考をコントロールされている。なるほど……これが未来の人心掌握術か。
「……つまり、二人の距離を縮めさせるのと同時に、赤城の女性耐性の低さを利用して強制的に能美を意識させるってことか?」
「そんな感じかな。大体、私みたいな幼児体型のお子ちゃまを好きになるなんて良くないよ」
「……何もそこまで卑下しなくても。確かに委員長は幼児体型だが、それとは別に魅力的なところもたくさんあるぞ?」
「もしかして口説いてる? だったらごめんね。私、湊くんにボウフラくらいの興味しか持てないんだ」
「フォローしてやったのにフラれた!?」
この幼女殺意高いな!
「……まあ、でも確かに委員長に比べたら能美は何というか、目のやり場に困るよな」
背が高くスタイルが良いだけでなく、ギャル的な着こなしのためいつも制服の胸元をはだけて谷間や下着を衆目に晒している。天津風や那珂川さんで多少は女性慣れしているはずの僕でも、正面切って相対したとき目を逸らさずにはいられないだろう。
「そうでしょう? やっぱり高校生の男の子なんてみんなおっぱい星人なんだよ。近くに大きなおっぱいがあれば、すぐに意識しちゃうんだよ。チョロいもんだよ」
「……加賀美さん、何かやさぐれてない?」
「──そんなことないよ?」
目が据わってるんだが……。
このままでは雲行きが怪しいので、僕はもう少しフォローする。
「委員長──いや、加賀美。人は胸のみにて生きるにあらずだ」
「恐ろしく低俗な格言だ!?」
「確かに胸の大きさというのは、他人の目を引く重要なファクタだと思う。だが当然、それは一要素でしかない。人はもっと多視点的に好意を抱くものだ」
「……たとえば?」加賀美は唇を尖らせて尋ねる。
「まずは性格だろうな。たとえどれだけスタイルが良くても、性格の悪いヤツには好意は抱けない。おまえだってめちゃくちゃ好みの容姿の相手がいたとしても、そいつが子どもや動物に平気で暴力を振るうようなクズだったら好きになれないだろう?」
「それは……まあ、そうだね」
「その点、加賀美は完璧だ。人に優しく、ウィットに富んでいて、気遣いもできる。正直、その性格だけでも好意を抱くのに十分だ」
「そ……そんなこと、ないと思うけど……」
珍しく狼狽えたように加賀美は目を逸らす。彼女の頰や耳は、愛らしく朱に染まっていた。
「あと何より加賀美は、顔が抜群に可愛い。みんなは気づいていないかもしれないが、正直あの天津風にも全然引けを取っていないくらい整ってるぞ」
「や……やめてよぉ……全然そんなことないから……!」
「加賀美は自己評価が低すぎるんだ。もっと自信を持て。マジで天下を狙える逸材だぞ」
割と本音。たぶんだけど、密かに加賀美に恋心を抱いている男子は大勢いると思う。
……そう考えると、天津風と那珂川さんと加賀美の人気者三人といつも一緒にいる僕って、実はかなり危うい立場にいるんじゃないか……?
大丈夫かな……それぞれのファンが合従軍となって僕に襲い掛かってきたりしないかな……。
言い知れぬ不安が脳裏を過る。
「──じゃあ、さ」
不意に加賀美は伏せていた顔を上げる。恥ずかしさのためか、その目は潤んでいた。
「もし──本当にもしもの話だけど……。仮に天津風さんが転入してこなかったとしたら、湊くん、私のこと好きになってくれた……?」
「────」
どこか縋るような問い掛け。僕は返答に迷うが、結局本音を漏らす。
「──わからない。でも、天津風と出会うまでは、加賀美が一番近くにいて、一番僕のことを気に掛けてくれる女の子だったのは、間違いないと思う。そのまま時間が経過していたのなら……い、意識してたかもしれない」
さすがに恥ずかしくなって、加賀美の顔を見ていられなくて視線を逸らす。
気まずい沈黙。何か言わなければ、と焦り始めたところで、不意に加賀美が噴き出した。
「ぷっ……くくっ……あはは! ごめんごめん! ちょっとまたからかい過ぎちゃったね!」
加賀美はうずくまり、おなかを抱えて笑う。ようやくそこで僕はいつものように遊ばれていたのだと気づく。
「……本当に良い性格してるよ、おまえは」
「だからごめんってば。拗ねないでよ」目尻に浮かんだ涙を指で拭い、彼女は晴れやかに笑った。「でも、もしかしたら湊くんと付き合ってたかもしれない可能性があったっていうのは、正直少し嬉しいかな。いつもいつも最前列で天津風さんと湊くんのイチャイチャを見せつけられて、何というか少し羨ましかったからさ」
「……意外だな。未来のサイボーグも嫉妬とかするのか」
「するよー。これでも年頃の女の子だからね。恋愛への憧れも人並みにあるのさ。まあでも大丈夫! 私は崇高な使命を負ってこの時代に来てるわけだからね! それ以外のことに興味なんて湧かないよ! だから安心して湊くんは、さっさと天津風さんに告白して正式に付き合っちゃいなさい!」
「それが簡単にできれば苦労はしない……」
「あはは、相変わらずヘタレだなあ」加賀美は楽しそうに笑う。
ちなみに、僕が天津風との関係を進展させようとしないのは、決してヘタレだから、という理由だけではない。
事情を知っている加賀美たち他の面々はあまり気にしていないようだけれども、実は今この世界はかなり奇跡的なバランスを保って存在している。
というのも、すべては僕こと湊琥太郎が生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせのような不安定な状態で存在してしまっていることに起因する。
