
青春という極めて厄介な精神的無双感を患った者は往々にして恋愛脳であり、それゆえにどこの学校にも大抵、恋愛にまつわる伝説や噂の一つや二つはあるものだろう。
伝説の桜の木の下で告白すると結ばれる的なアレだ。
それらは例外なく、夢見がちな彼らないし彼女らの願望が生み出した幻想であり、実際には何のエビデンスもないただの妄言なのだけれども……。
そんな妄言に縋りたくなるほど、恋愛事に本気である、という点は素直に評価すべきポイントだと思う。
どんなことであれ、若い内に必死になるのは良いことだ。
結果得られたものが栄光であれ挫折であれ、その経験はきっと精神的な成長に繫がるだろうから。
まあ、そんな手垢のついた一般論はさておき。
我らが、東雲学園にも恋愛にまつわる伝説がいくつか存在する。
そのうちの一つが、一年時の林間学校最終日に行われるキャンプファイヤで共に踊った男女は結ばれる、というものだ。
何ともありきたりで恥ずかしい伝説だとは思うが、伝説なんて得てしてそういうものだろう。
そもそも雰囲気というスパイスがあるとはいえ、公衆の面前で仲良く踊ろうなどと考える時点ですでに好感度マックスなのだろうから、カップル成立も当然といえば当然な気もするが。
東雲学園では、新しい環境にも多少慣れてきた一年時の夏に、レクリエーションのための林間学校を行うのが通例らしい。日程は二泊三日。その間、都会の喧噪を離れて自然と触れ合いつつ級友と語らうことで、その後の学園生活をより充実させる、という目的があるのだとか。
要するに、泊まりがけの遠足のようなものだ。正直面倒だとは思うが、学校行事なのであれば仕方がない。
逆に言えば、夏休みのまえに学園が遊びに連れて行ってくれるともとれるわけで、そう考えれば夏休みを謳歌するためのカンフル剤的に楽しむのがベターなのではないだろうか。
友だちのいないプロぼっちガチ勢だった中学時代の僕であれば、これはとてつもなく恐ろしい地獄のイベントだと思っていたのだろうが、幸いにして今は多くはないけど少しは友人を持つ身。心の余裕が違いますよ。
まあ、そんな気軽な気持ちでこのイベントに臨んでいた僕なのだけれども──最近なりを潜めていたのですっかり失念していた。
──自分が世界一不幸な人間であるという事実を。
おかげで僕は、またぞろ世界の滅亡を懸けたトラブルに巻き込まれていくことになる……。
「くぅー! 疲れましたあ!」
七月中旬の期末試験最終日。
最後の科目が終了したところで、隣の席の天津風撫子が大きく伸びをして言った。
季節は夏。この一ヶ月で天津風のセーラ服姿もすっかり見慣れたが、伸びをすることで無防備に強調される豊かな胸元はいつだって目の毒だった。
「お疲れ」
僕はさり気なく伸びを止めさせるために声を掛ける。天津風は、姿勢を正して嬉しそうに破顔した。
「お疲れさまです、琥太郎さん。いやあ、こういうみんなで受ける試験って初めてで緊張しましたが、琥太郎さんがずっと隣に居てくださったのでいつもの調子で臨めました。ありがとうございます」
「……いや、僕は別に何もしてないから」
我らが東雲学園には中間試験なるものが存在しないため、この期末試験が実質的な入学後初めての定期試験ということになる。
試験はカンニング防止の観点から、クラスの中で毎回ランダムに座席を変えて行われるが、何故か天津風は毎回僕の隣に座っていた。
故あって天津風撫子は、世界一の幸運を持つラッキーガールなのである。
その激運とも評される幸運を無意識に使用して、毎回くじ引きによる座席決めで僕の隣をピンポイントで引き当てていたようだ。何というか、幸運の無駄遣いが半端ない。
そして天津風と対比するように、僕は世界一不幸な男子高校生を自称しているが、ありがたいことに天津風と絡むようになってからその不幸は随分と落ち着きを見せ始めている。たぶん、天津風の幸運によって僕の不運が相殺されているのだろう。
たとえば、中学時代までの僕ならば、試験の朝なんかは突然目覚まし時計が止まって寝坊するという不幸に見舞われることも多かった。今回も例に漏れず、試験期間中何故か二度も目覚まし時計が仕事を放棄する不幸に見舞われたが、そういうときに限って天津風が気まぐれにモーニングコールをしてくれたために、ギリギリ試験に間に合ったのだった。
いや、本当に天津風様々なのである。
ちなみに天津風、幼少期の病弱が原因で、一般的な学園生活というのは高校が初めてらしい。そのために僕らがこれまで散々苦しめられてきた試験一つとっても必要以上に楽しめるようだ。
「初めての試験の手応えはどんな感じだ?」
「思ったより簡単でしたね。全教科九割以上は固いかと」
「優等生かよ」
「だって、赤点なんか取っちゃったら大切な初めての夏休みが潰れちゃいますから!」
目映いばかりの笑顔を浮かべる。彼女の艶やかな黒髪に昼時の陽光が乱反射して、心なしか後光が差しているようにも見える。
「ちなみに琥太郎さんはどんな感じです?」
「僕は……まあまあかな。たぶん大体八割は取れてると思うけど」
「えっ! 琥太郎さん、お勉強できたのですか!?」
「いやまあ、人並みにはできるけど」
「なんと……! それは失礼しました。学園ラブコメの主人公って大体成績不振なので琥太郎さんもてっきり……」
「僕は学園ラブコメの主人公じゃない!」
天津風、たまにわけのわからないことを言う。
「それより琥太郎さん! 今日からまた部活動解禁ですよ! 久々に皆さんで集まれるの楽しみです!」
試験直前の一週間は、一部例外を除いた全部活動が禁じられる。東雲学園は一応進学校なのである。
「大げさだな……何だかんだ言ってみんな毎日顔を合わせてるだろ」
「それはそうですけど……」天津風は可愛らしく唇を尖らせる。「でも、やっぱり部室で行う〈アオハル・パーティ〉の活動は私の中で特別なんです!」
「ただのお遊びサークルじゃないか……」
「違います! 謎部活です!」
何かこだわりがあるらしい。
「まあ、なんでもいいよ。それより腹減ったから部活まえに何か食わないと」
試験中はずっと午前授業なので、学園に居残るのであれば適当に昼食を摂らなければならない。そう提案すると、天津風は急にまた目を輝かせた。
「でしたら、せっかくですから皆さんでどこか打ち上げに──」
「おーし、仔猫ども! ちょっと話を聞け!」
試験監督の先生と入れ違いに、担任の村雨が教室に現れた。浮き足立っていたみんなは、一旦口を噤んで教卓に目を向ける。
長身の体軀を芋色のジャージに包み、片手に竹刀を引っさげた女教師は、教卓のまえで不敵に笑う。
「まずは試験お疲れさま。みんなはこれで試験からも解放されてのんびりできるのかもしれないが、我々教師陣はこれから地獄の採点が始まってつらいので、目の前でそう嬉しそうにされると腹が立つな」
知らねえよ。あんたそれで飯食ってるんじゃないのか。
「だがまあ、よく学びよく遊ぶのはおまえら学生の本分だ。羽目を外しすぎない程度にやりたいことをやるといい。ただし私に迷惑は掛けないよう傾注しろ」
身勝手なのか優しいのかよくわからないことを言ってから、村雨はさて、と話題を変える。
「夏休みを目前にして浮かれていることだろうが、まだ一学期最後のイベントが残ってるから気を抜かないように。ということで、このホームルームで林間学校の班決めを行う!」
おお、とクラスが沸き立った。そういえば、試験勉強に集中しすぎて林間学校のことをすっかり忘れていた。
「……ねえ、琥太郎さん」喧噪に紛れて天津風が小声で尋ねてくる。「林間学校って何ですか?」
「え、知らなかったの?」
学校大好き天津風が行事を正確に把握していないのは意外だ。
「年間予定表とか見てないのか?」
「あえて見ないようにしているんです。そのほうが、次に何があるかわからなくてワクワクしますから!」
「おまえマジで、全力で青春を謳歌してるのな……」
少し呆れるが、天津風は編入生なので事前の行事説明を受けていないことを思い出した。
「林間学校ってのは、ようするに泊まりがけの遠足みたいなものだな。都会を離れて自然と触れあうことで、情操を育むとか何とか」
「泊まりがけの遠足!」天津風は星屑を散らしたように双眸を輝かせる。「そんなもの、どう考えても素晴らしい青春の一ページじゃないですか!」
