スーという少女の口から〈七短剣の聖女〉の名が出たのを聞いたサラは驚くと同時に胸が躍ったが、できるだけそれを表に出さないようにしながら、かすかに警戒もしていた。

「どこでその言葉を聞いてきたの?」

「金持ちが住んでる地区のおっきい家で、名前はたしかグリンケルって。たまにあいつらの倉庫に入って、金貨を何枚か取ってくるんですよ──ちょっとだけなら気づかれやしないから」スーは答える。「運が悪い日があって、金を取ったけどまだ逃げ出すまえにその家の旦那が入ってきて、あたしは隠れるしかなかった。そいつが木の箱からこんな感じの像を出してきて、台に置いて、床にひざまずいて〝七短剣の聖女よ、われらを守りたまえ〟とかなんとか、ぶつぶつ言って祈ってたんです」

「それはいつのこと?」

「今月です。それからあそこじゃ金は盗ってません」

「案内してもらえる? そこの主人に会ってみたいの」

「あたしが案内したら、なにか逃げ道をくれるんですか?」

「治安官に頼んでおきましょう」サラは言った。「だけれど、もしわたしに協力して芝居をする気があるなら、治安官のところに送らないでおくこともできる」

「芝居って、どんな?」

「そのうちあなたにもわかる」

 そう言いながらサラは床に落ちた像を拾い、身に着けているかばんに入れた。スーを助け起こし、マントを拾いあげて着せてやり、縛られた両手を隠しながら部屋の外に連れ出す。同時に机のうえのランプを持っていくことも忘れなかった。スーは察しよくサラに従った。

 二人は裏口から宿を出て、スーの案内でサラは路地を抜けていく。

「頭を働かせたつもりで、仲間のところに連れていこうとするのはやめておきなさい」途中、サラは忠告する。「なにか怪しげなことを企んでいるのに気づいたら、その場で斬って捨てるから」

「仲間がいたらいいんですけどね」

「仲間がいたとしてもわたしの敵ではないから。この剣に殺される数が増えるだけ」

「それもいいな。コールガに会いに行く船で連れがいれば、そんなに寂しくないから」

「わたしにおとなしく従うなら、寂しく絞首台に吊るすのは勘弁してあげる。ひょっとすると、良い行き先を紹介できるかもしれない」

「そりゃあ感謝感激ですね。まえにグレースも、〝良い行き先〟を紹介してやるってほかの子に言ってましたよ」

「良いところなんかじゃなさそうね」

「いったい良いのか悪いのかは、あたしもわからないですけど。あそこだったら腹が減ることはないと思うし、殴られることなんかはあるかもしれないけど、とりあえず絞め殺されることはないし──エルドゥリアのしょうかんに売られるんですよ。もしグレースが生きてたら、あたしももう何年かしたら〝良い行き先〟とかいうのに送られてたんです。あたしはとにかく、ゼーラントの娼館に売られるのはいやだって……」

「なにか違うの?」

「エルドゥリアの娼館は男だけ相手すればいいけど、ゼーラントじゃ女の相手もするって聞きました」

 さらにいくつか小道を抜け、サラが連れてこられたのは高い塀のまえだった。

「ここの家ですよ」スーは言う。

「玄関はどこ?」

「あたしからすればここが玄関です」

「わたしにとっては違うの」

 ということで二人は壁沿いに進み、正面入口を探したが方向を間違え、見つかるまでに塀をほぼ一周することになった。白く塗られた門は閉ざされていて、外に門番はいない。

「いまから、わたしに付きあって芝居をしてもらうから」サラは言った。

「どんな芝居ですか?」

「自分のふりをしてくれればいい──捕まったこそ泥の役を」

 そう言ってサラはスーからマントを剝ぎ、自分で羽織って、スーの腕を縛っていた縄をほどきはじめる。ほどきながら、逃げようとは考えないこと、さもないと剣を抜く、と言い含めていた。縄がほどけると同時にサラはスーの首元をつかみ、門のまえに引っぱっていった。

 力をこめて扉を叩く。

 すぐに扉の向こうから、早足で近づいてくる音が聞こえてきた。そのあいだにサラは縄を荷物のなかに入れ、例の黒い木彫りの像を取り出している。

 扉が開いたが、一人が出入りできる程度の幅しか開かない。なかから斧槍ハルバードを手にした、番兵らしい姿の男が出てきた。三十歳前後というところで、サラより頭二つぶんは背が高く、髪の色も、目の色もかなり明るい。諸島の生まれの傭兵だろう。手の斧槍のほかに、腰に長剣と短剣を差していた。

「こんな遅くになんの用だ?」

「たまたま通りがかったところに、この泥棒が御宅の塀を乗りこえようとしていたので、そのまま捕まえてきたのだけど」

「それじゃあ、扱いはこっちに任せてくれ」

「ちょうど治安官のところに行くところだったから、わたしが連れていってもかまわない」そう言うと、スーの顔に震えあがるような表情が浮かんでいるのにサラは気づいたが、演技なのかほんとうにおびえているのかはわからない。「そうだ、この子の服からこんな像を見つけたのだけど、御宅から盗み出したものでしょうか。問い詰めてはみたけれどおそろしくかたくなで、口を割る気配もなくて」

 サラは木彫りの像を番兵のまえに掲げる。

 相手は受け取ろうとしたが、サラは手を引っこめた。

「ここをあずかっている方を呼んで、なくなっているものがないか確認してみてはどうでしょう」

「それはそうだな」

 そう言って番兵は引きかえしたが、去りぎわに門は閉めていった。

 スーは長く息を吐き、「つぎはどうするんですか」とサラに耳打ちして尋ねた。サラは「臨機応変にやればいい」とだけ答えた。

 いくらもしないうちに、番兵がまた姿を現した。

「訊いてみたが、うちじゃ像なんかなくなってない」男は言う。

「ならほかのところから盗んだのかもしれない」サラは言った。「ともかく治安官のところに連れていきましょう。お邪魔しました」

 番兵はそれに気のない様子で返し、また門は閉ざされた。

「噓はついてません」スーが慌てて弁明する。

「あなたが噓をついているとは思わない。ただ向こうも、ぼろは出さなかった」そう言って、サラはスーを路地に引っぱっていく。「ひとまずここで見張ってみましょう」

「傭兵様、ちゃんと言ったことは守って、あたしを治安官のとこには連れてかないでくださいよ」

「安心して。あなたを絞首台に送ったところで、わたしになんの得もないでしょう?」

「気づかれないで見張るんだったら、もっと良いところを思いつきましたよ」路地の入口にある大きいオークの木を指さした。「でも傭兵様、木登りはできますか?」

「小さいときは大得意だったけれど、長いこと登っていない。さきに手本を見せてもらいましょうか」

 そう言ってサラはランプを道端の排水溝に放っていき、スーに付いて木の下に来た。

 サラの指示を受けながらスーは慣れた様子で木に登り、頑丈な枝のうえに立った。サラはため息をついて、子供のときの木登りでできあがった要領を頭を絞って思い出し、苦労しながら登りはじめた。スーがいる枝のそばまで上がってくるのにかなりの労力を使い、最後はスーが手を伸ばして引っぱりあげてくれた。

