三月の末、〈ニリヤの舟〉がミミル島を発った。毎年、職人たちは聖殿を囲むニレの木を一本切りたおし、一艘の小舟を作り、それを使って豊穣の女神、ニリヤを大陸に送り出すのだ。小舟に人が乗ることはできず、荷を載せることも許されず、海船にかせてニャルザル港まで向かったのち、川船に替わって曳かれ、エギル川をさかのぼって南下しそのまま王都グルントヴィにたどりつく。この間はつねに艦隊の護衛が付く。

 エギル川に入ってからは、〈ニリヤの舟〉は川沿いの街や村、荘園ごとに停泊し、さらに各地では盛大な祝典を開いて、この暖かさと豊穣をもたらしてくれる女神を出迎えるのだった。

 海の民の神話では、女神コールガはある漁師と恋に落ち、のちにその漁師が船の事故で死んで、コールガはその死体を氷の棺に封じたという。ある日、コールガの長女ニリヤも漁師の端整な面差しに引きつけられ、思わず手を伸ばして氷の棺に触れた。しかしニリヤは、自分があらゆる氷や雪を解かす力を持っていることを忘れていた。そのため氷の棺はみるまに水に変わって広がり、漁師の死体もたちどころに腐って白骨と化してしまった。罰としてニリヤは、毎年三月末に諸島を発たなければならず、ヴィグリド大陸をめぐって、秋も深まるころようやく海の神の宮殿に戻ることができるのだ。

 道々で行われる祝典は一つひとつすべてが〈新緑祭イディヤグレン〉と呼ばれるが、終点の王都グルントヴィで開かれるのがもっとも盛大なのは間違いなかった。〈ニリヤの舟〉がノルズリ港にたどりついた日が祭典の始まりで、ふつうは五月一日から六日の間になる。慣例に従うなら、小舟は早朝に到着し、そのときにはすべての王侯貴族が港に集まり、ニリヤの訪れを出迎える。そのあと、小舟は岸に引きあげられ、違った毛の色の馬六頭が引く馬車によって運ばれる。馬車は小舟を載せて市街を一周し、王侯貴族と騎士たちは盛装に身を包んですぐ後ろに従う。街を練りあるく隊列はゆったりと進み、ふつうは日中まるまるかかり、夕方になってサモンド大聖堂のまえの広場にもどってくる。夕べの鐘が鳴ったあと、小舟は祭司たちが総出で大聖堂の地下の倉庫に運びこみ、そこでふさわしく保管して、十月の〈帰還祭グトラウフ〉を待つ。

 五月の上旬はエギル川沿いの地方のもっとも晴れやかな季節で、これも人々はニリヤの祝福のおかげだと考えていた。調子ばかりいい詩人たちがよく恋人の笑顔をたとえようとする〝ニリヤの晴れ空〟は、この時季のどこまでも雲のない青空を指す言葉だった。

 アーシュラ王女とパールは毎年四月中旬に離宮を発ち、王都の屯所で過ごすことになっている。離宮を守る少数の団員をのぞいて、騎士たちも何度かに分けて王都に向かい、それには箕帚人も同行した。新緑祭イディヤグレンの前夜にもなると、四階建ての小さい建物は人であふれかえり、居室一つに四、五人の騎士が入ることになり、まだ入りたての箕帚人たちは廊下で眠らないといけなかった。王女もパールと同室で過ごした。

 サラとロータは、クララの葬礼が終わるとすぐに王都に取ってかえし、それから離宮には戻っていない。ひどい打撃を受けたミアは家に帰る許可を得てしばらく休み、四月末に帰隊となった。シルヴィアとアナベルが当面はミアの指導を務め、新しい指導役が任命されるのを待つ。

 そうしながらも、団員たちはみな悲しみに浸り、そこかしこにあふれる祝賀の雰囲気との間には、とても越えることのできない溝が横たわっていた。

 そうはいっても役目は務めなければならない。祝典には参加しなければならない。

〈ニリヤの舟〉は五月二日の早朝、ノルズリ港に接岸した。王女と、湖畔の騎士団の団員たち三十余名はともに、出迎えの儀式とそのあとの街を一周する行列に参加する。国王と王妃が馬車に乗り、王家の騎士団の精鋭たちに護送されながら先頭を進む。盛装に身を包んだ王女は白馬にまたがって、そのすぐあとを進んでいた。こちらの騎士団の団員たちは制服に身を包み、騎士団の紋章を描いた盾を掲げ、王女のあとに続いて騎馬の隊列を進める。彼女たちの後ろを行くのがさまざまな家の代表たちで、爵位によって前後の順序は決められていた。王都の近くに封じられた領主たちや、このあと武術大会を控えている貴族たちはたいてい、みずからこの行列に姿を見せていた。他の家々は、一、二名の騎士を参加させているだけのことが多い。そうはいっても、雄大な規模の行列は数百メートルにわたってれん綿めんと続いていた。夕方、巡遊を終えた行列は広場に集まった。サモンド大聖堂に入り、祈禱を耳にするのが許されるのは、家ごとに一、二名ずつの代表だけだ。パールはベーフェラント家の長女として、王女とともに聖堂に入る。イーディスとロータも参加を許されていて、サラやほかのそれほど高貴な血を引いていない団員たちはともに、外で彼女たちを待った。

 一同がそろって屯所に戻ったときには深夜になっていたが、つぎの日の朝には、空が明るくなるまえに起床しなければならなかった。ひととおり準備を整え、郊外に位置する闘技場に向かった。

 王都に暮らす者たちにとって、新緑祭イディヤグレン初日の行列は祝典における序幕でしかなく、二日めの武術大会こそが目玉の催しだった。よい場所にありつくために、市民たちはさらに早く家を出ているのがふつうだった。毎年、湖畔の騎士団の団員たちが闘技場に着くころには、南北二方にある平民のための観覧席はすでに人でごったがえし、遅れてきた市民たちはそれよりも遠い山の上に立って眺めるしかなかった。

 湖畔の騎士団の面々は席のことを気にしなくてもよかった。王家の騎士団の団員たちとともに東方向の観覧席に座り、交代で場内を巡回し秩序を保つ。

 王侯貴族たちはといえば、この前日にはすでに、闘技場の外に華麗な天幕パヴィリオンを張り、到着してからはそのなかで休んでいるところで、試合が始まろうとするころになって西の観覧席に腰を下ろすのだった。試合に参加する騎士たちもパヴィリオンのなかで準備を整えている。

 今年、クララが不幸にして命を落としたため、サラがきゅうきょ代わりに戦いに出るよう命じられ、ライメルスワール家のケイトを迎え撃つことになった。ケイトと勝負を決することはそもそもクララの宿願で、サラは亡き友人の思いを裏切りたくはなかったが、勝算が少ないことも知っていた。新緑祭イディヤグレンの直前は片づけるべきことがいくらでもあったので、特訓のために残った時間もかなり限られていた。

 王女とパールはこの試合の結果についてたいして気にしていないのを、サラはうすうす感じていた。でなければ、あの二人はもっとふさわしい者を選んで戦いに出したはずだ──イーディスは騎士団に入るまえ、地方の貴族が開いた武術大会に参加したことがあり、入賞もしている。騎士団に入ってからの彼女はその強みを生かす機会がなかったとはいえ、二年間で衰えたとしても槍試合の技術で言えば当然、武術大会に参加したことのないサラに劣るはずはなかった。しかし王女とパールはイーディスを選ばなかった。

〈海と火の決闘〉はぜんぶで十試合、男女それぞれ五組が交代に馬上槍試合を行う。サラとケイトの対決は女子の試合の第二戦だった。パールが出場するのはこの大会を締めくくる一戦で、対戦相手は全国各地の大会でたびたび栄冠を手にしている競技騎士、コニー・エンスヘデだった。

 地方の貴族たちと比べると、湖畔の騎士団の天幕パヴィリオンの装飾は手のこんだほうには入らないが、王室のものであるその藍色は、そこらの人間が勝手に使えるものではない。天幕パヴィリオンの入口には紋章を入れた盾が掲げられ、上方は王冠の形をかたどっている。なかには小さい円卓が置いてあり、アーシュラ王女、パール、アナベルとサラがその卓を囲んでいた。

 パールはサラに、試合の流れを説明しているところだった。

 一台の馬車が天幕パヴィリオンのまえに停まり、二人の箕帚人たちが下りてきて、パールとサラの甲冑を運びこみ、丁寧な扱いで絨毯の上に置いたあと、甲冑の上にかぶせられていた上羽織サーコートを衣装かけに収めた。箕帚人の一人は、ミアの親しい友人、ダイアンだった。サラの紹介で厩舎の仕事をするようになったダイアンは、馬術を大きく上達させていて、入団試験を通るのも時間の問題でしかないはずだ。

 もう一人の少女は、顔はまだ幼さが抜けていないが、すらりととても背が高く、メルという名前だったのをサラはうっすらと覚えていた。

 甲冑を運ぶ仕事は終わったが、二人は出ていかない。二人は今日、随従としてパールとサラの手伝いをすることになる。

 けたたましいラッパの音が、闘技場のほうから何度か響いてきた。天幕パヴィリオンにいる貴族たちに観覧席に向かうよううながす号令だった。王女も立ちあがってその場を出る。王族たる身、西の観覧席からすべての経過を見ていなくてはならなかった。アナベルがすぐ後ろに続く。今日一日じゅう、王女の護衛を務めるのだ。

 二人を送り出したあと、サラはダイアンの手を借りて甲冑と上衣を身につけていった。兜だけはまだ残しておく。

 直後、やむことのない歓声が聞こえた──第一試合の選手が入場し、武術大会が正式に始まる。パールが立ちあがって、天幕パヴィリオンからサラを送り出した。第一試合を観戦する気はない。サラはダイアンが牽いてきていた灰色の馬にまたがり、天幕の間をすりぬけて走らせ、最後の準備運動を始めた。

 歓声がふたたび響きわたるころになって、サラはダイアンとともに闘技場に向かった。

 海の女神を代表して出場する側は、休憩所が闘技場の東にあり、それは騎士団のほかの団員たちがいる観覧席のすぐそばだった。サラたちが現れたのを見て、彼女たちは思い思いに手を振ってくる。なかでも熱が入っているのがロータで、席から立ちあがり、跳びはねんばかりの勢いでサラに向かって帽子を振っていた。このところずっと沈んだ顔をしているミアも、このときは笑顔を見せた。イーディスとドゥファだけはそっぽを向いて、サラのほうをまったく見ようとしていない。

