【8】全国大会
八月三十日、日曜日の朝。
第一高校マーシャル・マジック・アーツ部一同は、日本武道館の前に集まっていた。
「おお~」と茉莉花が感嘆の声を上げる。
すかさず千香から「予選の時とは随分態度が違うな?」とからかう口調のツッコミが飛んだ。
「部長。だって、日本武道館ですよ! 気持ち、上がりません?」
「茉莉花、お前……。東京に来て何ヶ月になるんだ」
「まだ五ヶ月です! 日本武道館は初めてです!」
呆れ声の千香に、茉莉花はまるきり悪びれた様子もなく答える。
周りの部員たちは皆、微笑ましげに苦笑していた。
「処置無し」という顔で頭を振った千香が、茉莉花に改めて目を向けた。そして、彼女の隣が空いているのに気付いて眉を曇らせた。
「……茉莉花。十文字の体調は、まだ芳しくないのか?」
「いえ、大丈夫そうですよ。本人が言っているだけでなくて、あちらのお医者様も大丈夫だと言っていました」
茉莉花には、特に強がっている様子は無かった。
「アーシャは開幕の時間に合わせて、十文字先輩と一緒に来るそうです」
「副会長と?」
問い返す千香の声と表情には、意外感が込められていた。
さっきは苦笑される側だった茉莉花が、その問い掛けに苦笑いを浮かべる。
「一昨日のあれから十文字先輩、甘やかしモードと言うか過保護モードと言うか、溺愛モードに入っているみたいで……」
それを聞いて噴き出したのは、千香だけではなかった。
受付開始の時間になり、茉莉花たち一高マジック・アーツ部員は他の参加者の邪魔にならないよう自然に列を作って入り口へ向かった。
その途中、少し後ろで「おお~」という感嘆の声が上がったのを茉莉花は聞いた。「自分と同じことをしている」と思った茉莉花は、振り返らずにはいられない。
振り返って、声を上げた女子と目が合った。二人が同時に上げた「あっ!」という声は、恥ずかしいシーンを見られた/見た気まずさによるものではなかった。
「一条さん」「遠上さん」
このセリフも、二人の少女から同時に放たれた。
「今から受け付け?」
茜がシャイな笑みを浮かべながら歩み寄り、茉莉花に訊ねる。お上りさんのような真似を見られたのはやはり、気恥ずかしかったのだろう。
「うん、そっちも?」
茉莉花も茜の方へ歩を進め、質問の形で応じた。自分も茜と同じことをした、とは、茉莉花は言わなかった。高度な心理作戦──ではない。茉莉花には恥ずかしい真似をしたという意識が無かったので、フォローする必要も覚えなかったのだ。
「対戦、楽しみにしてる」
茜がそう言えば、
「なるべく早く当たりたいね」
茉莉花もこう応える。
二人とも、優勝より目の前の相手との戦いを望んでいるようにすら見えた。
「籤を引くのはあたしの方が先だから、遠上さんの籤運次第だよ」
「まいったな。あたし、籤運はあんまり自信が無いんだよ」
茜の言葉に、茉莉花は苦笑いで応えた。
二人とも、トーナメントで対戦できること自体は全く疑っていなかった。
最悪でも決勝で戦えると、二人とも根拠無く確信していた。
◇ ◇ ◇
今日、日本武道館で行われるのは男女十八歳以下部門だ。試合数の関係で、年齢無制限部門は来週、有明アリーナで行われる。
男女三十六人ずつのトーナメント。籤運が悪い選手は優勝までに六試合、それ以外の選手は五試合を戦う。──一回戦は四試合。籤運が悪い選手は全体の四分の一以下ということになる。
トーナメントの組み合わせは地区予選と違って、選手が自分で籤を引く。籤を引く順番は恣意が入り込む余地が無い基準で、東京から遠い順だ。透視を始めとする籤の不正は厳しく取り締まられている為、理屈の上ではこの順番で有利不利が生じることはない。
トーナメント表は九時に完成した。予定どおりだ。
幸い一高の選手は男女とも、運が悪い四分の一には該当しなかった。
順当に勝ち抜いて行けば、茉莉花が千香と当たるのは準決勝だ。それを見て、茉莉花は危機感に似た緊張を覚えた。
茉莉花と茜は別ブロック。対戦できるのは決勝戦だ。茜と戦う為には、その前に千香を倒さなければならない。
茉莉花の緊張はすぐに、闘志に置き換わった。
同じ頃、茜はトーナメント表を見て落胆を覚えていた。
「茜、遠上さんとは別ブロックになってしまいましたね」
茜の心情を察したレイラが、慰める口調で茜に話し掛けた。
「──ううん、楽しみは決勝戦まで取っておくよ」
レイラにこれ以上は気を遣わせまいと思ったのか、茜は明るい声でそう応えを返す。それは、第三者には「決勝までは楽勝」とも聞こえるセリフと口調だった。
「ふーん……。うちらのことは眼中に無いってことか」
棘の生えた口調の、聞こえよがしのセリフ。
茜とレイラが振り向くと、そこには長身で手足の長い女子選手が立っていた。
今日この会場に来ている選手なのだから十八歳以下なのは間違いない。だが私服に着替えて化粧をすれば、大学生でも通用しそうな容姿だった。日に焼けているのか元々なのか、やや浅黒い肌も、目鼻立ちがハッキリした彼女にはむしろチャームポイントになっている。
「まあ、十師族直系でマジック・アーツ界のプリンセス様にとっては、ナンバーズですらない雑魚なんて単なる通過点でしかないよね」
