第38話  オニキスの変化


「ちょっ、ちょっと待って!」

 買い出しのために町まで来て、いつも通りに門を通過しようとしたら突然そんな風に声をかけられた。何があったのかと声の方を向くと、そこには知らない顔がある。

 ……そういえば、最近は慣れて顔パスみたいになっていたけれど、町の門を通過するときには審査があるものだった。門番の人がいつもとは違うので、審査のために呼び止められたのかもしれない。

「あっ、すみません。審査のことを忘れていました」

「良かったー、止まってくれて。こっちを無視して町に入ろうとするから、てっきり単騎で町に攻めてきた賊なのかと思ったよ」

「えっ?」

 町に攻めてきた賊?

 いやいやいや、こんなれんな少女を捕まえて賊はないでしょ、賊は。まあ、確かに門番をスルーして町に入ろうとしたのは申し訳ないと思うけれども。

「じゃあ、身分証とその馬の従魔登録証を見せてね。後、町の中だと従魔登録証は見える位置に付けてもらわないと違反になるからね」

「えっ?」

 門番の人の言葉に心の中で文句を言っていると、こちらの様子を気にすることなく手続きを進められた。

 というか、従魔登録証って何? いつから馬に従魔登録が必要になったの?

「うん? もしかして、身分証を持ってないとか?」

「あっ、いえ、自分の身分証はあるのですが、この子の従魔登録証がなかったので。馬にも従魔登録が必要になったのですか?」

「えっ?」

 さっきからお互いに驚いたり慌てたりで微妙に話がかみ合っていない気がする。

 そんなことを思い始めたところに、救いの手となる声が聞こえてきた。

「どうした? 何かあったのか?」

 そんな言葉とともにやってきたのは、何度かこの門で見たことがある門番の人だった。


「あー、嬢ちゃん、この馬なんだが、前から乗ってたのと同じ馬だよな?」

 少し離れた位置で二人で話していたかと思うと、顔見知りの方の門番の人が声をかけてきた。

 いきなり何を言っているのかと思いつつ答える。

「はい、いつもと同じ馬です」

「そうか。言いにくいんだが、この馬、魔物化しているぞ」

「は?」

 マモノカ? ……魔物化?

 えっ、なんで?

「いや、俺たちも何だかんだで慣れてたから気づかなかったんだが、今日初めて見たこいつがどう見ても魔物だろうと言っててな。で、実際に鑑定してみたら魔物の〝バトルホース〟と出たんだよ」

「えっ、冗談とかではなく、本当に?」

「ああ、俺も驚いたよ。ほれ、嬢ちゃんも確認してみるといい」

 そう言って渡された鑑定の魔道具を使ってオニキスを見る。すると、言葉通りに種族が〝バトルホース〟となっていた。

 念のためにそのまま自分の身体からだも確認してみたけれど、正しく種族が〝ヒト〟となっていた。

「えっと、オニキスが魔物化したというのは確認できたのですが、どうすればいいのでしょうか?」

 借りていた鑑定の魔道具を返してから問いかける。現状、唯一の同居人を魔物化したからといって国に取り上げられるような事態は避けたい。

「とりあえず、嬢ちゃんがやる必要があるのはコイツの従魔登録だな。後、念のために魔物化した経緯については確認させてもらうことになるかな? ないとは思うが、違法性があった場合は取り締まる必要があるから」

「違法行為なんてしていませんよっ! それよりも、国に取り上げられたりとかはしないのですか?」

「ははは、しないしない。戦時中だとその可能性もあったかもしれんが、今の情勢だとそういうことにはならんよ。まあ、売りたいと言えば喜んで買い取ってくれるとは思うが」

「売りません!」

 からかうような言葉に拒絶の言葉を返す。

 ひとまず、無理やりオニキスを奪われるということはなさそうで良かった。

 その後、詰所でオニキスが魔素異常の影響で魔物化したのだろうという推測を伝え、無事に町に入ることができた。


 第39話  従魔登録


 門の審査で時間を取られたこともあり、寄り道することなく気持ち急ぎ気味でギルドへと向かう。

 その道中で周りの視線が気になったのは、オニキスが魔物化したという事実を知らされたからだろうか? 自意識過剰な気もするけれど、ついつい気にしてしまう。自分の感覚では、特に何も変わっていないはずなのだけれど。

「あらフェリシアさん、お久しぶりですね」

 ギルド内へ入って受付に近づくと、ちょうど冒険者の対応を終えたティナさんが私に気づいて声をかけてくれた。並んでいる人もいなかったので、そのままティナさんが待つ受付へと向かう。まあ、もともとティナさんの担当する受付を利用するつもりだったけれど。

「すみません、今日は薬草の買い取り以外にも従魔登録をお願いしたいのですが」

「従魔登録ですか? もしかして、森で魔物を捕まえたんですか?」

「いえ、オニキスが、じゃなくて以前この町で買い取った馬が魔物化していたみたいで、門番の人に注意されたんです。なので、その魔物化した馬の従魔登録になります」

「魔物化ですか……。そういえば、以前住んでいる屋敷で魔素異常が発生していると言っていましたね。もしかして、その影響ですか?」

「ええ、そうです。どうやら、魔素異常の影響で気づかないうちに魔物化していたみたいで……」

 ひとまず、オニキスの魔物化とそれが発覚した経緯について簡単に説明する。

 ティナさんが魔素異常のことを覚えていてくれたおかげで、割とスムーズに話ができた気がする。門で説明したときには、何というか半信半疑というような感じだったので、それがなかっただけでもかなり話しやすかった。

 まあ、門番の人たちは普通の馬だった頃のオニキスも見ているし、魔物化なんていう異常事態に関する話を簡単に信じるわけにもいかないのだろうけれど。

 ティナさんへの説明を終えると、実際に従魔登録を行うためにギルドの裏手へと移動することになった。


 ティナさんと一緒にオニキスを連れて移動すると、ほどなくしてギルド職員の従魔師だという人が合流して従魔登録の手続きが始まった。

 手続きがオニキスの鑑定からスタートしたので、魔物化を信じてもらえていなかったのかとついついティナさんの方を見てしまったのだけれど、それに気づいたティナさんからは「規則だから」と告げられた。なんでも、今回が魔物化したケースだから特別というわけではなく、従魔登録を行う場合は対象の種族を正確に記録するために必ず鑑定を行うらしい。

 そんなやり取りがありながらも、無事にオニキスの魔物化が確認されたので、次の従魔登録に関する説明と諸注意へと進む。

 説明される内容自体は基本的に当たり前のことだった。

 従魔登録した魔物が問題を起こした場合は契約者がその一切の責任を負うだとか、町の中では従魔登録証を常に見える位置に付けておく必要があるだとか。

 気になった点としては、従魔登録に関して更新料が必要だというところだろうか。

 まあ、説明によるとギルドのデータベース上に従魔とその契約者の情報を登録して、各ギルドから照会できるようにしているそうなので、さすがに登録料のみでずっと管理するのは厳しいのだと思う。それに、どこかで区切りを付けないと登録情報がまる一方になるだろうしね。

「それでは、これを使って従魔契約をお願いします。これはそのまま従魔登録証になるので、契約が終わったらわかりやすい位置に付けておいてください」

 従魔登録に関する説明が終わると、いよいよ従魔契約ということになり、ティナさんから球形の魔石が付いたペンダント型の魔道具を渡される。先ほどの説明にもあったことだけれど、ギルドに情報を残すためにも、登録時には既に契約済みであっても再度従魔契約をする必要があるらしい。

 私たちの場合は契約していない状態だから、どちらにせよ契約は必須になるのだけれど。

「わかりました。これに魔力を流せば、従魔契約ができるんですよね?」

「そうです。魔力を流すことで、その魔道具に刻まれた従魔契約の魔法陣が起動して契約できるようになります。後、契約が完了すると、私が持っているこのカードにフェリシアさんたちの魔力を登録するために、魔力が少し吸われるので注意してください」

 念のためにティナさんに確認し、問題なさそうなので実際に従魔契約を行うことにする。若干、魔力が吸われるというところが気になるけれど、さすがに変なことにはならないと信じよう。

「じゃあ、オニキスよろしくね」

 そう言って右手に持った魔道具をオニキスへと突き出し、魔力を流す。すると、すぐに魔道具から白い光が放たれ、目の前に白い光でできた魔法陣が浮かび上がった。

 十センチメートルほど浮かび上がったところで停止し、魔法陣が上下に分離する。そして、分離して二つになった魔法陣が、私とオニキスのそれぞれに向かってゆっくりと移動し、そのまま吸い込まれるように消えた。