 またラッパが鳴り、同じ休憩場にいたシンシア・エメロールトが入場する番になった。

 双方の選手がそれぞれ位置につくと、歓声もそこで止み、闘技場の西に立つ紋章官が観衆に向かい、戦う二名について紹介を始める。女子の部を担当するのはスズリ学院のアルメール教授で、彼女は最新版の『紋章学全書』の編集責任者でもあった。男子の部はドロシア・オメランデンの父親が読みあげをおこなった。

「海の女神コールガを代表し戦いに挑むのは、エメロールト家のシンシアである」アルメール教授の声が、闘技場じゅうに響きわたった。「彼女の盾は市松チェッカー模様をに置き、そこに人魚を描く。人魚は尾がつながり、両手にそれぞれ宝剣を握るものである。火の神ゴースメクを代表し戦いに挑むのはカペレ家のマリアである。彼女の盾は赤と黄を用いた胸壁模様を地とし、そこに燃える三本の松の木を描いている」

 エルドゥリアの人々は、火の王ムスペルが死ぬと新たに火の神になるのだと考えているが、ゼーラント王国の臣民たちはその考えを受けいれず、いまも統一戦争のまえから存在していた火の神を祀っている──ベグラフェニス火山に住まうゴースメクだ。しかし王国内でも、海の民を諸島に追いかえすことばかり考えている火の民たちについては、個人的に祀っているのがゴースメクかそれともムスペルなのか知るすべはない。

 サラは紋章官のうしろの観覧席に視線を向ける。国王エリック三世の一家がその中央に座っている。

 エリックは齢五十近く、この数年はすこしばかり肉の付きかたがひどかった。藍色のローブに身を包み、はげた頭に銀の冠を載せて、汗がにじむ額をしきりにハンカチでぬぐっていた。

 国王の左に座っているのが王妃ロザムンドで、暗い赤のワンピースのドレスをまとい、もともとまったく血色のない顔が対比でさらに青白く見えた。その赤髪は高々と結いあげられ、宝石や金銀をそこかしこにちりばめて飾っている。王妃ロザムンドを目にするたびサラは、スハウウェン家のフルラ、離宮にあずけられた病弱な少女のことを思い出す。しかしいまこの場にいる線が細くかよわい女は、アーシュラ王女の王位継承者としての地位を揺さぶろうとあけくれ、王女が湖畔の騎士団を設立して対抗するまで追いこんだのだ──思えば、このロザムンドのやせ細った身体の背後には、エルドゥリア王国そのものがそびえたっているのだから。

 ロザムンドのすぐそばにいるのは満十歳になったばかりのオズワルド王子だった。まだどこから見ても子供で、ちっとも落ちついて座っていられず、視線も闘技場に集中したためしがない。

 十四歳のアリス王女は、王室の面々のなかでいちばん端に座っていた。黄色のドレス姿で、一つの首飾りも着けず、金色の髪を二本のおさげにしてまえに垂らしている。緊張からか、それとも出場者たちの身を案じているのか、両手を固く握りしめて胸のまえに当てていた。エルドゥリア王国の教育法によって育ったのが見てとれた。

 アーシュラ王女は騎士団の制服をまとい、エリック三世の右に座っている。ほかの王室の面々よりも、そのそばに座り同じく騎士団の制服を着ているアナベルのほうがかえって家族らしく見えた。

 観覧席の手前のアルメール教授を見る。ニリヤの舟を図案として描いた旗を随従の手から受けとり、頭の上に掲げたあと力をこめて振りおろし、同時に〝決闘、始め〟と高らかに声を上げた。すでに位置についていたシンシア・エメロールトとマリア・カペレの馬が同時に躍り出るが、疾駆するなかでも二人は手にした槍の方向を調整し、尖端が相手を向くよう保つのは忘れていなかった。

〈海と火の決闘〉は、第八聖典に記された規則を遵守する。一試合で計三戦が行われる。槍の尖端が相手の甲冑のや、左腕にくくりつけた盾を突くと一点が記録され、甲冑の胸当てや兜を突くと二点、しかし兜の正面の面甲を攻撃するのは規則違反となり、戦う資格を失うことになる。さきに三点を積みあげたほうが勝ちとなり、落馬した場合はその時点で試合に敗れる。三戦を終えて落馬した者も三点に届いた者もいないときは、点数で上回っているほうが勝ちとなる。

 地方の貴族が開く武術大会と比べると、この規則は刺激が足りないように思える。面甲への攻撃を許したり、引き分けになったときには双方に剣術勝負を行わせたりする規則もあり、さらに槍を使わず、騎士たちに鎚矛メイスを持たせてお互いを攻撃させる大会もある──そうした試合はいっそう見映えがするかもしれないが、怪我人や死人が出るのも避けられないものだ。それに、貴族たちが開く武術大会では、負けた側は甲冑を失い、落馬した者は戦馬をあわせて勝者に差し出すことになる。参加者が賭けるのは名誉とその身の安全だけでなく、馬鹿にならない額の財産も含まれるのだ。

 二人の距離は着実に縮まっていき、観覧席の観客たちの興奮もしだいに高まる。

 騎士たちは、二頭の馬がすれ違うまでの数秒間で攻撃を仕掛けないといけない。攻撃の機会はたいてい、一度しかない。

 仕掛けたのは若く勢いのあるマリアがわずかに早く、槍の先はまっすぐにシンシアの兜に向かっていく。今年三十二歳になるシンシアはエメロールト女侯爵の次女で、十代のときから〈海と火の決闘〉の常連だった。シンシアは時を見はからい、マリアの左腕の盾に向け槍を突き出した。

 槍が音を立てて折れ、鋭くとがった木の破片が二人の間を舞った。

 経験豊富なシンシアがまず一戦を制した。

 第二戦、マリアはすこしばかり焦ったらしく、今度はさらに早く仕掛けたが、シンシアの腕の盾のへりを槍は通り過ぎていった。そのすきを見逃さなかったシンシアの槍がマリアの兜を狙ったが、飾りに付いている灰色雁の羽根をとらえただけで、点数は入らない。

 試合中、兜に一撃を受けたなら、多くの場合はそのまま落馬する。横から観戦しているサラは、火の神を代表する側が勝ってほしいとは思っていないが、マリア・カペレはシルヴィアの友人だったから、怪我をしてほしくもなかった。いまの一撃が命中しなかったのを見て、おもわずほっと息をついた。

 最後の一戦は両者ともにかなり慎重に立ちまわり、ほとんど同時に仕掛けて、どちらも相手の籠手を突いていた。

 試合が終わり、海の女神を代表するシンシアが一点上回って勝ちをおさめた。

 つづいて入場してきたのは、フリシンゲン侯爵家の入り婿トリスタンと、カペレ子爵だった。このトリスタンの妻が、湖畔の騎士団の前任の侍従長、イングリッドだ。いま彼女は妊娠中で領地で静養しているところで、今回の新緑祭イディヤグレンでは王都に来ていない。カペレ子爵は、さきほど敗れたマリアの兄にあたる。

 第一戦は、赤い衣装をまとったカペレ子爵の一撃がトリスタン・フリシンゲンの胸当てを突き、あやうく馬から吹き飛ばし落馬させるところだった。しかしトリスタンはそのあとの二戦で、カペレ子爵の盾と籠手を突いていった。二人の試合は最終的に、引き分けで終わった。

 とうとう自分の番だ──選手二人の馬が会場を去ると、サラは深く息を吸いこんで、胸のなかでなんどかクララの名前を唱え、ダイアンの手から兜を受けとって身に着けると、戦いのときを待ちかまえた。

 闘技場の反対の側では、サラと戦うことになるケイト・ライメルスワールの支度も整っていた。

 ライメルスワール家の紋章は黄色を背景にし、そこに三つ並んだ黒い尖塔を描く。塔の上では炎が燃えさかっている。その紋章が入っているのはケイトの盾とサーコートで、馬着は深紅色に染められ、七本のろうそくを立てた燭台が描かれている。火の神を奉じる祭司の象徴だった。建国戦争のまえ、ライメルスワール家は代々主祭の職を担っていて、そこからこの図案を使う資格を手にしているのだった。ケイトの兜には長いものと短いもの、赤い羽根が二本挿してあった。

 アルメール教授が両方の紋章について読みあげはじめ、サラとケイトはそれぞれの付き添いから槍を受けとって、肘に設けられた支えに固定する。

 号令の旗が高々と持ちあがり、そして力強く振りおろされた。

 息を抑えつつ、サラは突進した。二人の距離がしだいに縮まり、槍の向く先をケイトの胸当てに定めた。結果、仕掛けるときが一拍遅れたのはサラのほうで、槍を突きだしたその瞬間には、左腕にくくりつけた盾をケイトの槍が突いていた。槍は音を立てて裂け、サラは顔をわずかに右に持ちあげて、四散して舞う尖った破片を避けないといけなかった。

 それでもサラは勘を頼りに槍を突き出したが、結局相手に一撃を与えることはなかった。

 第二戦、サラは戦略を変え、相手が仕掛けてくるのを待って、それを避けてから反撃に移るつもりでいた。

 だがこのとき、ケイトも同じ策を取ることにしたようで、お互いの攻撃範囲に入った両者は槍を突き出すことなく、そのまま馬をまっすぐ突進させる。もうすこしですれちがうという寸前になって、一点遅れをとっているサラがとうとうこらえきれずに攻撃したが、相手には軽々と避けられてしまった。

 ケイトがサラに向けて振るった槍が、ちょうど籠手をかすめていった。その一撃の威力は小さく、槍を折ることすらなかった。遠くに座っている観客たちは、ケイトは今回は空振りをしたと思っただろうが、闘技場の二ヵ所に立っている審判ははっきりと見とどけていて、ケイトに点数が入った。

