【6】地区予選
全日本マーシャル・マジック・アーツ大会。その名のとおり、マジック・アーツの日本チャンピオンを決める大会だ。
出場資格は十二月三十一日時点で十五歳以上の日本居住者。国籍は素より、魔法師かどうかも問われない。形式は十八歳以下男女、年齢無制限の男女、四部門のトーナメントだ。二〇九七年に再編された道州制に基づき北海道、東北道、関東州、北陸道、東海道、近畿州、中国道、四国道、九州道の九地区でトーナメント形式の予選を行い、各地区上位四名が本戦に出場する。
──なお二〇九六年以前は従来の道州区分で予選が行われ、二〇九七年の大会は緊迫した国際情勢の影響で中止された。
シード権のようなものはなく、組み合わせは完全に抽選だ。各部門三十六人が一堂に会した籤引きでトーナメント表が決まり、試合数の有利不利は考慮されず各部門のチャンピオンが決まる。運と実力が全ての大会だった。
大会は毎年八月下旬に行われる。今年は八月二十三日の日曜日に全国で一斉に予選が行われ、翌週の日曜日、八月三十日に本戦が予定されている。
◇ ◇ ◇
地区予選前日の八月二十二日。
翌日に試合を控えているにも拘わらず、茉莉花は一高の第二小体育館で練習に励んでいた。マジック・アーツの競技服ではなく半袖シャツにスパッツの体操服姿。そのシャツは汗でぐっしょりと濡れて重くなっていた。
組手の相手はいない。流した汗にも拘わらず、彼女はさっきから動いてもいなかった。
茉莉花の眉間に深い皺が寄っている。顔色が悪いのは過度の精神集中によって酸欠になっているのか。
茉莉花は魔法の練習をしているのだった。
「ミーナ、そろそろ止めた方が良いよ! 明日は試合だよ!?」
見かねたアリサが声を上げた。
その声に集中が途切れたのか、茉莉花が床にへたり込む。
アリサは慌てて、小走りで駆け寄った。
アリサだけでなく、千香や他の先輩も心配顔で寄ってくる。
「大丈夫?」という声が次々と掛けられた。
「茉莉花、もう上がれ」
千香が命令口調で茉莉花に告げる。これ以上は看過できないという表情だ。
「分かりました……」
自分でも多少無理をしているという自覚があった茉莉花は、部長の言葉に逆らえなかった。
シャワーを浴びた茉莉花は「一休みした方が良いよ」と勧めたアリサと一緒に学食のカフェに来ていた。夏休み中で食堂もカフェも営業していなかったが、場所は生徒に開放されている。自販機も動いている。茉莉花のように部活を終えた生徒や、まだユニフォームを着ている部活中の生徒で席は八割方埋まっていた。
「ミーナ、さっきは一所懸命何をやっていたの? 硬化魔法なら昨日コツを摑んだと言っていたじゃない」
席を確保し、二人分の飲み物を用意して訊ねるアリサ。茉莉花が何かの魔法を発動しようとしていたことは傍で見ていて分かったが、それが何の魔法なのかまで読み取るスキルは、アリサには無かった。
「……服の硬化はできたから、次の段階に進めないかと思って」
心配させた罪悪感からか。身体を縮こまらせながら、茉莉花は告白した。
「何考えてるの!」
案の定、アリサは怒った。
「新しい魔法をそんなに次々と身に付けられるはずないじゃない!」
「でも、できそうな気がしたんだよ……」
首を竦めながら、茉莉花は抗弁する。
「何か、すっごく分かり易い起動式だったんだ」
「分かり易い!? あんな、訳が分からない魔法が!?」
アリサの声のトーンが上がり、茉莉花はますます亀になる。
二人は正反対のことを言っているようだが、話題にしているのは同じ魔法だ。それに、二人の主張が矛盾しているというわけでもなかった。
論理が首尾一貫していて無駄も不足も一切無く、最小限の労力で魔法式を完成させられる起動式。それを茉莉花は「分かり易い」と言った。
だができあがった魔法式は何が何にどう作用するのか、全く理解できないものだった。システムは理解不能で、辛うじて結果だけが予測できる魔法式。それをアリサは「訳が分からない」と評した。
魔法名[バダリィフォージング]。直訳するなら「身体鍛造」。フォージングには「偽造」という意味もあるから、そちらのニュアンスも含まれているのかもしれない。
ちなみに[フォージング]という魔法は以前から知られている。金属精錬の魔法ではなく、固体の弾性を増す魔法だ。主に、手で使う道具に用いられる。材質の強度を上げるのではなく、曲がったり凹んだりした道具が自動で元の形に戻る性質を事前に付与する。
自動修復ではなく、あくまでも元に戻る程度を高めるもの。壊れてしまった物を修復する効果は無い。鍛造品の粘り強さを念頭に命名されたと言われている。
司波達也が作ったというこの魔法も、一部に[フォージング]という名称を使っている以上、全くの無関係とは思われなかった。だが起動式をどう読んでも共通点は見当たらない。いや、そもそもレオとエリカが言うとおりなら、[バダリィフォージング]は自分自身に掛ける硬化魔法だ。道具を壊れにくくする魔法と共通点が無いのは、その意味では当然だった。
「あっ、いたいた。アリサ、茉莉花!」
名前を呼ばれて、二人が同時に振り向く。
明が小さく手を振りながら二人のテーブルに歩み寄った。彼女は片手に飲み物を、もう一方の手に大判のタブレット端末を持っていた。
「捜したわよ。予定よりも早く練習を終えたのね」
「あっ、ごめんね。連絡すれば良かったね」
アリサの謝罪に「気にしないで」と首を横に振りながら、明は茉莉花の隣、アリサの斜向かいに座った。
「何か分かったの?」
茉莉花がアリサの隣に移動して、前置きも無く訊ねる。彼女の声には、期待感がこめられていた。