「おぉ」

 自身の体内に消えた魔法陣に対して声が漏れる。

 けれど、すぐに魔力を吸われる感覚を覚え、一瞬身を固くする。反射的に抵抗しそうになったけれど、事前に魔力を吸われると聞いていたので我慢して耐える。

 その直後、私とオニキスから吸い取られた魔力がティナさんの持つカード型の魔道具へと吸い込まれるのが感じられた。

「はい、これで従魔登録は完了です。一応、書類も作る必要があるので、フェリシアさんにはもう少しだけ付き合ってもらわないといけませんが」

 ギルドで保管するカード型の魔道具を確認したティナさんがそう告げる。実際、意識するとオニキスとの魔力的なつながりを感じることができるので、無事にオニキスとの従魔契約は成功したようだ。

「ありがとうございます。いきなり魔物化していると言われて不安でしたけれど、ようやく安心できました」

「ふふふ。そうですね、これでフェリシアさんがその子を町の中で連れていても注意されることはなくなるはずですよ」

 その言葉を聞き、隣にいるオニキスを見上げる。

 首にかけた魔道具兼従魔登録証も特に嫌がることなく付けてくれているし、ひとまず魔物化という突然の事態はどうにかなったみたいだ。


 第40話  魔物のあふれの話


「はい、これで必要な書類は全て作成できました。今度こそ本当に従魔登録の手続き完了です」

 従魔契約を終え、ギルド内の個室に移って必要書類の作成を行っていたけれど、たった今その確認が終わった。

 オニキスの魔物化発覚により予定外のことに時間を取られてしまったものの、これでようやく本来の目的に戻ることができる。

「手続きありがとうございました。続けてで申し訳ないのですが、いつも通り薬草の買い取りもお願いできますか?」

「ええ、もちろん構いませんよ。というより、今は溢れ対策のために薬草をできる限り買い取りたい状況なので、こちらからお願いしたいくらいです」

「あれ? もしかしなくても、魔の森の異変が魔物の溢れだと確定した感じですか?」

 いつも通りに薬草の買い取りをお願いしたら、ティナさんの口から〝溢れ〟という不穏な話題が出てきてしまった。前回の買い出しではまだ確認中だったはずなのに、この様子では確定してしまったのかもしれない。

「フェリシアさんはまだその情報を聞いていなかったのですね。残念ながら、以前から確認していた魔の森の異変は魔物の溢れの前兆であると判断されました。現状、各地で溢れ対策のための準備が進められています」

「あー、確定したのですか……。ちなみに、いつ頃溢れが発生するかということはわかっているのですか?」

 ティナさんの話しぶりで予想はついていたけれど、やはり魔物の溢れで確定らしい。それに関してはどうすることもできないので、気になったことを確認しておく。

「発生時期については、まだ正確な予想は立っていませんね。ただ、最新の情報だと溢れの中心だと予想される隣国との国境付近の森で魔物の増加が確認されたそうです。ですので、これから森の中で魔物の間引きを本格化させて一ヶ月、二ヶ月程度の猶予期間を確保して、できる限りの準備をしてから溢れの発生に備えることになると思います」

「つまり、予想だと二ヶ月後くらいですか?」

「まだ何とも言えません。うわさだと前回の溢れよりも規模が大きくなりそうという話もありますし、こちらの思惑通りに進むかも不確かです。なので、順調にいけば二ヶ月後くらい、最悪の場合は一ヶ月かからない可能性もあります」

「……」

 まさか、前回の溢れよりも規模が大きいとは。いや、以前のケルヴィンさんたちとの話でもそんな話は出ていた気がするけれど、いやな予想が当たってしまったね。

 それにしても、溢れまで一、二ヶ月か。どういう風に対策すればいいんだろう?

「そういえば、溢れの中心が国境付近だという話ですけれど、どちら側なのですか?」

「ああ、それは西側の国境の方です。ですので、王国東部にあるラビウス侯爵領だと多少はマシになるかもしれません。まあ、そうは言っても魔物の溢れなので、どこまで期待できるかはわかりませんが。それに、魔物の規模がマシになったとしても、前回と違って十分な準備ができていないという問題があります。それを考えると、前回よりマシどころか、状況としては悪化しているという可能性すらありますね」

 とりあえず、溢れの中心からは離れているようだけれど、思ったよりも物資の余裕がないのかもしれない。さっきの薬草が欲しいという言葉的に、予想以上に切迫していたりするのかな?

「薬草が必要だという話でしたが、そんなに厳しい状況なのですか? イマイチ感覚がわからないのですが、前回の溢れから二十年はっていますし、それなりに備蓄も回復してそうですが」

「もちろん備蓄している物資がゼロなんていうことはないですし、ある程度の量はあります。ただ、これまでの周期的に、どうしても備蓄の確保が長期的なスパンで考えられていたので、前回の溢れのときに準備していた量と比較するとかなりこころもとない状況なんです」

 ああ、基本的に溢れは百年周期くらいだという話だったね。それを考えると、物資を補充するペースは数十年単位でゆっくりということにもなるか。

 それに、大げさではなく国がほろぶレベルの災害なわけだから出し惜しみなんかもしないだろうし、前回の物資の残りもかなり少なかったのかもしれない。一応、前回の溢れは規模が小さかったという話だけれど、それも終わってからわかったことだしね。

「まあ、そういうわけですので、フェリシアさんにはぜひとも薬草を売っていただきたいのですよ。今は国を挙げて薬草類をかき集めたい状況ですので、買い取り単価もアップしていますよ」

「ハハハ。買い取り単価アップですか、それはうれしいですね」

 あー、ティナさんの目がマジだ。やはり薬草類、というかポーション類の備蓄がかなり少ないのかもしれない。あるいは、溢れの中心だという西部に取られているとか?

 まあ、自分が住む周囲の安全のためにも、ギルドに薬草を卸すことに問題はないのだけれど、以前まで卸していた異常成長していた薬草はなくなってしまったんだよね。

 一応、自分で新しく薬草を育て始めているとはいえ、魔道具の設定をそのままにしているから育成サイクルは三ヶ月くらいになっているはず。だから、新しく育て始めた薬草が採取できるのは三ヶ月後。

 まあ、少し前に植えたから本当に三ヶ月かかるわけではないけれど、それでも確実に二ヶ月以上はかかってしまう。

「……これは、放置していた薬草畑の奥側に手を付けるしかない?」

「ん? どうかしましたか?」

 考え事をしながら無意識に小さくこぼした言葉がティナさんに聞こえてしまったらしく、問い返されてしまった。

 ただまあ、薬草に関して売るつもりはあるのだから、そのまま伝えてしまおう。

「あぁいえ、実はこれまで売りに来ていた薬草がなくなりそうだったので、新しく薬草を育て始めることにしたんです。で、その収穫が三ヶ月くらいはかかるのでどうしようかな、と」

「えっ!? じゃあ、もしかして薬草を売ってもらうのは難しいのですか?」

「いえ、大丈夫です。なくなりそうなのは、以前刈り取った分だけですので。実は異常成長した薬草に関しては、まだ薬草畑の半分ほどしか手を付けられていなかったんです。なので、ちょうどいい機会ですし、残ったエリアを片付けてしまおうと思います」

「……以前も聞いた気がしますが、大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。ちょっと、オニキスが魔物化しただけですから」

「いや、それは大丈夫じゃないのでは?」

「アハハハ」

 とりあえず、笑ってごまかしておいた。


 第41話  魔物の溢れに向けて


 最終的に屋敷の環境を心配されるという事態になりつつ、とりあえず可能な範囲で薬草を売りに来るということで話がついた。

 ティナさんとしては、ギルド職員として薬草を確保したいという気持ちと、私を危険な時期に町と屋敷を往復させたくないという気持ちで複雑だったみたいだけれどね。なにせ、しきりに「無理はしなくていいから」と言われてしまったし。

 まあ、私としても無理に溢れの発生間際まで薬草を売りに来ようとは思っていない。

 けれど、危険を避けるために溢れの終結まで屋敷に引きこもろうとした場合、情報が一切入ってこない状況で一人きりという事態になってしまう。さすがにそんな状況で一ヶ月、二ヶ月という期間を過ごすのは精神衛生上よろしくないと思うので、情報収集のついでに薬草を売りに来ようと思った次第だ。

