
第22話
一ヶ月と野菜の収穫
この屋敷に引っ越してきて一ヶ月が
当初は突然の放置宣言に焦ったりもしたけれど、なんだかんだでどうにか暮らすことができている。
「あっ、こっちもそろそろ収穫できそう!」
今日は野菜畑で育て始めた野菜が収穫時期を迎えたので、その収穫を行っている。
薬草畑と同じで、開拓したのは全体の半分程度。けれど、私一人しかいないので広さとしては十分過ぎる。
実際、実験的な栽培とはいえ、開拓したエリアの一部しか使用していない状況だったりするし。
「とりあえず、野菜畑にあった農業用魔道具も問題なさそうかな。まさか、種を植えた後は放置するだけで収穫できるようになるとまでは思ってなかったけれど」
途中途中で様子は見ていたけれど、本当に様子を見るだけで終わってしまった。
水やりも魔道具が自動でやってくれるし、害獣や害虫の
「にしても、ここまで手がかからないのであれば、量を増やしても問題なさそうだね。ただ、量を増やした場合は消費しきれるのかという別の問題が出てくる気がするけれど」
試しに少量だけを植えた今回ですら持て余しそうなので、さすがに単純に量を増やすのはナシな気がする。やるのであれば、単純に収穫量を増やすのではなくて種類を増やす形になりそうだ。
今回、野菜畑に植えた野菜は四種類で、どれも町で買うときに育てやすいとおすすめされたものだ。
具体的には、ラディッシュとコマツナ、ジャガイモ、大豆で、その内、ラディッシュとコマツナの二つが収穫時期を迎えている。
さすがに今後の食生活を四種類の野菜だけで回していくのは勘弁してもらいたいので、次に町へ出かけたときに他の野菜の種も仕入れてこようと思う。予想以上に魔道具が優秀だったので、今度は特に育てやすいものだとかを考える必要はないだろうし。
どうせ魔道具頼りになるのであれば、小麦を育てるのもいいかもしれない。収穫が大変そうではあるけれど、将来的なことを考えると主食をこの屋敷内で確保できるのは大きい。
「ひとまず、これくらい収穫すれば十分かな」
ラディッシュとコマツナが植えられた畝を移動し、それぞれを適量収穫して一息つく。
理屈はよく理解できないけれど、魔道具によって、収穫時期を迎えた野菜もしばらくはその状態を保つことができるらしい。なので、急いで収穫する必要がなく、適宜必要な量だけを収穫すればいいことになる。
まあ、さすがに月単位で放置することはできないらしいけれど。
ただ、魔道具のおかげで季節に関係なく栽培できるので、そのあたりは量とローテーションを工夫すればどうにかなりそうではある。
そんなことを考えながら、収穫した野菜が入った籠を抱えて屋敷へと戻ることにした。
「さて、初めての収穫を迎えたことは喜ばしいけれど、予想以上に私自身の料理のレパートリーが少ないことが発覚したね」
収穫した野菜を使ってさっそく昼食を作ってみたものの、予想以上に使い道が思いつかなかった。
目の前に置かれた料理は、サラダと
「別に
そんなことを言いながら、料理に手を付けていく。
味については町で買ったものと遜色ないものだったので、そこは安心できた。
第23話
魔の森に入るための準備
「果樹園が果樹園じゃなかった件について」
野菜の栽培に目途が立ったということで、次の目標を果樹園の整備に定めた。野菜畑の件で農業用魔道具が思いのほか優秀だということが判明したので、一度整備してしまえば後は放置で良くなるだろうと考えたからだ。
なので、さっそく果樹園の確認に向かったのだけれど、植えられていたのが全て錬金術関連で必要になる樹木だったという……。
いや、ちゃんと確認してなかった私も悪いのだけれど、果物が食べられると期待していただけにショックが大きい。まあ、果樹園にしては実がなっている木が少ないなとは思っていたけれども。
「はあ、どうしようかな。さすがに今ある木を切り倒して新しく果物の木を植えるのは手間がかかり過ぎるし。かといって、期待していた果物なしの生活というのもツライ気がするんだよね」
別に果物もないならないで問題はないのだけれど、期待していたからかすごく惜しい気がしてくる。
とはいえ、さすがに森の中の木ほどのサイズではないとはいえ、成木になっているものを切り倒すのは時間がかかりそうだし、ここについては後回しにするしかなさそうだ。
とりあえず、果物については野菜畑にイチゴでも植えてみることにしよう。
「まあ、ダメだったものは仕方ないし、気持ちを切り替えていきましょう」
ひとまず、果樹園のことは後回しにすることに決め、次にすべきことを考える。
「うーん、最初に思っていたよりもやることがないんだよね。まあ、探せばいくらでもあるとは思うけれど、今までの作業の延長みたいなものが多いし……。薬草畑や野菜畑の残りを開拓するのはしばらく遠慮したいし、かといって屋敷の整理も一応一段落したところになるし。となると、やっぱり森に挑戦するときが来たということになるのかな」
そう言って果樹園の奥に見える魔の森へと目を向ける。
危険な魔物が多数生息すると言われているけれど、ここから見える景色はあくまでも普通の森のそれだ。
「まあ、魔の森に入るなら準備をしっかりしないといけないけれどね」
とりあえず、屋敷に戻って魔の森に入るために何が必要かを確認してみることにしましょう。
「さすがにこのローブはサイズが大き過ぎるかな?」
机の上に並べられた装備の中から、黒いローブを手に取ってつぶやく。
今は、領都の屋敷から持ってきた装備とこの屋敷の整理中に見つけた装備を並べて確認している。
「でも、領都の屋敷から持ってきたのはサイズは良くても性能がねえ……」
そう言って、隣に置かれた子供サイズの
これは領都の屋敷から持ってきたものだからサイズはピッタリではある。ただ、外出時に着ることを想定した普通の外套なので防御性能はお察しだ。
対して、この屋敷で見つけた装備は、さすがは侯爵家の屋敷というべきか、
「防具だけじゃなくて、武器も問題なのよね。当たり前だけれど、屋敷にあったのは全部大人用のものだから私が使うには大き過ぎるし。かといって、領都から持ってきたものは性能的に通用するのかが疑問だし」
さらに視線を動かし、隣に並べられた武器へと目を向ける。
「装備するのであれば、短剣か小ぶりな杖になるのかな? たぶんサブとして持つ武器だと思うけれど、扱えそうなものはそれくらいしかないし」
とりあえず、使えそうなものを手に取って確認してみる。
短剣の方は手に持ってみた感じでは、訓練で使っていたものに近いので特に問題なく扱えそうだ。
問題は杖の方で、いくつか種類があるのでどれを使うべきかの判断に迷う。まあ、さすがに無駄に装飾が凝っている杖は外していいとは思うけれど。
改めて実用重視で厳選してみた結果、とりあえずの装備を決めることができた。
防具は、領都から持ってきた普段訓練で装備していたものを使うことに決めた。というか、防具に関してはサイズが合わないものは使いようがないのでどうしようもなかった。
一応、最初に悩んでいたローブだけは裾や袖を調整して使ってみるつもりではある。まあ、試してみてダメだったら諦めるしかないけれど。
武器については、屋敷で見つけた短剣をメインにすることにした。
ちょうど訓練で使っていたのと似たサイズだったので、素直に性能が高そうなそちらを選んだ。
使い慣れたものとどちらが良いのかは少し迷ったけれど、そもそも、しばらくは剣をまともに使うことはないだろうという考えから装備を更新することに決めた。一応、今後は剣の訓練も日課に加えて新しい剣に慣れるようにするつもりだ。
あと、サブの武器として持つつもりだった杖に関しては諦めることにした。魔法の補助をしてくれるような杖があればと思っていたのだけれど、候補となった杖がどれもしっくりこなかったので。
一応、魔法に関しては杖なしでも発動できるし、無理に合わないものを使うこともないだろうという判断だ。
「とりあえず、問題なさそうかな」
選んだ武器や防具を実際に装備してみた。
予想通りローブがぶかぶかではあるけれど、どうにか少し動きづらい程度で済ますことができた。理想を言えば、少しでも動きにくい時点でダメなのだろうけれど、そこは装備の性能がそれを補って余りあると信じるしかない。
腰の後ろに装備した短剣についても確認してみたけれど、問題なくスムーズに構えることができた。まあ、実戦になったときに同じようにできるかは疑問だけれど、少しずつ慣れていくしかないと思う。というか、しばらくは武器を使う必要がないのが理想だ。
第24話
魔法陣の検討
「後は万が一のための魔法陣を用意すれば、とりあえずの準備は終わりかな」
一通り装備の確認を終え、最後に残った準備へと考えを移す。先に装備の準備をしたけれど、本命は魔法陣だ。
薬草畑に設置した魔素吸収の魔法陣のおかげで、ちゃんと機能する魔法陣が作れることはわかっている。なので、どこまで通用するかわからない私の剣技や魔法よりも、用意さえしておけば本人の力量に関係なく一律の効果を得られる魔法陣の方がよほど期待できる。
とりあえず、防御用、逃走用の魔法陣は準備しておきたい。
将来的には魔法陣ではなく自分自身の魔法でどうにかしたいところではあるけれど、さすがに今すぐどうにかできる問題ではないのでそこは諦めるしかない。
「とはいえ、もういい時間だし、魔法陣については明日かな」
次の準備を考えたところで思ったよりも時間が経っていることに気づき、魔法陣の作成は明日に回すことにした。
「防御用の魔法陣はこの結界の魔法陣で問題ないかな。ただ、逃走用の魔法陣はどれがいいんだろう?」
明けて翌日。地下の実験室に向かった私は、以前もお世話になった〝便利な魔法陣 三十選〟を確認している。
ひとまず、防御用の魔法陣は結界の魔法陣一択だったのだけれど、逃走用の魔法陣は使い方を工夫すればいくつか候補になりそうだった。
「やっぱり有力なのは
一応、魔の森であっても浅い場所であれば普通はシカやオオカミなどの動物をベースにしたような魔物が多いらしい。けれど、森の奥に行けば、出てくる魔物の傾向も変化するらしく、はっきり言って実際に確認してみないことにはどんな魔物が出るかわからないそうだ。
しばらくは森の浅い場所の確認しかするつもりはないので、相手の視覚を潰す閃光の魔法陣も通用するはずではある。ただ、視覚に頼らずにこちらを知覚する魔物が出てくると閃光は通用しないのでそこが少し怖い。
「次は号音の魔法陣だけれど、これはちょっと厳しいかな? 音量を大きくすれば魔物をひるませることができるかもしれないけれど、閃光と違って音の場合は自分自身へのダメージを防ぐのが難しそうだし。後、魔道具のシステム音とか効果音で使われる魔法陣みたいだから、単純にどこまで大きな音を出せるかもわからないしね」
改めて懸念点を口に出してみるけれど、やはりこれは採用が難しい気がする。
爆発音のような
一応、他の本も軽く確認してみたけれど、見つかるのは爆発音を出すものではなく爆発の魔法陣だけ。どうやらこの世界では、轟音を出して音だけでひるませるような考えは珍しいらしい。魔物をひるませるのであれば、光と音かなと思ったのだけれど。