今度は聞こえよがしではなく、正面から茜に向かって嫌みが投げ付けられた。
「……あたしのことはご存じのようだけど、貴女は? 本当に申し訳ないのだけど、記憶に無いわ。よければお名前を教えてもらえない?」
これだけ明確に敵対姿勢を示されると、茜も初対面の相手に対する礼儀を守ろうという気が無くなる。茜は慇懃無礼な態度で皮肉な声を返した。
「初対面だから記憶に無いのは当たり前。むしろ知られていたら怖いわ~」
茜にはあいにくなことだが、嫌みの腕前は相手の女子が上回っているようだ。
「うちは八幡巴絵、九高の二年生。二十八家の八幡家と同じ漢字だけど、あいにくと関係は無し。第八研ともナンバーズとも無関係よ」
「どうもご丁寧に。必要無いかもしれませんけど、改めて。一条茜です」
二年生と聞いて表面上だけは丁寧に、茜は名乗り返した。
「運良く勝ち抜けたら準決勝で対戦するわ。その時はよろしく」
巴絵は「フッ」と笑って、茜に背を向けた。
「……運良くなんて言っていましたけど、彼女、自信ありそうでしたね」
その背中を見送りながら、レイラが茜に小声で話し掛ける。
「うん。多分だけど、彼女、強いよ」
茜は楽しそうな笑みを浮かべて、その言葉に頷いた。
◇ ◇ ◇
九時半になり、第一回戦が始まった。
ここでは、茉莉花の出番は無い。だが応援席にはちゃんと、アリサの姿があった。彼女の隣には、本人が宣言したとおり勇人が付き添っている。
視線に気付いたアリサが、茉莉花に向かって笑顔で手を振った。
茉莉花も大きく手を振り返そうとして、勇人の視線に気付く。勇人は茉莉花を睨み付けているわけではなかったが、何となく軽々しい態度は取れないような気がして、茉莉花はアリサの応援にお辞儀を返した。
まるで、敬礼のようなお辞儀だった。
応援に来ているのは無論、アリサだけではなかった。観客の中にエリカの姿を見付けて、茉莉花は「あっ」という形に口を開けた。
視線が合い、慌てて勢い良く頭を下げる。
エリカはニヤッと笑って、茉莉花にサムズアップをして見せた。
古代の闘技場では敗者助命嘆願のサインだが、エリカの意図はおそらく逆だろう。「どいつもこいつもぶっ倒せ」というエールだと思われる。
茉莉花はエリカのサムズアップに、人差し指と中指を伸ばして立てるサインで答えた。第三者にはピースサインにしか見えなかっただろう。
だが茉莉花の意図は違う。エリカの理解も違う。それは、控えめなジェスチャーだったが、紛れもなくビクトリーサインだった。
観客席の、エリカのほぼ反対側には人だかりができていた。有名人が来ているのだ。
芸能人ではない。政治家や実業家でもない。ある意味で、大臣よりも、巨大企業グループのオーナーよりも重要で希少な人物。
世界でただ一人の魔人の存在で影が薄くなっているのは否めないが、それでも日本に二人しかいない、世界でも十三人、数え方によっては十一人しかいない国家公認戦略級魔法師の一人。
一条将輝が、観客席にいた。
彼は女子部門の優勝候補、一条茜の実兄だ。魔法大学に在学中であり、夏休みも終わりが近付いているこの時期は、東京に戻っていてもおかしくない。また東京にいれば、妹の応援に来るのもおかしくない。兄妹仲は決して悪くないから、むしろ応援に来ない方が不自然だろう。
だが魔法関係者も大勢来場している今この場では、密集状態を引き起こすサプライズになっていた。
しかし当の茜にとっては、兄よりもその隣で居心地悪そうにしている男性の方が重要だった。
「あっ、真紅郎くーん!」
茜が恥ずかしげもなく手を振る。
客席の真紅郎は、恥ずかしそうに小さく手を振って返した。
「茜、時間ですよ!」
運が悪い八人の内の一人になってしまった茜だったが、吉祥寺真紅郎の応援を受けて、気合い満タンで一回戦のリングに上がった。
◇ ◇ ◇
茉莉花は二回戦、三回戦と順調に勝ち上がった。
そして、準々決勝の相手の名は、九鬼涼風。
「九鬼さんって、師補十八家のお嬢さんですか?」
観客席のアリサが、隣から離れようとしない勇人に訊ねる。
「直系ではなく、遠縁から取った養女だよ」
答えたのは、何時の間にか勇人の隣に座っていた早馬だった。
「あっ、だから二高ではなく地元の高校に通っていらっしゃるんですね」
選手リストには、本人が公開を許可した範囲のプロフィールが添付されている。その範囲は様々で、地区予選で茉莉花が戦った羽田選手のように自分の流儀までプロフィールの形で宣伝している選手もいれば、氏名、年齢、身長、体重──これらは必須項目だ──以外の情報公開を拒んでいる選手もいる。
九鬼選手は必須項目以外に、現在通っている学校名も公開していた。その校名は、魔法師の社会では全く知られていない、九鬼家の地元の公立普通科高校だった。
「養女だなんて内部事情を良く知っていたな……。お前のことだ。他にも知っていることがあるだろう」
勇人が早馬に目を向け、言葉ではなく視線で「さっさと吐け」と詰め寄る。
「九鬼涼風は厳密に言えば、旧第九研出身の魔法師じゃない」
早馬はあっさり自分の持つ情報を開示した。
「どういうことだ?」
