7章 目指すは、とんでも領地経営


 カイトは朝から地図とにらめっこをしていた。

 もう二時間は同じ姿勢で唸っている。

 この地図はルズベリーラでアデルナから貰い受けたもので、人間の都市よりも多く他種族の住処や隠れ里の情報が詳しく記載されている。

 エルフ文字を読むために、必要最低限の知識も教わって来ていた。

「カイト、カイト! お昼ご飯にしよっ? 朝からずっと考え事してるけど、ちょっと休憩した方が良いよ! ほらほら!」

「ああ、リザ。ごめん、気を遣わせちゃったか」

「気になるよぉ! 一緒に住んでる家族の表情だもん!」

「ごめん。実は友好的な関係を結べる土地ってないかなと思ってさ」

 リザは首を傾げる。

「今のアルゴートって帝国に目を付けられてるんだよね? そんなところと仲良しになってくれる場所ってあるの? んー。わたしだったら気にしないけどー」

「人間の都市だとかなり難しいと思うよ。みんながリザみたいに性格の大らかな人なら良いんだけどね。なかなかそうはいかないんだよなぁ」

「あっ、今、わたし褒められた!? えへへー。照れますなぁー。じゃあ、難しいけど頑張って優しい人たちが住む都市を探すの?」

 カイトは「いや」と否定した。

「そんな都市があれば理想的だけど、探すにしても時間的余裕がない。だから、昨日からずっと探してるんだよ。人間以外の種族で友好的な対応をしてくれそうな場所を。エルフとだって同盟を結べたんだから、他の種族とだって。行動するのは無駄じゃないはず」

「ふわぁー! すごい、カイト! それって名案じゃない!?」

「ネイアの言葉がヒントになったんだよ。俺の発案じゃ、こんなとんでもアイデアは出てこなかった。しかし、どうしたものかなぁ。ドワーフ、リザードマン、オーガ、ドラゴニュート……。テングと言うのは聞いたことがないけど。どこも情勢がサッパリ分からないんだよ。まあ、元から人と深い関係を持っている種族なんていないからね」

 そこまで言ったところで、カイトは大きく背伸びをした。

 彼には他種族がどのような生き物でどのような気性を持っているのか、ある程度の知識はあった。

 だが、それは人間が勝手に「そういうものである」と決めつけた情報であり、鵜う呑のみにできない事も理解している。

 エルフだって人間の勝手なイメージで「人を寄せ付けず、時として人に害をなす」と歴史家や研究者が言うことを信じ込んでしまっていた。実に妄信的に。一方通行な形で。

 エルフたちは少しばかり排他的な側面はあるものの、気の良い種族だった。

 先入観に囚われないためには知識を捨て去る必要に迫られるが、知識を捨ててしまえばそもそもの思考がおぼつかなくなる。

「とりあえずご飯にしようよ! シエラちゃんが食堂に行ってるから、相談してみるのはどう?」

「そうだね。俺が一人で唸っているよりは建設的だ。それに、お腹も空いたなぁ」

 下手な考えの迷宮で彷徨さまよい続けていても埒が明かない。

 カイトはリザと連れ立って食堂へ向かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 今日は料理長であるフレデリカの出勤日という事で、食堂は賑わっていた。

 そんな中でも目を惹く白い羽。

 シエラとネイアが同じテーブルで食事をしているのを見つけたカイトは、お任せ定食を注文してからそのテーブルに加わった。

 リザは飲み物を持って来てくれる。

 そこで、彼は「多種族について二人の意見が聞きたい」と申し出た。

 ユリスもいれば完璧だったのだが、彼女は家に引きこもるとなかなか外に出て来ないので、ないものねだりをしても仕様がない。

「ドラゴニュートが良いわよ! あいつら強いし! 人間大嫌いだし!!」

「ちょっと待った。人間が大嫌いだと俺たちも滅ぼされるよね!?」

 ネイアは思い付いたことをそのまま口に出す傾向がある。

 時として名案を口にするが、迷案であることの方がずっと多い。

「……今の候補の中であれば、オーガが適役。……それなりの知能があるから、人間相手でもいきなり喧嘩腰にはならない。……それに、交渉役として的確な者がアルゴートにはいる。……これは幸運。……ラッキーアイテムはすぐに使うのが定石」

「そうなんだぁ! やっぱりユリス様かな?」

「……ユリスも悪くない。……けれど、私の推す者はネイア」

 カイトは魚のソテーをのどに詰まらせて、激しく咳き込んだ。

 リザが慌てて飲み物を渡す。

「ネイアが交渉!? 歩く解体屋みたいなネイアが!? 友好関係を築くんだよ? 喧嘩をこっちの言い値で買わせるとかなら分かるけど」

「何よ、それ。すっごく失礼なんですけどー ちょっとカイト!! あんた、出会った頃よりずっとあたしの事を誤解していってない?」

「誤解じゃないよ? 一緒に暮らしているうちに、理解が進んだんだよ? ネイアさ、今週だけでユリス様の創った建物を四つ壊したよね?」

「あれは古くなってたから、修理するきっかけをあげたのよ!!」

 ネイアと押し問答をしている時間がない事を思い出したカイト。

 シエラに話の続きを促した。

「……オーガは知性寄りの者と、脳筋寄りの者がいる。……ネイアは脳筋族と極めて相性が良い。……ちょっと目を逸らしたくなるレベル。……それに、昔、何か縁があったと聞いた。……オーガはエルフほど排他的な種族ではない。……だから、ネイアを連れて行けば話くらいなら聞いてもらえるはず。……私は脳筋がちょっと嫌いになったから、今回はお留守番。……むふー」

「脳筋」の言葉にそこはかとない不安を覚えるものの、シエラの言う事が間違っていた事はない。

 ならば、今は少しでも早く行動に移すべき時。

「ネイア! 一緒にオーガの里に行ってくれる?」

「オーガね! ネイアさんに任せときなさいよ! あいつらとはマブダチだから! 超よゆーなんだから!! いやー! またあたしの武勇伝が増えちゃうわねー!! にひひっ」

 今回の遠征には危険が少ないと言う理由で、シエラとユリスはアルゴートに残留。

 カイトとネイア、そこにリザも加わり、少数で向かう事となった。

 付言するまでもない事だが、リザはカイトの介護役も兼務する。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 オーガの里は山にあった。

 ストラゴリ休火山。それが彼らの住まう土地である。

 火山地帯という事もあり、人間が近づくことはめったにない。

 気温は一年中四十度近い過酷な環境だが、極めて強きょう靭じんな肉体を持つオーガ族にはその程度の過酷は障害にすらならない。

「おい! 久しぶりに魚が獲れたぞ!」

「そうか! なら捌かなきゃな! カガリ様!」

 水温の高い川に住んでいるホベフィッシュは、彼らの主食の一つである。

 三メートルを超える巨大魚で、捌くにはコツがいる。

「あはっ! 大物が獲れたね! すぐに処理するから、燻くん製せいにする準備してくれる?」

「へい! そんなら、あっしが!」

 彼女はカガリ。

 オーガ族の族長ゴッスの孫娘。

 彼女は両親と幼い頃に死別していた。

 つまり、次期族長という大役も担っている。

 オーガは角を持ち、長く鋭いほど優秀な者だと称えられるが、カガリの角は曲がっており、カチューシャのような形をしていた。

 その角を指して心無い者は「劣等種」などと揶や揄ゆするが、彼女は気にしない。

 角の良し悪しなどで優劣をつけるなどナンセンスだと、彼女の尊敬する両親が生前に語っていたからである。

 カガリもその通りだと考え、毎日を前向きに生きていた。

「そーれっ! ふぅ。これで完了っと! しばらくはおかずに困らないな!」

「カガリ様!」

「うん、どうした? もう燻製にする準備できた? 早いじゃん!」

「違います! 違います!! とんでもねぇお客人が!!」

「客人?」と彼女は訝しんだ。

 ストラゴリ休火山を訪れる者は少ない。

 一年を通しても数人。多い年には稀に数十人の時もあるが、いずれにしても珍しい。

 そこに加えて「とんでもねぇ」とは、一体何事か。

 カガリは少しだけ表情を引き締めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 カガリは何をするにも慎重さを重視する。

 これはカイトも同じような性質を持っており、領主や里の長となる者には自然と身に付く素養なのかもしれなかった。

「人間の男と、人間の女が一人ずつ! あと、こいつがとんでもねぇんです! 見るからに戦えそうな女……と言うか、少女? が一人!! 敵意はないと言ってますが、どこまで本当やら」

「分かった。私が応対する。ただ、警戒はしないとだな。二十人ほど集まって、物陰に隠れておいて! いざとなったら迷わず攻撃! そう考えると、得物は槍が良いかな」

 オーガの歴史は戦いの歴史。

 カガリの両親も里のために遠方まで出かけた際、帝国軍によって殺害されていた。

 オーガだって人を殺す事はある。

 だから、カガリは別に人間を恨んではいなかった。

 とは言え、逆説的に好んでいると言う訳でもない。

「けどさ、変だよな。人間がどうしてストラゴリ休火山の場所を知ってるのかな? もう何年も人間との交流はないのに」

「それも分かりません。すみません、カガリ様。ワシらお役に立てなくて」

 カガリは「そんなことないって!」と笑って見せる。

「おじさんたちが毎日元気だから、私たちの世代がしっかり成長できたんだ! これから年を取って、どんどん私たちに迷惑かけてくれなくちゃな!」

「カガリ様……!」

 見張り番は壮年のオーガたちが持ち回りでこなしている。

 前述の通り、この数年は来客などないため、年を取って戦闘能力の衰えた者がその任にあたっているのだ。

「よしっ! 行って来る!」

 カガリは気合を入れて、客人の待つ里の入口へと歩き始めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「あっ! もしかして、あなたが族長代理の方ですか!? 突然押しかけてしまってすみません!」

「は、はぁ……はぁ……。俺はアルゴーごふぅ! し、失礼しました。アルゴートの……ああ……。ちょ、ダメだぁ。ごめんリザ。一回、休ませてくれる……?」

 警戒態勢でやって来たカガリは拍子抜けした。

 お客は礼儀正しい女の冒険者と、今にも倒れそうな人間の男だった。よく見ると、小柄な少女が最後尾に立っている。

 何も喋らない少女を見て、カガリは「人見知りかな?」と思ったらしい。

「もぉ! カイトは黙ってて! あんまり喋るとまた倒れちゃうでしょ!」

「えっと……はは……。辛そうですし、とりあえず里の中にどうぞ」

 カイトの貧弱さが役に立った瞬間である。

 人が弱った小動物を見ると救いの手を差し伸べたくなるのと同じで、オーガ族のカガリにとって今のカイトは助けてあげないとすぐに死んでしまいそうな存在。

 心根の優しい彼女は、迷わず助ける道を選んだ。

 里の東の端には寄合所があり、そこは普段オーガたちが酒を飲みながら雑談をするスペースになっている。

 ひとまず屋根のある場所はここが一番近かったため、カガリが三人を案内した。

 丁寧にお礼を言うとカイトを横にならせて、リザは持参した回復薬を彼に飲ませる。

「それで、どういったご用ですか? お連れの人、ものすごく辛そうですけど。そうまでして私たちの里に来た理由を知りたいです」

「あ、えっと、わたしたちアルゴートから来たんです! ご存じですか?」

 カガリは人間の都市について詳しい訳ではないが、アルゴートは偶然にも知っていた。

 かつて交流があったドワーフ族の里に向かう途中にある、荒れ果てた土地だったはずだと彼女は確認する。

「あ、そうです! でも、今は見違えるほど綺麗になってるんですよっ! それで、そのアルゴートの領主がこの人! カイトです!」

「どうも、すみません。横になったままで失礼します。カイト・フェルバッハと申します。こんな姿で言うと説得力がないのは自覚していますが、アルゴートの領主をしております」