「……そうかなあ」
青春お化けの天津風は、たぶん何が起きても全力でそれを楽しむんだと思うけど……一般人の僕からすれば遠足なんて面倒で疲れるだけだ。
「まさかキャンプファイヤとかもやるんですか!」
「──らしいな。まあ、小学生がやるようなキャンプファイヤを囲んでみんなで仲良くフォークダンス、って感じのアレじゃないみたいだけど」
キャンプファイヤで踊ると結ばれる、という伝説の話は伏せておく。だって絶対、天津風は真に受けて僕と踊りたがるだろうから。公衆の面前で踊るなんて絶対に勘弁だ。
僕の不安を余所に、天津風はますますテンションを上げていく。
「でも絶対楽しいです! 琥太郎さん、是非一緒の班になりましょうね!」
「いやまあ、僕は良いけど……」
そんな話をしていたところで、教卓前の村雨は、パンと手を叩く。
「それじゃあ今から五分間で自由に話し合って決めろー。班の構成は六人で。特に希望のない者は、あとでこちらで調整するので適当に時間を潰すように」
中学時代の僕ならばきっと五分間黙ってボーッとしていただろうが、幸いなことに今は班員に心当たりがある。さて、どうしたものかと視線を巡らせて──。
「やほー。お二人さんお元気ー?」
背後から声を掛けられる。振り返るとそこには小学生と見間違えそうなほど小柄な少女──クラス委員長でもある加賀美美玖がニコニコ笑って手を振っていた。
「美玖さん!」感極まったように天津風が抱きつく。「良かったです! 美玖さん人気者なので、もう他の班からお誘いが来ているものかと!」
「あははー、まあ、ちょいちょい声は掛けられてたけどねー。やっぱり天津風さんたちと一緒がいいなって」
抱きつかれながらも、天津風に気づかれないよう、ちらりとこちらに意味深なウィンクを飛ばしてくる。僕は思わず渋面を浮かべた。
加賀美美玖。小学生と見紛うほど幼い容姿でありながら、母性溢れるみんなのママとして絶大な人気を誇るクラスメイトである。
しかして、そのバブみの権化は、世を忍ぶ仮の姿。
真の姿は、二十年後の未来から僕を守るためにやって来たサイボーグなのである!
……いや、僕も何を言っているのかよくわからないのだけど、事実なのだから仕方がない。
「どうしたの、湊くん? 苦虫みたいな顔して」
「……どんな顔だ」
正しくは『苦虫を嚙み潰したよう』。
「何でもないよ。ただ委員長に見張られてたら、満足に羽を伸ばせないなと思っただけだ」
「あはは、風紀は乱しちゃダメだよー」
加賀美は楽しそうに笑う。いや、他人事のように笑ってるけど、最近だとあなた自分で率先して風紀を乱してる風潮あるからね?
内心でため息を吐いたところで、今度は左方から肩を叩かれる。
「やあ、琥太郎くん」
クラス一の爽やかイケメン──八重樫楓だった。
八重樫はいつものように穏やかな微笑を湛えながら、余裕を滲ませて佇んでいる。その代わらぬ所作に僕はどこか安堵を覚える。
「班員、まだ募集してるかな? 良かったら一緒の班にならないかい?」
「待ってたぞ八重樫。どこかの班に先におまえを取られたらどうしようかと思ってたぞ」
「ははっ、それは親友として嬉しい言葉だ」白い歯を煌めかせて八重樫は笑う。
「いや、そうじゃなくてな……」
八重樫楓──少女に見紛うほど愛らしい顔立ちをした爽やかイケメンに見えるが、実際にはただの女の子だ。しかし、その事実を知っているのは今のところ僕だけのようで、それ以外の人間は、彼女の持つ特殊能力によって洗脳を受け、彼女が男であると思い込んでいる。
そのため、泊まりがけでどこかへ行くような場合、他の男子生徒と同班同室になってしまったら秘密がバレる恐れがあるので気を揉んでいた次第だ。
厳密に言うと、秘密がバレること自体ではなく、バレた後の秘密を知ってしまった誰かさんの処遇のほうを心配しているのだけど……。
謎の超能力組織に命を狙われるという不幸な目に遭うのは僕だけで十分なのである。
「〈アオハル・パーティ〉集合ですね! あとはきららさんがいれば完璧なのですが」
「那珂川さんは二年生だしねえ、今回ばかりは仕方ないよ」
残念がる天津風を、加賀美は慰める。
「那珂川さんとは夏休みに改めて旅行でも計画しよっか」
「そうしましょう! さすがは美玖さんです!」
天津風はすぐに機嫌を直したようだ。
こういうさり気ない立ち回りが加賀美は抜群に上手い。人の機微に聡いというか、たぶん性格というか人柄もあるんだろうけど、誰にでも分け隔てなく接することができるので、『ママ』と慕われているのだろう。
「とりあえずこれで四人組ができたことになるけど、あと二人はどうする? 誰かに声掛けてみるか?」
「そうですねえ……」天津風は細くしなやかな指を顎に添えてわずかに俯く。「少し、うちの班にどなたが入っていただけないか聞いて回りましょうか。先生にお任せするのも良いですが、こういうのは自主的に参加していただいたほうが良いと思って」
少しセンシティブな問題ではあるが、天津風の言うことも一理ある。
こういう人数上限が決まっている集団の形成時は、必ずそれにあぶれるものが出てくる。
一つは普段から上限以上の人数でつるんでいるために、あぶれたもの。
そしてもう一つは、そもそも友だちがいないもの。
僕は元々後者側の人間であったため、その屈辱や挫折感は痛いほどわかるが、そういうときに声を掛けてくれる人間というのは、正直ありがたいものだ。
無論感じ方に個人差はあるだろうが、その後数合わせのために、他の班へ無理矢理補充されて迷惑がられるよりは、少なくとも表面上好意的に接してくれる人と同じ班になったほうが精神的に楽であることは間違いない。
最大の問題は、この班のメンツのキャラが濃すぎて、新しく入る二人が胃もたれを起こさないかということだが……こればかりは仕方がない。
「わかった。じゃあ、僕らは男子を一人見繕ってくるから、そっちは女子を頼む」
「はい、任されました!」
可愛らしく下手な敬礼をして、天津風は加賀美を伴って机を離れていく。
「班員を見繕うのはいいけど、当てはあるのかい?」八重樫は首を傾げる。
「ない」僕は即答する。「おまえに任せる」
「丸投げじゃないか……」
「バカ野郎。おまえは忘れてると思うが、僕は元々超受け身型の人間だ。おまえのほうから積極的に声を掛けてきてくれたからおまえとは友だちになれたが、そうじゃなきゃ僕は未だにプロぼっちだったはずだ」
「そんな胸を張って言うほどのことじゃないだろう……」
呆れたように半眼を向けてくるが、八重樫はすぐにため息を吐いて苦笑を浮かべた。
「まあでも、こういう状況できみが気軽に声を掛けて回れるような人間じゃないからこそ、僕はきみだけの親友になれたわけだしね」
ほっとけ。
「じゃあ、ここは僕に任せてもらおうかな」
頼りがいを見せてそう言うと、八重樫は教室を一望する。
「琥太郎くん、あの子はどうかな?」
八重樫の視線の先を追う。そこには、この喧噪の中でも我関せずとばかりに本を読んでいる小柄な男子生徒がいた。
確か名前は──赤城祐だったか。いつも教室の隅でひっそりと存在感を消している大人しいやつだ。目元を隠すように伸ばしたボサボサの髪と野暮ったい黒縁眼鏡が特徴的な落ち着いた印象の少年。
誰かと会話しているところを見たことがないし、僕自身も話したことはないが……クセが強くなさそうなので僕としてもありがたいし、もしかしたらこの機に仲良くなれるかもしれない。
頷いてみせると、八重樫は爽やかな笑みを浮かべながら赤城に近づいていく。
「やあ、赤城くん。林間学校の班だけど、もう決まっちゃってるかな? もしまだだったら、きみが良ければで構わないんだけど、僕らの班に来ないかい?」
一拍遅れて赤城は本から顔を上げる。目元が隠れているので表情は窺えないが、どこか驚いているようにも見える。まさかこの状況で自分に話しかけてくる人間がいるとは思っていなかった、という感じだ。
「ああ、突然ごめんね」赤城の驚きを察したように八重樫は笑顔のままフォローする。「僕は八重樫、こっちは湊くんだ。話したこともないのに急に声を掛けてしまって驚いたよね。気が進まないようなら断ってくれて全然構わないんだけど、どうかな?」
しばしの沈黙。
わかる、わかるぞ赤城くん。
突然陽キャに話しかけられて言葉が出ないきみの気持ちが!