 そのあとすぐ、スーは枝のうえの場所をサラに譲り、自分は横に腰を下ろした。サラの場所からは屋敷の門が見え、庭のなかの様子もわずかながらうかがうことができた。

 庭の明かりに助けられ、七、八人の姿が門に向かって駆けていき、通りに出てくるのをサラは目に留めた。彼らはみな番兵らしいいでたちだったが、斧槍は持っていない。

「手分けして探すぞ。傭兵の恰好の女とこそ泥を見つけたら、すぐにまとめて取りおさえろ」統率役の男が命じる。「向こうが抵抗してきたら、殺してもかまわないが、死体は持ちかえってくるんだぞ」

 その後彼らは別行動を始め、周辺の路地に散らばって捜索にかかった。それとは別に二人の傭兵が組になって、通りを東に進んでいった。

「あたしたち、すごい厄介なことに巻きこまれてる?」

「あなたはべつにかまわないでしょう? 治安官のところに送られたら絞首刑で、あの男たちに捕まれば、予想どおりだとすると斬り殺されるんだから。違いなんてなさそうだけれど」

「でも傭兵様の言うことを聞けば、まだすこしは生きのびれる望みがあるってこと?」

「生きのびるどころか、ことが済んだらあなたには得が待っている」サラは言う。「わたしの雇い主は人手こそ多くないけれど、お金はたっぷりあるの。そのときになったら、なんでも言うといい」

「たぶん、ゼーラントの貴族に仕えてるんですね?」

「そんなところ」これからもスーの協力は必要になるかもしれない。ここは信用を得ておいたほうがいい──そう考えて、サラはまた口を開いた。「だけれどわたしは傭兵なんかではなくて、騎士なの」

「ほんとによかった」スーは言う。「騎士はみんな約束を守るって聞いてます」

「ええ、騎士は言葉をたがえない」

 しばらくすると、番兵の服装の男たちが落胆した様子でつぎつぎと門のところに戻ってきた。全員が集まると、統率役の男は部下たちをどなりつけながら門を開いた。

 ふたたび門が閉じるのを待って、サラとスーも枝をつかみ、木の上から飛びおりた。

「塀の向こうを探ってはどうかと思うのだけど、なにか手はある?」サラがスーに尋ねた。

「上ればいいんじゃないですか」

「木登りはできるけれど、塀は登れないから」

「騎士様、気づいてるか知らないけど、庭の裏のほうにも木が生えてます。ちょっと低いけど、でも塀よりは高いはず。木の上に登ってから塀に飛びうつる、ってのはどうですか?」

 そのとおりにして、二人は屋敷の塀の上に立った。二人がいるのはちょうど母屋の裏側だった。

 母屋は三階建てだ。スーの後ろにサラが付いて、身をかがめながら塀の上を十メートル進んだところで建物の端にたどりつくと、都合よく二階のテラスに手が届くようになっていた。スーは首を伸ばし、窓のところにだれもいないのを確かめて、テラスに飛びうつった。聞こえるか聞こえないかの音しか立てていない。スーの手を借りてサラも二階のテラスに乗りうつる。そこからも身をかがめたまま進み、二人は石の囲いを一度またぎ越して、前庭にいちばん近いテラスに足を踏みいれた。

 そこにうずくまると、庭でだれかが話をしているのが二人にははっきり聞きとれた。中年男の声で、自分の部下に説教をしているようだった。

「役立たずどもめ、傭兵とこそ泥ごときも捕まえられんとは」

「なにかがおかしい」今度は女の声だ。「あたしたちの神像は盗まれてない。例の傭兵が持っていた神像はどこから来たの?」

「泥棒がべつのところから盗んできたんだろ」男は言う。「この近くにも〈聖女〉を信じる家はいくつかある」

「それだけならいいけれど。だれかが裏であたしたちを探ってるんじゃ……」

「まさか、こっちの計画の噂が漏れたって?」

「それはなんとも。いますぐにこの件をテレジア様に報告するのがいちばんね」

「あんたが行ってくれ」男は言い、それから女の傭兵の一人に護衛を命じた。「テレジア様によろしく伝えておいてくれ」

 それを聞いて、サラはスーの耳元で静かに〝わたしたちも付いていく〟と伝え、スーもうなずいた。それから二人はもとの道を戻ってまた塀に上がり、スーは慣れた様子で両手で塀にぶらさがり飛びおりたが、サラは木に飛びうつってから、枝をつかんで飛びおりることになった。サラが地面に戻るまで、スーには逃げる時間が充分にあったが、彼女は壁の横でただ待っていた。

 二人は足音を殺しながら、正面入口の向かいの路地にすばやく向かい、物陰に身を隠した。直後、門にマントをまとった人影が二つ、うち一人はランプを提げて現れ、通りを早足で西に向かった。サラとスーは、すこし距離を置いて後を付いていく。

 つづけて後を追ううちに、二人はあかあかと明かりの灯るグロウダン通りにやってきて、そして教会広場にたどりついた。まえの二人が、通用口からフレインリフル大聖堂に入っていくのが見えた。グルントヴィのサモンド大聖堂と同じく、ここにも私的に使うことのできる小祈禱所がいくつかあるのだ。

 サラとスーが入口に立ってなかを覗きこむと、近くに机が置かれていて、その向こうに紫色のローブを着た若い祭司が座っているのが見える。彼は、二人の女からなにかを受けとると、彼女たちを連れて廊下の奥に歩いていった。

 あの二人はどこかの祈禱所で〝テレジア様〟と面会するらしい。

「ついていきますか?」スーが尋ねた。

「もうここまで来てしまったから」サラは答える。「ここは教会。相手もこんなところでそう手荒なことはできない、見つかったとしてもどうにか逃げ出せるでしょう」

「逃げるのはけっこう経験豊富みたいですね」

 二人は薄暗い廊下を、光を追って進み、あの若い祭司が女たちをある部屋に案内し、そして急いだ様子で礼拝堂の方向に向かうのを見た。おそらく〝テレジア様〟を呼びにいくのだろう。

 彼が戻ってくるまえにどこかに隠れないといけない──サラはそう考え、あたりを観察する。スーはこちらの考えを察して、近くにあったドアを指さした。すき間から光が漏れているのを見て、サラはドアに手を伸ばしたが、開けようとしてもまったく動かない。かすかな明かりを頼りに、黒い木のドアに目立たない鍵穴があるのをサラは見つけた。

 そこに、廊下の向こうから足音が響いた。足音とともに、金属がぶつかりあう澄んだ音も聞こえてくる。ここで引きさがるべきかサラは逡巡していたが、ずいぶんと軽快な足音はさきほどの祭司のものではなさそうなのに気づいて、もうすこし様子を見ることに決めた。スーがしきりに服のすそを引っぱっていたが、サラはそれも無視した。