 カイトは威厳も何もない、ただの虚弱体質持ちの男にしか見えなかったと言う。

 と、ここでネイアが口を開いた。

「んがー! もう良いでしょ!? あたし、これ以上黙ってるのは限界だわ!」

「ええー……。ネイアちゃん、堪え性なさ過ぎだよぉ……」

 ネイアは羽を広げて、上空へ舞い上がりストラゴリ休火山の周りを旋回する。

「あの、あちらの人は? と言うか、人ではないですよね?」

「ええ。あれは天使です。俺の領地開拓を手伝ってもらっています」

 ネイアが急降下して来て、美しい着地を決めたのち名乗る。

「そう! あたしこそ、破壊の天使! その名もネイアさん!! この辺り、昔と全然変わってないわねぇー。暑くてむさ苦しくて、けど逆にそこが良い!!」

 物陰に潜んでいた者の中で、年配のオーガ数人が驚いて立ち上がる。

「ね、ネイア様とおっしゃったか!? オーガの歴史に残っておる、あの破壊の天使様か!?」

「おお! そう言われると絵に描かれている天使様に似ておられる!!」

「その方は間違いなく、破壊の天使様じゃろうて」

「おじいちゃん! 寝てなくて良いのか!?」

 族長のゴッスは高齢の上、持病の腰痛を拗こじらせてこの一か月ほどまともに動けなかった。

 だが、彼の持つ知識を里の者たちに伝えるのは今。

「ネイア様、ワシの先代の族長から聞いております。あなた様が休火山に巣食うドラゴンを退治して下さった事を。数百年前のことでしょうか。我らはまだ、ご恩を忘れてはおりませぬ。ゆえにぃ……うぐっ、こ、腰がぁ……!! 失礼……」

 ゴッスも横になった。

 アルゴートとオーガの隠れ里の長が、二人そろって要介護者に。

「カガリ。まずはお三方を歓迎するのじゃ。ワシらはネイア様に受けた恩を全く返せていない。その機会が訪れただけでも僥ぎょう倖こうであるぞ」

「分かりました! みんな、聞いてただろ!? 宴の準備だぁ!!」

 ネイアのおかげで実にスムーズな形のファーストコンタクトを果たしたカイト。

 三十分ほど横になっていたら体力も回復したので、宴の席へと招かれる事となった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「別に、そんなにかしこまらなくて良いわよ。あたし、強いドラゴンがいるって聞いて、暇潰しで倒しただけなのよ?」

「ネイア……。そんな馬鹿正直に言わなくても良いじゃないの……。せめて、交渉が終わるまでは黙ってて欲しかったなぁ」

 交渉材料が自分から価値を下げていく。

 だが、宴の会場には料理と酒がたっぷりと用意されており、好意的な歓迎ムードである事は変わらない。

「それでは、今はカイト殿がネイア様を使役しておるのじゃな?」

 ゴッスも腰痛を堪えながら宴に参加。

 この二人の長には「なんか体が弱い」と言う共通項があり、それはシンパシーを生み出していた。

「いえいえ。使役なんてとんでもない! ネイアが力を貸してくれているだけですよ! 俺がお願いしてるんです!」

「ふふーんっ! カイトがこのネイアさんにどうしてもって言うから、仕方なくアルゴートに居着いてあげてるのよ! あたし、優しいから!! 強くて優しいの!!」

 その状態を使役と呼ぶのではないかとオーガたちは息をのんだ。

「して、ご用件を聞きそびれておりましたな」

「そうでした。不躾なのですが、お願い事があって参りました」

 交渉になればカイトの出番。

 上手くオーガと同盟関係を築けるだろうか。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 カイトは語った。

 アルゴート防衛のために、オーガ族と同盟の関係を築きたいと。

 もちろん、アルゴートから出せるものならば、相応の対価を用意するとも言った。

 あまりにも急な要請に、オーガたちは黙り込んだ。

 ゴッスも同様である。

 と言うか、彼は腰が痛くて仕方がないので交渉の代理人として権限を全てカガリに移譲して横になった。

 調子に乗って酒をガブガブ飲んだのが障ったらしい。

「あの、ちょっと良いですか? すみません、お話の途中で」

 カガリがカイトに向けて質問した。

 もちろん、彼はそれを受け止める。

「いえ、なんでも遠慮なくお聞きください」

「ネイア様が今、アルゴートにおられるんですよね? そうなると、破壊の天使の庇護を受けている訳でしょう? そこで更にオーガの兵が欲しい理由が分かりません。相手が古のドラゴンだって構わずに倒してしまうネイア様ですよ!?」

 ネイアはカガリの言葉を聞いて、上機嫌になる。

「あら、あんた見どころあるわね。若いのにあたしの武勇伝知ってるの?」

「は、はい! ネイア様の物語はオーガ族で代々伝承していて! 私、小さい頃からそのお話を聞くのが大好きで! いつかはネイア様みたいにって本気で思ってた時期もあって!! ……あっ、すみません。つい興奮してしまいました」

「ふんふん」と頷いたネイアはカイトの肩を叩いた。

 続けて、大声で耳打ちをした。耳打ちに意味があるのかは分からない。

「カイト! カガリ、良い子よ!! 連れて帰るわよ!」

「いや。次期族長だよ、カガリさん。そんな、捨て猫拾うみたいな感覚でお連れできないって。ネイアはお酒でも飲んでてくれる?」

 カイトは再び話を戻した。

「実はですね、こんな事をこちらから申し上げると、同盟の話が遠のくのは承知の上ですが。やはりお伝えしておくべきかと。どういう訳か分からないのですが。アルゴートは現在、帝国に狙われている状態なのです。ネイア一人では有事の際に対応できない可能性があります。少しずつ入植者も増えてきており、居住区も拡大している最中でして、強力な味方が欲しいのです。防衛に携わって頂けるとなれば、確実に身の危険が生じます。その上で、ご無礼を承知してお願いしたいのです」

 カイトの誠意ある訴えは、オーガたちにも一応の納得をさせる。

 だが、それだけで話が纏まるはずもなく。

「事情は分かりました。私も里の実質的なリーダーとして働いているので、カイトさんのお気持ちも分かります。……ですが、オーガ族が人間と同盟を結ぶとなれば、前代未聞の事。一日や二日で決められる内容ではありません」

 カガリの返答も完璧だった。

 カイトを慮り、その上で族長の孫として自分たちの種族を優先する。

 至極真っ当な理屈であり、これは交渉が長期化しそうだとカイトは覚悟する。

 が、再び破壊の天使がその覚悟を破壊する。

「んじゃさ、こーゆうのは? あたしが定期的にオーガたちを鍛えてあげるわ! その分、あんたたちは交代でアルゴートを守りなさい! 破壊の天使の生レッスンなんてオーガの長い一生でも滅多にないチャンスよ?」

「へぁっ!? ね、ネイア様がストラゴリ休火山に来てくださるのですか!? 嘘!! 本当に!? ええ、どうしたら良いんだ!!」

「嘘じゃないわよ! 希望があれば聞いたげる! 拳法を学びたいの? それとも魔法? 言っとくけど、あたしがガチで教えたらあんたたち、この大陸で無敵になるわよ! そしてあたしは加減なんかしてあげないから!! それはもう、辛く厳しい日々が待ってるわよ!!」

「カイトさん! そのお話、受けます! 受けさせてください!!」

「ええっ!? ありがたいですけど!? そんな勢いで決めちゃって大丈夫ですか!? しかも、今のところネイアのスパルタレッスンとか言う、俺だったら帝国銀貨枚十枚もらっても断りたいものしか提示できてませんけど!?」

「ちょっと、何それ!! あたしの特訓が無価値だって言ってる!?」

「違うよ、ネイア! むしろマイナスだって言ってる!!」

 何故か身内で争い始めたアルゴートチーム。

 リザが慌てて間に入る。

「わーわー! 落ち着いて、二人とも!! 特にカイトは落ち着いてぇ!! せっかくお話まとまりそうなのにぃ!!」

「でも、リザ! こんな詐欺みたいな交渉、俺黙認できないよ!!」

「むきーっ!! さ、詐欺って何よ!!」

「もぉー。だからこのメンバーで行くの嫌だったんだよぉー」

 喋れば喋るほどチームワークが破壊されていくチームアルゴート。

 カガリがその後、三十分にわたりこの交渉がどれほどオーガ族にとって有益かを興奮気味に語った。

 喉が渇くと酒を飲み、酒を飲むとさらにテンションも急上昇。

「私たちにとって、ネイア様は本当に絶対的な存在なんだ! そのお姿を実際に見られただけでも失神ものなのに! 直接戦いの手ほどきを受けられるなんて! 来世の運まで使ってしまったのかと震えています!!」

 宴に参加している他のオーガたちも同調する。

「そうだぜ、人間の! ネイア様のためなら、いくらでも守ってやるぜ!」

「オレらの角を見れば、帝国とやらの兵も尻尾巻いて逃げ出すさ!」

「馬鹿だな、お前! 人間には尻尾なんてねぇだろ! がはははっ!!」

 こうなってくると、カイトとしてもこれ以上の遠慮は無用と考えを改めるしかない。

 元よりオーガの協力を得るために遠路はるばる死にそうになって、地獄の登山までしたのだ。

「それでは、よろしくお願いします。本当に良いんですよね?」

「カガリ! あんた、カイトと違って話が分かるじゃない! あたし、そーゆう子好きよ! 仲良くしてあげる! にひひっ」

「ひゃ、ひゃい!」

 カガリは夢見心地で返事をする。

 彼女は今、幸せの絶頂にいた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 その夜。

 カイトたちはカガリの厚意で里に泊まらせてもらう事となった。

 疲労困こん憊ぱいのカイトはすぐ眠りに落ちていく。

 リザはオーガたちと剣術についての議論が白熱中。

 きっと彼女も強くなりたいのだろう。

 そんな強くなりたい乙女がこちらにも一人いた。

「すみません、ネイア様! 夜分にお呼び立てしてしまって!!」

「別に平気よ? あたしたち天使は二、三日寝なくても問題ないし」

「あの……あのっ!! ネイア様みたいに、私も強くなれますか!?」

「んー。それは無理ね。あたしは世界で一番強いんだから」

 カガリは食い下がる。

「じゃあ、世界で二番目に強くなりたいです! どうすれば良いでしょうか!?」

「トレーニングして、栄養のあるご飯を食べて、しっかり寝る!」

「そ、それだけですか?」

「そうよ! それができたら、人の二倍トレーニングして、人の二倍食事に気を遣って、人の二倍質の良い睡眠を取る! その次は……分かるわよね?」

「……っ! はい! 頑張ります!!」

「あんた、なんでそんなに強さにこだわるの? 今でもそれなりに強いでしょ? 言っとくけど、あたし分かるんだからね? 何故なら、あたしが強いからっ!!」

 カガリは心の内をネイアに明かす。

 彼女にとってネイアは偉大な天使であり、隠し事など許されないのだ。

「私の角、曲がってて変ですよね? オーガは角が鋭く長いほど優れた個体とみなされる、古い習慣があるんです。みんなは口に出さないけど、次期当主の私が劣等種だったら、きっと色々と思う人もいるはずなんです。だから……! だから、私、せめて誰よりも強くなりたいんです!!」

「ふーん?」

 カガリの熱弁に素っ気ない言葉で返事をするネイア。

 だが、彼女も天使。時には迷える子羊へ啓示をしたりもする。

 実に気まぐれだが、今日は日が良かった。

「じゃあ、あんたの代でさ。作り変えちゃえば良いじゃない、その伝統とか言うの。オーガで最も優れた者は曲がった角を持つって。簡単でしょ? あたしが稽古つけてあげるんだから、そのくらいしてもらわないと困るわ。ぶっ壊すのよ、伝統とか偏見とか、しょーもないヤツ!! 破壊の天使の弟子なんだから、やれるわよね! て言うか、やんなさい!!」

 ネイアの言葉は、カガリの胸にしっかりと届いた。

「……はいっ! ありがとうございます、ネイア様!!」

「にひひっ! もっと崇め奉りなさい! 今日は気分が良いから、しばらく話し相手になってあげても良いわよ?」

「ほ、本当ですか!? 光栄です!!」

 それから朝日が昇るまで、二人は多くの事を語り合ったらしい。

 その思い出はカガリだけのものであり、他の誰にも知り得る方法はないのである。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 カイトたち出張チーム三人がアルゴートに帰還した。

 オーガの兵士三十人を率いて。

 責任者としてカガリも同行していた。

 ヘルムートたちがカイトを出迎え、体力回復を図る。

 アルゴートの領民にとっては見慣れた風景であり、「今日もうちの領主様は弱々しいのに頑張ってくれてるな!」と目を細めている。

「……ああ。もう大丈夫。ありがとうございます、みんな」

「カイト、すごいよ! 最近は瀕死の状態から回復するまでの時間が短くなってる! 成長してるんだねぇ! えらい、えらい!!」

 遠征の度に瀕死になるのが問題なのだが、その点には誰も触れない。

 彼らは領主に恵まれたが、カイトも領民に恵まれていた。

「こちらはオーガ族の皆さん。今日からアルゴートに住んで、主に警備を担当してもらうことになりました。隊長はこの角が立派なリキドさん。豪快だけど気持ちの良い人たちだから、みんな仲良くして、困っていたら率先してお手伝いしてあげてください」