僕はかつてないほどこの赤城祐という少年に共感を寄せる。
そして赤城くんは、両拳を握りぷるぷると震わせながら──口の端を吊り上げて笑った。
「僥倖っ! これは何という僥倖か! まさかクラス一のイケメンであるところの八重樫氏にお声掛けいただけるとはっ! 自分のようなクソキモオタクを気に掛けてくれるなんて、やはり漫画やアニメによくある実はイケメンは心も綺麗説は正しかったのですなっ!」
「…………」
「…………」
八重樫と僕、絶句。
何というか──キャラ濃ッ!
数秒まえに色々と気を揉んでいた自分を殴りつけてやりたい気持ち。こんなん、コイツ一人で僕が胃もたれを起こすわ……。
八重樫の後ろで辟易する僕だったが、そこでようやく赤城は僕にも気づいたようで、眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。
「おや、これはこれは湊氏っ! なるほど、これは湊氏の小粋な計らいなのですなっ! いやあ、常々湊氏には密かにシンパシィを感じていたのですが、陽の者のグループに君臨していながらも、陰の者への気配りも忘れないとは──。感服いたしましたっ! これからは湊氏のことを、陰の者の王──すなわち〈陰王〉として敬っていくことをここに誓いましょうぞっ!」
「……いや、マジでやめてほしい」
マジ懇願だった。あと「っ!」の連用で圧が凄いんだよ……。
八重樫と顔を見合わせるが、いつも澄ました微笑を浮かべている彼女には珍しく、何とも言えない表情をしている。人選ミスを悔いているのかもしれないが……今さらやっぱなしでとも言えない。
それに変わってはいるが、悪いヤツではなさそうだ。こういう機会でもなければ、たぶん関わり合いになることもなかっただろうし、これも縁と思って歩み寄ってみよう。
「──まあ、とにかくよろしくな、赤城くん。今、他の班員も紹介するよ。あとできればもう少し抑えめに話してくれると鼓膜的にも助かる」
「おおっ! それは失敬っ! ……コホン、あー、あー、こんなものでしょうか。なにぶん普段人と会話することがない故、声量コントロールが苦手なもので。しかし、湊氏の班員ということは、やはり天津風嬢とママ委員長でしょうか。いやあ、正直この林間学校には、一切の期待をしていなかったのですが、俄然楽しくなってきましたなっ! むっ! 決して美少女とお近づきになれることで喜んでいるわけではなく、あくまでも空気感に喜んでいるだけなので、そこは誤解なきようっ!」
「……少し落ち着け?」
一応窘めてから、不安に思いつつも天津風たちの元へ寄っていく。天津風は箱入り娘ガチ勢だから、赤城の衝撃的なキャラクタに心臓マヒとか起こさないだろうか……。
天津風の機嫌を損ねるだけで、割と世界に対して甚大な影響を及ぼすため注意が必要だ。
肝心の天津風は、別の女生徒と会話をしているところだった。彼女が新しい班員なのだろうか。金髪に長身の派手な印象の女子──確か、能美というクラスでもかなり目立っているギャルだ。会話が聞こえるところまで近寄っていくと──。
「しこっちに声掛けてもらえるなんてチョベリグって感じぃ。マジ地獄に仏っていうか、大海で浮木っていうかぁ。あーしのグループいつも女四人で、あーしはジャン負けしちゃったんよぉ。マジチョバチョブって感じぃ。だから、いっそ林間学校フケてやろうかとも思ってたんだけど……しこっちと美玖ママの班なら楽しめそうかもぉ! ハッピーうれピーよろピくね☆」
「…………」
「…………」
八重樫と僕、思わず足を止めて絶句。
今すぐ何も見なかったことにして、この場を逃げ出そうかとも思い始めたところで、天津風は目敏く僕に気づいて笑顔で手を振ってきた。
「あ、琥太郎さん。能美さんが一緒の班になってくださるそうです。良かったです!」
良かったって……ホントに良かったのか、それ?
どう贔屓目に見ても、天津風や加賀美とは正反対のキャラだよ?
女子ってそういうの男子以上に気にするものなんじゃないの?
様々な疑問が脳裏を過るが、それらを言葉として発するよりも早く、能美はこちらを見やる。
「あ、コタっちと楓っちもよろー。知ってるかもだけど、あーしは能美天里沙っしょ。コタっちはともかく、楓っちとおな班なんてマジ眼福上人っていうか。つか、楓っち確か今フリーなんしょ? 良かったらこの機にあーしと付き合ってみたりしない?」
「あ、あはは、遠慮しておこうかな……」
珍しくいつもクールな八重樫が押され気味だ。
というか、急遽募った追加メンバーが二人とも、〈アオハル・パーティ〉の誰よりもキャラ濃いのは一体全体どういうことなのか。この世界どうなってんだよ。あと誰だよ眼福上人。
瞬時に複数パターンの突っ込みが思い浮かぶが、結局すべてを飲み込んで僕は話を進める。
「──僕らのほうも無事決まったよ。こちら赤城くん。少し変わってるが、悪気のない変人だ」
僕の背中で様子を窺っていた赤城を天津風たちに紹介する。
「湊氏、その紹介はあんまりなのではっ!」赤城は律儀に突っ込んだ後、背後から顔を出す。「自分、赤城祐、十六歳ですっ! 趣味は漫画、アニメ鑑賞ですっ! 好きな漫画は『最強伝説黒沢』ですっ! 天津風嬢と加賀美嬢のことはいつも遠くから拝見させていただいておりましたっ! こんなキモオタのカス虫で良ければ、お見知りおきいただければ嬉しいですっ!」
「……漫画の趣味渋いな」
一応突っ込んでおく。幸いなことに天津風は、赤城のキャラを特に気にしたふうでもなく、いつものように穏やかに応じた。
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね、赤城さん。私も漫画やアニメは好きなので、仲良くしてくれると嬉しいです」
こいつ、メンタルお化けか。
まあ、卒倒することも視野に入れていたくらいなので、むしろ何事もなくて良かったと安堵すべきかもしれない。
ひとまず何とかなりそうな状況に胸をなで下ろしていたところで──。
「……キモオタと同じ班とかマジあり得ないっていうか、ホワイトキックなんだけどー」
まさかの能美から不平が上がる。おい、空気読めよギャル!
