王家の騎士団の団員の手を借りて、サラたちは屋敷の庭から、もともとここに住んでいた一家の死体を掘り出した──家の主の夫婦と、二人の子供がいた。騎士たちは午前の時間をまるまる使い庭をひととおり掘りかえしたが、使用人の死体は一人も見つからなかった。リュンビュ=ターベック家の医者に確認させた結果、ロータが喉を切りさいた女はこの家に雇われていたメイドだったと確かめられた。
死体とともに見つかったのは、先月スクレイタ通りで奪われた金細工だった。
見つかった死体はひどく傷んでいたものの、スズリ学院の
その日の昼、シルヴィアは短い手紙を書き、ことの大体のいきさつを記して、伝書鳩の足にくくりつけ離宮にいる王女に送った。
次の日の朝、アーシュラ王女とパールが馬に乗って王都に駆けつけ、同行者としてイーディスとドゥファの姿もあった。それから王女とパールはシルヴィアとともに王家の騎士団の人間との会議に赴き、イーディスとドゥファは、サラとロータ、クララ、ミアとともに円卓を囲んで座り、王女たちの帰りを待った。
屯所に戻ってくると王女はプリシラに食事を運んでくるように命じ、騎士たちと昼食をとりながらこれからの作戦を検討した。プリシラは部屋を出ていこうとしたが呼びとめられ、彼女も同じ昼食の席に着くようにシルヴィアが言った。
「すこしやっかいなことになった」会議に参加しなかった面々にシルヴィアが話す。「
「ほんとうに荘園が占拠されていたら、また大変な戦闘ね」クララが言う。「王家の騎士団のほうは、何人か貸してくれる気はあるの?」
「一人も貸すことは考えていない」パールの口調はふだんと変わらずに冷静だったが、サラにはそこから憤怒が感じとれた。「新緑祭のまえは準備することが多いので、人手は割けないとむこうは言いはっているの。この件はわれわれで解決する必要がある」
「わたしたちは新緑祭のまえに準備することがなにもないみたいな言いかたね」クララが言いながら、ゆでた牛肉のかたまりに乱暴にフォークを突きさした。「そんな言いわけを持ち出して、上に
「この状況で王家の騎士団がただ傍観することを選ぶなら、わたしたちを支持する側には腹を立てる人も出てくるはず、ただ、王妃を支持する側のことは喜ばせられる」シルヴィアが言った。「結局どうしたところで、だれもかもを満足させることはできないの。それならよけいなことはしないに限る」
「ホフファイフェル侯爵はわたしたちに協力してくれる?」サラが尋ねた。「あの荘園はもとは侯爵のもので、領地のすぐとなりにあたるでしょう。ほんとうに強盗に占拠されているなら、侯爵にとっても脅威になる」
「まだわかりません」王女がここで口を開いた。「老侯爵はいま、病気がちで身体が弱っていらっしゃいます。わたしとパールがこれから、この件の相談に訪ねていきます。正直に言えば、あまり期待はしていません。ホフファイフェル家は債務が積みあがって、唯一の継承者の行方は知れず、命令に従う部下の騎士も何人といません。わたしたちが駐留するための住まいを提供する気になってくれれば御の字でしょう」
「とりあえずこれがいまの状況。わたしたちは、
「まずはだれかが荘園のほうに探りを入れて、あそこが強盗に占拠されているか確かめてくる必要があるわ。占拠されていなかった場合でも、それならネストヴェズ家が強盗のおこないに関わっているのだから、捕らえて引き立ててくる必要がある」パールが言う。「どちらにせよ、偵察は手順として省けないわ」
「どうやって探りを入れるんでしょう?」ロータが尋ねた。
「王女様とわたしで方法を考えたわ」パールが言う。「去年、エルザが戒律を破って武術大会に参加して、板金鎧を二つ手に入れたの。ライメルスワール嬢のぶんはすでに返させたけれど、もう一つをだれから奪ったのか、エルザは覚えていなくてずっと離宮の倉庫に置いてあるの。王都に来るにあたって、それも持ってきてあるわ。王都の甲冑職人からの届けものだと偽って、館に潜りこんで様子を探ってくるといいでしょう」
「それはいい手ね」クララは考えをめぐらしながらうなずいた。「こういう荘園の館はふつう格子扉を付けていて、なかなか開けてくれないの。手紙を届けるという口実で訪ねたら、こちらは格子扉のすきまから手紙を渡すよう言われて、入れてくれないかもしれない。だけれど甲冑が出てきたら、すきまから届けることはできないわ」
「わたしたちもそう考えました」王女が言う。「それに、賊が狙っているのはもともと財貨で、板金鎧一つはなかなかの財産です。きっとこちらをなかに入れるでしょう」
「その件はわたしに任せてください」クララが言った。「道もわかりますし、ネストヴェズ家の人々とは何度か顔を合わせたことがあるので、そこが強盗に占拠されているか判断できます。ただし──恥ずかしい気もしますが──馬車を走らせるのはあまり得意でないので、だれか御者を付けてもらわないと」
「わたしが御者を務めます」サラはみずから名乗り出た。
「わたしたちのなかで馬車を操るなら、たしかにだれもサラにはかなわないわ」ロータが言う。
「ではそれで決まりとしましょう」王女が言う。「偵察のとき、同時に地形も観察できるといいでしょうね」
「それなら、プリシラを連れていくのがいいかと」シルヴィアが提案を口にした。「学院で建築の教程を聴講していて、ふだんも熱心に絵を描く練習をしていますから、ここでこそ役立ちます」
プリシラが口を開くまえに、王女が答えていた。
「これだけ危険な任務は、プリシラには任せられません」
「わたしがただの箕帚人だからでしょうか?」プリシラが訊く。
「そう」王女は言った。「あなたはただの箕帚人なのだから、騎士の義務を背負うよう強いることはできません」
「大丈夫よ」クララがプリシラに言う。「わたしもふだんから絵を練習していて……」
