
第01話
道中の考え事
「暇だ……」
領都を出るまでは、のんびりと小さな窓から見える街の風景を眺めていた。領都を出てからも、しばらくは普段目にすることのない街の外の風景を見て楽しむことができた。
けれど、それも長くは続かない。
当たり前だ。いくら物珍しいからといって、同じような風景が数十分も続けば飽きもする。
「明日から、いや、今日の午後から何か暇をつぶせるものを用意しよう」
見飽きた風景が流れる窓から目を離し、一人決意する。
ただ、荷物として積み込んだ本は既に読んだものばかりだし、できるとすれば
「とはいえ、次の休憩かお昼になるまでずっとこのままというのもね……。そういえば、新居の前住人は結構な変わり者だったらしいけれど、変人と呼ばれるような人が残したお屋敷ってどんなところなんだろう」
軽快に走る馬車の小気味よい揺れを感じつつ、ふと抱いた新居に対する疑問に対して事前に聞いた情報を思い出してみる。
新居がある場所は、ラビウス侯爵領の外れにある魔の森近くの町だと聞いている。ラビウス侯爵領は王国の端に位置するので、いわゆる辺境と呼ばれる地域だ。
そして、新居となる屋敷については、何代か前の侯爵家当主の弟が使用していたらしい。なんでも、彼は相当な研究バカだったらしく、静かな環境と研究資源となる素材を求めて、辺境の森の調査という名目で資金を奪い取っていって屋敷まで建てたのだとか。
一応、森から採れる素材の調査は
ただ、辺境の森に冒険者たちが集まり出してからは、ほとんどの時間を自身の研究に使うようになったらしいけれど。
まあ、研究の片手間の調査で自家に利益をもたらす成果を出していたのだから、優秀な人だったのだとは思う。単に研究バカだったというだけで。
で、そんな人が残した屋敷には、当時の研究資料などが残されたままらしい。
どちらにせよ、今回のことがあるまで前住人がいなくなった状態のまま放置されていたというお屋敷だ。さすがに今回のために何の手も入っていないということはないだろうけれど、どんな状態になっているのやら。
「……とりあえず、まともなお屋敷だといいのだけれどね」
正直、研究バカと呼ばれるほどの変わり者が建てた辺境のお屋敷ということもあって、どちらかというと期待よりも不安の方が大きいかもしれない。
一応、新居にも屋敷を管理してくれる使用人がいるはずだけれど、どこまで期待できるのか。
わざわざ侯爵家から資金を分捕ってまで研究に没頭したというのだから、屋敷の中が膨大な研究資料で
「とはいえ、結局のところは実際に屋敷を確認してみないことにはどうしようもないのよね。単に考え過ぎという可能性だってあるのだし」
まあ、色々と不安なところもあるけれど、残されているという研究資料なども気になったりするしね。もしかしたら、私にとって実は素晴らしいお屋敷という可能性だってあるのだし。
最終的にそんな結論を出し、新居に対する思案を終えることになった。
しばらく新居に思いを
「はあ、こんなに暇を持て余すのは赤ちゃんだった頃以来かも……」
お母様が亡くなってからずっと忙しかったこともあり、やることがない時間というものをつい持て余してしまう。もしかしたら、お母様が亡くなったことや環境が変わることに対する精神的なものもあるかもしれないけれど。
「あの頃はどうやって暇をつぶしていたんだっけ?」
あの頃。
生まれ変わったことに気づいて、自分の置かれた状況に戸惑っていた頃。赤子の
できたのはただ泣き声を上げて、周囲へと訴えることだけ。そうするとお母様が私を抱き上げてあやしてくれたっけ。
お母様の腕の中に抱かれていると、理解の追いつかない状況に対する戸惑いや不安がきれいに消えていった。
「お母様……」
結局、昔のことを懐かしんでいる間に眠ってしまっていたようだ。昼食のために休憩を取る際に、護衛の人に声をかけられて目を覚ました。
寝起きのぼんやりとした思考のまま昼食を受け取り、馬車の中でそのまま食事をとることになった。で、そうしているうちに荷物から暇つぶしのための道具を取り出してもらうように頼むのを忘れていた。
そのことに気づいたのは、休憩を終えて馬車が動き始めてからだ。
「やってしまった……」
思わず後悔の言葉が出てしまうけれど、もはや手遅れだ。移動中も適宜休憩が挟まれるとはいえ、さすがに馬車から荷物を降ろすような時間はない。
まあ、目的の物がどこに積まれているのかがはっきりとわかっていれば不可能ではないけれど、あいにくと荷物を積み込んだのは私ではない。さすがに短い休憩の間に荷物をかき分けて探し出せなんてことは言えないし、今日のところは諦めるしかないようだ。
「仕方ないし、これからのことでも考えましょうかね」
そうつぶやき、これからのことについてぼんやりと考えながら、移動初日の道中を過ごすことになった。
第02話
新居
「予想以上に
町へと続く行列を見て、そんな感想がこぼれる。
馬車に揺られること三日、とうとう新居がある目的の町へとたどり着いた。
冒険者たちが多いとは聞いていたけれど、短いとはいえ入るのに行列ができるような町だとは思わなかった。並んでいるのは商人の馬車みたいなので、単に商人たちの一行にかち合っただけという可能性もあるけれど。
とはいえ、これだけの馬車が来る程度にはこの町が賑わっていることは間違いないはず。まあ、これからこの町に住むことを考えると、寂れた町よりは賑わっている町の方がうれしいので、歓迎すべき光景かもしれない。
「やっぱり冒険者が多いみたいね」
特に問題なく門を通過し、通りを進む馬車の窓から町の様子を眺めてつぶやく。
あまり領都の屋敷から出かけることがなかったので確かなことはわからないけれど、行き交う人の数は領都と変わらないかもしれない。ただ、領都とは違って行き交う人の多くが腰に武器をぶら下げているので、その多くが冒険者と呼ばれる人たちだと思う。
そのことを意識して改めて町の様子を見ていると、宿屋や食事
「あれ?」
ぼんやりと町の様子を眺めながら馬車に揺られていると、馬車がゆっくりと停止した。
目的地に着いたのかと外を確認するも、目に映るのは何故かこの町に入るときにも目にした外壁。思わず疑問の声も出るというものだ。
どういうことなのかと悩んでいる間に、再び馬車が動き出す。
そして、そのまま町を囲む外壁をくぐり抜け、町から離れるように進み出した。
「えっ? えっ? 本当にどういうこと?」