何故そんな厄介なことになっているのか、という説明はさておき、そうしなければこの世界そのものが崩壊してしまう事情があったのだから仕方がない。
その上で、今この僕らが生きている世界は、本来の正史とは異なる現実を切り開いている最中だ。そんな中、かなり特異的な不安定存在である僕が、神の寵愛を一身に受ける天津風との関係を進展させたら、今度はどんなトラブルが発生するかわからない。
最悪の場合、僕が天津風と付き合うことになった瞬間、世界が消滅することだってあり得る。
まあ、さすがに僕が直近でそのようなフラグを認識していない以上、現時点ではそれほど恐れるほどでもないのだろうけれども……慎重を期すに越したことはない(僕は加賀美が用意した未来の秘密道具により、世界崩壊にまつわる因果律のフラグを視認することができる。今回認識している赤城と能美のフラグがまさにそれだ)。
それゆえに、天津風や那珂川さんからのアタックをのらりくらりと躱しながら、学園生活を送っている次第である。
ただのヘタレカス虫に見えても、意外と世界や未来のことを色々と考えているのだ。まあ、僕自身がヘタレなのはどうしようもない事実なのだけれども。
少しだけ複雑な気持ちになるが、まあ、とりあえず加賀美が元気になったようなので、今回はそれで良しとしよう。
先行きへの不安はあるし、あの日以来、視界の隅には時折思い出したように世界崩壊フラグが明滅しているが……。
それでもこの林間学校を少しは自分でも楽しもう、という前向きな気持ちを抱くくらいには、心にゆとりができた気がする。
ちらりと傍らに目を向けると、加賀美は窓枠に肘を突いて上機嫌に景色を眺めていた。
「なあ、委員長」
「ん? なあに?」
小首を傾げてこちらを見やる。
その幼い顔に浮かぶ、どこか達観したような笑みを見つめて僕は告げた。
「林間学校、楽しもうな」
意外そうに目を丸くする加賀美。しかしすぐに、満足そうに破顔した。
「──うん。楽しみ」
何事もなく、宿泊先のホテルへ到着した。
バスを降りて加賀美と別れると、今度八重樫と赤城の二人と合流した僕は、与えられた自室へ向かう。
部屋は八畳ほどの和室だった。部屋に入るなり畳の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「へえ、結構良い部屋だね」
八重樫は感嘆の声を上げた。多少手狭ではあるが、内装も新しめで綺麗だし、高校生の三人部屋にしてはかなり上等な部類に入るだろう。
「何というか、和室って普段縁がないから、旅行に来たって感じがするな」
「おや、湊氏は現代っ子でしたか」
赤城も心なしか上機嫌な様子で部屋に入る。
「赤城くんの家には和室があるのか?」
「もちろん。和室は日本人の魂ですぞ。日本男児たるもの、畳の上で死ぬ覚悟を胸に日々を生きる所存」
「奇遇だね、赤城くん。僕もどちらかというと和室のほうが好きなんだ」
「なんとっ! 八重樫氏は斯様な西欧風美形であるにもかかわらず、立派な日本男児の魂をお持ちであったかっ! 〈陰王〉よ、こういうところで度量の大きさが明るみに出るのですぞっ!」
「……赤城くん、おまえ僕に容赦なくなったな」
あの告白騒動以来、何だか僕の扱いが雑になった気がする。
あと、八重樫は日本男児ではなくただの大和撫子である。いや、大和撫子ではない……のか? 日本語って難しいなあ!
「まあまあ、それより早く着替えて集合場所行かないと」
八重樫はさり気なく窘めてくる。そういえば、次の予定が詰まっているので、あまりのんびりもしていられないのだった。
そこでハタと気づく。着替えって……八重樫はどうするつもりなんだ……?
僕はともかく、この場には赤城もいる。実は女の子である八重樫が大っぴらに着替えるわけにも……。
「それじゃあ僕はちょっとトイレで用を足してから着替えるから、二人は先に集合場所へ向かってていいよ」
八重樫はちらりと僕にウィンクを飛ばしてからトイレに立て籠もった。なるほど、そういう方針ね……。
あまり長く八重樫をトイレに籠もらせておくのも悪いので、僕は手早く制服からジャージに着替えると、八重樫を待ちたがる赤城の手を引いてさっさと部屋を出た。
「……湊氏もせっかちですな。少しくらい八重樫氏をお待ちすれば良いものを」
赤城は不服そうだ。僕は一応フォローする。
「八重樫はああ見えて結構個人主義だからな。人を待たせたりするのが、かえって嫌なんだよ。だからああいう場では気にせず先に行くのが正解なんだぞ」
「なるほど、そういうことでしたか」赤城は感心したように頷く。「勉強になりましたっ! やはり湊氏は頼りになりますなっ!」
「……おまえ、僕のこと軽蔑したんじゃなかったのか?」
告白騒動でずっと引け目に感じていたことを尋ねてみるが、赤城は意外そうな顔で答えた。
「そんなことありませんぞ? 湊氏が陰の者の王であることに変わりはないですからな。自分に声を掛けてくれた恩を忘れるほどの無礼者ではないですぞ」
「でも僕のせいで、おまえは加賀美に」
「──湊氏が気にする必要はありませんぞ」
赤城は驚くほど爽やかに笑った。
「冷静に考えてみれば、天津風嬢と那珂川先輩という二大美女に目を掛けられていながら、どちらにも手を出し倦ねているヘタレカス虫である湊氏に恋愛指南を頼んだ自分が悪かったのですぞ」
「辛辣ってレベルじゃねえ!」
いやまあ、マジでそのとおりなんだけどね!
