
第50話
平穏な日々からの悩み事
ギルドでティナさんに相談してから数日。屋敷での引きこもり生活を始めたものの、今のところは魔物の
屋敷で保護することになったオオカミも
そんな平和な日々を過ごしていたわけだけれど、残念ながらちょっとした悩み事が発生してしまった。
回復したオオカミが森の中で狩りをしたいという意思を伝えてきたのだ。というか、何なら既に屋敷の近くの森には確認のために入っているという状況らしい。
「えーっと、森の中には深層だったり、そのさらに奥の魔物たちがやってきているから、溢れが終わるまで待てない? 一応、屋敷に引きこもるためにお肉だったりの食べ物は町で買い込んできているし」
そんな風になだめてみるものの、オオカミの意志は固いようで狩りを諦めてくれそうにはない。
まあ、仔オオカミたちはともかく、オオカミにとってはこの屋敷の敷地は狭いみたいなので、運動不足だったりという問題があるのは理解できる。でもだからといって溢れが始まっている状態の魔の森に入るのをただ見送るだけというのも気分的に難しいのだけれど。
「いや、私がついてくる必要はないと言われても……」
正直、前回のクマの魔物との戦闘を考えると、あのレベルやそれ以上の相手と戦う可能性がある今の森の中には入りたくない。なので、付き添い不要という提案はありがたいと言えばありがたい。
ただ、そもそも私自身は元から森に入るつもりがなかったので、あまり状況としては変わっていないというのが問題だったりするけれど。
「私が森に入る入らないじゃなくて、今の状況で森に入ろうとしている
まあ、確かに仔オオカミたちがいなければ、前回のクマの魔物相手にも優位に戦えそうではあった。とはいえ、それを考慮したとしても怪我のダメージから回復してすぐの状態で問題ないかというと、それはそれで違う気がする。
ただ、残念なことにオオカミの意志は固いらしく、先ほどから大丈夫だから気にするなという思いが立て続けに伝えられてきている。こちらが
「……わかったわ。正直、これからもまだ一週間くらいは屋敷に籠もることになるだろうから、森の中に入ることを止めるのは諦めます。でも、前回のクマの魔物と戦ったときみたいなことになったら心配だから、森に入るのは少しだけ待って。屋敷に何か使えそうなものがないか探してみるから」
結局、最終的に私の方が折れることになり、そういう提案をすることになってしまった。
一応、オオカミとは従魔契約を交わしているけれど、残念ながら一時的に保護しているだけの関係でしかない。なので、正直なところ、回復した今の状態であれば、このまま屋敷から出ていかれても止める
もちろん、感情的には今の危険な森に帰ることを許したくはない。けれど、今の中途半端な関係性で強引にこの屋敷に押しとどめるのも、それはそれで違うと思っている。
なので、結果として、森に入る前に身を守るための装備や魔道具を探す時間をもらうことで妥協する形になった。ティナさんとの約束もあるし、さすがに私が同行することはできないけれど、装備を整えてあげたり、屋敷に残る仔オオカミたちのお
というわけで、オオカミから森の中へと狩りに向かいたいという意思を伝えられた翌日、さっそく屋敷の地下室へと役立ちそうなものを捜索しにやってきた。
一応、オオカミからは一日くらいは待つという了解を得られているので、どうにか今日中に何かしらの役に立つアイテムを見つけたい。もし、何も見つからなかった場合、何の準備もない状態で森へと送り出すことになってしまい、仔オオカミたちと一緒に心配しながらオオカミの帰りを待つということになってしまうのだから。
「とはいえ、地下室にあるものについては、既に簡単な確認くらいはしているんだよね」
この屋敷で過ごすようになって、それなりに月日が
まあ、整理といいつつ、実験室を三つのエリアに分けただけだったりするけれどね。
作業用の机に実験器具などが置かれた作業エリア、本や書類などの資料がまとめられたエリア、そして魔道具を含むよくわからないものや使わないものをまとめた雑多なエリア。現状の実験室は、
「とりあえず、今回は奥にある雑多なものをまとめたエリアが探索対象になるだろうね」
そうつぶやいて、実験室の奥にあるエリアへと歩みを進めていく。
簡単に整理したとはいえ、奥のエリアに関しては
「やっぱり、ここにあるものもきちんと整理したいよね。改めて見るとげんなりしてしまうし」
仕方ないこととはいえ、現状できているのは使うものと使わないものに仕分けたことだけ。なので、マジックバッグくらいわかりやすいもの以外は、基本的に目の前にある山の中に放り込まれてしまっている。
「……まあ、時間もないし、頑張りますか」
少しの間ためらっていたものの、ひとまず、そんな微妙な言葉とともに作業に取り掛かることを決めた。
第51話
捜索と手詰まり
しばらく作業を続けたものの、集中力が切れたところで一度休憩がてら昼食を食べに屋敷の一階へと戻る。そして、気分転換として軽く仔オオカミたちと戯れてから再び地下室へと戻ってきた。
ちなみに、午前の捜索は空振りに終わっている。結構な数を確認したものの、ほとんどが錬金術関連のものだったので。一応、将来的には使えるようになる日が来るかもしれないけれど、残念ながら今の状況では無用の長物でしかない。
「ただ、残っているものに関してはさらにカオスになっているのがね……」
午前中の作業に関しては、比較的わかりやすいものから確認を進めていた。で、それらを一通り確認し終えた結果、後に残ったのは本当に何に使うのかわからないものたちになったということになる。
「でも、よくよく考えてみると、今回のお目当て的には、こちらの方が可能性がありそうなのかな」
実際、用途がわかりやすいものから確認していった結果、予想通りに錬金術関連のものが大半だったわけなのだし。それを考えると、オオカミを守るために役立つものという、ふわっとした目的のものを探すのであればこれくらいカオスなものの中から探すべきだったのかもしれない。
「とはいえ、本当によくわからないものが多いね……」
いや、よくわからないというより、どう役に立つのかわからないと言うべきか。そんなことを考えつつ、近くに置かれていた謎の球体を手に取る。
ちなみに、この謎の球体を鑑定した結果は〝浮遊球〟という魔道具だった。魔力を込めることで浮遊する球体、それがこの魔道具になる。
……いや、これで何をしろと?
