5章 悪意の策謀と正義の抵抗


 この日も普段と同じ夜だった。

 執務に勤いそしむカイトのもとへ、リザが夕食を運んできたのは午後九時を過ぎた時分。

「二人ともごめん。俺の仕事のキリがつかないから、遅くなっちゃったな」

「全然平気だよっ! だってせっかく一緒に住んでるんだもん! ご飯も一緒が良いよ! ねっ、シエラちゃん!」

「……じゅるり。……当然。……カイトは私の主。……主が働いているのにじゅるり」

「いや、本当に悪かった! シエラが大天使としての威厳を食欲に潰されそうになってる!! さあ、食べよう!!」

 カイトたちがテーブルを囲み、遅い夕食を始めてから五分ほどが経っただろうか。

 外がにわかに騒がしくなり、怒鳴り声が響いた。

「喧けん嘩かかなぁ?」

「いや、うちの領民。みんなはこんなに品のない怒号を吐かないと思うけど。そもそもパンチ一発でも決まればそれで手打ちにするのがうちのやり方だからなぁ。むちゃくちゃヒートアップしてるよ。……でもまあ、そんな日もあるか!!」

「……はむっ。……はむっ」

 カイトが首を傾げながらもスープにパンを浸していると、ユリスが飛んできた。

 彼女はのんきに食事をしている三人に呆れながら叱責する。

「君たちは……。どうしてこうも危機意識が希薄なのか、ボクには理解できないのだよ。先程から響いている男たちの声が聞こえない訳ではないだろうに」

 ユリスの回りくどい口調にシエラは「……なるほど」と頷いた。

「……ユリス。……お腹空いたのならそう言えば良い。……私のパンを分けてあげる。……特別。……親友特権。……ふふっ」

「そうじゃないのだよ! と言うか、分けてくれるのならばシエラ、君の齧かじったあとのないものにしてくれるかね!? 親友に半分以上食べたパンを差し出すなどと……シエラ。どうしてボクが喋っている間にパンを食べ終えるのかね?」

「それで、何かありましたか?」

「あったからボクはこうして来ているのだよ! 敵襲だ! カイトくん! 君も君だぞ。どうしてご飯を食べながら話を聞くのかね。貴族の礼儀作法はどこに行ったのだよ!?」

 カイトとリザはさすがに食事を中断した。

 怪物はこちらの都合などお構いなしに襲い掛かって来る。

「モンスターの種類は分かりますか? 近くの森や山は早くどうにかしないとですね。こうも襲撃が多いとなると……」

 顎あごに手を当てて唸るカイト。

 そんな彼に、ユリスは「違うのだよ」と告げる。

「相手は人間だ。野盗の集団のようだね。今、ヘルムートが指揮を執って先行しているが、かなり数が多いみたいだからね。ボクがこうして時間外労働をする羽目になったのだよ。やれやれ、まったく。天使使いが荒いとは思わんのかね」

 カイトは少しばかり身震いをした。

 人間による領地への襲撃は初めての事だったからである。

 脳裏には「何故こんな辺境の街を襲うのだろうか?」と疑問が湧いたが、すぐにかき消す。

 まずは現場に急がねばと、カイトは剣を持って家を飛び出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 居住区では、大規模な戦闘が行われていた。

 ヘルムートは頼りになる男。

 彼は、女子供、年寄りを真っ先に避難させたのち、力自慢の領民たちを指揮し防衛ラインを維持していた。

「すみません、ヘルムートさん! 遅くなりました!!」

「あぁ!? おいおい、待てよ! か、カイト様じゃねぇか!? あんたはこんなとこで何をしてるんだよ!? 危ねぇだろうが!!」

「えっ? いや、襲撃だって言うから、俺も戦おうと思って」

「リザ嬢ちゃん! 頼む!!」

 リザが「オッケー!」と返事をしたかと思えば、カイトの手から剣が奪われた。

「あっ! ちょっと! 俺の武器を取り上げてどうするの!?」

「カイトが戦力になる訳ないでしょ! むしろ、みんながカイトの心配をしなくちゃいけなくなるんだからぁ! ここでじっとしてて! それで、指揮だけ執ってくれれば良いのっ!! そもそも! わたしみたいな女の子に剣を奪い取られる時点で戦いに関してはおじゃま虫だよ!!」