 まだ余裕のある今の時期だからこそ、発生時期やその終結時期がわからないのであって、溢れの発生間近になればそのあたりもある程度正確な予測が立っているはず。であれば、その予測に基づいて屋敷に引きこもるなり、町に避難するなりを決めればいいのだから。


「それにしても、いつの間にか魔物になっちゃってたんだね。古傷をかばうこともなくなって元気になったなーとは思っていたけれど、魔物になっているとは思わなかったよ」

 屋敷への帰り道、のんびりとオニキスの背に揺られながら語り掛ける。

 屋敷で容量のあるマジックバッグを見つけたこともあり、最初の頃のように帰り道になるとオニキスの背が荷物で満載になるということはなくなった。というか、マジックバッグがあるので実は私が走って町まで買い出しに行くなんてこともできるようになっていたりする。

 まあ、そこは様式美というか周囲の目もあるしということで、これまで通りオニキスと一緒に買い出しに行くようにしているけれど。

「にしても、魔物の溢れが確定しちゃったんだって。そういえば、オニキスは魔物になって元気になったみたいだけれど、戦えたりするの?」

 ふと気になってそんな風に問いかけてみると、オニキスはこちらに顔を向けて自信ありげにいななく。戦場でをして引退したと聞いていたから戦うことを怖がったりするかもと思ったけれど、どうやら心配はいらないらしい。

「なるほど。じゃあ、いざというときはお願いね。まあ、そもそも魔物と戦うような羽目にはならないようにするつもりだけれど」

 正直、まだ溢れが起きたらどうするかを決めることができていない。安全を考えればティナさんからも言われたように町に避難するべきだと思うけれど、将来のことを考えると屋敷に引きこもってやり過ごした方が良いのでは? と思ったりもする。

 まあ、屋敷に引きこもるという考えは単に意固地になっているだけな気もするので、実際には薬草を売りに来たときの状況などで判断するつもりではあるけれど。

「薬草も用意しないといけないし、しばらくは薬草の刈り取りにかかりきりになるのかなぁ。いや、いくら薬草畑が広いからって、そこまで時間はかからないか」

 以前に刈り取ったエリアに関してはどれくらいかかったんだっけ?

 途中で魔素異常が発覚したりしたからイマイチ正確な期間はわからないけれど、さすがに刈り取り自体に何週間もかかってはいないはず。そうなると、一気に刈り取って倉庫に積み上げるよりも、売りに行くたびに刈り取った方が良いのかな?

「そう考えると、思ったよりも時間的な余裕ができるのかな? なら、ギルドに売りに行ける内はまだ森での狩りもやってみる? それとも、さすがに安全のために入るのをやめるべき?」

 まあ、安全を第一に考えるのであれば、森に入らないのが正解なんだよね。

 ただ、昨日も狩りのために森に入ったけれど、異変のことを忘れるくらいには普段と変わらなかった。というよりも、まだ森の中で危険を感じたことがないので、イマイチ警戒心というものを持てていないというね。

 さすがに、ギルドで魔の森の異変の話を聞いてすぐの頃は警戒していたけれど、それもすぐに薄れてしまったし。

「わかりやすい違和感とかがあれば、もう少し警戒心も出るんだけれど」

 探索していた頃と違って森の奥に入らなくなったから、本当に魔物の痕跡すら見ることがない。なので、そんな状況では警戒心を持ちようがないというのが正直なところだ。

「まあ、溢れが迫ってくると、また森の様子も変わるのかな? ……それでも何の変化もなかったらどうしよう。屋敷の周辺にあるという結界が高性能であれば、そういう可能性もあったりするかもしれないし」

 残念なことに、屋敷周辺の森に張られているという結界に関しては、屋敷で調べてみても何の情報も得られていない。少なくとも、確認した屋敷の図面や周辺の地図には結界の情報は書かれていなかった。

 まあ、ぼんやりとした情報しかないから、調べようがなかったというのもある。それに、結界に関しては機密性のある情報だろうから、どこか奥深くに厳重に隠されているのかもしれない。

「というか、状況が変化するまでは薬草の準備をするくらいしかやることはなさそうだよね。溢れが確定したという話を聞いたときはどうしようかと思ったけれど、イマイチ実感がないせいか危機感が出ないよ。まあ、さすがに森に入るときはいつもより警戒するべきだと思うけれど」

 我ながらこの結論はどうなのかと思うけれど、溢れの危機感を実感できていないので、なんというかごと感が強い。ギルドで見たティナさんの真剣な態度を思えば、もっと危機感を持ってしかるべきだと思うのに。

 まあ、これから溢れの発生が近づくにつれてもう少し実感できるようになると信じるしかないかな。


 第42話  森の中の騒音


 魔物の溢れの話を聞いてから一ヶ月経った。あれ以来、薬草を売りに行くたびに町全体の緊迫感が増しているという状況で、他人事という感覚だった私も多少は危機感というものを持つようになっていた。

 そして今日、ついに溢れに関して状況が動いたらしい。

「フェリシアさん、いつもありがとうございます。ですが、薬草をお売りいただくのは溢れの状況が落ち着くまで停止していただいて構いません」

 溢れの話が出て以降、個室での対応となった薬草買い取りの冒頭で真剣な表情のティナさんからそう告げられた。

「もしかして、とうとう溢れが始まるのですか?」

「はい、中心に近い西部で危険域に入ったという情報が入りました。西部では一週間もしないうちに、この辺りでもその二、三日後には溢れが始まるだろうとのことです。ですので、次回以降の薬草の買い取りは中止して、フェリシアさんも町に避難するようにしてください」

 半ば確信を持って質問すると、ティナさんにあっさりと肯定された。

 町やギルド内の緊迫感からそろそろかと予想はしていたけれど、実際にいざそうなると困るものがある。一応、危機感自体は出てきてはいるものの、だからといってその対応をどうすればいいのかというのが定まっていないのだから。

「やはり町に避難した方が良いですか? 相変わらず、屋敷の周辺は以前と変わりなく平穏そのものなのですが」

「そうですね、私としてはそうしてもらった方が良いとは思います。溢れが始まってしまうと、少なくとも数日は魔物の襲撃が断続的に続きますし、長ければ二週間近く森の中のお屋敷で孤立する可能性がありますから」

「あぁ、確かに孤立するのは厳しいですね」

 一応、二週間程度であれば屋敷に引きこもることも可能だとは思う。けれど、さすがに情報が遮断された状態でそうなるのは厳しいものがあると思うし、最悪情報収集に出たタイミングで魔物の襲撃とかち合うなんていう事態になりかねない。それを考えると、素直に町に避難した方が良いのかもしれない。

「わかりました。一度屋敷に戻ったら、準備をして町に避難することにします」

「ええ、そうしてもらえると私としても安心できます」

 少し考えて結論を出した私の答えに、ティナさんは心から安心したようだった。私の今までの行動はティナさんにかなり心配をかけていたのかもしれない。


「一応、森のはこわなは回収しておこうかな」

 町から帰った翌日、思ったよりも準備することがないことに気づき、やり残したことがないかと考えて思いついたのがこれだった。

 まあ、することがないのであればさっさと町に避難した方が良いのだろうけれど、思いついてしまったのだから仕方ない。染みついた貧乏性が放置という選択肢を選ばせてくれないのだから。

「まあ、普通に午前中には終わるしね」

 そんな言い訳をしつつ、森へと回収に向かうことにした。


「よし、これで全部回収したね。後はこれを屋敷の解体小屋に片付ければ終わりかな」

 屋敷の左右の森に分散して仕掛けていた箱罠の全てを回収し終えてつぶやく。

 箱罠を回収するためだけに森に入ったので、予想よりもかなり早く作業が終わった。お昼を食べてから町に向かうつもりだったけれど、この分だと町についてから昼食をとることを考えても良いのかもしれない。

「ん?」

 屋敷に戻った後のことを考えていると、森の奥から何かが争うような音が聞こえた気がした。時期が時期だけに、周囲を警戒しつつ耳を澄ます。

「……うん、気のせいじゃないね」

 気のせいであれば良かったのだけれど、大して時間を置くことなく再び森の奥から争うような音が聞こえてきた。

 今度は何かが倒れるような音に加え、生き物がえるような音も追加されていたので、残念ながらこの騒音の原因が魔物である可能性がかなり高くなってしまった。

「さて、どうしようかな」

 森の奥へと目を向け、どうするか考える。その間も争うような音は断続的に聞こえてきている。

「逃げるべき、なのでしょうけれどねぇ」

 本格的な溢れの開始まではまだ猶予があるとはいえ、中心地で危険域に達したと伝えられている以上、魔の森の中の魔物の数は増えているはずで。であれば、すぐにこの場から避難するのが身を守るためには最善なのだと思う。