 オーガたちはアルゴートに戸惑いながらも興味津々であった。

 人とエルフが共存している。

 建物や施設も見た事がないものばかりである。

「カイト殿。到着して早々にこんな事を言うのは恥ずかしいのだが。……街を見学したい!! よ、よろしいか!?」

「もちろんどうぞ! これから住んで頂く訳ですから! ヘルムートさん、リキドさんたちをご案内してもらえます?」

「承知したぜ! オーガの旦那方、こちらにどうぞ! まずは腹ごしらえといきましょうや! エルフの料理は絶品ですぜ!」

「おお! 感謝する、カイト殿! お世話になるぞ、ヘルムート殿!! お前ら、行くぞ! あまりはしゃぐなよ!」

「リキドさんがウッキウキじゃないか」

「どの口が言うんだかな。しかし、美しい都市だ」

 オーガ一行はアルゴート見物へと出発した。

 カイトも自分の家に戻り、溜まっている仕事をこなす。

 リザは「手伝うよっ!」と言って、カイトと一緒に居住区へと去って行った。

「じゃあ、私は帰りますね。みんなを見届けましたし」

 そう言ってお辞儀するカガリを、ネイアが引き留めた。

「そんなに急がなくても良いじゃない。あたしが案内してあげるわよ、アルゴート。気になってるんでしょ?」

「い、良いのですか!? はい! 幼い頃に見た廃墟同然だった土地が、まさかこんなに発展しているなんて思わなくって!!」

 ネイアは「にひひっ!」と笑って、カガリの手を引く。

「その発展の八割はあたしの力なのよね!」と言いながら、破壊の天使の観光案内が始まった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「ええーっ!? 開拓を始めてまだ半年なんですか!?」

「らしいわよ。あたしが来たのは一か月半くらい前だけど。……あっ。あれよ? 一か月半で急速に発展したの!」

 破壊の天使に嘘をつかせるのは難しい。

 だが、相手がカガリだと難易度はグッと下がる。

 彼女は目をキラキラさせて「さすがです!!」と尊敬の眼差しをネイアに向けた。

 カガリにとって、アルゴートの施設は初めて見るものが多い。

 噴水や整備された用水路すら、休火山に住む彼女にとってはアトラクション。

 澄んだ水の上を流れていく木の葉を眺めているだけで、三十分は時間が潰せる。

「……おや。帰っていたのかね。てっきりどこかに遊びに出掛けているのかと思ったのだよ」

「あら、ユリスじゃない。暇そうね」

「暇なものか。これからカイトくんと一緒にオーガたちの住居を創るのだよ。君こそ、実に暇そうではないかね。……と、これは失礼。お客も一緒だったのか」

「カガリ。一応紹介しとくわね。これは創造の天使のユリス。なんかアレよ。謎の力で色んなものを創る、なんかまあ、あたしもよく分かってないけど、謎の天使よ。ユリスにも紹介しとくわ。この子はカガリ。あたしの弟子! すごく良い子よ!! 良いでしょー? 言っとくけど、カガリはあたしのだから! あげないからね!!」

「で、弟子……! 光栄です!! あっ、ユリス様ですね。初めまして」

 カガリは深々と頭を下げた。

 まさかこの短期間に何人もの天使と出会うことになろうとは。オーガを束ねる少女は少しばかり興奮している。

「ネイアの随行者にしておくのはもったいない礼儀正しさではないかね。ボクはユリス。オーガのお嬢さん、よろしく頼むのだよ。その角、実に素晴らしい。生まれつきかね? 美しい曲線が芸術的だ。インテリジェンスを感じる。ふむっ。ご両親に感謝すると良いのだよ。その造形美はこのボクでさえ簡単には創り出せないよ」

「あ、ありがとうございます! 私も創造の天使様の事は知っています!」

 ユリスは少しだけ驚いた顔をする。

 彼女はこれまで、オーガ族と関わった事がない。

 そこで論理的に考えた。

「ボクの有能さはオーガたちにも伝わっているのだな。ふふんっ」と。

「かつて破壊の天使様が遺してくださった文献によると、創造の天使様は根暗で性格が悪くて、話はだいたいつまらない。偉そうに喋るくせに何言ってるのか分からなくて、胸が大きい事くらいしか取り柄のないダメ天使だとか!」

「……なるほどなのだよ。分かった。だいたい全部分かったのだよ。ふむふむ。そうだったのか。ボクがダメ天使。そうか、そうか。……ネイア」

 ユリスの手が伸びたかと思うと、次の瞬間にはネイアの耳が引っ張られる。

 戦闘能力はネイアの方がはるかに優れているはずなのに。

「いたっ! 痛い、痛いじゃない! ちょ、そんなマジで怒らなくてもよくない? ほら、ちょっとした茶目っ気よ! あたしだって、まさか文献になって残ってるとは……。あ、あれ? なんかユリス、今日はちょっと強いわね!? あ、ええと」

「話はあっちでゆっくり聞かせてもらうのだよ。なに、ちょうど良い事に、新しい薬の実験体が欲しかったところだ。喉は渇いているだろう? 安心したまえ。味は保証する。苦くてドロドロしていて、最悪なのだよ。ふふふっ」

「ふぎゃぁぁぁぁぁぁっ!! ごめんってばぁ! ちょ、許して! ユリスー!!」

「ボクは別に怒っていないのだよ。ふふふっ。さあ、行くのだよ。君がどんな顔をしてくれるのか、楽しみなのだよ」

 ユリスがネイアを引きずって去って行ったのと同じタイミングでカイトがやって来た。

「ああ、カガリさん。すみません、ユリス様見かけませんでした? スタイルが良くて、学者みたいな喋り方をする天使なんですけど」

「ええと、たった今、ネイア様を引っ張って行かれました……」

 カイトは事情を把握した。

 何がどうなったのかは分からないが、ユリスがネイアに対して教育的指導をするのだろう。

 終着駅さえ分かれば、この場合そこに至る過程は軽視しても良い。

「仕方がない。出直すか」とカイトは来た道を引き返す。「……ユリスを怒らせてはダメ。……結構怖いから」とは、大天使様のコメント。それが全てである。

 彼は去り際、カガリに声をかけた。

「そこの道をもう少し行くと、露天風呂がありますから、良かったら浸かってみてください。足湯もあるので。薬湯で疲れが取れますよ! では、俺は失礼します!」

「あ、はーい。お仕事頑張ってくださいね!」

 カガリはやる事もないので、カイトの勧めに従ってみることにした。

 露天風呂は賑わっており、足湯場ではエルフの女性たちが温浴を楽しんでいた。

 カガリは「失礼します」と頭を下げて、恐る恐る人生初めての足湯に挑戦する。

「ほわぁぁぁっ! 気持ち良い……!」

 思わず口をついて出た心の声に、少し恥ずかしそうにするカガリ。

 その後、エルフの女性たちと世間話をして、天使たちもこの露天風呂によく入るらしいと聞いたカガリは、里に帰ったら絶対に足湯場を作ろうと決意したと言う。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 アルゴートにオーガたちが入植して一か月。

 彼らのもたらしたものは兵力だけではなかった。

 武器作りの巧者と言えば、まず名前が上がるドワーフ族。

 だが、オーガ族も実は武器作りについて非凡な才を持っていた。

 オールマイティに鍛冶をこなすドワーフと違い、オーガは一点特化で武器を作る。

 それが彼らの持つ槍である。

 名前をガエ・ボルグと言う。

 代々受け継がれて来た製法で、頑丈さと切れ味は保証済み。

 さらに特殊なギミックが備わっているのがセールスポイント。

 柄の先端にあるボタンを押すと、一メートルほど長さが伸縮する。

 これが初見の敵には非常に効果的であり、その有用性を保つためにオーガ族は何百年も門外不出の武器としている。

 だが、今回それをアルゴートの領民たちに教える事にした。

 オーガ守護隊の隊長リキドが、里の族長ゴッスに許可を得て、現在ヘルムートたちに使い方のレクチャーをしているところである。

「なるほど、こいつぁすげぇな! 伸びる時の勢いで破壊力も上がるって事ですか!」

「ヘルムート殿は筋が良い。オーガの里に連れ帰りたいほどだ」

「へへっ、ありがてぇお言葉だな! ですけど、オレにゃアルゴートの領主様を補佐する役目がありますんで!」

「ああ。そうだろうな。アルゴートは良い土地だ」

 つまるところ、リキドをはじめオーガたちもアルゴートの住み心地に慣れて、この都市をすっかり好きになってしまったのだった。

 オーガ族は友好の証になるのならば、秘伝の武器だって出し惜しみはしない。

「皆さん、お食事を運んできましたよ! もうお昼ですから!」

「こいつぁ! いつもすみません、フレデリカさん!」

「いえいえ。私たちのお仕事は皆さんに料理を振る舞う事ですから。オーガの方たちの好みもようやく覚えてきましたし! リキドさんたちには、魚介のパスタをご用意してます!」

「おお! フレデリカ殿! 感謝します!! あなた方、エルフの作る食事は美味い! 美味すぎる!! もはや我らは里に帰って食事を美味いと感じられるか疑問です!」

 エルフの料理人たちは、新しい仲間であるオーガたちの好みを徹底的にリサーチし、栄養バランスまでしっかりと考えた食事を提供していた。

 強靭な肉体を誇るオーガたちも、この魅惑の料理には骨抜きにされる。

「あらあら、困りましたね。皆さんも時々里帰りをされるのでしょう?」

 カイトはエルフ、オーガ共に定期的な帰省と人員の交代を認めている。

 アルゴートがいかに住み心地が良くとも、時には故郷に戻りたくなるのが人情と言うもの。

「それが、里から自分もアルゴートへ行きたいと言う者が続出しておりましてな。族長も頭を悩ませておりますよ」

「まあ、そうなのですか。確かに、アルゴートは良いところですものね」

「全くもってその通り。よもや、人間とエルフとオーガ、そこに天使まで共存する都市がこの世に存在するとは思いもしませんでした」

「カイト様の手腕の賜物ですわね」

「そうですな。あの若者は人を惹き付ける不思議な魅力がある。若いのに大したものです」

 エルフとオーガの世間話を聞いていたヘルムートと領民たちは、カイトが褒められるたびに誇らしい気持ちになっていた。

 半年と少し前までは荒廃した死が待つだけの土地だったアルゴート。

 それを帝国でも類を見ない都市に作り上げたのは、カイトの力である。

 もっとも、彼はそう言われてもすぐに否定するだろう。

「さあ、ヘルムート殿! 見回りのついでに訓練を続けましょう!」

「承知しました! お前ら、しっかり学べよ! カイト様がいざって時の剣であり盾となるのが、オレら領民の務めだぜ!」

 今日もアルゴートは平和であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 一方で、穏やかではない土地もある。

「アルフォンス様! 領民が陳情に訪れておりますが」

「ええい! うるさい! 今はそれどころではない!!」

「アルフォンス様。クレオ様がいらっしゃいました」

「何!? あやつ、自分の領地を放ってまた面倒事を持って来たのではあるまいな!? この期に及んで……冗談ではないぞ!!」

 ヘルメブルクが勝手に危機を迎えていた。

 全てはアルフォンスが自分で蒔いた種。

 アルゴートの危険性を広く流布した事に起因している。

 彼は帝国宰相宛の書簡をしたためている。

 アルゴート領主カイト・フェルバッハの情報を寄越せと、最近は週に二度のペースで使いの者がやって来る。

 気付けばアルフォンスはアルゴートの案件に掛かり切りであり、フェルバッハ領の治世を放置して数か月が経とうとしていた。

「父上! ホーランド様から晩餐会の招待状をお渡しするようにと!」

「この馬鹿者が!! 今、貴族の晩ばん餐さん会かいに出席できる状況だと思うのか!?」

「ひぃっ!? も、申し訳ありません!?」

 クレオは自分の領地を発展させようともせず、アルゴートを潰すためだけに奔走。知己を得た貴族たちのご機嫌を取るのに精を出していた。

 当然だが、領民からの評判は悪くなる一方である。

「ああ、くそっ! 眠い!」

「お眠りになったらよろしいではないですか」

「この大馬鹿者がぁ!! 寝る暇があればとうに寝ておる! ……今となっては、カイトの《目覚まし》があればと思うばかりだ。日に二時間しか寝れぬのでは、思考力が低下して仕方がない!」