「で、最後が掘削の魔法陣ね。これも効果範囲次第な気はするけれど、ある程度の範囲に効果があるのであれば足止めくらいはできると思うんだよね。問題は魔物相手に通用するくらいの効果範囲を持たせられるかどうかだけれど」
要は落とし穴を作る魔法陣なのだけれど、魔物の身体能力だとあっさりと飛び越えてきそうで怖い。
あと、仮に巨大な落とし穴が作れたとしても、改造しない限りは発動させた魔法陣が基点になるので自分自身が巻き込まれてしまう可能性がある。もしそうなった場合、待っているのは落とし穴の中で魔物とご対面なんていう笑えない状況だ。
「……とりあえずは、実験かな」
少し考えてみたけれど、本に書いている説明だけだと実際の効果がよくわからなかった。なので、悩むよりも先に行動してみることにした。
第25話
魔法陣の実験
実験用の魔法陣の作成に思ったよりも時間がかかってしまったので、その日のうちに効果を確認することができなかった。
しかも、作成した魔法陣は本に書いてあったものをそのまま利用している。なので、号音の魔法陣や掘削の魔法陣を採用することになった場合は、魔法陣の改造や調整でさらに時間がかかることになりそうだ。
今さらだけれど、魔法陣の作成について甘く見過ぎていたかもしれない。
つい準備の大変さに気落ちしそうになってしまったけれど、気持ちを切り替えて魔法陣の実験に取り掛かることにする。
まあ、やることは単純で、作成した魔法陣を発動させて実際の効果を確認するだけなのだけれど。
「オニキス、今日は実験のお手伝いをよろしくね」
まずは防御用として期待している結界の魔法陣から。
結界の強度をどうやって確認すればいいのかわからなかったので、とりあえずはオニキスに協力してもらうことにした。
「じゃあ、発動してみるから軽く体当たりしてみてね。しばらくは結界が残ったままになるはずだから、少しずつ力を込めていってくれると助かるわ」
オニキスに向かってそう言うと、ヒヒンと元気よく答えてくれた。どうやら気合は十分らしい。
「じゃあ、お願いね。──発動」
そう声に出し、手に持った魔法陣へと魔力を流す。
瞬間、魔法陣が輝き、目の前に緩やかな曲線を描く透明な壁が出現した。
ガッ。
少しの間、出現した結界に気を取られていたけれど、オニキスが体当たりしたその音にハッとして後ろに下がり、結界から距離を取る。とりあえず、オニキスの初撃で結界が壊れるということはないらしい。
その後もオニキスは何度も結界に突っ込んでいったけれど、結界が消えるまでそれを破ることはできなかった。
「ほ、ほら、ニンジンをあげるから機嫌を直して」
別に結界の魔法陣を破れなかったから不機嫌になっているわけではない。
まあ、それも理由のひとつではあるかもしれないけれど、直接の原因は続けて行った閃光の魔法陣の実験だ。
一応、先にオニキスにも説明していたのだけれど、イマイチわかっていなかったのか、発動した閃光をまともに見てしまい、驚いて立ち上がってそのまま
まあ、閃光の魔法陣の効果が知れたので、そこは良かったのだけれど、戻ってきたオニキスは鼻息も荒く不機嫌だった。ちゃんと私のところに戻ってきてくれた以上、閃光によるダメージは回復したのだろうけれど、機嫌の方までは回復しなかったらしい。

なので、魔法陣の実験を中断してオニキスの機嫌を取ることになったというわけだ。
どうにかオニキスの機嫌が直ったので、気を取り直して魔法陣の実験へと戻る。
というか、よくよく考えてみると残りの実験にはオニキスの協力が必要ない気がする。まあ、せっかくだから、そのままオニキスにも付き合ってもらうけれど。
〝リーン〟というきれいな音があたりに響き渡る。
その後の静寂の中、オニキスがブルルッといなないた。
「うん、これはダメそうだね」
実験を再開し、号音の魔法陣を試した結果がこれだ。
まあ、基本は合図などに使うための魔法陣なので仕方ないと言えば仕方ないのだけれど、どう考えてもこれで魔物がひるむとは思えない。一応、試した魔法陣はハンドベルの音を鳴らすというものだったのだけれど、音の種類や大きさを変えたところで効果が出るというイメージができない。
魔法陣を探していたときにも思ったけれど、やっぱり爆発音のような轟音を発するものが必要な気がする。まあ、そういう魔法陣が見つからなかったから号音の魔法陣を改造してどうにかできないかと考えたのだけれど。
「爆発の魔法陣の方が良いのかな~。でも、欲しいのは逃げるための魔法陣なんだよね。万が一、爆発の魔法陣で魔物にダメージが入っちゃったら、延々と追いかけられそうだから逆効果になりそうだし」
基本的に魔物は執念深いと言われている。
閃光や音でひるませて逃げるだけであれば、単に獲物に逃げられたというだけですぐに諦めてくれると思うけれど、相手に攻撃して明確に敵認定された場合は、逃げても追いかけてくる可能性がある。
「そう考えると、最後の掘削の魔法陣も微妙なのかな?」
そう言って、最後に残った魔法陣を手に取る。
一応、落とし穴を作って足止めするだけのつもりではあるけれど、それに足を取られて魔物がダメージを負った場合は、それを攻撃だと思われて敵認定されるかもしれない。
「あれ? そう考えると、落とし穴よりも土壁を出した方がマシなのかな?」
ふとそんな風に思うけれど、残念ながら土壁を作り出す魔法陣は載っていなかった。他の本を探せば載っているかもしれないけれど、今のところは保留かな。
「まあ、とりあえず、確認だけ終わらせましょう」
そう言って、最後の魔法陣を起動する。
瞬間、目の前の地面が円形にへこんだ。
「……ま、まあ、威力の調整をしてないから仕方ないよね」
効果範囲としては、直径五十センチメートルほどだろうか。その範囲が二十センチメートルほどへこんでいる。
「
そうつぶやく私の前でオニキスが今できた穴を楽々と飛び越えていく。いや、飛び越えるというよりは単にまたいだというような感じだけれど。
「……さすがに、魔物相手にも通用するサイズにするのは無理な気がするね」
魔法陣を改良する手間を考えると、この掘削の魔法陣を採用するのは見送った方が良いのかもしれない。
おそらく不意打ちであれば、そこまで効果範囲を広げなくても通用するとは思うけれど、相手に攻撃だと思われてしまう気がするし。
理想は、相手の魔物との間に飛び越えられないくらいの穴を一瞬で掘ることだけれど、さすがにそこまでの効果を持たせる魔法陣を作れるとは思えない。
「とりあえず、採用するのは結界の魔法陣と閃光の魔法陣だけでいいかな」
この二つであれば魔法陣の改造も必要なさそうだしね。
第26話
魔の森の探索
「外からだとやっぱり普通の森にしか見えないね」
魔法陣の実験を終えた翌日。最低限の魔法陣が準備できたので、さっそく魔の森の探索に向かうことにした。
そうは言いつつ、さすがにすぐに魔の森に踏み込むのは不安だったので先に周囲の確認から。
で、周囲の確認を終えた感想が先の言葉になる。
「まあ、屋敷の敷地に張られた結界内から見える範囲だけだから、仕方ないのだろうけれど。というか、いくら結界があるからって、すぐに見える範囲の景色がおどろおどろしたものだったら住むのが不安になるしね」
ひとまず、屋敷の敷地の外周に張られた結界に沿って一周してみたけれど、特に不安になるようなものは見つからなかった。まあ、結界から森までの距離もある程度離れているので、森の中をあまり見通せなかったというのもある。
「後は実際に森に入って確認するしかないかな」
そう口に出し、改めて自身の装備を確認する。
屋敷で見つけたローブだけ少し不安ではあるけれど、さっき敷地を一周したときは問題なかったので、戦闘にでもならない限りは心配ないと思う。
まあ、ちゃんとこのローブでも走ることができることくらいは確認しているし、今日の探索で戦闘するつもりなんてないので大丈夫だろう。そのために魔法陣だって用意したのだし。
「まあ、魔法陣が二枚ずつしかないのが若干不安と言えば不安だけれど」
短剣を確認してから、魔法陣の入った腰のポーチを見る。
昨日、実験後に作成できたのは結界の魔法陣、閃光の魔法陣ともに二枚だけ。閃光の魔法陣はともかく、結界の魔法陣はもう少し用意したかったのだけれど、残念ながら時間が足りなかった。
一応、探索する日を後ろにずらすことも考えたけれど、明日は町に買い出しに行く予定が入っている。
前回の買い出し時に、ギルドの受付のお姉さんに明日町に行くことを伝えているので、できるだけ日をずらしたくはない。かといって、探索を買い出しの後に回してしまうと、探索したときに必要な物が出てきたときに困ることになってしまう。なので、魔法陣の数を最低限の量で妥協した。
「うん、そもそも森の浅い場所にしか入るつもりがないから問題ないよね」
若干の不安を振り払うようにつぶやく。
大丈夫、ただ森の様子を確認するだけだから何も起こるはずなんてない。そんなフラグになりそうなことを考えながら森への一歩を踏み出した。
「意外に普通なのかな? あれ? 先に確認した通りの光景だから意外というのはおかしいのかな?」
そんなどうでもいいことをつぶやきながら歩く。
腰のポーチから時計を取り出して確認すると、森に入ってからそろそろ十分ほどという時間。ゆっくりとしたペースで歩いていたこともあって、まだ大した距離にはなっていないけれど、後ろを振り返っても屋敷が見えない程度の距離までは来ている。
まあ、森の中の木々のせいでもっと前から屋敷は見えなくなっていたと思うけれど。
それにしても、ここまで生き物の類を一度も見ていないことが気になる。森に入ってすぐは足元を気にしながら歩いていたから仕方ないかもしれないけれど、慣れてきてからはそれなりに周囲に注意を払っていたはずなのに。
私の注意力が足りないのか、そもそもこのあたりに生き物がいないのか。
「って、
そんなことを考えていると、右の方からガサッという音が聞こえてきた。そちらに目を向けると背の低い木がある。
どうやらその木の陰に隠れるようにして何かがいるらしい。足を止め、音が聞こえたあたりの様子を
「……」
息をひそめつつ、最初に声を出したのは失敗だったかなと思う。音が聞こえてから一分近く待っている気がするけれど、何かが出てくる様子はない。
もしかしたら最初の音が聞こえたタイミングで、既に木の陰から逃げていたのかもしれない。そう思い、諦めて探索を再開しようと足を動かす。
そのタイミングで何かが木の陰から飛び出した。
「!?」
驚きつつ、飛び出してきた何かの影を目で追う。けれど、既にその姿は小さくなっている。
「ちょっ、ちょっと待って!」
その後ろ姿に手を伸ばしてそんなことを叫んでみるけれど、逃げる相手が聞いてくれるはずもない。すぐに他の木々に隠れて見えなくなってしまった。
「あぁ~、行っちゃった」
伸ばした手を力なく下ろす。残念だけれど、初めて出会った相手には振られてしまったらしい。
いやまあ、今後この森で狩りをしようと考えているのだから、狩るものと狩られるものの関係である以上、友好的な交流は難しいだろうけれど。
それでも、もう少しゆっくりと観察してみたかった。
「とりあえず、ちゃんと生き物がいることがわかったということで良しとしておくかな」