「だとしても、わたしを連れていってください」プリシラの口ぶりはかたくなだった。「一人多ければ、かならず観察には役立ちます。王女殿下、わたしに学院で聴講をさせたのは、こういうときに力になれるようにではないのですか? たしかに騎士の義務を背負う資格はありませんが、それなら臨時で雇った製図屋ということにすればいいでしょう。わたしに手間賃を払ってくだされば」
「それでもいいでしょう、あなたに六百デナリを払うことは可能です」王女は言う。「しかし、プリシラ、もういちどあなたに告げておきます。今回の任務は危険な場所に身を投じて、敵の目と鼻のさきで探りを入れなければなりません。わたしたちは任務に加わるよう
「孤児のわたしからしたら、六百デナリははした金ではありませんから」プリシラは笑った。「それにアイセル様とトルン様が守ってくれれば、怖いものなんてほんとうになんにもありません」
「昨晩むこうを
「わかりました」ミアが重々しい表情でうなずいた。
「わたしはなにをすれば?」朝に王女とともに王都にやってきたイーディスが疑問を口にした。
「あなたとドゥファはひとまず、シルヴィアの代わりにここを守って、随時王家の騎士団の人間と連絡を取りつづけること」
「どうしてわたしたちを作戦からのけ者にするんですか?」イーディスのそばに座っていたドゥファが思わず尋ねた。「これが初めてではないでしょう……」
まだ言いかけているところで、イーディスの張りあげた声にさえぎられた──「ドゥファ、王女様に無礼は許しません!」
ドゥファはそれ以上なにも言わず、唇を嚙んでうつむく。それでも顔は不平と憤りに覆われていた。
イーディスとドゥファは、名目上は騎士団の団員として平等な身分にある。しかし目がついていればだれでも気づくことだが、両親ともに騎士としてフルスト家に仕えているドゥファは、公爵の一人娘であるイーディスをまえにすると、彼女の同僚というよりむしろ侍従に近かった。フルスト公爵の領地から来ているべつの少女によれば、離宮に来るまえのドゥファはもともとイーディスお付きの小間使いだったらしく──このたぐいの主従関係の
「
「わたしも残りますから」ドゥファはなすすべなく受けいれた。
食事を終えるとクララとサラ、プリシラは部屋に戻って平服に着替えた。ここに残るイーディスとドゥファを除き、一同がそろって王家の騎士団と共用の
サラは手慣れた様子で馬車を走らせ、ベストラ橋を通って、外市街を抜け、オウスリティン門から王都を出て、クララの案内に従ってネストヴェズ家に向かった。
ベーフェラント家の先祖、クリスティーナはかつて、馬車に
そのあいだ、ミアは灰色の馬に乗り、馬車を操るサラの横を走っている。二人はほとんど言葉を交わさず、静かに道を見つめるだけだった。クララはプリシラに、時代ごとの建築様式の変化について、とくに
「そんなに賢いのに、ただの聴講生にしておくのはもったいないわ。正式にスズリかウーベグレン学院で学びたいなら、王女様がきっと手はずを整えてくれるでしょう」
「わたしはいまの暮らしに満足です、これでも役には立てるんですから」プリシラは答えた。「王女殿下には心から感謝しているんです、シルヴィアの手助けをするように送り出して、しかも学院での聴講の許可もしてくださるなんて──ごめんなさい、ハールレム様の名前をそのまま呼んでしまって」
「二人きりのときは、いつでもそう呼んでいるんでしょう?」
「はい。離宮に来るまえの二年、わたしたちの日々はひどいもので、お互いに名前を口にしてどうにか堪えることができたので、どうしても直すのが大変で。離宮にいたときはそれでなにかと書き取りの罰を受けていて」
「学院で学ぶようになって、いまの箕帚人の身分を脱したら、正面から堂々とシルヴィアのことを名前で呼べるんじゃないの?」
「だけれど、アイセル様」プリシラは言った。「そうしても、あの人のそばにいられません」
その晩四人は、ガトナモウタ村の宿屋に泊まった。村は二つの街道が交差する場所にあり、行きかう旅商人たちは多くがここを選んで足を休めるのだった。つぎの日の朝、一行はふたたび出発し、ガルズル山と〈塔の墓場〉と呼ばれる
サラは、馬に乗ったミアを近くの丘の上で待機させ、自分は荘園の館の正門に向けて馬車を走らせた。
館は荘園の中心に位置していて、川沿いに建てられ、川に面していない三方には数メートルの幅の
馬車が近づいてくるのを見て、塔で見張りをしていた男がこちらに呼びかけ、どんな用か説明を求めてきた。クララは馬車を降り、声を張りあげて答えた。
「甲冑を届けに参りました」そう言いながら、プリシラから
「金はもう払ってあるのか?」
「受けとっております。こちらの工房は王都では名が知れていて、なじみの方々はみなこちらを信用して、さきにお代を払ってくださいます」
これから代金を払うのではないと聞いたからか、見張りの男はようやく警戒を解いて門を開けるよう呼ばわった。格子門がゆっくりと引き上げられ、なかから番兵の恰好をした男が二人出てきた。しかしよく観察してみれば、身に着けている綿甲がいまひとつ身体に合っておらず、剣の差しかたも正しくないことに気づくだろう。
ここが賊に占拠されていることを、サラはほぼ確信していた。
男のうち一人がクララの手から兜を受けとろうとしたが、クララは構わずに馬車に戻った。それを見た男たちもこれ以上道をふさぐことはせず、馬車が石橋を通り、荘園の領主館に入るのを許した。
サラは慎重に馬車を進めながら、周囲に目を配る。
庭にほかの番兵はいなかった。
塀の内側に沿って何ヵ所かに建物があり、屋根はつながっていて、建物のない場所にも木の板が敷かれ、この〝回廊〟を通って巡回ができるようになっていた。正門の裏と西側の壁の切れ目の内側には、どちらも縄をいっぱいに巻きつけた巻き上げ機が置かれている。庭の北側にある館は灰白色の三階建てで、一階はれんがだけで組みたてられて一つの窓もなく、二、三階の窓はすべて一枚ガラスに取りかえられていて、外壁も塗りなおされているようだった。男女混じった談笑の声が家から聞こえてくる。切れ切れにいくつかの言葉が耳に届くだけだったが、しかしサラは話されているのが諸島語でなくゼーラント語であること、しかもその言葉がかなり粗野な内容であるのも確信していた。