驚きにまたしても疑問の声を漏らすが、御者台にまでは聞こえていないのか、答えが返ってくることはなかった。
「お嬢様、屋敷に到着しました」
内心の不安をよそに馬車はどんどんと進んでいき、国境となっている未開の森が見えてくる。嫌な予感が大きくなっていく中、馬車はゆっくりと森へと近づいていき、森の中の道を進んだ先に一軒の屋敷が見えたところで御者のベイルから声をかけられた。
信じたくないという思いを抱えつつも、しっかりと自分の足で停止した馬車から降りる。
目の前には森の中には不似合いな立派な屋敷があった。
「思っていたより大きいのね」
周囲の森のことはあえて無視して、目の前の屋敷について感想を述べる。
おそらく、今まで住んでいた屋敷と同じかそれよりもやや大きいくらいなのではないだろうか。正直、使用人たちが一緒に住むとはいえ、私一人のために用意するには大き過ぎる気がする。
実は私が知らないだけで、他にも似たような境遇の子供がやってきたりというような話だったりするのだろうか。私よりも幼い弟や妹には、
「では、屋敷の中をご案内します」
ぼんやりと屋敷を眺めたままそんなことを考えていると、ベイルから声をかけられる。
こちらを確認してから屋敷へと歩き出す彼に続き、私も馬車に持ち込んでいた荷物とともにその後へと続いた。

ベイルに続いて屋敷へと入ると、そこは貴族家の屋敷らしく吹き抜けの玄関ホールとなっていた。
正直、こんな辺境の森にある屋敷にそんなものが必要なのかと疑問を覚えるけれど、きっと
無駄に広い食堂にキッチン、使用人用の部屋、後は応接室が二部屋あった。一応、私が住むことになるということで改修工事の手は入っているらしく、キッチンの水回りなどは新しくなっていた。
ただ、時間がなかったからか費用をケチったからかはわからないけれど、手が入っているのは最低限らしく、応接室などはそのままの状態で放置されていた。
具体的に言うと、二部屋あるうちの一部屋が完全に物置と化していた。おそらく、一部屋を使えるようにするためにもう片方の部屋を諦めて荷物を詰め込んだのだと思う。
一階を回った後は二階へと移動する。こちらには屋敷の主人のための執務室に主寝室、それに客室が三部屋あった。
一応、私が主人になるということで執務室と主寝室が片付けられていたけれど、はっきり言ってあんな広さはいらない。正直、私にとっては客室の広さでも広いくらいだ。
その後、最後に向かったのが地下室。
この地下室は二部屋あって、片方は備蓄などに使われる倉庫になっているようだ。まあ、食材だけでなく屋敷の維持管理に必要な道具なんかも置かれているみたいだけれど。私が見に行ったときには、馬車に積まれていた備蓄用の小麦などが収められた後だった。
そして、もう一つある地下室は実験室だった。
以前の住人が研究者だっただけあって、何に使うのか一目ではわからないような雑多な道具が転がっていた。ちなみに、この地下の実験室がこの屋敷で一番大きな部屋だったりする。
「では、我々はこれで失礼させていただきます。できれば、この屋敷の使用人が到着するまで残りたかったのですが、何分予定が詰まっておりますので」
「いえ、引っ越しを手伝ってもらえただけでも十分です。屋敷が無駄に広いところが落ち着かないですが、心配しなくとも一人で待つくらいのことはできますので」
屋敷の確認を終え、簡単な昼食をとってから一階の応接室で休んでいると、ベイルが私に向かって辞去の言葉を述べてきた。
ベイルが用意してくれた食後のお茶を飲みながらまったりとしていたのだけれど、彼らは私のようにゆっくりするような暇もないくらい忙しいらしい。
正直、馬車で三日もかかるのだからお茶の時間くらい誤差だろうと思ったりもするのだけれど、無理に引き留めることもためらわれる。彼が言う通り、屋敷の使用人が到着するまではと思わなくもないけれど、それを口にするくらいには本当に忙しいのだろうし。なので、私にできるのは、礼を述べて引き留めることなく見送ることくらいだ。
手に持っていたカップを置いて、部屋を出る彼の後に続く。
「では、失礼します」
屋敷の外まで見送りに来た私に対し、丁寧に頭を下げてからベイルが御者台へと乗り込む。それを見ながら、そういえばベイルたちのことをほとんど聞かなかったなという思いが浮かぶ。
一応は主家筋の人間と使用人という立場だったとはいえ、ここまで三日もともにいたのだからお互い薄情なものだと思う。
結局、彼らのことは名前と本宅の使用人たちだということくらいしか知ることがなかった。そんなことを考えながら、敷地を出ていく馬車を見送った。
「とりあえず、屋敷についてはまともだったのかな」
応接室へと戻り、一人になった寂しさを紛らわすようにつぶやく。
移動初日に考えたように、実際にこの屋敷を見るまでは変わり者の研究バカが建てたという屋敷について不安に思う気持ちもないではなかった。
けれど、実際にたどり着いてみると、町の中ではなく町から離れた森の中にあるということ以外は思ったよりもまともな気がする。
「いやまあ、森の中にあるという時点で相当にダメな気もするけれど」
とはいえ、屋敷が建てられている敷地には結界が張られているようだし、買い出しなどが不便だということ以外はそこまで気にしなくてもいいのかもしれない。そもそも、買い出しなどは使用人たちが行くことになるのだろうし。
「そうなると、残る問題は父であるラビウス侯爵がこの屋敷で私をどうしたいのかということかな」
まあ、一番の目的は新しく嫁いできた元王女様から遠ざけることだったとは思う。けれど、それ自体は私がこの屋敷に移住してきたことで果たされているはずなので、その次の目的として何を求められるかという話だ。
「なんとなく、政略結婚の駒として使うための教育みたいなものを受けることになると思っていたのだけれどね」
一応、領都の屋敷にいた頃にも簡単な貴族教育的なものは受けていたし、順当に考えるのであればこの屋敷でも同じような教育を受けることになるのだと思っていた。
けれど、それにしてはこの屋敷の環境が微妙過ぎる。
いやまあ、もともとの目的を考えると当たり前なのだけれど、どう考えても隠居するためのお屋敷という感じなんだよね。ひっそりと暮らすことを目的にしているというか、貴族的な要素がほとんど見られないという感じで。
「まあ、これから環境が整えられるという可能性もあるけれど」