 どうにか書簡を書き終えたアルフォンスはクレオにそれを預けた。

 帝国宰相に書状を届けるためにはいくつかの検問を通過しなければならず、彼はそれに対して不平を漏らす。

 アルフォンスは失ってみて初めて、カイトの勤勉さは稀有だったと思い知らされた。

「アルフォンス様。陳情の内容を纏めておきました」

「……そうか。正直なところ、助かる」

 執事に対して、高圧的な態度を取るのも忘れるアルフォンス。

 陳情で最も多いのは「郊外で魔物が増えて被害が出ている」というものだった。

 続いて「魔物に対応するために若者が徴兵されて生産能力が低下している」と続き、「警察、警備が手薄になっているため、治安が悪化している」と結ばれていた。

 広大なフェルバッハ領。

 毎日のように各所から手紙が届き、その量は既に二百を超える。

 もちろん、未読の件数である。

「申し上げにくいのですが、帝国軍の少将からも書状が届いております」

「なんだと……。無視する訳にもいくまい……。寄越せ……」

 疲労困憊のアルフォンス。

 身から出た錆さびが、少しずつフェルバッハ家に破滅の音を響かせようとしている。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 順風満帆に思えたアルゴートだが、こちらも凶兆が忍び寄っていた。

 ゴトッという、何かが床に落ちた音で目を覚ましたリザ。

 時刻はまだ夜明け前。

「ふあぁー。カイトぉ? どしたのー? いくらなんでも早いよぉー。まだ寝てなってば」

 そう言いながらチラリと隣のベッドを見ると、そこにカイトの姿がなかった。

 昨夜も彼が遅くまで仕事をしていた事を知っているリザは、言い知れぬ不安を感じて起き上がる。

 悪い予感の的中率というものは、どうして良い予感に比べて際立って高いのか。

 カイトは床にうずくまって、胸を押さえていた。

「えっ、か、カイト!? どうしたの!? ちょっと、カイト!?」

「……いや。ごめん。少しフラっとしただけで。起こしちゃったか」

 リザがカイトの額に手を当ててみると、明らかに発熱の症状が見られた。

 呼吸も荒く、熱があるはずなのに顔色は青ざめている。

「た、大変! シエラちゃん! 起きて、起きてぇ!! カイトが!!」

 カイト・フェルバッハ昏倒の知らせは、夜明けとともにアルゴート中へと広がった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「どう!? ユリス様! 分かる?」

「ううむ。ボクも人間の生態にはそこまで詳しくないから断言はできかねるのだよ。ただ、命に関わる重病ではなさそうにも思える。とは言え、健康なようにはとても見えないのだよ」

「だ、大丈夫ですよ。少し風邪でも引いただけですから。大袈裟だなぁ」

「……カイト。……状況は正しく表現するべき。……これは大袈裟ではない。……真っ当な対処。……領主が倒れると領民は困る。……それから、家族はもっと困る。……心配して、胸が痛くなる。……現在進行形で、私とリザの胸が痛い」

 シエラの正論に屈したのか、反論する余力もないのか。

 病床の領主様はベッドに力なく横たわった。

「カイト様ぁ! ケベルトのじいさんに秘伝の薬もらって来たぜ!! これ飲めば一発で治るってよ!! 元気出してくれねぇと、オレらも落ち着かねぇんだよ!!」

「まったく、だらしがないわね。気合で治しなさいよ、それくらい。あたしは風邪なんか引いたことないわよ!」

 ヘルムートとネイアも駆け付けて来た。

 アルゴートが発展してきたのはカイトの実直な人柄と、たゆまない努力のおかげであると領民は知っている。

 何百人もが病床の領主を見舞おうとしたが、それをヘルムートが制した。

「カイト様に負担かける事になっちまうだろが!」と、彼は理性的に領民たちをなだめる。

 だが、「自分たちのために領主様が無理をしたせいで」と思わずにはいられない領民たちの気持ちも分かる。

 ケベルト秘伝の薬を飲ませて、カイトに布団をかけるリザ。

「カイトは体力がないけど、こんな風に倒れたのは初めてだよ! どうしよ!? うぅー。心配だよぉー。わたしが代わってあげたいのにぃ!!」

「……現状、アルゴートで最も医学や薬学に詳しいのがユリス。……そのユリスがお手上げではどうしようもない。……私たちがにわか知識で議論をするのは労力の無駄。……一つ案があるとすれば、天空の露草」

 かつてエルフ族の王女アデルナが、重病の父を救うためにその薬草を求めてアルゴートへやって来た事があった。

 あの薬草ならば万病に効くため、間違いない療法になるだろう。

 だが。

「ボクの記憶によると、天空の露草は採取ランクがSだっただろう? それがこの短期間においそれと見つかるものかね? ほら、この辞典にも書いてある。十年に一度しか生えてこないと。カイトくんは強運の持ち主でもあるのだよ。ボクたちに彼と同じだけの運があると考えるのは、いささか乱暴なのだよ」

 事はそう上手くいくばかりではなかった。

「それでも、万が一って事がありますぜ! オレぁここにいてもお役に立てそうにねぇ! 村の若い衆連れて、森やら山やら回って来ますわ! オーガさんたちにも助っ人を頼もう!! そんじゃ、リザ嬢ちゃん! カイト様を任せたぜ!!」

 そう言うと、ヘルムートは急ぎ薬草探しの部隊を編成し近隣の森と山に向かった。

「そだっ! エルフさんとかオーガさんに聞いてみるのはどうかな!?」

「……恐らく、ユリスと同じ事しか言えない。……種族が違うから。……天空の露草みたいな例外を除けば、同じ種族間で行われる療法が最適。……むしろ、下手に手を出すと悪化するかもしれない。……エルフもオーガも、人よりずっと強靭な種族。……根本的な体の造りが違う」

「気合よ! やっぱり気合! 冷たい水でもぶっかけたら元気になるんじゃないかしら!」

「ネイア。君は今回の案件で最も役に立ちそうにないのだよ。静かにしておいてあげたまえ。カイトくんが安眠もできないのだよ」

 四人の乙女たちは「うーん」と唸る。

 その中心で寝ているカイトは苦しそうに時々呻うめく。

「やはり、どこかから医者か薬師を連れて来るしかないのではないかね? と言うか、この領地の人間は皆が体調不良を自分たちでどうにかしてしまうから思い至らなかったが、医療に長けた者がいないのは大問題なのだよ。疫病が流は行やればコミュニティの崩壊に直結する。事実、今ボクたちは大ピンチなのだよ」

「……ユリスに同意する。……天使の祝福でも人の病気は治せない。……でも、この近くに医者がいるような大きな街はない。……さらに、現在アルゴートは帝国といざこざの真っ最中。……そんな場所にやって来る変わり者がいるかどうか分からない」

 その時、リザが閃いた。より正確に表現すれば、思い出した。

「わたしが小さい頃に住んでいた街にね、すっごい腕の良い薬師さんがいたの! お金も取らずに色んな人を診てくれて!! あの人だったら、きっとカイトの事を治してくれるよ!」

「そうは言うけどさー。今とリザの小さい頃とじゃ状況が全然違うんでしょ? 来てくれるのかしら? 腕が良いってんなら、なおさらこんな辺境に来たがらないでしょ?」

「ネイア、君ってヤツは。どうして急に正論を吐くのかね。今は細い糸にだってしがみつかなければならない時だと思わないのかね。何もせずにカイトくんがこのままとなれば、色々と不都合が出て来るのだよ」

「不都合って何よ?」

 ユリスは「やれやれなのだよ。まったく」と大きなため息をついて、ネイアに解説する。

「第一に、カイトくんが重病だった場合。早急な対応をしなければ命に関わるかもしれないのだよ。人は案外簡単に死んでしまうものなのだからね」

「なるほどー。人間って弱っちいわねぇ。他にも何かあるの?」

「……この機に帝国軍が攻め込んで来たら、実に厄介。……迎撃はできる。……だけど、交渉する人間がいない。……領主が倒れていると知られたら、大攻勢をかけてくるかもしれない。……そこからは問題が大きくなる一方。……また攻められて、迎撃。……領主がいなければやっぱりまた攻めて来る。……終わらないループ」

「あー。確かに! 相手が弱ってたらチャンスよね!」

 そうなると、取り得る選択肢は少ない。

 ヘルムートたちが天空の露草を奇跡的に発見するのを待つか。

 リザのかつて住んでいた街に向かい、凄腕の薬師に頼み込むか。

 実質、一択の問題であった。

「わたし、行って来る! カイト、待っててね!」

「待ちたまえよ。誰かついて行かなければなるまい。リザくん一人では危険が大きい。まずは場所を確認しよう。その街の名前を教えてくれるかね?」

 リザは答えた。

「カイザッハ! カイザッハっていう街だよ!!」

 目的地は定まった。

 リザの献身に心を打たれた三人の天使たちも今回は一致団結。

 いつも自分を後回しにして、誰かのために何かをしているカイト・フェルバッハ。彼の危機を救うべく、今回は乙女たちが立ち上がる。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 ユリスが地図を広げて、カイザッハという名の街を探した。

 リザも十四歳になってから住まいを慌ただしく転々と移して来たこともあり、正確な位置を把握していなかったのだが、その場所を見て一同が驚く。

「あれ、これって。もしかしてだけど。カイトのお父さんのとこ?」

「ふむ。フェルバッハ領なのだよ。現在はアルフォンス・フェルバッハの治める領地の一つであり、主要都市ではないがそれなりに大きな街のようだね」

 偶然か運命か。奇縁である事は間違いなかった。

 カイトを救うために向かうべき場所が、アルゴートの立場を帝国内で著しく悪化させた元凶である、フェルバッハ家が治めている地だった。

「んー。カイザッハに行くってカイトが聞いたら、怒るかなぁ? お父さんの治めてる街だし……」

「……今は好む好まざるを言っている場合じゃない。……カイトの命に関わる問題。……だったら、そこが地獄の底でも行くべき」

「さっすが! シエラの言う通りよ! 地獄に挨拶しに行きましょ!!」

「いや、地獄というのは喩えなのだよ。と言うか、ネイアは留守番をしておいて欲しいのだがね。今回は荒事などないだろうし、ボクたち天使が一斉に出かけてはアルゴートの警備が手薄になる」

「何よぉ! あたしも行きたいー!!」

「……ネイア。……お土産買って来るから、今回は大人しく待ってて」

 唯我独尊天使であるネイアも、大天使シエラの言う事ならば聞く耳を持つらしい。

 その後三十分ほど駄々をこねたが、最終的には残留を了承する。

「じゃあ、とにかく早く出かけなくちゃ! シエラちゃん、ついて来てくれる!?」

「……もちろん。……カイトは私の主。……リザは同じ屋根の下で暮らす家族。……放っては置けない。……私の方が先輩だし。……どやぁ」

「やれやれ。ボクも同行しよう。リザくん一人では道中が危険だし、シエラに任せていると交渉に不安が残る。弁の立つ者が必要だと思うのだよ」

「ユリス様! ありがとー!! じゃあ、支度するね!!」

 こうして、カイトを助け、アルゴートの医療体制の確立を求めて、三人はその日のうちにアルゴートを発つのであった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 冒険者だったリザと天使が二人の道中は、普段の遠征の倍以上のスピードで歩みを進めていた。

 体力のない同伴者がいない事も理由の一つだが、領主であり家族である、リザとって特別な存在のカイトを救いたい思いは、自然と彼女の足を急がせた。

「カイザッハについての情報が極めて少ないのだよ。どんな街なのかね?」

「わたしも住んでいたのは小さい頃だったからところどころ忘れてますけど、峠の途中にある街で、行商人の宿場街みたいになってたんです! 色んな物が集まるところでした!」