「彼女は旧第九研が古式魔法師を取り込む為に利用した『忍術使い』の孫娘だ。九鬼家と遺伝子的なつながりはあるが、血のつながりは無い」
「遺伝子操作のパーツか……」
勇人が声に嫌悪感を滲ませる。
「古式魔法師の魔法因子を取り込む為に、婚姻でも人工授精でもなくキメラ化を!?」
アリサが口を片手で押さえて目を見開いた。
「結局、生まれてきたのは普通の現代魔法師だったんだけどね。まあ、魔法因子が発現したという意味では成功だったんじゃないかな」
「早馬。もしかして九鬼家に癌の発症者が多いのは……」
二十八家の一つである九鬼家は、偶然で説明がつく範囲を超えて癌を発症する者が多い。遺伝子の組み合わせを慎重に吟味した魔法師開発研究所の成功例である二十八家の内、他の二十七家は遺伝病の発生がむしろ少ない傾向にあるので──肉体的な要因以外の理由で健康を損なう例は多い──、九鬼家だけが特殊な遺伝子操作をされたのでは、という説は以前から日本魔法界の片隅で囁かれていた。
「彼女の場合は遺伝子サンプルを提供した側の子孫だ。キメラ化措置の影響は無いはずだよ」
早馬は勇人のセリフを引き継がずに、肩を竦めて九鬼家の話題を終わらせた。
九鬼選手が日本武道館の天井の下を跳ね回る。彼女の空中殺法に、茉莉花は苦戦を強いられていた。
ただ飛び跳ねるだけの相手なら、茉莉花が対応に苦労することはない。九校戦のミラージ・バットで、「跳ねる」のではなく「飛ぶ」相手と競い合った経験が茉莉花の中には蓄積されている。
九鬼選手の動きは立体的だが、やっていることはあくまでもヒットアンドアウェイだ。対処法は距離を詰めて乱打戦あるいはサブミッションに持ち込むか、タイミングを合わせてカウンターを打ち込むか。
茉莉花は当初、守りを固めてカウンターを取る戦術を選択した。[リアクティブ・アーマー]や硬化魔法で打撃を跳ね返すのではなく、有効打を取られないようにパーリングやブロッキングで敵の攻撃を防御してカウンターを狙う戦い方だ。
だが九鬼選手は茉莉花がカウンターの態勢に入ると、それを読んでいるかの如く決まって急加速し茉莉花にカウンターを打たせない。自分が攻撃を当てた後に限ったことではなく、攻撃を中断しても回避を優先している。
もしマジック・アーツに「積極性」のポイントがあったなら、判定負けもあり得る戦い方だ。あるいは「消極性」に対して指導が与えられるルールなら反則負けもあり得るかもしれない。
だがマジック・アーツにはテクニカルKOにつながる「有効打」以外に判定の要素は無い。試合に時間制限が無いから「優勢勝ち」を導入する必要が無かったのだ。
優勢・劣勢判定による勝敗を気にする必要が無いから、回避主体の戦法が採れる。
そもそも実戦では「逃げ切ることが勝ち」という状況もあり、それを否定する「判定負け」はある意味で、現実的ではないとも言える。
「忍術」が元々、逃走に重きを置く技術体系だからなのか、九鬼選手の回避技術は群を抜いていた。少なくとも茉莉花のカウンター技術では捕捉が難しかった。
この状況を、茉莉花は割り切りで打破した。
「有効打」を取られることを容認した上で[リアクティブ・アーマー]を展開。
相手のキックを顔面で無防備に受け止め、直後に[リアクティブ・アーマー]を解除してその足を捕まえる。逃れようともがく九鬼選手を寝技に引きずり込み、そのまま絞め技で落として勝利を収めた。
心臓に悪い茉莉花の勝ち方に、アリサは胸を押さえてフゥッと息を吐く。取り敢えず勝てたので一安心だが、応援に来ていた他の一高生は、喜んでばかりもいられなかった。
準々決勝四試合は同時に行われ、他の三試合は既に終了していた。千香は勝利を収め、茉莉花との準決勝対決が決定している。しかしもう一人の一高生、横山笑は一条茜に敗れ、準々決勝敗退となってしまった。
準決勝は男子の準決勝の後に行われる。試合は十五時から。待ち時間は四十分以上ある。各選手は心身を休める為、残った勝者用に割り当てられた控え室に移動した。
「行かないの?」
勇人の向こう側から、早馬がアリサに問い掛ける。
「控え室にですか?」
アリサの反問に早馬は「うん、そう」と頷いた。
「……今は止めておきます。次の準決勝は部長さんとの試合ですから」
「何と声を掛ければ良いのか分からない?」
こう訊ねたのは勇人だ。
「そうですね。勝って、と言うのは簡単ですけど、そんなに簡単に割り切れるものじゃないと思うし」
「頑張って、の一言で良いんじゃないの?」
「誘酔先輩……そうでしょうか?」
「他ならぬ親友からの一言だからね。それだけでも随分違うと思うけど」
「……」
早馬の言葉を嚙み締めるように考え込んでいたアリサが、いきなり立ち上がった。
「勇人さん。やっぱり行ってきます」
「俺も行こう」
続けて勇人が立ち上がる。
「じゃあ僕も」
同時に立ち上がった早馬には、アリサと勇人から「来なくて良いのに」という視線が浴びせられた。
「お二人はここで待っていてください」
控え室の扉を背にして、アリサが勇人と早馬に告げた。
「アリサ、何故──」
「おいおい、勇人。女子の控え室だよ」