とはいえ、現状の屋敷の様子を見るにその可能性は低い気がする。明らかに屋敷の改修のためにかける労力がケチられているので、私にかけられている期待というのもそれ相応なのだと思うし。
まあ、そもそも私はラビウス侯爵家の六女で、上には男女ともに五人の兄、姉がいるからね。加えて、下にも弟、妹がいて、今後も増えそうな気配があるのだから、妾の子である私のことは必然的に後回しにされるはず。
そう考えると、私の将来については、下位貴族か有力な商家に嫁がされるというのが有力なのかもしれない。まあ、ラビウス侯爵家は色々なところと縁をつなぐことで栄えてきたらしいから、いきなり変わったところが嫁ぎ先として候補に上がるかもしれないけれど。
「……どちらにせよ、今の段階で色々と考えても推測の域を出ないのよね」
正直、今の段階では色々と考えてみたところで確かなことはわからない。結局は父であるラビウス侯爵の考え次第ということになってしまうのだから。
「であれば、遠い将来のことより、目の前にあるこれからの生活について考えた方がいいかな」
さっきも考えたように、この屋敷でガチガチの貴族教育を受けさせられることはないと思っている。つまり、領都の屋敷にいた頃よりも自由になる時間が増えるかもしれないということだ。
将来的な自由が期待できない以上、今のうちにやりたいことをやるくらいのつもりでいいのかもしれない。
お母様の意向によって侯爵家の娘としては珍しいくらいに様々なことを学んできているし、その色々をここでの生活で実践していくというのも悪くないかもしれない。
第03話
地下室
「さて、使用人の人たちが来るまでにもう一度屋敷を見回ってみようかな」
新しく用意したお茶を飲み終え、これからの予定を決める。
できればのんびりと将来のことを考えている間に使用人たちが到着してくれれば良かったのだけれどね。残念ながら、
ちなみに、使用人たちの到着予定時間は特に決まっていなかったらしい。ただ、私たちが今日の午前中に屋敷に到着する予定だということは知っているはずなので、ベイルは昼頃には到着するだろうと思っていたみたいだ。
けれど、昼を過ぎた今になっても使用人たちはやってこない。
まあ、私たちと別行動という時点であまり細かいことは気にしても仕方ないのかもしれない。この世界には携帯電話のような簡単に連絡を取り合うことができる道具は存在しないのだから。
いや、存在しないというのは言い過ぎか。
一応そういう魔道具もあるけれど、一般人が使えるようなものではないというのが正しい。もしかしたら、侯爵家当主の父は持っているかもしれないし。
そんなことより、どちらかというと使用人たちがどこから来るのかということの方が気になる。
ベイルからは、やってくる使用人は屋敷の管理をする夫婦が一組と私の世話をする侍女が一人だと聞いている。本宅から来たベイルたちと別行動だったことから本宅の人たちではないのだろうし、私が住んでいた屋敷の使用人たちはそのまま残ることになっていた。なので、他のところから来ることになるはずなのだけれど、領都だと本宅と私の住んでいた屋敷以外に使用人に余裕があるところはなかったはずだ。
そうなると、やはり先ほど通過した町からやってくるのだろうか。それだと今になってもやってきていないのが、不思議な気はするけれど。
まあ、そのあたりのことは到着してから確認すればいいか。まずは屋敷内の探検だ。
というわけで、気になっていた地下の実験室へと突撃する。
他の部屋が気にならないわけではないけれど、私が持ってきた荷物は多くないので片付けは済んでいるし、応接室やらキッチンなんかはやってくるであろう使用人に任せるべきだと思う。
あと、屋敷の周りも気にはなっているけれど、さすがに魔物が出るという森の中を一人で出歩くのは控えたい。まあ、敷地内であれば結界のおかげで魔物が入ってくることはないそうだけれど。
「うーん、何というか、すごいことになっているね」
壁に設置されている魔石に魔力を流して天井の明かりを
ベイルに案内されたときは、よくわからない道具が多いと思っていたけれど、よくよく確認してみるとそんな雑多な道具と同じくらい本や書類が乱雑に積み重ねられていることがわかった。
〝食べられる野草〟
ふと近くの本を手に取ってみると、そんな何とも言えないタイトルが目に入る。
〝簡単な錬金クッキング〟
〝魔物のさばき方〟
〝はじめての農業〟
近くに置かれた他の本にも目を向けてみても、並んでいたのはそんなタイトルばかり。
「……前の人は自給自足の生活を送っていたのかな」
そんなことをつぶやきつつ、気を取り直して今度は色々な道具が置いてある場所へと移動する。床にも本や道具が置かれているけれど、移動するための足の置き場がないというほどひどいことにはなっていない。
「こっちは錬金術関連の道具だね」
壁際に置かれた机の上に乱雑に置かれた道具には見覚えのあるものがいくつかあった。そうはいっても、実物を見たことがあったわけではなく、本の中で見たことがあっただけなのだけれど。
すり鉢やすりこ木、大小の鍋に様々なガラス瓶などが所狭しと置かれている。そんな中に紛れるように、なんらかの薬草や魔石、魔物の素材などもあったりする。
まあ、魔石や素材はともかく、薬草についてはどう見ても使えるような状態だとは思えないけれど。
そんな風に目についた道具や本を確認しながら移動していると、ふと気になるタイトルの資料を見つけた。
〝空間魔法とアイテムボックス〟
確認しようと手を伸ばすと周囲にも空間魔法に関する本や資料が積まれているのが見える。
「空間魔法の研究をしていたのかな」
空間魔法。
それはそれは便利な魔法だと言われている。
けれど、その魔法を使える術者は少ない。いや、いないと言った方が正しいかもしれない。
かつては、どこかの国の賢者とまで呼ばれた偉大な魔法使いが使えたという話だけれど、現在では使える者はいないという話だ。
かの賢者は空間魔法を利用することで、無限とも思える容量のアイテムボックスを持ち、瞬時に国から国を移動し、さらには独自の空間すらも持っていたという。
各国はこの夢のような空間魔法をこぞって求め、研究したらしい。
瞬時に国から国を移動するという空間転移がさぞかし魅力的だったのだろう。というより、国として考えれば他国が空間転移を利用できて自国が使えないという状況を恐れたのだと思う。
空間魔法、というより空間転移の存在が世に出た当時は、各国がその研究と対策に必死になったようだ。