「医療魔法の一種じゃないかって、兄は言っているわ」
唐突感が否定できない茉莉花の質問に戸惑いを見せず、明はすぐに答えを返した。
茉莉花が訊ね明が答えたのは、今まさに話題になっていた[バダリィフォージング]の正体についてだ。身体硬化魔法の起動式と説明を受けて渡されたものなので、本来ならば「正体」を論じる必要は無い。だがどのような理屈でどのように「硬化」されるか理解できない魔法を、理解できないまま済ませてはおけなかった。受け取った本人よりもアリサの方が、そんな気持ちの悪い状態の魔法を大切な茉莉花に使わせることに強い抵抗を覚えた。
そこで昨日、司波達也のことになると目の色を変える明に協力を持ち掛けたのである。部活中の彼女を捕まえて協力を依頼したところ、明は二つ返事で頷いた。
アリサはそんな明を内心「チョロい」と思ったのだが、これは多分アリサの方が間違っている。未公表の魔法、しかもあの司波達也が書いた起動式だ。魔工師やそれを目指す者ならば、飛び付かない方が少数派に違いなかった。
「お兄さんが見てくれたの? お家の仕事で忙しいんじゃなかった?」
アリサは回答の内容よりも先に、「兄は言っている」の部分に驚きを示した。明の兄、五十里啓は現在魔法大学の三年生だが、刻印魔法の俊英として既にその名を知られている。前途有望な学生としてではなく、優れた技術者としてだ。大規模建造物の刻印魔法も幾つか手掛けており、大学が夏休みの間は実家の仕事でスケジュールが埋まっていると明がぼやいていたのをアリサは記憶している。
「あの方の起動式だと言ったら、仕事を放り出して飛び付いたわ」
明は肩を竦めて首を小さく左右に振っている。だがその口角は、少し自慢げに上がっていた。
ただ「司波達也の起動式」に惹かれること自体は別に、五十里兄妹がおかしいのではない。これは現代の日本魔工師業界の、一般的な風潮だった。
「医療魔法ってどういうこと? 硬化魔法じゃなかったの?」
呆れ顔をしているアリサの隣から茉莉花が口を挿む。いや、本題はこちらだから口を挿んだのは直前のアリサの方か。
「作用の類型は医療魔法だけど、元になっているロジックは硬化魔法のものらしいわよ」
「どゆこと?」
理解できていないのは、茉莉花だけではない。アリサも隣で、頭上に大きな疑問符を浮かべている。
「硬化魔法の本質は、パーツの相対位置を固定する魔法。これは知っているわよね?」
「うん。この前の合宿で教えてもらった。明もその場にいたじゃない」
「話の段取りよ」
茉莉花のツッコミを、明は涼しい顔で流した。そして自分の段取りに従い、クイズを出す。
「じゃあ、これを人体に適用するとどうなると思う?」
「分かんない」
茉莉花はすぐに白旗を揚げた。
「アリサは?」
アリサもあっさり首を左右に振った。
考えるのを面倒くさがったのではない。「人体に作用する硬化魔法」は一昨日から散々考え、二人で意見を出し合って、結局「分からない」という結論に至ったテーマだった。
「魔法の定義を適用すれば、人体に作用する硬化魔法は人体のパーツの相対位置を固定する魔法。じゃあ硬化魔法における、人体のパーツとは何か」
明はいったん言葉を切ったが、それ以上もったいぶらなかった。
「答えは、細胞よ」
「じゃあ、人体を硬化する魔法は細胞の相対位置を固定する魔法?」
茉莉花が半信半疑の口調で答え合わせを求める。
「そういうことね」
「でもそんなことをして、生命活動は維持できるの?」
すぐさまアリサが反論した。
人体は生きている限り、常に動いている。分かり易い例は心臓の鼓動だ。血管も血の流れに従って常に膨張・収縮しているし、呼吸の度に肺も動いている。
「細胞の相対位置固定」がどの程度の縛りになるのか分からないが、そんなことをしたらすぐに生命活動が停止してしまうのではないかとアリサには思われた。
「全部止めたら厳しいでしょうね。心肺停止と同じ状態になるわけだし、数十秒なら生きていられるでしょうけど、一分を超えると脳にダメージが残るんじゃないかしら」
「じゃあ、身体硬化魔法は使えても一分以内ってこと?」
「時間以前に、身体活動を全部止めてしまうのは実用的じゃないわ。だから身体硬化魔法には凄く複雑な条件が設定されているらしいの。余程高い適性が無いと発動できないってくらい」
「そうなんだ……」
特別な適性が必要と聞いて茉莉花が気を落とす。だが明の話は、そこで終わりではなかった。
「でもその使いにくさを、あの方は解決したのよ! 何て素晴らしい英知! 素晴らしいとしか言いようがないわ!」
「……英知って」
「こういうケースに使う言葉ではないような……」
茉莉花とアリサが入れたツッコミは、陶酔中の明には届かなかった。ただ、言いたいことを言って我に返ったのか、明は決まり悪げな表情で態とらしい咳払いをした。
「……つまりね。適性のある者が限られており、適性者でも発動に伴って大きな負担が掛かる身体硬化魔法を、あの方は普通の高難度魔法にアレンジしたの」
「……難しいけれど、特別な適性が無くても発動できるということ?」
明のセリフを少しの間咀嚼して、アリサが確認の質問を投げ返す。
「そう。それがこの[バダリィフォージング]。魔法式に未知のプロセスが含まれているけど、有害な副作用は見当たらないと、兄は太鼓判を押していたわ」
「未知のプロセスって?」
太鼓判を押されても、アリサとしては聞き流せないフレーズだった。
「四系統八種のどの類型にも当てはまらない、だからと言って古式魔法にも一致するパターンが見付からない魔法のプロセスよ」