 そして二人のまえに現れたのは、火を点けた銀の燭台を手にした少女だった。スーと歳はいくらも違わなさそうな雰囲気で、ローブは薄青色、まだ見習いの祭司だった。

 腰からは鍵束がぶらさがっている。

「そちらの祭司様」相手が口を開くまえに、サラが先手を取って話しかけた。「雇い主に言われて、新入りのメイドを連れて徹夜禱に来たのですが。約束の時間どおりに来たのに、迎えのかたがいなくて」

「さきほどアンドレを見ましたから、もうすこししたら戻ってきますよ」

「代わりに鍵を開けてもらえません?」

「できはしますが」少女はすこしためらっている。「雇い主のかたというのは、どちらさまでしょう?」

「このかた」そう言ってサラは、昨日女伯爵から手に入れた印入りの指輪を取り出し、相手のまえに掲げた。

「ベーフェラント家からいらしたのですか、これは失礼を」

 少女は急いで燭台をスーに預け、大量の鍵束から慣れた様子で一本を出して、目のまえのドアを開けた。なかに入ると、スーの手から燭台を受けとって、祭壇のろうそくに火を点け、うやうやしく膝を曲げて礼を送ると早足で部屋を出ていった。

「ほんとうに貴族に仕える騎士だったんだ」

「わたしが噓を言っていると思ったの?」

「そこまでは」スーは返す。「大げさに言ってるんだと思ったぐらい」

 直後、ドアの外から足音が聞こえ、続けてドアを開け閉めする音がした。サラとスーはすこしのあいだ待ち、あのアンドレという祭司の姿がないのを確かめると、部屋を出て隣の部屋のドアに近づき、聞き耳を立てた。

 ──話はもう聞いています。裁きの日レギンドームルは明日なのです、用意すべきことはたくさんあるでしょうから、このような小さなことで取り乱さないように。

 ──かしこまりました、テレジア様。

 ──イヴリン、自分がなぜいまの場を去るのかを忘れないように。

 ──忘れてはおりません、ですが明日のことを考えると……

 ──怖いのですか? 怖がることなどないのですよ。聖女を信じない者の死は死そのもの、野良犬のようにのたれ死に、カラスに引きちぎられ、うじ虫に食われるのです。しかし聖女のお導きを正しく守って死ねば、もっとすばらしい形でふたたびおまえ自身になれるのですから。おまえがこの世で手にした財産は、来世でも手にすることになります。この世で得た地位は、来世になっても失われることはありません。おまえがよみがえったときは、はじめから財産家の娘となり、いまの生のような貧しさに苦しむ孤児ではなくなるのです。この生に心残りとなることなどありませんね。

 それを聞いたサラは彼女たちの教義についておおまかに理解し、そしてあの強盗の二団がなぜ死ぬことばかり考えていたのかを知った。

〈七短剣の聖女〉の信者である強盗たちは、自分が死んだとしても奪いとった財産はともに来世に残ると信じていたのだ。

 彼らにとって、罪人として捕らえられることは同時に、すべての財産を失うことを意味した。

 それと同時に、もとの主人を殺して奪った荘園と家も、来世に残すことができる財産なのだ。これで、強盗たちは逃げ出せる機会があったのになぜ死ぬことを選んだのかに説明がつく。そしてネストヴェズ家の荘園に攻めこんだとき、外から戻ってきた二人の強盗が、荘園が騎士たちに占領されているとわかっていながらなぜ乱入してきたのかの説明にもなっていた──そのなかで死んではじめて、あの荘園はたしかに自分たちの財産だと確実にできるのだ。

 つまりは、あの二団の強盗はそもそも生きのびるつもりなどなかった。騎士団の攻撃に遭ったとき、強盗たちは来世の幸福は確実になったと信じこんでいたから、なんのためらいもなく死んでいったのだ。

 ──ですがテレジア様、もしあの傭兵とその雇い主にこちらの計画が知られてたら……

 ──今年の初め、辛抱の足りない者どもがゼーラントに逃げていきました。そこから噂が漏れたのかもしれません。ですが心配いらないのです、あれはいちばん下の立場の信者で、具体的な計画は知りませんでした。あちこち訊きまわっているその女については、安心なさい、聖女にはすでにご用意があります。戻ったらペーターに伝えなさい、すべて計画通りに進めよと。

 サラとスーは、室内での会話が終わるまえに退散した。通用口を固めている〝アンドレ〟とはち合わせしないよう、二人は教会の礼拝堂から逃げることにした。このとき礼拝堂は祭壇に何本かろうそくが立っているだけで、どこか薄気味悪く、恐ろしいように見えた。祭壇にひざまずいて祈っていた男女は、服装を見るかぎり貧乏人ばかりだった。

 サラはふと、夕暮れどきにここで連絡役と会ったときの光景を思い出していた。あのときは年配の女祭司ヴォルヴァが説教をしていた。あの力強くきっぱりとした声は、ドア越しに聞こえた〝テレジア様〟の声とすこし似ていた。

 正面入口から教会を出たサラは、スーを連れて宿には戻らず、もちろん役人のところに連れていくこともなく、二人で狭い道を西に進んだすえに、二階建ての小さい家の裏口のまえで足を止めた。

 すこし古ぼけて見える家は、普通の民家と変わりがない。

 サラが木のドアをノックし、出てきたのは頰ひげをたくわえたがっしりした男だった。ランプを持ちあげて、来訪者の顔を照らす。

「……サラか? この二日ブルーメンベルクにいるとは聞いたが、こんなに早く会えるとはな。なにか面倒ごとに巻きこまれたか?」

「そんなところ」

「なかで話そう」そう言って、サラの横にいるスーに目を向けた。「こっちは?」

「心を入れかえようとしているこそ泥」

 男は二人を居間に招きいれ座らせた。居間は物が少なかったが、大きな円卓が置かれている。壁にはベーフェラント家の紋章を刺繡したタペストリーがかかっていた。

〝こそ泥〟のスーをまえにしても、青年は礼儀を忘れずに自己紹介をした。彼はベーフェラント家に仕える騎士、リチャード・フェローといった。

 サラもこの機に自分の名前を口にした。

「この子が面倒ごとってやつか?」リチャードはサラに尋ねる。

「わたしの部屋に盗みに入ったの──でもこれは小さい面倒でしかない。そのあと、この子といっしょにたいへんな面倒ごとに巻きこまれたから」サラは答える。「情報を手に入れたの、明日、決死の覚悟を決めた一団がブルーメンベルクで狼藉を働くかもしれない」

「どれだけ確かな情報なんだ?」

「首謀者の口から、この耳で聞いたの」

「そいつらはどこで騒ぎを起こすんだ?」

「わかっていない。向こうの目標は財貨だということしか」

「それはまずいな。ブルーメンベルクは、富にだけは不自由しない」

「そう、港の船や倉庫、イーヴァルディ通りやグロウダン通りの店、ハウビャルト島の鋳造所、もしくはウーベグレン学院の大書庫……どれも、やつらの標的になりうる」

「向こうの頭数はどれくらいなんだ?」

「それもわからない、だけど少なくはないはず。連中は妙な宗教を信じていて、死後も財産を来世まで持っていけると信じているの。だからことが済めば抵抗らしいものはしないし、それどころか包囲されれば自殺するはず。ということは、巻きこまれそうな人間を避難させられれば、損失は最低限に抑えられる」