けれど、そんな各国の努力もむなしく、空間転移は再現することができないまま、かの賢者は天寿を
それ以来、かなりの年月が
「まあ、暇をつぶすのには使えるのかな?」
そうは言いつつ、まずは先に見つけた魔法の基礎、入門編の本を使った勉強からということになると思う。
一応、お母様や侯爵家からつけられていた家庭教師から魔法を教わっていたけれど、広く浅く、基本を満遍なくという形だったので、実は使える魔法があまり多くない。どちらかというと魔法の実践よりも座学的なものが主だったし、実戦形式の訓練は身体が成長してからという風に考えていたのかもしれない。
「うーん。って、もうこんな時間!?」
結構な時間、本やら資料やらに目を通していて固まった身体をほぐすように伸びをしてから時間を確認すると、既に夜と言ってもいい時間になっていた。
実験室の整理がてら、魔法の基礎が勉強できるような本や資料を集めていたのだけれど、思ったよりも熱中してしまっていたようだ。
「そういえば、使用人の人たちは到着していたりするのかな」
ずっと地下室にこもりっきりだったせいで、外の様子がさっぱりわからない。
しかもこの実験室へ降りる階段は扉の先にあるため、一部屋ずつ確認していかないと初めて来た人にはわからないだろう。まあ、使用人たちが到着していたとしても、家主がいないからと勝手に屋敷に入ったりすることはないと思うけれど。
いや、管理人を兼ねているのであれば、普通に入ってくるのかな? どちらにせよ、もし到着しているのであればそれなりの時間を待たせてしまっているかもしれない。
「……過ぎたことは仕方ないし、とりあえずは一階に戻ろうかな」
言い訳のようにそうつぶやいて、一階への階段へと急いだ。
第04話
待ち人来たらず
さて、困った。まさか、住み込みの使用人がやってこないとは。
昨日、地下の実験室から一階に戻っても使用人たちは到着していなかった。念のために屋敷の外も確認したのだけれど、誰かが来たというような形跡はなかった。
なので、何らかの事情で翌日に到着が延びたのだろうと思い、ベイルたちが残していった食料から夕食を用意してそのまま眠りについた。
そして、迎えた今日。広々とした慣れない部屋にいつもよりも早く目が覚めてしまい、二度寝する気分でもなかったのでそのまま起きて今に至る。
ちなみに、今は既に夜と言っていい時間だ。
そう、最初にも言ったけれど、今日も使用人が到着しなかったということだ。
到着に気づかないのはマズいということで、今日は使用人が来ても大丈夫なように地下の実験室から読みたい本や資料を一階の応接室に持ち込んで待っていた。昼食についても、すぐに用意できる簡単なメニューにしたので、ほとんど席を外すこともなかった。
そこまでして待っていたというのに、来ない。来るはずの使用人たちが来なかったのだ。
まあ、昼過ぎまではそこまで気にしていなかったけれど、夕方になるとさすがにおかしいと思いはじめていた。
で、あたりが暗くなった今、どうしようかと頭を抱えているという次第だ。
「本当にどうしよう」
さすがに完全に日が落ちてからやってくることはないだろうと、食堂で遅めの夕食をとる。
メニューはパンにスープというシンプルなものだ。ただ、パンについては保存用のものがなくなってしまったので、明日からは自分でパンを焼く必要がある。スープに使った食材についても、干し肉と野菜が後二日分あるかどうかといったところ。
使用人が来ない以上、食事関係についても自分でどうにかしないといけない。
「もう数日待つか、町に問い合わせに行くか。さすがに、ベイルの言葉が
食事を終え、これからとるべき方針を考える。
一応、町にあるギルドに行って領都の本宅へと問い合わせてみれば、使用人の件についてはすぐにはっきりするはずだ。魔の森に近い冒険者の町としてある程度発展している以上、さすがに通信用の魔道具は置いてあるだろうし。
問題があるとすれば、ギルドにある通信用の魔道具の利用料金が高いところか。
使用人たちがただ遅れているだけの場合、この費用が無駄になるのだから、ついついもう数日待ってみようかなという気になってしまう。
少し高価な出費をためらってしまうのは前世の記憶ゆえか。イマイチはっきりとは思い出せないけれど、前世の私は一般庶民だったようだし。
「……まあ、仕方ないか。一応、こっちに来るにあたって少しは資金をもらっているのだし、ケチらずに問い合わせをすることにしましょう。ただ待つにしても町に食料の買い出しに行く必要はあるのだから、町に行くついでだと考えれば……」
声に出してそう言ってみるものの、どうしても前世から引き継いだ金銭感覚が邪魔をする。
必要経費だということは頭ではわかっているはずなのに、感情が納得しない。もう少し貴族家の令嬢としての生活が長ければ、今世の金銭感覚で上書きできていたかもしれないのに。
一応、通信用の魔道具以外にも問い合わせの方法はある。町を行き来する用事がある人についでに連絡を依頼する方法だ。
こちらの方法を利用すれば、かかる費用はかなり安くなる。ただ、実際に人が行き来する必要があるので、代わりに時間が相当かかることになるけれど。
今回の場合だと片道三日なので、回答が来るのは最短で六日くらい。
まあ、私は馬車でゆっくりと移動していたので、馬で急げば片道一日くらいは短縮できるかもしれない。ただ、それでも最短で四日だ。
しかも侯爵家からの回答がすぐにもらえるかもわからないし、依頼を受けてくれる冒険者がすぐに見つかるかもわからない。
やはり、問い合わせをするのであれば通信用の魔道具を利用する以外は考えられなさそうだ。
「なんでこんなに問い合わせにかかる費用が高いのよ……」
通信用の魔道具の利用料金が高額に設定されているのは、魔道具の起動に魔石が必要になることと無駄な使用を避けるためだ。かつて聞いた情報を思い出し、その理由に納得しながらもついつい愚痴ってしまう。
「はぁ。もしかしたら明日の朝早くに到着するかもしれないし……」
そんな自分でも信じていないようなことをつぶやき、明日の移動に備えて早めに眠りにつくことにした。
第05話
ギルドへの依頼
ほとんど期待していなかったけれど、やはり朝になって使用人たちが到着しているなどという都合の良いことは起きなかった。
なので、予定通りラビウス侯爵家への問い合わせを行うために町へと向かうことにした。
「思ったよりも遅くなってしまったね」