 カイトは戦場に着くと同時に戦力外通告を受けた。

「……はむっ。……はむっ。……私の食事を邪魔した罪は重い。……彼らには、それを思い知ってもらう。……これは許せない。……はむっ」

「まだ食べているじゃないか。と言うか、ボクも戦うのかね? 戦いなんて野蛮な事は専門外なのだがね。やれやれなのだよ、まったく、まったく」

「カイトの分を補ってくれれば良いですから! 力を貸してください、ユリス様!」

「ふむ。カイトくんの分だけで良いのかね? ならば了承しよう。楽な仕事なのだよ」

 シエラが目で見て分かるレベルの魔力を溜め始めると、リザは剣を抜いて右手に持ち、左手には魔導書を携え戦闘準備完了。

 ユリスは面倒くさそうにあくびをしながら指先に魔力を込める。

「良いですかい? 皆さん! 説明した通り、敵の陣形は素人のそれ! つまり、大きな戦力の投入で戦局なんざ軽く動きます!! おう、カイト様はこの樽の陰から絶対に出て来んなよ! 邪魔だからな!! 良いか、絶対だぜ!?」

「あのさ。みんな? 俺、そこまで頼りにならないかな?」

 リザがすかさずフォローをする。

 彼女はカイトの一番の理解者である。

「カイトは頼りになるよ! だから身を守って欲しいの! 替えが効かないんだよ、集団のリーダーって!! わたしにとってカイトはすっごく特別な男の子だけど、みんなにとってもすっごく特別な領主様なんだからねっ!!」

 リザの優しさで心の傷を埋めたカイトは渋々ながら頷いた。

「じゃあ、みんな。怪我はしないでくださいね」と静かにエールを送りながら。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「やぁぁぁぁっ!! わたしたちの街を荒らしてぇ! てぇぇぇぇいっ!!」

 まず小回りの利くリザが乱戦の中に飛び込んだ。

「ぬおっ!? この小娘……!! おい、こいつぁ上物だぞ! 手ぇ貸せ!」

「じゃじゃ馬だが、飼いならしゃ高く売れるぜ! へっへっへ!」

 体の大きな野盗に挟まれると、リザの姿は見えなくなってしまう。

 だが、彼女も冒険者として腕に覚えがあった。

「あなたたちにぃ! 可愛いわたしは釣り合わない! よっ、とぉ!! 『エアロスラッシュ』!! ここからは剣でぇ!! たぁぁぁっ!!」

「ぎゃあぁぁぁっ! いってぇ!! 腕が!! 魔法使えんのかよ!!」

「しかもこのガキ!! こ、こいつぅ、剣を二本持ってやがっ! ひぎぃぃぃぃっ!!」

 カイトから没収した剣も巧みに操り、リザが躍動する。

 それでも相手が三人以上になると苦戦してしまう。

 そこで登場するのがユリス。

「やれやれ。本当にボクは戦闘なんて嫌いなのだが。けれど、この野蛮な人間に近寄られるのは生理的に受け付けないね。知性と自制心のない人間など、獣よりもはるかに劣る存在なのだよ。リザくん、援護しよう。『スピリットニードル』」