 サラは休憩場所に戻った。駆けよってきて手綱を握ったダイアンはなにか言いたげな様子で、おそらくは自分になにかなぐさめの言葉をかけようと思って、しかしなにを言えばいいかわからないのだろう。いまサラは、自分とケイトの実力ははるかにかけ離れていて、勝算などまったくないことを悟っていた。さいわい、王女とパールも自分に期待などしていない。しかし、死んだクララのことを思い出すと──これはそもそも、クララが出場する試合だった──サラは後ろめたさを感じずにはいられなかった。このままなんの尊厳もなく敗れるのはいやだった。

 旗が振りおろされ、第三戦が始まる。

 この一戦でサラが二点を手にしたとしても、相手とは引き分けにしかならない。ケイトはもう一点取っておけば勝ちを収められる。

 サラからすれば、勝ちを手にするつもりなら、唯一の機会は相手を馬から突きおとすことだった。

 それゆえ、サラはケイトの兜を狙うことに決めた。兜は的が大きくなく、そう簡単に命中はさせられない。それに面甲を突いてしまわないようにしないと、規則違反とされて競技の資格を失う。しかも、すでに二点与えている状況のこちらが兜を的にするのは当然で、そのことはケイトもとうに予想しているはず、むこうはこの時点で警戒を始めているに決まっていた。

 しかしもはやサラにほかの選択はなかった。

 目のまえでは、ケイトがこちらの攻撃の届く範囲に入ろうとしていた。ケイトはまさに槍を向ける方向を定めているところで、いま狙いをつけられている的は自分の胸当てだと察する。その右腕がわずかに後ろに引かれ、ころあいを見はからっているそのとき、サラはケイトの兜に向かって猛烈な一撃を突き出した。

 ケイトは急いで身体を反らして避け、この一撃も空振りになった。

 しかしサラはあきらめなかった。全身の力をふりしぼって、槍でケイトの兜を薙いだのだ。がちりと音がしてサラの槍の先が兜に触れた。これが槍の正しい使いかたではないのは確かで、穂先はたちまち折れてしまったが、衝突の音はかなり小さく、相手に与えた打撃の勢いもごく限られていた。

 こうしてサラは、二点を手にした。もしここで試合がおしまいなら、サラとケイトは引き分けで終わる。しかし槍を振るうために、気づけばサラの重心はいま、左に傾きすぎていた。馬身をはさむ両脚の力だけでどうにか身体を支えていた。ここで一撃を食らったなら、馬から転げおちるのは目に見えていた。

 いまも馬にしっかりと腰を据えているケイトはもちろん、この機会を逃さなかった。いまの一撃の恨みを果たそうとするかのように、方向を定め、サラの兜を狙って槍を突き出した。

 これまでの二戦と同じように、今度のケイトの攻撃も的を逸れることはなかった。

 鈍い音が響き、サラは馬の鞍から吹き飛ばされ、あぶみからも両脚が離れ、四散する木の破片とともに地面に投げ出された。続けて重たい衝突音がして、ほぼ本能的に手のなかの手綱を握りしめた。疼痛が背骨を這いあがってきたが、たった数秒のことだった。自分の意識が身体から離れていくのをはっきりと感じた。

 直後、面甲を通して射してくる弱い光も姿を消し、金属のぶつかる音だけが残って耳元に響いた。

「トルン様……トルン様……」

 どれくらい経ったのか、ダイアンが自分に呼びかける声をサラは聞き、あやうく遠くに飛んでいくところだった意識も、慣れ親しんだ声によって呼びもどされた。ダイアンがサラの面甲を上げ、兜を脱がせる。身体を起こそうとすると、気づいたダイアンが慌てて起きあがるのに手を貸し、サラがなんどか荒い息をついたあとも、立ちあがるのを支えてくれた。

 ダイアンに助けられながら、サラはゆっくりと闘技場の東にある休憩場所に歩いていった。ロータとミアも、観覧席のほうから駆けよってくる。

「結局、負けてしまった」ロータを見て、サラは沈んだ声で言った。「しかも、こんなに完璧に」

「相手はライメルスワール家のケイトなのよ。あの人から二点を奪っただけで大手柄じゃない。わたしが知っているかぎり、あの人の兜に槍を当てた人はいままでいなかったわ」

「わたしは、とにかくクララに申しわけないの──代わりに戦いに出て、こんな結果をさらしているんだから」サラはそう口にしたとたん、すぐに後悔しはじめた。ミアのまえでクララの名前を口にするべきではないと気づいていたからで、こっそりと視線をミアのほうに向けたが、相手は心配そうな顔でこちらを見ているだけだった。

 ミアはこのあとも巡回の任務があり、長くはいられなかった。

 ロータがサラを支えて天幕パヴィリオンに向かい、ダイアンが馬を牽いた。

 天幕のまえまで三人が来ると、パールがだれかと話をしているのが聞こえたが、もう一人の声を彼女たちはまったく聞いた覚えがなかった。

 名をメルといった箕帚人が天幕のまえに立って、膝を折って一同に礼を送り、入口に垂れさがった布をまくりあげた。なかに入って、そこにいるのがさきほどの試合で勝利を収めたシンシア・エメロールトだったと気づく。パールに戦いの結果を報告して、ダイアンはサラの甲冑を外しはじめた。

 槍で突かれた胸当てと、最初に地面に付いた背の部分は多少変形していて、職人に調整を頼む必要がある。

「ドレンテ侯爵家が開いた武術大会で、あのかたと手合わせしたことがあるの」シンシアはパールと話を続けている。「侯爵に仕えている競技騎士で、その大会ではすくなくとも六回は勝ちを収めて、侯爵のために戦利品を稼いでいたわ」

 おそらく、パールがこれから立ちむかう相手──競技騎士のコニー・エンスヘデについて話しているのだろう。

「あなたは負かしたの?」

 シンシアは首を振った。「槍試合ではあのかたと引き分けになって、むこうの規則に従って剣術勝負が加わることになって……わたしが負けたわ。使っていたのは競技騎士がいちばん得意とするたぐいの剣術よ、防戦一方で、相手の深入りを誘って、そしてちょっとした策略で相手をつまずかせる。あまり体面はよくないけれど、とても効果はある」

「わたしは槍で戦うだけでいいのが幸いね」

「あのかたの槍の技術にはとくに変わったところはないわ、攻撃がとても速いだけ。それと準備の動きがまったく見えないの。ただしそれに対して、勢いはそこまで強くはなくて、まるでトンボが水をつつくみたい。兜を攻撃されたとしても、ろくに衝撃は感じないし、槍も折れはしないでしょうね」

 甲冑を脱いだサラは騎士団の制服に着替える。パールはサラとロータを卓のところに座らせ、ダイアンは心得た様子でその後ろに立っていた。

 シンシアはパールともうすこし話したあと出ていった。

「あれでも立派だった」パールはサラに言う。「あなたの一撃があの人の兜に命中したのだから、ライメルスワール嬢の記憶に深く刻まれたでしょうね」

 命中しなくても、落馬したことだけでむこうの印象には深く刻まれるでしょうね──サラは内心思わず考えた。

 それからパールはサラに、身体の具合はどうか、今晩王宮で開かれる舞踏会には参加できるか訊いてきた。

「スカープラ通りの職人が仕立てた板金鎧はとても頑丈でした。どこも怪我はありません」

「ならよかった」パールは答える。「今晩はライメルスワール嬢も舞踏会に参加するの、そのとききっと、傷のぐあいを訊きにあなたのところに来るでしょうね。その機会を逃さないこと、そのときなにか話をしておきなさい」

「ほんとうにあのかたを引きいれるんでしょうか」ロータが話に入った。

「いまはまだ〝引きいれる〟ところまでいかないけれど、これからそれが必要になるかもしれない。聞いたところだとあの人は負けん気の強い娘で、武術大会でエルザに敗れたことをいつまでも気にかけていたし、クララと引き分けになったあとも個人的にもう一戦申しこんできたそうなの。エルザが流罪にならず、クララも無事でいたなら、ふさわしい時機を待ってあの人を引きいれる手だてもあったでしょう。いまわたしたちは、新しく人を送ってつながりを作らなければいけない」

「でも、わたしは負けました」

「それでもあの人の兜を突いてみせたでしょう。わたしの知るかぎり、いままでだれもそんなことはしていない。負けたといっても、きっとあの人の注意は引ける」

「そうでしたか」ロータが横でうなずく。「ケイト・ライメルスワールの注意を引くことだけ考えるなら、サラはたしかに最適の人選でしたね。槍試合については資質も人並みなら経験も不足しているけれど、ほかの女の気を引くことについてはまちがいなく大した才能がありますから」

「ロータ、知っている?」サラは相手をきつくにらみつける。「あなたも人に嫌われることについては才能がある」

「でもケイト・ライメルスワールが引きいれられてこちらに加わるのは、ほんとうにありえるんでしょうか?」ロータが慌てて話題を変えた。「このまえ、シルヴィアともこの件が話題になって……そのときは、クララもいました」

「ケイトは家の長女で、あれだけ優秀でもある。しかし火の神の信仰ゆえに、老公爵はきっとあの人を継承者に選ばずに、あの不出来な弟にすべてを任せるでしょうね。あの人を引きこめるかどうかは、運と時機によるけれど。王女とわたしは一つ賭けに出てみたいだけなの──あの人の負けん気がいったいどれほど強いか、家から押しつけられた信仰にまさるほどなのかどうか」

「かつての火の民のあいだで、ケイトの人望は高いと聞きます。もし王女を支持するように説得できたら、信仰ゆえ王妃の一派を支持している火の民は動揺しはじめるでしょう」

「たしかに、動揺しはじめるでしょうね」ロータが話を続けた。「いつかある日、もしパールが突然王妃の側に寝返ったとしたら、わたしたち全員も動揺するのと同じ」

「わたしはもう、ああして誓いを立てている」パールが手を持ちあげて、耳たぶから下がった黒真珠にそっと触れた。「ほんとうに逃げ出して王女を裏切りたいと言ったとして、あちらも信じはしないでしょう、裏になにかあるとしか思われない」

「なら、ケイトが目的を抱えて、こちらに身を投じるふりをするとは思わない?」

「もちろんそうしたことはありえるけれど、だとしたらどうすれば? このいまから、わたしたちが踏み出す一歩はすべて大きな賭けで、どれひとつとして絶対の勝算はないし、ほぼ勝算などないことすらある。だけれど、するべきことはしなければならないの」