移動や返答待ちの時間を考慮して早起きしたつもりだったけれど、町に到着したときにはそろそろ昼になろうかという時間になっていた。午前の早いうちに問い合わせの依頼を出しておきかったのだけれど。
やはり、慣れないキッチンでパンを焼くのに手間取ったのが痛かった。あと、屋敷から町へと移動するための足がなかったのもそうだ。
屋敷に来るために使った馬車は全てベイルたちが乗って帰っていたので、移動するための馬がいなかったのだ。
一応、私は魔法の基礎を教わっていたので、身体強化を使ってあまり時間をかけずに町までたどり着くことができた。けれど、魔法を教わっていない貴族令嬢であれば、その時点でかなり厳しかったのではないだろうか。
いやまあ、さすがに食料がなくなったりすれば、徒歩ででも時間をかけて町までやってくるのだろうけれど。ただ、かなりつらい思いはするはずなので、本当に魔法を教わっていてよかったと思う。
ゆっくりと町の中を見て回りたいという気持ちを抑え、真っすぐにギルドへと向かう。
予定よりも遅くなったこともあり、問い合わせの依頼を出すのが最優先だ。町を見て回ったり、食料を買ったりというのは、依頼を出してから返答を待つまでの時間で構わない。
「冒険者ギルドへようこそ。本日はギルドへの依頼でしょうか?」
ギルド──冒険者ギルドの中へと入り、依頼を受け付けているカウンターへと進む。
ギルド内へと入った瞬間こそ周囲からの視線を集めたけれど、依頼用のカウンターへと向かったことでそれらの視線は興味をなくしたらしい。
「領都へ通信機による問い合わせを依頼したいのですが」
「通信機を使った問い合わせですか? 失礼ですが、身分証はお持ちでしょうか?」
外見的に明らかに子供だとわかる私を相手にずいぶんと丁寧に相手をしてくれる。服装が貴族や富裕層向けのものだというのもあるのだろうけれど、この受付のお姉さんは
「これが身分証です」
そう言って、首から下げた身分証を外して受付のお姉さんへと手渡す。
「ラビウス侯爵家の方でしたか」
「ええ、フェリシア・ラビウスです。妾の子ではありますが、ラビウス侯爵家の家名を名乗ることを許されています」
「はい、確認が取れましたので、通信機による問い合わせの利用許可が下ります。依頼内容を伺いますので、別室へとお願いできますか?」
正直に妾の子だということを伝えてみたものの、彼女の対応に変化はなかった。
妾の子だと聞くとあからさまに態度を変える人もいるけれど、やはり彼女は真面目なきちんとした人のようだ。
別に妾の子だとはいえ、ラビウス侯爵家の家名を名乗ることを許されている以上、ラビウス侯爵家に連なる者であることに変わりはないのだから、本来であれば彼女のような反応が正しいのだけれど。
そんなことを考えながら、前を行く彼女について別室へと向かった。
「では、依頼内容についてお聞かせ願えますか?」
私を部屋へと通してソファを勧め、扉をしっかりと閉めてから受付のお姉さんが尋ねてくる。
通信機を使用する場合は機密情報を扱うケースが多いため、このように機密性の保たれた別室で依頼内容を確認することになっているのだろう。
「ええっと、大した内容ではないのですが、屋敷に来るはずの使用人が到着していないのです。一応、同行した者から聞いた限りでは二日前に到着している予定だったのですが。なので、使用人の手配について領都の本宅へ確認したいというのが依頼になります。あっ、ちなみに、ギルドの方にそういった人が立ち往生しているとか、そういう情報は入っていないですか?」
受付のお姉さんも正面のソファに腰を下ろしたので、今回の依頼について切り出す。
改めて言葉にすると、通信機を無駄遣いしようとしているのではないかと思ったりもするけれど、他に方法もないので諦めるしかない。ただ、ふと思いついて、ギルドにこちらに来るはずだった使用人たちの情報が入ってきていないかを確認してみた。
「なるほど、依頼内容についてはわかりました。あと、残念ながら、ギルドの方にそういった情報は入っていませんね。積極的に集めているわけではありませんので、絶対というわけではありませんが」
「……そうですか。いえ、念のためにお聞きしただけですので、まずは問い合わせの方をお願いします。ちなみに、返事はどれくらいで返ってくるでしょうか?」
「そうですね、今から問い合わせを行えば、今日の夕方頃には返事が来るのではないでしょうか。ただ、すぐに事情のわかる方に話が通るかはわかりませんので、もしかすると返事が明日になる可能性もあります。その場合でも夕方までにはそういった旨の連絡があるでしょうから、夕方頃に確認にいらしてもらえればいいと思いますよ」
その後、依頼料の支払いなどを済ませてギルドを後にした。
今さらながら、ギルドからの問い合わせに対して侯爵家が返事を返すのかと心配になったけれど、そのあたりについてはギルドの方で身元確認がしっかりされているという信用があるので問題ないらしい。ただ、それでも無視されるケースについてはどうしようもないという話だったけれど。
……さすがに、ラビウス侯爵家の家名を名乗ることを許されているのだから、門前払い的な扱いはされないと思いたい。
「まあ、悩んでいても仕方ないし、まずは昼食かな。それが済んだら、食料と必要な細々とした物の買い出しをして、たぶんそれでいい感じの時間になると思うし」
ゆっくりと町の中を歩き、昼食をとるためのお店を探す。
馬車で通ったときにも思ったけれど、やはり冒険者が多いためか宿屋や食事処、ついでに酒場が多いように感じる。そんなことを考えつつ歩いていると、ついついお店を決め切れずに中央の広場までやってきてしまった。
ここでは食べ物を売る屋台が並んでいるらしく、ちょうどお昼時ということもあって結構繁盛しているように見える。
「屋台のご飯というのもありなのかな? でも、気分的にはしっかりと食べたい気分なのよねぇ」
「おっ、嬢ちゃんは昼はガッツリ派なのか。いいねぇ、子供はしっかりと食わないといけないからな」
広場の少し外れたところで悩んでいたら、独り言を聞かれたのかそんな言葉が頭上から降ってきた。
驚いて見上げると、歴戦の冒険者といった風情の鍛え上げられた肉体を持つスキンヘッドのおじさんが話しかけてきていた。
「だったら、マリーの宿屋が良いぞ。あそこなら多少値は張るが、その分変な
「……そのマリーさんの宿屋というのは遠いのでしょうか?」