「大丈夫なの、それ……」
「兄がそのプロセスを取り出して実行してみたけど、何も起こらなかったわ」
明の顔にもどかしげな表情が過る。彼女もやはり「未知」のままで済ませるのは納得できないのだろう。
「無意味なプロセスだったということ?」
「いいえ」
アリサのこの問いには、明は「否」を返した。
「試しにこのプロセスに対応する記述を削除した起動式を実行してみたけど、有効な魔法式は構築されなかった」
「そのプロセスを戻したら、魔法が発動したのね?」
明が頷き、アリサが眉を顰めて腕を組む。
「それで結局、発動したのはどんな魔法だったの?」
考え込むアリサの横から茉莉花が訊ねた。彼女の関心は魔法のシステムよりも効果にあった。
「兄も私も完全に発動できたわけじゃないけど……。どうやら、魔法発動後に肉体が外から受けた影響を無かったことにする魔法みたい」
「無かったことにする?」
「魔法発動後に発生した肉体の損傷を、発動時点の状態に修復する魔法とでも言えば良いのかしら。細胞の状態を、魔法発動時点のものに戻すの。細胞の相対位置を固定し続けるのではなく、事後的に固定する魔法とも言えるわね」
「だから医療魔法であり、同時に硬化魔法なのね……」
アリサの言葉に明は頷き、
「じゃあ魔法を発動している間は不死身状態?」
茉莉花の言葉に慌てて頭を振った。
「極短い時間しか発動できないわよ。長くてもせいぜい三秒くらい」
「三秒かぁ……」
そして明が付け加えた言葉に、茉莉花は視線を虚空に投げて考え込む。
「……一晩で分かったのはこの位。力不足で申し訳ないけど」
「ううん、とても助かったよ。とにかく、ミーナに害は無いのね?」
無念を漂わせている明に、アリサは念を押した。
「そこは保証する」
確約を得て、アリサは安堵の息を漏らした。
「とにかく、もう少し調べてみるから」
「うん、ありがとう。ごめんね」
「『ごめんね』は要らないわ。こんな貴重な研究材料、御礼を言うのはこっちなんだから」
明がマッドサイエンティストの気がある笑みを浮かべて立ち上がる。
「じゃあ、何か分かったら連絡する。茉莉花も、またね」
「──うん。ありがと、明」
自分の世界から戻ってきた茉莉花に手を振って、明はその場を後にした。
◇ ◇ ◇
午後四時頃から降り出した雨は、二時間程で止んだ。今は頭上に星空が広がっている。
「明日は晴れそうだね」
「うん。でも台風の影響で、しばらく不安定みたい」
キッチンから話し掛けるアリサに、テレビを見ていた茉莉花がダイニングテーブルから応えを返す。
ここは茉莉花の部屋。地区予選を明日に控えた茉莉花の為に、アリサが夕飯を作ってあげているところだった。
「全国大会の日に雨が降ったらヤだなぁ」
気象情報を見ながらぼやく茉莉花。
「こらこら。まずは明日のことでしょ」
一週間後の天気を気にする茉莉花を、予選に集中すべきだとアリサがたしなめる。
「組み合わせはランダムなんだから、準々決勝より前に部長さんと対戦することだって十分あり得るんだよ」
予選はトーナメント形式で、全国大会に出場できるのは各部門上位四人。準々決勝で負けてしまったら、本大会には出られない。
「その時は勝つよ。絶対に、何としてでも」
「だったら今は、天気のことなんか気にしちゃダメでしょ」
「……うん、そうだね」
頷き、少し反省した顔で茉莉花はチャンネルを変えた。
「ご馳走様。美味しかった!」
「お粗末様」
気持ちの良い茉莉花の笑顔にアリサも自然な笑みを返し、食器を纏めてキッチンに下げる。上げ膳据え膳で甘やかしすぎな気もするが「今晩は特別」とアリサは自分に言い訳していた。
食器を自動洗浄機に預けて、アリサは浴室をのぞきに行く。
「ミーナぁ、お風呂ーっ」
念の為に自分の手で湯加減を確認して、茉莉花に入浴を促した。
「はーい」
脱衣所に茉莉花がやって来る。彼女と入れ替わりで狭い廊下に出たアリサは、掃除ロボットのスイッチを入れた。
炊事に掃除、お風呂の準備。家事が高度に自動化されているとはいえ、前世紀の亭主関白家庭も斯くやである。しかもアリサは結構楽しそうだ。彼女には「ダメ人間製造機」の素質があるのかもしれない。
茉莉花と入れ替わりで入浴を終えたアリサはパジャマに着替えた。今晩はこの部屋に泊まる予定だ。
洗濯機を動かして脱衣所を出たアリサは、茉莉花がベッドの脇でジッと座り込んでいるのを発見した。彼女の前にはドライヤーが転がっている。髪はまだ湿っているように見えた。
「どうしたの、ミーナ!? 風邪引いちゃうよ!」
急ぎ足で歩み寄ったアリサを、茉莉花は夢から覚めたばかりのような顔で見上げた。
「ごめん……何か、ボーッとしてた」
茉莉花は「にへら」と脱力した笑みを浮かべた。その笑顔からは、疲労が滲み出ている。
「もうっ! あんなに無理をするから」
怒った顔でアリサがドライヤーを手に取った。そのまま茉莉花の背後に回る。自分は後回しにして、アリサは茉莉花の髪にドライヤーを当てた。
「ありがとー」
気持ちよさそうに目を細める茉莉花。
アリサは丁寧な手付きとは対照的に、険しい目付きで眉を顰めている。

「だから言ったのに……。こんな調子で明日は大丈夫なの?」
「一晩寝れば大丈夫だよー」
いつもと違う、間延びした口調で答える茉莉花。瞼は塞がり掛け、今にも船をこぎ始めそうだ。
「スキンケアは……まだだよね」
「お風呂上がりにちゃんとやったよー」
「ああ、もう!」
髪を搔き毟り出しそうな声を出して──実際にはやらなかったが──アリサは鏡台の抽斗からナイトクリームの容器を持ってきた。茉莉花が洗面台で行うケアしかやっていないのが、明らかだったからだ。