「しかしすべては運び出せない財産をまえにして、いよいよ切羽詰まりでもしないかぎり、避難しようというやつがどこにいる?」

「だから、だれかがブルーメンベルクの市民を守らなければならないの──あの信者たちに遠慮などないから、必要なときに避難できなかった人間は連中の刃にやられてしまう」

「いまこっちにはおれとヴィグディスと、ヨースタインしかいないんだ。ヨースタインを城に送って、人手を回してもらうことにしよう」

「ブルーメンベルクの城門は夜閉まっていたと思うけれど、いま城外に出られるの?」

「ベーフェラント家の騎士ならどうにかなる。ただ援軍が街に入ってくるとなると、夜明けを待たないといけないな」

「なら、ひとまずそれで進めて」サラは言う。「わたしは宿から荷物を取ってくる。それから騎士団の制服に着替えて、治安官に会ってくるから。王女様とベーフェラント家の指輪を並べて出せば、向こうも信じてくれるでしょう」

「おれも付いていくよ」

「大丈夫、一人で行動したほうがかえって安全。このこそ泥さんを守っておいて。調査のときいろいろと助けてもらったの、身を持ちなおすための手助けをするとわたしは約束したから」そう言って、スーのほうを向いた。「あなたはここに残って、どこにも出ていかないで。この件が片付けば、もちろん悪いようにはしないから」

 スーはうなずいた。

 伝えるべきことを伝え、サラは黒のマント姿になって、裏口からその家を出た。夜の闇はさらに深くなり、途中通りすぎる家々も多くはもう明かりを点しておらず、サラは月光を頼りに早足で宿を目指した。

 宿の裏口がある路地に折れたあと、サラは暗がりに隠れてしばらく様子をうかがい、けられていないことを確かめてからなかに入った。

 二階に上がり、暗いなかで錠を外し、そこで宿が用意したランプは排水溝にほうったままだったと思い出した。階下に行って新しくランプを借りてくるかすこし考えたが、結局その考えは捨てた。木の窓を開け、月明かりでどうにか済ませることにする。

 しかし、暗闇に覆われた部屋に足を踏みいれたその瞬間、右足のすねを荒々しく殴りつけられた。突然襲ってきた激しい痛みにサラはよろけ、危うく倒れこむところだった。

 サラは身体の危うい平衡をどうにか保っていたが、直後、床に押したおされる。

 暗闇のなかで、相手は手慣れた技術でサラの両手を後ろに縛りあげる。

 そこに、机に置いたランプに火が点った。サラが苦労しながら顔を上げると、キャラメル色のマントをまとい、頭に鍔広帽を載せている男が机のまえに座っているのが目に入った。顔はきれいに剃りあげられ、歳をうまく推測できないが、おそらく四十歳は超えていない。男は火打石を置き、机に置いていたいしゆみを取りあげて、つがえられていた矢でサラに狙いを付けた。

「まだ運がよかったな」男は言った。「ランプを提げて戻ってきたら、鞘の一打ちでは済まなかったかもしれない」

「盗みに入ってきたの? ここには金目のものなんてないけれど」

「トルン嬢、わたしのことを知らないというなら、いちど名乗っておく必要があるな」男は続けた。「わたしはブルーメンベルクの第三治安官、ヴェストマン。外から来た人間の犯罪は、例外なくわたしの職掌となる」

「たしかにわたしは外から来た人間だけれど、罪を犯した覚えはなにもない」

「それがふつうだよ。長年犯罪を扱ってきた経験からすると、犯罪者というのはみなもの覚えが悪いものだ。だがこちらにも、きみたちに自分の罪を思い出させてやるための手立てはあるのでね」

「どうしてここに来たのか、言いなさい」

「この場の決まりを教えてやらないといけないようだな」そう言うと男は引き金を引いた。つるが戻り音を立てて飛んだ矢は、サラの目のまえの床に突き刺さった。「わたしのまえで、きみは問いに答えるだけの役目なのだよ。きみに質問する番は回ってこない」

「もどかしくなってきただけ。いつまで経ってもだらだらと本題に入らないから」

「今日の夜、南港の近くの路地でわれわれは死体を発見した。身元はもう調べがついている──マリッタ・エスター。現在三十四歳、南港近くで暮らし、職業は陶器職人。この女のことはわかるかな?」

「そんな名前は聞いたことがない」

「それはおかしいな。エスター女史が最後にその姿を見られたのは、フレインリフル大聖堂だ。彼女は晩禱に参加していた。聖職者のなかに、晩禱のまえにきみが彼女と話していたのを見たという者がいるのだが」

 それを聞いたサラは思わず胸が詰まった。騎士団がブルーメンベルクに置いていた連絡役は、おそらく命を奪われたのだ。しかしサラは、落ちつきはらった様子を崩さずに答えた。

「たしかにわたしは、晩禱が始まるまえに大聖堂に行っている。そのときちょうど、だれか地元の人に教会の歴史を教えてもらいたくなって、なにも考えずにそこにいた人のそばに座って、なにも考えずに話をしたの。あの人が、そっちの言うエスター女史かは知らない。まさか、わたしがその人を殺したと疑ってはいないでしょう?」

「きみは、彼女と話しているのを最後に目撃された人間だ。きみを疑ってなにがおかしい?」

「わたしは今日ゼーラントからブルーメンベルクに来たばかりで、その人はこの街の陶器職人、知りあいでもなんでもないのに、わたしがその人を殺すどんな理由があるの?」

「いいだろう、ここではなにも訊き出せないようだ」男は言った。「グウィネス、連れていけ」

 サラを押さえつける役目だったもう一人が縄を引き、サラを立たせた。このときようやく、さきほど自分を襲った相手の姿を目にし、二十五歳ごろに見える女だったのを知った。グウィネスと呼ばれたこの副官は、諸島の民の特徴である銀髪を持ち、容貌はかなり整っていて、本来なら人好きのする顔だったはずが、いらだったような表情を浮かべて冷やかにサラを見ている。

「わたしの名前を知っているのなら、わたしが何者かも知っているんでしょうね」

「もちろん知っているとも、トルン嬢。きみはベーフェラント女伯爵に仕える騎士であり、現在は湖畔の騎士団に奉職し、アーシュラ王女のために動いている」

「こんな扱いをして、王女様と女伯爵の怒りを買うのが怖くはないの?」

「なにを恐れるというんだ」ヴェストマンはばかにしたように言った。「裁きの日レギンドームルはまもなくだというのに」

 そうしてサラは、グウィネスの手で治安局に連行されていった。剣の鞘で殴られたすねがいまも痛む。この時間、大通りでも通行人はどこにもいなくなっていたが、ヴェストマンは人通りのない路地ばかりを選んで歩き、途中だれともすれちがうことはなかった。