館の正面入口の左右に作られた花壇には、しおれてしまった草花がいくつかあるだけだったが、それがなにかの球根植物なのに気づくのは難しくない。ことによるとそうとうに珍しい、丹精込めた世話の必要がある品種なのかもしれなかった。
番兵の恰好をした二人はずっと馬車のそばに付いていた。馬車が館に着こうとしたところで、サラに馬車を止めるように命じ、そしてクララとプリシラに甲冑を運び出して、数メートル離れたオークの木の下に置くように言った。
「これはスカープラ通りの工房で仕立てられた甲冑なんです、そんなにぞんざいに地面に置いていけるものですか」
「置けといったら置け」相手の態度は強情で、しかも無礼だった。
クララとプリシラは言うとおりにするしかなかった。
「行っていいぞ」
「旦那さまを呼んで
「暇じゃないんだ」
「しかたありませんね」クララは言う。「そうだ、父からアニヤに一言ことづかっているんです。あの方を呼んできていただけませんか?」
「そっちも暇じゃない」男の答えはいつも簡潔で、なにか間違ったことを言わないか恐れているかのようだった。サラは、いまの態度はただの虚勢で、相手は自分よりはるかに緊張しているのを悟っていた。
「ならあなたから伝えていただくしかありませんね」と答えてすぐ、クララは諸島語の言葉を口にした。
番兵の恰好の男二人は顔を見合わせ、こちらがなにを言ったのかわかっていない様子だったが、それでも「おれたちから伝えておく」と返し、そしていらだった表情で、いますぐ出ていくようサラたちを追いはらった。
荘園の領主館を出て、丘の近くでミアと合流すると、クララはすぐに頭のなかの結論を口にした。
「どうやら、ここはほんとうに強盗に占拠されているらしいわ」
「あなたもそう思う?」サラがプリシラに尋ねる。
「わたしの意見はどうだっていいです。でも、アイセル様の考えには賛成です。番兵はみんな、どう見ても身体に合っていない服でした。庭の花はだれも世話をしていなくて、ぜんぶ枯れていました」
「ネストヴェズ家には、アニヤなんて名前の人もいない」クララが続ける。「あれはわたしのおばの名前」
「あそこで話していた諸島語はどういう意味なの?」サラがクララに訊く。
「ただの品のない
意見が一致し、四人はホフファイフェル家の城に向けて出発した。
この場所から城までの道のりは一時間程度しかかからない。道々の畑や果樹園は、ほとんどがホフファイフェル侯爵のもとに属する土地だ。ネストヴェズ家に買われた荘園は、もともと商いに鞍替えする富農のもとからホフファイフェル家の先祖が買いとったものだった。君主への忠義によって賜った封地については、売ることは許されなかった。
城が建っているのはつつましい丘の上で、周りはトウヒの木に囲まれている。丘のむこうから川がこちらにゆっくりと流れていた。森はぬかるんで足元が悪く、また
「ここはエギル川のすぐ近くで、空気もじっとりしているから、そう簡単に火は点かないでしょう」そう言って、サラは顔を上げて黒雲に埋めつくされた空を見上げ、そして前方のぬかるんだ地面を見た。「でなかったら、ホフファイフェル家は木の生えたなかに城を建てることはないでしょうから」
四人が城の正門にたどり着いたときには、もう雨が降りはじめていた。
城を外観からだけ見るなら、ホフファイフェル家の衰退はまったく感じられなかった。しかし室内に入るとすぐに、その経済状況が楽観を許さないことを数々の徴候が物語っていた。客間のすみはほこりと蜘蛛の巣に占領されて、絨毯ともなれば汚れまみれで図案を見いだすのも難しかった。装飾に使われている甲冑や壁にかけられた武器は、ふだんからだれも磨かないせいで輝きを失い、まだらな
客間の中央にはウォルナットの長机がある。ホフファイフェル侯爵はその端に座り、アーシュラ王女はその反対の端に座っていた。パールとシルヴィアは王女の後ろに回り、番兵の恰好をした娘が侯爵のそばに立った。
侯爵はぼろぼろになった綿入りのローブをまとい、手には黒檀の杖を携えていた。歳は七十近く、髪もほとんど残っておらず、しかしひげは胸元まで垂れている。四人が客間に入ってくるのを見て侯爵は目を細くし、苦労しながら四人を観察して、顔をくしゃくしゃにしていた。サラは、この老人と〈七十年戦争〉で驚異の巻き返しを見せた名将軍とを繫げて考えることがなかなかできなかった。
三十年まえ、クリスティーナ一世の姉弟が戦死したあと、残った部隊を指揮して撤退し、そして辺境で敵の反攻を果敢に迎えうった人物こそ、このホフファイフェル侯爵だった。
いまの姿を目にして、サラは歳月の残酷さに感慨を覚えずにはいられなかった。
「こちらの面々のほかに、もう何名ほど来るのかね?」侯爵がサラたちを指さしながら尋ねた。
「これから十六名の騎士と、六名の侍女が」王女が答えた。「その者たちは離宮のほうから馬車でやってきますので、夕方までには到着できるでしょう。こちらからガトナモウタ村に迎えを送りました」
昨日王女とともに発ったロータがこの場にいないのは、その任務を実行するよう命じられたのだろう。
「そちらはいつ、あの荘園に攻めいる考えなのだろう?」
「それはこの四人が持ちかえった情報を聞いてから決定します。早ければ、明日の早朝には攻戦に移ります」
「みな、ここで過ごしてくれるといい」侯爵は言った。「わしのところはないものづくしだが、部屋だけは不自由しない。ただ人が住まなくなって長いから、掃除は必要だがな」
「こちらに仕える侍女が掃除を受けもちます」
「なんの戦力も貸してやれないのが残念だ」そう侯爵は言う。「お恥ずかしいかぎりだ、わしが四十歳のころは、ゼーラントじゅうの精鋭がわしのもとで動いたものだったが。いまでもわしの命に従うのは役立たずの老いぼれたちだけだ──わしと同じ、役立たずの老いぼれだな」
