【5】合宿最終日


 八月二十日、木曜日。今日でマジック・アーツ部は四日間の合宿を終える(山岳部の合宿はまだまだ続く)。

 研修所をつ予定時刻は午後二時。昼食までの時間は各自、自由練習になった。

 元々急に決まった合宿だ。大雑把なスケジュールしか組まれていなかった。だから一部の部員から出た、飛び入りコーチのエリカから昨日学んだことを忘れないうちにおいしたいという要望によって、今日の予定が簡単に書き換えられたのだった。


 はアリサに手伝ってもらって、足を動かさずに高速移動する技術[滑空]の練習をしていた。

 体育館の端を直線で往復する。それを八時過ぎから繰り返していた。

 足を動かさない移動法には、相手に動きを読まれないというメリットがある。相手に間合いをつかませないというメリットも期待できる。

 デメリットとしては、途中で止まったり向きを変えたりしようとすると魔法的なリソースを大量に浪費してしまうという点、魔法を解読されることで動きを先読みされてしまう恐れがあるという点か。

「こんな感じかな?」

「うん、今のは良いんじゃない?」

 練習開始から三時間。の[滑空]はある程度形になっていた。まだ「使いこなせている」というレベルではない。エリカの域には程遠い。だが試合で、一度限りの奇襲に使うには有効な武器になる秘密兵器のできあがりだ。

「アーシャ、ありがとう。もう良いよ」

「まだお昼まで一時間くらいあるけど、他の練習をするの?」

 合宿に参加している部員の、約三分の二が現在この体育館で組手を行っている。見たところ相手は大体固定されているが、お願いすれば交ぜてくれるはずだ。朝から練習したテクニックを、相手のある組手で試してみるのも良いかもしれない。

「ううん、エリカさんのところに行ってみるつもり」

 の答えは、アリサが予想していなかったものだった。

「もうこんな時間だし、先輩、ロッジにいないかもよ?」

 エリカは近くのロッジを借りて四人の弟子と合宿をしている。アリサはそれを、他ならぬから昨日聞いていた。

「うん、分かってる。でも、無駄足になっても良いんだ」

 口ではそう言っているが、には何かエリカと話したいことがありそうだ。

 アリサにはそれが、何となく分かった。

「付き合うよ」

 一緒に行った方が良いとアリサが思ったのも、「何となく」だった。


◇ ◇ ◇


 エリカが借りているロッジは、歩いて十分程の場所にあった。

「ここだよね」

「うん、ここで合ってるよ」

 ロッジに掲げられた看板を読んで、アリサがうなずく。

 がドアホンのボタンを押すとすぐに、応答の代わりにドアが開いた。

とおかみに、じゆうもん先輩の妹さんじゃねえか」

 中から出てきたのはか、レオだった。

 疑問の口調で「西さいじよう先輩!?」と声をそろえるとアリサ。

 意外感に起因する驚きが強すぎて「ここに?」という次のフレーズが、どちらの口からも出てこなかった。

「エリカに用か? だったら中にいるぜ」

 そう言ってレオが扉を押さえたまま半身になって身体からだをずらす。

 中に入れ、というポーズだ。

「……お邪魔します」「……失礼します」

 二人は「遠慮がちに」というより「恐る恐る」という表現が似合いそうな素振りで、お辞儀しながらレオの前を通り過ぎた。


「あれっ? 二人とも、どうしたの?」

 エリカはダイニングと一体になっているキッチンに立っていた。昼食の準備をしているのだろうか。もしそうなら邪魔かもしれない。

「あっ、気にしないで。お茶をれようとしていただけだから」

 アリサの脳裏をよぎった罪悪感を読み取ったのだろう。エリカはそう言った後、自分の言葉を証明するようにキッチン台から二つの小皿を持ち上げてダイニングテーブルに運んだ。