物を載せて浮かぶくらいの力があれば、まだ使い道があったのかもしれないけれど、この魔道具に関してはただ本体である球体を浮かせるくらいの力しかない。まあ、紙や布程度の軽いものなら一緒に浮かせることもできるだろうけれど、正直、その程度の力では微妙だと思う。
「……まあ、今はこれの使い道を考えなくてもいいか。必要なのはあの子が森の中で身を守るための何かなわけだし」
そんな風に考えを切り替え、改めて目の前で山となっている色々を切り崩すように確認していく。
けれど、次々に確認していっても、出てくるのは先端が光る棒や数秒間録音できる箱などという微妙なものばかり。今回の目的に対してはもちろん、それ以外でも本気で何の役に立つかわからないものがほとんどだ。
「もしかして、錬金術関係以外はガラクタしかないの?」
ついつい、そうこぼしてしまう程度には本当に何も出てこない。
まあ、光る棒や録音できる箱に関しては使い道がないとは言わないけれど、正直、他で代用できるものだからね。明かりなら光球でいいし、録音に関してはもっと長時間録音できる魔道具が存在していたはずだから。
そうやって、本当に使い道のわからないガラクタなのか何なのかという山を半分くらい攻略したところで、一度作業の手を止める。
既に一時間近く続けているけれど、今のところ役に立ちそうなものは見つかっていない。唯一可能性がありそうなものが、魔力を込めると頑丈になるという布だけなのだから、はっきり言って選択を間違えたかもしれない。
「正直、このまま探し続けても使えるものが見つけられそうにないんだよね。というか、仮に使えそうなものがあったとして、それをそのままあの子が使えるかもわからないし……」
基本的にここに置かれているものは人間が使うことを想定した魔道具か、素材そのものだ。なので、仮に使えそうなものが見つかったとしても、それを加工するなり、工夫してあげるなりで、オオカミが使える形にしてあげる必要がある気がする。
さっき見つけた布にしても、そのまま羽織らせるわけにはいかない以上、頭なり胴体なりを守るような形に加工する必要があると思うし。
「……あれっ? 今探している何かって、実は結構な性能が必要になったりする……?」
布の加工について考えたところで不意に気づいてしまった。実は布の防御力より、オオカミの素の防御力の方が高いのではないかと。
いや、別にあの布を利用するつもりはないのだけれどね。ただ、新しく装備を増やす以上は一定以上の効果が必要になるのではないだろうか。
私の場合、魔法陣のように割と道具ありきで考えていたから抜け落ちていたけれど、オオカミの場合は今探している何かが最悪余計な荷物になりかねないのだから。
「そう考えると、やっぱり今探している何かには相当な性能が必要になりそうだよね」
身に着ける装備だとしても、慣れるまでは動きを阻害することになるだろうし、何らかの道具を持たせた場合は戦闘中に慣れないそれを使用するという動作が必要になってくる。
要するに、そんなデメリット以上のメリットをもたらすものを見つけないといけないわけなのだけれど──。
「……そこまでの性能があるものがここにあるの?」
改めて探し求めているものについて考えてみると、想像以上に要求されるレベルが高い。そのことを自覚した結果、作業の手を止めていたことも相まって、ついつい心が折れてしまいそうになる。
「い、いや、大丈夫。まだ確認できていないものも多いし、可能性なら十分にある、……はず」
そう言い聞かせるように口に出してみるものの、一度自覚したことで今やっている作業に対する徒労感が強くなってしまった。
「……少し休憩することにしましょう」
そうつぶやき、壁に背を預けるようにして座り込む。
正直、今までに容量の違う複数のマジックバッグだったり、前住人が使っていたと思われる性能の高い装備品などを見つけていたこともあって、軽く考え過ぎていたのかもしれない。
そもそも、オオカミの魔物が使うことができる何かという時点で、かなりハードルが高くなっているのだから。
「はぁ……」
ため息をついて天井を見上げる。
そのまま、しばらく天井を眺めながら思案してみるものの、何か素晴らしい代案が思い浮かぶということはなかった。
第52話
見つけたもの
「とりあえず、残った分だけは確認してしまおうかな。それでダメなら、最悪、結界の魔法陣を持っていってもらうという方向で」
結局、何も思いつきそうになかったので、最終的に当初から頭の隅にあった考えを口にして思案を終える。
とはいえ、魔法陣に関しては本当に最後の手段だと思う。
一応、魔法陣に魔力を流せば起動させることができるので、あの子でも使うことはできるはずだ。けれど、大きさだったり効果範囲だったりの改良ができていないせいで、結界が展開される場所が固定されるところが問題になってしまう。
さすがに、魔法陣から少しは離れた場所に展開される形ではあるけれど、基本的に
「魔法陣の改良ができていれば少しは違ったと思うけれどね……。とはいえ、今はできないことを嘆いても仕方ないし、とりあえず目の前の探し物を終わらせますか」
少し考えが
「えっ?」
瞬間、触れた場所に魔力を吸い取られた。そのことに驚いて触れた場所へと視線を向ける。
そこには、先ほどまでなかったはずの魔法陣が浮かび上がっていた。
「何これ? さっきまではなかったよね?」
改めて浮かび上がった魔法陣に触れてみると、うっすらと魔力を感じる。ただ、吸われた魔力が少なかったせいか、今のところは浮かび上がった魔法陣が勝手に発動するということはなさそうだけれど。
「描かれている魔法陣は──。うん、よくわからないね」