待たされる理由を訊ねようとした勇人に早馬からのツッコミが入る。
「あ、ああ、そうだな」
気まずげな表情の勇人を残して、アリサは茉莉花に割り当てられた控え室に入った。
「アーシャも来てくれたんだ」
控え室にいたのは、当然かもしれないが茉莉花だけではなかった。
「意外ね。アリサは真っ先に来ると思ってたんだけど」
このセリフは明だ。控え室にはマジック・アーツ部の女子部員だけでなく、部員と一塊の席で応援していたアリサと茉莉花の友人も駆け付けていた。
「アリサさん、まだ体調が悪いんですか?」
「アリサ、替わるわ。座って」
小陽がアリサの体調を気遣う言葉を投げ掛け、日和が立ち上がって座っていた椅子を勧める。
「ありがとう、日和。大丈夫よ」
アリサは椅子を辞退して、茉莉花の前に膝を突いた。
「ミーナ、次の試合だけど……」
「勝つよ」
アリサが言葉を選び終える前に、茉莉花はきっぱりと自分の意思を伝えた。
「部長には悪いけど、準決勝はあたしが勝つ。何が何でも勝つ。そして一条さんと戦うんだ」
改めて見せ付けられる、茜との試合に向けた茉莉花の強い想いにアリサは圧倒される。
「……そんなに彼女と戦いたいの? この前の雪辱をしなければ気が済まないとか?」
誰かと勝敗を競うことに何故ここまで執着できるのか、アリサには理解できなかった。
「雪辱とか、そんなんじゃないよ」
茉莉花の笑みは、強がっているようには見えなかった。
「約束したから。それを果たすだけ」
「約束って……ミーナは『絶対に雪辱する』って言ってたと思うけど?」
「あはは、そうだったね」
「雪辱じゃない」と言い切った直後にそれと相反する自分の過去の言動を掘り起こされて、茉莉花は照れ笑いを漏らした。
「でもホント、勝ち負けじゃないんだよ。そりゃあ、やる以上は勝ちたいけどさ」
「……どっちなの?」
「いや、だから。向こうは年齢無制限の一般女子にエントリーしても、もしかしたら優勝できたかもしれないのに、こっちに合わせて十八歳以下の少女の部に来てくれたんだから。あたしもそれに報いなきゃ。勝ち負けはその次の段階だよ」
どうやら茉莉花は「義理を果たさなければ」と言いたいようだ。アリサにはやはり、理解できなかったのだが。
「だったら次の試合、頑張らないとね」
「うん頑張って勝つよ」
茉莉花はあくまでも、同じ一高生相手の次の試合に「勝つ」と言う。それは試合に出る選手としては当然かもしれない。
「勝ち負けはともかく、悔いが残らないように頑張って」
しかしアリサは、最後まで「勝って」とは言えなかった。
◇ ◇ ◇
準決勝、千香との試合は熾烈を極めた。
互いに手の内を熟知した同士。様子見は無い。
両者とも最初からフルスロットルだった。
交差する拳と拳、蹴りと蹴り。
蛇の如く、蜘蛛の如く絡みつき搦め捕るサブミッション。リングを揺らす投げ技。
攻と攻、攻と防、防と攻が目まぐるしく入れ替わる。
ただ観戦する観客の目は、茉莉花と千香の試合にばかり集中してはいなかった。
隣のリングでも予想外の熱戦が繰り広げられていた。
◇ ◇ ◇
準決勝の二試合は同時に行われている。
そのもう一方の試合、一条茜と八幡巴絵の一戦は、試合前の大方の予想に反して接戦になっていた。
優勝候補の茜が予想外に苦戦していた、と言い換えても良いかもしれない。
八幡巴絵は百七十五センチの長身。一方の茜は百五十五センチ。身長差は二十センチにも及ぶ。しかも巴絵は手足が長い体形で、リーチの差は身長差以上だ。
こうなると逆に、懐に入り込んでしまえば然程苦労せずに対処できそうなものだが、巴絵はその体格に似合わぬスピードも備えていた。
無論、総合的なスピードは茜が勝っている。だが腕の回転速度はむしろ巴絵が上回っていた。
息つく暇も無い間隔で矢継ぎ早に繰り出されるジャブを主体としたパンチ。その合間合間に意識の裏を突くようなタイミングで放たれるキック。そのキックもロングレンジの回し蹴りからショートレンジの膝蹴りまで多種多彩だ。その所為で、茜は中々近付くこともできずにいた。
元々茜はアウトレンジのストライカーだ。距離を取って、打撃技で戦うスタイル。巴絵のようなタイプに有効な、サブミッションは余り得意ではない。その意味で巴絵は相性が最悪とまでは言えないが、茜にとって戦いにくいタイプだった。
ただ、それだけでは茜が苦戦する理由にはならない。この試合はマーシャル・アーツではなくマーシャル・マジック・アーツなのだ。パンチやキックで有効打を与えられなくても、魔法でダメージを与えて勝ちにつなげることができる。
茜が苦戦している最大の理由は、彼女の得意魔法[神経攪乱]が八幡選手には通用しないという点にあった。
[神経電流攪乱][ナーブ・インパルス・ジャミング]とも言われるこの魔法は師補十八家の一つ、一色家が得意とする魔法だ。国内では一色家固有の魔法と言っても良い。
一条家の茜がこの魔法を使えるのは、母親が一色家の本流に近い血筋だからだ。もっとも、一色家の血を引いていれば使えるという魔法でもない。同じ血を引く兄も妹も、母親も[神経攪乱]は使えない。一条家でこの魔法を使えるのは茜だけだった。