アリサはクリームを自分の掌に取って、茉莉花の顔と手に塗り込んでいった。
茉莉花がくすぐったそうに笑い声を上げる。
アリサはさすがに苛立ちを隠せない。それでも手付きが乱暴になることはなかった。
「はい、終わり! さっさと寝る!」
アリサは茉莉花をベッドに押し上げて夏布団を被せ、自分はドライヤーを持って脱衣所に逆戻りした。
髪を乾かし就寝前のスキンケアを終えて、アリサはベッドサイドに戻った。
照明は点いたままだったが、茉莉花はすやすやと寝息を立てている。
「本当に、無理をするんだから……」
試合の前日にも拘わらず茉莉花がこんなになるまで頑張っていたのは、エリカとレオ、二人の先輩に教わった魔法を一日も早く修得する為だった。
アリサが自重を促しても「せっかく教えてもらったんだから」と言って、茉莉花は止めようとしなかった。焦っている、というより義理堅さがそうさせているように、アリサには見えた。
そんなの気にする必要は無いのに、とアリサは思う。
だが、この親友が頑張らずにいられない性格だということも彼女は理解していた。
アリサは茉莉花を起こさないように、そっとベッドに上がった。
「……アーシャ、ありがとー」
アリサが横になるのと同時に、茉莉花があやふやな口調で呟く。
アリサはびっくりして、茉莉花の顔をのぞき込んだ。
茉莉花は気持ちよさそうに眠っている。
寝言だ。
アリサは「クスッ」と笑って、「お休みなさい」と言いながら部屋の照明を消した。
◇ ◇ ◇
「ミーナ、朝だよ。起きて」
身体を優しく揺すられて、茉莉花は目を開いた。
「今日は大事な試合の日なんでしょう?」
「試合!」
まどろんでいた意識が一気に覚醒して、茉莉花はガバッと起き上がった。
「おはよう、ミーナ」
「時間は!?」
ベッドのすぐ横に立って微笑んでいるアリサに、茉莉花は焦った顔で問い掛ける。
「まだ六時十分」
茉莉花が気の抜けた顔で胸を撫で下ろした。予選の受付開始は午前八時半、試合開始は九時半。ここから予選会場までは一時間掛からない。余裕で間に合う。
だが茉莉花は「早すぎる」と文句を言わなかった。
「アーシャ、ありがとう。起こしてくれて」
普段であれば、とうに自分で起きている時間だ。今朝はアリサに起こしてもらわなければ寝過ごしていたという自覚が茉莉花にはあった。
「どういたしまして。ミーナ、顔を洗ってきて。その間に朝ご飯の用意をするから」
「OK」と言いながらベッドを出て洗面所に向かう茉莉花。その背中を「手を抜いちゃダメだよ」というアリサの声が追い掛けた。
予選の場所は東京武道館。茉莉花とアリサは八時前に到着した。
幸い雨は降っていなかった。ただ、快晴でもない。南の空に雲が多く見えるのは、南海を北上中の台風の影響だろうか。
一高でエントリーしている選手は全員、マジック・アーツ部の部員だ。この大会は出場を一週間前までにウェブで申し込み、当日の八時半から九時の間に予選会場で再確認受付を行わなければならない。一高の出場選手はその受付を全員一緒に行う為に、会場前で現地集合ということになっていた。
時刻はまだ八時前。受付開始まで三十分以上ある。再確認受付の手続きは簡単ですぐに完了するからそんなに早く来る必要は無い。茉莉花は自分が一高で一番乗りだと思っていた。
予想どおり、会場の前はまだ人が疎らだった。
だが予想に反して、そこには一人、一高生が待っていた。
それに気付いた茉莉花が慌てて駆け寄る。
「千種先輩!」
待っていたのは男子部部長の千種正茂だった。
「すみません、遅くなりました!」
「まだ時間前だし、俺と遠上さん以外はまだ来ていないんだから、謝る必要は無いよ」
現地集合時間は受付開始五分前、つまり八時二十五分ということになっていた。千種の言うとおり、まだ時間前で、しかも随分余裕がある。
「いえ、お待たせしてしまいましたから!」
「遠上さんは体育会系だねぇ」
客観的な観察者のような顔で感心しているが、何十分も前から一人で待ち合わせ場所に立っている千種も大概だったと言えよう。
最後に千香が東京武道館の前に到着したのは八時二十八分。受付開始の二分前、集合時間の三分後だった。──まあこの程度なら、誤差の範囲と言って構わない。
一高から出場するのはマジック・アーツ部員男子四名。女子三名。事前に発表された関東州予選女子十八歳以下のエントリー総数は十五人。男子は二十五人だった。この競技の特殊性を考えれば、人口が多い東京圏を抱えているとはいえこの程度だろう。なお魔法科高校の生徒は一高生だけだ。
上位四名が本選に出場できるので、女子は二回勝てば予選突破となる。運が良ければ一回だ。
九時に再確認受付が締め切られた。女子十八歳以下部門に欠場者は無く、男子十八歳以下部門では一人の欠格者が出た。ウェブエントリーに不正があったのだ。
とはいえこれは、単なる余談だ。珍しくはあるが、大した事件では無い。再確認受付締切後すぐに、乱数プログラムによるトーナメント表の作成が行われ、九時十分に対戦組み合わせが発表された。
女子十八歳以下部門、一回戦は七試合。一人は戦うこと無く二回戦へ。その幸運な選手は一高女子部部長の千香だった。
「部長さんとの対戦は準決勝だね」
トーナメント表を見て、どこかホッとした声でアリサが茉莉花に話し掛ける。
「うん。横山先輩とも上手い具合にブロックが分かれたし、籤運には恵まれたかな」
茉莉花も素直に安堵している。これで一高生同士が予選で潰し合う恐れは無くなった。