赤城を傷つけてしまったという負い目もあって、僕は素直にその評価を受け入れる。
「……でも、これからどうするつもりなんだ?」
「どう、とは?」
「その、加賀美のこと諦めるのかなって」
「……確かにあれは手酷い仕打ちでしたな」赤城は苦笑する。「まあ、加賀美嬢のことは素直に諦めるとしても……新しい恋を見つけるのには少し時間が掛かりそうですな。それほど自分にとって加賀美嬢は、衝撃的な存在であったゆえ」
「……そんなに好きなのか」
少し驚く。本来であれば、赤城と加賀美は絶対に出会わない運命にあるのに。
「自分、正直に言うとこれまで女子にあまり興味がなかったのです。知り合いに手の掛かる女子がいて、自分が守らねばと思ったことは何度もあれど、それは恋愛感情ではなく妹のような感覚でした。しかし……加賀美嬢は違ったのですな。一目見た瞬間からもう目が離せなくなり、誰よりも愛らしく、誰よりも大切に思ってしまったのです。まさに世に聞く──雷に打たれたような感じでした。あれがおそらく一目惚れという感情だったのでしょうな」
「……一目惚れかあ」
一目惚れというのは脳直の感情なので、わりとどうしようもない。
かつて存在したであろう正しい〈現実〉において、加賀美と出会わなかった赤城は能美と恋に落ちるようだが、少なくともそのときは一目惚れではなかったようだ。
というかそもそも、今でもオタクとギャルの二人が好き合う未来が思い描けない。
どうしたものかと考え倦ねていたところで、何故か赤城は困ったように眉尻を下げて続ける。
「しかしどういうわけか、これだけ好いているにもかかわらず、加賀美嬢とスケベなことをしたいという感情が一ミリも湧いてこないのです……。好いている相手にそのような感情を抱かない自分は、不能野郎ということなのでしょうか……?」
「──ああ、なるほど」
そこでようやく赤城の感情の正体に思い至る。
たぶんそれは、恋愛感情よりも先に芽生えてしまった〈父性〉なのであると。そして、恋愛感情を知らないがゆえに、それを〈恋〉だと勘違いしてしまったという感じか。
まあ、確かに普通に生きていたら、自分と同い年の娘と対面するというのは絶対に起こりえない状況なので、脳がバグるのも致し方ないと言えるが……。
しかし、これは好機とも取れる。本来経験するはずの恋愛をここで改めて体験することで、自分に起きているバグを補正してあるべき歴史に戻せる可能性があるのだから。
「不能かどうかは置いておいて、それだけ相手を大切に思ってるってことだから、悪いことではないんじゃないか」僕は諭すように続ける。「赤城くんが他人を愛せる人間であるとわかっただけでも十分な収穫だ。だからもう少し前向きに新しい恋を探すのでも良いと思うぞ」
「確かに……それは一理ありますな」赤城は腕を組む。「しかし、恋とは具体的にはどのようにして探すものなのです?」
「…………」
恋愛偏差値の低さが裏目に出て上手い答えが思い浮かばない。いや、マジで恋ってどうやって探すんだよ……そもそもその辺に転がってるものなのか……?
何もわからなかったが、あくまでも僕の目的は赤城と能美をくっつけることなので、適当に誤魔化すことに決める。
「──恋とはつまり相手を知ることなのではないだろうか。今まではよく知らず、嫌っていた相手であっても、新たな一面を知ることで好感度を上げることはままあるものだろう?」
「なるほど、ミスター・サタンのようにですな?」
「……まあ、なんでも良いが、とにかく相手に興味を持つこと、相手に興味を持ってもらうことから始めたらどうだ」
「確かに。それは人付き合いにおける基本ですな」
赤城は腕組みをしたまま頷いた。どうやら僕の口からでまかせを信用してくれたらしい。
これで傷心のところ上手いこと能美に興味を誘導して、真なる恋を知ってもらえれば、歴史は正しい方向へ向かうはずだ。
向かう……はずだ、たぶん。
何故か不安いっぱいで自信を持って頷けない自分がいた。
「しかし、さすがは湊氏ですなっ! 噂どおりのプレイボーイっぷり、さぞや沢山の恋愛を経験してきたに違いありませんぞっ!」
「ははっ、まあな」
「陰キャ特有の惚れっぽさで、きっと無数の失恋を経験してきたのでしょうなっ!」
「おまえやっぱり僕のこと馬鹿にしてるだろ!?」
評価の底打ち感が半端ないよ。
「それより、せっかく陰の者二人しかいないのですから、ここはオタトークに花を咲かせましょうぞっ!」
「僕は陰キャであっても、オタクというわけじゃ……」
「湊氏の推し刺青囚人は誰です? 自分は、姉畑支遁!」
「推し刺青囚人!? 姉畑支遁!? マジ会話の選択眼バグってるな!?」
実のない話をしながらロビーで他の班員たちを待つ。
数分と待たずにみんな集まってきたので、僕らは川下り行きのバスに乗り込んだ。