 ユリスは指先に溜めた魔力で棘のようなものを創造し再構築。それを器用に空中でクルクルと旋回させて野盗の背中に突き刺した。

 あれほどまでに騒がしかった強欲の化身たちが、声もあげずに倒れていく。

「ありがとー! ユリス様!!」

「礼には及ばないのだよ。ぎゃあぎゃあとやかましいので、麻痺属性も付与しておいたからね。この調子で適当に支援するから、背中は任せたまえ。ふふんっ」

 居住区の西側はリザとユリスで完封できそうな気配である。

 ならば、東側の守りが薄くなるのではないか。

 結論から言えば、そんな事はない。

 そちら側にはシエラがいる。

 食べることが大好きな大天使が食事を邪魔されて立腹している。

 これ以上の情報は必要とされるのだろうか。

「……ヘルムート。……みんなをこっちに避難させて」

「へい! おおい、おめぇら!! シエラ様が何かとんでもねぇ魔法を使うぞ! 巻き添え食いたくねぇだろ!? 走れ、走れ! こっちに急げ!!」

 アルゴートの領民であれば、シエラの力の強大さは算術のできない者だって理解している。

「……今日の肉料理は冷めると味が落ちる。……これは許されない罪。……断罪する。……『ライジングストーム』」

 圧倒的な光景であった。

 シエラが手を振る度に、細く鋭い雷が野盗に向かって落ちていく。

 わざわざ細く加工する手間を加えているのは、居住区の建物に被害を与えないためだろう。

「こ、こんな化け物どもがいるなんて、聞いてねぇぞ!!」

「お、おい! てめぇ、逃げんじゃねぇ!! あがががががっ!!」

 蜘く蛛もの子を散らすとはかくあるべしか。

 元々が烏合の衆だった野盗たち。

「金に目がくらんだ」という共通点しかない彼らには、集団で戦術を練って戦うという発想はない。

 無論、彼らが何人、何百人集まろうともシエラの前では誤差の範囲であるという大前提の上では、戦術という仮定さえ、机上の空論にすらならないのだが。

「ダメだ! とりあえず、適当に火ぃつけて逃げるしかねぇ!」

「割に合わねぇ仕事だぜ! おらよっ!」

 野盗の撃退は完了しつつあるが、彼らは逃げる際に建物めがけて火炎瓶を投げつける。

 カイトはすぐに消火を指示した。

「ボクに任せたまえよ。せっかく創り出したボクのインテリジェンス溢れる建物に火をつけるとは。『ファウンテン・レイン』! まったく、度し難いのだよ」

 火炎瓶は非常に優れた攻撃手段である。

 一度の投とう擲てきで効果が出るし、逃げながらでも実行可能。

 だが、創造の天使の前では全てが無意味。

 ユリスの創り出した優しい雨が火の粉すら残さずに洗い流していく。

「……カイト。……追撃の許可が欲しい。……あの手合いは徹底的に叩いておかないと、また来る。……もうご飯を邪魔されるのは嫌」

「ううむ。……よし。分かった。ただし、殺さないようにね?」

「……了解した。……まったく、カイトは甘い。……だが、それが良い」

 そう言うと、シエラは上空高く飛び上がる。

「うへぇー。野盗は絶対に許せないけど、ちょっぴりだけ気の毒だねー」

「シエラは攻撃に優れた大天使なのだよ。彼女の相手はボクだってごめんだね。費やす労力に対して、見返りがなさ過ぎる」

 それからしばらく「ほぎゃあぁぁぁっ」と言う耳障りな悲鳴がこだましていたが、それも数分すれば聞こえなくなった。

 とある夜の野盗によるアルゴート襲撃は、大きな被害を出さずに過ぎ去っていく。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 フェルバッハ家では、アルフォンスとクレオが瞳を輝かせて『アルゴート滅亡』の報を今か今かと待ち構えていた。