まだ残念な気持ちを完全に切り替えられたわけではないけれど、口に出して無理やり切り替えることにする。
森に入ってからまだ十分ちょっとしか経っていない。この後いくらでも見つける機会があると考えて探索を再開することにした。
第27話
初探索を終えて
初めての探索ということで、予定通りお昼になる前に屋敷に戻ってきた。
「今日の成果は魔の森で狩りができそうってことがわかったことかな」
昼食をとりながら、今日の探索を振り返る。
最初のリスと遭遇するまではそれなりに時間がかかったけれど、それ以降は割と頻繁に生き物に遭遇することができた。一番多く見かけたのは最初に出会ったリスで、次いで大きなネズミみたいなヤツが多かった。
ネズミっぽいのはリスと同じくらいのサイズも見かけたけれど、大きいヤツと同じ種類なのか別の種類なのかはわからない。見た目が違ったように見えたから違う種類のような気はするけれど、大人と子供でまるで見た目が違う動物とかもいるしね。
「そういえば、以前マリーさんに聞いた動物たちは見かけなかったね。ウサギを一回見たのと野鳥を何度か見かけたくらいだと思うし。やっぱり、ボアみたいな大きな生き物はもっと奥に行かないといないのかな?」
今日の探索範囲は、午前中に往復できる範囲でしかないのであまり広くない。それに、屋敷の右手の森を真っすぐ進むように探索したので、探索した場所の森の深さとしては屋敷と大して変わらないはず。
まあ、屋敷の周囲に大型の動物がいないのは良いことではあるけれど、狩りのときにかなり奥まで行かないといけないとなると、それはそれで厳しいものがあるかもしれない。
「まあ、どうせ一人なんだから小型の獲物で問題ない気はするけれどね。というか、仮にボアを狩れたとしても持ち帰るのは大変だろうし」
一応、屋敷の整理中にそこそこの容量があるマジックバッグを見つけているので、ボアみたいな大型サイズでも持ち帰れなくはない。
ただ、持ち帰ったところで解体できないし、ギルドに持ち込むのも無駄に心配をかけそうなので難しい。
「まあ、それも先の話かな。まずは周囲の森の様子を確認するのが最優先だろうし、実際に狩りに手を出すのは周りの確認が終わってからだね。そもそも確認が終わらないと狩りのために用意する道具も決まらないしね」
今のところ考えているのは
「後はまあ、狩り以外の採集できるものの確認も必要だしね」
今日の探索だとあまり見つけることができなかったけれど、狩りのために森に入るのであれば、ついでに木の実だったり野草だったりを採集したい。
一応、薬草畑と野菜畑があるけれど、森の中でしか手に入らない物もあるかもしれないし。まあ、これについても今後の探索次第なのだけれど。
「やっぱり、しばらくは周囲の確認を兼ねた探索を進めるしかないかな。探索に慣れる必要もあるし」
とりあえず無事に終わった初探索だけれど、課題も見つかっていたりする。
たぶん探索に慣れていないことが原因なのだとは思うけれど、はっきり言って周囲に対する注意力が足りていなかった。
リスやネズミみたいな小動物を見かけてはいるけれど、これはあちらが音を立てたりしたから気づけただけだ。実際、音を立てていなかったヘビには気づけなかったし。
「いや、あれはかなりビックリしたよね」
何せ横を向いたら木の枝にぶら下がったヘビと目が合ったからね。普通に驚いて叫び声を上げちゃったよ。
まあ、そのおかげでヘビの方から逃げてくれたから被害はなかったのだけれど。
ただ、このときに襲われていたとして、ちゃんと対応できたかはわからない。
ローブのおかげで首元とかは守られていたから、ダメージを負う可能性は低かったと思うけれど、パニックになってその後の対処を誤った可能性はある。そもそも、あのヘビが毒を持っていたかどうかもわからないし。
「考えてみると見つけた動物とかの知識も必要になるのか。当たり前だけれど、森で採集もするのだとしたらその知識も必要になるし」
今日の探索でキノコも見かけたけれど、キノコなんて知識が必要なものの筆頭かもしれない。いやまあ、この世界だと鑑定の魔道具とかいう便利アイテムがあるから食用かどうかくらいはわかるけれど。
ただ、それでも最適な採集方法や利用方法なんかは図鑑などで調べないとわからない。
「まあ、ゆっくりと気長にやっていくしかないか」
とりあえず、次の探索からは鑑定の魔道具を持っていくことにしよう。そう決意して明日の買い出しのための準備に取り掛かることにした。

第28話
平穏な日々
森の探索を始めてから二週間ほど経った。
まだ狩りはできていないけれど、森での採集は少しずつ進めている。今のところ採集できているのは木の実とキノコが中心だ。
「そろそろ狩りについても考える時期が来たかな」
ひとまず、昨日の探索で屋敷の周囲を一通り探索し終えた。まだ完全に探索できたとは言えないけれど、とりあえずの傾向くらいはわかった。
傾向をまとめると次のような感じになる。
屋敷右側 : リスや大型のネズミなどの小動物中心。木の実が多い。
屋敷裏側 : 小動物は少なく、オオカミの痕跡がある。木の実が多い。
屋敷左側 : リスや大型のネズミなどの小動物中心。キノコが多い。
まあ、この傾向からわかるように狩りに入るのであれば屋敷の右側か左側だと思う。
恐ろしいことに屋敷裏側のオオカミの痕跡は動物のオオカミではなくてフォレストウルフと呼ばれる魔物みたいなんだよね。なので、屋敷裏側は探索候補から外すべきだと思う。
一応、フォレストウルフについては単体の強さはそれほどではないらしいけれど、集団になると途端に手ごわくなるらしいし。
幸い、裏側を探索したときに遭遇することはなかったけれど、狩りとして定期的に入るようになるとフォレストウルフと遭遇する可能性もある。
そもそも私が目指しているのは強くなることではないので、無理して危険に突っ込もうという考えはない。なので、無難に屋敷の右側か左側で狩りをするつもりだ。
「でも、右側と左側のどっちが良いんだろう? 確認した限りだと狩りの獲物に変化はなさそうだったし、木の実とキノコの比率が違う程度で別に採集できるものがそこまで変わらないんだよね」
一応、傾向としては右側の方が木の実が多く、左側にキノコが多いという感じではあった。
ただ、別に右側にキノコがなかったわけでもないし、左側に木の実がなかったというわけでもない。単に比率がそうなっていただけだ。
それにどちらか一方だけに何か欲しいものがあったというわけでもない。
まあ、それについては私が勝手に屋敷を基準にして右側、左側を分けているからだろうけれど。
「まあ、無理にどちらか一方に絞る必要もないのかな。とりあえずは右側と左側を週ごとに替えてみる感じでやってみましょう」
試してみたら獲物がかかりやすいとかがあるかもしれないしね。まあ、たぶん大差はないと思うけれど。
森の探索についてはそんな感じなのだけれど、実はギルドに売りに行く薬草について問題が発生していたりする。
いや、問題ではないか。単に以前に刈り取った薬草がなくなりそうだというだけだから。
「まあ、こっちについては後回しにしていた薬草栽培を始めればいいかな。薬草畑の魔素濃度もある程度落ち着いたみたいだし」
薬草畑の魔素異常については、毎日欠かさず魔法陣による魔素吸収を続けてきた。そのおかげで、薬草畑の魔素濃度が敷地内の他の場所よりも少し高いくらいまで良化している。
「でも、奥側の薬草を刈り取ってしまうとオニキスのエサが足りなくなるのかな? ……まあ、別に全部のエリアを使うわけでもないし、空いているエリアにオニキス用の薬草を育てればいいか」
一応、オニキスのエサとなる飼い葉は買い出しごとに買い足していて、朝昼晩のご飯についてはこの飼い葉を食べてもらっている。
薬草畑の薬草については、自由にしてもらっているときに
「というか、これに関してはオニキスに確認すればいいか」
なんとなく感覚がおかしくなっている気がしないでもないけれど、たぶんオニキスに聞けば薬草が良いか牧草が良いかは答えてくれる気がする。とりあえず、それに関してはオニキスの回答次第ということにしよう。
「というわけで、薬草と牧草のどっちがいい?」
特に予定もなかったので、さっそくオニキスに確認に来た。まあ、オニキスからは急に何言ってんだコイツという感じの視線を向けられたけれど。
さすがに悲しくなったのでオニキスにもきちんと経緯を説明した。
結果、オニキスの回答は引き続き薬草が良いとのことだった。普通の牧草は、朝昼晩と飼い葉を食べているから十分らしい。
第29話
不穏な噂と再会
「フェリシアさん、最近魔の森の様子がおかしいそうなので気を付けてくださいね」
「おかしいって、何かあったのですか?」
「ええ、森の中の魔物の生息域に変化が見られました。今のところ大きな変化ではないそうですが、森の深層に生息する魔物が移動した形跡があったようです。ギルドでもまだ情報を集めている段階ですが、フェリシアさんも注意するようにしてください」
「そうなのですね、ありがとうございます。私も注意します」
いつも通りにギルドに薬草を持ち込んだら、受付のお姉さん──ティナさんからそんな話を聞いた。
森での狩りを本格的に始めようと考えたところだったのでタイミングが悪い。まあ、森の魔物たちからしてみるとこちらの事情なんて知ったこっちゃないだろうから仕方ないのだろうけれど。
「うーん、狩りを始めるのを延期するべきかなぁ」
ギルドを後にし、雑貨屋に向かう道すがらつぶやく。
狩りの道具については、前回の買い出しからそろえ始めていたので、今日の買い出しで前回の不足分を買い足せば準備が整う。なので、始めようと思えば明日からでも狩りを始めることは可能だ。
「不安ではあるけれど、異変が起きているのは屋敷がある場所よりもかなり奥らしいのよねぇ」
で、狩りを始めるかどうかについて、引っかかっているところはここだ。
正直、私が狩りを行おうをしている場所は魔の森の中でもかなり浅い場所なので、森の深層で異変が起きていても影響などないだろうと思ってしまう。
実際、昨日までの探索では森に何か異変が起きているような気配はなかった。単に私の経験不足という可能性もあるけれど、さすがにあそこまで平穏な様子だと警戒心は持ちづらい。
「念のためにもう一度探索して様子を見てみるくらいかなぁ、できそうなことは。狩りに入るのは屋敷の左右の森にするつもりだし、屋敷裏の森に異変がなければ問題ないと思うけれど」
一応、ギルドで森の安全が確認できるまで待つ方が良いということは理解している。けれど、森の深層の調査となるとそれなりの期間が必要になるはずだ。
となると、その調査結果が出るまで待つのかということになるけれど、それはさすがにツライものがある。まあ、結局は単に私が早く狩りをしてみたいというだけのワガママなのかもしれないけれど。
「おっ、大食いの嬢ちゃんじゃないか」
ぼんやりと今後の狩りについて考えていると前方からそんな声が飛んできた。その声に反応して顔を上げると、
「よお、前も思ったが今日も一人でお使いか? 町の中だからって、あんまり嬢ちゃんみたいな年で一人歩きは感心しないぞ」
「ちょっとケルヴィン、その子驚いてるじゃない!