「……交通の要衝。……ならば、薬の材料になるものを手に入れるのも比較的容易。……つまり、腕利きの薬師がいてもおかしくはない」

「そうあって欲しいのだよ。無駄足はボクの嫌いなものランキングでもかなり上位を長年キープしているからね。できるだけ避けたいのだよ」

 リザは両親の顔を知らない。

 捨て子だったからである。

 カイザッハの教会が彼女の実家のようなものだが、そこも既になくなっている。

 モンスターの襲撃を受けた直後に大嵐が来て、教会を含む多くの建物が壊されてしまったのはリザが十三歳の時。

 特に捨て子を養っていた神父が亡くなったのは痛恨であった。

 一年ほどリザは数人いた身寄りのない子供たちと生活を共にしていたが、幼い子供は養父母が見つかり、彼女よりも年長者は新天地へと出て行った。

 そうして最後に残ったリザもカイザッハを後にして、冒険者へと転身する。

 紆余曲折あってアルゴートにたどり着いた彼女だが、自分が不幸だと思った事は一度もなかった。

 身寄りがないおかげで強くなれたと思っているし、冒険者としての経験は得難いものだと感じている。

 何より、カイトやシエラと出会えたことは、人生で最高の幸運だと彼女は信じて疑わない。

「待っててね、カイト! 絶対に薬師さんを連れて帰るから!!」

 リザはカイトに対して特別な感情を抱いている。本人も自覚はあるのだが、初心な性格と経験不足が相まっており、それが友愛なのか、恋心の類なのかは分からない。

 ならば、これから知っていけば良い。

 そのためにも、彼女は汗を拭って旅路を急ぐ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 マチルダ・ルーテンタークはカイザッハで薬師の職に就いていた。

 歳の頃は二十代後半だが、その腕は熟練の技術が光る。

「マチルダちゃん! ちょいと傷薬を調合してくれるかい? 旦那が屋根から落ちちゃってねぇ!」

「あ、はい。少し待っていてくださいね。この薬を先に完成させますから。一時間。ううん、三十分で済ませます」

 カイザッハでは、医者と薬師がまさに改革を起こそうと躍起になっていた。

 原因は領主にある。

 以前までは医者と薬師には領主が報酬を支払い、領民を無償で診察、治療していたのだが、その給与が未払いの状態になってはや半年。

 二か月経つ頃にはまだ辛抱強く待っていた彼らだったが、半年になればもはや是非もない。

 医者や薬師も慈善事業ではないのだ。

 彼らだって食事をしなければ生きていけないし、腕を磨くためにも金がいる。

 そして、ついにカイザッハでは領主の支配から脱却し、医者と薬師で作る組合が街の医療体制を取り仕切る事が決まった。

 つい二週間前の事である。

「お待たせしました。この傷薬を患部に塗り込んで、しばらく乾かしてください。乾いたらもう一度塗って、その後は包帯を巻いて。それでも痛みが治まらない場合は、お医者様の診察を受けてくださいね」

 婦人はまず「ありがとうねぇ」とマチルダに礼を言うが、その表情は暗い。

 その理由はマチルダも知っていた。

「医者にかかるとねぇ。やっぱりお金がかかるだろう? あたしたちゃギリギリの生活してんだよ。そりゃあ、お医者様だって生活があるのは分かるけどねぇ」

「あ、はい。そうですね。私も心苦しく思っています」

「別にマチルダちゃんを責めてるんじゃないんだよ? 薬、ありがとうねぇ!」

「はい。お大事になさってください」

 婦人を見送ったマチルダはため息をつく。

 カイザッハの住人は組合の事をよく思っていなかった。

 これまで無償で受けていたサービスが急に高額の対価を求めるようになったからである。

 住人の気持ちも分かるが、組合も法外な額を請求している訳ではない。

 むしろ、かなり良心的な額で往診を行っている。

「はあ……。息が詰まるわね……」

 マチルダもこの状況にはうんざりしていた。

 組合も、再三にわたり領主へ状況改善の書状を送っている。

 だが、待てど暮らせど返事はない。

 積み重なっていくのは不平と不満。閉塞感であった。

「いっそ、誰かがこの街から連れ出してくれないかしら」と、彼女は晴れ渡る空を見上げる。

「すみませーん! ルーテンタークさんのお宅はこちらでしょうか!?」

 そんなマチルダの元を訪ねて来たのは、懐かしい顔だった。

 お互いに数年ぶりの再会だったが、すぐに誰だか分かったと言う。

「……リザちゃん!? 教会に住んでた! そうよね!? わー。大きくなったのね!! すっかり女の子らしくなって!! 可愛くなったのは、好きな男の子でもできたのかしら?」

「はい! って、えええっ!? そ、そんなこと、ない……そう! ないですからぁ!! もぉ、久しぶりなのにからかわないでくださいよぉ!! でも! マチルダさん、お元気そうで良かったぁー! あの、ルーテンタークさんは?」

 リザが探しに来た腕利きの薬師は、マチルダの父だった。

 既に彼が病没しているとは知らずに、リザはその姿をキョロキョロと探していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 父を一生懸命になって探すリザを見て、マチルダは申し訳なさそうに真実を告げる。

「ごめんなさい、リザちゃん。父はもう亡くなってからしばらく経つのよ」

「ふぇっ!? う、嘘……! ルーテンタークさんが……!?」

 リザにとってはカイトを助ける希望の糸だったルーテンタークの存在。

 それがバッサリと絶たれた今、失意は大きかった。

「ええと、どうしたの? 急に帰って来たかと思えば、父を探して。……まあ、中に入ってちょうだい。話くらいは聞いてあげられると思うから。お連れの方たちも。散らかっていますけど、どうぞ」

「……はい。ありがとうございます」

 明らかに元気を失くしたリザ。

 彼女に続いて、シエラとユリスがやって来る。

「おおっ! これはすごいのだよ! 実に興味深いではないか!」

「ユリス様ぁ……。今、わたしすっごく落ち込んでるのに、そんなにはしゃぐなんて酷いですよぉ……。もぉぉー」

「いや、落ち込むことはないかもしれないのだよ、リザくん。この棚を見たまえ! 帝国領内どころか、外国の薬草まであるではないかね! しかも、実にインテリジェンスで、想像力溢れる調合なのだよ! ボクは人間の薬学にそれほど詳しくはないけれど、これほど見事に薬草同士を組み合わせるとは……! インテリジェンスな芸術作品なのだよ! ふむっ!」

 興奮するユリスの代わりに、シエラがリザに告げる。

「……つまり、このマチルダという人間。……彼女は優れた薬師だと判断できる。……リザの探していた先代よりも才能を持つ可能性すらある」

「ほ、ホント!? シエラちゃんが言うなら、わたし信じるよ!?」

「……今は主の緊急事態。……そしてリザは家族。……嘘で偽る必然性が見つからない。……私だって、リザをからかって遊ぶ時はちゃんと選ぶ」

「そっかぁ! 良かったぁ!! ……えっ!? わたし、遊ばれてることあるの!? い、いつ!? 酷いよぉ!!」

「……後輩をからかうのは先輩の特権。……むふーっ」

 盛り上がる三人。マチルダは置いてけぼりをくらっていた。

 それに気付いたリザは、慌てて彼女に事情を説明する。

「家族が急病なんです!! その人は領主で! すっごく普段から頑張ってて!! その、マチルダさんの力が必要なんです!! お願いです! 助けて下さい!! カイト、わたしの特別な存在で!! 苦しそうな顔、見てられなくって!!」

「え、ああ、うん? 落ち着いて、リザちゃん。もう少し詳しい話を聞かせてくれるかしら?」

 リザは「あ、すみません!」と謝ってから、カイトの病状とアルゴートが置かれている立場についてマチルダに説明するのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「……そうなの。話はだいたい分かったわ。一つ気になったのだけど、カイトくん? その領主様のファミリーネームって、フェルバッハなの?」

「はい! そうですよ! カイト・フェルバッハです!!」

 マチルダは少しだけ考える。

 カイザッハを放置している領主の名は、アルフォンス・フェルバッハ。

 偶然だろうか。

 彼女はそれを「奇遇な事もあるわね。そんなことよりも、お昼は何を食べようかしら!」と流してしまえるほど単純な人間ではない。

「分かったわ。アルゴートに行きましょう。私も、そのカイトくんと少しお話がしたいから。二時間ほど待ってくれる? すぐに支度をするわ」

「わぁ! 本当にありがとうございます!!」

 すると、ユリスが「水を差すようで悪いのだがね」と口を挟んだ。

「君はどう見ても、この都市で一番の薬師だろう? その優れた薬師が急にカイザッハを離れると、色々と問題があるのではないかね?」

 マチルダは痛いところを突かれたと言う表情をしたが、今さら自分を偽るのも馬鹿馬鹿しくなって、胸の内を三人に話した。

「この都市はね、今まさに変わろうとしているの。領主に対し、医師と薬師が中心になって。とても大きな政策を進めているところなのよ」

「……無能な領主にうんざりする気持ちは分かる。……マチルダは反対している?」

 シエラの問いに、彼女は首を横に振る。

「いいえ。改革は必要だと思うわ。……けれど、私は昔のカイザッハが好きだったの。今のこの街には、あの頃の面影なんかない。勝手と言われるかもしれないけれど、私はどこか別の場所に移住しようかと考えていたところなのよ。……もう、息苦しい生活にはうんざり。父が愛していた街が音を立てて崩れるところは見たくないなって」

「……なるほど。……理解した。……それなら、マチルダに提案する。……カイトを治療してくれるなら、アルゴートにそのまま住めば良い」

「ええっ!? でも、私ね、恥ずかしいけれどお金があまりなくて。移民税や新しい住まいを構える余裕なんてとても……」

 難しい話が終わると、アルゴートで一番の元気娘の出番である。

 リザが大きな声で言った。

 大事な家族の代弁者として、胸を張る。

「アルゴートは来る者拒まずですよ! お金なんていりません! と言うか、アルゴートには薬師さんがいないので、大歓迎です!! って、カイトは絶対言うと思います!!」

「リザくんの言う事は正しいのだよ。あのお人好しな領主様は、きっと君の事を喜んで受け入れるだろう。いや、頭を下げて、ここにいてください! などと叫ぶかもしれない。彼はそういう男なのだよ。実に面倒くさい思考回路を持っている。けれど、何故かみんなが彼の事を好きなのだ。まったく、不思議な人間もいたものだ」

 マチルダにとって、その話は得しかない僥倖であった。

 ここまで美味い話なのだから、何か裏があるのではとさえ思った。

 そして、いつの間にかそんな風に人の厚意を勘繰るようになった自分が嫌になった。

 彼女は父の背中を見て薬師を志した頃の気持ちを思い出し、リザに言った。

「……分かったわ! このマチルダ・ルーテンターク、アルゴートに行きます! 領主様の治療は任せてちょうだい! その代わり、住居をお願いね? ちょっと広くて、お庭で薬草を育てられると嬉しいのだけど!」

「わぁぁ……! はい! 任せて下さい! 立派なおうち創りますね! ユリス様が!!」

「ふむ。ボクに丸投げなのだよ。リザくん。なんだかカイトくんに似てきたのではないかね」

「へっ!? そ、そうですかぁ! もぉー。ユリス様ってば!」

「ボクは皮肉を言ったつもりだったのだがね……。うん。ものすごく嬉しそうなのだよ……」

 マチルダの準備が整うのを待って、彼らは急ぎアルゴートへと戻る。

 リザは道中、繰り返しカイトの身を案じていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 アルゴートに到着したマチルダは、しばし呆然とする。

 初めて見るエルフやオーガに圧倒され、シエラとユリスが天使であると明かされて更に驚く。

「マチルダさん! 今はカイトを早く診てもらえますか!?」

「え、ええ。そうね。……本当に、すごいところね」

 マチルダの手を引いて家に戻ったリザ。

 ちょうどヘルムートが冷たい水を汲んで来たところだった。

「リザ嬢ちゃん! 帰ったか! するってぇと、そちらの方が!?」

「うんっ! 凄腕の薬師さん! 早速お願いします!」

 ここ数日聞こえなかった元気な声に気付いて、カイトがのっそりと起き上がる。

「ああ、リザ。おかえり」

「もぉ! カイトは寝てて!! こちらはマチルダ・ルーテンタークさん! 超凄腕の、帝国領で一番の薬師さんだよ!!」

 どんどん自分を形容する表現が過剰になっていく事に苦笑いしながら、マチルダは名乗った。

「お目にかかれて光栄です、領主様。早速ですけど、診察させて頂きますね」

「いや、これはご丁寧に。すみません。身だしなみも整えずに……」

「病人はそんな事を気にしないものですよ。……うん。とにかく、熱を冷ます事から始めないといけないわね。手持ちの薬だけじゃ少し心許ないかも。すみません。どなたか、あるだけの薬草を持ってきてくれますか?」