 治安局は市庁舎広場の一角にある。広場に面したほかの建物と同じく、建国戦争のあとまもなく建てられたものだった。赤レンガを積みあげた四階建ての建物の軒下には、槍叉トライデントを握った〈狩人ヘイカ〉たちの像が並んで立っている。海の民の神話では、彼らは戦争と法律の女神オロスタの手先とされる。昼間に見てもなんだか気味が悪いが、夜の暗がりで見るとさらに陰気に、そら恐ろしく見えた。

 広場にはクリスティーナと初代の執政官アルトゥル・ヴューグの像もあるので、ここは〝英雄広場〟とも呼ばれている。サラはクリスティーナの像に目を向けたが、ぼんやりとした輪郭しか見えなかった。

 この建国戦争の英雄が自分に勇気を与えてくれるよう、心のなかで祈った。

 治安局の正面入口に通じる階段を引っぱって上らされているとき、ちょうど革の鎧を着た女性が入口から出てきた。燃えるような赤い短髪で、見かけは三十五歳ごろ、左目の下に二筋、平行の傷があった。サラはその顔を数秒間見つめていた。なんだか見覚えがあるような気がしたが、どこかで会っているのかもしれない。

 思い出そうとがんばったが、なんの糸口も見つからない。

 一同のそばを通るとき、その相手はヴェストマンに簡単に礼を送った。

 もしその名前が思い出せたなら、相手を呼びとめられるかもしれない──しかし治安局の入口まで連れていかれても、サラには思い出せなかった。よく考えてみれば、自分は治安局で働いている人間など知らないのだから、おそらくあれはたまたま、自分が知っているだれかと同じ場所に傷を持っているだけで……

 サラは、最後の救いのわらをつかみそこねた。

 治安局の入口広間を通り抜けるとき、ヴェストマンは当番の兵士に声をかけ、ランプを掲げて付いてくるように命じた。

 そのすえに、サラは地下室に連れていかれた。

 部屋のなかはきれいに掃除されていたが、血液と糞便の臭いが漂っていた。中央にはテーブルが一つ置かれている。テーブルは背が低く、椅子の座面ともたいして違わない。手前と奥どちらにも椅子が一脚置いてある。その片方は木製の椅子、もう片方は鋳鉄でつくられていた。

 ついさきほど呼ばれた兵士が協力して、グウィネスはサラをテーブルの奥の鉄の椅子に座らせ、椅子の背と座面に溶接されている二本の鎖を手にし、それぞれサラの上半身とふとももとを固定した。この軽い仕事の手伝いが終わると、ヴェストマンはその兵士に銀貨を一枚与えて追いはらい、持ち場に戻らせた。

 兵士が出ていくと、グウィネスはテーブルの下から小さい木箱を取り出した。ヴェストマンはサラの向かいに腰を下ろし、木箱を受けとって、なかに収まっていた拷問器具を一つまた一つと取り出し、テーブルに並べていった。

「訊きたいことがあるなら言いなさい、そんなおもちゃをいじくり回さないで」

「エスター女史を殺したのはなぜかな?」

「それはそちらに訊くべきね」サラはせせら笑う。「治安官どの、なぜエスター女史を殺したの?」

「わたしがやったと思うのか?」

「いえ、自分で手を下したのではないでしょう、そこにいるグウィネス嬢のほう?」

「治安官たる身、部下が一人しかいないと思うか?」ヴェストマンは鼻を鳴らした。「罪人を捕えるとなればグウィネスはよく働いてくれるが、殺人は得意分野ではない」

「ほら、これで認めたようなものではない?」サラは言う。「いったいなにを訊きたいの?」

「きみはわれわれのことを調べていたのか? 答えなさい」

「あなたたちというのは? ブルーメンベルクの治安官七名? 興味はない」

「なんの話かはわかっているだろう、トルン嬢。賢くなってもらいたいものだな、そのほうが苦痛は少なくなる。もういちど訊くが、きみは〈七短剣の聖女〉のことを調べているか?」

「そのとおり。でなければ、ここに連れてこられはしないでしょう?」

「だれの指図で調べている?」

「だれだと思うの?」相手の目を見すえてサラは言う。「あなたたち治安官は、ふだん罪人を取り調べるときもわかりきったことを訊いて、むざむざ時間を無駄にするの?」

「どこまで突きとめた?」

「なにも。さっきその口から、〈裁きの日レギンドームル〉とやらが明日だと聞いただけ。それがどういう意味かは知らないけれど、なにか思いきった動きを起こすような予感はしている」

「それがなんだというんだ。きみを明日まで生かしておきはしないのに」

「なら、〈裁きの日〉というのはいったいどういう意味? あなたたちはいったいなにを企んでいるの?」

「質問が多いぞ、トルン嬢。きみのような相手は見たことがない、こんなところに連れてこられて質問攻めとは。いいかな、もう一度われわれの決まりを学んでもらおう」

 そう言うと、ヴェストマンはグウィネスに視線を送った。指示を受けとったグウィネスはサラの髪をつかみ、その胃に狙いをつけて拳を叩きこんだ。

 激しい痛みとともにこみあげてくるものがあり、サラはぐっと息を詰め、どうにか吐いてしまわずに済んだ。

「わかった、最後の質問にしましょう」大きくあえいで息をつき、歯ぎしりしながら尋ねる。「〝テレジア様〟の指図でこんなことをしているの?」

 その名前を耳にしたヴェストマンは驚愕の表情を隠しきれず、目を見開いて食いいるようにサラのことを見つめた。深く息を吸いこみ、もとの態度に戻ろうとがんばっていたが、不安と狼狽そのものの目をしていた。

 どうやら、サラとスーが大聖堂で盗み聞きをしたのは、ヴェストマンに知られていないらしい。そのことにサラはほんのすこしあんする。すくなくとも自分はつねに尾けられていたわけではないということだ。

 いまのところの情報を整理しようとした。

 ヴェストマンはサラの素性と、エスターが騎士団の連絡役であることを知っていて、サラが泊まっていた宿も知っていたが、片時も離れずに尾行を命じていたわけではない。

 おそらく、エスター女史を殺してサラを陥れるのはもともと固まっていた計画で、自分がスーとともにグリンケル家を調べたのとはかかわりなく実行される手はずだったのだ。これで〝テレジア様〟があのイヴリンという女に、〝聖女にはすでにご用意があります〟と言っていたのにも納得がいった。たしかに、サラの運命はすでに用意されていたのだ──今晩、第三治安官によって逮捕されると。

 それはまた、もっと早くから自分の素性と今回の旅の目的は知られていたということでもあった。

「きみは知りすぎている、トルン嬢」ヴェストマンは言う。「どこからその名前を知った?」

 サラは答えない。

「きれいさっぱり話してしまうことを勧めるがね、こちらもきみたちの言うコールガのところにきれいに送ってやれる。哀れな女だ、こちらの聖女を信じていたなら来世でも騎士の身でいられて、これから地の泥のいちあくに、海の泡の一すくいにならずに済むというのに」