到着したのは、周囲に鬱蒼と木々の生い茂る木造のコテージだった。
新緑に囲まれたどこかメルヘンな外観のそれは、妙な非現実感を醸し出しており、まるでおとぎの世界に紛れ込んでしまったかのようだ。
てっきり川辺に降ろされるものだとばかり思っていたので、少し面食らう。
バスを降ろされてボーッとしていたところで、コテージからやたらと布面積の少ないほとんど水着のような格好の女性が飛び出してきた。
「やあやあ! こんな田舎くんだりまでようこそ! 何もないところだけど都会っ子のみんなには逆に新鮮かな? ほら、そんなところに突っ立っていないで早くこっちおいで!」
異様に高いテンションのお姉さんに促されるまま、僕らはコテージに入った。外観に反して室内は明るく近代的な装飾にまとめられている。壁にはラフティングで撮ったと思しき写真がたくさん貼られていた。どの写真に写った人もみんな眩しいばかりの笑顔を浮かべていた。
「改めましてこんにちは! 私は球磨! 今日きみたちのラフティングをサポートするインストラクタだよ! 球磨さんでも球磨お姉ちゃんでも好きなように呼んでね! 二十歳独身で彼氏はナシ! スリーサイズは上から九十五、五十六、八十六だよ、よろしくね!」
僕らがその勢いに気圧される中、お姉さん──球磨さんは上機嫌に語る。
「ラフティングは、それはもう楽しい楽しい川下りだけど、常に怪我と隣り合わせだということは忘れないでね! 川に出たらちゃんと私の指示に従うこと! お姉さんとちゃんと約束できるかな?」
びっ、と僕は人差し指を突きつけられた。狼狽えながらも答える。
「で、できるっす。その、よろしくお願いします」
「うん、良い子だ! お姉さん、素直な子は大好き!」
突然抱き締められた。ほとんど半裸のような格好をしているにもかかわらず、僕はその豊満な胸に顔を埋められた。めっちゃ柔らかくて温かくて──パニックになりそう。
「あ、あの! 私も約束できます!」
突然、天津風が聞かれてもいないのに宣言した。すると球磨さんは僕を解放して、今度は天津風を抱き締めた。
「今日は良い子たちばかりだね! お姉さん、嬉しい!」
結局球磨さんは、僕ら全員に抱擁とともにその魅惑の果実を押しつけて回った。親愛表現にしても少々過激すぎる気はしたが、不思議とイヤらしく感じられないのは人徳なのだろうか。
それから、球磨お姉さんによる簡単なレクチャーが始まった。
ラフティングというのは、ゴムボートに乗り込んで急流を下るレジャースポーツだ。整備された場所ではなく自然の川を、それも結構な速度で下って行くらしいので、安全には十分に配慮しなければならないらしい。
自分の身を守るためにも、そしていざというとき天津風を守れるようにと、真剣にレクチャーを聞いた。
説明のあとは、レンタルしたドライスーツに着替える。ドライスーツの下は体操着でも良いらしいが、ドライスーツとはいえ多少は中に水が入って濡れるらしいので、持参した水着を着用した。
幸いなことに試着室のような半個室が用意されていたので、八重樫も何事もなく着替えが完了する。ただ、いつもなるべく気にしないようにしているのに、目の前の八重樫がこのドライスーツの下に女性用の水着を着用している、と考えると何だか変な気持ちになる。
「……琥太郎くん。何だか視線にイヤらしさを感じるのだけど」
「な、何を言っているんだ八重樫! 僕が親友のおまえを、そんな目で見るはずないだろう!」
勘は鋭いようだった。変に意識しないよう気をつけなければ……。
着替えが終わると、小さなバンに乗り込んで山道を下っていく。
「何だかみんな宇宙服みたいですね」
狭い車内で、天津風は嬉しそうに笑った。少しまえまで身体が弱かった天津風にとって、こういうアウトドアは初めての経験だろうから、きっと楽しくて仕方がないのだろう。
ほかの面々に目を向けると──。
「──そこなデカ女。狭いのだから、その無駄にデカい牛みたいな乳を少しは萎ませる努力をしたらどうですかな? 先ほどから脂肪の塊を押しつけられて大変不快ですぞ」
「ハァ!? マジあり得ない! アンタみたいなキモオタにそんなことするわけないっしょ! てか、あーしに触らないでもろて! オタクに触られたらそれだけで妊娠するし!」
「するはずがなかろう!? やはりギャルは頭が残念ですな!」
「ギャルだから頭が悪いとか偏見キモすぎてマジMK5!」
「マジと『M』が重複してる!? やはりアホの子ですな!」
「強調構文だし!」
「……おまえら、少し落ち着け」
みんなで結託して半ば強引に二人を隣り合わせて座らせてみたが、相変わらず相性は最悪のようだった。ちなみに『MK5』は『マジでキレる五秒まえ』の略らしい。
というか、能美よ。おまえとそのオタク少年が結ばれなければ世界は滅ぶのだぞ……?