特にこの町の食事事情に明るいわけでもないので、目の前の冒険者に宿屋の場所を聞いてみる。
傷痕が残る顔は
「おっ、興味があるのか? マリーの宿屋はギルドの斜め前にある三階建てのでかいやつだ。あのあたりで一番でかい宿だし間違うこともないだろうよ。できりゃあ、連れていってやりたいんだが、連れを待っているところなんでな」
「いえ、場所を教えていただけるだけで十分です。ギルドの場所でしたらわかりますので、さっそく行ってみることにします。ありがとうございました」
若干、警戒心を残したままではあったものの、目の前の彼は普通に宿屋の場所だけを教えてくれた。場所もギルドの近くということであれば心配することもないだろう。
見かけによらず親切な冒険者に頭を下げてから、さっそく
第06話
マリーの宿屋
教えてもらったマリーの宿屋はすぐに見つかった。
あの厳つい冒険者の言葉通り、ギルドの向かいに並ぶ建物の中で一番大きい建物だったのでとてもわかりやすかった。
「おや、お嬢ちゃん、お父さんかお母さんとはぐれたのかい?」
マリーの宿屋に入り、食堂の入り口付近で立ち止まっていると、トレイを持ったおばさんに話しかけられた。
「いえ、私は一人で来ました。食事をとりたいのですが、どこで注文すればいいのでしょうか?」
入ってから気づいたのだけれど、今世ではこのような場所で一人で食事をしたことがない。なんなら、一人じゃなくても経験がないかもしれない。
「はー、そんなに小さいのに一人なのかい? しっかりしているねぇ。なら、カウンター席でいいかい? そこで注文も聞くからね」
そう言ってカウンターへと向かうおばさんについていく。
周りの視線を集めているような気がするけれど、まあ仕方ないだろう。幼い女の子が一人でやってきているのだから。
そんな視線を無視するように歩きながら、店内を見回す。
広場で出会った冒険者が言っていたように、席について食事をとっているのは落ち着いた雰囲気の人たちが多い。冒険者っぽい人がいないわけではないけれど、どちらかというと商人みたいな人の方が多い気がする。
とりあえず、案内されたカウンター席のイスによじ登って座る。
当たり前だけれど、並んでいるイスは全て大人用の物だ。小柄ではないけれど、年齢相応の背丈しかない私にはかなりサイズが大きい。
「お嬢ちゃんには、その椅子はちょっと大き過ぎるだろう。子供用の補助イスを持ってきたから使うといいよ」
「すみません、ありがとうございます」
奥に向かって注文を伝えていたおばさんがそう言って補助イスを持ってきてくれた。
机までの高さがやや遠くて食べづらそうだったので、ありがたくその申し出を受け入れて補助イスを受け取る。
相変わらず足が完全にブランブランして危なっかしそうな見た目ではあるけれど、補助イスとなるクッション状のイスを使うことで食事をとるのには問題なさそうだ。ついでに無駄に多い魔力で身体強化の魔法を使いっぱなしにしているので、バランスを崩すこともないと思う。
「構わないよ、うちには家族連れのお客さんもよく来るからね。ところで注文は何にするんだい? といっても、お昼は二種類しかメニューはないんだけどね」
「何と何があるのですか?」
「メインがステーキのランチか、メインがシチューのランチだよ。どっちも銅貨五枚で、メイン以外にパンとサラダが付くね」
宿屋だからお昼のメニューを絞っているのかな? そんなことを考えながら、気になったことを聞いてみる。
「量はどれくらいですか?」
「量はそんなに多くないね。他のとこみたいに冒険者向けに量が多いってことはないよ。まあ、それでも大人向けの量だから、嬢ちゃんには多いかもしれないね。もし多ければ気にせず残しても大丈夫だよ」
「では、ステーキのランチでお願いします」
「あいよ。すぐに用意するから、ちょっと待っといてくれ」
そう言って奥へと引っ込んだおばさんを見送る。
すぐに用意できるものなのかと一瞬疑問に感じたけれど、広場から移動してる間にお昼のピークは過ぎている。食堂にはお客さんもそこそこ入っているけれど、ある程度食事が進んでいるようだし、おばさんの言う通りすぐに用意できるのだろう。
「おぉ……」
言葉通りほとんど待たされることなく出てきた料理を見て、感嘆の声が漏れる。
肉厚のステーキが熱々の鉄板の皿の上で熱せられてジュージューと音を立てており、ニンニクの香りも相まって食欲をそそられる。
まずは一口、と一口サイズに切ったステーキを口に運ぶ。
肉厚なのに柔らかい。濃厚な肉のうまみが口の中に広がり、シンプルな味付けがそれをより際立たせている気がする。
ご飯が欲しい。
そんなことを思いつつ、気づけば出てきた料理はパンとサラダも含めて全て平らげてしまっていた。
「いい食べっぷりだったね」
いつからそこにいたのか、気づけばカウンター越しにおばさんが笑顔でこちらを見ている。
そのことに気づいて、急に恥ずかしさがこみあげてくる。たぶん、今の私は顔が真っ赤になっていることだろう。
そんなことを自覚しつつ、何でもないような風を装って言葉を返す。
「とてもおいしかったです」
子供らしい満面の笑みでそう告げたものの、残念ながら隙だらけだったらしい。
「くくっ、口の横が汚れたままだよ」
すぐさま口元を拭ってきれいにした。
「あのお肉は何の肉だったんですか?」
食後のお茶を飲みながら、恥ずかしさが落ち着いたところで気になったことを聞いてみる。
魔の森が近いことから魔物の肉が出るものだと思っていたのに、予想以上に良い肉が出てきたので気になったのだ。
「うん? あれはボアの肉だよ」
「ボアって、魔物のヒュージボアですか?」
のんびりと食堂の様子を眺めていたおばさんから返ってきた意外な答えに思わず問い返す。
ヒュージボアといえばその名前通りの巨体を誇るイノシシの魔物だ。その巨体にふさわしい大量の肉が取れることから辺境の村などでは重宝されるらしいけれど、その肉の味はそこそこだと聞いたことがあった。家畜として育てられたウシやブタなんかとは比べ物にならない味だと。
さっき食べたステーキの味は以前の屋敷で食べていたウシやブタを超える味だった。実は今まで食べてきた肉は全て偽物だったのだろうか?
「そのヒュージボアで間違いないよ。しかもその様子だと
こちらの困惑の様子を察したおばさんが自慢げにそう教えてくれる。
何だろう、特定の場所でしか獲れないというのは、前世であったような特定のエサしか与えない的な効果をもたらしているのだろうか?