「はあ!? ちょっかいなんてかけてねーよ! 嬢ちゃんとは顔見知りだ」
いきなりのことに驚いて反応できずにいると、目の前で冒険者らしき二人が言い争いを始めてしまった。
一瞬、このまま立ち去ろうかという考えが浮かぶ。
けれど、改めて確認してみるとケルヴィンと呼ばれた厳つい風貌の冒険者は、初めて町に来た時にマリーさんの宿屋を教えてくれた人だ。それに今回声をかけられたのも特に悪意を感じられないし、ここは諦めて止めに入るべきかもしれない。
「私は大食いではありませんよ」
とりあえず、不本意な呼びかけの否定から入ることにした。
初対面のときに、しっかりと食べたいというようなことを言った気はするけれど、こんな往来で大食い少女という呼びかけはいただけない。そもそも、あのときはお昼を食べるのが遅くなったからあんなことを言ったのであって、普段は小食とまでは言わないけれど普通の量しか食べていない。
「お、おう、すまんな。前に会ったときのガッツリ食べたいという言葉のイメージが強くて、ついな。おいリリー、ちゃんと知り合いだったじゃねえかっ!」
「ちょっとあなた、こんな
「いえ、以前に会ったときに親切にしていただいたので」
「……本当に? 単に絡んできただけじゃなくて?」
まあ、絡まれたという捉え方もできなくはないかもしれない。改めて想像してみると、結構な絵面だった気がするし。
とりあえず、ここは曖昧に
「ほら、やっぱり困っていたんじゃない!」
「い、いや、でもあのときは……。なあ、困ってたわけじゃないよなぁ」
「……ふふ、すみません。絵面を想像すると勘違いされそうだなと思っただけで、本当に困っていたわけじゃないです」
厳つい男の人がタジタジになっている様は見ていて面白かったけれど、さすがに時間ももったいないのでフォローしておく。
実際、初めて会ったときのことは助かったという思いの方が強いのだし。
「そう? ならいいけど」
若干まだ疑わし気ではあるけれど、女の人の方も納得してくれたみたいだ。
「そういえば、前に会ったときは結局名乗らずじまいだったな。改めて、俺はケルヴィンだ。〝火竜の
「私はリリーよ。この筋肉ダルマと同じパーティーで弓士と魔法使いを兼ねているわ。見ての通り、種族はエルフよ」
一度落ち着いたところで、ケルヴィンさんとリリーさんから自己紹介を受ける。リリーさんについては、ついつい目を向けてしまっていた耳をピコピコと動かしてくれるサービス付きだ。
「えーっと、私はフェリシアです。町の近くの森の中にある屋敷に住んでいます」
リリーさんの耳にしばらく見とれていたけれど、こちらも名乗り返す。
といっても、侯爵家から捨てられた今の私だと特に自己紹介で話すことがなかった。とりあえず、名前だけというのもアレなので屋敷のことを付け足してみたけれど。
「おう、魔の森の中の侯爵家の屋敷に住んでるんだってな。一応、ギルドの方から説明を受けてるぜ」
「えっ、ギルドから? もしかして冒険者の人たちはみんな知っている感じですか?」
「ああ、一応この町で活動している奴らは全員知っていると思うぜ。ギルドとしても侯爵家のお嬢さん相手にちょっかいをかけるような奴を出したくないだろうしな」
「まあ、ここにいたいけな少女に絡む不審者がいるけどね」
「おいっ!」
目の前で再び二人のじゃれあいが始まってしまった。
しかし、私のことは冒険者に周知されているのか……。
いやまあ、それでどうこうというわけでもないけれど、一応覚えておくことにしよう。
第30話
魔の森の話
「それで、今日は一体どうしたのですか?」
「ん? ああいや、単に嬢ちゃんが一人で歩いてるのが不用心に見えたから声をかけただけだ。さっきも言ったように、俺はこの町の冒険者のまとめ役みたいなことをやってるからな。最近は森の様子もおかしいし、念のためってやつだ」
「イマイチ実感がないのですが、最近の魔の森はそんなに危ないのですか?」
「そうね、正直かなり危険だと思うわ。周期的にはかなり短いけれど、魔物が
「そんなにですか!?」
リリーさんからの回答に思わず驚きの声を上げてしまう。
自分にはあまり関係のない話だろうと思っていたら、魔物が溢れるという可能性まであるなんて。
「おいおい、あんまり嬢ちゃんを驚かせるなよ。心配しなくても、まだ溢れだと決まったわけじゃない。何しろ、これまでの周期を考えると後数十年は先のはずなんだからな」
「甘いわよ、ケルヴィン。魔の森のことに対して、そんな決めつけは命取りよ。それに、前回の溢れは明らかに規模が小さかったわ。もしかしたら本格的な溢れの前触れだった可能性だってあるんだから!」
魔物の溢れか。
一応知識としては知っているけれど、まさか私に関わってくるような話だとは思わなかったな。
何せ、一般に知られている溢れの周期は百~二百年と言われていて、前回の溢れは二十年前くらいに起きていたはず。つまり、少なくとも後八十年くらいは溢れの心配がないと思われていたのだから。
まあ、魔の森の異変が本当に魔物の溢れの前兆かどうかもまだはっきりしないそうだけれど。
「ところで、魔物の溢れの発生はどうやって察知しているのですか?」
ふと気になったので質問してみる。
魔物の溢れに対しては万全の対策をして臨むという話を聞いたことがあるけれど、どうやってその予兆なりを察知しているのかは知らなかった。漠然と発生周期が近づいてくるとそれとなくわかるものだと思っていただけで。
「まあ、ざっくりと言えば魔の森に異変があったら魔物が溢れる前兆だな」
「ざっくりし過ぎよ、バカ。えーっと、魔物の溢れと呼ばれる現象がどうやって起きるかは知ってる? 魔の森の深部のさらに奥、魔境と呼ばれるエリアから強力な魔物たちが出てくることで発生するのだけど、これは大きく三つの段階に分かれているわ。魔境から魔物が移動し始める一段階目、魔の森の中で魔物の数が急激に増える二段階目、魔の森から魔物が溢れる三段階目ね。魔物の溢れは大体この一段階目から二段階目の異変を確認することで発生を予測しているわ」
「つまり、魔境から魔物が移動し始めたら魔物の生息域が変化するからそこから予測するということですか?」
「そうなるわね。まあ、実際には奥から魔物が移動したからといってすぐに魔物の生息域が変化するわけではなくて、ゆっくりと少しずつ生息域が移動するような感じらしいけどね。だから、一段階目の初期段階で魔物の溢れを察知することは難しいらしくて、大体は魔の森の中で生息域が変化しきって魔物の数が増え始める頃に察知することが多いらしいわ」
なるほどね。
というか、さっきギルドで聞いた魔の森の異変って魔物の溢れの前兆そのものなんじゃないかな。魔の森の深層の魔物の生息域が変化したという話だったし。
「話を聞く限りだと、明らかに魔物が溢れる前兆なのではないかと思うのですが……」
「まあ今の話だとそう思うのも無理ないが、別に魔物の生息域が変化する原因は魔物の溢れだけじゃないからな。単に進化したとかで強力な個体が出現した場合でも生息域の変化は起きる。というか、大抵の場合はそっちだ」
「じゃあ、今回の異変も魔の森に生息する魔物が進化した影響で生息域が変化しただけということですか?」
「それを今調べてる感じね。ただ、単に魔物が進化して強力な個体が出現したにしては影響範囲が広過ぎるのよ。まあ、別に強力な魔物が出現することだけが生息域の変化につながるわけじゃないし、例えば水場やエサ場の環境が変わったとかでも生息域は変化するからね。だからまあ、ケルヴィンの言う通り心配のし過ぎということも十分考えられるわ」
「つまり、今は調査結果を待っているという感じですか?」
「そうなるな。まあ、仮に魔物の溢れだとしても今日明日に始まるものでもないし、前回の溢れのように十分に備える時間はあると思うぞ。さっきリリーが言ったように、まだ魔の森で魔物が増える段階も残っているわけだしな。それに魔物が増える段階に関しては、魔の森で魔物を間引けばその分だけ溢れの発生を遅らせることができる」
「そうね。それに私から言い出しておいてなんだけど、まだ溢れだと決まったわけでもないし、魔の森に近寄らないのであれば特に影響もないと思うわよ」
話を聞く限りだと、結局この件に関しては様子見するしかなさそうな気がする。つまり、今行われているという魔の森の調査結果待ちだ。
それにどうやらギルドの方でも私のことを周知するなどして気にかけてもらえているみたいだし、たぶん次に薬草を売りに来たときにでも教えてもらえるだろう。
「あれ? 今の話だと溢れの場合は、生息域の変化の後に魔物の増加という段階があるみたいですが、他の原因で生息域に変化が出ていた場合はどうなるのですか?」
「その場合は原因によって色々だな。強力な個体が出た場合だとその個体の行動次第だし、環境の変化だとその影響を受ける魔物全体の行動次第になるから正直予測できん」
「まあ、どちらの場合も生息域が変化した周囲から順々に弱い魔物が
「えっ!? 森の外にいきなり魔物が出てくるようになるって、そっちの方が危険じゃないですか!」
「大丈夫よ。この町は魔の森の近くにあるだけあって、ちゃんとした外壁で囲まれているから弱い魔物程度でどうこうなんてことにはならないわ。街道近くに出る魔物に関しても、そもそも街道を使うのは冒険者か商人だからね。冒険者は自力でどうにかするし、商人は護衛の冒険者を雇っているから」
「まあ、
なるほど。一般人はそもそも魔の森に近づかないから別に影響はないと。で、町の外に出ることのある冒険者や商人に関しては、そもそも自己責任だという話かな。
だけれど、まあ……。
「私は魔の森の中にある屋敷に住んでいるのですが……」
「「あぁ……」」
「いや、そういえばそうだったみたいに
「ハハハ、すまんすまん。でもまあ、魔の森の中って言っても、嬢ちゃんが住んでるのは侯爵家の屋敷なんだろ。だったら問題ないだろ」
「そうね、問題ないわね」
実は危険な状態だったのかと思って不安になっていたら、予想外の返答をされてしまった。