敵の神経インパルスに干渉して五感を狂わせ随意筋を麻痺させる[神経攪乱]は、相手に接近しなければ使えない射程距離が短い魔法だ。茜も、確実を期すなら相手に直接接触して発動する必要がある。
もっともマジック・アーツの試合では、相手に触れる機会など幾らでもある。茜がマジック・アーツで勝利の山を築いてきたのも[神経攪乱]で相手の挙動を狂わせて決定打を叩き込むという必勝パターンを持っているからだった。
しかし八幡選手には[神経攪乱]が通用しない。これは茜が魔法の発動に失敗しているのではなく、八幡選手が一色家に似た魔法の遣い手だからだった。
八幡選手は特殊な呼吸法を発動キーとして、自身の神経インパルスを整える魔法を使用していた。おそらく肉体のパフォーマンスを一定水準に保ち続ける為の魔法だ。
アスリートが生活習慣で体調を管理するのと本質的に同じコンディションコントロール。それが結果的に、茜の[神経攪乱]をシャットアウトしていた。
◇ ◇ ◇
千香の蹴りが茉莉花を弾き飛ばす。単なる蹴りではない。斥力魔法で威力を増した[リパルジョン・ナックル]のキックバージョンだ。
体勢を崩した茉莉花に追撃を加えるべく千香が迫る。だが茉莉花の身体は千香が突進する以上のスピードで、弧を描きながら後退した。エリカから伝授された[滑空]による回避。
千香に驚きは無い。彼女は茉莉花がエリカから教えを受けている場面に立ち合っていた。それに千香は千香で、エリカから別の技を教わっていた。
千香がグッと身体を沈め、床を蹴る。次の瞬間、千香は茉莉花の目の前にいた。エリカが継承している千葉家の秘術[山津波]──慣性制御により自分自身と自分の得物の慣性を極小化し、自己加速魔法で敵に迫り、斬撃の瞬間に今度は慣性を増幅して増大した見かけ上の慣性質量で敵を叩き斬る技──の基礎となる慣性制御魔法と自己加速魔法の複合術式だ。
千香がその移動スピードをそのまま載せた正拳突きを繰り出した。茉莉花はそれを[リアクティブ・アーマー]ではなく硬化魔法で受ける。
[リアクティブ・アーマー]は肉体を基準としてその相対座標の上に展開されるものだが、魔法シールドの一種として特定の空間に固定されるという性質とも無縁ではない。
つまり[リアクティブ・アーマー]を発動中の茉莉花は、そうでない場合に比べて外部から力を加えられても移動させられることに抵抗力がある。
それは攻撃を受けても跳ね飛ばされにくいということであり、同時に攻撃を利用して敢えて飛ばされ距離を取るのが難しいということでもある。
その点、硬化魔法にはそのような制約はない。茉莉花は千香からいったん距離を取る為に、防御の手段として硬化魔法を選んだのだった。
このことは千香の意表を突いた。いや、予測を外したと言うべきか。
四月に茉莉花が一高マジック・アーツ部に入部してから、千香は茉莉花と何度も対戦してその手の内を大体把握している。KOにつながるような強打を浴びせられた場合は、魔法シールドを纏ってその場で打撃を受け止め即座に反撃するのが茉莉花の多用するパターンだった。
無論強打を躱して仕切り直すというパターンもあった。だが相手の打撃を利用して、その衝撃力で自ら飛ばされ距離を取るという行動パターンは新しいものだった。
新しく覚えた硬化魔法と[滑空]で千香の間合いの外へ逃れた茉莉花。もちろんそれは、逃げる為だけの組み立てではなかった。
距離を確保したところで[滑空]の解除と[リアクティブ・アーマー]の発動を同時に行う。魔法装甲越しに床を踏み締めた茉莉花は、単純な自己移動魔法によって千香へ突撃した。
この一連の流れは千香の意表を突くものだった。単純な移動魔法は加速のプロセスを持たず対象をいきなりトップスピードに乗せる。故に自己移動魔法は通常、慣性でダメージを受けないように移動距離と移動時間を調節──つまり速度を調節するか、慣性中和魔法を併用する。
そして[リアクティブ・アーマー]は慣性というダメージからも術者を保護する。
茉莉花は全力で突進し、魔法装甲越しの体当たりで千香を跳ね飛ばした。
カウントが始まる。千香はカウント九で身体を起こしたが、そこが限界だった。
茉莉花はこの大舞台で初めて、千香を相手に勝利した。
◇ ◇ ◇
茉莉花が決勝進出を決めても、茜の試合はまだ続いていた。
茜はまだ巴絵の距離を攻略できていない。上手く懐に飛び込めても、ボクシングと違って膝蹴りや肘打ちがある。打撃技だけでなく、巴絵には細身の身体に似合わぬパワーもあって、軽量な茜を振り回して力尽くで投げ倒すこともできた。
一度投げられ、踏み付けを喰らい掛けて、茜も不用意に組み付かなくなっている。今の戦い方は茉莉花の準々決勝の相手、九鬼涼風選手を思わせるヒットアンドアウェイだ。
フットワークを含めた総合的なスピードは茜が勝っている。巴絵も茜の打撃を完全に捌くことはできず、徐々にダメージを蓄積していた。だがまだ、戦闘不能には至っていない。
しかし巴絵は、茜のちょこまかとした攻撃に苛立ちを堪えきれなくなったのだろう。積極的に、茜を捕まえに掛かった。