 そのとき、天幕パヴィリオンの外から足音が聞こえたかと思えば、シルヴィアが入ってきた。すぐあとに続くのは箕帚人のプリシラだ。

 シルヴィアがロータに視線を向けると、ロータは心得た様子で立ちあがり、〝巡回の任務があるから〟と口にしてそそくさとその場から立ち去った。出ていくまえ、サラの肩を叩いていくのも忘れない。

 シルヴィアはパールのそばに腰を下ろし、プリシラはその後ろに控える。

「ネストヴェズ家のあの荘園をどう扱うか、御前会議のほうではもう結論が出ました。新緑祭イディヤグレンのあとに発表されます」シルヴィアが言った。

「あの老いぼれたち、荘園をだれに渡すことにしたの?」

「庭から掘り出した死体をあらためた結果、ネストヴェズ家は一人として生きのこらず、全員殺されているのが確かになりました。でも諸島には遠い親類がいくらかいます。連中はひとしきり議論して、荘園をいちばん血筋の近い家に渡すことに決めました。具体的にどの家かはまだわかりませんが、諸島の貴族だろうとは確信できます」

「では、わたしたちはなにを手にするの?」

「ネストヴェズ家の親戚があの荘園を手に入れようとするなら、ばかにならない額の賞金をわたしたちに支払わないといけません」シルヴィアは数字をはっきりと口にせず、手を出して、二本の指を伸ばしてみせるだけだった。二万デナリだろうかとサラは推測する。

「それもいい話ね。一部を使ってクララの家族への弔慰金にもできるし、残りでホフファイフェル侯爵の負債を返すこともできる」パールが言う。

「だけれど、荘園の価値はこの額とは比べものにならないはずとはいえ、諸島の貴族からすれば身の丈を超えているでしょう」シルヴィアが続けた。「賞金を払いたくないか、払えなかったなら、荘園はわたしたちが手に入れます」

「それが最良の結果ね。荘園を返還するのを条件にホフファイフェル侯爵に交渉を持ちかけて、アデリーンを養女に据えるよう説得できる。それだけ好都合な条件を断るのは難しいでしょうね」

 スピネヴィール法典を用いるエルドゥリアと違い、ゼーラント王国では、私生児もしくは血縁関係のない養子も土地と爵位の継承者になることができる。もちろん、貴族の後継ぎになるには騎士の身分を持っている必要があり、また御前会議での承認を得ないといけない。

 エルドゥリアでは、貴族に血筋の正しい男の後継ぎがいなかった場合、その死後領地は王室に召しあげられ、家臣一同が居所を失う。そのためエルドゥリアの貴族の女性にとって、結婚後の唯一の使命は夫のため男の後継ぎを産むことだった。この制度を設立したムスペル二世が、王室が土地を尽きることなく手に入れられるよう定め、新たな功臣やちょうしんに褒賞として与える考えだったのは間違いなかった。

 ゼーラントの王室は、貴族に正統の後継ぎがないからとその土地を剝奪することは難しい。しかし〈建国者〉エリックはきわめて過酷な制度を定めて、貴族の権力を制限していた。例を挙げるなら、エルドゥリアの貴族は税を納めなかったり密猟を行ったりした農民には自由に私刑を与えることができるが、ゼーラント王国では、そのようなことをする者がいれば大量の土地を失うことは避けられない。しかもゼーラントの貴族は、つねに家族の一員や部下の騎士を王室に仕える騎士団に送り奉職させなければならず、人数は爵位の高低によって決まっていた。もし必要な人数を差し出せなかったり、送った騎士が役目にふさわしくなかったりした場合は、罰金を納める必要があった──これも、ホフファイフェル侯爵が大量の負債を抱えることになった理由だった。罰金を払えなかった貴族たちも、代わりに土地を差し出すことになるのだ。

「それなら、諸島のいったいどの家があの荘園を手にするかも話を聞いてみます」シルヴィアが言った。「とはいってもどの家だろうと、諸島の貴族はだいたいわたしたちの側に立っているから、こちらの望みに従うでしょうね」

「もちろんそれがいいけれど」そう言って、パールは向かいに座ったサラに視線を向けた。「あなたが五十デナリで手に入れた情報が、わたしたちに百倍以上の見返りをもたらしたの。この件、よくやってくれた」

 パールからのめずらしい賞賛を受けて、サラは黙ってうなずくだけだった。

 自分があの情報を買わなかったらどんなによかったか。それなら、クララも不運に襲われることはなかった。

 ロータが出ていってからの間も、会場のほうからは何度か歓声が聞こえてきた。数えてみると、午前の催しはもうすべて終わったはずだった。

 これから貴族たちはそれぞれの天幕パヴィリオンに戻り、昼食を楽しむ。だが、アーシュラ王女は王室の面々とともに食事をとる。とはいえ、騎士団の天幕を通りがかった際に、王女はしばし時間を過ごしていった。同行しているのはアナベルに加えて、副団長のカロリーンもだった。シルヴィアは、ネストヴェズ家の荘園の処理の結果について大まかに王女に報告し、聞きおえた王女は〝新緑祭イディヤグレンが終わってからも忙しくなりますね〟と一言漏らした。出ていくまえ、王女も午前中のサラの活躍に賞賛の言葉をかけ、そして例の情報を手に入れてきたことにも感謝していた。

 アナベルはこのあとも護衛を務め、王女とともに宴席に向かう。カロリーンはその場に残って、パール、シルヴィア、サラとともに食事をとった。プリシラとダイアン、メルが協力して食器と食事を馬車から天幕パヴィリオンに運びいれ、卓上に順序どおり並べていく。パンとハム、塩漬けの魚とチーズが用意され、四杯の甘酒も注がれた。プリシラはさらに鉄枠の上に金属の皿を置き、チーズの半かけをそこに置いて、ろうそくの熱によって溶かしていた。

 自分の席に去年座っていたのはクララだと思うと、サラは苦しい気分にならずにはいられなかった──一昨年であればヴィティン島に流されたエルザだったのだ。そのうえ頭に受けた衝撃でいまも軽いめまいを感じていた。あまり食欲はなかったが、辛抱してダイアンが取りわけてくれた食事を食べおえた。

 その間一同は、ホフファイフェル侯爵を味方に引きいれる件をまた話した。カロリーンはこの件にかなり楽観的だった。

「わたしはそのとき居合わせていないけれど、あなたたちの説明を聞くに、侯爵はこちらとぜひ同盟を結びたいはず」カロリーンは言う。「ホフファイフェルは没落したといっても、ほかの使用人がいないはずはないのに、わざわざアデリーンにあなたたちの応対をさせたのでしょう。城においてアデリーンは番兵であり使用人でもあったけれど、番兵の服装であなたたちのまえに現れた──それも侯爵の意向のはず、王女様の注意を引いて、波乱なくこちらに加わらせるために」

「王女様はその考えを見抜いておられて、だからアデリーンを戦いに参加させるよう提案したのでしょう」パールが言う。「ただしこちらの出方をうかがっているだけというのもありうる。ほんとうに誠意があるとは限らないでしょう」

「出方をうかがっているのがこちらに対してだけで、王妃のほうをうかがっていないなら、それが誠意があるということね」

 昼食が終わったあと、用があったシルヴィアとプリシラがさきに出ていき、残った面々はしばらく天幕パヴィリオンのなかで休んだ。カロリーンも会場に戻ろうとしたところに、サラはもうひまになったから付いていきたいと言った。サラの試合はすでに終わり、ダイアンがこれから付き添いを続ける必要はなくなっている。ダイアンの顔にはありありと名残惜しさが出ていたが、メルとともに残るほかなかった。

 サラとカロリーンは連れだって天幕パヴィリオンを出て、会場に歩いていった。

 歩きながらカロリーンは、サラに午前の最後二つの試合の結果を説明した。ランジンガー家のロベルトとタイリンヘン男爵とは引き分けになり、レールダム女子爵はというと、ライメルスワール家の競技騎士〈片目の〉ヨハンナの敵ではなかった。サラは続けていちばん初めの試合について訊き、そのとき勝ったのも火の神を代表する競技騎士だったとはじめて知った。

 午前中の六組の試合では──心のなかで黙って計算する──二試合が引き分けで終わり、残りの四試合のうちコールガを代表して勝利を収めたのはシンシア・エメロールトだけ、のこりの三回では勝ったのは敵方だ。それはつまり、午後の四度の試合のうち、海の女神の側はすくなくとも三つ勝たなければ勝利の望みはないということだ。

 二人がフルスト家の天幕パヴィリオンを通りがかったとき、ちょうどイーディスとドゥファがなかから出てくるのに行きあった。カロリーンがいなかったなら、サラとイーディスは当然相手を無視すればよかったが、いまはそうはいかない。双方は体面のためにあいさつを交わし、四人でともに会場に向かうしかなかった。

「そこそこよくやったわ」イーディスはサラに言った。「もっとみじめに負けるものだと思っていたから」

「あなたが出場になったらどうだったでしょうね?」

 イーディスは鼻を鳴らす。「すくなくともあの人と引き分けにはできた」

 一同が会場に戻ってくると、西側にある高官貴人たちのための観覧席はからっぽで、南北二方にある平民たちのための観覧席は混みあっていた。騎士たちは東の観覧席にまばらに座っている。サラはロータとミアを探し、すぐにうしろから二列目の席に二人の姿を見つけ、早足で歩き寄っていった。

 ロータは一冊の図鑑を手にして、ミアにそれぞれの家の紋章を見わけられるよう教えていた。サラがやってくるのを見てすぐにミアが立ちあがり、二人のあいだに座るよう席を空けた。

 カロリーンはほかに済ませる用があるらしく、観覧席には上がってこなかった。イーディスとドゥファは前寄りの席に座った。

「イーディスといっしょに来たの?」ロータが二人に気づき、尋ねてくる。

「たまたま出くわしただけ」サラは答える。「もし自分が出場者になっていたら、ケイト・ライメルスワールとすくなくとも引き分けにできたって──もしかすると、正しいのかもしれない」