「あーし、オタクって世界で一番嫌いなんだよね。キモいし臭いし頭おかしいし。はー、せっかくの楽しい旅行が台無しだわー」
これ見よがしにため息を吐く能美。さすがにそれは言い過ぎだろう、と注意するために口を開きかけるが、それより早く意外にも赤城が応じた。
「──笑止っ! やはりギャルという生き物は語彙が貧困で辟易しますなっ! オランウータンのほうがまだ思慮深いのでは? 第一、その金髪とピアスは何事ですかっ。親からもらった身体を魔改造してはしたない。いや、これは失敬。ビッチに常識や慎みを説いても無意味ですな。さあ、さっさと尻尾を巻いて逃げてパパ活にでも勤しむが良いっ!」

いや赤城くんさすがにそれは言い過ぎだよ……。正直ドン引きしちゃったよ……。
言葉を失う僕らの前で、二人の口論は白熱していく。
「はぁー! 意味わかんないし! 出たよオタクの決めつけ! ギャルイコールビッチとか、キモすぎて吐くんだけど! マジ童貞の妄想って害悪細菌! アンタこそさっさと逃げ帰って、紙の女の子に欲情してなさいよ!」
「童貞も守れない男に何が守れるというのかっ! あと自分は紙ではなくデジタル派だっ!」
「同じよ!」
「全然違うわっ! そんなこともわからないなんて、やはり脳に行くべき栄養が全部背と胸に行ってしまったのですなっ!」
「あんたこそ、引きこもって画面ばっか見てるから、背も伸びないし目も悪いんでしょ!」
「おおお、落ち着け二人とも……?」
さすがに割って入る。あまりにも二人の口論は不毛に過ぎる。
「とにかく決まったものは仕方ないだろう。ここは天津風や八重樫を立てて引いてくれ。な?」
逆撫でしないようにあくまで平身低頭に願い出ると、二人は急に気まずそうに視線を逸らす。
「ま、まあ、湊氏が言うなら……その、空気を悪くして申し訳ない……」
「あ、あーしも、その、ちょっと言い過ぎたかも……。しこっちごめんね、あーしそういうつもりじゃ……」
「い、いえ、良いのですよ」突然の口論に戸惑いを見せながらも天津風はいつもの調子で微笑む。「意見をぶつけ合うのは、青春の醍醐味です。でも、不当に相手を貶めることを言ってはいけませんよ、二人とも」
めっ、と𠮟るように天津風は結ぶ。赤城も能美も居心地が悪そうにこくりと頷いた。
何とか場は収まり、一旦散会となったが……そこで僕はようやく違和感を覚える。
こういうときは、いつもいの一番に加賀美が割って入って、世話焼きの本領を発揮するはずなのに今日の加賀美は妙に大人しい。というか、先ほどから一言も言葉を発していないような気もする。
気になって加賀美の様子を窺ってみると、彼女は何とも言えない複雑な表情で俯いていた。
具合でも悪いのだろうか……?
もしかしたらオタクとギャルが苦手なのかもしれない──このときはそれくらいの感想しか持たなかったが、やがてこの一件は、世界を崩壊へと導くほどの大事になっていく。
当然のことながら、この時点での僕にそんな意味不明な未来を予見できるはずもなく、僕はまたぞろ、不幸にも理不尽な運命に翻弄されていくのだった──。
「何それずるい! 私も行きたい行きたい行きたーい!」
我らが〈アオハル・パーティ〉の部室で昼食を摂りながら、那珂川きららさんはまるで子どものように駄々をこねた。
ついうっかり林間学校の話題を出してしまったのは失敗だった。
「まあ、一年の行事なんでこればかりは仕方ないですね。那珂川さんも去年行ったでしょう?」
「私、年度末からの編入だから行ってないよ!」
大人っぽい外見に反して、那珂川さんは子どものように頰を膨らませる。
「私もコタくんたちと青春ごっこしたーい! はっ! 学年主任の先生を色仕掛けで落とせばワンチャン……?」
「ワンチャンないんで、今回は諦めてください」
この人、割と目的のためなら手段を選ばないよな……。放っておくと危険なタイプ。
「お土産買ってきますから我慢してください。あと夏休みみんなで旅行に行きましょう」
「コタくん大好き!」
有無を言わさず抱きついてくる。豊満な胸を押しつけられて冷静さを失いかけるが、平静を装って話題を変える。
「那珂川さん、夏休みの予定は? チア部は野球部の応援だったりで忙しいのでは?」
「ん? ああ、だいじょぶだいじょぶ。チアのほうは、一学期でもう辞めるから」
「えっ、辞めちゃうんですか!?」
途端に驚いたように天津風が身を乗り出す。那珂川さんは僕から離れて答えた。
「ええ。元々暇つぶしに始めたものだしね。たまに助っ人で呼び出されるかもだけど、基本的にはもうフリーよ。だから、これからは〈アオハル・パーティ〉の活動に集中していくつもり」
那珂川さんは、チアリーディング部のエースとして有名で、学園中の男子生徒から絶大な人気を集めているすごいお方だ。だから、今後那珂川さんの際どいチア衣装を見られないとなったら、学園中の男子生徒が暴徒化しないか心配ですらある。
「でも、勿体ないな。那珂川さんのチア、見ててすごく綺麗だから好きだったのに」
「あら、ありがと八重樫きゅん」那珂川さんは投げキッスを飛ばす。「でもいいの。私はコタくんにだけ見てもらえればそれでいいから」
「あはは、相変わらずモテモテだね、琥太郎くん」
他人事のように八重樫は笑う。
那珂川さんは、ゆるふわ系のエッチな巨乳美女である。学園のアイドルとして、ファンクラブを持つほどの絶大な人気を誇っているが、非常に残念なことにそれもまた世を忍ぶ仮の姿。
彼女の正体は、加賀美と同様に二十年後からやって来た未来人なのである。未来からやって来た理由が加賀美とは異なっており、そのせいで少し悶着はあったのだが、今は訳あって、僕を惚れさせるためにあの手この手を尽くしてちょっかいを掛けてきている次第。
那珂川さんのようなセクシィダイナマイト美女に構われるのは、正直嬉しくないと言ったら噓になるのだけど、事情が事情だけに少し複雑な心境なのだった。
「……琥太郎さん、鼻の下伸びてますよ」
「──ははっ。天津風さん、ご冗談を」
珍しく拗ねたように唇を尖らせる天津風を、僕は軽く受け流す。彼女のご機嫌を損ねると世界が崩壊しかねないので注意が必要だ。いや、マジで。
「まあ、夏休みの予定は追々決めるとして、目下最大の問題は林間学校だろう」僕は話題を戻す。「本当に赤城と能美を班員にするのか? 今ならたぶん、村雨先生に事情を話せば変更を認めてくれると思うぞ」
「うーん……難しいところだよね」八重樫は眉を寄せて腕を組む。「僕らは良いとしても、あの二人が十分に楽しめないかもしれないのは問題だよね。誰にでも苦手なタイプの一つや二つあるものだし、別に無理をしてまで二人が歩み寄る必要はないと思うけど」
「意外とドライだな」
「ただの適材適所さ。林間学校なんてほとんど遊びみたいなものなんだし、楽しめるに越したことはないだろう。それに、二人がケンカをする度に仲裁しないといけないなら、それは僕らが楽しむための足枷にもなる」
八重樫は痛いところを突いてくる。確かにそれもまた僕が危惧していることではある。
あくまでも僕の一番の目的は、天津風がこの林間学校を十全に楽しむことであって、正直クラスメイトの仲違いなどどうでも良いとさえ言える。そんな面倒事に巻き込まれるくらいであれば、二人を傷つけるかもしれないがいっそ班員を変えるというのも選択肢の一つだろう。
「そう──ですね」
天津風は、食事途中の箸をテーブルに戻して不安げに瞳を揺らした。
「できれば私は、皆さんに笑って過ごしてほしいです。琥太郎さんたちはもちろんですが……能美さんたちにも。でも、ここで班を変えてしまったら、たぶん私はこの林間学校を心の底から楽しめなくなってしまうと思うのです。だから、皆さんさえ良ければ、このままの班で様子を見るわけにはいかないでしょうか……?」
そんな捨てられた仔犬のような目をされたら、断れるはずがない。
「……いいよ。僕は天津風の決定に従うよ」
「琥太郎さん……!」
「二人にも何か事情があるのかもしれないしな。一旦様子を見て、それでもケンカするようだったらまたそのときに対策を考えよう。それで良いか?」
「はい、もちろんです!」天津風は双眸を輝かせて尊敬に満ちた視線を向けてくる。