 小皿に載っていたのは、おちやけのようかんだった。

「あの、お手伝いします」

「ありがとう。でも、座ってて」

 エリカは笑顔でにこやかな口調だった。だが「気遣い無用」という意思は明瞭だった。

 アリサとは顔を見合わせ、言われたとおりに腰を下ろした。

 玄関から戻ってきたレオが、遠慮も躊躇ためらいも無くの向かい側──ようかんが置かれている席に座った。

 エリカがお盆に載せてお茶を運んできた。みの数は四つ。

 わざわざちやたくに載せてみを配る。とアリサの前には追加のようかんも置かれた。

 二人は恐縮のていで「ありがとうございます」と頭を下げ、レオはただ「おう」とだけ言って軽く片手を上げた。

「ほんじゃまぁ、いただきますっと」

 レオはそう言って遠慮皆無でようかんに手を付けたが、アリサたちにはとてもできない。やはりエリカとレオの二人は、ただならぬ間柄なのだろうか──?

 そんなことを考えながら、もアリサも目の前のみをただ見詰めていた。

「遠慮無くどうぞ」

 席に着いたエリカに促されて、まずが、続いてアリサがみを手に取った。

 煎茶は濃すぎもせず薄すぎもしない、ちょうど良いあんばいだった。

 ぬるめなのはえてそうしているのだろう。外は今日も、真夏の太陽が照りつけている。

「それで?」

 エリカの問い掛けに応えて、が「ありがとうございました」と頭を下げた。

「教えて頂いた[滑空]ですが、何とか形にできました」

「もうできたんだ。見せてもらっても良い?」

「はい、お願いします」

「あっ、ようかんを食べてからで良いよ」

 腰を浮かせ掛けたは、少し恥ずかしそうに座り直した。


 ロッジの前は平らにならされていた。表面の土の色から、整地したのはつい最近のことだと思われた。おそらくエリカか彼女の弟子が、魔法でけいをしやすい場所を作ったのだろう。

 エリカとアリサと、かレオまでもが見守る中でが[滑空]を実演する。エリカはえずの合格サインを出した。

には言わなくても良いことだろうけど、完全にとくできるまで練習を続けなさいよ」

「はい、頑張ります!」

「うん、素直な良い返事。うちの門弟に見習わせたいくらい」

 エリカが上機嫌に笑う。

 その笑顔に勇気づけられたのだろう。

「あの、エリカさん」

 は遠慮がちに切り出した。

「あたしに、あのを教えていただけませんか」

「あのって[きりかげ]?」

「はい。やはり、駄目でしょうか」

 エリカは返事を迷わなかった。

に『陰の技』は合わないと思うよ」

 エリカの答えは「No」だった。

「そう、ですか……」

 落胆を隠せない

「誤解しないで。戦い方には合わないという意味だよ」

 だがその言葉にまとう空気は、失望が希望に変わった。

の強みは、その堅い守りにものを言わせた積極的な攻撃だと思う。だからシールドを抜かれても耐えられる二重、三重の防御を身に付ける方が良いんじゃないかな」

「ですが先輩。異なるシールド魔法を同時に展開すると魔法の力場が干渉し合って、シールドの弱体化を招く危険性があります。最悪、シールドが発生しなくなるケースも……。いえ、むしろその方が普通かもしれません」

 余り深く考えずにうなずいているの横から、アリサが疑問を呈する。

 このことは[ファランクス]を修得する上での最初の難関だ。アリサもそれで苦労した。

 しかしその点は、エリカも理解していた。

じゆうもんの人らしい指摘だね。だから、シールド魔法以外と組み合わせるんだよ」

「硬化魔法ですか?」「硬化魔法ですね!」

 アリサがエリカに答えを求める視線を、がレオに熱い視線を向ける。

。良いことを教えてあげる」

 が目に宿る熱はそのままに、エリカへ視線を戻した。

「残念だけど硬化魔法じゃ[きりかげ]のような『陰の技』は防げない。でも肉体に直接干渉する魔法なら、肉体そのものを硬化する魔法で封殺できる」

「それって……」

に聞いたけど、いちじようの体液干渉魔法に苦杯を喫したんでしょう? が硬化魔法を身に付けようとしたのは正解だよ」

「ちょっと待ってください。自分の身体からだを硬化するなんて、できるんですか?」

 目の前にニンジンをぶら下げられた馬のような目付きになっているの横から、アリサがあせった声で口をはさんだ。期待が大きく膨らめば、ぬか喜びだったと分かった時の失望も大きい。それをねんしたのだ。