「へ、へい! 薬草だけなら売るほどあるんで、お任せを! おおい! お前らー!!」

 ヘルムートが居住区を走り回ると、本当に山のような薬草が集まった。

「ありがとうござ……ちょっ!? この薬草、どこで手に入れたんですか!? こっちも!! 全部合わせたら帝国銀貨五十枚でも足りないくらい!!」

「エルフとオーガのみんなから集めて来たんですわ! 足りますかい!?」

「……足りるですって? これで病人を治せなかったら薬師の名折れよ。それに私、一応《調合》のスキルを持っているの。未知の薬草だって失敗しないから、安心して!」

「おおっ! そいつぁ頼もしい!!」

 マチルダは速やかに薬を調剤した。

 その手際の良さには、集まって来た領民をはじめ、エルフやオーガからも感嘆のため息が漏れる。

「はい。領主様。これを飲んで下さい」

「あ。これはすみませうわっ、苦い!! これ、飲まなくちゃダメですか? あの、もうちょっとマイルドなヤツは……」

「もぉぉぉ、こらぁ! カイトー!! 男の子なんだから、ちゃんと飲んで!! みんながすっごく苦労したんだからね!!」

「あ、はい。ごめんなさい」

 苦い顔をして苦い薬を飲んだカイトは、そのまま一晩寝ることになった。

 翌日になると、熱はすっかり下がり顔色も良くなった、健康を取り戻した虚弱な領主様がそこにはいた。

 カイトは改めてマチルダにお礼を伝えて、頭を下げた。

 噂通りの領主の姿を見て、マチルダは「ふふっ」と吹き出した。

「お礼は結構です。……今日から私もアルゴートの領民ですから! よろしいですよね? 領主様?」

「リザから話は聞いています! もちろんですよ! 歓迎します!!」

 アルゴートに足りなかったパズルのピースが、また一つ埋まった瞬間であった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 マチルダ・ルーテンタークがアルゴートにやって来て三週間。

 凄腕薬師の売り文句に偽りはなく、彼女の才能は大いに歓迎されていた。

「はい。オーガの方たちにはこちらの栄養剤を。体調不良の時にも飲めますし、予防として常用してもらっても構いませんよ。滋養強壮に重点をおいています。オーガの皆さんは体が丈夫ですが、内側のケアに気を付けてくださいね」

「これはマチルダ殿。お心遣い、大変痛み入る。我らオーガ族は薬に頼ると言う発想すらなかったもので。よもや、栄養剤一つでここまで万全の体調が維持できるとは。いやはや、薬師と言うのはすごい職業ですな」

 オーガ守護隊の隊長リキドは、週の初めに決まってマチルダの店を訪ねる。

 そこで部下たちに飲ませる栄養剤を入手するのだ。

「いえいえ。大したことではありません。私はたまたま《調合》というスキルを付与されたので。父も薬師でしたし、本当にすごい偶然が重なっただけなんです。環境に恵まれただけですから、あまり褒められると困ってしまいます」

 リキドは「それは謙遜が過ぎますぞ」と首を横に振る。

「マチルダ殿の薬で、領主様も回復されたと聞き及んでおります。なれば、あなたはアルゴートの救世主であらせられる。もっと堂々としてくだされ。でなければ、我らが里に残っている同胞にこの素晴らしい薬を自慢できなくなる」

 リキドはお世辞を言えるほど器用な男ではない。

 それが分かっているので、マチルダも表情をほころばせる。

「あらあら。そこまで言ってくださるのなら、少しだけ威張ってしまおうかしら。なんて、ふふっ。本当にこの土地は良いところですね」

「はっはっは。アルゴートに来られた者は、まずその感想を口にしますな! かく言う我らオーガ族も、全く同じ感想を口にしたものです。多種族が共存できる土地。これは得難きものですな!」

 マチルダは「ええ! 本当に!」と応じる。

 リキドは両手いっぱいの栄養剤を抱えて、守護隊の詰め所に戻って行った。

 入れ替わりにエルフのフレデリカがやって来る。

 聞けば、彼女の仲間が厨房で火傷を負ったとのこと。

 マチルダはすぐに傷薬を調剤した。

「こちらの薬でまず患部の消毒を行います。それが済んだら、こちらの黄色い瓶に入っている傷薬をたっぷり塗り込んで下さい。大丈夫です。傷痕は残りませんよ!」

「ああ、良かった! 料理人に火傷はつきものとは言え、若い子の腕に火傷の痕が残るのは可哀想だと思っていたのです! マチルダ様、感謝いたしますわ!!」

 駆け足で帰って行くフレデリカを見送って、マチルダは物思いに耽る。

 彼女は一度もカイザッハの街から出た事がなく、アルゴートへの移住に対して少なからず不安を抱いていた。

 だが、蓋を開けてみれば何の事はない。

 領民はマチルダを頼ってくれる。

 彼女はそれが嬉しい。

 薬師として、本当の生きがいを見つけた気分だった。

 無条件で自分を信じてくれるのは何故だろうかと、彼女は不思議だった。

 が、すぐに納得した。

「こんにちはー! マチルダさん、遊びに来ましたぁー!! それから! この体の弱い領主様の検査もお願いしまーす!!」

 リザがカイトの腕を引っ張って、マチルダの店にやって来た。

 マチルダは既に知っている。

 この領主が信任してくれたから、自分はすんなりとアルゴートに受け入れられた事を。

「カイトさん、予後は良好のようですね。ちゃんとお薬飲んでますか?」

「はははっ。どうにか頑張っています。飲まないとリザが怒るんですよ」

「当たり前だよぉ! カイトが倒れて、わたしもみんなも、すっごーく心配したんだからね!! 一緒に住んでいる者としては、もう二度とカイトを病気にさせないの!!」

「この調子でして。俺が用意するまでもなく、食事の時間になると薬の瓶が一緒に出て来るんですよ。参りました」

「あらあら。リザちゃんは本当にカイトさんの事が好きなのね」

「ふぇ!? や、別に、好きとかそーゆうのじゃ! いや、嫌いじゃないですけど! もちろん!! でも、好きとか! あれ? 嫌いじゃないってことは、好きってことで!?」

 顔を赤くしてぶつぶつと呪文を唱え始めたリザ。

 カイトはそんな彼女を笑顔で眺めてから、マチルダに質問する。

「何かお困りの事はありませんか? 不足しているものはないですか? マチルダさんには無理を言って移住して頂いたので、気になっておりまして」

「ふふっ。過不足なく、毎日楽しく過ごしています! いえ、むしろ満たされているかもしれません! 新参者の私をこんなに頼ってくれて! 働きがいがあります!」

 マチルダの住んでいたカイザッハが父であるアルフォンス・フェルバッハの領地である事をカイトも既に知っていた。

 もちろん、その父が領主としての責任を果たしていない事も。

 カイトはカイザッハに自分の手が届かない事を歯は痒がゆく思っていた。

 誰であろうと、笑顔で毎日を過ごす権利を有している。

 目の前にいるマチルダのように。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 フェルバッハ家では、アルフォンスが胃痛を堪えながら政務をこなしていた。

 カイザッハからの書状も毎日のように届く。

 それも山のように。

「アルフォンス様。またカイザッハからです」

「またか!? ええい、どうしろと言うのだ! 勝手に組合を作ったのはヤツらの方であろう!! ならば、もう好きにせよと返事をしたはずだ!!」

 領主とは思えない言動であった。

 不思議なもので。追放したカイトの元へ優秀な人材が集う度に、アルフォンスが持っているものが欠けていくように思われて、剛腕の領主として名を馳せた男は胸を押さえる。

「父上! ホーランド様から舞踏会の招待状を預かって参りました!!」

「黙れぇぇ!! 貴様はいつもいつも!! ホーランドは確かに上級貴族だ! 邪険にはできん!! だが、クレオ!! 貴様も口と耳が付いているのならば、聞いたことに対して自発的に対応できんのか!? いい加減にせよ!!」

「そ、そう申されましても。僕の一存で物事を決めてしまっては、万が一の時の責任が取れません」

「責任を取るのが領主の務めであろうが!! 貴様は自分の領地もろくに管理できず、貴族とのパイプを手当たり次第に繋ぐものだから、仕事ばかりが増えていく!! 貴様の得た稀有なスキルの《富の泉》はいつになったら覚醒するのだ!? 湧いて出て来るのは下水の汚泥ばかりではないかぁぁ!! ぐぅっ。ごほっ、ごほっ」

 激務が祟り、疲労が重なり、アルフォンス・フェルバッハは心身ともに限界が近づいていた。

 それもこれも身から出た錆なのだが、錆に蝕まれてなお、彼はその原因と向き合おうとしない。

「それでは、ホーランド様の舞踏会には僕が名代として出向きましょうか?」

「馬鹿が!! 踊る暇があれば、私を手伝わんか! カイザッハ一帯がもはや手の付けられん状態になっておる!! 組合などを作りおって、愚民どもが! そうだ、クレオ! 貴様が名代としてカイザッハに赴き、組合を解散させて来い!!」

「む、無茶ですよ! 僕にはそのような大役……! 兄上ならばいざ知らず……あっ! いえ!!」

 クレオは自分が何を言おうとしたのか、すぐに理解ができなかった。

 あれほど蹴落として悦に入っていた兄の存在を、今まさに求めているのは自分である事を。

 カイトはクレオが気付かないところで、常に率先して矢面に立っていたのだ。

 優れた才能はなくとも、カイトが兄でクレオが弟だと言うだけの理由で。

 今さらその簡単な事に気付いて、クレオは虚しさに苛まれていた。

 その日の晩。

 アルフォンスは胃痛が原因で熱を出す。

 彼を診てくれる医者も薬師もいない。

 それらを失った原因にも気付けない。

 フェルバッハ家に立ち込める暗雲は、いよいよ雷雨を降らせようとしている。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 二週間後。

 フェルバッハ家では、どうにか体調を持ち直したアルフォンスが仕事をしていた。

 軽い気持ちで帝国の中枢に関わってしまったばっかりに、分不相応な役目を押し付けられることになった彼は、相変わらず追い詰められた状況であえいでいた。

「父上! 父上!! 良き知らせを持って参りました!!」

「……クレオか。……貴様の良い知らせが本当に吉報だったのはいつまで時を遡れば良いのか。して、どうした? またホーランドの晩餐会にでも呼ばれたか?」

 アルフォンスは愚か者だが、馬鹿ではない。

 一度ならば「次こそは」と思い、二度目は「またか」と呆れるが、三度目になると先に疑ってかかる。

 そして、これは果たして何度目か。

「どうせしょうもない面倒事だろう」とアルフォンスは愚息の喜ぶ顔を見てため息をついた。

 だが、世の中と言うものは実に絶妙なバランスを保っているもので、悪い事ばかりが永遠に続くように思われた日々に、突如として光が差し込むこともある。

 東方の国では、待てば海路の日和ありと言うらしい。

「天使と出会いました!!」

「クレオ。思えば貴様にも、少し強く当たり過ぎたかもしれん。少し休め」

「いえ、父上! お任せくださった領地のフォルメアンにですね! なんと天使が住んでいたのです!! 僕のスキル《富の泉》で湖を一つ整備したのですが、そこがどうやら天使の気に入っていた場所だったらしく!! 領主に礼を言いたいと僕のところにやって来ました!!」

「それは本当か!? いや、待て。天使と言うのはその辺りをホイホイ歩いているものなのか!?」

 アルフォンスの懸念も当然のものだった。

 だが、実際にフォルメアンには天使が住んでいたのである。

 アルゴートに集う天使たちのように眠っていた訳ではなく、どうやら年齢が若いらしい。

 天使の「若い」が果たして何歳を指しているのかは分からなかったが、アルフォンスも「これはまたとない好機」と考え、翌日にはクレオを伴いフォルメアンへと出立した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「一週間後にまた来ると申しておりましたので、明日にはここへやって来るはずです!」

「そうか! ……しかし、条件がな。領地を寄越せと言っておるのだな?」

「はい! できるだけ大きい領地を自分のものにしたいと! 何でも、自分で統べる土地を探している最中だそうで!」

「天使と言うものは、自らそのような要求をしてくるものなのか……。まるで古い寓ぐう話わに聞く悪魔との取引のように感じられるが……」

 アルフォンスはアルゴートに住まうと言う天使たちを思う。

 彼自身はシエラとしか面識はないが、彼女が「領地を差し出せ」などと言う、あまりにも俗な条件を提示した上でカイトに使役される事になったと考えるほどこの名領主と呼ばれた男は単純にできてはいない。