「茉莉花、油断するなよ」
アリサと話している茉莉花に、背後から近付いてきた千香が活を入れる。
「はい」
茉莉花の顔が引き締まった。
「うん、良い顔だ。茉莉花の一回戦の相手は古武道で鳴らしたヤツだな。マジック・アーツに転向したとは知らなかったが、何でも『気』を使うらしい」
「『気』ですか……」
「オレも人伝に聞いただけだが[幻衝]に似た技を使うそうだ」
「幻覚の痛みを与える無系統魔法でしたっけ」
「そうだ。幻覚だからと言って馬鹿にはできないぞ。痛みは行動を妨げる。反射的に動きが止まった隙を突かれて決定打を喰らう、ということもあり得るからな」
「分かりました。気を付けます」
素直にアドバイスを受け容れた茉莉花に頷いて、千香は応援に来ている同級生のところへ歩いて行った。
千香が十分に離れたところで、茉莉花がアリサに話し掛けた。
「アーシャ……魔法師じゃなくても魔法って使えるんだっけ?」
千香の聞こえるところでは、彼女の言葉を疑うような質問はしにくかったのだろう。普通の気配りだった。
「何処までを魔法と言うかによるだろうけど……無系統魔法なら、魔法師でなくてもかなりの程度まで再現できるそうだよ。ものによっては修行を積めば、魔法の資質が無くても、魔法師より上手に使いこなせるんですって」
「そうなんだ……」
「私たちと同年代で、そんな修行を済ませた人はいないと思うけどね」
「そうだね」
アリサの言葉は本心であり気休めでは無かったが、茉莉花は心から納得し安堵したようには見えなかった。
◇ ◇ ◇
初戦、茉莉花は予想以上に苦戦していた。
対戦相手の羽田選手は千香から聞いたとおり「気」の遣い手だった。エントリー登録時の自己申告によれば『発気の拳士』。
中途半端に大陸武術を知っている茉莉花は「発勁じゃなくて発気なんだ……」と思った。だが彼女は、発勁が何かと訊かれても答えられない。発勁も発気も同じように理解不能なのだから、意味の無い疑問だった。
ただ原理は不明でも発気がどのような効果をもたらすものなのかについては、対戦中にその身を以て理解させられた。
理屈は分からないが、羽田選手の攻撃はガードを透過するのだ。ガード越しにダメージを与えるのではない。ガードした腕は、相手の拳打をしっかり受け止めている。ガードが押し潰されて拳打の衝撃がその下に伝わってしまうのとは明らかに違う。ガードはしっかり保持されておりその下に隙間が確保されているにも拘わらず、拳打の延長線上にダメージが届いた。
ただ[リアクティブ・アーマー]は透り抜けなかった。前腕部のプロテクターに硬化魔法を作用させたケースでも、魔法の掛かりが弱ければダメージは透ったが、魔法が上手く掛かればシャットアウトできた。
エリカの[切陰]は[リアクティブ・アーマー]を纏った茉莉花を戦闘不能に追い込んだ。この事実に照らせば、羽田選手の技はエリカが「陰の技」と呼んだ技術とは別物なのだろう。だが[切陰]と羽田選手の拳打には本質的な共通点があるように、茉莉花には思われた。
試合中にそんなことを考えていたのも、まずかったのかもしれない。試合は長引き、途中かなり追い込まれる場面もあったが、最終的には試合時間八分で茉莉花が羽田選手をKOした。
なお、決まり手に[リアクティブ・アーマー]は使わなかった。エリカに教わった[滑空]を使う場面も無かった。
そして試合後、茉莉花は試合中の雑念について千香からこっぴどい説教を喰らった。
既に述べたとおり女子十八歳以下部門で魔法科高校から出場している選手は、一高の三人だけだ(女子だけでなく男子にも言えることである)。従って他の選手は魔法師としての資質が魔法科高校の入学選考基準に合わなかったか、古式魔法を選んで魔法科高校に進学しなかったか、そもそも魔法を使えないか。そのいずれかだ。
出場選手全体で最も多いのは古式魔法師の卵。次が魔法科高校に進学しなかった魔法資質保有者。以下魔法を始めとする異能力を持たない者(羽田選手はこれに該当する)、魔法ではない異能の持ち主と続く。
茉莉花の二回戦の相手、山崎選手は、その最後のカテゴリーであるマイノリティの異能者。サイキックだった。
この二回戦、茉莉花は最初、苦戦というより戸惑っていた。動きがずれるのだ。自分が意図した足運び、体捌き、打撃が少しずつ、ずれていた。その所為で有効打が決まらない。見切りができずに躱すつもりの攻撃をガードしなければならなくなる。そんな状態が開始から二分ほど続いた。
何か、からくりがある。自分が調子を崩しているわけではない。山崎選手が何か仕掛けている。それに茉莉花が勘付いたのは、組み打ち主体にスタイルを変更した二分過ぎのことだった。
サブミッションを仕掛ける腕や足が外側に引っ張られるのを感じ取って、相手が念動力を使用していることにようやく気付けた。山崎選手がもっと強い念動力を使っていたら、より早い段階で分かっていただろう。
山崎選手はおそらく、敢えて出力を抑えることで念動力の行使を気付かれにくくしていたのだ。そうして茉莉花に無駄な動きを強いて、スタミナを削ろうとしていたのに違いなかった。
その証拠に茉莉花が念動力の影響を受けやすい細かい連打を捨てて、一撃の威力に重きを置いた打撃にシフトした後は、山崎選手も戦い方を変えた。マジック・アーツにおける念動力の使用方法としてはポピュラーな、茉莉花の全身を突き飛ばしたり転倒させたりする攻撃に切り替えた。
マジック・アーツで魔法師とサイキックが戦った場合、完全思考操作型CADが普及する前はサイキックの方が有利とされていた。だがこのCADの普及で有利不利は逆転した。