巴絵本人はサブミッションにも自信があったのだろうか。しかしこの戦術転換が彼女の敗因になった。
巴絵が首相撲の体勢に茜を抑え込もうとする。
茜は特に抵抗しなかった。
茜の掌が巴絵の腹に宛がわれる。
次の瞬間、巴絵の身体が崩れ落ちた。
腹を押さえて横たわる巴絵。
カウントが進み、茜の勝利が宣告された。
茉莉花の試合が終わった直後から、アリサは親友の決勝戦に少しでも役立てる為に茜の試合を注視していた。そして巴絵がダウンした瞬間、観客席でアリサは腰を浮かせた。
「あれは、アリサが問題視した[生体液震]か……?」
勇人が低い声でアリサに訊ねる。
「はい……、いえ、分かりません……」
戸惑いを滲ませながらアリサは椅子に座り直した。八幡選手が倒れた瞬間は[生体液震]で間違いないと思ったのだが、そうと断言できない違和感が生まれていた。
「似ているけど、全く同じではないな」
早馬がその違和感を正しいと断じた。
「八幡選手を倒した打撃はおそらく──いや、間違いなく[浸透勁]だ。ただし運動力学でシステムが解明されている浸透勁じゃなく、僕たちの領域に属する[浸透勁]だろうね」
「魔法的な技術ということか?」
勇人の質問に、早馬は「そのとおり」と頷いた。
「魔法で浸透勁と同じ波動を再現しているんだろうね。多分[生体液震]をダウングレードしたんじゃないかな」
「ダウングレード……」
アリサの呟きに、早馬が意味ありげな笑みを返す。
「十文字さんに殺傷性ランクを指摘されたのがこたえたんじゃない?」
「……態々ダウングレード版を作ったのは、試合で使う為ですよね?」
「そうだろうね」
早馬の答えを聞いて、アリサは腰を浮かせた。
「ミーナに教えてあげなきゃ」
アリサが立ち上がるのと同時に、勇人も立ち上がった。
勝利を収めて控え室に戻ってきた茜は、腰を下ろすなり「参ったな」と呟いた。
「決勝戦の前に[浸透勁]を使わせられちゃったよ」
隣に立つレイラに、茜が申し訳なさそうな笑みを向ける。
「せっかく遠上さんとの試合用に、レイちゃんが教えてくれたのに……」
茜が言うように、[生体液震]をダウングレードして殺傷力を下げた[浸透勁]は茉莉花との試合の切り札として、レイラから東亜大陸流武術の浸透勁を教わりそれを元にして作り出したオリジナル術式だった。
茉莉花と対戦するまで、茜は[浸透勁]を使うつもりはなかった。さっきのは巴絵が想定を超えて手強かった所為で、思わず出してしまったものだった。
「遠上さんの試合も同時でしたし、見られた可能性は低いと思いますよ」
レイラが慰めの言葉を掛ける。ただその声に確信は無かった。
「遠上さんが見ていなくても十文字さんが教えるだろうし……」
ぼやく茜。レイラはその言葉を否定できなかった。
◇ ◇ ◇
女子準決勝に続いて行われた男子決勝では、一高男子部部長の千種が無事に優勝を飾った。去年の大会では前部長が九高の前部長に敗れている。その雪辱を果たした格好になった。
そして次は女子決勝戦。茉莉花の控え室にはアリサや明たちだけでなく、トーナメントに出場していた千香と笑を含むマジック・アーツ女子部員全員が集まっていた。
「茉莉花、待ちに待った再戦だ。気合いを入れてけ。残った気力と体力を全部絞り出して一条茜にぶつけてこい!」
「はいっ!」
千香の激励に闘志に溢れた声で応える茉莉花。それに続いて、女子部員が次々に「頑張って」「今度は勝てるよ」と茉莉花に声を掛けた。その熱気と勢いに圧倒されて、アリサは中々茉莉花に近付けない。
「ミーナ、頑張って」
茉莉花が控え室を出てリングに向かう途中で、アリサはようやくその一言を掛ける機会を得た。
茉莉花は振り返って、「うん、勝ってくるよ」と晴れ晴れとした笑顔で応えた。
リング上で、茉莉花と茜が向かい合う。
二人の間に言葉は無い。二人の目には、ただ闘志のみがある。
お互いに、望んでいた再戦。
今、その決戦の火蓋が切られた。
試合は最初、二ヶ月前、正確には八週間前と同じ展開で進んでいた。ジャブの交換からストレート、フック、アッパーといった多彩なパンチの打ち合い、そこにキックが加わり、魔法ならではのトリッキーな攻撃が追加される。
二人がいったん、互いに距離を取った。双方数発のパンチとキックを貰い、少しのダメージを受けている。
二人が目を合わせて睨み合う。二人の瞳は、闘志と期待感で満ちていた。
(やっぱり速い……)
茜の視線から目を逸らさず、同時に彼女の全身を意識に収めながら茉莉花は思った。
(口惜しいけど、スピードではまだ負けているかな)
(でも対応できない程じゃない)
([神経攪乱]も今のところ、ちゃんとブロックできている)
(行ける! いや、行くんだ!)
心の中で自分を鼓舞して、茉莉花はリングを蹴った。
(やっぱり、ディフェンスが堅い……)
茉莉花の視線から目を逸らさず、同時に彼女の全身を意識に収めながら茜は思った。
(それに、随分上手くなってる。まだ二ヶ月くらいしか経っていないのに)
(前は[神経攪乱]を防ぐのも力任せ、魔法力任せみたいなところがあったけど……)
(今日はタイミングを合わせて的確に防いでる)
(これはもっと、気を引き締めていかなくちゃ!)