 けれど、屋敷から町へと避難することを考えると、この騒音をもたらした元凶を確認しないままにするのもそれはそれで問題な気がする。仮にこれが魔物の襲撃によるものであるならば、町まで避難しようと街道に出たところで魔物とかち合うなんていう事態になりかねないのだから。

「……すぐに逃げられるようにして、確認だけしに行きましょうか」

 そう結論を出し、身に着けた装備を確認する。

 いざというときに魔法陣がすぐに使えるようになっていることを確認し、もう一度耳を澄ましてみる。

 けれど、しばらく待っても騒音が聞こえてくることはなかった。そのことを不気味に思いつつ、覚悟を決めて森の奥へと向かうことにした。


 第43話  騒音の正体


 周囲を警戒しつつ、森の奥へと向かう。一度収まったかに思われた騒音も、移動を開始してしばらくすると再び聞こえるようになっていた。

「これって、どう考えても何かが争っている音だよね」

 騒音の発生源へ向かいながら、次第にはっきりしてきた物音に警戒を強める。

 おそらく、この騒音の原因は魔物なのだと思う。一応、野生の動物が争っているという可能性もないではないけれど、場所や時期を考えるとその可能性は低い。

「つまり、か弱い少女が魔物が争っているところに突撃するという状況になるのか……」

 まあ、いくらなんでも馬鹿正直に騒動のど真ん中に突撃するつもりはない。けれど、こっそりと様子をうかがうつもりでも、相手に見つかって騒動に巻き込まれる可能性はゼロではない。

「はぁ、マトモに魔物と遭遇した経験もないのになぁ」

 遭遇どころか魔物を見た経験すらほとんどない。いやまあ、オニキスが魔物化したので見ていると言えば見ているけれど、それを除けば、領都にいた頃に見せてもらったおりの中のホーンラビットくらいしか見たことがないはず。

 だというのに、いきなり魔物の争う現場に行かなくてはいけないのだから本当についていない。


 さらにしばらく進んだところで、遠目に木が倒れる光景が見えた。特に大木というほどではないけれど、屋敷の周辺に生えているものよりは立派な木だ。それがあっさりと倒されるような現場に近寄らなければいけないという現実に、なけなしの勇気が消えてしまいそうになる。

 音を立てないように気を付けながら、慎重に足を進める。木の幹に隠れたり、低木の陰に隠れたりしつつ距離を詰める。

!?

 木の幹の陰からさらに一歩踏み出そうとしたところで、数メートル先に何かが飛んできたのが見えた。驚きに声を上げそうになるのを必死にこらえ、飛んできたものへと目を向ける。

「オオカミ……」

 確認したモノの正体が口からこぼれる。

 オオカミといっても、普通にイメージするような大きさではなく、明らかにおかしなサイズの個体だ。私の身長が小さいとはいえ、明らかに倍以上の体高はありそうなのだから、かなりのものだと思う。

 隠れて観察していると、倒れていたオオカミが起き上がって戦闘態勢をとる。その視線の先には、オオカミよりも巨大な真っ黒なクマの姿があった。

 クマは二足歩行でゆっくりとオオカミへと歩み寄り、十メートルほどの距離になったところで一度立ち止まった。そして、前傾姿勢を取るように前足を下ろし、そのまま四足に切り替えてオオカミへと勢いよく突っ込んだ。

 それに対し、オオカミは素早く右側に身体をずらし、前足を使ってクマをいなす。

 突進の勢いのまま体勢を崩したクマに対してオオカミが身体ごとみつきに行く。

 クマもクマで素早く体勢を立て直してオオカミの牙を防ぎ、そのまま二頭が絡まり合うようになって転がっていった。


「……イヤイヤイヤ、ムリムリムリ」

 その様子を見て、静かに、それでいて素早く距離を取る。

 あれは無理だ。どう考えても無理。私ごときがどうこうできるレベルじゃない。

「えっ、というか、もしかして溢れが始まるとあのレベルの魔物が森から出てくるの?」

 今までまともに危機感を抱いていなかったけれど、ここにきて一気に危機感が爆発する。危機感というよりも恐怖という方が正しい気がするけれど。

!?

 軽くパニックになりそうになっていたけれど、奥から聞こえてきたひと際大きな戦闘音で意識が現実へと戻される。

 慌ててはダメだ。そもそも、ここまで来た目的は騒動の原因をどうにかすることではなく、町まで避難する際の障害になるかどうかを確認に来ただけなのだから。

「とりあえず、アレ以外に魔物がいるかどうかの確認よね」

 落ち着くためにも声に出してやることを確認する。

 聞こえてくる音から考えて、他に争いが起きているということはなさそうではあるけれど、だからといって他に魔物がいないとも限らない。ひとまずは、あの二頭を警戒しつつ周囲の状況を詳しく確認することにしよう。


 周囲を確認した結果、他に襲ってきそうな魔物の気配はなかった。けれど、魔物自体は確認することができた。

 二頭の戦闘による破壊の痕跡が特定の場所を中心に広がっていることに気づいて確認してみると、その中心にオオカミの子供であろうオオカミがいたのだ。

 状況から考えて、森の奥からやってきたクマが仔オオカミを狙おうとしてオオカミと争いになったのだろう。

「騒動の原因らしきものはわかったものの、どうしようか。とりあえず、危険なのはあの二頭だけみたいだから、町に避難するくらいならどうにかなりそうな気はするけれど」

 ただ、その場合は急いで行動に移さないといけない気がする。決着がついてからだと、町まで勝った方の魔物を引き連れていってしまう可能性があるし。

「あっ」

 そんなことを考えて様子を窺っていると、仔オオカミを狙うそぶりを見せたクマのフェイントに引っかかったオオカミが大きく吹き飛ばされてしまった。既に倒れている木を巻き込みながらオオカミが地面を転がっていく。大きな木の幹にぶつかって止まったけれど、起き上がったオオカミには明らかなダメージが見て取れる。

「……」

 間にクマを挟むような形でオオカミと目が合う。クマからは十分な距離を取っているはずだし、そこから吹き飛ばされたオオカミに至ってはかなりの距離になるはずなのに。

 目が合っていた時間は一瞬だったけれど、その目に敵意はなかったと思う。周囲に対して殺意や敵意を振りまいているクマとは比較にならないくらい理性的な目をしていた。


 第44話  森の中での戦い


 起き上がったオオカミをあおるように仔オオカミへと向かっていくクマ。それを見たオオカミがすぐに駆け出して飛びかかる。

 けれど、完全に行動が読まれていたオオカミの攻撃はあっさりといなされ、逆にクマのカウンターをらってしまう。

 その後も仔オオカミへと向かうクマとそれを阻止しようとするオオカミという構図が繰り返された。オオカミの弱点を理解したクマによって、その流れが作り上げられてしまったらしい。

 二頭は、仔オオカミを狙うように近づいたり遠ざけられたりしつつ、周囲に更なる破壊をもたらしながら激しくやり合い続ける。

 戦いはゆっくりと、けれど確実にクマ優位な戦況へと変化していった。

 まだ完全にクマ優勢となったわけではないけれど、時が経つにつれて明らかにオオカミのダメージが増えてしまっている。オオカミも一方的にやられているわけではないけれど、クマに与えているダメージは自身が与えられているそれよりも明らかに少ない。

「……」

 私はというと、その場を離れることもできずにその戦いを見守り続けている。

 時おり、オオカミと目が合ったりもするけれど、加勢することもできず、かといってその場を離れることもできなかった。

 けれど、そろそろ覚悟を決めなければいけないのかもしれない。お互いにやり合うような戦いが、今ではほとんどクマから仕掛けてそれをオオカミが防ぐという状況になってしまっているのだから。

「あっ」

 オオカミがよろけたタイミングでクマの一撃が首筋にまともに入ってしまった。

 ただでさえ体勢を崩しかけていたところにダメージが入ったことで、オオカミは完全に隙をさらして倒れてしまう。それを好機と見たクマがしかかるようにして、一気に攻勢に入った。