 それを聞いてサラはせせら笑う。

「ここの〝おもちゃ〟にご登場願うしかないようだな」

「もういい歳なのに〝おもちゃ〟を手放せないなんて、恥ずかしいとは思わない?」

「面白いことを言うな。これはきみと遊ぶためにあるんだ」

「なるほど、それならどれで遊ぶか一つ選ばせてもらえる?」

「決めるといい。ただし選んでから後悔しないようにな」

 サラはテーブルの上を見渡す。拷問器具の大多数は詳しい使いかたがわからず、血に染まった物騒な形から残酷さを想像するしかなかった。使いかたの見当がつくものについては、歯を抜くためのペンチも、もしくは容疑者の身体に叩きこまれるのみも、使ってみる気はまったく起きなかった。その後サラの視線は、小さく目立たない道具たちに向いた。

 それは、二枚の木の板の左右両端を長いねじで留めたもので、ねじの端にはそれぞれ大きな雌ねじナットが取りつけられ、指をかける場所も付いて回せるようになっていた。

 あれは指を砕くために使う道具なのだろう。

「左手のところの小さいそれ──そう、その木の板二枚。それから始めましょう」

「そちらがどんなもくか、気づいていないとは思わないでほしいな。騎士のお嬢さん」ヴェストマンは血塗られた小物を手に取った。「この指枷を使うにはその手をテーブルに置かないといけない、こちらはきみの拘束を解く必要がある、そうすれば自分に好機が生まれる──きみはそう考えているのかな?」

 サラは答えを返さなかった。

「それは間違いだ」彼は続ける。「こいつは指を砕くのにしか使えないと思っているんだろう。だが責任を持って教えておくのもいいだろう、何年かこれを使ってきた経験からいうなら、これは足の指を砕くのに使ったほうが効き目がある。ほら、これならきみの拘束も解く必要がない。グウィネス、彼女の靴を脱がしなさい」

 グウィネスがサラに近づいてきて、こちらの左足を持ち上げ、無理やりテーブルの上に動かした。サラはあがこうとしたが、太ももが鎖で固定されているせいで力を入れられない。

 この瞬間になって、サラは目のまえのテーブルがなぜこんなに低いのかを理解した。

 靴を乱暴にもぎ取られ、膝からさきはグウィネスに肘で押さえつけられて動かせない。グウィネスはテーブルから短剣を取り、タイツの端に小さく裂け目を作ってそこから引きさいた。

 露わになった足に目をやったサラは、それがいまからあの〝おもちゃ〟によって無情に砕き潰されることを考えて、恐れを感じずにはいられなかった。深く息を吸いこみ、これからやってくる激痛に備えようとした。

 しかしその場に、ドアを叩く音が割って入った。

 予想していなかった突発事態をまえに、ヴェストマンははじめ反応に迷い、戸口のほうを向いて眺めるだけだった。しかし彼が逡巡しているそのとき、木のドアは外の何者かによって蹴り開けられていた。

「やっぱり見間違いではなかった」戸口に現れた、赤髪の女が言った。「トルン嬢、こんなところで出くわすとはね」

「こいつは捕えてきたばかりの殺人犯だ」ヴェストマンが憤りとともに立ちあがったが、その声はうしろめたさがありありとしていた。「きみの知りあいなどではない」

「このあいだの新緑祭イディヤグレンで顔を合わせたばかりなのに、見間違うなんてことがありますか?」

「よけいなことには関わらないのを勧めるがね、〈孔雀の羽根〉ロザリン」

「もうその名前は使っていないんです、第三治安官どの」ロザリンは返す。「ゲーゼ治安官候補と呼んでいただくべきでしょうね」

「そんな態度では、一生〝候補〟のままにしておくしかないな」

「ですが、アーシュラ王女に仕える騎士にそんな扱いをして、治安官の職を失う心配はないんでしょうか? 早く解放してあげなさい」

「ここで指図をするのは、きみではないはずだが」

「指図などしていません。交渉しているだけです」そう言って、ロザリンは腰に差していた剣を抜いた。「ですが一つ忠告しておきます、わたしが競技騎士を続けて二十数年、剣術勝負で手にした勝利はあなたがでっち上げた冤罪よりも多いでしょう」

「わたしは無実の人間に罪を着せてなどいない。きみも言うほど勝ってはいないらしいな」

「タイリンヘン家に仕えているころに評判は耳に入ってきたから、どうやってその地位まで上ってきたかはもちろん知っているわ。手に負えない事件に出くわすと、身寄りのないよそ者を何人か見つくろってきて痛めつけ罪を認めさせる、それがお決まりのやり口ではなかった?」

「あまり言いがかりをつけるものではないぞ」

「ほかのことはわたしも知らないけれど──二年前、あなたのところで死んだニールセン夫婦とは偶然顔見知りだったの。ほんとうはタイリンヘン家のところの自作農で、法を破ったことなどなかったのに、あなたに罪を着せられて、ほうぼうで押し込みに入った大泥棒ということになった──どうしたの、かけらも覚えていない? それもそうね、その手で奪った命が多すぎて、罪なく死んだ全員のことは覚えていられないでしょうから。よけいな話は終わり、剣を抜きなさい」

 ヴェストマンは剣を抜かず、〝グウィネス〟と一声呼んだ。

 そこにサラが口を開いた。攻めかかる態勢でいたグウィネスに向かって声をかける。

「あなたも〈七短剣の聖女〉の信者なんでしょう? あなたたちの信仰のとおりなら、ヴェストマンはここで死んだとしても、つぎの人生でまた治安官になれるけれど、あなたは違う。ここで死んだなら、生まれかわったさきでも治安官の手先として使われるだけ」

 なかなか剣を抜かないグウィネスを見て、ヴェストマンはかすように声をかける。

「グウィネス、あなたは言われるままに動いただけで、ことの元締めではない。捕まったとしても処刑はされない」サラは続けた。「もしここで踏みとどまれば、わたしから王女様と女伯爵に寛大な処置を頼んでおく。まだその歳で、腕前も大したものなら、これからまたやりなおして、もっと高いところに上りつめる機会だってある。ここで命を散らす必要はないでしょう」

 そこにロザリンも付け足した。「あなたたちが二人でかかれば、ことによると勝算はあるかもしれない。残念ながらこの部屋は狭すぎて、あなたたちは交代で戦うしかないの。あなたは自分がわたしに敵うと思う?」その言葉を耳にして、グウィネスは剣の柄に伸ばしていた右手を下ろした。

 おじけづいた部下をまえに、ヴェストマンは〝役立たずが〟と一言吐きすてて、マントを脱ぎ、腰に差していた剣を抜いて、ロザリンと向きあう姿勢に移った。

 ヴェストマンはおそらくロザリンの来歴を多少耳にしていて、自分では相手にならないと悟っているのだろう、震え、攻めこむことができない。

 ロザリンのほうが耐えきれなくなった様子で、出方をうかがうように剣を振るったが、途中で手を止める。ヴェストマンが一歩まえに出て斬りかかるも、受けとめられてしまう。反撃にかかったロザリンは相手の頭を攻撃するように見せかけ、ヴェストマンが剣を持ちあげて受けようとしたところに、その伸ばした右足めがけて切先が下りていき、たちまち彼のタイツが鮮血に赤く染まった。