しばらく魔法陣を観察してからそう結論づける。以前確認した〝便利な魔法陣 三十選〟などの資料では見たことがない魔法陣なので、少なくともすぐに調べるのは難しそうだ。
「とりあえず、起動させてみる? さすがに部屋の中に設置されているものだし、特段危険なものではないと思うけれど」
ふと前世の映画で見た爆発シーンが頭をよぎり、屋敷の自爆装置という可能性を考えてしまうけれど、いくらなんでもそれはないと即座に否定する。この部屋を含め、屋敷の中には色々なものが残されていたとはいえ、さすがに屋敷ごと消滅させなければいけないものはなかったように思うし。
「うん、さすがにこんな場所に危険なものは設置しないでしょ」
そんな風に自分を納得させ、ひとまず魔法陣を起動してみることにした。
魔法陣に手を伸ばして魔力を流した瞬間、壁から何かが外れるような音が聞こえてくる。その音が聞こえた方向に目を向けると、壁の一部が切り取られたように新しく空間ができていた。
「あー、つまりは隠し金庫的な?」
現れた空間を見て納得する。確かにこういう隠れ家的な屋敷であれば、隠し部屋だったり隠し金庫的なものだったりはお約束かもしれない。
そんなことを考えつつ、現れた空間の中を
「さて、どうしようかな」
確認のために作業エリアまで戻り、作業机の上に置いた謎の魔道具を見つめてつぶやく。まあ、謎のと言いつつ、既に鑑定済みなので、その正体についてはわかっていたりするけれど。
「とりあえず、問題はどこにつながっているかだよね。空間転移の魔道具らしいけれど、いきなり訳のわからない場所に飛ばされてしまったら困るし」
そう、見つけた魔道具は空間転移の魔道具だった。
ただ、残念なことに鑑定しただけでは転移先についてはわからないし、この魔道具が見つかった場所にも転移先を示すような何かは置かれていなかった。
「せめて、転移先の状況がわかれば試しようもあるのだけれどね……」
見つけた魔道具を手につぶやく。瞬間、脳内にどこかの部屋の中の光景が浮かび上がってきた。
「!?」
驚いて視線を左右に動かす。一瞬、間違えて転移してしまったかと思ったけれど、どうやらそういうわけではなさそうだ。
「もしかして、今のは転移先の光景だったりする?」
そんな風に考え、再び魔道具を手にして転移先のことを考えてみる。すると、魔力を吸い取られる感覚とともに先ほどと同じ光景が脳内へと浮かび上がってきた。
「……とりあえず、見えた光景は転移先のものでよさそうかな。推測だけれど。ただ、だからといって、安易に転移してみるというのもね」
そんなことを口にしてみるけれど、正直、転移してみたいという気持ちが強くなっている。
なぜなら、転移先の光景が整理された室内のように見えたから。加えて、部屋の片隅に装備や魔道具らしきものが見えていたということもある。
「……ま、まあ、転移先の光景が確認できたということは対になっている魔道具も無事だということだろうしね。であれば、さすがに転移するだけ転移して、戻ってこれなくなるということもないはずだし」
自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、手に持った魔道具を見つめる。
正直、時間的なこともあって、目の前の雑多なものの山から使えるものを見つけるのは無理だと思い始めている。であれば、転移先の可能性に賭けてみるのも悪くないのかもしれない。あと、単純に私自身が転移先のことについて気になっているというのもある。
「……やっぱり、色々と歯止めがきかなくなっている気がするなぁ。もしかしたら、今の環境にストレスでも感じているのかな?」
最近は割と自給自足の目途も立って生活に余裕が出てきた気がするのだけれどね。いや、だからこそ我慢がきかなくなってきているのかな?
そんなことを考えつつ、手に持った魔道具に魔力を流して転移を発動させた。
第53話
転移先の様子
「うわぁ、本当に転移してきたんだ」
一瞬の暗転の後、気づけば先ほど脳内に浮かんだ部屋の中に立っていた。ざっと周囲を見回してみたけれど、思っていたよりも部屋の中は広くない。
「さっき見た光景はこの魔道具から見えた光景だったのかな?」
後ろに置かれていた棚の上に、先ほどまで手にしていたものと同じ魔道具を見つける。それを見て、先ほどまで持っていたはずの魔道具が手から消えていることに気づいた。
「うーん、失敗したかも。これって多分、向こうに残されたままの魔道具を床に落としちゃっているよね」
まあ、さすがに床に落とした程度で壊れるとは思わないけれど、万が一があると問題なのでもう少し丁寧な扱いを心掛けるべきだったかもしれない。使用した魔道具がその場に残されるということは、少し考えればわかりそうなものなのだから。
とはいえ、やってしまったことは仕方ない。そう気持ちを切り替え、目の前にある魔道具を手に取って向こう側の様子を確認してみる。
すると、床の上からの視界になっているものの、きちんと先ほどまでいた地下の実験室の光景が頭の中に浮かび上がってきた。
「ふぅ、とりあえず、壊れてはいないみたいだね。とはいえ、あまり長居するのもどうかと思うし、今日のところは簡単に確認するだけにして、できるだけ早く戻るべきだろうね」
空間転移の魔道具が壊れていないことにホッとしつつ、この部屋の確認と建物全体の確認のどちらを優先すべきかを考える。
この部屋の中には装備や魔道具らしきものが置かれているので、先にそれらを確認するべきだろうか? あるいは、建物の中を見て回って、転移してきたこの部屋がどんな建物の中にあるのか、そしてどのような場所にある建物なのかを確認するべきだろうか?