「このお肉はいつでも食べられるのですか?」
「ああ、よほどのことがない限りはいつでも食べられるよ。ヒュージボアの肉は一頭からかなりの量が取れるから、うち一軒くらいであれば十分に量を確保できるんだよ」
つまり、そのヒュージボアはこの宿が独占しているということなのだろうか? こんなに味が良いのであれば他所からその情報を狙われそうなものだけれど。
「まあ、味が良いのは確かなんだけれどね、狩った後の下処理がかなりの手間なんだよ。だから、他所の冒険者たちにはうまみがなくてね。うちは旦那が趣味を兼ねてヒュージボアを狩ってくるからどうにかなっているんだよ」
内心の疑問が顔に出ていたのか、そんなことを追加で教えてくれる。
おばさんの苦笑を見るにその下処理は相当面倒くさいのかもしれない。あるいはそのヒュージボアのことで何かあったか。
まあ、私としてはあの肉がここに来ればいつでも食べられるということを知れただけで十分だ。
とりあえずは、この後の買い物に必要そうな情報を質問することにしよう。
第07話
ラビウス侯爵家からの回答
宿屋のおばさん──最後に宿屋の名前にもなっているマリーさんだと判明した──に教えてもらった商会で買い物を済ませ、再びギルドへと向かう。
時間的には夕方になる少し前という感じなので少し早いかもしれないけれど、他に用事もなかったのでギルドで待つことを選んだ。まあ、そこまで早いというわけでもないので返事が届いている可能性も十分にあると思うし。
「えっ!? 使用人は来ない、ですか?」
「はい、ラビウス侯爵家からの回答ではそうだということです」
「……」
既に回答が届いていたので、待たされることなく部屋に通されたのだけれど、返ってきた答えがこれだった。
正直、これは困る。
何かしらの伝達のずれで到着が遅れているだけだろうと思っていたのに、使用人が来るという話自体が間違っていたとは。
「それ以外のことは何か聞いていませんか? あと、回答をくれたのが誰かということも」
「ええっと、申し上げにくいのですけれど──」
そういう切り出しで教えてくれた回答の内容は要約すると、次のような感じだった。
〝ラビウス侯爵家ではもう面倒を見ないから、後は勝手に生きろ〟
いや、まだ成人もしていない少女に対して、あんまりでは? しかも妙にねちっこい
そこまで嫌われるようなことをした覚えはないのだけれど……。
「あと、ラビウス侯爵家側の回答者は、クラウス様だそうです」
「おぉぅ」
うん、これはダメなやつだね。クラウスといえば、本宅の一切を仕切っているラビウス侯爵家の家令だったはずだし。
その名前が出てくるということは、父であるラビウス侯爵も承知のことなのだろう。というよりも、ラビウス侯爵本人の指示であると考える方が自然か。
「あー、ちなみに私の扱いに関する他のことは聞いていないですか? 主に屋敷のことについてなのですが」

「いえ、回答は先ほどの内容で全てです」
「そうですか……」
特別にギルドで受け取った回答を控えた書類を見せてもらったけれど、先ほど教えてもらったものと違いはなかった。
正直、頭を抱えたい気持ちでいっぱいなのだけれど、目の前で心配そうに見つめてくるお姉さんの目もあり、どうにか何でもないように振る舞うように心がける。そうしてできる限り落ち着いて見えるようにしながら、担当してくれた受付のお姉さんにお礼を言ってギルドを後にした。
まあ、
「どうしようかな?」
ベッドに腰かけてつぶやく。
とりあえず、落ち着く場所が必要だということで、昼食をとったマリーの宿屋に部屋をとった。
もともと状況次第では町に泊まることを考えていたので、そのあたりは問題ない。ただただ、ラビウス侯爵家からの回答が予想外だったというだけで。
「勝手に生きろと言われても、あいにくとまだ七歳なのよね……。普通に考えて、死ねって言われているのと変わらないと思うし、向こうは何を考えているんだろう。……いやまあ、私の場合はどうにかやっていく自信はあるけれど」
でも、そのあたりのことは本宅の人たちは知らないはずなんだよね。
……いや、普通に屋敷の人が報告ぐらいは入れているのかな? だったら、テキトーに放り出しても問題ないとか思っているのかも。
「いや、それにしたって、後は勝手に生きろっていうのはあんまりでしょっ!」
そう叫んでベッドへと倒れ込み、ぼんやりと天井を眺めながら考える。
これからどうすべきかを。
「とりあえずは、今後の身の振り方を考えないといけないのかなぁ」
ラビウス侯爵家からの回答に従うのであれば、家とは縁を切って平民として生きていくということになるのだろう。
まあ、別に平民になること自体は問題ない。前世ではただの一般人だったし、今世でもお母様から色々と
問題は今の私の外見でまともに働かせてくれるかどうかということだ。
基本的に働き始めることができるのは見習いとして認められる十二歳から。家庭内の手伝いのような、ごく内々の仕事であれば今の私くらいの年齢からでも可能だけれど、何の
いや、ギルドに相談すればいけるか?
今日対応してくれた受付のお姉さんであれば、情に流されて何かしらの仕事を紹介してくれるかもしれない。とはいえ、さすがに無関係のお姉さんを巻き込むような
あと、引っ越してきた屋敷のことはどう考えればいいのだろう? 手切れ金代わりに私に与えられたと理解しても良いものなのだろうか。
そうであれば、少なくとも住むところには困らなくなるので助かることは助かる。ただ、町から距離があって不便そうなところがネックになるかもしれないけれど。
まあ、とりあえずはあの屋敷はもらえるものだと考えよう。
数十年単位で放置されていたらしいから、おそらく余っていた屋敷なんだろうし。たぶん私が住んでいたとしても確認になんて来ないんじゃないかな。
「それにしても、なんでこんなやり方をしたんだろう?」
正直、侯爵家の今回のやり方については色々と疑問を感じないでもない。
別に侯爵家が庶子である私を捨てたいということ自体はまあそこまで不思議ではない。一応、魔力量が多いというのはあるけれど、所詮は庶子でしかないので他の正妻や側室の子たちと比べると価値は落ちるだろうし。
なので利用価値がないと判断されれば、侯爵家から放り出されるということもあるだろう。
わからないのは、何故こんな中途半端なやり方で放り出すことにしたのかだ。
引っ越してきた屋敷については、放り出すだけだと外聞が悪いから手切れ金代わりに用意したというふうに理解できなくはない。理解できないのは、そういった事情の説明が何故されなかったのかということ。
それに、ベイルが嘘の情報を教えて去っていったこともよくわからない。
本当のことを伝えると私がごねるとでも思われたのだろうか?
そんな子供みたいなことはしないから、もっときちんとした説明が欲しかった。まあ、見た目子供の私が言っても説得力はないのでしょうけれど。
後は、中途半端に改装された屋敷についても謎ではある。
必要最低限という感じではあったので、改装費をケチったのだろうとは思うけれど、それなら最初から改装の手を入れないという選択肢もあったはずなのだ。さっきも思ったけれど、普通に考えて七歳の子供を町から離れた魔の森の中の屋敷に放り出すのは死ねと言っているのと変わらないのだから。
直接手にかけると問題になりそうだから、テキトーに与えた屋敷で野垂れ死ぬように画策した?