 この合宿で山岳部が使用し、レオがに教えた硬化魔法は服を固めるものだった。

 現代のポピュラーな硬化魔法は防具や刀剣類の強度を上げるものだ。

 古式魔法には「気」や「加護」や「かみがかり」によって肉体の強度を上げる術式が存在すると聞くが、それらはおそらく「強化」であって硬化魔法とは別の術理に基づく魔法だ。

 そもそも人体は柔軟性を持つから自由に動けるのであって、肉体を「硬化」してしまったら動けなくなるのではないか。アリサはそういう疑問をいだいた。

「できないと考えるのが常識的ね」

「……つまり常識が間違っているということですか」

「ううん、常識が間違っているんじゃなくて。非常識な例外が存在するってこと。そうでしょ、レオ」

「そういう話になるのは、会話の流れで何となく分かっちゃいたけどよ……」

 エリカに話を振られたレオは、とびきり苦いゴーヤを食べさせられたみたいな感じに顔をしかめた。

「あれはオレのBS魔法みたいなもんで、誰にでも使えるってもんじゃないぜ」

 BS魔法は先天的特異魔法技能とも呼ばれている、属人的な魔法だ。必ずしも本人以外再現不可能というわけではないが、容易に学習、模倣できないが故に「先天的」であり「特異」と呼ばれている。

「完全にとくする必要はないでしょ。肉体に干渉する魔法を受けた瞬間だけで良いんだから。確か、燃費改善のためとか言ってたつ君に専用の起動式を作ってもらってなかった?」

「確かにたつが起動式を組んでくれたけどよ……」

 二人の卒業生のりを聞いて、アリサは「まただ……」と思った。

 またしても『たつ』。今回に限らず高度な魔法技術の話になると、高い頻度でこの名前が出てくる。

 彼女もたつの功績を知らないわけではない。友人のめいが傾倒していることもあって、魔法師の社会で一般に知られている範囲のことは一通り調べた。

『トーラス・シルバー』の名前で、ループ・キャスト・システムを始めとして幾つもの魔法システムソフトウェアを飛躍的に改良。

 同じくトーラス・シルバーとして、世界で初めて飛行魔法を実用化。

 飛行魔法と同様に「加重系魔法の三大難問」の一つだった、重力制御式熱核融合炉の実用化技術を確立。

 魔法師以外の人々には「個人の力で大国の軍事力をりようした魔人」の側面が広く知られているが、魔法工学技術者としての功績も軍事的・政治的な威名に匹敵するとアリサは思っている。

 だがそれにしても、個人的なテリトリーで名前を聞くことが多すぎる。まるで『たつ』という名の大きな運命の流れに、自分の人生が引き寄せられているような錯覚すら覚える。

 その錯覚は、彼女の意識の片隅に不吉な予感としてわだかまった。


 ロッジに戻ったは、レオから「自分の肉体に作用する硬化魔法」の起動式を受け取った。

「あの、これを書いた先輩にお断りしなくて良いんですか?」

 魔法には、特許権使用料を徴収するシステムは無い。CADに使用される起動式は電子的なプログラムなので公開されたものは著作権の対象となってもおかしくないのだが、この点については「起動式はロジックであって著作物ではない」という結論で、事実上の国際合意ができている。

 私経済分野でリバースエンジニアリングを禁止する条項は一般的だが、友人間のりで法的に有効な禁止条項が定められているケースはまれと言える。

 ただ、法的権利関係と個人的信頼関係は別物だ。はレオが友人との関係を悪化させるのではとねんしたのである。──なお、にとってたつ知らない人なので、彼がどう思おうと気にならなかった。