そんなことを考えてみたけれど、まずは周囲の安全を確認するべきだと思い至った。なので、最近の魔法の訓練で向上した魔力操作を
「……とりあえず、確認できる範囲には何もいないみたいだね」
確認できた周囲の様子から、すぐさま危険な状況に陥るという可能性は低い気がする。なので、手早く確認を済ませていけば、この部屋から順に建物内にある全ての部屋を確認していくくらいのことはできるのではないだろうか。どうやら、そこまで大きな建物でもないみたいだし。
そんな風に考え、すぐに転移できるように手に持ったままだった魔道具を元の場所に戻す。
そして、転移前から気になっていた装備や魔道具らしきものを確認することにした。
「うーん、ここには使えそうなものはないね。まあ、基本的に前に住んでいた人が使っていたものになるだろうし、仕方ないと言えば仕方ないのだろうけれど」
そうつぶやいて、手にしていた指輪型の魔道具を棚へと戻す。
残念ながら、装備や魔道具らしきものが置かれた場所に今回の目的に
「とりあえず、気になっていた道具類の確認は終わったし、次はこの建物について確認する感じかな? もしかしたら、その確認をしているときに何か使えそうなものが見つかるかもしれないし」
そう口に出し、念のために改めて周囲の様子を魔法で確認してみる。そうして、周囲に問題がないことが確認できたところで、この建物の内部を確認するために部屋の外へ出てみることにした。
第54話
前住人の秘密
「わかったことは、おそらくこの建物の方を本命の研究拠点として使っていたということかな。どう考えても屋敷にあったものよりも、ここに置かれている道具の方が性能が高そうだし」
建物内を一通り確認し終えたところで、この場所についてそう結論づける。
転移してきた建物は、かつては何かのお店として使われていたようで、一階がお店、二階が住居という造りになっていた。そして、母屋となっているその建物から通路でつながった先に工房となる建物が存在している形だ。
ちなみに、最初に転移してきた部屋は建物の二階にある一室で、今は最後に確認に来た工房の中にいる。
「とりあえず、こっちでも錬金術をメインに研究していたみたいだね」
改めて工房の中へと目を向ける。
この工房で一番に目を
けれど、この場所にある設備はそれだけではない。簡単な鍛冶仕事ができそうな小型の炉があったり、魔物素材の加工に使えそうな道具があったりと、すぐに思いつくような生産用の設備は全てそろっているのではないかと思うような工房になっていたりする。
加えて、工房の隣には素材などを保管するための巨大な倉庫まであったりするし、はっきり言って、店の大きさに不釣り合いなほど、ここの工房の設備は充実している。
「とはいえ、そんな充実した設備より、これが一番ヤバいのではないかと思っているけれど」
そう言って、目の前に置かれた魔道具へと目を向ける。
正直、これを見つけるまでは、単に設備の整った工房で色々な作業をしたかったのだろうと思っていた。けれど、これを見つけたことで、おそらくはこれの存在を隠すために、この工房でひっそりと作業をしていたのではないかと思うようになっている。
「魔法を魔法陣として出力する魔道具。使いようによっては結構な危険物になるだろうからね」
一応、今の時点でも魔法陣というものは、それなりの数が実用化されていたりする。けれど、未だに魔法陣として実用化できていない魔法というものも多い。
というより、この世界の魔法がイメージ次第で何でもできるせいで、決まった効果の魔法陣を組み合わせて魔法を再現するという行為の難易度がとても高くなってしまっているのだ。
にもかかわらず、それがこの魔道具を使えば、どんな魔法でも魔法陣として実用可能な形で出力されてしまう。一応、魔法として発動させられることが条件になっているとはいえ、どのような魔法でも魔法陣として再現することができるというのはかなりのインパクトがあると思う。
残念ながら知識の少ない私だとそこまで活用できないけれど、おそらく魔法陣を研究している人たちのもとに持っていけば相当に研究が進むことになるはずだ。
「実際、屋敷の前住人はこれを使って空間転移の魔道具を作り出していたみたいだしね」
とりあえず、私がこれをヤバいと判断した理由はこれだったりする。現状、存在しないはずの空間転移の魔道具を作り出すための魔法陣が生み出されているのだから。
「というか、この魔道具を使って空間転移の魔法陣が出力されているということは、前住人は空間転移の魔法を自力で使えたということなのよね……」
はっきり言って、これも結構な厄ネタだと思う。仮にも存在しないとされていたはずの空間転移の使い手がいたということになるのだから。いやまあ、前住人が使えることを隠していたということは、実は公にされていないだけでそれなりに使える人がいる可能性もあるのだけれど。
とはいえ、公にその存在が明らかにされていない以上、空間転移を使える人間の存在というのはかなり危険なのだと思う。国に管理されるような状況になるのか、それとも消されてしまうのか。
「まあ、なんにしろ、屋敷の前住人はすごい人だと思っていたけれど、想像以上にヤバそうな人だということがわかった感じかな」
そう言いつつ、もう一つの厄ネタへと目を向ける。
いやまあ、見た目は単なる日記帳なのだけれどね。ただ、書かれている中身が問題なだけで。
「これ、なぜか日本語で書かれているのよね……」
一応、向こうの屋敷でも色々な資料を確認していたけれど、少なくともこれまでに日本語で書かれたものはなかったはず。まあ、生活の中の色々なものに前世の日本を思い出すような道具が存在していたから、これまでにも転生者が存在して色々なものを作り出していたのだろうとは思っていた。
けれど、さすがに前住人が転生者というのは予想外だ。
「やっぱり、日記は読まれたくなかったのかな? それとも、他に何か理由があったり?」
まあ、日記というより活動日誌というような気もするけれど。
「とりあえず、流し読みした感じでは単なる活動記録に見えるし、そこまでおかしな内容が書かれているとは思えないのよね。わかったことといえば、あの屋敷に移住してきて、その後移住先の周辺が落ち着いた頃に魔の森の攻略に乗り出したこと。そして、その攻略時にこの建物がある場所までたどり着いたということくらい。どうやら、空間転移の魔法が使えたおかげで森の中にセーブポイントを作るような形でどんどんと魔の森の奥深くまで進むことができたみたいね」