 数日後、執事が密書を気まずそうな表情で持参した。

 アルゴートを野盗が襲ってから五日ほど経っていた。

「おお! 早く寄越さんか!」

「父上、どうでしたか!?」

 期待の眼差しが失望の色に変わり、更に憤怒の様相を呈して来たところでクレオはおおよその事情を理解した。

 まず、近くにあった骨董品などを執事たちに移動させる。

 代わりに銀の食器をテーブルの上にそっと置いた。

「ふっ、ふざけおってぇ!! あれだけの金を払ったのに、家の一軒も焼けませんでしたと抜かしおるかぁぁ!! クズどもがぁぁぁ!!」

 アルフォンスが叩きつけた銀のフォークは絨じゅう毯たんに突き刺さる。

「落ち着いて下さいませ、父上! 良かったではありませんか!!」

「何が良いものかぁ! クレオ、貴様も私を苛いら立だたせるつもりか!? 愚かな兄と同じように!!」

 怒髪天を衝つくアルフォンスにクレオは理路整然と意見具申をした。

「僕の考えを聞いてからお怒りになってください」と言った彼は、実に卑しい考察を父に聞かせる。

 よく自分の父親の性質を理解している証である。

 彼はこうも言った。「愚かな兄上と僕は違いますよ」と。

 確かに、今のクレオの表情は醜い低級悪魔のようでありカイトとは似ても似つかない。

「これは良い判断材料になったと考えるのです。野盗やその辺にいる犯罪者崩れの者ごときでは、アルゴートを征服できない。それがハッキリと分かりました。逆に考えると、大天使の力の強大さをしっかりと確認できたではありませんか」

「……なるほど。物は言いようだが、一理あるな。大天使の前には人間など無力のようだ。相手をするならば軍隊でも率いていかねばなるまい」

 クレオは大おお袈げ裟さに驚いてみせる。

「さすがは父上! お気付きでしたか!!」と。

「そうですとも。軍隊を相手にさせれば良いのです! こういう筋書きはいかがですか? アルゴートは帝国に対して、謀反を起こそうとしている。父上は今や帝国中に名が轟く名領主! その父上が中央政権の関係者に書簡を出すのです。きっと、皇帝陛下も無視できませんよ!」

「ほう。まあ、私の名を出せば大臣とはコンタクトが取れる。……が。しかし、クレオよ。万が一にも皇帝陛下を謀たばかったとなれば、我らもタダでは済まんぞ?」

「なぁに、バレるはずありませんよ。アルゴートは元々、罪人の流刑地。更には実際に大天使という巨大な力を帝国の許可なく有しているのですから! これは全て事実! 僕たちは、その事実に少しばかり味付けをするだけですよ。味を濃くするだけです」

 アルフォンスは数秒ほど黙り、「ふーっはっは!!」と笑い出した。

 どうやら、彼の脳は都合の良い花畑を見つけたらしい。

「悪くない、悪くないぞ! カイトは私を頼る以外にツテなどないはずだからな! 必ず泣きついてくるだろう!」

「ええ。その時は、手を差し伸べてあげましょう。大天使様に跪いて」

 フェルバッハ家の行動は今回も早い。

 悲しいことに、思い立ったらすぐに計画書を作り実行に移す姿勢はカイトとこの父と愚弟、そっくりである。

 アルフォンスはアルゴートの危険性を過剰に演出した書簡を作り始めた。

 クレオは父の名代として、帝国の中枢に近い人間と関係を構築していく。

 愚か者たちの次なる蛮行は一度芽を出すと驚異的なスピードで根を張り、禍々しい実をつけようとしていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 野盗襲撃から一週間。

 アルゴートでは再び夜襲をかけられた際に備えるべく、カイトが指揮を執っていた。

「カイト様! 門が完成したぜ! おら、見てくれよ!!」

「ご苦労様です。これは、何と言うか……。想像以上に立派なものになりましたねぇ」

「そりゃあもう! ユリス様の創造の力だからな! 面倒だからと言って、部品だけ置いて行かれたから、オレらで組み立てたんだけどよ。安心してくれ! オレら、大工仕事は得意なんだよな!!」