 身体全体で押さえつけるようにして、右、左と前足を使って殴りつける。オオカミも身をよじるようにしてかわそうとするが、押さえつけられた状態ではそれもくいかない。

 クマの攻撃を必死に耐えるオオカミの姿を仔オオカミたちが不安げに見つめている。

 その様子がクマにも見えたのか、口元をいやらしくゆがめた。直後、オオカミへの攻撃が見せつけるようにいたぶるものに変化した。

「ひどい……」

 オオカミがクマに負けそうになっていること自体は自然の摂理として仕方ないのかもしれない。けれど、明らかにいたぶるような今の状況は見るに堪えない。

「ダメっ」

 オオカミがいたぶられている様子を見ていた仔オオカミの内の一頭が耐え切れずに飛び出してしまった。釣られたように残るもう一頭もその後を追う。

 それを見たクマが、オオカミの頭に向かって思い切り前足を振り下ろした。

「うっ」

 離れているはずのこの位置にまで殴られた音が届く。ここまで耐えていたオオカミも今の一撃は致命傷になったかもしれない。

 ぐったりとしたオオカミの姿を見た仔オオカミたちの足が速まる。

 それを迎え撃つようにクマが立ち上がった。

「──っ」

 それを見て、我慢できずに木の陰から飛び出してしまった。クマたちまでの距離はそれなりにあるけれど、戦闘によって周囲が破壊されたことで少し走れば開けた場所まで出ることができる。

 音を気にせず駆け出したことで気づかれたのか、クマが驚いたようにこちらを見る。散々オオカミと目が合っていたというのに、今まで気づかれていなかったのかと意外に思いつつ、足を進める。

 クマまでの距離はまだあるけれど、先に仔オオカミがクマの位置にまで到達してしまった。

 背を向けるクマに仔オオカミが飛びかかるけれど、クマにはダメージが入っていないのか、軽く振り払うようにするだけではじばされてしまう。

 二頭目も遅れて飛びかかるけれど、今度は前足でまともにたたき返されてしまった。

「アイスアロー」

 たまらず、離れた位置から魔法を放つ。

 クマに向かって真っすぐに飛んでいくけれど、距離があったためか、あっさりと前足で払うようにして防がれてしまう。

 その様子を見ながらも、続けて二発、三発と魔法を放つ。

 全て同じように防がれてしまったけれど、仔オオカミからは注意をそらすことができた。

 まともに叩かれていた二頭目のことが心配だったけれど、起き上がってもう一頭に心配されている様子が見える。

「反射的に飛び出しちゃったけれど、どうしよう」

 仔オオカミが無事なことにあんしつつも、不安が口からこぼれる。

 今の攻撃でクマには敵認定されただろうし、実際にこちらをにらけている姿からも穏当に逃げられるとは思えない。そうなると戦うしかないのだけれど、あのクマと戦って勝てるのだろうか?

 一応、魔法陣はこまめに作成していたので結界とせんこうの魔法陣を十枚ずつ持っている。けれど、万が一の逃走用に持っていたものなので、基本的には足止めくらいにしか使えないと思う。

 まあ、閃光の魔法陣は隙を作るためにも使えるかもしれないけれど、隙を作ったとしてあのクマを倒せるだけの攻撃ができるのかという問題がある。

 時間をかけても良いのであれば、最大限に魔力を練り上げて威力の高い魔法を使うというのも手ではあるけれど、目つぶしでそこまで大きな隙を見せてくれるかは微妙だと思う。

 クマがこちらを警戒しながらゆっくりと近づいてくる。

 まだある程度の距離はあるけれど、先ほどまでの戦闘を見ている限り、最悪一瞬で距離を詰められかねないので気を抜くことはできない。

 身体強化魔法へ回す魔力を増やす。

 普段以上に強化すると疲労が増してしまうけれど、一度でも攻撃を喰らってしまうと終わりなので、ここは念には念を入れる。

 私がすべきことは何だろうか。

 クマを倒すことができればそれが一番なのだけれど、そこまでの力はない。であれば、無事に逃げ切るということになるのだけれど、倒れたままのオオカミとそれに駆け寄る仔オオカミをどうするのかという問題が出てきてしまう。

 そもそも、オオカミたちを見捨てるのであれば、すぐに屋敷へと戻って町に避難してしまえばよかったのだ。それをせず、あまつさえ仔オオカミを助けに入ったのだから、今さら見捨てるという選択はない。なので、私とオオカミたちの全員が無事に逃げることが必要になってしまう。

 ……明らかにひんそうなオオカミを連れて?

 仔オオカミだけであれば、身体強化魔法のおかげで抱えて逃げることはできるかもしれない。でも、オオカミのあの巨体は無理だ。

 オオカミ単体でも無理そうなのに、仔オオカミと一緒にというのはさすがに厳し過ぎる。そうすると、オオカミは諦めて仔オオカミだけを助けることにするのか。

 それはイヤだ。

 けれど、現実的なことを考えるのであれば、そういう決断も必要なのかもしれない。


 第45話  決着


 ゆっくりと近づいてきていたクマが威嚇するようにほうこうを上げる。直後、足を速めて一気に距離を詰めてきた。

「止まって!」

 結界の魔法陣を持った左手を前に突き出して魔力を流す。

 すぐさま透明な結界が張られ、そこに突撃してきたクマが衝突した。

 結構な速度でクマの巨体がぶつかったことで大きな衝突音があたりに響く。

 けれど、意外なことに張られた結界はまだそこに残ったままだった。

「あれぐらいなら耐えられるんだね」

 魔法陣を起動後、すぐさま後ろへと飛び下がり、木の陰に隠れるように距離を取りながらそのことを確認して安堵する。とはいえ、残った結界は直後に加えられた前足の一振りで破壊されたので過信は禁物だろうけれど。

 立ち並ぶ木々を盾にしてクマから逃げる。木々のおかげでクマに距離を詰められることはないけれど、このまま逃げ続けても決め手に欠ける。

 ボール系の魔法で倒せるのであれば、先ほど考えていた閃光の魔法陣を使って隙を作り出せればどうにかなるとは思う。けれど、オオカミとの戦いを見る限り、数十発は叩き込まないと倒せないくらいにはタフに見える。なので、目つぶしを起点にしてさらに動きを止めるための何かが必要になるはずだ。

「落とし穴の魔法陣も作っておけば良かったかな……」

 魔法陣の改造が面倒だからと基本のまま使えるものしか用意しなかったことが悔やまれる。

 一応、魔法は魔力とイメージ次第で発動させることができるから、自力で落とし穴の魔法を使うこともできなくはないかもしれない。けれど、さすがに命のかかった状況でぶっつけ本番というのはキツイ。

 というか、あのクマ相手に有効な落とし穴のイメージを瞬時に固めるのは無理な気がする。おそらく、クマを前にしてまともに使える魔法は訓練していた魔法だけだと思う。それ以外の魔法は瞬時に発動できるほどのイメージが固まっていないから。

「やっぱり、魔法陣か訓練した魔法だけでどうにかするしかないのかな」

 まともに動きを止めることができるとすれば、アイスボールによる氷漬けくらいだろうか。

 初めて実験したときのように魔力を調節せずに放てば、あのクマといえど少しの時間くらいは氷漬けにすることができるかもしれない。それを重ねがけするように何十発も叩き込めば、あるいは倒すことができる、……かも。


 こちらを追いかけることをやめて足を止めたクマに合わせて立ち止まる。

 私に対する敵意自体は持ち続けているみたいだけれど、どうやらオオカミたちからあまり離れるつもりはないらしい。考えていなかったけれど、延々と追いかけてくるのであれば屋敷まで逃げてから敷地の結界を使って戦うこともできたのかもしれない。

 まあ、クマが追いかけてこない以上、その作戦は使えないのだけれど。

 こちらに背を向け、オオカミたちの方へと走り出したクマを追う。

 オオカミに対してフェイントをかけていたのを見ているので、近づき過ぎないように気を付けて追いかける。

!?

 木々が倒されてできた開けた場所に出る直前、急停止して振り返ったクマがこちらに向かって足元にある倒木や石をすくげるように投げつけてきた。

 それを見て、すぐさま目の前にあった木の陰に入って身を守る。身を隠した木に色んなものがぶつかる音を聞きながら脅威をやり過ごす。

 音がやんだタイミングで木の陰から向こうの様子を窺おうとすると、すぐそばにクマの姿があった。

「しまっ──」

 こちらに向かって前足が振り上げられているのを確認すると同時に、握りしめていた結界の魔法陣を発動させて後ろへと転がるように回避行動をとる。

 視界の隅で発動した結界がクマの一撃を受け止めたのを確認し、そのまま地面を転がるようにして距離を取る。立ち上がって駆け出すときに見えたのは、クマの二撃目が結界を破壊するところだった。

「森の奥の方に逃げれば良かった」

 木の裏に回り込まれた影響で、木々のない開けた場所に逃げてしまった。

 先ほどのように木々を盾にしたいところだけれど、クマがそれを阻止するように木々を縫うようにして追いかけてきている。

 木々の方に逃げ込むと回り込まれてしまうだろうし、開けた方に逃げるとそれはそれでクマの方が足が速いので追いつかれてしまう気がする。かといって、いつまでもこの境界を逃げ続けてどちらに逃げ込むかの駆け引きを続けるわけにもいかない。どう考えてもクマよりも私の方が先に体力がなくなるのだから。


 なんだかんだで、木々の中に逃げ込む逃げ込まないのフェイントだけで、ほぼ反対側まで来てしまった。このまま逃げ続けると、今度はオオカミたちがいる場所の近くを通ることになってしまう。

!?