……いや、空間転移の魔法が出てきている時点で問題なのか。とはいえ、それに関しては空間転移の魔道具が残されていた時点で今さらな気がするけれど。
「まあ、この日記については時間があるときに詳しく調べてみればいいか。今は当初の予定通り、この場所に関する確認とあの子に使えそうなものを探すことを優先しましょう」
そう言いつつ、場所については、知りたいような知りたくないような、という微妙な心持ちだったりする。どう考えても魔の森の奥深くにある場所だと思うし、このまま知らないままでいたいという気持ちもなくはないから。
「とはいえ、さすがに確認できるのであれば場所についても確認しておくべきだとは思うんだよね。でもまあ、まずは先に気になるものの確認から片付けてしまいますか」
そう決めて、ひとまず場所の確認については後回しにする。そして、先ほどから気になっていた倉庫の入り口から覗く巨大な装備の確認へと向かうことにした。
第55話
従魔用装備
「やっぱり、これって従魔用の装備だよね」
近くで確認した結果、倉庫の中に置かれていた巨大な装備が予想通りに従魔用の装備だとわかった。おそらくはサイズ的な問題で、工房の中ではなく魔物素材などを保管する倉庫の中に置かれていたのだと思う。
「……ただ、これはちょっと使うのが難しいかな」
遠目に確認した限りでは、ちょうどオオカミのような獣タイプの従魔に使う装備のように思えた。実際、間近で確認してそれが正しかったことは確認できたのだけれど、残念なことにサイズが明らかに合っていなかった。
「これがダンジョン産のものなら問題なかったのだけれどね……」
ダンジョン産装備であれば、基本的にサイズ調整機能が付いているので見た目のサイズが違っても装備することができた。けれど、目の前にあるのは魔物素材と魔法金属を使って人の手で作られた装備になる。
まあ、人の手で作られた装備にサイズ調整機能が付けられている場合もなくはないけれど、これには付けられていない。なので、とても残念だけれど、この装備については諦めるしかないようだ。
「まあ、この装備があるということは、前住人が従魔を連れていたということだと思うしね。であれば、残りを確認していけば何か使えるものが見つかるでしょう」
正直、期待していただけに残念ではあるけれど、切り替えて次に行くことにする。幸い、この装備が置かれていた周囲には、他にも従魔用と
「あっ、これは当たりだね」
周囲に置かれたアイテムを確認していくと、すぐに当たりを見つけることができた。〝守護の首輪〟という従魔の首に付ける魔道具で、装備している従魔が結界を張ったり、自身の治癒を行ったりということができる魔道具らしい。
「というか、隣に置かれているのも使えそうだね。置かれている場所的に、これも従魔が使っていたのかな?」
そのまま続けて隣のアイテムも確認してみると、そちらは〝
一瞬、この腕輪を装備していれば、先ほどの装備は不要なのでは? と思ったけれど、実際に使用してみると、思ったよりも魔力を纏える範囲が少なかった。腕まで纏えるという説明だったのに、その範囲が手首と肘の中間くらいまでしかないとなれば、これで防御をまかなうというのは厳しい気がする。
「まあ、防御はさっきの装備を使う感じで、この腕輪は攻撃のために使っていたのかな」
そんな風に勝手に納得し、残りのアイテムの確認へと戻る。
けれど、残念ながら、それ以降の確認では特に使えそうなものを見つけることができなかった。
「どうしようかな? ひとまず、あの子のための装備は見つけることができたから、今日の目的については達成したことになるのだけれど」
そう言って、倉庫から拝借した二種類のアイテムを見る。ちなみに、〝魔纏の腕輪〟は左右の足に装備していたのか、同じものが二つ置かれていた。
「……まあ、まだ時間もあるし、この建物がある場所くらいは確認して帰ろうかな。このまま確認せずに帰ったら、屋敷に戻ってからずっと気になりそうだし」
そう口に出し、念のために改めて周囲の様子を魔法で確認してみる。今度は建物の外に出ることになるので、先ほどまでのように建物の周囲だけというわけではなく、可能な限り広い範囲の様子を探る。
「……今回も何もなし、か。結構な広さを確認したはずなのに、それはそれで不安になるね」
探索範囲の広さに対し、小動物すら引っかからないというのは少し不安になってしまう。けれど、建物の探索中に窓から見えた光景的に、それもあり得ないことではないと自分を納得させて、建物の外の確認へと向かうことにした。
第56話
周辺の捜索
「?」
お店の入り口になっている扉から建物の外へと足を踏み出したものの、数歩も進まない内になんとなく周囲の空気に妙な違和感を感じるようになった。そのことに不安を抱き、念のために一度建物の中へと戻ることにする。
「……うん、建物の中に入ると妙な違和感はなくなったね」
扉を閉めたところでしばらく様子を
しかし、建物の外で感じた違和感の正体は何なのだろうか? さすがに毒などではないと思いたいけれど。
とはいえ、ここは魔の森の奥深くになると思われる場所だからね。もしかしたら、空気中の成分が妙なことになっている可能性も否定できない。
「そういえば、魔の森の奥に近づくにつれて魔素がどんどん濃くなると聞いたような……」
魔の森の奥深くというところで、ふとそんなことを思い出す。確か、魔物の溢れで魔の森の奥から出てきた魔物たちは魔素不足を補うために人間を襲うのだとかなんとか。
「ということは、外の空気の違和感は魔素濃度が高いだけ?」
さすがにそれはないだろうと思いつつ、建物の外の魔素濃度を工房にあった魔道具で確認することにした。
「まさか、本当に魔素濃度が高いだけだなんて……」
まあ、本当に魔素濃度だけが原因かはわからないけれど。ただ、魔素濃度と一緒に周囲の空気の成分を確認した限りでは、毒のような害のある成分は検出されなかった。
「……まあ、前住人もこの場所で活動していたみたいだし、そのことを考えれば、本当にこの辺りの魔素濃度が高いだけなのでしょうね」