重ね重ね、意味不明な世界観だなと思う。
一悶着あったものの、無事に川縁に到着した。
川にはすでにゴムボートが用意されており、事前のレクチャーどおりに僕らはライフジャケットを着てヘルメットを被り、オールを片手にボートへ乗り込む。六人乗りなので、前列が八重樫と加賀美、中列が赤城と能美、そして後列が僕と天津風、という並びになった。
最後に、舳先に乗り込んだ球磨さんが、拳を天高く突き上げた。
「それじゃあ、みんな! 準備はいいかな? 力を合わせて頑張ろうね! えい、えい──」
『おーっ!』
みんなでオールを掲げて重ね、心を一つにする。
ボートは川の流れのままに、ゆっくりと進み始めた。
二時間ほど掛かって、何とか無事に誰も怪我をすることなく、最終地点のゴールに到着した。
何というか、至れり尽くせりの大冒険だった。
全員で協力しての急流攻略だけではなく、転覆体験や滝壺飛び込みなど、普段は絶対に体験できないことが目白押しで、みんな子どもの頃を思い出したかのようにはしゃいでいた。
「琥太郎さん! 私、こんなに楽しいことしたの初めてです!」
転覆体験の際、泳げないらしく僕にしがみついてきた天津風が、目映いばかりの笑顔を向けてきたのがあまりにも印象的だった。正直この笑顔が見られただけでも、林間学校に来られて良かったと心から思えるような素晴らしい笑顔だった。
ただ肝心の赤城と能美の関係は微妙だ。というか、ラフティング中ずっといがみ合っていた。
「ちょっとアンタ! 人の太もも勝手に触らないでよイヤらしい!」
「わ、わざとではなかろうっ! ちょっとバランスを崩して手を突いただけではないかっ! そもそも、男の手垢にまみれたビッチの太ももなど、頼まれたって進んでは触りたくないですぞ!」
「まみれてないわ! ギャルだからビッチって決めつけマジキモいんですけど! マッハチョベリバだし!」
「大体、何事か、このブクブクと脂肪を蓄えた太ももは。少しは瘦せたらどうですかな?」
「ハァー、出た出た! オタクのシンデレラ体重幻想! 現実の女はこんなもんなの! 大体、あーしだって別に太ってないわ! BMI19だし!」
「しかし、天津風嬢や加賀美嬢のほうが明らかに細っこく見えますな」
「あの子らは特別なの! 神に愛された本物のシンデレラなの! 大体、アンタこそ何よこの棒きれみたいな太ももは! もっと筋肉付けなさいよ!」
「なあ! 勝手に人の太ももを触らないでほしいのですぞ!」
などと言い合いながら互いの太ももを揉み合っていた。
あれ、逆にこれは仲良いのでは……?
いや、逆にってなんだよ……。こんなんで明日の夜、本当にキャンプファイヤで二人を踊らせることなんかできるのか……?
相変わらず先行き不安な現状に、内心でため息を吐く。
ゴール地点から車で最初のコテージへ戻った僕らは、シャワーを浴びてからジャージに着替える。それからすぐにまたバスに乗り込んで、昼食会場である別の河原へと向かう。
二十分ほどバスに揺られて、僕らは昼食場所であるバーベキュー会場に到着した。河原にはたくさんのバーベキューコンロが並べられており、他の班の連中はすでに各々で昼食を楽しんでいた。どうやら僕らが最後だったようだ。
いい加減周りと足並みを揃えないといけないなと思いながら、足早に僕らの班に宛がわれたバーベキューコンロへ向かうと──。
「──おう、遅かったな仔猫ども」
何故か担任の村雨が、僕らのスペースで肉を喰らっていた。
意味がわからない……。
「……何してんすか」
「見ればわかるだろう? 肉を食っているのだ」
「いや、そうじゃなくて……」
「おまえたちが間もなく着くという連絡をもらったから先に始めてたんだよ」
村雨は咀嚼していた肉を嚥下する。
「おまえたちがおなかを空かせていると思ってな。着いたらすぐに始められる状態にしておいてやったんだぞ。そしてちょっと早く焼けすぎた肉を仕方なく処分しているだけだ。べ、別に湊のためじゃないんだからなっ! 勘違いするなよっ!」
「……あざす」
何とも言えない気持ちで礼を述べる。
とある事情により、村雨は僕に対する絶対服従の洗脳を掛けられている。本人は嫌がっているようだが(当たり前だ)、とてつもなく強力な洗脳には抗えず、今ではくっ殺系女騎士のようになってしまっている。少し同情する。
「いやあ、すぐにごはんにありつけるのはありがたいね。これから火をおこしてだと食べ始めるのに三十分くらい掛かると思ってたからね。ささ、みんな村雨先生の好意に甘えて早速お昼にしようか。僕はもうおなかぺこぺこだよ」
村雨くっ殺騒動の首謀者であるはずの八重樫が晴れやかな笑顔で告げた。
思うところはままあるが……空腹であることは紛れもない事実なので、ここは見て見ぬ振りをして素直にバーベキューを楽しむことにしよう。
「それじゃあ、お肉焼きますか」加賀美が腕まくりをして進み出る。「バーベキュー将軍の腕の見せ所だね! あ、良かったら先生もそのまま食べて行ってください」
「ありがとうママ委員長」
「担任の先生にまでママ扱いされていたんですか、私!?」
目を剝いて突っ込みながらも、加賀美はコンロの上で雑に焼かれていた肉や野菜などの食材を手早くみんなに取り分けて、新たな食材を焼き始める。
「せっかくコンロが二口あるからね。炭の量を調整して強火と弱火にすれば、効率的にお肉とお野菜が焼けるよー」
「ヒュー! さすがみくっち、頼りになる!」
「あはは、ありがとう能美さん」いい加減慣れてきた様子で、加賀美も普通に応じる。「はい、カボチャ焼けたよ。好きだったよね」
「わあ、嬉しみ革命!」喜んで皿に載せられたカボチャに食いつく能美。「みくっち、よくあーしの好物知ってたね!」
加賀美は顔を一瞬引きつらせるが、すぐにいつもの温厚な笑顔を浮かべ直す。
「──クラス委員長だからね! クラスメイトの好きなものくらい覚えてるよ!」
言い訳にしては少々苦しいが、それでも能美は納得したように頷いた。
「さすがみくっち、ママみが半端ないね! いっそあーしのママになっちゃいなよ!」
おまえがママになるんだよ!