……いや、イマイチそんな手間をかける理由がない気がする。屋敷で野垂れ死のうが、直接手にかけようが、魔の森まで連れていっている時点で偽装など容易だろうし。
「……まあ考えてもわからないし、開き直ってあの屋敷で気ままに暮らすのが正解なのかなぁ」
そうつぶやき、これから一人で暮らしていくために必要となる
第08話
帰路
一晩考えた結果、今の私に必要なのは移動のための足になるものだという結論に至った。
現状、住むところ以外の全てが足りていないという気もするけれど、足りないものは都度買い足していくしかないだろう。なので、屋敷から町まで買い出しに来るための足となるものが必要だと考えたのだ。
まあ、そもそも物を買うためのお金が必要だという話だけれど、そのお金を手に入れるためにも町に出てくる必要はあるだろうし。
というわけで、マリーさんに紹介してもらった貸馬屋へと馬の買い取り交渉に向かうことにした。
「おう、確かに」
予想以上にすんなりとまとまった買い取り交渉にほっとする。
貸馬屋である以上、本来であれば馬の売買はしていないはずだけれど、どうにか交渉して売ってもらうことができた。運よく
とにかく、これで屋敷と町を行き来するための足を確保することができた。
そのせいで資金がほぼ尽きてしまったけれど。
「まあ、前の住人にならって自給自足を目指せばどうにかなるでしょう。これからよろしくね」
特に問題なく町の外門を抜け、森を目指しながら隣を歩く馬に話しかける。
せっかく馬を買ったのだから馬に乗って帰りたいところではあるけれど、その馬の背には荷物が載せられているので無理だ。少女一人増えたところでと思わなくもないけれど、怪我の程度がまだよくわかっていないので様子見している。
「うーん、考えてみるとこれから
馬の胴体を優しく叩きながらそうつぶやくと、うれしそうにヒヒンッと返ってくる。
貸馬屋の店主が言っていた通り、本当に頭が良いみたいだ。元は軍馬だから頭は良いし人の言うこともよく聞くという話だったけれど、正直盛っていると思っていた。
そんな馬が何故こんな辺境にいるのかと、話半分に聞いていたのだけれど意外に本当のことだったのかもしれない。
となると、この馬の来歴も本当の話だったのだろうか。
戦場で乗せていた兵をかばって負傷し、その怪我がもとで引退を余儀なくされ。
けれど、助けた兵の懇願によって魔法による治療を受けることができたので、処分を免れて民間に払い下げられる。
それでも、次第に悪化していく古傷が原因で流れ流れて辺境にまでやってきた。
そして、とうとう引退するしかないというところまで来た結果、私みたいな少女に買われてしまった、と。
うん、なかなかの経歴の持ち主なんじゃないだろうか。
聞いた話だと四歳の馬だということだけれど、今世の私よりも若いくせになかなかに濃い人生、いや馬生を送ってきたみたいだ。
「まあ、これからはきっとのんびりできるよ」
根拠はないけれど。
「それで、貴方の名前はどうしようか?」
森へ向かう道程を半分ほど進んだところで、思考を名前のことに戻す。
のんびりと散歩するように風景を楽しむのも悪くはないんだけれど、さすがにずっとそのままというのもね。別に会話なしの時間も苦にならないとはいえ、たまには気分を変えてみるのも悪くない。
「で、何か希望はある?」
なんとなく
うん、やっぱり頭いいね。
「とりあえず、貸馬屋のやつはただの番号だったからありえないよね」
さすがに十五番なんていう名前はない。私も嫌だし、馬自身も嫌だろう。
普通の馬だと意味がわからないのかもしれないけれど、この子だとちゃんとただの番号だと理解していそうだし。
「となると、やっぱり見た目から名前を付ける感じかなぁ」
そう言って、隣を歩く馬を見上げる。
嘘か本当かわからないけれど元軍馬というだけあって、その
全身が濃い茶色の毛で、そのたくましい足はとても力強くて速そう。
いや、実際に元気だった頃は優秀な軍馬だったらしいので、速かったんだろうけれど。
「うーん、競走馬の名前からって思ったけれど、よく考えてみると全然名前を知らないや。ディープ何とかっていうのも違う気がするし」
思わず立ち止まって考えていると、馬がこちらを
「おぉ、きれいな目」
こちらを覗き込むそのつぶらな目に引き込まれる。
黒く澄んだ瞳。
見る角度や光の加減にもよるのだろうけれど、その透き通るような黒の瞳はとても印象的だ。なので、その瞳から連想した宝石の名前を付けることに決めた。
「うん、貴方の名前はオニキスよ」
そう告げると、オニキスはヒヒーンとひと際大きないななきを返してきた。
「それにしても、本当に誰もいないね」
屋敷のある森が目前に迫ったところで、今まで思っていたことを口に出す。
町を出てからここまで、誰にも出会っていない。後ろを振り返ってみても、広い草原の中を町へと続く道が延びているだけで、誰一人として人の姿は見えない。
「もしかして、あの森ってラビウス侯爵家の私有地だったり?」
ふと思いついたことを口に出してみると、思いのほかしっくりときた。
冒険者が森で活動しているという話を聞いていたので、漠然と屋敷のある森にも冒険者は来るのだろうと思っていたけれど、ラビウス侯爵家の私有地であれば冒険者であっても来る者はいないのかもしれない。
それでも森を管理する人間すらいない環境であれば無視する人間もいそうだけれど、そんな人すらいないほどに魅力のない森なのだろうか。
まあ、屋敷がある一帯以外にも森は広がっているので、わざわざ侯爵家に
「ま、いっか。変に知らない人にうろつかれるよりは誰も来ない方が落ち着けるだろうし」
他にも色々と不安も多いのでそんな風に軽く流すことにした。
まずは生活を安定させることが優先なのだから、それ以外の問題はひとまず先送りだ。
森の中に足を踏み入れて数分。木々に囲まれた細い道の先に大きな屋敷の姿が見えてくる。
「あっ、屋敷が見えた。あれが私たちの家だよ、オニキス」
隣を歩くオニキスにそう声をかけつつ、その様子を確認する。
町から帰ってくるのに一時間以上かかってしまったけれど、怪我が原因で売られたはずのオニキスも特に調子が悪くなっているということはなさそうだ。
一応売ってもらうときに過度な運動をさせなければ問題ないとは聞いていたけれど、どこからが過度な運動になるのかわからなかったので不安ではあったのだ。でもこの様子であれば、屋敷と町を往復するための足として頑張ってもらうことはできそうだ。
「これからよろしくね」
オニキスと並んで屋敷の門を越える。
任せろとでも言うように、ブルルッという元気ないななきが返ってきた。