というか、二人は確信を持って断言しているみたいだけれど、あの屋敷には私の知らない何かがあるのだろうか。
「というか、嬢ちゃんはあの屋敷に住んでるのに知らないのか。あの屋敷のある森は結構な範囲が魔物
「えっ、魔物除けの結界ですか? 屋敷の敷地が結界で守られているのは知っていますが、森にも結界があるのですか?」
「結界なのかどうかはわからないわ。ただ、屋敷の周囲の森に広範囲にわたって魔物除けが施されていることだけは確かね。実際、あっちの森で活動している冒険者なんて見ないでしょ? あのあたりの森だと魔物が出ないから稼げないのよ」
「侯爵家の屋敷があるからじゃなかったのですね」
「いや、それも理由の一つではあるぞ。いくら住人がいなかったとはいえ、侯爵家の屋敷がある周辺に好き好んで近づくような冒険者はいねえよ。そっちの方が稼ぎになるならともかく、逆に稼ぎが悪くなるんだから
まあ、それはそうか。
そういえばお母様も冒険者は貴族を避ける傾向があると言っていた気がする。好き好んで近づくのは貴族のお抱えになることを望む冒険者だけで、自由を好むほとんどの冒険者は貴族に近寄らないのだと。
「まあ、そういうわけであの屋敷に関してはあまり魔物の心配はいらないんじゃないかしら」
「そうだな、魔物よりもむしろ人間の方が嬢ちゃんにとっては危険だろうな。出会ったときにも言ったが、嬢ちゃんみたいなのが一人で出歩くのは感心しないぞ」
「あはは、気を付けます」
思ったよりも長く話し込んでしまったけれど、最後にケルヴィンさんから再びの注意をされて別れることになった。不意の再会だったけれど、色々と話を聞けて良かったと思う。
それにしても、屋敷の敷地に張られた結界だけでなく、周囲の森にまで魔物除けがなされているとは思わなかったな。
第31話
はじめての狩り
魔の森に関する不穏な噂を聞いてしまった以上、さすがに帰ってきてすぐに狩りを始めるというのはためらわれた。なので、帰り際に考えていた通り、先に屋敷周辺の森の確認から始めることにした。
「まあ、結局このあたりは特に異変があるような感じではないのよね」
今まで探索していた範囲を各方面ごとに一日かけて確認し、今日は屋敷裏の森を普段よりも深いところまで確認に入った。
けれど、特に異変が見つかることもなく、結果としていつもと変わらないことが確認できただけ。
まあ、素人の私の確認がどれくらい当てになるのかはわからないけれど、少なくとも魔物が溢れるほど増えているとか、逆に生き物が極端に減っているというような明らかな異変は確認できなかった。
「そういえば、屋敷の周辺の森には魔物除けが施されているらしいけれど、屋敷裏にはオオカミ系の魔物の痕跡があるのよね。それに関しては異変と言えるのかしら?」
先日町で聞いた話を思い出して疑問に思う。
けれど、オオカミ系の魔物の痕跡に関しては、別に最近になってできたというわけではなく、探索を始めた最初の頃からあったものだ。そうなると、魔の森の深部で起きている異変とは関係ないのではないかとも思う。
「屋敷周辺の森の探索を始めてからだいたい三週間くらい……。さすがに数日前に報告された森の深部の異変が、三週間も前からこんな浅いところにまで影響してくるとは思えないし、屋敷裏の森にオオカミ系の魔物がいたのは別の問題なのかな」
少し気になるところではあるけれど、今までの探索でも特に問題なかったのだから大丈夫だと思う。それに、狩りに入るのは屋敷裏ではなく左右の森なのだし。
とりあえず、そう信じることにした。
周辺の森の確認を終えた翌日。いつも通りに畑のお世話を終わらせ、狩りのために森へと向かう。
買いそろえた狩りの道具は肩から提げたマジックバッグに収納しているので、見た目は普段の探索と変わらない。まあ、変に装備が変わって動きにくくなっても困るので、いつも通りが一番だと思う。
「どこに仕掛けるのが良いんだろう?」
森の中を歩きながらつぶやく。
今回、私がやろうとしているのは小動物向けの箱罠を使った狩りだ。
箱罠というか、罠については最悪自作することも考えていたのだけれど、都合よく雑貨屋で目的に合致する物を見つけることができたのでそれを使うことにした。
正直、罠に関してはギルドなどの専門的な場所でしか扱っていないと思っていたので、普通の雑貨屋で売っていたのは意外だった。
けれど、お店の人
そう考えると、箱罠などの害獣対策というのはそれなりに身近なのかもしれない。実際、箱罠が雑貨屋で売られているくらいなのだから。
まあ何にせよ、私のあやふやな知識をもとにした微妙な罠などより、市販されている罠の方がよほど信頼できるので都合が良いことには変わらないのだけれど。
「とはいえ、ちゃんとした罠はあっても、狩りの仕方は自己流になってしまうのがね。まあ、狩りというか罠を仕掛けるだけだから、基本的には適した場所に罠を設置すればいいのだとは思うけれど」
一応、罠を買うときにお店の人に確認した限りでは、畑に侵入される経路のそばに仕掛ければいいとのことだった。私の場合は畑に仕掛けるわけではないけれど、要は獲物の通り道などの行動範囲内に罠を仕掛ければいいということだと思う。
そう思って周囲を観察しながら歩いているのだけれど。
「……わからない」
いや、一応は獲物となる小動物のものであろう痕跡を見つけてはいる。見つけてはいるけれど、本当にここに仕掛けていいのだろうかという不安が出てきてしまって、まだ一カ所も仕掛けることができていない。
「はあ、悩んでいてもどうにもならなそうだし、ここに決めましょう」
うだうだと悩み続けた結果、普段の探索の半分くらいの地点にまで来てしまった。
用意した箱罠は三つあるので、このままだと三つをまとめて近くに設置してしまうことになる。そんな焦りから、やや乱暴に一カ所目の設置場所を決める。
「まあ、まだ一回目だし試してみるしかないよね」
箱罠を設置しながら不安をごまかすようにつぶやく。
狩りを始めるにあたって屋敷にある資料を調べてみたのだけれど、残念ながら箱罠を使った狩りについて書かれているものはなかった。
どうやら、以前の住人は弓や魔法を使った狩りをしていたらしく、残っていたのはもっぱら獲物の解体の仕方や保存方法について書かれたものばかりだった。なので、雑貨屋で聞いた言葉を参考に手探りで試していくしかない。
「こんなものかな?」
最後の罠を仕掛け終え、一段落という感じでつぶやく。
仕掛けた場所は普段の探索コースからやや外れた場所に三カ所。
設置場所については深く考えずにいたけれど、一カ所目の罠を仕掛けたときに設置場所を覚えていなければいけないということに気づいた。なので普段の探索で回っている経路の近くに仕掛け、簡単な目印を残すようにした。
「ちゃんと獲物が掛かってくれるといいのだけれど」
改めて周囲を見回す。
一応、仕掛けた場所は近くに小動物の痕跡があった場所になる。けれど、最近の探索で何度も通っているだけあって明らかに人が入ったような痕跡も残っている。
しばらくは空振りも覚悟の上で試していくしかないのかもしれない。
第32話
狩りの成果
「あっ、ここは掛かってる!」
昨日設置した罠の確認のために森に入り、二連続で空振りに終わった後、最後の一つで当たりを引いた。
成果なしで終わらなくて良かった。喜びとともにそんな
「えーと、掛かったのは大きなネズミかな? こういう大きなネズミってなんて言うんだっけ? ヌートリアだっけ?」
罠に近寄り、掛かっている獲物を近くで観察する。
これまでは遠目でしか見ることができなかったけれど、近くで確認してみると前世のテレビで見た名前をふと思い出した。正直、ネズミだとイメージが悪いのでこれからはヌートリアと呼ぶことにしよう。
「でも確かヌートリアって、水辺に生息しているんじゃなかったっけ? 水かきっぽいものもついているし、記憶違いというわけでもないと思うのだけれど」
このあたりもそれなりに探索したつもりでいたけれど、近くに水場はなかったように思う。もしかしたら、この世界のヌートリアは水辺以外でも生息できるか、行動範囲がとても広いのかもしれない。
「……ごめんね」
そんな言葉とともに箱罠の中から威嚇してくるヌートリアを捕まえ、短剣でとどめを刺す。
わずかにピクピクと震えた後、ヌートリアから動きが消える。できるだけ苦しませずに済ませられていればいいのだけれど。
そんな風に思いつつ、罠の中からヌートリアを取り出して用意していたバッグへと
こちらは普段使用しているバッグとは違ってバッグ内の時間が停止するタイプのマジックバッグだ。これのおかげで、獲物の処理を森の中で行う必要がない。
しかし、容量が小さいとはいえ、時間停止機能がついたものが屋敷に放置されているあたり、さすがは侯爵家という感じではある。容量の拡張機能しかついていないマジックバッグと違って、時間停止機能付きはかなり貴重で高価なものだったはずなのに。
「まあ、おかげで私が助かっているのだし、ここは素直に感謝しておこうかな」
そうつぶやき、わずかに流れた血を魔法で出した水で洗い流して土をかける。
「……そういえば、罠って同じ場所に続けて仕掛けてもいいものなの?」
とりあえずの後始末をしたところで、ふと疑問を覚える。
パッと見には少し湿った場所があるようにしか見えないけれど、動物たちからしたらこれでも違和感を覚えるかもしれない。
「まあ、今回はそのままにしてみようかな」
空振りに終わった先の二カ所は、仕掛けだけ確認してそのまま残してある。
であれば、獲物がかかった場所と空振りだった場所の両方をそのままにしてみるのも実験としてはアリなのかもしれない。
それにしても、初めての狩りで三カ所の内一カ所で獲物がかかっているという結果は良いのか悪いのか。ひとまず、成果がゼロではなかったから悪くはなかったとは思うのだけれど。
まあ、大事なのは今回一度の成果ではなく、これから継続的に成果が得られるかということだろうから、
屋敷に戻って装備を解き、獲物の入ったバッグを持って解体小屋へと向かう。
一応、時間は止まっているはずなのだけれど、気分的に獲物の処理は早く済ませておきたい。それに、実際にお肉となる量がどれくらいかも確認しておきたいしね。