 そう思って、オオカミのいるところを確認すると倒れているオオカミと目が合った。

 相変わらず力なく倒れているけれど、その目はとても力強い光をたたえていたように思う。まるで〝こちらに任せろ〟と訴えているかのように。

「っ」

 自身の感じた感覚について一瞬だけしゅんじゅんし、覚悟を決める。

 先ほど見せたオオカミの目をクマが見ていたかどうかはわからない。けれど、いつまでもこの追いかけっこを続けるわけにはいかない以上、余裕のあるうちに決断すべきだ。

 逃走ルートを木々の境界線上からオオカミたちのいる方向へと変える。

 直後、クマも同じように木々の陰から飛び出してきた。

 一瞬で追いつかれそうになるところを、用意していた結界の魔法陣で足止めしてかわし続ける。一度、二度、三度と繰り返し、オオカミたちのそばを駆け抜けた瞬間、足をつまずかせて倒れるように地面を転がる。

 それを見たクマがオオカミたちを無視して私へと飛びかかってきた。

「合わせてっ!」

 迫り来るクマの姿を見ながら、その奥にいるオオカミに向かって叫ぶ。

 先ほど感じた感覚が勘違いだった場合、私も無事では済まないだろう。けれど、だか大丈夫だという確信を持って動くことができた。

 ガンッという激しい音を立ててクマの一撃が目の前で止まる。

 すぐさま二撃目が振るわれ、一枚目の結界が壊れた。

 間に挟まる残りの結界越しにクマと目が合う。その目はオオカミとは違って濁った色をしていた。

「今よっ!」

 オオカミたちから見てクマの陰になっているであろう位置から閃光の魔法陣を発動させる。

 発動と同時にクマが悲鳴を上げた。

 転がるようにしてクマから距離を取る。

 立ち上がって身構えると、後ろから飛びかかったオオカミがクマの首筋へと噛みつくところだった。

 首筋から激しく血をまき散らしながらクマがオオカミを振り払うように激しく暴れる。その余波で展開していた結界が壊れるのを見つつ、魔法を用意する。

「アイスランス」

 オオカミが耐え切れずに振り払われたタイミングに合わせ、威力の高い魔法を撃ち込む。

 一直線に飛んでいった氷のやりがクマの左肩に当たり、のけ反らせる。

 それを確認することなく、続けて二発、三発と魔法を放つ。胸元に連続して直撃するも、クマはそれに耐え、こちらを睨み付けて咆哮を上げた。

 前傾姿勢を取り、こちらに向かって飛びかかろうとした瞬間、横から影が飛び込んできた。

 クマの首筋へとオオカミの前足による一撃が決まる。

 先の噛みつきで深手を負っていたところへの一撃で、クマの首が半ば以上まで引き裂かれる。

 さすがにその一撃がトドメになったのか、クマはオオカミを睨み付けるようにして倒れた。


 第46話  戦いを終えて


「ふぅ」

 地面に倒れたクマから完全に動きがなくなったのを見て息をつく。さすがにちゃをし過ぎた。

 そんなことを考えていると、仔オオカミにまとわりつかれていたオオカミが倒れる姿が目に入った。

「ちょっ、大丈夫!?

 驚きの声を上げて、すぐにオオカミへと駆け寄る。

 荒い息のオオカミを確認して、思っていたよりもギリギリだということに気づく。クマにトドメを刺すことができたのだから余裕があるものだと思っていたけれど、実際には最後の力を振り絞っただけだったらしい。

「どうしよう……」

 仔オオカミたちは、オオカミに寄り添うようにしてその身体をめたりしているけれど、さすがにそれで回復するとは思えない。

 ざっとオオカミの全身を確認してみる。

 身体のいたるところに血がついているけれど、大きな傷は見当たらない。クマの攻撃が打撃主体だったからか、目に見えるダメージよりも内部の見えないダメージの方が大きいのかもしれない。

「持ってるポーションで治るかな?」

 常備しているヒールポーションを取り出してつぶやく。

 一応、いざというときのための中級ポーションがあるけれど、この状態のオオカミに対して有効かはわからない。買ったときに聞いた話では重傷程度は治せるという話だったはずだけれど。

「……試してみるしかないか」

 ポーションを手にしたまま、頭の方へと移動する。

 こちらの動きを追うように視線を動かしたオオカミと目が合ったときにポーションを見せてみたけれど、特に拒否するような意思は感じられなかった。なので、ポーションの効果を信じてオオカミに使うことにする。

 オオカミの口を開け、その奥へと腕を突っ込んでポーションを流し込む。

 患部に直接使用した方が効果的らしいけれど、一番ダメージがありそうな箇所がわからなかったので仕方ない。ポーションを飲んでもらって、内部から回復してもらうことにする。

「後は無事に効果が出るのを信じるしかないね」

 オオカミがポーションを飲み込んだのを確認してつぶやく。

 患部に直接使用した場合と違い、経口摂取した場合は効果が出るまで時間がかかるらしい。なので、しばらくは様子見ということになりそうだ。


「とりあえず、待っている間にこっちの片付けをしましょうか」

 オオカミのそばを離れ、クマのもとへと向かう。

 幸い、箱罠を回収するために容量が大きなマジックバッグを持ってきていたので、オオカミよりも大きなクマを収納して持ち帰ることができる。

 まあ、回収できても、その後のギルドへの説明を考えると頭が痛いのだけれど。間違いなくティナさんには怒られるだろうなぁ。

 ひとまず、未来で待っているかもしれないお説教のことは忘れ、目の前の現実への対処に移る。

「一応、改めて血抜きをしておきましょうか」

 クマは首を引き裂くような形でトドメを刺されているので、首元から既に大量の血が流れ出ている。これだけでも十分な気はするけれど、念のために木にるしておくことにしよう。

「次はこの惨状だけれど、どうすればいいんだろう」

 苦労しながらもロープを使ってクマを木に吊るし終え、周囲の惨状へと目を向ける。

 オオカミとクマが暴れた影響で、結構な広さが木のない開けた広場のようになってしまっている。まあ、木やら岩やらが散乱していたり、地面がでこぼこだったりしているので使い勝手は悪そうだけれど。

「……これは無理ね」

 近くに倒れていた木を確認してみるけれど、私が片付けるにはサイズが少し大き過ぎる。まあ、おのや魔法を使って切り分ければ二、三本くらいは処理できるかもしれないけれど、さすがに倒れている木の数が多過ぎる。そんな数を持ち帰るわけにもいかないし、諦めて自然にかえることを祈ろう。

「まあでも、一本くらいは持って帰ろうかな」

 せっかく既に倒れている立派な木があるのだから、屋敷で使う分として一本くらいは確保しても良い気はする。というわけで、魔法を使って木材を確保することにした。


「どう考えても、周囲の確認が先だったよね……」

 木の処理を終えたところで、周囲の確認をしていなかったことに気づいて確認に向かうことにした。で、周囲に魔物や危険な生き物がいないことを確認して戻ってきたのが今になる。

「どう? 少しは回復した?」

 そんな風に声をかけながら近づくと、オオカミが顔を上げてこちらを見る。

 先ほどよりも動きがスムーズになっている気がするし、ポーションが全くの無駄になったわけではなさそうだ。実際、近づいてみると、先ほどよりも呼吸が落ち着いたものになっていた。命が尽きる前の最後の輝きとかでない限り、ひとまず命の危険は去ったのではないだろうか。

「ただ、すぐに動ける状態ではなさそうね」

 私が口にした言葉を聞いてオオカミが立ち上がろうとするけれど、明らかに足に力が入ってない。一瞬だけ身体が持ち上がりそうになったけれど、すぐに地面へと倒れ込んでしまった。