「だけれど王女様とパールが、戦いに出すはずがないわ。あなたも知っているでしょう、どんな危険な場にもあの人を出すはずがないのは」

「なぜでしょう?」そばにいたミアはけげんそうだった。「イーディスはフルスト公爵の一人娘だから?」

「たしかにわたしたちのなかではいちばん高貴な血筋で、フルスト家も同盟のなかでいちばんの勢力を誇っている家ね。だけど理由はそれだけではない」サラが説明した。「イーディスの母親は現在の国王陛下の妹、ジョセフィン王女なの」

「つまり、あの人は王室の血筋と……王位の継承権を持っている?」

 サラはうなずいた。「もしジョセフィン王女が健在だったなら、国王陛下の妹として、継承順は第四位、アーシュラ王女とアリス王女、オズワルド王子のすぐつぎになったでしょう。だけれど数年前、あのかたは諸島を訪れるときに船の事故で亡くなってしまった。いま継承順四位にいるのがイーディスなの」

「もうわかった、ミア?」ロータが横で笑いながら口をはさむ。「王女様はイーディスに戦功を挙げる機会を与えられないの、もしイーディスの功名が主君をおびやかすようなら、自分の王位継承者としての地位も危うくなるから」

「ロータのでまかせには耳を貸さないように」サラは真剣な顔で話をさえぎった。「人望も、背負っている勢力も、それに継承順位から考えても、イーディスが王女様の地位を揺るがすのは無理だから。王女様とパールがどの戦いにもあの人を参加させないのは、当人の身の安全を守るため。二人とも用意周到な人で、最悪の可能性を考えているの──イーディスという切り札さえあれば、もっとも恐ろしい事態に出くわしても、そのあとでわたしたちは王位継承者を頂いて、王妃に対抗ができる」

「もっとも恐ろしい事態?」ミアが疑問を口にした瞬間には、サラの言う意味を理解していた。「そんなことは……起きないでしょう?」

「わたしたちが起こさせない」

「イーディス当人もそれはわかっているんでしょうか?」

「もちろんわかっている」サラは答えた。「受け入れる気になるかはまたべつの話だから」

 貴族と騎士たちが続々と戻ってきて観覧席に腰を下ろしてから、午後の催しはラッパの音とともに幕開きとなった。双方が事前に提出した名前の目録によれば、火の神の側がこれからの四試合で送り出す出場者は全員、経験豊富な競技騎士だった。そもそも遅れをとっている海の女神の側が勝つのは、間違いなくさらに困難になる。

 午後一番に戦いに出るのはヒルフェルスム辺境伯の長子エゴンで、今年二十八歳になる。王家の騎士団の担当教官に任じられたばかりで、新緑祭イディヤグレンの終了後に正式な就任を控えている。それまでは長く配下の騎士を連れてウルファレ要塞に駐留していて、それはヒルフェルスム家の後継ぎが若いときに経験しなければならない修練だった。だから、エゴンは〈海と火の決闘〉に出場するのも初めてだった。

 その相手になるのはスロイス侯爵家の競技騎士、〈はげ頭の〉フランシスだ。

 試合が始まると、フランシスがエゴンの籠手を突いて一戦を取り、エゴンは第二戦でフランシスの胸当てに一撃を与え、こちらが点数で上回った。最後の一戦、フランシスがふたたびエゴンの籠手に攻撃を当て、エゴンは突きが空振りになった。試合は引き分けで終わるのだとサラが思ったそのまぎわ、エゴンがぎりぎりのところで剣先の向きを変え、フランシスの兜にかろうじて触れた。

 こうして、海の女神の側が一試合取りかえした。

 敗れたフランシスは休憩場所に戻り、馬を降りずに兜を外して、腹立ちまぎれに勢いよく地面にほうり投げ、象徴的なはげ頭をあらわにした。エゴンは勝利の栄光にそれほど浸ることもなく、落ちついた様子で闘技場を後にした。

「シルヴィアはどうしてあんなしっかりした人を断ったんでしょう?」ロータがそうこぼす。

 以前、エゴンは湖畔の騎士団の団員ハンナと婚約を結んでいた。ハンナが見回りのとき不幸に見舞われ亡くなったあと、辺境伯は王女に対して、ハンナの指導を受けたことのあるシルヴィアを新しい婚約者に据えようと提案した。しかしシルヴィアは決然とした態度でこの縁談を却下した。

「もしかすると、シルヴィア・ヒルフェルスムという名前が言いにくすぎるからかも」サラはいいかげんに返した。この話題を話したくはなかった、とくにミアの面前で話すことは。

 シルヴィアが話を断った理由の想像は難しくない。孤児の生まれのシルヴィアにとって、権勢をたくわえたヒルフェルスム家に嫁ぐのは運命を変えることができる、天から賜った機会に決まっている。しかしその機会はハンナの殉職のうえに持ちあがった。それが受けいれられなかったのだ。

「舞踏会で二人がはちあわせしないといいけれど」

「エゴン・ヒルフェルスムはいま王家の騎士団に奉職していて、シルヴィアのほうはわたしたちと王家の騎士団との連絡を任されているから、仕事にまつわる付き合いは避けられないでしょう。エゴンが早くあきらめてくれるのを願うしかない」

「わたしは二人に結ばれてほしいと思うけれど」ロータが言った。「とにかく、ほかの男ではシルヴィアにはとても釣りあわないもの」耳をつんざくような歓声が二人の雑談をさえぎり、第二試合の参加者はすでに両者入場していた。

 海の女神を代表して出場するパトリシア・クロウクルはドルクナ島の島主の妹で、今年でまだ十五歳、参加者全体のなかでもいちばん若い。相手をするタイリンヘン男爵家の競技騎士、〈孔雀の羽根〉ロザリンは今年で三十六歳、武術大会に出場するのは今回が最後になると言われている。

 試合が始まると、パトリシア・クロウクルは全力で相手に突っこんでいったが、ひらりとかわされ、自分の胸当てに強い一撃を食らってしまった。何度かふらつきながら、どうにか姿勢を保って落馬は免れた。

「あれは残念。クロウクル嬢の一突きが命中していたら、馬から突きとばせたはずだったのに」ミアが言った。

「力が入りすぎていたから」サラは首を振った。「構えの動きがあれだけ大きくて、しかも経験豊富な敵を相手にしているんだから、見すかされて当然」

「相手に当たらないなら、どんなに勢いがあっても無駄ね」ロータが認める。

「パールと戦うことになっている競技騎士は、力を律するのに長けていて、トンボが水をつつくように、槍の穂先を相手の甲冑に触れさせることだってできるらしいけれど」

「パールはその長所を知っているの?」ロータが訊く。

「知っている。話したのはエメロールト家のシンシアで、そのときわたしも居合わせたから」

「それなら大丈夫ね。パールはきっと相手の長所をもとに策を練るでしょう。あの人の力量なら、たかが競技騎士一人では相手にならないから」

「それはそうだと思う、だけれど……」

 サラの声はまた歓声にかき消された。パトリシアは第二戦でも攻めかかるのに全力を尽くして、避けたあとのロザリンは相手のどの場所でもゆうゆうと攻める機会があったが、槍先をパトリシアの籠手に形ばかり当てただけで、試合を終えた。自分の娘でもおかしくない歳の相手をまえに、ロザリンは手加減することを選び、いとも優雅なかたちで競技騎士としての生涯にピリオドを打ったのだった。

 ロザリンが容赦なくパトリシアを突いて落馬させていたら、平民たちの喝采が返ってきたかもしれない。しかしこの騎士の精神を貫いたふるまいは、貴族と騎士たちからの尊敬を得ていた。

 とはいえ、試合がここまで進み、海の女神の側に勝算はまったくなくなっていた。これからの二つの試合両方で勝ちを収めたとしても引き分けにしかできない。

 男子の部で最後に行われる対決で、双方から出場したのはそれぞれ、スハウウェン辺境伯に仕える騎士のフランツと、競技騎士の〈黙して語らぬ〉ルドルだった。

 フランツはアナベルの異父弟で、幼いころからスハウウェン家で騎士としての訓練を受けてきた。純粋な山の民の血筋とあって、姓氏は持たず、家名を名乗る必要があるときも〝山脈の生まれのフランツ〟としか言わなかった。スハウウェン辺境伯の領地は馬の産地として知られていて、フランツがその背にまたがっている黒馬は、ほかの参加者と比べはっきりと頭一つ高かった。純粋な毛の色を見せつけるためか、派手な馬着で装わせることはしていない。

 二人の試合は三戦めまで続いたが、とくに盛りあがることはなかった。たがいに一点しか得られない場所に当てるか、攻撃を外しあうばかりで、最終的には引き分けで終了となった。

 結果、海の女神の側は二勝四敗、三引き分けで、あと一試合を残すのみとなった。湖畔の騎士団の団員たちは沈んだ雰囲気で負けが決まったことを悟り、ふとため息を漏らしていた。パールが最後の試合でどう立ちまわろうと、最終的な結果は変えられないのだ。だが、〈海と火の決闘〉の結果を気にするのは言ってしまえば王侯貴族だけだった。さして信仰心の強くない平民たちからすれば、火の神の側が勝ったとしても〝今年の夏はとても暑い〟ことしか意味しない。結果よりも、めざましい試合の過程こそがこれからまる一年間の話の種になるのだ。

 パールとコニー・エンスヘデが装束を整えて闘技場の両端に姿を現したとき、平民で埋めつくされた観覧席からはこれまででもっとも大音響の歓声がとどろいたが、貴族と騎士たちの反応はもうすこし冷淡で、湖畔の騎士団の団員たちだけがパールに向け懸命に声援を送っていた。

 紋章官アルメール教授の姿がまた西側の観覧席に現れた。彼女は観衆に向け、二人の紋章の紹介を始める。彼女にとっては今日最後の仕事であり、ひときわ意気込んでいる様子だった。盾だけでなく、上衣と馬着の情報についても読みあげていく。

「海の女神コールガを代表して出場するのはベーフェラント家のパールである。盾と上衣はどちらも藍色を地として、そのうえに冬青ヒイラギ紋様に囲まれた船形の王冠を描く。これは彼女がその一員である湖畔の騎士団の紋章である。馬着は青緑を地として、そのうえに円に囲まれた六匹のスズキを描くものである。これは出身であるベーフェラント家の紋章にあたる。火の神ゴースメクを代表して出場するのは、ドレンテ家に仕えるコニー・エンスヘデである。盾は深い赤を地として、そのうえに金のくちばしと金の爪を持つ鴉を描く」アルメール教授は号令の旗を持ちあげ、力強く振りおろした。最後の一試合が正式に始まる。