 そこからヴェストマンは立っているのが危うくなりはじめ、大きく喘いではいたが、まだ気力は残っていた。よろめきながら足を踏み出し、ロザリンを一突きにしようと向かっていくが、まったく相手をおびやかすことなく、簡単にはじかれてしまう。

 今度はヴェストマンの顔に傷が刻まれ、血が流れ出した。

「あきらめなさい、勝つ見込みはないわ」

「さすがに惜しいな、大儲けの機会に居合わせられないとは」ヴェストマンはひとりつぶやく。「だがなにを失ったわけでもない。七短剣の聖女の導きで、わたしはまた生きかえる……」

 そう言いながら手にした剣をでたらめに振りまわし、一歩ずつロザリンに近づいていく。はじめロザリンは何度か剣で受けとめていたが、そのうち忍耐が尽きたかのように、隙を見さだめてその剣でヴェストマンの胸を貫いた。そして剣を抜き、まとわりつく鮮血を振るって、鞘に収める。無駄な動きは一つもなかった。

 倒れこんだヴェストマンの姿を目にし、グウィネスはサラを縛りつけていた鎖をほどき、また短剣を出して両手を縛っていた縄を断ち切った。

「助けてくれてありがとう、ゲーゼ嬢」

「トルン嬢、どうしてここに?」ロザリンは尋ねる。

「ウーベグレン学院に学者を送りとどけて、ついでにすこし調査をしていくようおおせつかったのだけど。今日来たばかりなのに、彼らに縛られてここに連れてこられたの」

「あなたに訊くよりも、このお嬢さんに訊いてみたほうがいいわね」そう言ってロザリンは、グウィネスのほうを向く。「あなたはまだものがわかっているようね、みずからヴェストマンの道連れにはならなかった。縛りあげるつもりはないけれど、武器はトルン嬢に渡してもらうわ」

 グウィネスは言われたとおりにする。

「さあ、知っていることはすべて話しなさい」

「わたしは命じられたことをしただけ。暗くなってきたころにヴェストマンは教会に行って、戻ってきたらわたしを連れてトルン嬢の逮捕に向かった。宿に着いたときには部屋に人はいなかった。そこでトルン嬢が戻ってくるのを待って、それからここに連れてきた」

「だれの指図でわたしを逮捕することになったか、知っているの?」サラは言う。

「ヴェストマンに命令できるのは、テレジア様しかいない」

「案の定、ここでも〝テレジア様〟か。エスター女史を手にかけたのはだれなの?」

「トルン嬢、だれも彼女を殺してはいない。あなたは売られた。彼女の死体が見つかったなんて言ったのは、あなたを逮捕するための口実でしかない。あなたはあまりに悪いときにやってきた──もしくは、ちょうどいいときにやってきた。〈裁きの日レギンドームル〉は明日で、そんなときにブルーメンベルクにやってきて、しかも聖女について嗅ぎまわっている。もしこちらの計画を知ったならベーフェラント家に助けを求めるかもしれないし、王女の使者という立場を使って執政官に行動を取らせるかもしれない」

「明日の計画についてはどのくらい知っているの?」

「偶然すこし耳に入っただけ。教えてもいいけれど、ただ……」

「ただ、なに? 取引でもしたいの?」ロザリンが笑う。

「ここまで来て、特赦やらなにやらの望みはもう捨てている。ハウビャルト島の監獄にだけは入れられないようにしたい」

「自分でもわかっているようね、ヴェストマンの手先として働いて、もしあそこに入れられたら、きっと一日も生きてはいられないと」ロザリンが答える。「その件はわたしには決められないけれど、だれなら決められるかは知っているわ。ちょうどいい、第三治安官を殺したことも、そのかたに伝えないといけないから」

 こうして、ロザリンはサラとグウィネスを連れて治安局を後にし、広場の反対側にある執政官の公邸に向かった。

 公邸は市庁舎のすぐ横にあり、廊下で両者はつながっている。高い塀の奥深くに囲われているおかげで、門のまえに立ってもなかの建物はまったく見えなかった。門番はサラと歳の近い娘だった。塀にもたれて、斧槍を肩に寄りかからせ、しきりにあくびを繰りかえしている。近づいてくる人影に気づいてやっと武器を握り、背筋を伸ばした。

 用件を説明したところ、それを伝えに娘は小走りでなかに入り、しばらくして出てくると、一同を連れて正門を入っていった。門をくぐったサラは、庭に何人か番兵がいるのに目を留めたが、だいたいは草の上に座りこんでいて、地面に横になっていびきをかいている者もいた。

 現任の執政官、マシュー・ドランゲイは客間で彼女たちを迎えた。

 ドランゲイは今年で五十七歳、もとは石工で、四十歳のときギルドの代表に選ばれたのが政治に関わることになるきっかけだった。四年まえに執政官になってからは、職人のギルドと商人、貴族という三方の勢力の均衡に気を配り、功績らしいものを挙げたとは言えないが、大きな失策はなにも犯していない。女伯爵からの評価はとても高かった。

 いまの彼は暗い緑色の寝間着に身を包んでいた。サラたちが訪ねてきたのはもう就寝したあとだったらしい。

 ロザリンはドランゲイにことのいきさつを説明し、サラも二つの指輪を出して素性を明らかにした。ヴェストマンの死のしらせを聞かされてもドランゲイが驚きを見せることはなく、この日が来ることは予想していたかのようだった。グウィネスが出した条件をドランゲイはすんなり吞んだが、もし情報に間違いがあれば重い罰が与えられるだろうと口にした。

「明日の朝、べつべつの場所で三隊が動きはじめるのです。第一隊は金のある商人たちが大ノルン諸島から呼んできた傭兵で、これは鋳造所を襲いに向かいます。雇い主たちも同行し収獲を山分けして、そこで儀式を済ませます。第二隊は市庁舎広場に攻めこんで、役人たちに官印を出させます。ヴェストマンと第四治安官が、聖女を信じる治安軍の兵士を率いて、ゼーラントで雇ってきた乱暴者たちと合流して、南港に巣くう連中とも組んで、ここまで攻めてきます……」

「フローニンゲンも同じ一味なのか?」

 グウィネスはうなずいた。「第七治安官もそうです。あの三人はひそかに計画を立てて、ことがうまく運んだらヴェストマンがあなたの地位を奪いとり、フローニンゲンが財政官に、ナイメーヘンが第一治安官になります。市庁舎を襲ったときに要職の人間を一網打尽にするため、今晩夜襲をかけるのではなく、わざわざ日中を選んで蜂起します」

「第三隊は?」

「第三隊のほとんどは聖女を信じている外の人間です。この一隊には計画はなく、指揮官もおらず、具体的に何人いるかはわたしも知りません。街のなかであちこちに乗りこみ、民家をぶんどって、わがものにした家で儀式を済ませます」

「わかった」ドランゲイは立ちあがり、戸棚の引き出しから紙やペンとインク瓶を取り出して、机に置くとグウィネスのまえに押し出した。「いまから、一味のなかにいる役人と商人たちの名を記して名簿を作ってくれ。知っているかぎりすべて書くんだ、一人も漏らしてはならない」