「うーん、どうしよっか。……というか、なんとなくオオカミたちを連れ帰る気になっていたけれど、もしかして私が気にする問題ではなかったりする?」

 そうつぶやき、オオカミたちに目を向ける。

「いや、でもこの状態で放置するわけにもいかないか」

 一瞬、野生で生きていたのだから放置でもという考えが浮かんだけれど、さすがのオオカミもこの状態では身を守ることが厳しい気がする。であれば、助けるために介入した以上、まともに動けるようになるまでは面倒を見るべきだろう。

「さすがに、背負って連れ帰るのは厳しいよねぇ。そうなるとゆっくりとでもいいから歩けるようにはなってほしいのだけれど」

 でも、ポーションを飲んだ結果が今の状態なわけで。ポーションの過剰摂取は良くないらしいし、これ以上に回復させるには魔法でどうにかするしかないのかなぁ。

「でも、他の人にかける治癒魔法はまだ練習中なんだよね」

 自分自身に使う治癒魔法であれば一応使えるようにはなっている。というか、身体強化の魔法のイメージを治癒のイメージに変えたらできた。

 まあ、だったらという感じでオニキスに試したら、魔法が発動せずに弾かれてしまったのだけれど。治癒魔法に限らないけれど、他者に作用させる魔法というのは発動の難易度が跳ね上がるらしいんだよね。

「一応、この辺りも魔力量でゴリ押しできないわけではないらしいけれど……」

 ただ、明らかにオオカミの方が格上に見えるので、魔力でゴリ押しというのも難しそうではある。

「……弱っている今ならどうにかなる?」

 地面に横たわるオオカミを見て、ふと思いつく。弱っている今なら弾かれないのではないかと。


 第47話  オオカミの治療と従魔契約


「まあ、そんなに甘くないよね……」

 治癒魔法を試してみたものの、見事に失敗に終わった。最近はオニキスに試して成功することもあったから、少しは期待していたのだけれど。

「さすがに、森の中で野宿するハメになるのは勘弁してほしいんだよね。だから、どうにかして屋敷まで連れていってあげたいのだけれど……」

 そうは思っても、良い案が思いつかない。

 周りに転がる木々を見て、ソリを作ればいいのではないかと思ったけれど、よくよく考えてみると、オオカミの巨体が通れるような道が森の中にあるわけではないので厳しそうだ。木々を避けるために遠回りすることも考えると、ハナからオオカミを背負っていった方がよさそうな気がする。そもそも、ソリを使う場合は、まずソリを作るところから始めないといけないしね。

「こうなると、覚悟を決めてオオカミを背負っていくしかないのかなぁ。背負うことはできるだろうけれど、どう考えてもバランスが悪くて時間がかかりそうなのよね」

 というか、改めて考えてみると、背負う場合もオオカミの下半身を引きずることになってしまう気がする。

「あれ? もしかして、結局ソリ的なものは必要になる?」

 いっそ、オニキスを呼んで台車でオオカミを運んでもらうべき? いや、そもそも屋敷にオオカミを乗せられるような台車がないか。

「……あっ、もしかして、従魔契約を結べばこの子にも治癒魔法が効く可能性がある?」

 オニキスで思い出したけれど、従魔契約を結ぶことで治癒魔法が効くようになるかもしれない。根拠が、最近になってオニキスに対して治癒魔法が効くようになったことだけではあるけれど。

 ただ、他者に作用させる魔法の難易度が高くなる理由が、魔力を相手に合わせて変質させる必要があることだから、可能性はそこそこありそうな気がする。正直、上手くいくかどうかは賭けになるけれど、可能性があるなら試してみてもいいかもしれない。

「私と従魔契約を交わすと治癒魔法が効くようになる可能性があるけれど、どうする?」

 横たわるオオカミに対して問いかける。

 まあ、私が試したいと思っていても、オオカミ側に拒否されたらどうしようもないからね。後、仮に契約を交わして治癒魔法が効かなかった場合、オオカミを背負って帰らないといけない上にギルドに報告する問題が増えてしまうけれど。

「……そう、受け入れてくれるのね」

 オオカミが拒否するのであれば諦めようと思っていたけれど、こちらの目を真っすぐに見てうなずいてくれたので覚悟を決める。

 どうせ、この時期に魔の森に入って魔物同士の戦いに介入したことで怒られるのだから、ちょっとした問題が一つ増えるくらいはどうということはないだろう。若干、やけくそになっているような気もするけれど、気にしないことにする。

「私が魔力を流すから、それを受け入れてね。それが終わったら合図するから、今度はそちらから私に対して魔力を流して。流す魔力は私が流したのと同じくらいでお願い」

 オオカミの目を見て手順を説明する。

 オニキスと従魔契約を交わしたときは、ギルドから支給された魔法陣で行った。けれど、今はそのときに利用した魔法陣はないので、魔法で従魔契約を交わす必要がある。

 幸いなことに、オニキスと契約をした後に従魔契約の魔法について確認していたので契約するための手順は把握している。まあ、相手との意思疎通が難しい場合はここまで簡単な方法ではできないのだけれど。


「じゃあ、始めるね」

 そう告げて、オオカミの身体に両手を添える。

 一呼吸置き、目をつぶって意識を集中する。

 やることは難しくない。従魔契約でお互いのつながりを作るという意識を持って相手に魔力を流すだけだ。

 今回は相手が既に同意しているし、面倒な条件付けなどもない。治癒魔法が効きやすくなるように魔力のつながりを作ることを目的に契約するだけなのだから。

 ゆっくりとオオカミへと魔力を流し始める。

 一瞬の抵抗の後、魔力がスムーズに流れるようになった。無事にオオカミが魔力を受け入れてくれたことに安堵しつつ、魔力を流し続ける。

 しばらく魔力を流し続けていると、オオカミの魔力とつながった感覚を得ることができた。

 これでこちらからのアプローチは成功だ。後はオオカミからの魔力を受け入れれば契約が完了する。

「こちらから魔力を流すのは終わったわ。次は貴女あなたからお願い」

 オオカミから手を離し、魔力を流しやすいように両手を差し出して告げる。すると、オオカミが前足を両手に乗せ、そこから魔力を流し込んできた。

 注文通りにこちらが流し込んだものと同じくらいの魔力量であったことに安堵して、流し込まれてくる魔力を受け入れる。

 オオカミからの魔力を私自身の魔力と結びつけるように導いていき、ほどなくしてオオカミとの魔力的なつながりが確立したことを認識した。

「成功したわ。もう魔力を止めて大丈夫よ」

 私の言葉を聞き、オオカミが魔力を流すのをやめて前足を下ろす。

 うん、オオカミに触れていなくてもオオカミの魔力を感じることができる。問題なく従魔契約が成功したみたいだ。

「従魔契約ができたみたいだから、本番の治癒魔法に移ろうと思うのだけれど、何か異常とかは感じない?」

 見たところ特に異常はなさそうだけれど、念のためにオオカミに確認しておく。

「そう、じゃあ試してみるね」

 オオカミから問題ないとの回答を得て、治癒魔法の行使へと移る。

 オオカミに両手を当て、魔力を練り上げる。

 体内に感じるオオカミの魔力に合わせて魔力を変質させ、オオカミへと流し込んでいく。そして、その魔力をゆっくりとオオカミの身体全体へと行き渡らせる。

 先ほど治癒魔法を試したときは、この段階で魔力が弾かれて失敗してしまった。けれど、今回は不安定さを感じつつも弾かれることなく魔力が流れている。

 このまま行けば成功するかもしれない。そんな期待をしつつ、失敗しないように慎重に魔力操作を続ける。

 しばらくして、オオカミの身体全体へと魔力を行き渡らせることができた。

 けれど、オニキスの何倍もの大きさなので時間がかかってしまった。そのせいで揺らぐ魔力に不安を覚えつつも、治癒魔法を実行するためのイメージを固めていく。

 今のオオカミに必要なのは、全体的な肉体の回復だろうか。そんなイメージとともに発動の魔力を流し、魔法を発動させた。

「ヒール!」

 瞬間、体内で練り上げていた魔力が一気に持っていかれる。どうやらイメージに対して魔力が不十分だったらしい。けれど、ただ魔力が霧散したわけではなく、魔法として発現した感覚があった。