 しかしそのあとに生まれた光景は、すべての観衆の予想を外れていた。一時でも上の空でいた観客がどこかにいたなら、この日でもっともめざましい瞬間を見のがしたかもしれない。

 たがいの攻撃が届く距離に二人が入ると、コニーはその妙技を繰り出し、考えうるかぎり速く槍を突き出して、パールの兜に正面から当ててみせた。そのすばやさは、おそらくどんな人間だろうと避けることはかなわないだろう。シンシアが述べていたとおり、その一撃の勢いはとても弱く、相手をすこしでも傷つけることなど不可能と言ってよかった。それでも規則のとおり、まぎれもなく二点を手にしている。

 しかし、その一撃に観衆たちが賞賛の声を漏らすよりも早く、コニーはパールによって馬から突き落とされていた──パールの槍の穂先も、相手の兜を打っていたのだ。

 この一撃の勢いはかなりのもので、パールの持つ槍はたちまち破片と化していた。

 コニーが落下するころには、会場は一瞬の静けさに包まれ、だれもがパールのその一撃に身震いし、深く息を吸いこんでいるようだった。そしてそれぞれの観覧席から、山と海をおし流すがごとくの喝采の声がとどろいた。

「言ったとおりね」サラはロータの耳元に口を寄せた。「パールはたしかに、相手の長所を利用してみせた」

「そういうこと。パールは自分が攻撃された一瞬に仕掛けたのね。この手は、ほかの相手に使っても効果がないはず」ロータが言う。「コニー・エンスヘデは速さだけを求めて、力にまったく重きをおいていないから、兜に槍を当てられたとしてもこちらの攻撃には影響しない。あの人に勝つための唯一の方法かもしれないわ」

 催しが最後まで終わると、慣例どおり、海と火の双方がもっともすばらしい立ち回りを見せた出場者を選び、表彰を受けさせることになる。海の女神の側では責任者がほとんど議論することなくパールを推薦した。火の神の側はかなりの時間をかけて議論し、最終的にはカペレ子爵が選ばれた。彼の試合は引き分けでしかなかったが、勝利を収めた出場者のうち三人は競技騎士であり、あと一人は女騎士のケイト・ライメルスワールだった。男性の貴族のなかから一人を選ばなければならないのなら、カペレ子爵もたしかに最良の人選だった。

 パールとカペレ子爵は西側の観覧席の下に呼びよせられ、エリック三世みずから二人に純銀製の桂冠を授けた。二人は馬に乗って闘技場を一周し、観衆たちからの喝采を浴びる。会場には〝ベーフェラント嬢〟の声が休みなく響きわたる一方で、カペレ子爵の名前を呼ぶ声はひどく少なく、王家の騎士団の団員たちにいたっては、子爵がまえを通るとき、声高く〝ライメルスワール嬢〟の名を呼び侮辱していた。兄とは仲の悪いマリアが先頭に立っているのはすぐにわかることだった。

 二人の姿が会場の両側に消えると、貴族たちが退場を始め、それに騎士たちが続く。貴族たちはまず天幕パヴィリオンのほうに戻ってすこしばかり調子を整えるが、護衛の任務のない騎士は自由に王都に戻ってよかった。

 帰り道、サラとミアは同じ馬車に乗せられた。

 ロータは両親とともに市街に戻り、そこから直接王宮で開かれる舞踏会に参加することになっている。

「舞踏会に参加するなら、踊らないといけないんですか?」馬車のなかで、ミアはサラに訊いた。「まえに宮廷の礼法の授業で、踊りのステップはいくつか教わったけれど、結局うまく踊れなくて」

「踊りたくなかったらこちらから誘わなければ済むことだし、向こうから誘われても断ることはできるから。踊りの好きな人たちが一晩じゅう踊って、そうでない人たちは、この機会におしゃべりをするだけ」

「わたし、おしゃべりも得意じゃないのに」

「心配しないで、わたしのそばに付いていればいいから。ほかの人たちへの紹介はわたしが代わりにする」サラは言う。もとはクララの役目だったのが、いま自分の肩にかかっていた。「初めて新緑祭イディヤグレンの舞踏会に参加する騎士は、大勢にあいさつをしないといけない──とはいってもただのあいさつだけだから、たいして話す必要はないの」

 家族としばし顔を合わせる貴族の令嬢たちや、護衛の任務のある面々と別れ、サラとともに市街の屯所に戻る騎士は十数名だけ、シルヴィアもそのなかにいる。王宮で開かれる舞踏会に参加するのは六人だけで、ほかに四人の箕帚人が従者として同行する。

 準備のため与えられている時間はごくわずかだった。サラは汗くささのまとわりつく騎士団の制服を脱ぎ、濡れた布でざっと全身をぬぐったあと、予備の制服に着替えて、シルヴィアの香水をほんのすこし付けておいた。ミアはダイアンの手を借り、諸島風の巻き髪に結っている。みな首飾りは着けずに、真珠をあしらったチェーンを制服の胸元に飾るだけだった。

 全員が身だしなみを整えて、シルヴィアが先頭に立って王宮に向かった。途中、ほかにも王宮に向かう馬車に何台か出くわし、そのうち一台がテルネーゼン家のものだった。華麗なドレスに着替えているロータは馬車に乗ったまま、こちらに会釈を送ってきた。

 王都グルントヴィは建国戦争以前、もともとギルディング山とエギル川に守られた要塞都市だった。城壁は堅固で、川の流れは速く、ギルディング山は高くそそりたつというほどではなくともその上には一つのとりでが鎮座し、山を越えて街に侵入しようという企みをすべて断ち切るだけの役目を果たしていた。〈白髪の〉ヨースタインが兵を率いてグルントヴィを攻めおとしてまもなく、〈建国者〉エリックはここを国の都と定めた。その後、戦火で破壊された街道はエリックの命によってふたたび敷きなおされ、エギル川は船が通れるよう拡幅され、外市街もすこしずつ建設が進んでいった。しかし百年あまりまえまで、ゼーラントの王室一家はみなギルディング山の上の砦に暮らしていた。砦は何度かの改築を経ていても、快適に暮らせるとは言えず、出入りもかなり不便だった。

 そのため、土木事業に熱心だったことで知られるオズワルド一世は即位後まもなく、山のふもとに宮殿を建設するよう命令を出した。

 メイヤール湖畔にある離宮と比べてみると、王宮はオズワルド一世期初めの建築様式を見せている。偏執に近い対称形、さまざまな大きさの三角形のガラスを組みあわせた窓、それにアーチ型の天井。こうした要素はその治世の終わりごろには消えうせていた。一貫して変わらなかったのは、出費を惜しまないことと贅沢の限りを尽くすことだ。

 新緑祭イディヤグレンのときに舞踏会を開く伝統も、オズワルド一世の治世に始まったものだ。

 一行は王宮に入ると、腰に差していた剣を迎えの人間にあずけ、着飾った衛兵たちに案内されて廊下を抜け、舞踏会が開かれる大広間にまっすぐ向かった。

 すこしばかり到着が早く、大広間に着いたときにはまだ中の支度が済んでいなかった。広間の四方に立つ柱にはすでに明かりが点っている。王宮の侍従たちはランプを吊り下げ、ろうそくを立てて一つずつ火を点しているところだった。早足で歩く女中たちが、茶菓子を盛った銀の盆を持ち、いまから南側の壁のまえにある長卓に並べるところなのも見えた。

 その様子を見たシルヴィアは衛兵に頼み、一同はアーシュラ王女専用のティールームに向かうことになった。

 広間を出た廊下沿いにはたくさんの小部屋があり、来訪者が身だしなみを整えるための部屋もあれば、カードやさいころ遊びのための部屋もあって、なかでも多いのがティールームだった。王室の一家と、とくに栄光ある地位にいる貴族だけが専用のティールームを持つことができ、ほかの貴族たちが使えるのは共用のティールームだけだ。舞踏会が始まると共用のティールームは人で混みあうのがつねだが、個人用のティールームは静かなままで、密談にふさわしかった。

 国王のエリック三世も、新緑祭イディヤグレンの機会を利用して、しかるべきティールームで地方の諸侯たちと面会する。

 王女専用のティールームにやってきたシルヴィアは、入口に立っていた侍女に向け、王女の印付きの指輪を示した。侍女はそれを確認して、ドアを開ける。

 ティールームのしつらえもオズワルド一世期の様式に満ちていて、けんらん豪華ではあるにしてもいくらか俗っぽくはあった。部屋の中央には四角い机が置いてあり、八人が囲んで座ることができる。机には精巧な作りの銀の燭台が立っていて、壁にはランプが二つ吊るしてある。窓の外を見るともう夕暮れどきだった。壁のまえには椅子が並べてある。

 シルヴィアが騎士たちを机に座らせると、いちばん奥の椅子が二つ空いた。箕帚人たちは、壁のまえの椅子にしばし腰かけて休ませる。

 ミアの横に座ったサラは、ミアが緊張して背筋をぴんと伸ばし、両目で燭台をにらんでいるのを見て、その手を握ってやった。

「覚えている?」シルヴィアも目のまえの燭台を見つめていたが、横に座っているプリシラのほうを向いて言った。「離宮に行くまえ、わたしたちがなにより怖かったのは新緑祭イディヤグレンの舞踏会だったでしょう。いちど、シャンデリアのろうそくが何本か消えてしまって、とにかくはしごを上って点けにいくよう魔女のおばあさんに言われて……」

「もちろん、覚えていますとも」

「サラ、あなたがはじめて舞踏会に参加したときも、まだ侍女の身だったでしょう?」

「そう」サラはうなずいた。「離宮に行くまえに、女伯爵に付いて二度参加したことがある。でも正直言って、侍女として参加したときのほうがまだ気楽だったような気がするけれど」

「たしかに今日、その肩にはなかなかの重荷がかかっているから。でも、うまくやってくれるとわたしは信じてる」そう言って、シルヴィアはミアのほうを向いた。「ミア、新入りの騎士として、今回の任務はただサラの後ろに付いて、王女様を支持する貴族たちにあいさつしていくこと。硬くならなくてもいい」