茜は自分自身にそう言い聞かせて、襲い掛かってくる茉莉花を迎え撃った。
そこから試合は急加速した。まるでディフェンスを無視したような打撃の応酬。
ただしどちらもダメージは負っていない。
茉莉花だけでなく茜も魔法シールドを展開して相手の攻撃をシャットアウトしている。
ただお互いに有効打、「イフェクティヴヒット」によるポイントが加算されていった。
(……まずい)
(これはまずい流れだよ)
闘志をむき出しにした表情の下で、茉莉花は焦りを覚えていた。
部内の練習試合を含めて、茉莉花は千香との組み手で有効打によるテクニカルKO負けを何度も味わっている。今のままでは、それをここでも繰り返すことになりかねない。
(あたしと一条さん、どっちが多くポイントを取られているんだっけ)
(どっちにしても、そんなに余裕は無いよね?)
(そんな終わり方は嫌だ!)
千香に何度も苦杯を喫してテクニカルKOにアレルギー的な忌避感を懐くようになっている茉莉花は、戦い方を変えなければと短絡的に、強く思った。
(どうしたんだろ?)(チャンスだ!)
二つの思いが茜の中で交錯した。
不自然なタイミングで攻勢を止めた茉莉花。何かの罠か? とも茜は考えた。だが直感的に、ここで手を休めてはいけないと茜は思った。
足を止めての打ち合いは、冷静に判断すれば茜の方が不利だ。本来のスタイルを取り戻す為には、攻勢が緩んだこのタイミングでアウトサイドな戦い方に切り替えるべきだろう。
しかし茜は、理性的な思考よりも直感を選んだ。彼女は敢えて、普段の自分とは違う乱打戦の継続を選択した。
テクニカルKOによる決着を避ける為に、シールドを解きガードを固めながらバックステップで距離を取ろうとする茉莉花。
だが乱打戦の継続を望む茜はそれを許さない。茉莉花が下がる以上のスピードで茜は距離を詰めた。自己移動魔法を使っても、茉莉花は茜を振り切れなかった。
仕切り直そうとして、できなかった茉莉花。
させなかった茜。
攻守の天秤はハッキリと、茜の攻勢に傾いた。
「……」
ガードを固めて茜の打撃に耐える茉莉花から、アリサは耐えきれず顔を逸らした。
だがすぐに視線を戻して、茉莉花をしっかり見詰める。アリサは両手を、無意識に強く握り締めていた。
「遠上さんは何故シールド魔法を使わないんだ……?」
アリサの隣で、勇人が訝しげに独り言を漏らした。
「テクニカルKO負けを避ける為じゃない?」
その独り言を拾って、早馬が答えを返す。
「実際にダメージを負っても、魔法シールドを張っていなければポイントは取られないからさ」
勇人はその答えに納得しなかった。
「だがこのままでは徒にダメージを蓄積するだけだ。相手の攻勢をいったん断ち切る方が優先される場面じゃないか?」
「勇人は何か他の狙いがあると思うのかい?」
「無ければこのまま押し切られる」
勇人の言葉を聞いて、アリサは一層強く両手を握り締めた。
茜が茉莉花に、息も吐かせぬラッシュを叩き込む。ここで試合を決めてしまう勢いだった。
これは、一条茜本来の戦い方とは少々異なっている。ヒットアンドアウェイで敵にダメージを蓄積して、十分弱ったところにフィニッシュの一撃を決める。それが茜本来のスタイルだ。
彼女のいつもの戦い方を知っている者の目には、茜が焦っているようにも見えた。あるいは、逸っているのか。
「茜、落ち着いて。もっと冷静に……」
高校入学前からずっと、彼女の練習相手を務めている一条レイラ──劉麗蕾は、祈るような口調で独り言を漏らした。
茜がインファイトの距離から足を止めてラッシュを叩き込む。彼女が蒸気ピストンのような勢いで叩き込んでいるのは、正確に言えばパンチではなかった。
間断なく発動し続けている[神経攪乱]。敵の神経インパルスを乱し、狂わせる魔法を、茜は茉莉花に撃ち込み続けていた。
一見、茜が圧倒的な優位に立っているように見える。
だが茜本人の心情は、観客が考えているほど優位に立ってはいなかった。
(……くっ。まだ徹らない)
茜はブロックされ続けている[神経攪乱]を、半ば意地になって撃ち込み続けていた。彼女のラッシュは、苛立ちの表れでもあった。
──この時、焦りはむしろ茜の方にあったかもしれない。
(ピンチピンチ。まずい、まずいよ!)
心の中で焦りのセリフを垂れ流している茉莉花だが、彼女の身体と闘争心は──闘争をコントロールしている精神機能は、茜の攻撃に的確に対応していた。
(何とかしなきゃ! 何とかしなきゃ!)