「これはわたしからのたんなる提案で、そちらでご判断いただいてかまいませんが」王女は言う。「そちらからすくなくとも一人、今回の作戦に加わってはいかがでしょう。そうすれば名目上、わたしたちは協力してあの館を攻めたことになり、論功行賞の折にはそちらにも割り当てがされて、ことによればあの荘園を取りもどせるかもしれません」
「なぜわしのためそんなことに気を回すのかな、王女殿下? 提案のとおりにしたなら、それこそなんの力にもなれずに、はてにはそちらの手から褒賞をかすめとっていくのだぞ。そちらにどんな利点がある?」
「わたしの置かれた状況はよくおわかりのはずです」王女は言う。「わたしには同盟相手が必要なのです」
「それならホフファイフェル家の状況もわかっているはずだ、わしと同盟を結んで、手に入るのは債務だけだが」
「そちらの領地に備わっている価値は、平和な時代にはいっさい形となって見えないのです。この城は守りやすく攻めにくく、またエギル川の喉元を握りしめていて、いつでも王都とニャルザル港のつながりを断つことができます。ここを発った騎兵隊は、たった半日の道のりで王都にたどり着きます。一度天下が動きだせば、この場所はきっと勝利の鍵になるでしょう。王国の敵にみすみす渡すわけにはいきませんから」
「それは王女殿下の敵でしかないだろうに」
「いえ」王女の言葉は決然としていた。「わたしの敵はすなわち、王国の敵です」
侯爵はしばし黙りこんだ。杖を頼りに立ちあがると、番兵の恰好をした少女が手を貸そうと進み出たが、伸ばした手は振りはらわれた。
「アデリーン」少女に一声かける。「明日、この方々とともに動きなさい」
そう言いおえ、ホフファイフェル侯爵はゆっくりと客間を出ていった。
アデリーンという名の少女はすらりと背が高かったが、すこしばかり瘦せていて、番兵の制服を着ているとぶかぶかしているように見えた。暗い赤色の長髪を二本の三つ編みにして、胸のまえに垂らしている。王女の求めで、アデリーンは自己紹介をした──今年で十六歳、ホフファイフェル侯爵に仕える騎士の娘、祖父母が亡くなってから侯爵に引きとられ、城内において番兵と侍女を務める。
「騎士の訓練を受けているの?」パールが尋ねた。
アデリーンはうなずく。
「ホフファイフェル侯爵には騎士の任命権があるのに、なぜあなたを騎士に封じていないんでしょう?」
なかなか口を開かないアデリーンを見て、シルヴィアがかわりにその問いに答えた。「理由は充分明らかじゃありませんか? 騎士を一人任命するには、戦馬と装備一揃いを用立てて、それにある程度みすぼらしくない儀式を開かないといけません。侯爵はその出費を用意することができないんでしょう」
「そういうこと?」今度尋ねたのは王女だった。
アデリーンはふたたびうなずく。
王女はそれ以上この話題を続けず、サラたちに昼食を準備するようアデリーンに言った。彼女が出ていくと、サラたちに腰を下ろすようパールが身ぶりで示し、自分とシルヴィアも王女のわきに座った。プリシラは気が進まなかったが、シルヴィアに言われ腰を下ろす。
「荘園のほうの状況はどうでしたか?」王女が尋ねる。
「強盗に占拠されているはずです」クララが答える。「ネストヴェズ一家の幸運は望み薄でしょう」
「地形は観察してきた?」シルヴィアがプリシラに訊く。
「とても典型的な、オズワルド一世期の荘園の館でした。見張り場と落とし格子の門の作り、廊下の配置、それに横にある木の橋、すべてあの時代の様式です。最近に改築もおこなっていますが、中心部の構造は変わっていません。紙と書くものがあれば、建物の構造を絵に描くこともできます」
食事が終わり、王女がアデリーンに紙とペンを用意させると、プリシラはたちまち、やすやすと館のおおまかな構造を絵にしてみせ、クララもいくつか細かい点を思い出すのに手を貸した。
「なにか提案はありますか?」プリシラが描いた図面をまえにして王女が言う。「この領主館を、わたしたちはどう攻めましょう?」
「正面突破は難しいです」プリシラが言った。「あの格子門はとても堅牢に見えました。壊そうと思うなら攻城兵器が必要です」
「ほかの攻撃の案はありますか?」
「わたしからは、西側の木の橋をどうにかして下ろして、そこから攻めいるのを提案します」プリシラが言った。「注意して見たのですが、正面の格子門と木の橋はどちらも、巻き上げ機に巻きつけた縄で操作しています。ただし、格子門を開けるには巻き上げ機を回して、それから取っ手を固定する必要があります。ですが木の橋を下ろすには、縄を切ってしまえば済みます。それに一度縄を切ってしまえば、むこうは木の橋を持ちあげることができません」
「むこうの不注意を突いて、はしごをかけ、濠を越えて、塀のうえを上り、一人を送りこんで縄を切らせればいい」クララが言った。「そして橋が下りた瞬間に攻めいれば、むこうはなすすべがないわ」
「どのくらいの長さのはしごが必要なんでしょう」パールが言う。
「少なくとも三メートル。二本のはしごをつなげてもかまいません」プリシラが答えた。
そばに立っていたアデリーンが、必要な長さのはしごを準備することができると応じる。
「わたしが縄を切ります」シルヴィアが名乗り出た。「プリシラが今回の作戦に参加するようすすめたのはわたしです、プリシラが言い出した攻撃案はわたしが実行に移しましょう」
「ではそれでひとまず決まりとしましょう。さらに詳しいことは、アナベルたちが着いてからまた相談に」そう言って、王女はパールのほうを向いた。「わたしは現場で作戦指揮に出られるでしょうか?」