「もしだれかに踊りに誘われたら、どうすればいいんでしょう?」ミアが尋ねる。

「その相手の見映えがよくて、王女様を支持する陣営にいるのなら、受けてもかまわないから。気にいらない相手なら断ればいい」シルヴィアは言う。「あなたはほとんどのあいだ離宮にいて、王都に来るときも務めに忙しくて、ふだん男の人と知りあう機会なんてないでしょう。ちょうどこの機会に知りあっておきなさい」

「そんなに興味があるわけでも……男の人に」

「でもあの人たちからはそうとうに興味を持たれるでしょうね」シルヴィアが言う。「あなたのような、さとくて引っこみ思案な娘がいちばん歓迎されるから」

「聡くて、引っこみ思案で……エルドゥリアの女性について言われているみたいです」

「ミア、自信を持ちなさい。王女様みずから封じられた騎士だっていうのに、いまはまるで姉の腕のなかでびくびく震えて、知らない人と口を利こうとしない小娘みたい」

「ごめんなさい」ミアは慌ててサラの手を放し、決然とした口ぶりで言った。「もっと、騎士らしくふるまうようにします」

 その言葉を聞いた先任の面々は意外にも笑い声を上げ、ミアはますますとまどうことになった。

「宮廷の舞踏会に参加するのははじめてなんだから、緊張から逃れるのは難しいでしょう。それでわたしたちから責められることはない。ただしわたしたちにとって、こういう社交の場は戦場とたいして違わないの。一度の舞踏会がもたらす影響が、一度の戦いさえ超えることだってたくさんある──あなたもそのうちわかっていくでしょうね」

 シルヴィアの言葉をどれだけ理解しているのか、ミアはなにか考えている様子でうなずくだけだった。

 そこに部屋の外から足音が聞こえたかと思うと、ティールームのドアが開かれた。先頭になって入ってきたのはカロリーンで、それにアーシュラ王女とアナベルが続く。カロリーンとアナベルは騎士団の制服のままだが、王女は藍色のワンピースのドレスに着替え、真珠の装飾品と王位継承者であることを示す銀の冠を身につけている。

 王女の姿を見て、その場の一同はそれぞれに立ちあがり礼を送る。

 アナベルは部屋に入ってすぐにはドアを閉めず、その後ろからもう二人が姿を現した。まえにいる女性は見たところ二十五歳ごろで、薄青の袖のないワンピースのドレスに身を包み、その上に灰色のケープをまとって、銀色の長い髪は耳元までまとめ真珠をちりばめた髪網で押さえていた。もう一人のほうは同行者よりもずっと歳下らしく、銀髪を肩の高さで切りそろえ、萌黄色のドレスをまとっていた。

 最後に入ってきた若い一人のことはサラも覚えていた。〈海と火の決闘〉に出場して敗れたパトリシアだ。それなら、そのまえにいるのがドルクナ島の島主、シェリー・クロウクルだというのもすぐに推測できた。

 シェリー・クロウクルは王女と同い年にあたる。大多数の貴族の令嬢がするように王家の騎士団に仕えるのではなく、島主になるまでに何度も商船に同行して遠方に航海し、エルドゥリアや南方の大陸にも行ったことがある。三年まえ、政務に関心のない両親からドルクナ島を引きついでからは、新たな航路の開拓に熱意を注いでいて、クララからは〝島主よりも航海家がお似合いね〟と評されていた。サラが思い出すかぎり、島主に就任してから今回がはじめての新緑祭イディヤグレンへの参加だった。

 王宮の侍女がドアを閉める。騎士たちは続々と席を譲り、椅子が並ぶ壁のそばに下がった。箕帚人たちは部屋の奥で立っている。王女は客人たちに座るよう声をかけた。

「〈海と火の決闘〉で彼女が出場するのを目にしたときには、このかたをわたしの配下に招くことができたらどんなによいだろうと考えていたのです」王女は、向かいに座ったシェリー・クロウクルに向かって話しかける。「その願いがこれほど早く叶ってくれるとは思いませんでした。湖畔の騎士団にとって光栄なことです」

「殿下に力を捧げることができて、クロウクル家にとっても光栄です」

「ですが、こちらのクロウクル嬢の考えをいちど確認しなければなりませんね」そう言って、王女はパトリシアのほうに顔を向けた。「われわれの一員となるには、まずは離宮で三ヵ月間雑役をこなし、それから剣術と馬術、宮廷の礼法の試験を通る必要があります。そのすべてを受けいれる覚悟はありますか?」

「はい、あります」

「では、われわれの一員となることがなにを意味するかは知っていますか?」

「知っています」パトリシアの口調は決然としていた。「危険と栄誉を意味すると」

「アイセル家のクララのことは耳にしていることでしょう」

「耳にしています」パトリシアは一瞬言葉を止め、ふたたび口を開いたときにはわずかに声を詰まらせていた。「あのかたは島民の誇りです」

 そこまで聞いて、王女は向かいのシェリー・クロウクルに向きなおった。「妹君はきっとすぐれた騎士になることでしょう、よい素質をお持ちです。明日、彼女を連れて離宮に戻ります」

 ドルクナは大陸からもっとも近い島で、面積や人口で上回っているのはゼーラント王朝の起こりであるレクステイナル島のみ、かつては〈片腕〉アーネストが小ノルン諸島を統一するにあたっての最大の障害でもあり、南方に向かう航路を押さえる位置で、大変な戦略的意義を持っていた。歴史的な経緯を考えれば、クロウクル家と王女との同盟関係を疑う者はいなかったが、あちらが湖畔の騎士団に一人として差し出したことがないのも事実だった。

 いま、パトリシアがようやく騎士団に加わることのできる歳になった。シェリー・クロウクルはこの日が来ることをかねてから待っていたのだろう。

 サラが横を見ると、そこに座っていたミアが目にいっぱい涙をためているのに気づいた。その様子を見て、肩を叩いてやる。ミアはこちらには顔を向けず、ただうなずいて、目からこぼれ落ちる寸前の涙を右手の指でぬぐった。

 クララの名前を耳にして悲しみに襲われたのかもしれないし、自分とパトリシアとの違いを感じただけなのかもしれないし、もしくはその両方なのかもしれない。泣きたくなった理由をサラは訊かなかった。

 クロウクル家の姉妹が退出すると、一同はしばらくティールームで過ごし、そのうち音楽が聴こえてきたころ、部屋を出て大広間に向かった。

 ろうそくを全体に差したシャンデリアはいま高々と吊りあげられ、大広間全体を真昼のようにこうこうと照らしていた。茶菓子も万全に揃えられている。楽士たちも演奏場所でそれぞれ位置につき、熱心に演奏しているところだった。大広間に響きわたる音楽の目的は人を呼びあつめることだけで、風情はほとんどなく、すこし耳障りですらあった。

 かなりの人数の姿があった大広間に、さらに続々と貴族たちがティールームからやってくる。

 音楽が止むころには、遅れてきたわずかな家々を除いて、新緑祭イディヤグレンの舞踏会に招待を受けて参加する貴族や騎士たちは、全員大広間に集まっていた。

 招待主である国王エリック三世も当然不在ではない。楽団のいるまえに姿を現し、全員に向けて式辞を述べた。どこをとっても使いふるされた言い回しでしかなく、去年やこれまでの十数年話してきたこととそれほどの違いはない。王妃は赤いワンピースのドレスをまとって夫のそばに立ち、アリス王女は縮こまって母親のそばに身を寄せている。オズワルド王子はこの場にいなかった。

 国王一家が退席すると、ふたたび音楽が響き、若者たちは待ちきれない様子でホールに飛び出し、リズムに合わせて踊りはじめ、歳を重ねている貴族たちは三々五々、寄りあつまっておしゃべりを始める。

 アーシュラ王女がサラのそばに近づいてきて、いくつか言い含め、アナベルとともにティールームに戻っていった。そのときになってサラは、アナベルがいまも長剣を腰に佩いていることに気づいた。

「戦いの始まり」ミアに向けてサラは言った。そしてミアを連れ、かねてから王女を支持している貴族たちに順々にあいさつをしていく。混みあう大広間で相手を見つけるのはとても簡単とは言えず、それにサラは顔を合わせたこともない貴族もいて、それはほかの人々に尋ねて確かめるしかなかった。とはいえ、サラたちを連れて関係の深い家に引きあわせてくれる親切な貴族たちもいた。

 声をかけられた貴族たちはおおかた礼儀正しく、ミアに短く賞賛の言葉をかけたが、ときに間の悪いことに殉職したクララについて触れることもあった。幸いミアはそれなりに心得た反応で、悲しみを表に出しながらも、悲しみが自分を吞みこむままにはしなかった。

「サラ」突然背後から聞きなじんだ声が耳に入り、振りかえるとロータの姿があった。

 いまロータは銀色のドレスに身を包み、長い髪を頭の後ろで二つに結いあげ、桃色の真珠のイヤリングも着けて、ふだんの軍装をまとった姿とは別人のようだった。

「いいところに来た。お父様のところに連れていって」サラは言う。

「わかったわ」

 そう言って、ロータはサラとミアを連れて人ごみを抜け、茶菓子を並べた長卓のまえにやってきた。テルネーゼン伯爵夫妻はエメロールト女侯爵となにか話しているところで、シンシアもその横に立っている。エメロールト家は湖畔の騎士団に人を送ってはいないが、団員たちが王都でシンシアの世話になることは確かにあり、王女支持の一派に数えることができる。ということでサラはこの機会に、両家ともにミアを紹介した。

 あいさつが終わると、シンシアがサラを呼びとめ〝ライメルスワール嬢があなたを探していた〟と伝えてきた。シンシアに教えられた方向に向かい、サラはホールの端に一人ぽつんと立っているケイト・ライメルスワールの姿を目にした。

 サラは深く息を吸いこみ、ミアを連れて近寄っていく。ロータがその後ろに付いていた。サラは何食わぬ顔をしながらケイトのそばを通りすぎたが、相手はこちらに目を留めない。結局、ロータが時機を見計らって〝待って、サラ〟と声を上げ、ようやくケイトはこちらを振り向いた。