「知ってますよ。俺が初めてこの地に来た時にも、みんな廃材を利用した頑丈な家に住んでましたもんね」

 アルゴートと街道を繋ぐ舗装された道には、頑丈で巨大な門を建てた。

 居住区の周りには鉄柵を。

 これだけの設備を揃えれば、野盗が侵入に手間取っている隙を見て対応できるだろう。

「カイトー! お昼ご飯持って来たよー! およ? どうしたの?」

「ふむ。何やら物思いに耽っているように見えるのだよ」

 リザとユリスが工事現場にやって来た。

 カイトはユリスに門と鉄柵の創造のお礼を言ってから、「少しだけ気になる事があってさ」と切り出した。

「先日の野盗。どう見ても金品を略奪しようと計画していた風には思えないんだよ。人を襲って、建物に火をつけて。普通に考えたらさ、人を襲うよりもまず、貴金属とか銀貨とか。軽くて価値のあるものを奪おうとするよね?」

「そう言われてみれば、そうだよねぇ。人ひと攫さらいはまあ、人身売買が目的ってことがあるかもだけどぉー。家を燃やすのは意味が分かんないねぇ。んー。嫌がらせ?」

「だよね。どうにも理解できない事が多すぎるんだよ。そもそも、こんな辺境の奥まった居住地に嫌がらせしに来るかな? 何より、タイミングも……」

 カイトはそこまで口に出して、首を振る。

「実家に帰省してからほとんど日を置かずに襲撃があった」からと言って、フェルバッハ家が関わっているなどとは邪推が過ぎると、カイトは自分を戒めた。

 もはや人間として尊敬できない人たちではあるが、血の繋がった親と弟である。

 彼らがそのような悪事に手を染めるとは考えにくい。

 と言うよりも、考えたくないのがカイトの本音だった。

 いずれにせよ、そんな事をしても得るものがないとカイトは半ば無理やりに結論付けた。

 父と弟が、利益のないものに投資するはずがない、と。

 そこまで真相に迫っていながらも、カイトはそれに触れられない。

 彼の生来持っている人の良さが、父や弟には存在しない清らかな魂が、悪い方向に作用してしまったのである。

「そんな事より、ご飯だよ、ご飯! カイトはしっかり食べて体鍛えなくちゃ!」

「みんながそう言うけど、俺も結構やる時はやるんだよ?」

 リザは「はいはーい」と言って、エルフの里秘伝のソースで作ったサンドイッチを取り出した。

 それを受け取ってモグモグやっていると、ユリスがため息をつく。

「やれやれ。ボクも随分と甘くなったと言うか、君たちに感化されてしまったのだよ。まさか、面倒事を自分から提案しようと思うだなんて。ああ、嘆かわしいのだよ。うぐぐ。これは由々しき事態なのだよー」

「ほえ? ユリス様、何か創ってくれるんですか?」

「違うのだよ。……とも言い切れないか。カイトくんはどうも、言い知れぬ不安に苛まれているように見えるのだ。ボクが一つ、縁を創ってやろうと言うのだよ。シエラがいるとは言っても、彼女一人では心細いのだろう? 例えば、有事の際に頼れる者があと一人いれば、その悩みは払拭されるのではないかね?」

 心の中を見透かされたカイトは、「ユリス様には敵いません」と肩をすくめた。

「ボクの旧友に腕っぷしだけなら秀でた者がいるのだよ。カイトくんがどうしてもと言うのなら、紹介しないでもないのだがね。……いや、旧友ではないな。古い知人。……ふむっ。ちょっとだけ面識のあるあまり親しくない者! これなのだよ!!」

 カイトは即答した。

「どうしてもお願いします! さすがはユリス様、頼りになるなぁ!」

 ユリスはひと際大きなため息をついて「やれやれ。分かったのだよ」と頷いた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 ユリスが紹介しようと言う相手は、天使であった。