「いけません」パールは言う。その口ぶりは、厳しい姉が妹をともに酒場に連れていくのを断るかのようだった。そもそもが王女の従姉なのだから、こうして王女を戒めるのもおかしなことではない。とはいえこの場面を初めて見たミアとプリシラ、アデリーンはどんな感想を持っただろうか。「あなたの身の安全はゼーラント王国の未来にかかわるのです、このような小規模な作戦のために命を投げ出す必要はありません。現場の指揮はわたしがとりましょう」
離宮からやってくる大人数の部隊を待っている時間で、王女はサラに、アデリーンとミアを連れ出し、庭で剣技の鍛錬をするように命じた。サラは内心、これがアデリーンの実力を探るためなのをよく理解していた。
同い年のアデリーンとミアは霧雨のなか、おのおの練習用の剣を手にし、試合を始めた。
サラはそばに立って観察している。
アデリーンの技のほうが思いきりがよく、ほとんど余計な動きがない。数度のやりあいでたちまち有利に立ち、ミアはというと受け身のまましのぐばかりで、すぐには相手の隙を見つけられないでいる。
しかししだいに、アデリーンの弱点がさらけ出されていく。
呼吸が乱れはじめ、攻め手もすこしずつ調子の良さを失っていく。その息継ぎの隙を狙ったミアが相手の両腕を受け流し、剣を
勝負は決まった。サラは二人を離れさせた。
それぞれ手にしていた練習用の剣を下ろし、アデリーンは腰をかがめ、大きく息を吸いこみ、吐き出している。ミアのほうはごく落ちついた様子で、手袋を取り、指を動かしているだけだった。
アデリーンの剣術は勇猛の流儀に属し、核となる戦略は短時間に休むことなく相手を攻撃し、相手の防御を打ちくずすことにある。しかしこの剣術を使いこなせるだけの体力が備わっていない様子で、だから湖畔の騎士団ではいちばん剣術が不得意なミアが相手でも勝つことができなかった。それでも、素人を相手にするなら充分すぎるほどだ。
サラは、アデリーンとミアにはしごを探しにいかせ、自分は客間に戻って王女に報告した。
「あの子の実力はどうでした?」王女が尋ねる。
「王家の騎士団に入るのに問題はないでしょう。われわれの入団試験を通るには、もうすこし鍛錬の時間が必要かもしれません」サラはありのままに答えた。そして続ける。「明日領主館に攻めいるときには、アデリーンには外を守らせるといいでしょう。剣術の腕はなかなかです。体力がいまひとつで、前線で敵に突っこむには向きません」
「なるべく早くあの子を騎士にしないと」パールが言った。「騎士になれば、ホフファイフェル侯爵の養女に収まることができるから」
「侯爵はそのおつもりなのでしょうか?」王女が尋ねる。
「いまのところはまだ。変わらずにガートルードが生きて帰るのを信じています」パールは言う。「ですがあの方に残された時間はもう長くありません、なるべく早く継承者を選ばないと──領地と、ガートルードが残していった債務を継承させないと」
外の雨はとぎれながら降りつづけ、大部隊が到着したときには折よく
アナベルとロータの馬が先頭となり、うしろに続く七台の馬車はどれも騎士か箕帚人が操縦していた。ロータは帽子をかぶっていなかったので、結いあげた長髪は水滴に覆われていた。
サラはアナベルとロータを二階の客間に連れていき、王女とさらに具体的な攻撃案の検討を始めた。ほかの面々はホフファイフェル家の多くはない使用人たちとともに甲冑や食料を馬車から下ろし、城の一階の倉庫に運んでいく。
最終的に攻撃時間は、次の日の明け方と決まった。
夕飯のあと、一同はすぐにそれぞれの部屋に戻って休み、早朝からの攻撃に備えた。
アデリーンは、サラとロータ、プリシラに自分の居室を使わせた。サラとロータはベッドで眠るようにし、自分とプリシラはともに床にわらと毛布を敷いた。
眠るとき四人は服を着たままで、靴を脱いだだけだった。
一日の疲れをためたロータはすぐに深い眠りに入っていた。ふだんよりも三時間早く床に入ることになってサラはすこし落ちつかず、ベッドに横にはなったが、すぐには眠りにつけなかった。プリシラとアデリーンはまったく眠気を感じていないらしく、しばらく寝つけずに動いていたあと抑えた声で話しはじめた。二人はかなり声を抑えていたが、まわりがあまりに静かなせいで、二人の会話はまるまるサラの耳にも届いていた。
はじめアデリーンは王都の暮らしにばかり興味を示し、スズリ学院のこともいくつか尋ねていた。この気の毒な娘はとても小さいときに一度王都に行っただけで、記憶などいくらも残っていなかった。その後、二人の話題はホフファイフェル家の衰退に移っていった。
貴族の社会とは基本的に無縁のプリシラは、ガートルード・ホフファイフェルの逸話を聞いたことがなかった。
ガートルードは侯爵の一人娘で、かつて王家の騎士団で職務についていたが、退役後はスズリ学院とウーベグレン学院でそれぞれ古代言語を学んだ。計四回、古代の廃墟が広がる地域の探索を仕掛け、毎度旧世界の物品や文献を持ちかえっていた。しかし、ゼーラント王国領内の遺跡を探索するだけではガートルードはとうてい満足できなかった。十数年にわたる計画のすえ、八年まえに家財をつぎこみ、探検隊を組織して、船に乗りこみニャルザル港を発ち、一路北を目指した。
ガートルードの目標は、世界の果てにある〈原初の塔〉だった。
そのときともに出発した人々のなかには二つの学院の学者のほかに、ホフファイフェル家の騎士たちがおり、そこにはアデリーンの両親も含まれていた。この旅では海賊が
ガートルード・ホフファイフェルがそこにたどり着いたかはだれも知らない。人々が知っているのは、八年が過ぎて、その探検隊は一人として生還していないということだけだ。
愉快な話題ではない。アデリーンが話すのを最後まで聞き、プリシラは短くいくつかなぐさめの言葉をかけた。それから二人はなにも話さなかった。サラはそれからもしばらく横になって、ようやく眠りに落ちた。
