あとがき
ロバート・シルヴァーバーグに「世界の終わりを見にいったとき」という短篇がある。この作品が空想するのは新しい種類の旅行会社で、人々は時間旅行によって、世界が終わるそのときの情景を見物しに行くことができる。その光景はきっと壮観で、一見に値すると思う。だけどそれ以上にわたしが思い入れを持つのは、永劫の時を経て生まれ変わったあとの〝明日の世界〟を描くような作品だ──長い年月ののちに、一度壊滅的な打撃を受けた人類文明がふたたび築かれる。その世界はわたしたちの世界からなにを引き継ぎ、なにを
ポスト・アポカリプスの延長線上に位置づけられるこうした作品は、星の数ほど名作があるが、そのなかでも重要な地位を築いた作品としては、ウォルター・ミラーの『黙示録3174年』や宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を挙げるといいだろうか。前者に影響を受けた作品として『トリニティ・ブラッド』の名前を出すことができるし、世界で一千万本以上を売りあげたテレビゲーム『Horizon Zero Dawn』は後者をなぞっているように思える。わたしの『盟約の
わたしのもとからの領域であるミステリの要素も、もちろん消えてはいない。社会の治安が騎士によって保たれている世界ということで、本作は一種の警察小説として見ることができるかもしれない(ローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』の女騎士版に近い)。ストーリー展開の一部ではサラ・パレツキーとスー・グラフトンを代表とする女性私立探偵の物語も参考にした。主人公の造形には、P・D・ジェイムズが描くコーデリア・グレイの影を容易に見てとれる。最後に明かされる仕掛けについては、エラリー・クイーンのある後期作品と、アーサー・C・クラークのある短篇(日本語訳は『太陽系最後の日』に収録されている)へのオマージュだ。同時に、小川一水と米澤穂信の二人の先達にも感謝したい。彼らの『風の邦、星の渚』と『折れた竜骨』は、東アジアの小説家であっても中世ヨーロッパものを書いてみせる姿を見せてくれ、この作品を執筆する勇気を与えてくれた。
小説についてのわたしの考えは、ひょっとするとマーティン・スコセッシの映画観にも似て、偏狭に近いくらい保守的かもしれない。なにもないところから斬新なものを作りあげられる才能は持っていなくて、つねに文学の伝統に敬意を持ちつづけ、旧習のなかにその先を探すことしかできない。伝統的な意味での〝物語〟は、のこらず一つの難題に向きあってきた──たった一度の人生をどのように過ごすかだ。そこで扱うのは命ある一人の人間であっていくつかの型から量産された登場人物ではなく、また「終わりなき日常」や〝異世界転生〟のような避難所に逃げこむこともしない。読者のまえに差し出されているこの物語も同様に、初めから終わりまでサラ・トルンという名の一人の少女騎士をめぐって展開し、彼女の冒険を、彼女の成長を、彼女の挫折と彼女の決断を記していく。
本書は、わたしが日本の出版社からの依頼で執筆したはじめての長篇だ。星海社の丸茂智晴氏はわたしを見込んで依頼を持ちかけてくれ、また要望とは異色の内容になった本書の担当編集を喜んで引きうけてくれたことにも感謝している。わたしの作品はこれまでほとんど稲村文吾氏の手によって日本語に訳されてきたが、本作も例外ではない。わたしの小説は雑多な知識で埋めつくされていることで以前から有名だが、さらに本作は古ノルド語をもとにした各種の造語ばかりで、彼の仕事に多くの手間を増やしてしまい、心から感謝するとともに後ろめたさを感じずにはいられない。また、本作のために表紙のイラストを描いてくれた鈴観氏と装幀のVeia氏にも感謝する。きっと多くの読者がこの美しい表紙に惹かれて本書を購入してくれたことだろう。
二〇二一年六月 陸秋槎
(翻訳:稲村文吾)