「まずは血抜きからだね」
バッグからヌートリアを取り出し、まだぬくもりがあるそれを首の切り口を下にして
「にしても、ちゃんとした設備が整った小屋があって助かったよ」
前住人が狩りをしていただけあって、屋敷の隣に小さいながらも解体小屋が用意されていたのは助かった。
まあ、前住人が住んでいたのはかなり前なので使えなくなっていた道具も多いけれど、場所が用意されているだけでもかなり違う。
「じゃ、魔法も使って手早く終わらせましょうか」
そうつぶやいて吊り下げたヌートリアに手を添える。
普通、魔法を使った血抜きというのは特別な獲物くらいにしか使わないらしいけれど、どうせこの一体しか解体しないのだからおさらいを兼ねて試してみる。
「魔力でヌートリア全体を包み込むようにして……」
体内で練り上げた魔力をゆっくりとヌートリアへと流し込んでいく。
攻撃魔法みたいな外部に作用する魔法は
「全体に魔力が行き渡ったら、後は体内に残った血を首の切り口から流れ出るようにイメージしてやれば……」
そうつぶやいて、口にしたイメージを魔法へと変換する。
この世界の魔法は、魔力とイメージによるところがとても大きい。
攻撃魔法みたいに体外に魔力を放出する必要があるものについては魔力操作も重要になるけれど、この血抜きのような魔法であればその二つだけでどうにかなる。何なら、
「うん、上手く流れ出てきたね」
久しぶりに試した魔法だったけれど、上手く発動できたみたいで良かった。
「後は水で洗って、内臓を抜いて、皮をはいで、お肉を切り分ければ終わりかな。……言葉にするとまだまだ作業が残っている気がするね。まあ、やるしかないのだし、一つずつやっていきますか」
そう言って、残りの作業に取り掛かることにした。
「おいしー」
その日の夜、さっそく調理したヌートリアのお肉を食べてみると予想以上においしかった。
狩りで手に入れたお肉は、血なまぐさかったり、硬かったりというイメージがあったけれど、普通においしいお肉だった。さすがに高級なお肉みたいな味とまではいかないけれど、素人の私が自分で解体したお肉としては十分過ぎる味だ。
「これはもう、森での狩りを続けていくしかないね」
味は予想以上で満足できたけれど、お肉となる量自体は元の大きさが大きさだけに少なかった。一食で使い切るほど少ないわけではないけれど、二、三日で使い切ってしまうくらいには量が少ない。
「というか、保存の方法とかも考えないといけないのか……」
素直に狩りの頻度や罠の数を増やすことを考えたけれど、それをやって
とりあえず、お肉を確保する目途は立ったけれど、まだまだやることも考えることもたくさんありそうだ。
第33話
魔法の話
「さて、お肉の確保も目途が立ったことだし、先送りにしていた魔法の訓練にも手を付け始めようかな」
朝の日課を終え、地下の実験室で一人気合を入れる。
本来であれば、森の探索をするより前に始めるべきだったのだけれど、思いのほか魔法陣が便利だったのでついつい後回しにしてしまっていた。
けれど、魔の森に異変が起きているという話もあるし、魔法陣以外の手段も用意しておきたい。魔法陣は便利ではあるけれど、想定外のケースに対応できないから。
「というわけで、まずは基本のおさらいからだね」
そう言って、領都から持ってきた魔法の教本を開く。同時に太字ででかでかと書かれた一文が目に飛び込んできた。
〝魔法とは魔力を用いて
魔法を学んだことがある人間であれば、必ず一度は目にしたことがあると言われるほど有名な言葉だ。
家庭教師のおじいさん曰く、『魔法の基本を示す言葉でありながら、この言葉一つに魔法の全てが詰まっている』らしい。
「まあ、要は魔法を使うためには魔力とイメージが重要だということだよね」
というよりも、この世界の魔法は魔力とイメージ次第という方が正しいのかもしれない。
実際、発動させたい魔法の明確なイメージがあって、それを発動させるに足る魔力さえあれば、どんな魔法でも理論上は発動させることが可能だとされているし。
「とはいえ、本当に魔力とイメージだけというわけにもいかないのよね。まあ、突き詰めていけば魔力とイメージということになるのかもしれないけれど」
そもそも人間が普段無意識に
「魔力を練り上げる技術と魔力を移動、放出する技術、まとめて魔力操作と呼ばれているけれど、この技術が必要になるのよね。というか、魔法訓練の実技は基本的にこの魔力操作を鍛えることになるのだけれど」
ちなみに、魔法訓練の座学は発動させる魔法のイメージを明確にする訓練になる。
魔法に必要なイメージには、発動時の光景などの漠然とした外面的なイメージと威力や範囲という設定や発動原理などの内面的なイメージの二種類がある。
座学で訓練するのは、設定や原理などの内面的なイメージが主で、外面的なイメージについては魔法の種類についての知識を増やす程度だろうか。
外面的なイメージを明確にするには、実際の魔法を見たり使ったりするのが一番効率が良いので、魔法訓練の実技や応用で鍛えることになる。
「座学で魔法の知識をつけてイメージを鍛え、実技で魔力操作を鍛える。そして、最後に応用編として、座学のイメージと実技の魔力操作を使って実際に魔法を使う、と。魔法の訓練の流れとしては、こんな感じかな」
パラパラと流し読みしていた教本を閉じて、訓練の流れを
領都で行っていた魔法の訓練は広く浅くという形だったけれど、これから始める訓練は魔の森で自分の身を守るためのものだ。そのあたりも含めて、しっかりと訓練の方針を立てていきたい。
「訓練の流れを考えると、覚える魔法を検討するところからになるけれど、まずは昔教わったときと同じように魔力量の鑑定から始める感じかな。魔道具タイプのちゃんとした魔力鑑定器もあることだし」
そう言って、魔力鑑定器が置かれた棚へと目を向ける。
魔力鑑定の方法は大きく三種類あって、精度が高い順に魔道具、魔法陣、魔法を使った方法となる。
一般に使われているのは、魔法紙に魔法陣が書かれた魔力鑑定紙というものを使った簡易鑑定で、魔道具を使って鑑定することはほとんどない。
なので、基本的には教会で洗礼を受ける際の初めての魔力鑑定のときくらいにしか魔道具を使った鑑定は行われない。
まあ、この屋敷に魔道具タイプの魔力鑑定器があるように、ある程度の貴族家であれば自家で所有していて、頻繁に使っているのかもしれないけれど。
「まあ、細かいことを気にしてもしょうがないかな。せっかく目の前にあるのだから、気にせずに鑑定してしまいましょう」
机の上に持ってきた魔力鑑定器の前に立ち、ゆっくりと両手を伸ばす。
考えてみれば、魔力鑑定を行うのは五歳になったときに教会で調べて以来になる。それから三年も経っていないので大した変化はないと思うけれど、多少は期待したり、不安に思ったりしないでもない。
伸ばした両手が、球形に磨かれた鑑定用の魔石へと触れる。同時に
自分で魔力を流すのとは異なる微妙な感覚に耐え、そのままの状態で待つ。すると、ほどなくして魔力が抜け出る感覚がなくなった。
「ふー、少しは魔力が増えているかな」
閉じていた目を開き、鑑定器に示された結果へと目を向ける。
残念ながら一目でわかるような表示ではなく、温度計のように目盛りが伸びていくタイプの表示だ。
「えっと、ランクは……五、四、三、二で二級か。って、二級!?」
目盛りを読んで確認した結果に驚きの声を上げてしまう。
数え間違いかと見直してみるけれど、残念ながら級の境目には明確な線が引かれていて間違いということはなさそうだ。
「……前に調べたときは三級だったよね。確かに三級の中では多い方だったけれど、それでも三級の七とかだったはずなのに」
魔力量のランクとしては一級から六級まであるのだけれど、魔道具による鑑定の場合は各ランクをさらに十段階に分けて細かく調べることができる。
そちらに関しては単に一~十という表記で、数が増えるごとに量が多くなっていく。ランクについては、数が小さくなるにつれて魔力量が多くなるから微妙に紛らわしい。
「今の魔力量は二級の二か……。ほぼ三年で五段階アップとか、何が原因なんだろう?」
基本的に魔力量というのは、ほとんど増えることはない。そして増えたとしても生涯をかけて三段階アップぐらいが普通で、間違っても三年で五段階アップなどということにはならない。
魔力量が増えていることを期待していなかったわけではないけれど、さすがに一気に五段階も増えてしまうと不安になってしまう。
「あー、でもお母様は四級から三級に魔力量を上げたんだっけ」
不安の中、ふと昔何かの機会に聞いた話を思い出す。冒険者として一般的な四級から上位層の入り口である三級まで魔力量を上げたことで、より上を目指せるようになったのだと。
確か、それで名が売れるようになって父である侯爵の目に留まったという話だった気がする。
「つまり、遺伝ということ?」
確かに魔力などの魔法的な才能は遺伝しやすいと言われているけれど……。
こんなことになるのであれば、お母様からどれくらい魔力量が増えたのかも聞いておけば良かった。
第34話
魔力の話
いつの間にか魔力量が増えてしまっていたけれど、これはどうすればいいのかな? いや、魔力量が増えたこと自体は、使える魔法も増えるし良いことではあるのだけれど。
「というか、二級って結構貴重な存在だよね、確か」
一度閉じた教本を再び開いて確認すると、魔法使いのランクは次のように定義されていた。
特級 : 歴史に名が残るような英雄、世界規模の魔物災害に対応できる
一級 : 王族や王族の血をひくごくわずかの人、国レベルの魔物災害に対応できる
二級 : 上級貴族など代々魔力量が多い血筋を持つ人、都市レベルの魔物災害に対応できる
三級 : いわゆる魔法使いと呼ばれる人、個の魔物災害に対応できる
四級 : 戦闘の補助として魔法を使うことができる人、魔法のみでの戦闘は厳しい
五級 : 一般人
六級 : 魔力なしや何らかの事情で魔法を使えない人、ほぼいない