「僕もいいよ。琥太郎くんが決めたことなら、全力で応えるとしようか」
「……常々思ってたんだけど、八重樫きゅんやっぱりコタくんのこと好きすぎよね。アレかしら? こた×かえの噂は本当だった……?」
何やら真剣に悩み始める那珂川さんを無視して、僕は加賀美に向き直る。
「委員長もそれで良いか?」
尋ねるが返事はない。加賀美は僕の話など聞いていなかったかのように、心ここにあらずといった様子でボーッとしている。昼食に買ったのか、手に持った焼きそばパンも剝き出しのまま口も付けていないようだ。やはりどこか様子がおかしい。
「あの、美玖さん? やはりお加減が優れないのですか?」
「──へ?」
そこでようやく気づいたように加賀美は僕らを見やる。それから、慌てたように言い繕う。
「ああ、ごめんね、少しボーッとしちゃってたよ。ええと、林間学校の班の話だよね。うん、私もそれで良いと思うよ。さすがは天津風さん、名伯楽ぶりを今回も遺憾なく発揮してきたね」
いつもと違う調子に、天津風は心配そうに顔を寄せる。
「本当に大丈夫ですか? もしかして、能美さんか赤城さんのどちらが苦手とか……?」
「そ、そんなことないよ! 二人ともすごく真面目な良い子だと思うよ!」
いや、真面目ではないだろう。
「それに仲違いをしてるなら、クラス委員長としても放っておけないしね!」
「そう、ですか……? それなら良いのですが」
まだ少し心配そうに、天津風は姿勢を正した。
「でも、美玖さん。本当にお加減は大丈夫なのですか? 顔色もあまり良くないようですが」
「あれじゃない? 試験疲れじゃない?」那珂川さんが助け船を出す。「私も昨日は結構遅くまで勉強してたから、寝不足で少しつらいわ」
「なるほど。心なしかきららさんの毛穴が開いて見えたのはそのためですか」
「開いてないわ! 今日も朝から赤ちゃんのようにキメの細かい卵肌だわ!」
見せつけるように、那珂川さんは天津風に頰ずりをする。「あはは、すべすべでくすぐったいですー」と天津風は楽しそうだ。
まあ、仲睦まじい二人は放っておいて、加賀美のことは僕も少し心配だ。
「なあ、食欲もないみたいだし、今日はもう帰ったほうがいいんじゃないか?」
「ん……」逡巡するように視線を彷徨わせてから、加賀美はジッと僕を見上げて答えた。「そう、だね。試験勉強で少し疲れちゃったのかも」
(──ねえ、湊くん)
「うおっ!?」
突然脳内に声が響いたものだから、僕は驚いて声を上げてしまった。何事かと不思議そうな顔をする天津風たちだったが、僕は咳払いをして、なんでもない、と告げる。
久々のことだったのですっかり忘れていたが、僕は加賀美に導入された未来の秘密道具のせいで、加賀美とだけ近距離のみの思念通話ができるのだった。
(驚かせちゃってごめんね)
(いや、こっちこそバカみたいに驚いてすまない。やっぱり具合、良くないのか?)
(うん、まあ、本調子ではない、かも)
どうにも歯切れが悪い。しかし、わざわざ通信を開いてきたということは僕に何か用でもあるのだろうか。
(ねえ、湊くん。もし良かったら、これから私を家まで送ってくれないかな)
(それは別に良いけど……それ、わざわざ通信開いて言うことか?)
(湊くんは相変わらず乙女心のわからないクソ男だなあ)
(辛辣が過ぎる!)
まあ、確かに加賀美の具合が悪いのは事実みたいだし、このまま一人で家に帰すのも不安なのは事実だ。帰り支度を進める加賀美に僕は声を掛ける。
「──そんなにふらふらで大丈夫かよ。家まで送っていくよ」
「え、いいよう。そんなことしたら湊くん、送り狼さんになっちゃう」
「ならねえよ! わりと普通に心配してやってんだよ!」
自分から提案しておいて断るってなんだよ。乙女心マジ意味不明すぎる。
僕は食べ掛けていたコロッケパンを一口で飲み込むと、手早く帰り支度を整えて立ち上がる。
「じゃあ、今日は飯食って解散ってことで良いな。今日はみんなさっさと帰ってゆっくりして、また明日から色々遊ぼうぜ」
「そう、ですね」天津風は渋々頷いた。「では、私もご一緒しますのでお昼ごはん食べ終わるまであと少しだけお待ちください。車で帰ったほうが美玖さんも楽でしょう」
天津風はものすごいお金持ちなので、電話一本で即座に自家用リムジンを手配できるのである。せっかくなのでご相伴に与りたい気持ちもあったが、加賀美が僕だけに声を掛けてきたということはきっと何か事情があってのことなのだろうと当たりをつけ、やんわりとその提案を断る。
「いや、良いよ、気にするな。委員長ものんびり歩いて帰ったほうがかえって気分転換になるだろうし」
「そう……ですか」
天津風は残念そうだ。加賀美は慌てたように言い繕う。
「天津風さん、湊くん借りちゃってごめんね……! この埋め合わせは必ずさせるから!」
いや、僕が埋め合わせするんかい。
勝手に予定を決められて困惑するが、これくらい言わないと天津風も納得しないだろうと思ったので黙っておく。
僕と加賀美は一足先に部室を出た。
「委員長、荷物持つよ」
「あれ、湊くん意外と紳士だね」
「……やっぱやめるわ」
「あはは、ごめんごめん。じゃあちょっとお願いしようかな」
加賀美のバッグを持ってやる。試験期間中ということもありバッグは軽い。
「そういうのをさり気なくされると、女の子はきゅんとしちゃうから、天津風さん以外にはあまりやらないほうがいいよ。もしかしたら私も好きになっちゃうかもしれないでしょ」
「……勘弁してくれ」
現時点でも滅茶苦茶面倒な状況になってるのに、これ以上複雑にしないでほしい。
それから何故か妙に重たい沈黙を纏ったまま帰路に就く。加賀美のマンションは、東雲学園都市内でも有数の高級住宅エリアに位置している。ハッキリ言って僕のような庶民が気軽に近づいて良い場所ではないのだが、こればかりは仕方がない。
というか加賀美はどういった経緯で、億ションの最上階の部屋に居ついているのか。気にはなったが、たぶん絶対まともな方法ではないと思うので気にしない振りをしておく。
無事、何事もなくマンション前に到着した。早々に別れを切り出そうとしたところで、
「──ちょっとお茶でも飲んでいかない?」
わざわざ部屋に誘う、ということはやはり何か話があるのか。断るわけにもいかず、止むなくご相伴に与ることを決める。
以前にもちらりと目にしたエントランス前の屈強なガードマンに会釈をして、僕らは部屋へ向かう。
「上がって上がってー」
促されるまま僕は加賀美の部屋に上がり込む。前回もそうだったが、クラスメイトの、しかも一人暮らしをしている女の子の部屋に上がり込むというのは、異様に緊張する。
別に変な下心を持っているわけではなく、また変な期待をしているわけでもないのだが、これまでの人生でそういったものと無縁だったのだから仕方がない。
長い廊下を進み、やたらと広いリビングへ通される。何故かとても良い匂いがした。
「座って待っててね。今お茶淹れるから」
前回同様、ソファの隅に小さくなって座り、僕はひたすら時間が経過するのを待つ。
まえに来たときは、この状況で加賀美が未来人であることを告げられたのだった。
あのときは正直話半分に聞いていたが、その後あんな大騒ぎにまで発展してしまったために、いつの間にか僕も加賀美の言葉を鵜吞みにせざるを得なくなったのだった……。
少しだけまえのことを何だか遠い過去のように懐かしんでいたところで、トレイにティーセットを載せた加賀美がやって来た。一切の遠慮を見せず、僕のすぐ隣に腰を下ろす。
「お待たせー。ささ、熱いうちに飲んでー」
「……うん」
今の僕はもはやまな板の上の鯉状態なのである。この家の絶対的支配者である加賀美の言葉には唯々諾々と従うしかない。
味もよくわからない熱い紅茶を飲み下すと、ようやく加賀美が口火を切る。
「……ごめんね、急にこんなところに連れ込んだりして」
「まあ……慣れてるし」
「あはは、湊くんはプレイボーイだ」
「過去二回のうち、一回はおまえだ!」
ちなみにあと一回は天津風。あれはあれで大変でしたわ……。
「ごめんごめん、ちょっといじりすぎちゃったね」
加賀美は力なく笑ってから、一度ため息を吐いた。