数時間後、制服を着た二人の箕帚人に一同は起こされた。戦いに加わる者は全員二階の客間に集まる。サラはシャツと鎖帷子を身につけたあと、箕帚人の協力で、身体に合わせて作られた板金鎧に身体を入れた。甲冑はスカープラ通りの職人が作りあげたもので、いくつかの部分に分解ができ、どの関節も自由に動かせ、面甲のある兜と鉄靴を合わせれば、すきまを別にしてほとんど死角は生まれない。騎馬での戦いのとき馬に負担がかかりすぎないよう、鉄板はとても薄く延ばされて、鈍器の猛打を受ければ変形は避けられない。貴族たちが大金を費やして作らせる甲冑と比べると、湖畔の騎士団の装備となる板金鎧にはエッチングの装飾の一つもなく、肩当てとすね当てに青色に焼き入れがされているだけだ。ミアは騎士団に入って間もないので、そのぶんの甲冑はまだ仕上がっていない。幸い彼女はアデリーンとともに外を固めるように言われただけで、しかもクララが守ってくれる。
庭に出てきた騎士たちは、王女の告げる割り振りに従ってある者は馬に乗り、ある者は馬車に乗った。祝福を与えて、王女は騎士たちが荘園に向けて出発するのを見送った。
雨が止んでからしばらく経っていたが、それでも地面はぬかるんで足場が悪く、馬車はぐらぐら揺れながら進んだ。領主館の近くの高台に着いたときにはみな船酔いのようになっていて、何人かの娘は馬車を降りたかと思うと面甲を持ちあげて吐きはじめた。幸い時間はまだかなり余裕があり、一同は茂みに腰を下ろして休み、攻撃の時機を待った。
サラはほのかな月の光を頼りに、眼下に建つ領主館を眺めた。この濠と高い塀に囲まれた建物で、まもなく血の雨降る一幕が演じられるのだ。
ひとしきり休息をとったあと、騎士たちはゆっくり館との距離を詰めていく。なんの物音も立てないよう気を配り、二名の騎士と数名の箕帚人が残って馬車を見張っていた。サラは、木の橋が下ろされたあとまっさきに突入する一隊に割り当てられていた。板金鎧に身を包んだ騎士はほとんど盾を使わず、アナベルだけが凧形の盾を左腕にくくりつけて、右手には刑具としか思えない、竿の先に鎖で鉄球を取りつけた
ロータはそのすぐ後から攻めいる一隊に割り当てられている。盾はだれも手にしておらず、いまははしごを運んできて、西の塀にかける役を担っている。
二つの攻戦隊のほかに、クララはミアとアデリーンを連れてずっと外を固め、逃げだす者に備えていた。
今回の作戦の成否は、シルヴィアが縄を切り、木の橋を下ろすのに成功するかでおおかた決まってしまう。そのために、シルヴィアは甲冑に守られないまま、身一つで敵陣に潜りこまないといけなかった。作戦を計画した当人として、プリシラも後に付いてきていた。シルヴィアの耳元に近づいてなにか言うと、シルヴィアはなんどもうなずいていた。そしてプリシラは馬車のいるほうに戻った。
長い夜が終わろうとするころ、パールがシルヴィアのそばにやってきて、作戦開始の指令を出す。
それを受けてシルヴィアは敏捷にはしごを上り、塀に上がった。直後、その姿はこちらから見えなくなる。第一団の攻戦隊がすかさず位置につく。
大音響とともに、落ちてきた橋が濠をまたぎ、西側の壁の切れ目も一同のまえにさらされた。
盾を掲げたアナベルが先頭となって突入し、サラはすぐ後に続いた。
木の橋が落ちた音は塔の上の見張りを驚かせ、むこうから数本の矢が飛んできた。最初に庭に突入していた数人はすぐさま散って、井戸の裏にうずくまり、あるいは塀と手押し車の陰に身を隠す。アナベルは盾を高く掲げて、矢の飛んできた方向に一歩ずつ近づいていった。とはいえ相手は弓矢の名手などではないらしく、足元には一本として向かってくることなく、数メートルは離れた地面にちらほらと突き刺さっていく。
直後、一同の耳に悲鳴が、それに続いてなにかが地面に落ちる音が聞こえた。サラは面甲のすき間を通して、音の聞こえた方向に目をやる。この時間、朝日はまだ柔弱で、太陽はまだ東の塀から顔を出していない。男が見張り台の下に倒れ、血が広がっているのが見えた──シルヴィアが塔に上っていて、男を突きおとしたのだ。
館の扉が開き、長剣を手にした男たちが四人、駆け出してくる。一人は彼女たちのまえに向かってこないうちに、一本の矢に倒された──シルヴィアが放った矢だろう。一人はアナベルに切りかかったが、アナベルはわずかに身をかわしながら盾で受けとめる。刃が軽く盾をかすめていったかと思うと、その勢いでアナベルは力をこめて盾を振るい、相手の鼻先に叩きつけて地面に倒す。それから手にした連枷を掲げて、とげに埋めつくされた鉄球を別の男に向かって振るった。男は片手で剣の柄を握り、片手で剣身を支え、この一撃を防ごうとしたものの、とうとう受けとめきれず地面にへたりこんだ。アナベルは一歩進み出て、男を蹴倒した。
残った一人はこの光景を見て手にした剣を放り出し、厩舎に向かって走っていく。パールがデボラに追撃を命じて、ほかのみなは母屋を目指す。
ここで第二陣の部隊も庭に入ってきて、そのうち数名に、パールは母屋の一階の倉庫と、庭にあるほかの小屋いくつかを調べるように言った。
ロータは庭にとどまり、地面に倒れてはいるがまだ息のある二人の男を見張っている。
プリシラの説明によれば、こうしたオズワルド一世期の館は、通常入口が二つあり、正面の扉を開けると階段で、そのまま二階に上がることができるという。裏口は一階の倉庫に通じているのだった。
プリシラは正しかった。パールはみなを率いて階段を上り、居間に踏みこむ。
居間はおそろしい荒れ様で、まるで何週にもおよぶ
一同は居間を抜け、廊下に出る。廊下の左右の部屋から、服が乱れたままの男女が五人飛び出してくる。手にした剣をわけもわからず振りまわしながら、パールに向かってきた。なんの脈絡もない攻撃をまえに、パールの反応はいたって冷静だったが、それでも避けられず男女一人ずつを斬りすてていた。もう一人、胸を斬りつけられた男も、その場で息絶えはしなかったがおそらく手の施しようはないだろう。
残った男女二人は一歩ずつ後じさりはじめた。男のほうは階段を駆けあがり、女は近くの部屋に身を隠した。パールは女の相手をするようサラに命じて、ほかの面々を連れて三階に上がった。