「都市レベルの魔物災害に対応できるとか、これはバレたらダメなやつなのでは?」
確認した内容に思わずこぼしてしまう。
さすがに二級の魔力量があるから即二級の魔法使いとなるわけではないけれど、素質としてはそれだけのものがあるということになる。
まあ、それだけの実力を手に入れられること自体は構わないのだけれど、問題はそんな奴を国が放っておいてくれるのかということだよね。二級以上に分類される人たちの内訳を見る限り、どう考えても十分な人数がそろっているとは思えないし。
「今さら、国に仕える魔法使いになるというのもねぇ。侯爵家から放り出されてすぐの頃ならともかく、この屋敷での生活に慣れてきた今になってそういう可能性を出されるのはちょっと……」
まあ、私がイヤだと言ったところでどうにかなる問題ではないのだろうけれど。
とりあえず、そんな未来を回避するためにも、魔力量が二級になったことは全力で隠し通すしかない気がする。
「というか、魔力鑑定ってどういうタイミングで受けるものなんだろう?」
よく考えてみると、五歳になったときに教会で調べる以外に魔力鑑定を受けるタイミングを知らない。いやまあ、たぶん魔法関係の仕事に就く人であれば、そのときにも魔力鑑定を受けるとは思うのだけれど。
……あぁ、後は学園に入学するときにも魔力鑑定を受けるんだっけ。今となっては関係ないことだけれど。
「このままの生活を続けるのであれば、可能性があるのは冒険者として登録するときかな? 登録に魔力鑑定が必要になるかはわからないけれど、必要なのであれば冒険者になるのを諦めないといけないかもしれないね。まだ先の話ではあるけれど、それとなく確認しておこうかな」
まあ、将来的に冒険者登録をしておいた方が便利だと思うから登録したいというだけであって、別に無理してまで冒険者になりたいわけではないし。なので、これについては一応回避可能だと思う。
「他に可能性があるとすると、どういうケースなんだろう? 大きな街に入るときとか? いやでも、さすがに街に入る人全員の魔力鑑定なんてやらないか。入国審査くらいになるとやるかもしれないけれど」
そうなると、将来的にこの国から出るのは難しいのかな。でも、冒険者として他国に入国するのであれば魔力鑑定で二級だとバレても問題なかったり?
「まあ、今のところ他国に行く予定はないから関係なさそうだけれど。そうなると、自発的に魔力鑑定を受けることになる可能性よりも、人から魔法で魔力鑑定される可能性の方が高いのかな? なんとなく用心深い冒険者とかはそういうことをしそうなイメージがあるし」
ただ、魔法による魔力鑑定だと、魔法の使用者との相対的な魔力量しかわからないんだよね。そうなると、私の魔力量が二級だとはっきりわかる人はあまりいないのかな?
まあ、魔法の精度次第だとは思うけれど、魔力量の差が大きくなればなるほど、相対的な差では魔力量のランクはわかりにくくなると思うし。
「とりあえず、考えてみた限りだと魔力量がバレる可能性は低そうなのかな。魔法による魔力鑑定だけ怖いけれど、よく考えてみると相手が冒険者であればそんなに問題にはならない気もするしね。バレたら問題になりそうなのは、国とか貴族の関係者とかだろうし」
そもそも今の状況で国のお役人に会う機会なんてないだろうし、貴族関係もラビウス侯爵家の関係者くらいしかこんな辺境の町に来ることはないと思う。冒険者やギルドについても、国や貴族とは一定の距離を取っているはずだから問題ないはず。
そう考えると、思ったよりも大丈夫な気がしてきた。
第35話
魔法の選定
色々と考えてみた結果、魔力量の増加がバレる可能性が思ったよりも低そうだとわかったので、当初の予定通り魔法の訓練に戻ることにする。まあ、まずは魔法の選定からになるのだけれど。
「おすすめというか、基本になるのは魔法の属性を決めてアロー系、ボール系、ウォール系の魔法を覚えることみたいだね。特に覚えたい魔法があるわけでもないし、教本のおすすめ通りにしておきましょうか」
最後まで目を通してみたけれど、特にコレというような魔法はなかった。まあ、基礎を学ぶための教本なので仕方ないことなのかもしれないけれど。
「それにしても属性かー。とりあえず、森の中で使うから火の魔法はダメだろうし何が良いんだろう?」
この世界の魔法には、生まれ持った得意属性などというものはない。けれど、人によって発動させやすい属性というものはある。
要は、魔法発動の際にイメージが重要になるので、その属性のイメージのしやすさが得意不得意につながってくるということだ。
「生活魔法の着火と造水、光球は使えるから、火と水、光の属性については最低限のイメージができていることになるはず。まあ、どれも身近なものをイメージするだけだから、使えない人の方が少ないのだけれど」
着火は指先に火を
この中だと光球だけ難易度が高いものになるかもしれない。実用性を考えると、手元に作り出してから離れた位置に動かす必要があるから。
そんなことを考えながら、実際に手元で魔法を順に発動させていく。
どの魔法もそれなりに使う機会が多いこともあって、特に問題なくスムーズに発動させることができた。
「生活魔法と呼ばれるような誰でも使える魔法だし、あまり参考にはならないか……。考えてもわからなさそうだし、実際に試してみた方が早いかな」
というわけで、魔法を試すために屋敷の裏にある薬草畑へと移動した。魔素異常対策のために薬草を刈り取ったままの広いスペースがあり、軽く魔法を試すにはちょうどいい場所だったので。
「アースウォール」
ひとまず、魔法を試射するための的を魔法で作り出す。
魔法を試すために魔法を使うという行為に疑問を感じないでもなかったけれど、気にしないことにする。いちいち的となるものを用意するのも面倒くさいし、目的は属性ごとの発動のさせやすさを知ることなので準備に使う分はノーカンということでいいと思う。
「思ったよりも頑丈そう?」
魔法で出した壁をペタペタと触って確かめてみると、思ったよりもしっかりとしていた。
イメージは土を固めた壁だったのだけれど、そういう外見的なイメージよりも、魔法の的にするという目的からのイメージが優先されて強度が高くなっているのかもしれない。
「まあ、的としての役割を果たしてくれればいいか。イメージに関する調整というかブレに関してはこれからの訓練でどうにかするということで」
的となる壁に背を向け、距離を取るために歩き出す。
気づけば薬草畑で草を食んでいたはずのオニキスが近くに来ていた。最近は畑のお世話以外だと森に行くことが多かったし、ここで何かしているのが珍しかったのかもしれない。
「今から魔法の試し打ちをするから、念のために離れていてね」
近づいてそう説明するも、オニキスは離れていく様子がない。どうやら、見学するつもりらしい。
「見ているというのであれば、後で感想でも聞いてみようかな。まあ、最後まで見ていてくれるかは疑問だけれど」
言葉としての感想はもらえないかもしれないけれど、好き嫌いくらいの反応はもらえるかもしれない。
気持ちを切り替えて、さっそく魔法の試射に移る。
「ファイアアロー!」
魔法がイメージしやすいよう、両手を突き出した状態で魔法を発動させる。
両手からやや離れた位置に火でできた矢じりが生まれ、的までの十数メートルの距離を一直線に飛んでいく。
数瞬後、ドッという鈍い音を立てて衝突し、的に黒い焦げ跡を残した。
「……威力はないけれど、こんなものなのかな?」
的の一部に焦げ跡を残す程度の魔法の威力に不安を覚えたものの、基本となる初級魔法だということで納得しておく。そういえば、教本の説明にも弱い相手に使ったり、複数を同時に発動させて牽制に使ったりすると書かれていた気がするし。
「まあいいや、他の属性もどんどん試していきましょう」
そう決めて、次々と試していくことにした。
「うーん、正直に言って属性による違いで特に差は感じなかったかな。……オニキスはどれが良かったと思う?」
思いつく限りの属性で試してみたけれど、ピンとくるものはなかった。なので、結局最後まで見ていてくれたオニキスに聞いてみたのだけれど、残念ながら首を振るだけだった。
「ダメか。じゃあ、テキトーに決めちゃいましょう」
属性による発動のしやすさというものは感じられなかったけれど、矢としてのイメージのしやすさというものはあったので、それを基に決めることにする。
「候補としては、土か氷かな? 別にアロー系の魔法しか使わないというわけではないけれど、使う機会は多くなりそうだし硬くなるイメージがある方が良いんだよね。ボール系に関しては範囲魔法だから少し違うけれど、ウォール系も壁としては硬い方が良さそうだし」
土の魔法については、的として使ったアースウォールが強度を証明してくれたように、安定して使えそうな気がする。氷の魔法についても土と同じように強度を強くできそうだし、こちらに関しては鍛えていけば水の魔法も上達するのではないかという期待がある。
「……よしっ、氷の魔法にしよう!」
手元で土と氷の塊を作り出し、気持ち発動が早かった氷を選ぶことにする。
気のせいかもしれない程度でも発動が早い方が良いし、何より土よりも氷の方が可愛い気がするしね。
第36話
魔法の訓練
魔法の選定を終えて訓練を開始したものの、数時間も経たないうちに問題が発覚した。
開始当初こそ、自由に魔法を撃ち放題できる環境を楽しんでいたけれど、ふと気づいてしまったのだ。〝あれ? これって魔法の訓練になってないのでは?〟と。
まあ、魔法を使っていればイメージの強化にはなるので訓練になっていないは言い過ぎなのだけれど、少なくとも事前に想定していた魔力操作の訓練にはなっていなかった。
魔法の選定をしていたときは特に意識していなかったけれど、アロー系の魔法だと魔力操作なしで使えていたんだよね。
そうなると、訓練を始めてから撃ち続けていた魔法も当然魔力操作など必要としないわけで。だから、魔力操作の訓練になる方法を考える必要が出てきてしまった。