正直、出鼻をくじかれたことで、この場所がどこかを確認するという決心が弱まってきている。とはいえ、このまま確認を諦めて屋敷に帰っても、どうせ後になってからこの場所のことが気になるに決まっている。
なので、このまま覚悟を決めて、建物の外へとこの場所についての手がかりを探しに行くことにした。
「……なんというか雰囲気のある光景だね」
覚悟を決めたおかげで、今度は無事に建物がある敷地から出ることができた。で、敷地の門を開いて一歩外に出た瞬間に、そんな感想が口からこぼれていた。
まあ、窓から見えた景色からなんとなく察することができていたけれど、予想通りこの建物がある周囲は
「とはいえ、思っていたよりも無事な建物が多いのかな?」
遠目に見える王城らしき建物が明らかに倒壊している様子から、この近くにある建物も似たような状況だと思っていたのだけれど、意外に原形をとどめているものが多い。とはいえ、倒壊している建物がないわけではないし、ほとんどの建物で一部が崩れているという程度の損傷は見られるみたいだけれど。
「……メインの大通りから外れているから無事だったのかな?」
周囲を警戒しながら歩みを進めていくと、大通りに近づくにつれて周囲の建物の被害がひどくなっていることに気づく。というより、大通りに面した建物に関しては、全てが
同じように瓦礫の山と化した王城まで、視界を遮るものが何も残されていないという事実から、かつてこの街に起きた被害の大きさを想像して不安になってしまう。けれど、過去のことだからと言い聞かせ、確認へと向かうために足を動かす。
「昔は、立派な門があったんだろうけれどね……」
王城を目指す途中、かつては区画を分けるために使われていたであろう門があった場所へとたどり着く。
もちろん、既に残骸となっているので推測でしかないのだけれど、残骸と思われるそれを手に取って確認してみる限り、材質としては街中の区分けのためだけの門としてはかなり立派なものだったように見える。まあ、他の街を参考に考えるのであれば、平民街と貴族街を分けるものになるのだろうから、それなりのものを使っているのは当たり前だとは思うけれど。とはいえ、それが完全に破壊されているのだから、この街の被害は相当なものだったのだろう。
「というか、ここを越えると、また一段と被害がひどくなっているのね」
門があった場所の内側へと足を踏み入れ、少し進んだところで周囲の被害状況がまた一段とひどくなっていることに気づく。
正直、既に辺り一帯が瓦礫の山になっているので、違いも何もないと思うのだけれど、明らかに貴族街に入ってからの方が破壊の被害が大きいように見える。
「……この貴族街の中に魔物が集中したということなのかな?」
この街が壊滅した原因は、前住人の日記によると魔物の溢れによるものだとされていた。なので、魔の森から溢れた魔物たちが一斉にこの街の中心である王城を目指し、この貴族街から溢れるくらいの数が集まったのであれば、この辺りの壊滅具合にも納得できるような気がする。
第57話
国の名前
そんなことを考えてから再び歩き出そうとしたものの、ふと王城まで続く道の長さを見て気づく。王城まで確認に向かうことができるほどの時間があるのだろうかと。
いやまあ、おそらくは王城まで行って帰ってくるだけであれば、どうにか暗くなる前に屋敷へと帰ることができる気がする。けれど、今回の目的はこの場所がどこであるかの確認なのだから、王城にたどり着いてから確認するための時間が取れないというのは本末転倒だと思う。
「そう考えると、王城の確認は諦めるべきなのかな」
まあ、王城跡にはそれとわかるくらいに瓦礫が残っているので、場所を示すための何かが残されている可能性は高いと思う。けれど、その確認のために暗くなってからも行動するというリスクを冒すのは微妙な気がする。
「……無理に確認する必要もないし、今日のところは帰ろうかな。一応、当初の目的は果たしたわけだし」
しばらくその場で立ち止まって思案し、最終的にそういう結論を出す。
正直、王城跡のことや、この場所がどこなのかということも気になるけれど、既にこちらに転移してきてからそれなりの時間が経っている。転移のことはオニキスたちは知らないし、あまり帰るのが遅くなると心配されるかもしれない。
というか、もしかしたらオオカミは勝手に森へと入ってしまうかもしれないし。
「とりあえず、今日のところは帰り道で何か手がかりがないか確認するだけにしましょう」
まあ、ここまで来る道中についてはあまり周囲の確認ができていなかったから、もしかしたら見落とした何かもあるかもしれないしね。
そんなことを考え、引き返すことを決めた。
「ん? 何か埋もれている?」
引き返し始めてからしばらく歩き続け、周囲に比較的被害が少ない建物が増えてきたところで道路脇に何かが埋まっていることに気づいた。
正直、周囲が瓦礫の山ばかりなので、色々なものが埋まっていたりするのだけれど、どうやら見つけたものは何らかの看板のようだ。
「……ディスプレッド王国、ギルド本部」
瓦礫の山から引き抜いたそれには、そんな文言が書かれていた。
「ディスプレッド王国って、確か帝国が全盛の時代に魔物の溢れによって滅びた属国の一つだよね。というか、私の記憶が確かだったら、その国があった場所って、今では魔の森の奥深くに取り残されて、私が住んでいる王国からですら相当な距離がある場所だったと思うのだけれど……」
いやいやいや、どれだけヤバい場所に転移先をつなげているのよ。どう考えても、私みたいな弱者が足を踏み入れていい場所じゃないじゃない。
確かに魔の森の中だろうとは思っていたけれど、もっと常識的な距離の場所だと思っていたのに。というか、屋敷の前住人はよくこんな場所までたどり着けたよね。空間転移の魔法が使えたことで魔の森の探索が有利だったとはいえ、魔の森の深層にいる魔物相手に戦えるだけの実力が必要だったはずなのに。
いやまあ、転移先の建物に残されていた装備やアイテムを見るに、それだけの実力はあっても不思議ではないけれど。
「……まあ、今はそんなことはどうでもいいか。この場所が想像以上にヤバい場所である可能性がわかったし、さっさと屋敷に帰りましょう」
そう結論を出し、転移先の建物へと急いで戻ることにした。
第58話
魔物の争い
「!?」