「……まあ、体調が優れないっていうのはホント。少し身体が重たいくらいだけどね。たぶん那珂川さんが言ってたとおりただの試験疲れなんだと思うけど……それより今日は、湊くんに聞いてもらいたいお話があるんだ」
やっと本題へ入るらしい。僕は姿勢を正すが、それでも前回ほどの驚きはないだろうと内心思う。
というか、クラスメイトの女の子が実は未来から来たサイボーグでした、なんて衝撃の告白を超えるほうが難しい。
だから僕は暢気に紅茶を啜りながら続きを聞く。
「赤城くんと能美さんのことなんだけど────実はあの二人、私の両親なんだ」
「ブフゥ───ッ!?」
盛大に紅茶を噴き出した。
「……すまない。ちょっとあまりにも予想外だったもんで」
加賀美が持ってきてくれたタオルであちこちを拭き、ようやく落ち着いたところで話を戻す。
「──で、なんだって? 赤城と能美が両親? どういうことなの……まさかドッキリ?」
「それは前回やったでしょう」加賀美は呆れ気味だ。「そのままの意味だよ。赤城くんは私のお父さん。能美さんは私のお母さんなの」
「だ、だって、委員長とは苗字が……?」
「両親とクラスメイトになるってわかってるのに、バカ正直に本名を名乗るわけないでしょう。『加賀美』は偽名だよ。ちょっと両親の苗字をもじってね。本名は赤城美玖」
相変わらず加賀美の突然の告白は、情報が混雑しすぎて理解が遠い。
「ま、待て……情報を少し整理させてくれ。あの二人がおまえの両親だというのは、まあ、信じがたいけどとりあえず受け入れよう。で、おまえは二十年後の未来からこの時代にやって来た。そしておまえは今十六歳を自称している。……つまり、あと四年後におまえが生まれるってことで良いのか?」
「うん、合ってるよ。二人は学生結婚したんだって」
……あの水と油のようなオタク少年とギャルが?
衝撃の事実すぎてにわかに信じがたい。
「その……言っちゃ悪いけど、委員長と全然似てなくない?」
「……それは、うん。私もそう思う」
複雑そうな顔で加賀美は俯く。
たまに奇天烈な発言で僕を驚かせることはあるけど、基本的に加賀美は真面目な女の子だ。
対して赤城はキレッキレのオタクだし、能美に至っては何かよくわからないギャルだ。ついでに能美は長身で巨乳だし、色々小さい加賀美とは驚くほど共通点がない。
「……でも、それでも二人とも私の大切な両親なの。私の時代ではもう、死んじゃったけど」
「────」
そうだった。加賀美は未来で色々つらい思いをしたために、その歴史を変えるためにこの時代へやって来ていたのだ。ならば、亡くなってしまった両親との再会は嬉しいはずだけど……。
「……ちなみに、おまえの知ってる両親って、あんな感じの二人だったの?」
加賀美はすごい勢いで首を横に振った。
「全然違くて、だからビックリしてる。再会を素直に喜べないレベルで」
「……そうなのか」
「お父さんも、お母さんも、穏やかで物静かで、私、怒鳴られたこともないくらいで……」
「……実は別人とか?」
「いや、どっちも面影はあるからやっぱり本人なんだと思う。だからその、私、どう接して良いかわからなくて……」
確かに高校生の頃の両親なんて、どう接して良いかわからないだろう。まして自分が知ってる両親とは別人と思えるくらい頭のネジが外れているのだから尚更だ。
しかし、そのおかげで疑問が一つ解決した。僕みたいなちょっと遅刻が多いだけのクラスメイトも問題児扱いして何かと世話を焼きたがる加賀美が、あんな明らかに平均を逸脱した二人をこれまで放置してきた理由──。
それは彼女の戸惑いと気恥ずかしさに起因するものだったか。
「──それで?」僕は改めて淹れてもらった紅茶を一度啜り話を戻す。「あの二人が委員長の両親だってのはわかったけど、それを僕に伝えてどうしたいんだ?」
「……二人の仲を取り持ってもらいたいの」
加賀美は密着するほどこちらに身を寄せてきて、不安げな瞳で僕を見上げた。
「……少なくとも私が知る限り、これまで二人に接点はなかった。だから、今回の林間学校が切っ掛けで二人は互いに惹かれ合うんだと思うの。でも……どう贔屓目に見ても、今の状況じゃそういう雰囲気にはならなさそうでしょ? だから、湊くんにも二人をくっつけるための協力をしてもらいたいの。もちろん私も全力で頑張るから……!」
「ちょ、ちょっと待て! 何だって僕がそんな面倒なことを」
僕の使命は、天津風が十全に青春を満喫できるよう彼女をサポートすることだ。それ以外のことに拘っている暇もなければ余裕もないことは加賀美が一番よく知ってるはずだろうに。
そう言うと、加賀美は切なげに顔を伏せた。
「……だって、そうしないと、私が生まれなくなっちゃうかもしれないから」
「──っ」
その可能性は考慮していなかった。
未来が変わること、それ自体は別に構わないのだ。そもそも加賀美は未来を変えるためにこの時代へ来ているのだから。問題は歴史が変わり、加賀美が生まれなくなってしまったら、存在しないはずの加賀美が今この時空に存在してしまうという矛盾を生じてしまうことだ。
以前の加賀美の説明によると、そう言った本来はあり得ないパラドクスは、時空連続体に連鎖的に作用し、最終的にはこの宇宙そのものを消失させてしまう恐れがあるとかなんとか。
「おまえの家族の問題で宇宙がヤバい!」
「……要約するとそんなところかな」加賀美は改めて僕を見上げた。「お願い! こんなこと湊くんにしか頼めないの!」
「……まあ、そりゃそうだろうけど」
とりあえず距離が近すぎたので、加賀美の両肩に手を添えてそっと身体を離す。
「天津風のサポートのついでで良ければ、協力してやるけど……あんまり期待はするなよ」
「本当! 嬉しい!」加賀美は子どものように目を輝かせて僕の手を握る。「ありがとう! やっぱり湊くんは頼りになるね! もし、何か私にしてほしいことがあったらいつでも言ってね! お礼に何でもしてあげる!」
「……遠慮しておくよ」
丁重にお断りさせていただいた。何か後が怖そう。
「それより、赤城と能美のことだけど……。本当に今の状態から林間学校くらいで仲が深まるのか? 何か二人の馴れ初め的な話は聞いてないのか?」
「……ごめん。あまり詳しいことは。でも、天津風博士からは、ちょっと聞いてるよ!」
天津風博士──とある事情により歴史を変えるためにタイムトラベル理論を生み出した二十年後の天津風のことだ。そうだ、天津風もクラスメイトなのだから、赤城たちのことはよく知っているはずだ。これから二人がどうなるのかも。
「なんて言ってるんだ?」
「──二人はキャンプファイヤで踊ったって」
「……キャンプファイヤ?」
一年時の林間学校最後の夜に行われるキャンプファイヤで踊った二人は結ばれるとか何とか、そんな話だったか。
「詳細はわからないけど、少なくとも二人がキャンプファイヤの周りで踊ったことは事実みたいだね。だからとにかくその事実をトレースする必要はあると思う」
「……つまり、どうにかして二人をキャンプファイヤで踊らせると?」
「──うん。とりあえず、当面の目標はそれだね」加賀美は胸の前で拳を固めて頷いた。「だから私たちは、それまでに二人がキャンプファイヤを踊りたくなるよう、下準備を進めるって感じかな」
正直、何をどうすればあの二人がキャンプファイヤの周りで小粋に踊り出したくなるのか、まるで見当もつかないが、加賀美の未来が懸かっているのであれば、是が非でも頑張らなければならない。
また当てのない無謀な挑戦に言い知れぬ不安を覚えながら──僕はそれらを熱い紅茶で胃袋の奥へ流し込むのだった。
「──〈陰王〉よ、少しお話をよろしいでしょうか?」
翌日の休憩時間──僕はトイレ帰りに一人で廊下を歩いていたところ背後から声を掛けられた。足を止めて振り返る。
「……その呼び方を今すぐ止めるなら聞いてやる」
「これは失敬。やはり陰の王たる者、下々の者に気安く呼び掛けられたらご気分を害されるのですなっ!」
視線の先に立っていた赤城は、訳知り顔でニヤけた。
「違う、そうじゃない……」
「このような場でも慎み深いとは恐れ入ります……っ! やはり湊氏は王の器なのですなっ!」
ダメだ、言葉が通じねえ……!