 当然と言えば当然である。

 彼女はつい数か月前まで封印されていた身の上であり、しかもアルゴートに引きこもりがちなため、《目覚まし》で起きてからよその土地に住む誰かと関係を築くとは考えにくい。

「ほわぁー! じゃあ、またアルゴートに天使様が増えるんだ!!」

「助かるなぁ。その天使はユリス様より強いんですか?」

 ユリスは「トータルバランスで言えばボクの圧勝だよ」と前置きしてから言った。

「正直、会いたくはないし話もしたくないのだが、強さだけは太鼓判を押せるのだよ。残念ながら。言っておくけど、ボクの方が天使としての魅力は高いのだよ? ネイアのヤツは気が強くて感情論で喋るから会話が成り立たないし。ああ、それから胸だってボクの方が大きい。ネイアは実に貧相な胸部をしている」

「むー。ユリス様。出会った時に、胸の大きさなんて個体差なのだよ! とか言ってたのにぃー」

「あ。いや。リザくん? これはあくまでも、ネイアのヤツにボクが勝っている点を列挙しただけで。決して、君の胸のサイズがどうこう言う訳では。き、君もなかなか立派なものを持っているのだよ……。うっ、目が怖いのだよ」

「ふーん。わたし、まだ成長期ですしっ!!」

 早口でこれから紹介されるはずの天使の悪口を並べ立てるユリス。

 それだけで両者の確執の深刻さは感じ取るに余りあった。

「ええと、ユリス様は良いんですか? その、ネイア? 様をアルゴートに呼んで。あれ!? もしかして、ユリス様が出て行ったりしませんよね!? 困りますよ! もうあなたはこの地に欠かせない存在なんですから!!」

「……カイトくんは実に見どころのある、才能に満ちた若者なのだよ。見る目が確かなのだよ。慧けい眼がんが特に素晴らしいのだよ。……まあ、我慢するさ。ボクは基本的に関わらないようにするつもりだ。何より、領主様の暗い顔は見ていられないのだよ。まったく、まったく。ボクも甘くなったものなのだよ」

 こうして、ネイアという名の天使を例によって起こすため、カイトは遠征に出る事となった。

 今回は随伴者としてネイアの眠る都市・ドンディナの場所を知っているユリスと、「絶対に直接交渉したくない」と言って聞かない創造の天使様に代わってネゴシエーター役にシエラが選ばれた。

 リザは「わたしも行きたい! カイト、わたしもぉ!!」と言って最後まで粘っていたが、領主に「留守を任せられるのはリザしかいないんだよ」と説得されて、涙を呑んで彼らを見送った。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 ドンディナはアルゴートから歩いて十三日ほどかかる。