CADを操作するタイムラグが消えたことで、魔法の発動とサイ能力の発動の速度差は無視できるまでに縮まった。そうすると、魔法師の抽斗の多さがものを言う。マジック・アーツは試合中に使える魔法の種類を制限されているとはいえ、基本的に一種類、多くても三種類の能力しか使えないサイキックと魔法師とでは戦術の幅が違う。
この試合でもそれが、勝敗を分けた。
試合時間四分で、茉莉花が準決勝に進出した。
「おめでとう。これで全国大会進出決定だね」
勝利を収めた茉莉花の所へ観戦していたアリサが祝福にやって来た。
「ありがとう、アーシャ。明も応援に来てくれたんだね」
アリサは一人ではなく、隣に明を連れていた。
「おめでとう、茉莉花。一回戦には間に合わなかったけど、今の試合は見せてもらったわ。マジック・アーツって、魔法師だけでなくサイキックの人もやっているのね」
完全思考操作型CADが普及したことで、見ただけでは魔法師とサイキックの区別が付きにくくなった。だが明は、茉莉花の対戦相手がサイキックだと数分見ただけで分かったようだ。
「少ないけどね。あたしが始めたばかりの頃は、もっとサイキックの選手もいたんだけど。思考操作型が普及してから段々減ってるんだ」
「何故?」
アリサが不思議そうに問い返す。
「サイキックの優位が薄れちゃったからでしょ」
しかし明は、説明されなくても理由が分かったようだ。
「完全思考操作型CADが普及するまではCADの操作に手を動かさなければならなかったから、CADを使わないサイキックがスピードの面で優位に立てた。でも思考操作型が普及して有利な点が無くなっちゃったということでしょ」
「……それまでもらえていたハンデが無くなったから止めちゃうというのは、何か違うと思うけど……。その人たち、本当にマジック・アーツが好きだったのかな」
明の解説を聞いて、アリサは納得いかないという顔で呟くように疑問を口にした。
「逆に言えば今でも続けている人たちは、本当に好きでやっているんだと思うよ」
茉莉花のどこまでも前向きな意見に、アリサは「ミーナらしいな」と微笑みを浮かべた。
人数の関係で女子より一試合多い男子十八歳以下部門の準々決勝が終わり、十八歳以下部門の全国大会出場者が決まった。一高の女子は三人とも無事に、全国に進むことができた。一方の男子は四人の内、三人が本大会進出、一人が予選敗退。準々決勝で一高生同士の対戦があった結果だった。
この結果に不平を鳴らしている一高生は、応援席にしかいなかった。選手は、負けた本人も含めて、不満を見せていない。この大会はこういうものだと受け容れていた。
「あくまでも個人戦だしね」
同士討ちについてアリサに訊ねられた茉莉花は、あっけらかんとそう答えた。
「あたしも含めてこの大会に出ている選手の目標は日本一。勝ち進んでいけば、いずれ何処かで対戦しなきゃならない。それが予選だったというだけだよ」
「……じゃあ次の試合で部長さんと戦うのも、全国で優勝する為のワンステップ?」
女子十八歳以下部門準決勝第一試合は、茉莉花と千香の対戦だった。
「ラッキーだったと思う」
そう言って、茉莉花はアリサに背を向け、テーブルの上にある自分のヘッドギアを手に取った。
「ここで負けても全国大会で雪辱できるからね」
背中越しのセリフ。
そして腰の後ろでヘッドギアを持つ右手の手首を左手で摑み、上半身だけで振り返る。
「その代わり今日勝っても、もう一度戦わなきゃならないけど」
茉莉花はそう言って前を向き、「じゃあ、行くね」という言葉と共に、準決勝のリングへ向かった。
茉莉花と千香、二人の一高生が準決勝のリングに上がった。
試合用ヘッドギアの、透明なフェイスシールド越しに二人の視線がぶつかり合う。部活では何度も立ち合っている二人だが、試合形式で対戦するのは久し振りだ。具体的には七月上旬に行われた三高との対抗戦直前に、最終仕上げとして試合形式の練習を行って以来だから約一ヶ月半ぶりか。
レフェリーの合図で二人が歩み寄り、互いに礼をする。
「茉莉花、全力で来い」
顔を上げた千香が、茉莉花に話し掛ける。
「部長、全力で行きます!」
顔を上げた茉莉花が、千香に応えた。
レフェリーの右手が挙がり、勢い良く振り下ろされる。試合開始の合図だ。
その直後、茉莉花がいきなり仕掛けた。
茉莉花がリーチの長い前蹴りを中段に放つ。
千香はバックステップしながらその蹴り足をキャッチしようとしたが、茉莉花が足を引き戻す力の方が強かった。軸足一本で支えられている茉莉花の体勢がまるで崩れなかった。
千香の顔に意外感が過る。確かに彼女の受けは完全ではなかった。本来は相手の足首か、ふくらはぎを摑んで持ち上げるところを、腕を添えてすくい上げただけだ。
だが片足立ちの状態で足をすくわれれば後ろ向きに転ぶか、転ばないまでもよろめくのが普通だ。どんなに足腰が強くても、全く体勢に影響が無いというのは普通ではない。
茉莉花は細かいステップで千香が下がった分の距離を詰め、再び前蹴りを放った。
前に出した足で繰り出す、ジャブのようなキック。それを素早く三連続で千香のボディに打ち込む。軽い蹴りに見えたが、見た目を超える衝撃が千香にダメージを与える。
それを無視できず、千香は三発目の蹴りに、同じ前蹴りで応戦した。
キックが同時にヒットする。足から伝わる感触で、千香は茉莉花が何をしているのか覚った。
昨日、一昨日と、この後輩が取り組んできたことを、同じ場所で練習していた千香は知っている。