「……で、話ってなによ?」僕は諦めて先を促す。
「おお、そうでした。実はその、湊氏に少しご教示いただきたいことがあって……」
「改まってどうした?」
言いにくそうにもじもじとする赤城を見下ろして僕は眉を寄せる。しかし、こうして並んで立つと赤城が男子にしてはだいぶ小柄なことに気づく。たぶん八重樫よりも少し背が低いと思う。そういう意味では加賀美と似ているとも言えるが、それだけを判断材料にするのは少し乱暴な気もする。
赤城は意を決したように、前髪で目元の隠れた顔で僕を見上げて言う。
「その、湊氏は天津風嬢とお付き合いされているのですかな……?」
「……っ」
予想外の問いに僕は一瞬顔をしかめる。正直言うと、天津風と僕の関係が噂になっていることは知っている。天津風が僕に好意を向けてくれていることも伝聞ながら理解している。
また僕が天津風に好意を抱いていることも事実だ。
でも──互いにそれを確かめ合ったわけではない。
だから、いつも一緒にいるが、決して付き合っているわけではないのである。
「……想像に任せるよ」
しかし、本当のことを告げるのは何だか癪だったので、僕は曖昧に誤魔化す。
「まあ、少なくとも嫌われてるわけではないのは間違いないと思うよ」
「さすがは湊氏。答えに強者の余裕が見えますなっ!」尊敬したように赤城は言う。「では、学園のアイドル那珂川先輩がセフレというのは?」
「それは完全なデマだ!」
そんな噂流れてんのかよ! 怖すぎだわ! マジでファンに闇討ちされかねないわ!
「しかし、聞くところによると、那珂川先輩自身がそのようなことをほのめかしておられるとか……」
あの人、外堀から埋める気だ!?
「赤城くん、次にそういう噂を聞いたら全力で否定してくれ。あの人は適当なことを言って周囲の反応を楽しむ悪癖があるんだ。僕が那珂川さんのファンクラブが定めた〈紳士協定〉を破るはずないだろう? 僕はあの人に指一本触れていないから信じてほしい」
紳士協定、というのは、東雲学園の男たちに課せられた不可侵の制約と誓約である。これを破ると、問答無用で天罰が下るとか下らないとか……。まあ、指一本触れてないというのは噓だけど。
「しかし、どれだけ男に言い寄られても一切興味を示さないあの那珂川先輩が、湊氏とだけは仲良くしているのは事実なのでは?」
「それは……まあ、うん。事実だと思う」
さすがにあちこちで目撃されている以上、否定できない。あの人、マジでそろそろ自分の影響力とか理解したほうがいいと思う。いや、理解した上でアレなのかもしれないけど……。
「それは重畳……っ!」何故か赤城は嬉しそうに息を吐く。「実はそんな女人にモテモテの湊氏に、折り入って相談があるのです」
「相談?」
「その……こ、恋の相談なのですが……」
「恋っ!? マジでっ!?」僕は飛びつく。「どういうことか、詳しく!」
「や、やけに食い気味ですな……!」
戸惑いを見せながらも、赤城はぽつぽつと話し始める。
「実は……クラスに気になる女子がいるのです。一目見たときから、何故かその女子から目が離せなくなって、胸が締めつけられるような気持ちになって……。今はこれが恋なのかと戸惑っているところですな。おっと、これはさすがにキモすぎますな……っ!」
「キモくない! キモくないぞ、赤城くん!」僕は彼の両肩に手を置いて熱弁する。「そういうことならもっと早く言ってくれれば良かったのに! 僕はきみの恋路を全力で応援するぞ!」
何だよ、初めから加賀美が気を揉むことなんかなかったんじゃないか!
やっぱり運命には抗えないってことだな!
「それで赤城くんはその恋をどうしたいんだ?」
「ど、どう、と聞かれましても……。こんなことは生まれてこの方初めてで、どうすれば良いのかわからず、悶々としていたのですが……。その折に運良くプレイボーイと評判の湊氏とお近づきになれたので、勇気を出してアドバイスを求めている次第です」
「ならば今すぐに告白して付き合え」
「さすがにそれはあまりにも体当たりが過ぎるのでは!?」
「そんなことはないっ! 何を躊躇う必要がある!」僕は殊更熱く語る。「好きなんだろう! 他人に取られたくないんだろう! ならば行動あるのみだ! 信じる者は救われる! 神は必ずやおまえの想いに答えてくれるだろう!」
「そ、そうかなあ……?」
赤城は訝しげだ。
「第一、自分のようなキモオタが恋など、先方にもご迷惑なのでは……?」
「バカ野郎!」僕は全力で怒鳴りつける。「そんな弱気でどうする! 僕が保証してやる! おまえの目に狂いはない! おまえの選択に間違いはない! おまえが好いた子が、おまえのことを嫌うはずがないだろう!」
まあ、未来を知ってる僕でさえ、どうして二人が付き合うことになったのか正直理解できていないが、加賀美が生まれるという結果がある以上、その因果は絶対だ。
「だから自信を持て! 今日早速告白をしよう! そして、同じ班の強みを生かし林間学校中に親密になって、最後に二人で楽しくキャンプファイヤを踊るんだ!」
「ど、どうして自分の好きな子が同じ班にいるとわかったのです!?」
「僕を誰だと思ってるんだ! 偉大なる〈陰王〉だぞ! 同じ陰キャの考えることなどすべてまるっとお見通しだ!」
「〈陰王〉! おお、〈陰王〉……!」
赤城は涙さえ流しながら、僕を拝み始める。
何だかえらく大事になりつつあるが、とにかく僕のやるべきことは初めから決まっている。
「それじゃあ、赤城くん、放課後校舎裏に来てくれ! すべてのお膳立ては僕に任せろ!」
「おお……! 王よ、本当によろしいので……!」
「男に二言はない!」僕は自信満々に胸を叩く。「おまえはただ校舎裏に来て、その熱い漢気を見せるだけで良い!」
「やはり湊氏に相談して正解でしたな……っ! 自分、武者震いしてきました!」
「赤城くん、期待してるぜ……!」
僕はサムズアップとウィンクで、赤城を鼓舞してから、小走りに教室へ戻る。
「おい、委員長!」
すぐさま僕は加賀美の机に駆け寄る。加賀美は次の授業の準備をしていたようだが、胡乱げに僕を見上げた。
「どうしたの、湊くん。騒々しいなあ、休み時間もう終わるよ?」
「それより喜べ! やっぱり運命は正しかったんだ!」
僕は興奮して早口に事情を説明する。するとさすがの加賀美も嬉しそうに表情を輝かせた。
「すごいよ、湊くん! お手柄だよ!」
「いやまあ、別に僕が何かしたわけじゃないけど」
「そんなことないよ! これも全部、湊くんが浮気性だったおかげだね!」
「おまえ、僕のことそんなふうに思ってたの!?」
心外にも程があるわ!