追い込まれて意識が分裂状態に陥った、とでも言えば良いのだろうか。表層的な感情が闘争を司る意識から切り離され、精神の闘争機能が純化されていた。
否、やはり「分裂状態」という言葉は相応しくないだろう。「分業状態」の方が適切か。焦りや動揺に左右されず、それを闘争から切り離して、茉莉花は戦いに没頭していた。
彼女は武道家が言う「無我の境地」に近付いていた。
茜のラッシュをブロッキングでガードする茉莉花。
茜が[神経攪乱]を連発しているように、茉莉花もまた対電磁シールド魔法を発動し続けている。茉莉花は[リアクティブ・アーマー]を敢えて使っていないのではない。[神経攪乱]に対抗する電磁シールドに魔法のリソースを集中投入しているのだった。
そうした魔法の攻防と同時に、打撃技の攻撃と防御も繰り広げられている。
茉莉花のストッピング──茉莉花が茜のパンチを摑み取ることに成功した。茜のラッシュに停滞が生じる。
その瞬間「しまった!」と茜は思った。電磁シールドを破ることに意識を奪われて、打撃のコンビネーションが疎かになってしまったという思いが彼女の脳裏を過った。その後悔がさらに一瞬、茜の手足に重い枷を付けた。
茉莉花は「今だ!」という心の声を聞いた。分業状態で戦闘をコントロールしていた意識の声だ。俗に「無意識に身体が動く」と言われる状態の、「無意識」に該当する意識の思考。
その思考に従い茉莉花が動く。分かれていた茉莉花の意識が一つに戻った。
茉莉花が前に踏み込み、茜の頭を抱え込む。首相撲の体勢から茉莉花が膝蹴りを繰り出した。一高生と三高生が集まっている辺りから、それぞれ悲鳴交じりの声援が湧き起こる。
(……)
今度は茜の精神に「無意識状態」が訪れた。彼女の表層的な意識は闘争から切り離され、この場の最適解を肉体に命じた。
二度、三度と繰り出される膝蹴りを十字受けでブロックしていた茜が、ブロックに使った直後の両腕で茉莉花の胸を押し退けるような動作を見せる。
一高生の集団から少し離れた席で短い悲鳴が上がった。
アリサが上げた悲鳴だ。
彼女は、茜の何気ない動作が[生体液震]のダウングレード版である[浸透勁]であると気付いた。
アリサの悲鳴は声援に紛れた。
アリサの警告は茉莉花の耳に届くことなく、
茜の両手から、ダブルで[浸透勁]が放たれた。
茉莉花がよろめき、後退する。
しかし、彼女は倒れなかった。
アリサは「視」た。
茉莉花は身体硬化魔法[バダリィフォージング]を咄嗟に発動して[浸透勁]を防いでいた。ただ、[バダリィフォージング]は完全ではなかった。
その所為で、[浸透勁]の威力を完全には殺し切れていなかったが、半減以下に抑えることには成功していた。
(仕留めきれなかった?)
茜の顔に意外感が過る。
(魔法シールドを使った形跡は無かった。[浸透勁]は確かに成功したのに)
戸惑いが茜の心を乱す。
それでも、茉莉花の表情に隠し切れないダメージを見て取り、茜は勝敗を決するべく突進した。
茉莉花はそれを迎え撃つべく、正拳突きの構えを取っている。
彼女の瞳にも、この一撃に勝負を懸ける決意の炎が燃えていた。
「ミーナ!」
アリサが思わず立ち上がる。
「勝って!」
そして、声を限りに叫んだ。
「頑張って」ではなく「勝って」と。
茉莉花が微笑んだように見えたのは、錯覚か、それともアリサの声が届いたのか。
茉莉花は中段順突きを繰り出した。
(──勝つよ──)
この時、茉莉花は正真正銘、ただ一つのことしか考えていなかった。
自分の勝利を願う声援に応える。その一念で彼女の心は占められていた。
繰り出されたのはフェイントもコンビネーションも無い、馬鹿正直な一撃。
スピードはあっても、何を打つのか、何処を狙っているのか、読むのは容易い。
茜は突進から後退へ一瞬で切り替え、茉莉花の突きが届く間合いのすぐ外へステップバックした。
茉莉花は腕が伸びきった状態だ。
カウンターの、絶好のチャンス。
茜がハイキックの態勢に入る。
ところが、
茜の動きが、
そこで、止まった。
愕然とした表情が茜の顔に浮かぶ。
そのまま彼女は両膝を折り、胸を両手で押さえてリングに崩れ落ちた。
何が起こったのか誰も理解できず、静まりかえる館内。
「……やったのか?」
そこへ勇人の、独り言というには大きな呟きが響く。
彼は理解した。
アリサも理解していた。
最後の最後で、アリサが解き明かした想子流による攻撃、アリサが言うところの[想子レーザー]が火を噴いたのだ。
茜のダウンを認め、機械的なカウントが始まる。
一高生の間にざわめきが生まれ、三高生は悲鳴そのものの声援を送る。
その喧噪の中で、観客席のエリカは「へぇ……」と興味深げな笑みを浮かべていた。
カウント八。
茜が両手を突いて身体を持ち上げる。三高生の声援が一高生の声を圧倒する。
カウント九。
茜が横座りの体勢にまで身体を起こす。三高生から割れんばかりのエールが起こる。
だが、しかし。
カウント十が告げられても茜は立ち上がれなかった。
「それまで! 勝者、遠上!」
レフェリーが試合終了を告げる。
今度は一高生の間から、爆発的な歓声が沸き上がった。
茉莉花が静かに天を仰ぐ。
その顔に笑みは無い。勝利の雄叫びも無い。ただやり遂げた満足感だけが、彼女の表情を占めていた。
茜がよろめく足を踏み締めて立ち上がり、茉莉花の隣に歩み寄る。彼女は茉莉花の右手を取り、その腕を高々と上げた。
会場に割れんばかりの拍手が鳴り響く。
客席のアリサも、泣きながら夢中で手を叩いていた。
全日本マーシャル・マジック・アーツ大会女子十八歳以下部門。
優勝は、遠上茉莉花。
茉莉花は激闘の末、茜に雪辱を果たした。