 カイトの体力では、道中に四度遭難し、二度ほど命を落としかけ、辿り着く寸前で力尽きる。

 シエラとユリスの共通見解として導き出された答えは、カイト以外の誰が聞いても「確かにその通り」と頷くこと請け合いだった。

 ならば、どうするのか。

「まさか、まさかなのだよ。人間を抱えて飛ぶ日が来ようとは。長生きはするものだね、まったく」

「……ユリス。……そろそろ交代の時間。……籠を受け取る」

 カイトは籠に収納され、シエラとユリスによって空輸されていた。

「あの、ごめんね? さすがに俺もこれはどうかと思うけど、この方法が手っ取り早いって言われるともうさ、運ばれる側が口出しするのもおこがましいかなって」

 コウノトリに運ばれて来る赤ん坊だろうか。

 カイトは籠の中で申し訳なさそうに頭を下げた。

「……仕方ない。……カイトの体力は極めて低い。……万が一どころではなく、十中八九命の危険がある行為は見過ごせない。……カイトは私の主」

「ボクはカイトくんに使役された覚えはないのだがね」

 二人の天使の翼であれば、一日もかからずにドンディナへ到着するらしい。

 だが、その間の微妙な空気感は言い知れぬものがあった。

 あまりの気まずさにカイトは強引に話題を変えようと試みる。

「ユリス様とネイア様ってどうしてそんなに仲が悪いんですか?」

 地雷を踏んだようだった。

「聞いてくれるかね! まず、ネイアは時間を守らない。あちらから用があると言って呼び出されて二日間も待ちぼうけを食った事がある! それに、何でもかんでも力で解決しようとする! ボクたちは天使だ! 創造と慈愛を旨として生きるべきではないかね!? それなのに、あの暴力女ときたら、創造もなければ想像力もなく、昆虫よりも高い知性があるのかどうかも疑わしい!!」

「あ、だいたい分かりました。すみませんでした」

「……ユリスだって怠惰な天使。……大天使の私から見れば、ネイアとそう変わらない」

 大天使シエラ様は炎に燃料を投下する。

「ぼ、ボクとネイアが同レベル!? いくらシエラとは言え、聞き捨てならないのだよ!! ボクのどこがネイアに劣っていると言うのだね!? 知力、魅力、スタイルの良さ、愛情、包容力、美しさ!! 人から愛される要素しかないボクの! ど・こ・が!!」

 結局カイトは、ユリスがいかに優れた天使であるかについて十時間の講義を受けて、三時間の仮眠ののち、続きを聞かされた。

 ドンディナに着いた時には、何もせずに籠の中で座っていただけなのに凄まじい疲労感に襲われたという。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 ドンディナは荒廃していた。

 ユリスの眠っていたブラウゼンも荒れてはいたが、あちらは寂しい場所だった。

 対して、ドンディナの廃墟は主に遊興施設の成れの果てだった。

 カジノは見て分かるものだけで三つあり、金の看板や金の銅像が転がっている。

 また、筋力を鍛えるためと思われる見た事もない装置や器具の残骸も多数発見された。

「見たまえよ。なんと品のない土地だろう。ネイアが守護していたからこうなったのだよ」

「でも、金がこんなにありますよ。すごいな。持って帰っても良いのかな」

「……カイト。……よく見て。……それは全部メッキ。……本物だったらとっくに野盗が持ち去っている」

「あっ。本当だ。ちょっと擦ったら塵になったよ」

 ひとまず、カイトたちはネイアの眠る場所を探すことにした。

 その作業はほんの数分で終わる。

 金色の巨大な柱が立っており、そこに「破壊の天使・ネイア、ここに眠るから起こしたら絶対に許さない」と刻まれていた。

 ちなみに、それは本物の金で作られていた。

 ユリスによると「魔力が込められているから普通の人間には一グラムだって削れない」らしい。

 カイトは試してみたかったが、領主としての良識が誘惑に勝ったため、紳士らしく「立派だなぁ」と感想を述べるに留まった。

「立派なものか。醜悪なのだよ。そもそも、本当に起こしてほしくなければこんな墓標みたいなものを刻まなければ良いのではないかね? ネイアはかまってちゃんなのだよ」

 カイトはシエラに聞いてみた。

「これ、起こしちゃっても良いのかな?」

「……問題ない。……そのために私がついて来た」

 ならばと、カイトは地面に手をつき《目覚まし》を発現させた。

 通例ならば地響きなどが起きるはずだったのだが、破壊の天使は一味違う。

 ドゴッと音がしたかと思えば、一直線に白い衣服を纏った少女が飛び出して来た。

 まるで火山の噴火のようだと、あるいは地上から空へと打ち上がる新種の流れ星のようだと、カイトはぼんやりと思った。

 黒い髪に紅い目をした天使は、ショートパンツのような聖衣で、ユリスによればキトンと言うらしいが、どうやら彼女が自分でカスタマイズしたらしく、その恰好は異彩を放っていた。手足は長いが、全体的にスレンダーであり、ユリスの事前情報とも一致していた。

「あー! もぉー! やっと起こしに来た! どんだけ待たせるのよ!!」