これで八重樫が実は女の子であることがバレたら、僕の評価は地に落ちそうな気がする。マジであの秘密だけは、僕と八重樫の間で守り通さないと……。
「それで、私はどうすればいいのかな? 能美さんを呼び出せば良いのかな?」
「そうだな、頼むよ」
どうにもあの不思議な語彙力を持つギャルは苦手なので、加賀美に声掛けしてもらえるのは助かる。まあ、親の若かりし頃の痴態をリアルタイムで見せられる加賀美は少し気の毒だとは思うけど……そのあたりは諦めてもらうしかない。
予鈴を合図に僕は自分の席へ戻る。
「琥太郎さん、上機嫌ですけど何か良いことでもありました?」
隣の席の天津風は、不思議そうに小首を傾げてこちらを見ていた。
僕は一瞬考える。誤魔化すべきか、本当のことを話すか。
加賀美の未来に関わる話なので、できれば内密に話を進めたいところだが……先ほどの那珂川さんの話のように外堀から埋めていくのもまた一つの手であることは事実だ。
それに天津風は、清楚な見た目に反して、かなりの青春恋愛脳。この告白イベントを経験すれば、しばらくはいつもの青春発作も落ち着くかもしれない。
「──実は赤城くんが放課後に告白をするらしくてな」
「なんと!」天津風は目を丸くする。「大人しい方かと思っていましたが、意外と大胆なのですね……! して、お相手はどなたで?」
「それは……秘密だ」期待を持たせるために僕はあえてぼかす。「とにかく僕は放課後、赤城くんの応援に行かなければならない。良かったら天津風も一緒に来るか?」
「行きます、超行きます!」天津風は双眸を煌めかせ、胸の前で拳を握る。「そんな素晴らしい青春イベントをこの私が逃すはずないではありませんか! 是非お供させていただきます!」
天津風、こう見えて意外とミーハーなのである。
「ちなみに、琥太郎さんは告白の予定とかないのですか?」
「別にないけど」
「私、フリーなんですけど」
「……知ってるよ?」
「ここは流れ的に私に告白をするアレでは?」
「ちょっと何言ってるかわからないですね」
「なんで何言ってるかわからないんですか」
まあ、このあたりは予定調和というか、決め打ちの掛け合いみたいなもので。僕も天津風も本気で何かを期待して言っているわけではないのである。
……たぶん。
背中に嫌な汗をかき始めたところで、物理の教師が教室に入ってきたので会話は自然と終了した。
試験後は夏休みまでずっと午前授業なので、放課後まであと一コマだ。
赤城の告白は正直完全に他人事なのでお祭り気分だが……小さじ一杯程度の不安は残る。本当にあの妙に語彙力豊富な不思議ギャルが赤城の告白を受けてくれるのだろうか……?
疑問は尽きなかったが、今は因果律さんを信じるしかない。
そわそわして授業の内容は、全然頭に入ってこなかった。
つつがなく本日最後の授業は終了し、そのままホームルームも終了した。
「琥太郎さん! 放課後ですよ!」天津風は、期待に目を輝かせながら身を乗り出してくる。
「まあ、待て」僕は彼女を片手で制して落ち着かせる。「ここは変に色めき立たずに、落ち着いて成り行きを見守ることが肝要だ」
「なるほど……勉強になります!」
興味津々な顔で頷く天津風と共に僕は立ち上がる。教室を見回すと、もう赤城の姿はなかった。どうやら気合いを入れて先に現場へ向かったようだ。僕らは赤城を追うように教室を出る。
幸いなことに校舎裏にはまだ赤城一人が立っているだけだった。
「王よ……!」
所在なさげに俯いていた赤城は、僕が来たことに気づいて嬉しそうに口元を緩ませた。
「まさか自分の応援に来てくれたのですか……!」
「当たり前だろう、友よ」僕は爽やかに笑う。「焚きつけたのは僕だしな、最後まで責任を持たないと」
「自分のようなどこにでもいる一般通過キモオタのためにそこまで……! 自分、湊殿になら掘られても構いませんぞ!」
「僕が構うわ」
それから赤城は天津風に向き直り、笑みを浮かべた。
「天津風嬢も応援してくれるのですかな?」
「もちろんです、ファイトですよ、赤城さん!」ふんす、と鼻息も荒く天津風は拳を固める。
「告白なんて実際に目にするの初めてですから、緊張しますね!」
「おや、天津風嬢は人気者なので、告白なんて日常茶飯事かと思いましたぞ」
「いえ、私なんてそんな。告白してほしい人はいるのですが、どうにも奥手なようで困っています。端的に言うとヘタレなのです」
「ははっ、言われていますぞ、湊氏」
「今の会話で直接的に僕に言及した部分が一箇所でもあったか!?」
日本語特有の曖昧さに助けられたわ!
また背中に嫌な汗をかき始めたところで、加賀美と能美がこちらに歩み寄ってくるのが見えた。いよいよ時が来たことを察したのか、赤城は表情を強ばらせる。
「み、湊氏……どうして彼女が一緒に……?」
不安げにこちらを見上げる。加賀美が能美を連れてきたのが意外だったのかもしれない。僕は不安を払拭するように力強く頷いてみせる。
「ああ、すまない。僕から声を掛けたら、僕が用があるみたいに誤解されるかもしれなかったから協力してもらったんだ」
「そ、そうでしたか……いえ、お心遣い、感謝します……!」
少しだけ煮え切らない様子を見せながらも、赤城は覚悟を決めたように姿勢を正した。
加賀美と能美は、僕らの二メートルほど手前で足を止めた。能美もまた驚いたようにこちらを見つめている。まさか僕らが待っているとは予想していなかったという顔だ。
さあ、お膳立ては整えた! 男を見せてくれ、赤城……!
祈るような気持ちで、僕は赤城の言葉を待つ。
しばしの沈黙。能美も何も言わず戸惑ったように立ち尽くしている。
やがて──静止していた〈時〉が動き出す。
「──自分、一目見たときから、夢中でした……!」
赤城は口火を切った。
「こんなに愛らしい女人がこの世にいたなんて、知らなくて……!」
思いの丈をぶつけるように、赤城は熱弁する。
「寝ても覚めても、その愛らしい顔が頭から離れなくて、胸が苦しくて──だから今日は、その思いを直接伝えたいと思ったのですぞ!」
言って、赤城は歩みを進める。
さあ、行け赤城──っ!
「ずっとずっと好きでした!」
そして赤城は、彼女の前に跪いた。
能美──ではなく、その隣の加賀美の目の前に。
「愛しのラブリーエンジェル加賀美嬢! 是非とも自分とお付き合いしてくだされ!」
…………。
『────は?』
僕、加賀美、そして能美の声が重なった。
直後、僕の右眼の視界が赤く明滅し、脳内に警告音が鳴り響いた。
ああ、と諦観めいたため息を吐いて──やがて視界にぼんやりと文字が浮かび上がる。
『赤城祐と能美天里沙が林間学校でキャンプファイヤを踊らなかったら──世界は滅亡する』