「どう? 少しは回復した?」

 集中するために閉じていた目を開いてオオカミに確認する。外見からは変化が見られないので、オオカミの反応待ちだ。

 オオカミがポーションで回復した後と同じように足に力を込めて立ち上がる。

「おぉっ」

 一瞬ふらついたものの、今度は倒れ込むことなく四本の足でしっかりと立っている。どうやら治癒魔法が成功したようだ。


 第48話  長かった一日の終わり


 どうにかオオカミが動けるようになり、無事に屋敷へと帰ることができた。

 オオカミがまだ本調子ではなかったので帰るのに時間がかかってしまったけれど、夜になる前に屋敷にたどり着けたので良しとしよう。いくら浅いところだとはいえ、森の中を夜に歩きたいとは思わないからね。

 屋敷に着いてからも、心配して出迎えてくれたオニキスをなだめたり、寝落ちしていた仔オオカミが屋敷の敷地内にあった色々を見てはしゃいだりとなかなかに大変だった。

 幸い、オニキスがオオカミたちを拒否することなく受け入れてくれたから良かったものの、ここでもひともんちゃく起きていたら日が変わる前に休むことはできなかったかもしれない。まあ、そうはならなかったので、今はオニキスのいるきゅうしゃでオオカミたちもゆっくりしているはずだけれど。


「さて、どうしようかな」

 オオカミたちのことはひとまずどうにかなったとはいえ、問題が片付いたわけではない。

 オオカミと従魔契約を交わしたことはもちろんのこと、やや奥まった場所とはいえ比較的屋敷に近い場所に凶暴なクマが出たという問題もある。特にクマの問題に関しては、町に避難する際に別の魔物が出てきて襲われるかもしれないという、割と深刻な問題をはらんでいたりするし。

「まあ、それでも一度町に行ってギルドへ報告する必要はあるのよね」

 襲われるかもしれないと考えながら報告に向かうというのもアレな気がするけれど、予定では今日のうちに町に避難するはずだったのだから何らかの連絡は必要になると思う。

 明確に今日だと伝えていたわけではないけれど、ティナさんには今日あたりに町に避難すると言っていたわけなのだから。

「そうなると、問題になるのはオオカミたちのことかな」

 おそらく仔オオカミたちだけであれば町まで連れていっても問題なかったとは思う。けれど、親のオオカミの方はさすがに町に入れるのは厳しいのではないだろうか。

 冒険者の中にはあれくらいの従魔を連れている人も探せばいるだろうけれど、さすがに私が契約者ではあまり信用されないだろうし。

「……はぁ、考えてもわからないし、諦めてティナさんに相談することにしましょう」

 問題をティナさんに丸投げすることに決め、色々あった疲れもあってすぐに眠ることにした。


 第49話  ギルドでの相談


「こんな魔物相手に飛び出すなんて、何を考えているんですかっ! したらフェリシアさんも無事では済まなかったのですよ!」

 翌日、ティナさんに相談するべくギルドへと向かい、簡単に事情を説明してクマの魔物を見せるとそんな叱責を受けた。

 いやまあ、ティナさんの気持ちもわからなくはない。私だって改めて見たクマの魔物の大きさにコイツバカなんじゃないのと思っているのだから。

 ホント、勢いというか状況に流されるのって怖いね。

「ハハハ、……ゴメンナサイ」

「……はぁ、もういいです。こうしてフェリシアさんが無事だったのですから。ただ、今後はこのような無茶をしないようにしてください!」

 微妙な謝罪の言葉とともに頭を下げる私に、ティナさんは諦めたらしい。最後にもう一度だけくぎをさして、話を進めてくれる。

「それで、この魔物は買い取りで構いませんか? 今だと平時よりも安い買い取り額となってしまいますが」

「魔物の値段が下がっているのですか? いや、溢れで魔物の数が多くなっているのはなんとなく理解できますが、それだと冒険者の人たちのやる気が下がるのではないですか?」

 ティナさんの言葉に疑問を返す。

 冒険者のほとんどはお金のために魔物を倒しているはずだ。溢れが目前ということで多少は町だとか自分たちの住む場所を守るためにという思いはあるだろうけれど、なんとなく自分たちの命やお金を優先するイメージがある。それなのに魔物の買い取り金額を下げるというのは、魔物の間引きに影響が出ないのだろうか。

「ああ、それに関しては間引きで狩ってきた魔物の数に応じて報酬を加算する形になっています。一時的に買い取り金額を魔物の強さや戦いやすさに応じたものにすることで、少しでも魔物の数を減らすことができるようにという試みですね。ですので、フェリシアさんが持ってきてくれたこのクマの魔物も、平常時であれば毛皮や肝などの素材で買い取り金額が高くなるのですが、今だとその素材としての価値をほとんど考慮されない金額になってしまいます」

 なるほど、目的が魔物の間引きなのだから、売れる売れないの基準でごのみされても困るということか。私にとってはマイナスになるみたいだけれど、これは仕方ないかな。

「わかりました。このサイズの魔物を保管しておく場所もないですし、買い取りでお願いします」


 買い取りの手続きを終えたところで個室へと移動し、本題の相談に入る。オオカミをどうするかという話と私の避難をどうするかという話だ。

「私としては、その契約したというオオカミは屋敷に置いて町に避難してほしいですね」

「でも、クマとの戦闘で瀕死になって、まだ回復しきっていないのですよ?」

「フェリシアさんの心配もわかりますが、魔物は丈夫です。それもあのクマを倒すような魔物であれば、ちょっとやそっとのことではどうにかなったりしません。既にある程度は回復しているのでしょう?」

「それはそうですが……」

 ティナさんの説得に言葉が詰まる。

 まだ本調子ではない様子だったけれど、確かに今のオオカミが放置されただけでどうこうなるとは思えない。まあ、食べるものくらいは用意してあげた方が良いのかもしれないけれど、それについても屋敷の周辺で狩りをするくらいであれば今の状態でもできそうな気はする。

「まあ、どうしても心配というのであれば屋敷に籠もっているという手段もないではないですが」

「本当ですか!?

 仕方なくという感じで口にしたティナさんの言葉に勢いよく反応する。正直、何がなんでも町に避難しろと言われるかと思っていたので意外だ。

「ええ。これは私のミスなのですが、先ほどのクマの魔物を周囲の冒険者たちに見られたのが良くありませんでした。普段であればそこまで気にする必要はないのですが、溢れの対応のために今は色んな冒険者が集まっていますからね。あのレベルの魔物を狩ることができる魔物と契約したフェリシアさんが狙われるという可能性を否定できません」

「あのクマってそんなに強い魔物だったのですか?」

「かなり強い魔物ですね。正直、溢れが近いからといって浅い場所に出るような魔物ではないはずなのですが……。そういう意味では、近くにそんな魔物が出たという屋敷も安全かどうかは保証できないのですが、これに関しては結界があるという屋敷と良からぬことを考える冒険者の悪意のどちらを危険と判断するかという話になりそうです」

 あぁ、人の悪意か。それは怖いね。

 幸い、私自身はそういう悪意にさらされたことはないけれど、お母様から色々と聞いたことがある。それに、前世を思い出せば、命の危険こそなかったけれど大小様々な悪意を受けた経験はある。

 ……悪意を受けたことがないと思ったけれど、よくよく考えてみるとラビウス侯爵家から放り出された今の状況は現在進行形で悪意を受けているのではないだろうか。そう考えると、あまり目立つような行動は避けるべきな気がする。

「えーっと、屋敷で籠もる方を選びたいのですが、その場合、溢れの終結とかはどうやって判断すればいいですか?」

 町への避難を回避する方向に意思を傾けつつ、懸念事項の確認をする。

 以前も屋敷で孤立する心配から町への避難を決めたはずだし、そこの問題はクリアしておきたい。

「そうですね、フェリシアさんが屋敷に籠もって溢れをやり過ごすというのであれば、終結後に連絡を入れてお知らせします。ただ、終結直後は色々と忙しくなることが予想されますので、個別に依頼を出してもらった方が早く終結を知ることができるとは思いますが」

「なるほど、依頼を出しておけばいいのですね。では、溢れ終結後に終結を知らせてくれるように依頼を出しておいてもらえますか?」

「わかりました。私が不安を煽っておいてなんですが、町に避難した場合も何事もない可能性の方が高いですよ? ギルドの人間や冒険者は溢れの対応に駆り出されますが、町の人たちの目はあるわけですから」

 不安そうなティナさんが念押しのように確認してくる。

 その気持ちもわからないではないけれど、ラビウス侯爵家のことが思い浮かんだ以上、町に避難するという案は採用しにくい。あの屋敷で生活を始めた当初の方針にも反してしまうし。

「いえ、オニキスもいますし、あの屋敷で頑張ってみます」

 なので、屋敷で引きこもる方針を押し通すことにした。