──という突っ込みを必死で飲み込んだ。やべえやべえ……そんなことを口にした日には、頭のおかしなヤツとしていよいよ本格的にのけ者にされかねない……。
ちなみに加賀美は乾いた笑みを浮かべてやり過ごしていた。自分の母親にママになれと言われて、さぞ複雑な気持ちだったことだろう。
いずれにせよ。能美と赤城を好き合わせなければ何も始まらない。
僕は加賀美に肉を取り分けられて嬉しそうに食べている赤城の隣に立つ。
「赤城くん、調子はどうだ?」
「おお、湊氏!」頰袋のように顔を膨らませながら赤城は破顔する。「湊氏にお誘いいただいたおかげで、実に楽しい林間学校ですぞ! いやあ、本来はどこかの仲良しグループに余り物として編入させられてひたすら疎外感だけを感じながらやり過ごす予定でしたが、本当に〈陰王〉様々ですな!」
「陰キャのトラウマを的確に突いていくのやめろよ……」
中学時代思い出して泣いちゃいそうだよ僕は……。
「それよりどうだ? さっきの川下りでは、能美とちょっと良い感じだったが、いっそこのまま能美を好きになっちゃったりする気はないか?」
「……湊氏」
ぴたりと食事の手を止めて、赤城は心底イヤそうな顔でこちらを見上げた。
「せっかく気持ちよく肉を食べているというのに、そういう食事がまずくなるようなことを言うのは止めてほしいですぞ」
わりと本気の拒絶が混じっていたので僕は少し鼻白むが、ここで負けてはならないと思い果敢に突っ込んでいく。
「どうしてだよ。能美美人じゃん。スタイルも良いし」
「……まあ、確かに顔の造形は整っていますな。乳もデカいし、太ももも太すぎない程度に肉感的で、男受けは良さそうですが」
「おお、だったら……!」
「でもギャルはダメですぞ! ギャルとウェイ系のパリピは、我ら陰キャの天敵! あいつらは群れて人を馬鹿にすることしか考えていないモンキー! 湊氏も陰の者であるならば、一度や二度その毒牙に掛かったこともありましょうぞ!」
「……な、なくはないけどさ。でも、全員が全員そうじゃないだろう? 実際能美は、言動こそイカれてるが、わりと人に気を遣うタイプに見えるぞ?」
「人に気を遣うタイプの人間が、オタクを馬鹿にするとお思いですかな?」
「…………」
ぐうの音も出なかった。
でも、確かに改めてそう言われると妙な気がする。僕の所感ではあるが、能美は言っていることは多少意味不明だが、わりと天津風や僕には一歩引いた常識的な態度を取っているように思える。パリピにありがちな意見や感情の押しつけもないし、どちらかというと人当たりの良いほうな気がする。
だが、どういうわけか赤城にだけはやたらと当たりがキツイ。辛辣と言ってもいいほどに、自ら率先して赤城に絡んでいっているようにも見える。オタク嫌いを公言しているが、ただオタクが嫌いなだけでここまで苛烈な反応は普通しないと思う。
それに赤城も能美にだけは、やたら手厳しいような気がする。バカにされているからその反発をしているとも考えられるが、能美以外の人間には温厚かつ友好的な態度を示しているだけに疑問は残る。
「……なあ、赤城くん。ひょっとして昔、能美と何かあった?」
思いつきの質問だった。根拠なんかは特にない、半ば言い掛かりに近い問い掛け。
しかし──。
「ぜ、全然そんなことないでゴザルゥ(裏声)」
「誤魔化すの下手クソかよ」
ついうっかり雑な突っ込みをしてしまうくらい、効果は抜群だった!
やっぱり過去に何かあって、それがこじれにこじれて今に至る、という感じか。
ならばその過去の出来事にこそ、二人をくっつけるためのヒントがあると考えるのが妥当だろう。
「なあ、赤城くん。良かったら僕にそのときの話を──」
「おっと失敬っ! 自分、突然催してきましたぞっ! 湊氏っ! 手洗いに行ってくるゆえこれにて失礼っ!」
僕が止める暇もないほどの快足で、赤城くんは走り去ってしまった。陰キャなのに足速いな……。
しかし、あまり人に話したくない過去があったとして、それは加賀美が暮らしていた未来における正史においても同様だろう。ならばその過去は、二人が仲違いをするきっかけになりこそすれ、致命的に二人を分かつようなものではないはずだ。
でも、加賀美も具体的なことは何も知らなさそうだし、過去の因縁を探って二人の関係修復を図るのは難しそうだな……。
せっかくだし、能美のほうにも少し探りを入れてみるか。
「──なあ、能美。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「んー? コタっちから話しかけてくるなんて珍しーじゃん」
キャンプチェアに腰を下ろして、紙皿に載った焼き野菜を美味しそうに頰張っていた能美はこちらを見上げて上機嫌に笑う。
僕は圧倒的陽キャに対峙したとき特有の妙な緊張を感じながらも、努めて自然体を装う。
「──いや、ちゃんと食べられてるか少し気になってな。人数多いと誰かが割食うこと結構あるからさ、念のため声掛けてみたんだよ」
「へえー!」能美は感心したように目を丸くする。「コタっち優しいじゃん。しこっちの彼ピじゃなきゃ、ちょっとときめいてたってカンジ」
「……彼ピではない」
「……マジンガー? しこっちも否定してたけど、アレ照れてたわけじゃなくて、ガチなの?」
「ガチだぞ」
自分で言ってて悲しくなる。残念ながらガチなのだ……。
「そっかあ」能美はどこか楽しそうに箸を皿の上に置いて、意味深な笑みを向ける。「コタっち何気にあーしのタイプだし、フリーなんだったら別に粉掛けちゃっても大丈夫だよね」
「……勘弁してくれ」
これ以上事態を複雑にしないで……。もう僕の胃が保たない……。
すると能美は突然噴き出した。
「あはは、コタっちマジマイケルだし!」
「マイケル?」
「ジョーダンってことだし!」
「…………」
マジで言動が奇天烈すぎて通常会話すら難しいな……!