サラがドアを蹴り開けると、女は開けた窓のそばに立っていて、飛び下りようとしているところらしかった。
「勝ち目はないから、抵抗はやめなさい」そう言って、サラは一歩踏み出す。「主謀者でないのなら、王家の法廷の判決は死刑以外もありえる。いま武器を下ろせば、まだ間に合う」
しかし惜しいことに、女が説得される気配はなかった。身を躍らせ、庭に飛びおりた。サラが慌てて窓辺に行くと、あの女が足を引きずりながら地面に倒れている仲間二人のところに急ぎ、ロータと対峙を始めるのが見えた。女は手にしている剣を高々と持ちあげ、全力で振りおろして、ロータはわずかな足の運びで避ける。
しかしその一撃の的は、ロータではないようだった。地面に倒れている仲間だ。
剣の刃はがっしりと一人の身体に食いこみ、たちまち血肉が飛び散る。
ロータは目のまえで起きたこの光景が理解できない様子で、一瞬動きが止まった。女はその隙に乗じ、長剣を引きずりながら数歩先にいるもう一人の男に駆けよる。剣先は地面に血の色の痕を一筋残したかと思うと、その男の身体を切りさいていた。ロータは止めようと歩きだしていたが、もう手遅れだった。
女は両手に剣を握り、それを振りかざすように動いた。その剣が振りおろされるまえにロータが動いたが、そのロータの剣を女は身体で受けとめた。首に傷が口を開け、鮮血が半メートル先まで飛ぶ。その光景をまえにしてロータはすこしばかりうろたえ、数秒経ってようやく剣を下ろし、様子を見に駆けよった。
サラは、いますぐにこの件をパールに報告しなければならないと考え、部屋を飛び出し、階段を上って、三階にやってきた。階段口に胸を突かれた死体が倒れているのは、さっき三階に駆けあがっていったあの男だった。
二階の居間は天井がとても高くて、それが三階の空間の半分を占めていた。三階には一つにつながった居室がいくつかあるだけだった。騎士団の団員たちはいちばん奥の部屋の戸口を取りまいている。サラもそこに駆けよると、パールとアナベルが、室内の女二人と対峙しているのが目に映った。
うち一人は、サラたちが昨日届けた例の甲冑を着ていたが、兜を着けるまでの時間はなかった。鉄靴もそばに放り出されているのは、寸法が合わなかったのだろうか。視界がさえぎられてはいたが、棍棒に棘を生やした
その甲冑は丹精こめて作られたものだが、とはいえアナベルが持つ連枷を防ぎきるのはしょせん無理だ。しかし、離宮の箕帚人たちと並ぶ年齢のこの少女をまえにして、アナベルとパールは
しかし、甲冑をまとった少女はいっさいそれに応じず、勢いよく足を踏みだして、手にした棍棒をパールに振るった。しかしパールはやすやすと避ける。パールが足を持ちあげ、相手を蹴りたおそうとしたそのとき、少女が突然手を放し、棍棒が音を立てて落ちた。運よくパールの反応が間に合い、足に当たることはなかった。
少女は身をひるがえし、開いていた窓に飛びこんで、そのまま身を躍らせた。着地の技術を身につけていないかぎり、板金鎧を着てこの高さから転落したなら、運よく死ななかったとしても落ちたときに重傷を負うのは間違いない。
それとほぼ同時に、メイドの恰好の女が短剣を自分の心臓に突きたてた。息絶える瞬間まで、女はあの黒い彫像を固く抱きしめていた。
パールは窓辺に駆けよって下に目をやり、そして首を振った。
サラはなんの役にも立たなかった長剣を鞘に収め、倒れている女のところに歩いていき、その腕のなかから血にまみれた彫像を手に取った。
木製の像だが、重くはないから中空になっているのだろうか。ろうそくよりもわずかに高さがあり、てらてら光る黒色に塗られ、祭司の恰好をした女が、腰の左右にそれぞれ三振りの剣を差し、両手で一振りを握っているのが彫り出されていた。細工は精巧とは言えなかったが、丹念に磨きあげられているのは見てとれた。
「これが、あの手紙に書かれていた〈七短剣の聖女〉かもしれません」サラはパールに言った。
パールも剣を収め、彫像を手に取る。
「〈七短剣の聖女〉については、離宮を発つまえにミリアムとビビアンに訊いてみたの。二人とも訊いたことがないらしいわ。来月ウーベグレンに戻ったら、書庫で関連する資料を探してみるとビビアンは言っていたけれど」パールは彫像を見つめながら言う。「どうやらこの強盗たちは、彼女の信徒だったようね」
「もしかすると、火の民の信仰だからわたしたちは知らないのかも」アナベルが言う。
「違うでしょう」パールは彫像をサラに返した。「火の民の信仰に聖女などいない。それよりも、生け捕りにした強盗に直接訊いてみましょう」
それを聞いたサラはようやく、あの女が窓から飛びおりたあと二人の仲間を斬り殺した件について報告する機会ができ、そして謝罪を伝えた。
「あなたも、ロータのことも責めはしないわ。彼女がこんなことをするとはだれも予想できなかったのだから。ヴァナルガンド通りであなたたちが遭遇した強盗たちは自殺しただけ、ここの強盗は捕らわれていた仲間二人を殺してみせたのよ。なにか守らなければならない秘密を抱えているのは確かなようね」
「もう一人、酔っぱらいを捕まえなかった?」アナベルが言った。「なにか知っているはず」
「ホフファイフェル家の城に連れていってじっくりと取りしらべましょう。シルヴィアはそれが得意だから」
そうして、一同は二階に戻り、二人の騎士は剣を収め、縛りあげられた酔っぱらいを助けおこして、階段までひきずっていった。男の目はもう開いていたが、それでもいまひとつ頭ははっきりせず、状況をわからないままに階下まで引っぱっていかれた。
庭に戻ってきて、パールは自分とは別行動だった団員たちに状況を尋ねた。デボラは、厩舎に隠れた強盗は自殺したと報告し、ほかの数名も、まるで相手は死ぬことだけ目指しているかのように正面から刃に向かってきたと話した。最後のロータもうしろめたげな顔でパールのところに歩いてきたが、口を開く前にパールが、自分はもう状況を知っていると伝えた。