 だが、現実問題として、翌日。

 本当に天使が訪ねて来たのだ。

 こうなるともう、信じるしかない。目の前の現実を否定する事もまた、愚行なのである。

「約束通り来てやったぞ! そっちの髭のおっさんがクレオの父親?」

「はい! そうです、ナナカ様!!」

 天使の名前はナナカ。

 彼女は自分を「極めて優秀な天使」であると自己紹介した。

「な、なるほど。では、聞かせてくれぬか。ナナカ殿は大天使よりも優れているのか?」

「はあ? 大天使? 髭はもう少し笑える冗談を言えよ。大天使なんて存在したのは、今から何百年も前の話! そんなの、今の時代に生きてる訳ないだろ!」

「そ、そうなのか?」

「そうなんだよ!」

 アルフォンスは考える。

「であれば、カイトが使役しているシエラという名の大天使は何だったのか」と。

 いくつかの想定が彼の脳裏に浮かびあがった。

 まずは、カイトがシエラに良いように騙だまされているパターン。

 だが、これまで帝国の侵攻を難なく退けている事実を考えると、すぐに頷くのは難しい。

 次に考えたのは、「大天使」と言うのはシエラが勝手に名乗っている自称ではないか説である。

 そうなると、目の前のナナカが大天使を知らない理由にも筋が通る。

 最後に「ナナカが大天使の存在を知らないのは、力が弱く、浅い知識しか持たない天使であるため」と言う最悪のパターンも少しばかりよぎったが、アルフォンスはそれを無視した。

 ナナカには羽が生えており、宙に浮いている。

 この時点で人間ではない、生物としての上位存在である事は明らかであり、ならば詮索をするだけ無意味であるとアルフォンスは結論付けた。

「では、ナナカ殿。一つ頼まれてはくれぬか?」

「はーん? さては、わたしの力を試したいって腹積もりだな? 分かる、分かる! 人間にとって天使って未知の存在だからなー!」

「おお! 理解があって助かるぞ!」

「で? わたしに何をして欲しいんだ?」

 アルフォンス・フェルバッハは一代で帝国領内に名を馳せた名領主である。

 交渉の妙ならば弁えていた。

「このフォルメアンには、盗賊がアジトを構えておるのだ。それがなかなかに強く、狡猾で、私もクレオも手を焼いておる。そこで、ナナカ殿にはその盗賊を成敗して頂きたい」

「あー。はいはい。要は人間狩りをしろってことだな?」

「う、うむ。何やら物騒な言葉に置き換わっておるが、概ねその通りだ」

「まあ、良いでしょ! 楽しそうだしな!! じゃ、その盗賊を狩り尽くしたらわたしの要求も呑んでくれるってことで良いんだな?」

 ナナカの要求とは、繰り返すが「大きな領地を寄越せ」と言うものである。

 領主にとって領地は命の次に大事な財産であり、八百屋で野菜を買うように簡単に切り売りして良いものではない。

 だが、ナナカにその価値があるのならば、悪い取引でもないとアルフォンスは考える。

「良かろう。ナナカ殿の力が確かであると認めれば、こちらとしてもナナカ殿の要求に最大限応えよう。私としても、正しい力には正当な対価を用意する」

「りょーかい! じゃ、明日の同じ時間に、そうだな……。街の噴水の前に来てみろよな! そこに纏めて置いとくからさ!!」

 最後にナナカはこう締めくくる。

「この《力の天使》であるナナカ様にひれ伏す権利をやるぜ! 光栄に思うんだな!!」

 余談だが、力の天使の系譜の最上位に君臨するのは破壊の天使。

 つまり、アルゴートに住んでいるネイアなのだが、当然のことながらアルフォンスとクレオはもちろん、ナナカもその事実については知らないでいる。

 ナナカは執務室にあった果物を乱暴に掴むと、それを食べながら翼を羽ばたかせ、優雅に飛び去って行ったのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌日。

 アルフォンスとクレオが指定された場所へ行くと、そこには背筋が寒くなる凄惨な光景が待ち構えていた。

「遅かったじゃないか。はい、これ。一応殺してないと思うけどな。まー、死んでても別に問題ないだろ? どうせ人間だから!」

「これは……何と言う……。クレオ。今回ばかりは手放しで貴様を褒めなければならんようだ。よくぞナナカ殿を私と引き合わせてくれた! 彼女の力は本物だ! この力さえあれば、アルゴートに怯える心配もない! 帝国の中枢に媚びへつらうのも終わりだ!!」

「ようやく僕たちのあるべき場所へと戻る日が来ましたね! 父上!!」

 アルフォンスとクレオは手を取り合って喜んだ。

 天使の力を手中に収めた今、怖いものなど何もないと。

「数が結構いたから、途中から何人なのか分からなくなったぞー。百までは頑張って数えてたんだけどなー。人間ってみんな同じ顔してるから、区別できないんだよなー」

 クレオが積み上がった盗賊の山を数えてみると、百四十二人ほどが虫の息でどうにか人としての形を保っていた。

 それは、ナナカの実力の確かな証明でもあり、フェルバッハ家に差し込んだ光明の証でもあった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 力の天使ナナカはとても良い気分だった。

 アルフォンス・フェルバッハとその息子のクレオも幸運に酔っていた。

「ちょっと、髭! お酒、全然足りないんだがー! あと、肴さかなもー! もっと上等なヤツ持ってこいよー! せっかくの宴だろ!!」

「クレオ! ナナカ殿のおっしゃる通りに手配しろ!!」

「かしこまりました!」

 この三日ほど、彼らはフォルメアンにある領主の館で酒池肉林の限りを尽くしていた。

 ナナカは天使と呼ぶにはかなり俗っぽい性分をしており、特に酒を好んだ。

「人間ってただ生きてるだけだけどなー。このワインやウイスキーを作った事だけは褒めてあげようと思ってんだよ、わたし! 最初に考えたヤツはわたしの眷けん属ぞくにしてやっても良いくらいだ! ちょっと、髭! 新しいワイン持ってこいって! 次は白な、白!!」

「おい! 大至急ワインを用意しろ! 上等なものが良い! 帝国暦七二八年ものの白ワインがあっただろう! それを持って来い!!」

 このような大騒ぎが前述の通り、三日ほど続いた。

 フォルメアンは貧困にあえいでいるとは言わないが、決して豊かな領地ではない。

 そのため、力の天使ナナカの接待のために、クレオは領民から多くの税を取り立てていた。

 酒を奪い、肉を魚を、問答無用で献上させたのである。

 この行いは褒められたものではない。

 現に、アルフォンスもその様子を見ていて少しばかり眉間にしわを寄せた。

 だが、名領主でその名を馳せたアルフォンス・フェルバッハも、カイトを追放してからはその評判は急落している真っ最中であり、正直いつ領民の暴動が起きてもおかしくない緊張状態が続いている。

 結局のところ、アルフォンスとクレオは似たもの親子なのである。ただ父の方にはある程度の経験と、成功体験による知識がある。

 こうなると、カイトが彼らに似なくて良かったと言わざるを得ない。もちろん、ある程度の類似点はある。かつてカイトは父を目指して研鑽を続けていたためだ。

 だが、もしかすると潜在意識では反面教師の生きた教材として役立てていた可能性も否定できない。

「ところで、ナナカ殿」

「なーんだよ、髭! せっかく気持ちよく酔ってるのにー!」

「これは失礼を……。ですが、そろそろナナカ殿にお願いしたい事について、話をさせて頂きたい」

「あーあー。その願いを聞いてあげたら領地を寄越すってヤツだな! 良いぞ、言ってみー? 聞いてやろうじゃないか!!」

 アルフォンスは語った。

 アルゴートという名の辺境の土地に、数人の天使が住んでいる。

 その天使たちは悪逆の限りを尽くし、帝国に楯突く不届き者の集まりであり、その討伐を任されたのが我らフェルバッハ家である、と。

 事実なのは「アルゴートに天使が住んでいる」という点のみだが、ナナカには確かめようがないし、この天使は己の実力に妄信に近い自信を持っているため、確認する意思もない。

「へー? それは野良天使か?」

「私はその中の一人にしか会った事がないのだが、その者は自分を大天使であると呼称していた」

「大天使」という言葉を聞いた途端に、ナナカは吹き出した。

「だからなー。大天使なんて、もう神話レベルの昔話だって言ってんだろ! そんなのが今の時代にいる訳ないだろーが! 髭、あんた頭悪いなー!」

「ぐっ。た、確かに、シエラが大天使であるかの真しん贋がんを見極める術が我らにはないが。う、ううむ……。果たしてこれは……。いや、しかし……」

 ナナカは悩むアルフォンスに向かって言った。

「とりあえず、地図くれよ。明日にでも行って、その嘘つき天使をボコって来るからよ! お土産に羽の片方でもむしって来ようか?」

 この自信に溢れた天使に、アルフォンスは賭ける事にした。

 もはや、退路はないのである。

 アルフォンスはこれまで賭けで負けたことがない。

 勝算のない賭けには絶対に応じなかったからである。

 その大前提を疎かにした、堕ち続ける名領主。

 そこに気付けないのならば、もうギャンブルからは足を洗った方が良い。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 翌朝。

 アルゴートでは、カイトがシエラとリザを連れて領内を視察して回っていた。

「おっ! 領主様じゃねぇか! あんまり無理しねぇでくださいよー!!」

「ご心配、ありがとう! みんなも根を詰め過ぎないようにしてください!」

 農業ハウスでは、開墾班が元気に働いていた。

 続けて居住区に回る。

「カイト様! 領民の陳情について、オレが纏めておいたぜ! お役に立てると良いんだがな! どんなもんだろ? 久しぶりに書類仕事なんてするからよ、感覚が鈍っちまってんだよなぁ」

「うん。すごくよく纏まっていて、おまけに読みやすいです。さすがヘルムートさん。経歴はしっかりと息づいてますね!」

 ヘルムートはかつて帝国領で司書をしており、見かけによらず高い教養を持っている。

 さらに、アルゴートに来てからはその恵まれた体格で力仕事をこなしていたため、戦士としても通用する肉体が自慢。

 加えて最近ではオーガに武器の扱いを学んだり、エルフに魔法の訓練を頼んだりとさらに自分を高めている。

 もはや誰もが認めるカイト・フェルバッハの立派な片腕になっていた。

「そうだ! カイト様よぉ、ユリス様とネイア様が丘の方で喧嘩してたんだがな。ありゃ放っておいても良かったのかね?」

「ええ……。それは放置できないヤツですね。分かりました、俺が行きます」

 シエラはため息をつく。

「……まったく。……二人とも上位天使としての自覚が足りない。……嘆かわしい」

「ほえー。天使に上位とか下位とかあるんだ? 知らなかったよぉー。シエラちゃんが一番偉いんだよね?」

 好奇心旺盛なリザは天使の序列について興味津々な様子。

「……もちろん、私が一番。……どやぁ。……でも、ユリスもネイアも階級はかなり高い。……そんな天使を統べるカイトは結構すごい。……誇っても良い。……リザもなかなか男を見る目がある。……そっちも誇って良い」

「その誇っても良い人は、今まさにユリス様とネイアちゃんの間でもみくちゃにされてるけどー。あはは……。怪我しないと良いなぁー」

 こんないつもの日常に、招かれざる客がやって来た。

 門を創造したり、鉄柵で囲んだり、さらには警備も相当に厚くて侵入者には警戒していたのにもかかわらず。

 だが、これは致し方ない。

 侵入者は天使であり、上空からやって来たのだから。天使に対する準備まで想定しろと言うのは、いくら何でも若き領主に酷である。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 ドンッと地響きを轟かせて、勢いよく着地したナナカ。

 その衝撃で、ユリスが「これは自信作なのだよ。ふふんっ」と言ってよく自慢している、お気に入りの噴水にひびが入り、装飾が崩れ落ちる。

「ええと、どなた? 見るからに天使だけど、シエラたちのお知り合いかな?」

「はっ! そこらの雑魚天使にわたしの名前を言ったところで知らないだろうけどな、一応名乗っておく! わたしは力の天使! 名前はナナカ!! ひれ伏せ、雑魚どもぉ!!」