ギルドの跡地を後にし、大通りを急いで戻っていると、前方から大きな音が聞こえてきた。ついでに、障害物のない開けた視界には、前方の森で大量の木がなぎ倒され、土煙が上がっている様子が見える。
「えぇぇ……」
正直、またかという思いが強い。つい先日もオオカミとクマの魔物の戦いに遭遇したばかりだというのに、再び何者かが争うような場面に遭遇してしまうとは。
いやまあ、だったら魔の森の中の危険地帯に入り込むなという話ではあるのだけれど、さすがに今回はノーカンだと思いたい。空間転移の魔道具の転移先を確認せずに放っておくことはできなかったのだから。
「まあ、幸い距離はあるみたいだし、急いで屋敷に戻れば大丈夫かな」
遠目に見る限りでは、街の外壁があった場所よりも外の離れた森で争っているように見える。なので、そうそう巻き込まれるような事態にはならないはずだ。そんな風に考えつつ、移動する足を速めていった。
「とりあえず、無事に着くことができたね」
移動するに従って徐々に近くなっているように感じる戦闘音に緊張しつつ、どうにか無事に巻き込まれることなく転移先の建物へとたどり着くことができた。
で、安全な場所から落ち着いて確認できるようになったことで、戦闘現場との距離がはっきりと把握できるようになり、思ったよりも距離があることがわかる。
「……まあ、少しだけなら、ね」
なので、調子に乗ってそんなことを考えてしまった。
せっかくだからと魔物同士の戦いを確認することに決めたものの、地上からではさすがに戦闘の様子を窺うことはできなかった。なので、建物の屋根から戦闘の様子を確認することにする。
「戦っているのは、ヘビと──オーク? いや、オーガかな」
ヘビの魔物に関しては、その巨体が時おり木々の間から覗いていたけれど、その相手となるオーガについては上から確認するまでわからなかった。
「うわぁ、
明らかにサイズがおかしいヘビの魔物に対し、オーガの数は数十はいるように見える。そのオーガにしても比較対象がおかしいだけで、周囲の木々からサイズを推測するとかなりの体格を持っているはずだ。けれど、そのオーガたちがヘビの攻撃によって次々に吹っ飛ばされている。一応、オーガたちも数を活かして攻撃を仕掛けているけれど、どうやらあのヘビに対してはほとんど効果がないらしい。
「オーガも普通に強い魔物だったはずだし、あのヘビの魔物はどれだけ強いのって感じだよね……」
とりあえず、この周囲の森の中には足を踏み入れない方がいいことはわかった。屋敷に引きこもり始めたときにクマの魔物の強さを調べたけれど、そのときの記憶に間違いがなければ、あのクマの魔物よりオーガの方が強かったはずだし。にもかかわらず、あれだけの数をそろえているオーガが蹂躙される側になっているというのは恐怖でしかない。
「ただまあ、魔物同士が争っているということは、ここは溢れの影響範囲ではないということだとは思うけれど」
基本的に溢れが起きるときは魔物の思考は森の外へと向けられると言われている。ついでに、魔物同士の統率も取られるようになって、強い個体が弱い個体たちを率いる形になるらしい。
なので、目の前で繰り広げられている光景が、こちらで把握できていない溢れ前の格付け争いとかでない限り、この場所は溢れの影響が及んでいない場所だと判断できるはず。まあ、そもそもこの周辺が溢れの影響下にあるのであれば、廃墟となっている街の中にも相当数の魔物が入り込んでいそうだしね。
「あー、終わったみたいだね」
そんなことを考えている間に、森の中での争いが終わっていた。
結果は、順当にヘビの魔物の勝ち。オーガたちは半数を切ったところで散り散りになって逃走を始めたらしい。今は、戦いに勝利したヘビの魔物が周囲に倒れているオーガたちを捕食しようとしている。
「……まあ、とりあえず帰りましょうか」
魔物の捕食シーンを眺める趣味などないので、観察を切り上げて屋敷へと帰ることを決める。
けれど、そうやって視線を切り、建物の屋根から下りようとした瞬間、争いが起きていた方向からまぶしい光を感じ、直後にすさまじい
「!?」
光が見えた瞬間、視界の隅に捉えたのは先ほどのヘビが落雷を受けたところだった。アニメやマンガの一シーンみたいにヘビの身体が黒焦げになっていたけれど、ダメージを嫌がるように身体を振るわせた瞬間、黒焦げになった皮が
けれど、その直後に再び、ヘビの身体を雷が襲った。それも、今度は二度、三度と立て続けに。
「トリの魔物!?」
さすがに意図的にヘビを狙うように雷が落ちている以上、何者かの魔法だろうと疑っていたけれど、どうやら上空から現れたトリの魔物による攻撃だったらしい。これまた縮尺のおかしなサイズのトリの魔物がヘビの上空に姿を見せている。
そこからの戦いは、先ほどまでの戦いとは逆にヘビの魔物がほぼ一方的に蹂躙される展開となった。
空という圧倒的に有利な場所に位置どったトリの魔物が、雷の魔法や風の魔法でヘビに休む暇を与えることなく攻撃を加えていく。それに対し、ヘビも毒液を吐いたり、水の魔法で反撃したりしているけれど、そのほとんどがトリにかわされてしまってあまりダメージを与えられていない。
その結果、再生能力による圧倒的なタフさがあるはずのヘビも次第に弱りはじめ、ついにはトリの風魔法によって首を切り飛ばされてしまった。
「うわぁ……」
その光景に思わず声を失う。
先ほどまではオーガを相手に圧倒的な強者としての姿を見せていたヘビの魔物が、わずかな時間で今度は一方的に狩られる立場に変わってしまった。そのあまりにあんまりな様子に、正直どう反応すればいいのかわからない。
「っ!?」
そんな風に
瞬間、その圧倒的な威圧感に身動きが取れなくなる。
「……」
トリの魔物と見つめ合うような形のまま時間が流れる。
かなりの時間、あるいは数秒にも満たない短い時間だったかもしれないけれど、その状態が続いた後、唐突にトリの魔物が興味をなくしたように視線を外し、木々の中に倒れたままになっているヘビの魔物へと向かっていく。
その動きを見た瞬間、私は建物の屋根から飛び降り、屋敷へと逃げ帰るために建物の中へと駆け込んでいた。
第59話
帰還と考察
「はぁっ、はぁっ……」
転移してきた建物の中へと飛び込んだ後、急いで魔道具のもとへと向かって転移を実行した。そして、無事に屋敷へと戻れた安心感とともに、気づけば床へと座り込んでいた。