合宿でレオから学んだ硬化魔法の修得。そしてエリカから学んだ自己移動魔法の練度向上。
この試合の冒頭で、茉莉花が見せたものは後者だ。
自己移動魔法とは、自分の空間座標を操作する魔法。別の場所に移動することだけでなく、同じ場所に留まることも「自分の空間座標の操作」。
茉莉花は自己移動魔法を使って自分を一箇所に固定しているのだった。
前蹴りが相討ちとなったところで、茉莉花はいったん千香から距離を取った。仕切り直しは千香も望むところだったようで、互いに弧を描きながら相手の隙をうかがう。
油断なく千香を観察しながら、茉莉花は「もう覚られちゃったかぁ」と意識の片隅で考えていた。
この試合を茉莉花は、テーマを持って戦っていた。勝負を捨てたわけではないが、勝敗よりもそちらを優先するつもりだ。
アリサにも明言したように、茉莉花の目的はあくまでも全国大会で優勝すること。この試合で負けても、本大会進出はもう決まっている。本大会の組み合わせも完全にランダムな抽選だから、準決勝で負けても不利にはならない。
それよりも、千香という強敵を相手にこの戦い方が通用するのかどうか、練習ではなく試合で確かめておく方が全国大会を勝ち抜く為には重要だと茉莉花は考えているのだった。
先週の合宿で出会った卒業生、千葉エリカとの立ち合いは、茉莉花の心に強烈な衝撃を与え、鮮烈な印象を深く刻み込んでいた。
自分と四歳しか違わない大学生。だが千葉エリカの技は、とてもそうとは思われぬほど洗練されていた。「武」の深みを感じた。
おそらく生死を懸けた修羅場をくぐり抜けてきたのだろう、と茉莉花は思う。彼女は命懸けの戦いを経験するどころか、間近に見たこともない。だから「生死を懸けた修羅場」というのは、単なる想像でしかないのだが。
ただあの立ち合いで覚えた戦慄は、想像ではなくリアルな体験だった。剣術と徒手格闘術、修める技に違いはあるが、茉莉花にはエリカが自分の目指すべき一つの頂に思われた。要するに茉莉花は、エリカの技に当てられたのである。酔わされた、と言う方が適切かもしれない。
この三日間、エリカに告げられた言葉が茉莉花には忘れられずにいた。今もまだ意識に留まり続けている。
──絶対的な防御手段は無い。
──自分の強みは防御力にものを言わせた積極的な攻撃。
一見、相反するアドバイスに思われる。だがエリカが何を言いたいのか、茉莉花は理解していた。あるいは、理解している気になっていた。
自分の「鎧」を信じて、相手に攻撃を叩き込め。「鎧」の守りを突破される前に、敵を倒せ。
茉莉花はエリカの教えを、こう解釈していた。
この試合で茉莉花が試しているのは、この解釈に基づく攻撃重視戦術だ。一歩間違えば自殺突撃の特攻戦術につながりかねない、攻撃されることを織り込んだ上での、より強い一撃を繰り出す戦い方。
判定負けがあるマーシャル・マジック・アーツでは通用しない戦術だということは、百も承知だ。その上で、茉莉花は自分が何処までやれるか試してみることにしたのだった。
強い打撃には強い反動が伴う。大口径の重砲には重く丈夫な砲台が必要になるように、一撃の威力を高める為には強固な土台が必要だ。
それを得る為に何をすれば良いのか。王道は足腰を鍛えることだろう。だがそれは既にやっていることだし、今以上を望むなら年単位のトレーニングが必要だ。目前に迫っている全国大会までにできることは何か。
茉莉花が出した答えは「魔法で自分の身体を固定する」だった。固定すると言っても手足が動かないように拘束するのではない。
原理的には、インパクトの瞬間に自分の全身をがっちりとロックすることで打撃の威力を最大限にまで高められるだろう。だが次の瞬間、動けなくなるハイリスク・ハイリターンな一撃。そんな綱渡りじみた技を短期間で身に付けられると考えるほど茉莉花は自分を過信していないし、楽観的でもなかった。
その代わり反動で身体が下がらないように、軸がぶれないように、自分の空間座標を固定する。エリカに教わった[滑空]の応用だ。この魔法で反動を受け止め、パンチやキックの威力を逃がさず百パーセント相手に伝える。
自己移動魔法を移動しない為に使う、発想の逆転。技術的にはそれほど難しくはない。ただ柔軟な発想が必要だ。この応用技術を茉莉花は一人で見つけ出し、実践しているのだった。
実際にやってみて、手応えはあった。ジャブのような軽い蹴りが、全力の前蹴りに近い威力を発揮したという実感があった。
ただ相手のカウンターがもたらす衝撃も、何時もよりずっと大きかった。少し考えれば分かる道理だが、茉莉花は計算に入れていなかった。
うっかりしていた、と認めざるを得ない。身体を止めて攻撃する時には、シールド魔法か硬化魔法の併用を忘れないようにしなければ、と茉莉花は心に留めた。
二人が睨み合っていた時間は、十秒に満たなかった。元々試合時間が短いマジック・アーツだ。様子見で静かな局面が続くという展開は、余り無い。
今度は千香が仕掛けた。ローキックをフェイントに使って、茉莉花がガードに足を上げ掛けたところで一気に距離を詰める。打撃重視の戦術を採っている茉莉花に、千香はサブミッションを仕掛けた。
敢えて相手に得意技を出させた上で叩きのめし、自分の強さを誇示するという戦い方も確かにある。だが相手に力を発揮させないように戦うのが、正統的な戦術だ。敵が打撃戦を望んでいるなら固め技の戦いに持ち込んで、相手のリズムを崩す。原則に忠実な試合運びと言える。
タックルを仕掛ける千香。だが茉莉花は足を拘束され体重を掛けられても倒れなかった。
(移動魔法による体勢維持か!)