 カイトは「どうやらこの天使はうちの三人と無関係の者らしい」と納得した。

 続いて、「では、何ゆえ天使が急に訪ねて来るのか」と疑問が湧いてくる。

 仮に旧知の仲ではなくとも、天使同士なので何か人間には分からない力で居場所を探ったりできるのではないか。

 だとしても、これまでの期間現れなかった天使が急に来訪するのはやはり筋が通らない。

 カイトが首を傾げている間にも、ナナカは止まらない。

「雑魚天使をボコって来いって約束なんだよなー! 一匹ずつボコった方が良い? 全員でかかってきても良いけど? あんたたちに恨みはないけど、悪く思わないでくれよな!」

 命知らずの天使は、シエラ、ネイア、ユリスの順番に同じセリフを繰り返す。

「へー? 力の天使ね? 力の天使ごときが、破壊の天使のネイアさんを雑魚って言った? ふーん。あたしの下位互換の天使がねー?」

「……は? ちょっと待てって。破壊の天使? あんたが?」

「ボクの芸術品を破壊するとは、その度胸だけは認めてやらざるを得ないのだよ。しかし、少しばかり想像力を働かせてほしかったのだがね。この蛮行の代償は、君が思っているよりもはるかに大きいのだが。請求書と領収書は必要かね?」

「な、なんだよ!? そんな難しい物言いしても、わたしはビビらねぇぜ!!」

「……あまりにも身のほど知らず。……ナナカとか言った? ……天使なら、相手の力を推し量れるはず。……少しだけ待ってあげるから。……これからどうして自分が酷い目に遭うのかの認識くらいはさせてあげる。……私は慈悲深い。……むふーっ」

「は、はんっ! そうやって脅かそうったってそうは……。は、ははははっ、えっ、マジで言ってんのかよ!? なんだこいつら……!!」

 圧倒的と表現してもまだ足りないほどの実力の違いを理解してしまったナナカ。

 その先は哀れな結末が口を開けて待ち構えている。

 ネイアが詰め寄る。

「あんたの力がどの程度なのか、あたしが試してあげる! ほら、かかって来なさい!! ほらほらぁ!! どんなに絶望的でも、戦わなきゃやられるだけなのよ!!」

「ヤメるのだよ、ネイア。これ以上君に暴れられると、ボクの芸術品が更に破損してしまうのだからね。ここは、シエラに任せるべきだと思うのだよ。頼むのだよ、大天使。やれやれ。ボクの仕事がまた増える。まったく、まったくなのだよ」

 シエラは無言でこくりと頷いた。

「……どこから来たのか知らないけれど、元の場所にはサービスで戻してあげる。……反転魔法。……『ラウバウンス・バック』」

「えっ、あっ!? うわ、か、体が!? み、みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 ナナカは冗談みたいな勢いで空高く弾き飛ばされ、そのままフォルメアンへ向かって猛スピードで押し戻されるのだった。

 そのフォルメアンでは、アルフォンスとクレオが吉報を待ち構えていた。

 ガシャンと何かが壊れる音を聞いて、「帰ったか!」と二人は飛び出した。

 そこには、教会のステンドグラスを割って、地面にめり込んだナナカの姿があった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 アルゴートを急襲して来た招かれざる客。

 相手が帝国軍であれば、カイトも納得はできないものの理解はできただろう。

 だが、天から舞い降りた天使が、あろうことか大天使のシエラをはじめ、上級天使のユリスとネイアに矛を向けた事情がどうしてもカイトには分からなかった。

「まったく、本当に破壊の天使の系譜はまったくなのだよ。どうしてああも粗暴で、こうも物を壊して回るのが好きなのか。ボクには理解ができないのだよ。……ああっ! ボクの自慢の噴水がこんなにも無残な姿に! ここの飾りは特にこだわっていたのに、酷いのだよ。うぐぅ。……修理するのだよ。信じられないのだよ。まったく……」

 ユリスは率先して力の天使ナナカの壊した建造物の修復をして回っていた。

 これは、どういう訳かナナカがユリスの気に入っていたものばかりを破壊して回ったためである。

 ユリスにとって自分の創造したものは我が子も同然。

 愛情を注いで創ったものならば、愛着が湧くのもまた然り。

「ねーねー、ユリスー? どうせ壊れたんだし、噴水をさ! パカーンって真っ二つにしても良い? 壊しがいがありそうだなってずっと狙ってたのよねー! あたし!! さっきの天使、ナナカだっけ? 態度は良くなかったけど、目の付けどころは悪くないわね!」

 ユリスはため息をついて、ネイアを指さす。

「そもそも、破壊の天使の系譜に属する力の天使がどうしてボクたちを襲って来るのかね!? 百歩譲って襲ってきたとして、どうして自分の上位存在である破壊の天使の君にまで歯向かうのか、理解ができないのだよ! あと、ボクの噴水に手を出したら、ぶっ飛ばすのだよ」

 だが、ネイアも「だからー」とうんざりした顔で応じる。

 このやりとりは既に五回ほど行われているからだ。

「知らないわよ! あたしだって眠ってた時間が長いんだから、その間に生まれた天使なんでしょ? そもそも、天使の責任がどーとか言うならさ、大天使のシエラに文句言いなさいよね!」

「ふむ。ネイアにしては論理的な意見なのだよ。シエラならば何か分かるかもしれない」

 話題の中心は大天使・シエラに移る。

 が、彼女はエルフが差し入れに持って来てくれたサンドイッチに夢中であった。

 この点に関してはカイトも明らかにしておきたい。

 ずっと静観していた彼は、隣でリスのように頬を膨らませている大天使に質問した。

「さっきの天使はシエラたちと同じ……と言ったらおかしな表現になるけど。何と言おうかな、つまり同種族ということで良いんだよね?」

 シエラも主の問いかけには、食事を一時中断する用意がある。

「……肯定。……先程の天使は間違いなく、私たちと同じ種族。……一般的に天使と呼ばれる括りでの、仲間とも言える」

「その仲間が、どうして俺たちを襲ってきたんだろう? 明らかにアルゴートを名指しで狙って来たようにしか見えなかったけど」

 カイトは一番の懸念事項を口にする。

「もしかして、他にもシエラたちと敵対している天使がいて、その天使がまた襲ってくる……なんて想定もしておいた方が良いのかな?」

「……分からない。……記憶がおぼろげなため、肯定も否定もできない。……ごめんなさい」

 シエラの失われた記憶に関しては、アルゴートで非常にセンシティブな情報として扱われている。

 ユリスが慌ててフォローを入れた。

「ま、まあ、気にする事はないと思うのだよ! もちろん、警戒は最低限するべきだと思うがね。これまで、カイトくんが構築して来た人脈は盤石とも言える。エルフ、オーガの多種族も護衛の任についていることだし、いざとなれば、脳筋の天使もいるのだよ」

 ネイアが腰に手を当てて、控えめな胸を張る。

「ちょっとぉ! 誰が脳筋よ! あたしは破壊の天使なんだからね!! ま、ユリスと同意見なのは癪しゃくに障るけど、カイト! あんたはドンと構えてなさい! 戦いは大将がビビった時点で負けてるようなものなんだからね!! あたしがいるのに負けるとか、あり得ないから!!」

 カイトは二人の個性的なエールを思いやりとして受け取った。

 そして再度確認する。

「この領地には、頼りになる天使が三人もいてくれる。ならば、恐れるものなど何もない」と。

 だが、心の奥では言い知れない不安がくすぶっているのも事実だった。

 二律背反に悩みながらも、カイトは前を向く。

「おーい! カイトー!! マチルダさんから栄養剤もらってきたよぉー! ご飯食べたらこれ飲みなさいって! 領民のみんなも不安だと思うから、こんな時に倒れないようにしないとね! ねーっ! 領主様っ!」

「うっ……。努力するよ。……最近、ちょっと筋肉がついてきたんだけどなぁ。ほら、みんな。分からないかな? 見て、これ。力こぶ。あれ、みんな?」

 最後のセリフは全員がスルーして、それぞれ建物の修復作業と瓦礫の撤去作業のために散って行くのであった。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 それでは、件のぶっ飛ばされた力の天使のその後はどうなったのか。

「ちょっとー。おい。髭ー! 聞いてないんだけどよー。なー、事前にもっと情報を寄越すべきじゃないのかー? 髭ー!!」

 ナナカはフォルメアンの医者によって一応の治療は施されており、その体は包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 天使の回復力は人とは比べ物にならないので、数日もすれば仮装のような恰好から解き放たれるだろう。

 だが、怪我は治っても機嫌は直らない。

 ナナカの文句は続く。

「マジでよー。いくらなんでもあれはないわー。大天使だからな。雑魚天使だと思って出かけて行ったら、この世のラスボスがいたのだが! しかもー! 創造の天使までいるからな! 極めつけは、破壊の天使! わたしの上位存在がいるところに特攻かけさせるとか、正気か!? なんとか言えよ、この髭!!」

 アルフォンスは憔しょう悴すいしていた。

 天使の力を得たと思えばその天使が忠告を聞かずに突っ込んで行って、あろうことか呆気なく吹き飛ばされて帰って来た。

 アルフォンスは察していた。

 ナナカが墜落して来た場所は教会であり、ステンドグラスが割れただけで被害が出なかった。

 フォルメアンはそれなりに大きな街である。

 建物だって多くあるし、領民も少なくはない。

 そんな状況で、全くと言って良いほど被害が発生していない。

 それはつまり「狙ってそこにナナカを落とした」事を意味しており、翻っては「次はない。もう一度同じことをすれば、次はお前の住む屋敷を狙う」と言う、高度な脅しだという事を、腐っても名領主のアルフォンスは全て理解していた。

 厳密に言えば、シエラの使った反転魔法は「対象を直近の滞在地へと強制的に押し戻す」効果があるだけであり、そこにカイトの父や弟が介在している事など彼女は知る由もないのだが、その事情を同じくアルフォンスには知る事ができない。

「たまたま人のいない場所にナナカが墜落した」と言う偶然も重なり、結果として過剰な警告を生み出すこととなっていた。

「ナナカ殿。私は確かに注意喚起をしたはずだが」

「だーかーらー! そこんとこをもっと詳しく教えときなさいって話だろうがー? これだから人間ってヤツは愚かなんだよなー」

 アルフォンスは彼女との押し問答の無意味さに疲れ、「愚か者はお互い様だろう」と心の中で毒づいた。

 それにしても、恐ろしきはアルゴートの天使である。

 ナナカの力は人間の領域をはるかに超えるものだった事は、間違いない。

 そのナナカが、何もできずに直送便で叩き返される相手。

 おまけに返り討ちに遭った天使が、相手にした三人ともが上位の天使であり、シエラに至ってはやはり大天使だと証言する。

 この件に関しては、直接対峙して来たナナカが言っているので間違いないだろう。

 アルフォンスは念のために確認を取ってみた。

「ナナカ殿。何か、搦からめ手のような策を用いれば、あなたの力でアルゴートを制圧する事はできないのか?」

 ナナカは即答する。

「あー。無理。つーか無理だろ! 髭にも分かるような喩えをしてやるよ。人間が千人集まっても、あんたたちは所詮の人間集まり。わたしには絶対勝てないだろ? それと同じなんだよなー。わたしみたいな下級天使が上級天使様や、あまつさえ大天使様に楯突いたところで、意味なんかないんだよ。今回みたいに軽くボコってはい、おしまいって訳なんだわ!」

 それでもアルフォンスはアルゴートを潰さなければならないのである。

 それがどんな理由からだったのか。

 もはや、彼自身もよく覚えていないし、それが重要な意味を持つ段階ではなくなっている。

 帝国を巻き込んだこの争い。

 負けた方は、文字通り終わるのだ。

 良くて帝国領内からの追放。

 最悪、死刑に処される可能性だって現実的な確率で存在している。

「まー。とにかくなー。アルゴートには手を出さない方が良いってことだなー。マジでヤバいから、あそこ。髭も長生きしたいだろ? 余生はゆっくり本でも読んで過ごせよ。良かったな、今回わたしが間にいて。じゃなきゃ死んでたぞ、髭」

 ナナカにとって、既にアルゴートとのいざこざは他人事。

 他人の不幸ほど軽く扱えるものはそうない。

 アルフォンスは渋いだけのワインを飲んだような顔で、ナナカが寝ている部屋を出るのだった。