 ケイトが着ているのは葡萄酒色のワンピースのドレスで、そこに金糸で縫いとった蔓紋様は、首元から広がって裾まで届いていた。暗い赤色の長髪をあんず色のリボンで二つに縛り、まえに垂らしている。髪飾りとネックレス、イヤリングはどれも赤い宝石が嵌めこまれ、明かりに照らされて落日の名残のような輝きを放っていた。身長はサラと近かったが、ハイヒールを履いているのが理由ですこしばかり背が高く見えた。

「テルネーゼン嬢、トルン嬢、こんばんは」ケイトはとても礼儀正しく反応した。

 サラとロータも慌ててあいさつを返す。

「テルネーゼン嬢は、トルン嬢になにか急ぎの用があるのでは?」

「いえ、なにも」ロータはなんども首を振った。「彼女が早足すぎて、追いつけなくて」

「ちょうどトルン嬢にうかがいたいことがあるのだけど、ご都合はよろしいかしら」サラがうなずくのを見て、ケイトは話を続けた。「今日の午前、トルン嬢との試合では手加減がわからなくて、さぞ恨んでいることでしょう。あなたに謝らないと」

「わたしが油断して落馬したからです。幸い甲冑が頑丈で、どこにも怪我はありませんでした」

「ならよかった」ケイトはほっと息をついたようだった。「あのときはあなたに兜に槍を当てられていて、点数で追いつかれてとても焦っていたの。わたしが判断するまでに与えられた時間はほんの一瞬だけで、はっと気づいたらあなたの兜を攻撃していて、しかもあんなに力が入ってしまっていた……」

「あの試合は結局のところ、名誉の問題です。ライメルスワール嬢、あなたが全力を振るう気になってくれたのも、わたしへの尊重と承認からです。この件を気になさることはありません」

「いえ、わたしは〈孔雀の羽根〉ロザリンがクロウクル嬢と戦ったときのようにふるまうべきだったの。ロザリンは競技騎士でしかないのに、公爵家の娘であるわたし以上に騎士の精神を身につけていたでしょう」そう言ったところでケイトはすこし言葉を切った。「アイセル嬢の一件はわたしも聞いているわ……」

「彼女はずっと、あなたとまた手合わせするのを待ち望んでいました。残念ながら、結局わたしが相手をするしかなかったのですが」

「あのかたは尊敬に値する騎士だったわ」

「その命が尽きるときまで、そうでした」サラは静かに言ったが、鼻の奥にはつんとするものがこみあげてきた。ふたたび深く息を吸いこんで、ロータの後ろに隠れてすすり泣いているミアのほうに向きなおり、こちらに引っぱってくる。「ライメルスワール嬢、湖畔の騎士団の新しい団員、ミア・デルフトを紹介します。アイセル嬢は生前、彼女の指導役をしていました」

 ミアはなおも泣きつづけている。「アイセル様は、わたしを守るために……」

「そうなのね」それを聞いたケイトは一歩進み出て、ミアの肩を叩いた。「それならあなたは彼女の死を裏切らないよう、いつかかならず彼女のような騎士になることね」

 ミアはしきりにうなずき、涙もこぼれ落ちた。

 サラたちが一声かけて去ろうとしていたそのとき、ケイトは予想もしなかった提案を口にした。

「そうだ、トルン嬢、もしよければ、わたしといちど踊りません?」ケイトは言った。「ずいぶんまえからここにいるけれど、しかるべきお相手がなかなか見つからなくて」

 多少意味をはかりかねてはいたが、困惑の表情でサラは提案を受けた。横のロータはミアに相手を申しこみ、断られたあとでむりやりホールに引きずっていった。

 楽団はゆるやかな舞曲を演奏しているところだった。楽士たちは弦をはじいてリズムを打ち出し、旋律を奏でるのは木管楽器で、せいひつな川が月明かりの下を流れているかのようだった。踊りに長けた人間ならこのとぎれとぎれのリズムに乗って華麗なステップを踏むことができるのかもしれないが、多数の人間は連れの手を引きながらホールにゆっくりと歩を進めているだけだった。

 サラがふと、すこし離れた場所に目を走らせると、シルヴィアとエゴン・ヒルフェルスムがこの曲で踊っていた。二人は静かに黙りこみ、お互いのことさえそれほど見ずに、なにか考えている様子で曲に合わせ前後に動いている。我に返ると、連れが自分を見つめていることに気づいた。

「団員どうし、ほんとうに仲がいいのね」

「あなたもこちらに加われば、きっとほかのみなと友人になれます」

「そうかもしれないわね。だけれど、わたしが加わるはずがないのはわかっている」

「ええ、わかっています」サラは答えた。

「考えてみても残念だわ。わたしたちはとても気が合うはずなのに。こんな状況でなければ……」

「でも思い出してください、カペレ家のマリアはこちらの団員とそれなりに付きあいがあります。違う神を信じていたとしても、友人になることはできるでしょう」

「彼女はいずれとても苦しむでしょうね」ケイトが言う。「決断を下さなければならないときがほんとうにやってきたら、どちらを選んでも苦しむことになるわ」

「では、あなたは結局、その苦しみから逃げたいだけだと?」

「人というのは利を求めて害を避けるもの。マリアの考えは充分にわかるわ。アーシュラ王女がもし即位すれば、マルガレーテ一世のような名君になってもおかしくないとわたしも思う。でもあなたは、わたしの家族にとってそれがなにを意味するか、考えたことはあるかしら? あなたがベーフェラント家と婚約を結んでいるのと同じこと、ライメルスワール家の娘であるわたしにも、はじめから選択肢はないでしょう?」

「もしかすると、そのとおりかもしれません」サラは言う。「ライメルスワール嬢、そうだとしても、あなたと知り合うことができてうれしく思います」

「今度会うときには〝ケイト〟と呼ぶといいわ。戦場で出会ったとしても、わたしのことは〝ケイト〟と呼んで」

 その直後、楽隊は速いリズムの、細かい音符からなる森の舞曲ミュルクヴィズを演奏しはじめ、四人はホールを離れた。ケイトと別れ、サラとミア、ロータは広間を出て、共用のティールームに足を向けた。

 ロータと一曲踊ったあとで、ミアの気分は平静を取りもどしていた。

「ケイト・ライメルスワールとはなにを話したの?」途中、ロータがサラに尋ねた。

「とくになにも、あなたに予想できることだけ」

「たしかに予想できるわ」ロータは言う。「あの人をわたしたちの仲間にできないのは、ほんとうに残念」

 ロータの助けを得て、あいさつの責務は順調に進んだ。フルスト公爵にだけ出会わなかったのは、イーディスを連れてさきに退席していたのかもしれない。その後、ロータも両親とともに王都のテルネーゼン家の邸宅に戻った。

 舞踏会は後半に入っていた。満足しきった者やうんざりした者があちこちで退場している。まだ楽しみ足りない招待客たちだけが残っていて、帰る気が起きずにいまもその場を離れずにいた。楽士たちもくたびれている様子で、吹き鳴らす曲は一曲また一曲とゆるやかになり、嘆きを漂わせる曲さえあった。

 サラとミアがともに王女専用のティールームに戻ってきたときには、部屋には王女とパール、アナベルと二人の箕帚人だけがいた。

「ライメルスワール家のケイトと話はしましたか?」王女がサラに尋ねる。

「話をしたうえに、踊りもご一緒しました。わたしたちのことはまったく嫌っていませんが、一員として加わる気はないと」サラは答える。「それにケイトは、もし王女殿下が即位したら、マルガレーテ一世のような名君になれるだろうとも話していました」

「あのかたはきっと、もしわたしが即位すればライメルスワール家にとって不利だと考えているのでしょうね」

「そのとおりです」

「実際にそう考えているのなら、願ってもないことです」王女は言う。「あのかたが気にかけているのが家族の安全と今後だけだったなら、条件を出して交渉するのも難しくはありません」

「ミアを連れて、同盟の家々それぞれにもあいさつをしてきました」

「二人とも今日は疲れたでしょう、早く戻って休んでください」

 そう言いおえた直後、横にいたパールが口を開いた。「二人を連れていくのがいいと思うのですが」

「そうですね」なにか考えを巡らせながら王女が言った。「これからわたしは徹夜禱のために大聖堂に向かいます、悪いけれどあなたたちに護衛を頼みます、いいでしょうか?」

「クララのためでしょうか」ハンナが命を落としたあとも、王女は離宮の教会で徹夜禱を行っていたのをサラはうっすらと覚えていた。王女が個人的におこなっていたことで、騎士団の団員の多くはこれを知らない。サラは、一晩護衛を務めたエルザから話を聞いたのだった。

「そう」王女は言う。「クララの魂を鎮めるため──そしてわたしの失策を悔いるため」

 一行は王宮を出て、馬車に乗りサモンド大聖堂に向かった。内市街の街道を通りぬける途中、貴族たちの邸宅は多くが明かりを点けていて、楽器や歌の響きが窓から街に流れだし、道々とぎれることはなかった。ベストラ橋に人影は一つもなく、五月の風だけが吹きすぎていた。

 馬車は広場に入ることなく、教会の裏の路地に向かった。

 祭司のウィノナが紫のローブに身を包み、路地の入口で王女を迎えるため待っていた。一同は馬車を降り、ウィノナに付いて狭い路地を通りぬけ、教会の北側の壁にある小さいドアを入っていく。さらに薄暗い廊下を抜け、下りの階段を進んで、ようやく半地下にある小さい祈禱室に彼女たちは着いた。

 祈禱室に椅子はなく、いちばん奥に立っている木製のコールガ像は彩色を加えられずに、ニスだけが塗られている。像のむこうに一つだけある窓は、船の先に立ち、櫂を手にしているニリヤをステンドグラスで組みあげている。銀のめっきをした祭壇の上には燭台が置いてある。祭壇のまえの床には、すこし年季の入った敷物があった。

 王女は敷物にひざまずき、両手を合わせて、うつむき静かに祈った。

 ウィノナとパールも王女の後ろで祈禱を始める。アナベルとサラ、ミアはドアのそばに立ち、剣の柄に手を置いて護衛を務めた。

 陽の光がステンドグラスから部屋に射すころ、彼女たちは祈禱を終えた。