「ああ、そりゃ大丈夫だ。たつからは自由にして良いって言われているからな」

「……そうなんですか?」

「随分太っ腹だな」とは感じた。

「何か裏がありそう」と横で聞いていたアリサは思った。

「むしろ、使えそうなヤツを見付けたら分けてやってくれって言われたぜ」

「……条件は無いんですか?」

 ますますさんくささを覚えたアリサがたずねる。

「渡した相手のことを後から報せろとは言われているな。でもそれは普通だろ?」

「ええ、そうですね……」

 レオの言うとおり、私的に譲られたプログラムの複製を第三者に渡す場合は、少なくとも事後に承諾を取るのがマナーだ。これは何もプログラムに限ったことではない。誰かの労力の産物には敬意が払われるべき──これが現代社会のコンセンサスだった。

 しかしそれは同時に、大切な親友の個人情報が得体の知れない男性の手に渡るということでもある。その男は美人な婚約者にぞっこんらしいからストーカー的な被害は心配しなくても良いのかもしれない。だが今までに耳にした様々なエピソードから、マッドサイエンティスト的な興味を持たれるのではないか、というねんをアリサは拭い去れなかった。

西さいじよう先輩は今でも先輩と親しくされているのですか?」

 レオは魔法師との縁が薄いレスキュー大に進学し、魔法から離れている。一方のたつは魔法師としても魔工師としても、魔法の世界にどっぷりかっている。もしかしたらあまり接点は無いかもしれない。

 それはアリサの希望的観測だったが、的外れでもなかった。

「お互い忙しくてなぁ。最近は時々電話で話すくらいか」

 それなら、表面的なプロフィール以外が伝えられることはないだろう……。アリサはひとず安心した。


「ところでレオ先輩、何でエリカさんのロッジにいたんだろうね?」

 合宿に使っている研修所への帰り道、がそんなことを言い出した。

 その発言を「唐突」とは、アリサは思わなかった。実は彼女もさっきから同じことを考えていたからだ。

だろうね。確かに仲は良さそうだけど、恋人同士には見えなかったな……」

「でもすごく分かり合っている感じだったよ。『気が置けない男女』っていうのかな。そんな感じだった」

「うーん、でも、雰囲気がね。恋人って言うより、親友? みたいな?」

「恋人以上の親友?」

「あっ、そんな感じ」

 が口にしたフレーズに、アリサは手をたたいてうなずいた。

 この時の二人は、目をキラキラさせていた。


◇ ◇ ◇


 昼食後はすぐに帰り支度。荷物をまとめて、お世話になった研修所の職員に皆であいさつに向かう。

 その後、既に到着していたかしきりバスに乗って、マジック・アーツ部の部員とアリサたち四人は研修所の最寄り駅へ向かった。

 来た時と同様、アリサとの二人は個型電車キヤビネツトで狭い思いをしながら自宅最寄り駅へ向かう。四日前との違いは、かさる荷物を抱えていながら、が眠そうにしていたことか。

 合宿の疲れが出たのだろう。昨日までに蓄積された疲労に加えては午前中ずっと、新しい魔法を覚えるための試行錯誤で体力と精神力を消耗していた。

「ミーナ、起こしてあげるから眠ってて良いよ」

 隣の席からアリサが声を掛ける。彼女も大きなバッグを膝に抱えていての荷物を引き受けることは不可能だったので、せめて目覚まし時計の代わりくらいはしてあげたいと考えたのだ。

 本当はアリサも眠かったのだが。

「……ありがとう。お言葉に甘えちゃうね」

 は睡魔にあらがうのを止めた。

 彼女はうつむき、目を閉じた。

「アーシャ、あたし、頑張るよ」

 眠りに落ちる前に、それだけは言いたかったのか。は目を閉じたまま、れつが怪しくなった口でそう言った。

「教えてもらったこと、きっと……」

 言葉が寝息に取って代わられる。もしかしたらそれは、半分寝言のようなものだったのかもしれない。

 それでもアリサには、が何と言ったのか分かった。

 は「エリカとレオから教わった魔法をきっととくしてみせる」とアリサに約束したのだった。