ただ単語の端々に微かなインテリジェンスを感じるし、絶対に本質的な部分では頭が良いタイプの人間だとは思う。
渋面を浮かべる僕に、能美は楽しそうに続ける。
「しこっちの大事大事なコタっちに手ぇ出したりしないってば! あーしはこう見えて、友だちの恋は応援するほうなんだし!」
いったい何を言って──。
ふとそこで背後に何やら不穏な気配。振り返ってみると──何故か拗ねたような顔をした天津風が串焼き両手に立ち尽くしていた。
「……え、天津風、どうしたの?」
「……いえ、琥太郎さんがまた可愛い女の子にちょっかい出してるのかなと思いまして」
「おいおい天津風さん、あまり不穏当なことは言うものじゃないぞ。僕がいつ可愛い女の子にちょっかい出したって言うんだ?」
「わりといつもしょっちゅうかなりの頻度で出しているかと」
「…………」
身に覚えがありすぎた!
僕には僕の事情があるとはいえ、客観的にも否定できない……!
「わ、悪かったよ……反省してるから、機嫌直して、な?」
「せっかく琥太郎さんのために串焼きを持ってきてあげたのに……私、知りません!」
天津風は、両方の串の先端に付いていた肉を一度に頰張る。口の小さな天津風にしては、かなりの無理をしているためか、ハムスターみたいになっている。僕は彼女の負担を減らすためにも大仰に言う。
「なんと! 天津風が持ってきた串焼きならきっと普通の串焼きの数倍は美味いんだろうなあ! 天津風と一緒に食べるだけで、あらゆる食べ物の美味さが倍増するのに惜しいことをしたなあ! これは僕の人生における最大の汚点として後の世にも永遠に語り継がれていくのだろうなあ!」
「そ……そこまで言うなら仕方ないですね……! 特別に片方を琥太郎さんに上げましょう。あ、でも、私どっちも口を付けてしまいました……。すみません、汚いですよね……すぐに新しいものと交換して──」
「大丈夫、僕は気にしないぞ! 第一、天津風が口を付けたものが汚いわけないだろう! むしろ逆に浄化されてるくらいだわ! さあ、早くその串焼きを渡すが良い!」
「琥太郎さん……! 格好良いです……!」
「……あのさ、お二方」
背後から呆れたような冷たい声が飛んでくる。
「それ、どこからどう見てもただ恋人がイチャついてるだけにしか見えないの理解してる?」
冷静な能美の突っ込みに、僕も我に返る。つい情動に身を任せて天津風とのいつもの寸劇を楽しんでしまった。さすがの天津風も今回ばかりは照れたように口を噤む。能美は苦笑して続ける。
「まあ、別にあーしも二人の関係にどうこう口出しするつもりはないから、安心してよ。ただコタっちがあーしを気に掛けてくれたのは素直に嬉しかったよ、ってだけ。マジチョベリグってカンジ」
「そうなんです。琥太郎さん、女の子には誰にでも優しくて。でも、下心があるわけではないんです。この人はわりとかなり奥手なので。受け攻めで言うなら、総受けです」
「何言ってんの天津風さん!?」
マジで最近言動が色々と良くないお友だちの影響を受けてらっしゃるんですけど!
頼むから清楚最後の砦として天津風には頑張ってもらいたい所存。
「ところで、能美さん」天津風はまるで何事もなかったかのように話題を変える。「お皿にお肉が載っていないようですが、よろしければお持ちしましょうか?」
「あ、いや……その、大丈夫だし!」能美はどこか戸惑ったように答えた。「あーし実はダイエット中でさ! お肉控えてるんだよね! その代わりお野菜いっぱい食べるんで、しこっちがあーしの分のお肉食べて良いよ!」
「え、良いんですか!」天津風は表情を輝かせる。「では、代わりに私の分のお野菜をお譲りしましょう!」
「いや、天津風は自分の野菜をしっかり食え。能美には僕のを分けておくから」
僕は冷静に告げる。この数ヶ月一緒に過ごして、何気に天津風が偏食であることを僕は見抜いていた。すると天津風は恨めしそうに上目遣いで僕を見る。
「うぅ……お野菜苦手です……」
「頑張って食え。好き嫌いしてると大きくなれないぞ」
「……それは困ります……せめて一六〇にはなりたいです」
「そういうものなのか? 天津風は、今くらいのサイズ感がちょうど良い気がするけど」
「背伸びをしたら不意打ちで琥太郎さんのほっぺにチューできるくらいにはなりたいです」
「さり気なく何とんでもないこと画策してんの!? やっぱ無理して食べなくて良いよ! 天津風は小柄なほうが可愛いよ!」
「やーですぅー!」
天津風は、
←こんな顔をしながら串焼きの肉と肉の間に挟まれていたピーマンを食べる。
「うぅ……苦いですぅ……でも頑張ってごっくんします……」
「…………」
何故か背徳的な気持ちになった。
「ホント仲良いね」呆れたように能美は苦笑する。「でも、そういうの羨ましいっていうか。あーしも、彼ピとイチャイチャしたいな」
その文言には多分に誤解が含まれているような気がしたが、それでも好機と判断して僕は一歩踏み込んでみる。
「能美は、付き合ってるやついないのか?」
「あーし? ないない!」能美は快活に笑って否定する。「憧れは人並みにあるけどねー」
「ですが、能美さんは可愛いし明るいしモテるのでは?」何とかピーマンを嚥下した天津風が首を傾げた。
「にゃはは、しこっちは優しいね。まあ、一応何度か告白されたことはあるっていうか。でも、全部断ってるんだ。だから実は彼ピいない歴イコール年齢なんよ」
それは少し意外な言葉だった。偏見なのかもしれないけど、ギャルなんてパリピの代名詞的存在だし、ウェイ系の男と遊びまくってるものだとばかり思っていたから。
「でも、どうしてせっかくの告白を断られたのです? 憧れてるなら、尚更絶好の機会だったと思うのですが」
天津風さん、結構グイグイ突っ込むなあ……! 女の子って基本的には空気読むの上手いけど、たまにビックリするくらい空気読まないことあるよね……!