 グウィネスは名前で一ページを埋めつくした。

「聖女を信じる治安軍の人間はもう南港に集まっているはず。ほかには聖職者にも聖女の信者が何人かいます」ドランゲイは名簿を受けとり、なんの表情も浮かべずに目を通したあと、番兵を呼びつけた。会議のため至急第一、第二治安官を呼ぶよう命じ、またグウィネスを窓のない部屋に連れていき保護するように命じた。

「デーフェンテルたちはここに書いてある聖職者と商人をひそかに逮捕に向かう。捕まるとは限らないし、捕まったとしても向こうが計画を実行するのは止められないだろうが。さいわいこちらの戦力なら、はじめの二隊の進軍を食いとめるのはまったく苦労しないだろう」ドランゲイは言う。「問題は第三隊だ、計画がないというなら、抑えるのにはもっと頭数が必要になる」

「ベーフェラント家にはわたしから連絡をして、向こうから騎士を応援に送ってくれるはずです」

「渡し舟を一艘用立ててくれれば、タイリンヘン家にもわたしから援軍を頼んでみましょう」ロザリンが言った。

 そこに、門番をしていた娘がまた客間に飛びこんできて、ベーフェラント家の騎士が面会に来たと伝えてきた。

「わたしが出ていってかなり時間が経っていますから、なにかあったのではないかと仲間が心配して、あなたのところにも報告に来たのでしょう」サラはいきさつを伝えた。

 直後、娘は三人を連れて客間に入ってきた。先頭にいるのがリチャード・フェロー、その後ろにいるのは三十歳過ぎの女騎士で、リチャードの従姉のヴィグディス・ディナンだった。

 ディナンは一人の少女の腕をつかんでいる。不安な顔をしたスーだった。

 ドランゲイに礼を送ったあと、リチャードはサラのほうを向く。「サラ、ここにいたのか」

「ごめんなさい、心配をかけて」サラはすこしうしろめたげに答えた。「あれからひと騒動あって、こちらのゲーゼ治安官候補が助けてくれたの。執政官様にはもう報告してあるし、たまたま造反者を捕まえて、向こうの計画は知ることができた」

「それはよかったわ」横のヴィグディスが口を開く。「わたしたちも執政官様にお知らせしたいことがあったの。口伝えで間違いがあってはいけないから、このこそ泥も連れてきてあるわ。執政官に会いにいくと言ったらもう震えあがってしまって、ここに引っぱってくるのに一苦労だったんだから」

 そう言って手を放すと、スーはすぐにサラのところに駆けよってくる。

「ブルーメンベルクのため、王女の使者とベーフェラントの騎士のかたがたにここまで力を尽くしてもらえるとは。感謝したい」ドランゲイが言った。

「初代の女伯爵が解放した街ですもの。ここを守ることもわたしたちの使命です」ヴィグディスが返す。

 第一、第二治安官もすぐさま副官を連れて執政官の公邸に駆けつけた。

 第一治安官グンナル・デーフェンテルは齢六十を超え、かつては傭兵として身を立て、市民権を得てからは治安官のもとで仕事をし、海賊の襲撃をいくども撃退して名を挙げた結果いまの地位におさまっている。第二治安官ノエル・カンペンは北港と南港を任せられている。彼女はもともと北港で地場の勢力の頭目のもとに生まれ、組織を引きついでからは部下とともに当局に帰順し、そのためまだ若いうちに第二治安官の座に就いている。カンペンもやり口のむごさで知られていたが、彼女がその手を使うのは港に巣くう凶悪なならず者たちにだけで、ヴェストマンのように罪のないよそ者を標的にすることはなかった。

 ことの大まかないきさつを飲みこむと、デーフェンテルは副官に、名簿をもとに聖女の信者を逮捕しに向かうよう命じた。

 それから彼らは、ざっと任務の割りふりを決めた。明日になったらデーフェンテルは市庁舎に陣取って指揮を執り、カンペンはハウビャルト島に詰めている第六治安官と協力して鋳造所を死守する。ベーフェラント家とタイリンヘン家の騎士は民兵に加わり、もしくは街頭を巡回、もしくは重要箇所の守りを固め、市内で略奪を働く第三隊の敵を相手にする。

 職務の割りふりが決まり、渡し舟の準備もできて、サラたち一行はロザリンとともに公邸をあとにした。ロザリンとの別れぎわにサラが改めて感謝を伝えると、すべて落ちついたら行きつけの酒場で、サラのおごりで話をしよう、と返された。

 屯所に向かう四人は、宿にも寄ってサラの荷物を取ってきた。その途中もスーはサラに付いて歩いていた。

「戻ってこないんじゃないかって心配でした」

「わたしの仲間に、治安官のところに連れていかれないか心配していたんでしょう?」

「そうです。そうしたら治安官から階級を越えて、執政官のとこに連れてかれて……」

「わたしの身にほんとうになにかあっても、あの人たちはひどい扱いはしない」サラは言う。「このまえにあなたをむち打たせたのも、焼き印を押したのも第三治安官のヴェストマンではなかった?」

「そいつです。あたしみたいなよそ者はあいつが受けもつんです」

「あの男はもう死んだ」

「そうですか、それはよかった」スーは言ったが、さほどうれしそうな口ぶりではない。「でも騎士様、わかってると思うけど、すぐにだれかが代わりに入って、ああいうやり口を続けて、なんにも変わりはしないんだ。執政官様だって、さっきもあそこにいた第一治安官だって、ヴェストマンのやりかたをなにも知らないなんてありえないのに。だけどそのままやらせてた。しょうがないです。ヴェストマンが死なせたのはただのよそ者で、ブルーメンベルクの市民じゃないんだから」

「ヴェストマンはたしかに、市民の一部が──ことによると市民の大部分が──よそ者に向ける目の代表だった。ああいう態度は間違っているのかもしれないけど、そうすぐに消えるものでもない。これもどうにもならないことなの」

「あいつらからしたら、騎士様たちだってよそ者です。命懸けでこの街を守って、ほんとに割に合うんですか?」

「相手からどう見られたとしても、丸腰の弱き者は守る必要がある。これが騎士の責務」

「そしたら、あたしも丸腰の弱き者だ」

「あなたはただの、捕まったこそ泥」サラは言う。「だけどわたしはあなたを守る」

 目立たない二階建ての小さい家に、四人は戻ってきた。料理人のカレンが居間で待っていた。サラが無事に戻ってきたのを確かめて、彼女は部屋に戻って休んだ。スーはここでも窓のない物置に通された。ただしこのときは、ヴィグディスが毛布を用意した。

 ヴィグディスはサラを自分の部屋でしばし寝かせ、自分とリチャードが居間に残って援軍の到着を待つことに決めた。

「ほんとうに長い夜だった」階段を上りながら、サラはそうこぼす。

「そうね」ヴィグディスは言う。「しっかり休みなさい、サラ。このつぎも長い一日になるわ」