ひととおり数えあげ、一同は強盗たちの人数を確かめた──ぜんぶで十七人、生け捕りにされた酔っぱらいを除けば全員息絶えている。
戦いに加わった騎士たちには傷一つなかった。
「あれの目がもうすこし醒めたら」酔っぱらいを指さしてパールは言う。「しっかり訊き出さないと。連中がどうやってもぐりこんだのか、それとネストヴェズ一家をどこに埋めたのか」
「それに〈七短剣の聖女〉というのがいったいどういうものかも訊かないといけません」拾って手にいれた
「とにかく、あれはあなたに任せるわ。いっしょに王女様に戦果を報告しておいて。わたしは王都のほうと、王家の騎士団の人間に状況を説明しないといけないから」
これで全員がほっと一息ついた。何人か、待ちきれずに兜を脱いだ団員もいる。サラはロータのそばに歩いていって、なにかなぐさめの言葉をかけようとした。
突然、木の橋の方向から馬の
はじめサラは、団員たちが勝利を収めるのを予想したアーシュラ王女が駆けつけてきたのだろうとしか考えなかった。その直後、悲鳴が耳に届いた。まずいことが起きていると察し、一同は慌ててそちらに駆けていく。
二人の男が馬にまたがり、西の塀の切れ目から庭に突入してくるのが目に映った。商人の恰好をしているが、顔の刀傷はまたしてもその身分にあまり似合っていない。おそらくは盗賊たちの仲間だ。
サラは手にしていた彫像をほうり投げることになった。長剣を抜き、両手で固く剣を握り迎え撃とうと構えた。
そのとき、縛りあげられていた酔っぱらいが突然目を醒まし、仲間に向かってなにか大声でわめいた──
「……てくれ……早く……」
その声を聞いて男の一人はすぐさま馬の向かう方向を変え、もう一人は剣を振りあげ、サラのいるほうに突進してくる。避けきれずに剣を振りあげて防いだが、激しい衝撃にサラは地面に転がされた。しかし男は引きかえしてサラへの攻撃を続けることなく、ばさりと音を立てて馬から地面に落下した。
起きあがったサラは、男の首を矢が貫いているのに気づいた。
矢の出元をたどって、弓を手にしたシルヴィアの姿が目に入った。シルヴィアはふたたび弓を構え、もう一人の男もこのまま
それとともに、馬上の男は半分に折れた剣を手に握りしめ、縛られている酔っぱらいを目がけて突っこんでくる。
パールが慌てて酔っぱらいを横に押しやる。アナベルは連枷を振るって殴りかかるが、一拍遅れ、舞いあがった馬の尾を薙いだだけで終わった。男はふたたび方向を変えて、馬にむち打って酔っぱらいに突進した。いまにも馬の蹄が自分を踏みつけようというのに、酔っぱらいは避けることもせず、反対に身体を起こして迎えようとする。
ついに馬の前足がその胸を踏みぬき、数メートル先まで蹴りとばした。倒れた男は身じろぎもしなくなる。
残った男も、馬から飛びおりると、折れた剣で自分の首をかき切った。
その折れた剣を目にしたサラは、さきほど聞こえた悲鳴を思い出して、ふいになにか不吉な予感を覚えた。急いで木の橋の方向に走っていく。
ミアが地面にへたりこみ、身じろぎもしないクララを腕に抱いているのが目に入った。その横でアデリーンが膝を突き、泣いている。
「アイセル様が……クララが……」
サラがやってきたのに気づき、ミアは声を詰まらせた。
折れた刃の先が、鎧と兜のあいだのすきまに突き刺さり、クララの喉に突き刺さっていた。あまりに不運だった。切っ先がほんのすこしでもここから外れていたなら、鉄の板に阻まれて、クララが命を落とす傷を負うことはなかった。
「クララはなにか言いのこしていた?」サラは訊いた。
ミアは首を振る。
サラはひざまずき、クララの兜を脱がせた。クララは琥珀色の両目を見開いていた。数秒間見つめたあと、サラはその目を閉じてやった。
「アイセル様は、わたしたちのまえに立ちはだかって、剣で刺されたんです」そばのアデリーンが言った。
そこでミアが突然身体を震わせはじめ、とぎれとぎれに当時の状況を語りはじめた。あとのほうは涙で言葉にならなかった。
「あのとき、蹄の音が聞こえて……あの二人は馬でこっちにやってきて……クララが二人に、止まれと言って……むこうが剣を抜いて……クララはわたしに、弓でやつらを射るように言って……矢をつがえて、だけどずっと手が震えて……矢が逸れて……ぜんぶ、わたしの矢が逸れたから、こんなことに……ぜんぶ、わたしのせいで……」
「いえ、これはすべてわたしの責任」パールの声がした。
ミアのそばにやってきて、片膝を突く。
「この場面で仲間が外から戻ってくることを考えないで、充分な人数をここに置かなかったのはわたしよ。それにまだ甲冑を身に着けていないあなたとアデリーンを守るよう、クララに託した──すべてわたしの失策のせいで、クララを死なせたの」
騎士たちはつぎつぎとやってきてクララを囲む。あまりにやすやすと手に入れた勝利のことはいまは頭から消え、強盗たちの常識外れの行動に考えを向けることももうなかった。
みなは互いに支えあいながら、声なく泣いた。
三日後、湖畔の離宮でクララのための葬礼が行われた。
クララは礼拝堂の裏の空き地に、二年前に殉職したハンナのすぐ横に埋葬された。葬礼に参加した者たちはみな桜草の花束を手にし、クララとの最後の別れを終えたあと、花束を船型の
アデリーンも葬礼に参加が許されていた。あれからアデリーンは離宮にとどまり、箕帚人を務めながら、入団試験のための準備を進めている。アデリーンとミアは、クララの死を背負いながらこの一生を終えるしかなかった。
クララとともに埋葬されるのは、棺を満たす花のほかに、つねに腰元に差していた長剣と短剣、そして故郷のコーラルリーフ島で獲れた真珠のチェーンもだった。
クララの墓碑には、諸島語で二行詩が刻まれた。
春の日に命を落とした一人の少女がここに眠る
春はいずれ逝くとも、少女の栄名は永久に残る