「……いや、アレは無理でしょ」
正直、まだトリの魔物と目が合ったときの恐怖だったり、そのときに流した冷や汗の感覚だったりが残っている。けれど、とりあえず、先ほどまでのことを考えられる程度には回復したので、どうにか絞り出した言葉とともに振り返ってみる。
「というか、ヘビの魔物ですら無理な気がしていたのに、そのヘビすらあっさりと狩ってしまうトリの魔物とかどうしろっていうのよ……」
一応、ヘビの魔物であれば、まだ討伐可能なレベルではあったと思う。私にできるかどうかはともかく。
ただ、あのトリの魔物に関しては、そもそも逃げるしかないのではないだろうか。
もしかしたら、王族レベルの魔力があればどうにかなるのかもしれないけれど、空という優位をとった上であれだけの魔法を連発してくる存在に人間がどうこうできるイメージが湧かない。
トリの魔物もヘビの魔物の魔法攻撃をかわしていたけれど、直撃を避けていただけで、いくつかの魔法は
「前住人はよくもまあ、あんな危険な場所で活動しようなんて考えたよね。私だったら、間違いなく安全なこの屋敷で活動することを選ぶよ」
まあ、向こうで活動することのメリットもわからないではない。
向こうの建物に用意されていた設備はこの屋敷の設備よりも性能が高いし、魔の森で得られる素材も相応に品質が高くなっているはずだから。
ただ、そのメリットが向こうで活動する危険に対して釣り合っているかは非常に疑問だけれども。
「まあ、前住人は転生者だったみたいだし、もしかしたらこの屋敷ではない場所で隠れて研究したい何かがあったのかもしれないけれどね」
正確には転生者または転移者ということになると思うけれど。
まあ、どちらでも大差はないか。問題はそんな前住人が、あれほどの危険を冒してまで向こうの建物で何をやっていたかということだと思うし。
というより、状況から察するに、前住人は周囲には秘密にして研究なりなんなりを進めていたような気がする。
この世界での転生者や転移者の立場というのがよくわかっていないけれど、領都で暮らしていた頃から生活の端々に転生者や転移者の存在を感じてはいた。なので、転生者である私のことも最悪バレても問題ないと考えていたのだけれど、もしかしたらあまりバレない方が良いのかもしれない。
まあ、そもそも面倒ごとにつながりそうだから、できる限り隠す方向で行こうと考えてはいたけれど、前住人の行動を見るに本気で隠す方向に考えを改めるべきなのかもしれない。
「まあ、前住人のことだったり、転生者周りのことだったりというのは、追々考えていきましょうか」
少し考え込みそうになったところで、頭を振って思考を切り替える。とりあえず、向こうへの転移はいつでもできるのだから、もう少し落ち着いた頃に改めて考えていけばいいだろうし。
そう考え、近くの床に落ちたままとなっていた空間転移の魔道具を手に取る。瞬間、手に持った魔道具からイヤな音が聞こえてきた。
「えっ?」
その音に驚き、手にした魔道具へと目を向ける。すると、魔道具の核と思しき魔石に大きなヒビが入っていた。
「……どうしよう?」
ヒビが入ってしまった魔道具を前に頭を抱える。
もしかしたらと思い、転移先の光景を確認しようとしてみたけれど、残念ながら魔道具は使えなくなっているようで、頭の中に転移先の光景が浮かび上がってくることはなかった。
「えぇ、なんで? 転移したときに床に落としたから? それとも経年劣化?」
改めてヒビが入った核を確認してみるものの、その原因はわからない。さすがに床に落とした程度で壊れるとは思えないけれど、経年劣化だと考えるのもどうかと思う。経年劣化で壊れかけのものが、きっちり一往復だけ使えたというのも都合が良過ぎる気がするから。
そう考えると、一度きりの使い捨てだった可能性もあるのかな? 正直、そんな制限を付ける理由が思いつかないけれど。
「……でもまあ、もともと存在しなかったと思えば、そこまで気にすることもないのかな? 一応、今回の目的であったオオカミのための装備は持ってくることができたのだし」
しばらく壊れた魔道具について悩んでいたものの、最終的にそういう風に考えることにして、机の上に置かれたオオカミ用の装備へと目を向ける。
とはいえ、可能なら、この二つ以外にも向こうに残されていた全身装備のようなものをもう少し探してみたかった。あの装備から推測するに、前住人もオオカミかそれに似た従魔を連れていたように思えるし。
「それに、従魔に関する色々なことも参考にしたかったのだけれどね」
一応、オオカミたちについては保護しているだけではあるけれど、従魔としてはオニキスがいるし、そのあたりの情報についても知ることができればと思っていた。
ただ、そういった
「うん、思い悩んでいても仕方ないし、切り替えましょうっ! 空間転移の魔道具なんてなかった!!」
うだうだと悩みそうになる思考を切り上げ、ごまかすように勢いよく声に出す。
まあ、実際にはしばらく引きずるだろうし、完全に気にしないことは無理だと思うけれど、とりあえず今は目の前のことを考えることにする。未だに外では魔物の溢れが続いているはずだし、色々と気になることは溢れが落ち着いてからでいいと思うから。
というより、将来的なことを考えれば、いくらでも自由な時間はできるだろうから、その時間を使ってじっくりと調べていけばいいと思うしね。
最終的にそんな結論を出し、回収してきた装備を手に、屋敷の外で待っているであろうオオカミのもとへと向かう。
思い返してみると、唐突な放置宣言から始まった今の暮らしではあるけれど、なんだかんだでそれなりに楽しめている私がいる気がする。
この屋敷で生活を始めた当初こそ、不安も多く、色々と足りないものが多かったけれど、今では生活環境もある程度は安定してきた。それを考えると、今後は自由になる時間がさらに増えるはずだし、ますます日々を楽しむことができるのではないだろうか。
オオカミたちはどうなるかわからないけれど、オニキスは一緒に暮らす家族としてこれからもともにいてくれるはずだし、最初に考えていた気ままに暮らすという目標も手が届くところにまで来ているのかもしれない。
まあ、その気ままな暮らしのためにも、まずは目の前の溢れを無事にやり過ごさないといけないけれどね。