さすがに能美も怒るのでは──と少し緊張するが、彼女は変わらず快活に笑った。
「一番の理由は、好みじゃなかったからだし! あーしね、初めて付き合う人、もう決めてるんだ」
なんと……! それがまさか赤城なのか、と僕らは急に色めき立つ。
能美は、ギャルらしからぬどこか大人びた笑みを浮かべながら続ける。
「あーしね、正義の味方に憧れてるっていうか。ピンチのときに颯爽と現れて助けてくれる──そんなヒーローみたいな人を、ずっと待ってるんだ」
「ヒーロー、ですか……?」
思いのほか夢見がちな言葉に、僕と天津風は顔を見合わせる。
いや、ヒーローに憧れるというのは感情的には理解できるのだ。ただ、そういうのは普通小学生までで卒業してるものだろう。ましてギャルな能美がそんなものに憧れているというのは違和感を覚える。
しかし……ピンチのときに守ってくれるヒーローというのは、どうにも赤城のイメージとは重ならないな……。マジでまったくアイツの目はないんじゃないか……?
「じゃ、じゃあ、具体的な好みのタイプとかあるのか? たとえばほら、優しいとか」
「そりゃもう、強い人っしょ!」能美は急に目を輝かせる。「身長は一九五センチ、体重は一〇五キロくらい。大柄だけど知的なハンサムでメッチャ優しい感じの人が良いな。ついでに年収は五千兆円くらいあるとなお良し!」
「そんな人類いてたまるか!」
年収除けば、ただのジョナサン・ジョースターじゃねえか!
でもこれでなおのこと、赤城は好みのタイプではないことが判明してしまった。
じゃあ、何がどうまかり間違って、正史で二人は結婚することになったんだ……?
疑問ばかりが募るが、突破口はある。
「さっき赤城に聞いたんだけど、おまえらって昔から知り合いだったの?」
「──は? なんで急にあのキモオタの話になんの?」
それまでの柔和な態度が一変して、能美は剣吞な目を向けてくる。ギャルの一睨みとかマジで恐怖以外の何ものでもなかったが、宇宙平和のためにもここで引くわけにはいかない。
「い、いや、赤城がおまえのこと何か気にしてたみたいだからさ。昔なんかあったのかなって」
「……何もないし」口を曲げてそっぽを向く。「あんなやつ、全然ちっとも一ミリも興味ないし。マジアウトオブ眼中っていうか。気にされてもキモいだけだし。リバるわ」
「……そ、そっすか」
めっちゃ捲し立ててくるやん……。ちょっと引いちゃったよ……。
でも、その過剰な反応からして、好感を持っているかどうかは別にしても、互いに互いを気に掛けているのはやはり事実なのだろう。お互いにそれを話すつもりがなさそうなのは、厄介だけど……今は他に縋るべき打開策がないのだから、手を変え品を変えそのあたりを突っ込んでいくしかないだろう。
機嫌を損ねてしまったのか、能美は立ち去って行ってしまった。
能美の背中を見送りながら、天津風がぽつりと零す。
「なかなか手強いですね、能美さんは」
「……そうだな」僕は弱音を吐く。「正直、あの二人がくっつく未来が僕には見えないよ……」
「そうでしょうか?」天津風はどこか上機嫌に首を傾げる。「ラフティングのときからお二人のことを見ていましたが、表面的にはいがみ合っているように見えても、結構本質的な部分ではお互いのことを意識し合っているように思えましたけど」
「え、マジ? それは何か根拠があるのか?」
「いいえ、乙女の勘です」
「乙女の勘かあ……」
天津風の乙女センサは、多分に創作物の影響を受けているので、あまり当てにはならなさそうだ。しかし、認識によって因果律すら捻じ曲げる幸運の持ち主である天津風の言葉ならば、あまり無碍にもできない。
「……じゃあ、天津風の直感を信じて、もう少し頑張ってみるか」
不安しかない未来に、僕は天を仰ぐ。
そんな僕の心証とは裏腹に、空には雲一つない真夏の晴天が広がっていたのだった。