茉莉花がびくともしない理由を、千香はすぐに察した。
千香と茉莉花の動きが止まる。
茉莉花が千香の背中、首のすぐ下を狙って鉄槌──拳の小指側を使った打ち下ろし──を落とす。
その攻撃を読んでいた千香は、タックルを仕掛けた腕を解いて自ら床に伏せた。
茉莉花の鉄槌は空振りに終わる。
跳ねるように立ち上がった千香は、茉莉花に絡み付いた。
倒すのでは──動かすのではなく、立ったまま茉莉花の背後に回る。
スタンディングのサブミッション。これなら相手を動かせなくても問題は無い。
絞め技を狙い、茉莉花の首に巻き付く千香の腕。軸足を固定した状態では上手く振りほどけないと判断した茉莉花は、移動魔法を中止した。
[滑空]もそうだが、継続的な魔法は発動時間を短く設定し頻繁に更新を行うのが現在の主流。この方式で飛行魔法が実現して以来のトレンドだ。
だがそれは千香に読まれていた。否、誘導されていたと言うべきか。茉莉花は千香に組み付かれたまま寝技に引きずり込まれた。
茉莉花は寝技を苦にしていないが、どちらかと言えば打撃技を得意とするストライカータイプ。千香も同じタイプだ。
経験による抽斗の数の違いは得意分野よりも苦手分野、良く使う技よりも余り使わない技に表れる。部内の練習試合でも、茉莉花は千香の寝技に苦杯を喫することが多い。
千香のサブミッションから脱出するだけならば、[リアクティブ・アーマー]を発動して絡み付く手足を押し退ければ良い。だがその外し方は千香も良く分かっている。[リアクティブ・アーマー]頼りでは、離れ際に「イフェクティヴヒット」を何発も喰らってしまうのが目に見えていた。
魔法の使用が認められている徒手格闘の試合で一方が魔法シールドの中に閉じこもってしまうと、何時までも勝負が付かないという事態が生じかねない。これを避ける為にマーシャル・マジック・アーツでは、魔法シールドを使わなかったならば有効打となった攻撃に一から三のポイントを与え、累積ポイントが十になった時点でポイントを取られた方をテクニカルKO負けとするルールが定められている。
この有効打が「イフェクティヴヒット」。「ヒット」と言っているが、打撃技だけでなく投げ技にもポイントが認められている。なお固め技──絞め技と関節技──は、イフェクティヴヒットとは見做されない。
[リアクティブ・アーマー]は強力な魔法だ。対人レベルの攻撃であれば、ほとんど完全に無力化してしまう。ただマジック・アーツの試合では、堅牢すぎる点がネックともなる。
障壁が強力すぎて、魔法で多少威力を上げた程度のパンチやキックでは攻撃されていることに気付かないということが実際にあるのだ。つまり何時の間にかポイントを取られて、テクニカルKO負けを喫してしまったりする。
日頃から何度も対戦している所為か、千香は茉莉花をテクニカルKOに追い込むのが上手い。茉莉花は通常のテクニックを駆使して、何とか[リアクティブ・アーマー]を使わずに千香の寝技から逃れた。
[跳躍]の魔法を使って素早く立ち上がり、同時に距離を取る。仕切り直しだ。たださっきと同じ戦い方は、再びスタンディングサブミッションの餌食になる恐れがある。カウンターに続いて新たな課題を茉莉花は学んだ。
茉莉花と千香の試合は、十分を超える大勝負となった。
「……お疲れ様。残念だったね」
そして最後は、アリサのこの言葉から分かるとおり、茉莉花の敗北で幕を閉じた。
試合時間十三分。千香のテクニカルKO勝利。
茉莉花は十分に注意していたのだが、最後の最後で千香の罠に嵌まった格好だ。
「く──────っ」
「ど、どうしたの、ミーナ」
茉莉花が突然見せた謎反応に、オロオロするアリサ。
「く、くやしーいぃぃ!」
「…………」
茉莉花が絞り出した声に、アリサの顔から表情が抜け落ちた。
「……凄いためだったわね」
アリサの横にいた明が、呆れ声でポツンと呟く。
「……そう」
アリサは茉莉花に、その一言だけをようやく返した。
「そうだよ! 気を付けていたのに!」
茉莉花は地団駄を踏みかねない勢いで叫んだ。いや、叫んだ後、実際にドンと足を踏み鳴らした。
「気を付けていたって、TKOを?」
反問形式の相槌を打つアリサ。セリフ自体はきちんと茉莉花に寄り添うものだが、口調は平坦で感情がこもっていなかった。
「うん。ホント、口惜しいったら!」
もっとも茉莉花がそれを気にしている様子は無い。もしかしたら気付いていないのかもしれない。
「じゃあ、全国大会ではもっと気を付けないとね」
「そうだね。良い勉強になったよ」
急に落ち着いた口調になる茉莉花。
その急激な温度差に、明は呆れ声で「気が済んだみたいね……」と呟いた。
なお関東州地区予選、女子十八歳以下部門は千香の優勝で幕を閉じた。