「うわぁ、一面氷漬けだぁ……」
〝より高度な魔法を使えば、必然的に魔力操作も必要になるのでは?〟と思いついて、ボール系の魔法を試した結果がこれです。いやー、思いつきで行動するのは良くないね。
「いや、
魔法の選定のときと同じように、薬草畑の空きエリアで試していたので実質的な被害はない。けれど、正直あまり気分の良い光景ではない。
かといって、氷を溶かすためにファイアボールを撃ち込んでも更なる惨事が起きそうなだけというのがね……。
しかも、こんな被害を出したにもかかわらず、試してみたアイスボールの魔法でも魔力操作を必要としなかったという事実が悲しい。結果として訓練に使っていた場所を無駄に氷漬けにしただけで、何の成果も得られなかったのだから。
「やっぱり、人間たるもの先人の知恵に頼らないとね」
というわけで、屋敷に戻って資料を
幸いなことに前住人が魔法の研究をしていただけあって、魔法関連の本や資料は大量に残されている。これだけあれば、魔法の訓練に関するものもあるはずだ。
「結局、使えそうなのはこの三冊だけか……。というか、この〝基礎から始める魔力操作入門〟を最初に見つけていれば、お昼には探すのを終わらせていたのに」
昼食を挟みつつ、半日かけて探し続けて見つかったのは次の三冊だった。
〝魔力の効率的な運用〟
〝魔力が増える仕組みとその効率化〟
〝基礎から始める魔力操作入門〟
この順で見つけたのだけれど、一冊目の〝魔力の効率的な運用〟がお昼前に見つかっていたので、それが最後に見つけた〝基礎から始める魔力操作入門〟であればと思わずにはいられない。まあ、嘆いたところで時間は戻らないので、実験室の蔵書の確認ができたと納得しておくしかない。
「見つけた本も特に目新しい内容じゃなかったというのが悲しいんだよね。一応、〝基礎から始める魔力操作入門〟を参考に訓練するつもりではあるけれど、流し読みした限りでは今まで身体強化魔法を使っていたのとあまり変わらないような訓練になりそうだし」
とりあえす、今日のところは見つけた本の内容を確認して、実際の訓練は明日からかな。細部まで読み込めばもう少し有用なことも書いてあるかもしれないし、それに期待することにしましょう。
昨日の夜に読み込んだ本の内容を基に、さっそく訓練を始めてみる。基本となるのは、〝基礎から始める魔力操作入門〟に書かれていた内容だ。
他の二つに関しては、研究論文のようなものだったので訓練としてそのまま採用することは難しい。内容自体はそれなりに興味深いものだったのだけれど。
「くぅ、また失敗したっ!?」
最初に選択した訓練は、魔力操作の基本となる魔力移動の訓練になる。
私としては、身体強化魔法を使うときに体内で魔力を循環させていたから簡単な訓練だと思っていたのだけれど、実際に試してみると予想以上に難しかった。
いや、魔力を動かすこと自体はできているのだけれど、必要な量を必要な場所に動かすという魔力移動が上手くいかない。身に纏っている魔力全体を動かすのであれば簡単なのだけれど、一定量だけというのが思いのほか難しい。気づいたら動かしている魔力が大きくなっていたりするので。
「うわっ、でか過ぎっ!?」
続いて試しているのは、これまた魔力操作の基本となる魔力を練り上げる訓練。
私の場合、普段から身に纏っている魔力だけで大抵の魔法は使えてしまうのだけれど、それでは訓練にならないので意識的に練り上げた魔力だけを使って魔法を使う訓練になる。特定の魔力だけを使うことになるので、先にやっていた訓練の応用にもなるね。
何度か試してみた結果わかったことは、今までがどれだけ雑に魔力を練り上げていたかということ。一定の量を意識しているにもかかわらず、練り上げた魔力量が毎回バラバラになってしまう。
結果、アイスアローとして魔法を発動させても、サイズや威力がそろわない散々な結果になっている。何も考えずに撃っていたときは、サイズや威力がきれいにそろっていたのに……。
「あっ、また崩れたっ!?」
そして、最後に試しているのが発動させた魔法を保持する訓練。初日の今日は、空中に水球を浮かせてその数を増やしていくという訓練をしている。
残念ながら、現状では三つまでしか保持できない。同時に水球を作り出すだけであれば、十個以上でも余裕なのだけれど。
この訓練は先に行った二つの訓練の応用にあたり、複数の魔法を同時に展開するための訓練になる。将来的には、保持したままの水球の大きさを変化させたりということもやることになるのだけれど、この調子だと随分と先のことになりそうだ。
「なんというか、魔法が下手になった気がするよ」
その日の夜、ベッドの中で訓練を振り返って愚痴る。
本当に下手になったわけではないと思うけれど、少なくとも訓練している魔力操作に慣れるまでは一時的に発動が遅くなるという弊害はあるかもしれない。
ただ、今日の訓練の最後に魔力量を意識してアイスボールを放ったときには、一面が氷漬けになるということはなかった。なので、将来を考えるとこの魔力操作の訓練は必要なことなのだろうとは思う。
正直、鍛えているというよりは手加減の方法を覚えようとしているような感覚になるのが悲しいところではあるけれど。
「魔力操作の訓練は続けるとしても、別で魔法の開発でもやってみようかなぁ」
今日の訓練でずっと我慢を強いられていた影響か、ふとそんなことを思いつく。
戦闘系の魔法を思い切り撃ちまくるというのがストレスの発散には良さそうだけれど、さすがに威力の調節ができるようになるまでは難しいだろうし。そうなると、戦闘系以外の魔法になるのだけれど……。
「前住人に倣って、空間魔法の研究でもしてみようかな。容量が小さくても魔法でアイテムボックスが使えるようになれば便利だろうし」
実験室の資料を漁ってわかったことなのだけれど、空間転移が再現できていないだけで、実は空間魔法のアイテムボックス自体は結構使える人がいるらしいのだ。まあ、それなりに難度の高い魔法らしいけれど、前世の知識があって魔力量が増えた今の私であれば、案外簡単に使えるようになるのではないかと思ったりもするし。
「まあ、そのあたりもゆっくりと試していけばいいかな」
第37話
気ままな生活を目指して
魔法の訓練を開始してしばらく経った。幸いなことに、新たな問題が発生することもなく順調に訓練できていると思う。
ちなみに、同じように研究し始めた空間魔法については、何の成果も出ていない。
前世の知識があれば余裕だろうと楽観的に考えていたのだけれど、そう簡単な話ではなかったみたいだ。少なくとも私がイメージする空間魔法では、魔力不足になってしまって魔法を発動させることすらできていない。
何気に魔法を不発させるのが初めてだったので、何も起きずに魔力だけが霧散していくというのは地味にショックだった。まあ、訓練のときに不発時の現象を体験できたこと自体は良かったのかもしれないけれど。
こちらの研究に関しては、一度に練り上げる魔力量を増やすことでどうにかできないかと考えている。もちろん、屋敷の研究資料を読み込んで空間魔法に関する知識を増やすことも並行してやっていくつもりではあるけれど。
魔法以外の生活についても、比較的順調だと思う。不安があるとすれば、新しく育て始めた薬草がちゃんと育ってくれるかどうかだろうか?
異常成長していた薬草の在庫が切れそうなので新しく育て始めたけれど、一から育てるのは初めてなので少し不安ではある。まあ、停止させていた魔道具も再稼働させているし、野菜畑の方で野菜が順調に収穫できていることを考えれば、問題ない気はするけれど。
これに関しては、どちらかというと薬草の買い取り価格が下がるであろうことの方が問題かもしれない。おそらく新しく育てた普通の薬草だと、今の割増の価格から通常の価格に戻ってしまうだろうから。
後は、箱罠を使った狩りについても順調だ。
罠の数を増やして屋敷の左右の森を交互に使うようにしたり、罠の位置を変えたりすることで、今のところ空振りに終わることなく狩りができている。今まで狩りをする人がいなかったからこそのボーナスタイムのようなものだとは思うけれど、森の広さや狩りの頻度から考えて、私一人であればお肉の心配をする必要がないのではないだろうか。
次に町に行ったときには、小麦についても育てられるように手配するつもりだし、それが成功すれば食に関する心配は大きく減るはずだ。まあ、塩などの調味料なんかは町に買いに行くしかないけれど、それでも調味料だけであれば町に買い出しに行く頻度は一気に落ちると思う。
着るものに関しても、季節ごとに買えば大丈夫だろうし。
屋敷の前住人が女の人だったら、屋敷に残っていたものでどうにかするというのも可能だったかもしれないけれどね。まあ、さすがに男性物の服でどうにかしようとまでは思わない。侯爵家だけあって、残されていた衣類は質の良いものが多かったのだけれど。
「こう考えると、屋敷に引きこもってひっそりと気ままに生活する未来がようやく現実的になってきたのかな?」
食に関しては目途が立ったし、生活に必要そうなものは一通りそろえたと思う。
金策に関しても、薬草畑の魔道具が壊れない限りは問題なさそうだし、そもそも異常成長した薬草のおかげで、既にある程度の蓄えはできている。将来のことを考えると、お金はあればあるだけ安心できるけれど、そこまで切羽詰まった状況でもないので気長に増やしていけばいいと思う。
まあ、このまま行くとその将来が引きこもりか冒険者の二択になりそうなのがアレだけれど。
「これで、魔の森の異変が問題なく収まってくれれば一番いいのだけれどね」
遠い将来のことから思考を切り替えて、近い将来のことについて考える。
魔の森の異変については、前回の買い出しのときには特に情報が入っていなかった。ただ、ギルドのティナさんの反応を見る限り、あまり良い状況ではなさそうだったのが心配だ。
「まあ、心配したところで私にできることはないけれどね」
そう口に出してみるものの、一度生まれた不安感を完全に払拭することは難しい。本当に何事もなく異変が収まってくれると良いのだけれど。